午前中からハードな授業を終え、マリアたちは食堂で昼食を摂っていた。だがピートとガイ、カティは自主練や魔法動物の世話のためここにはいない。
「皆、成長してきていますね」
紅茶を片手にシェラがしみじみと語る。その言葉は特に今いない三人に向けられていて、どこか寂しそうにも見えた。
そこへ聞き覚えのある声が響いて来る。その声の主はマリアたちがいることに気づいていないようだ。
「テレサちゃん、テレサちゃーん! ……どこ行っちゃったんだろ」
「なぁ、もういいんじゃねーの? 授業始まるぞ」
「あ、こっちですよ。気配が薄いのも困りものですねぇ」
「ありがとねアーシャちゃん。でもその蟲何?」
ぱたぱたと忙しなく駆けていった一年生四人組を見送ったマリアは、自分たちもあんな風に見えていたのかと思う。あまりに未熟で、あまりに純粋だ。
うず、とマリアの体が動いたのがわかったのか、リュディアがテーブルの下から手を握って来た。
「マリア、構い過ぎるのは良くないよ」
「……はぁい」
ここで下手に手を出せば、あの四人の成長の芽を摘んでしまうかもしれない。マリアはその思いでお節介な心を押さえつけた。とはいえ図書館で会った時から、アーシャとは碌に話せていない。キンバリーでの生活は、狭間の地に居た頃とは比べ物にならないほど早く進んでいるのだ。
「あなたの方は、周りの環境が変わりますわね」
「うむ。明日から始まる
「相手は歴戦の上級生だ。以前にも増して激しい戦いになるだろうな」
ナナオはジュニアリーグでの力の差を鑑みて、シニアリーグに昇格することになったのだ。まだ箒に乗り始めて一年も経っていないというのに、ナナオの瞳に不安は一片たりとも無かった。
その勇敢な振る舞いには、マリアとしても憧れがある。勇気という言葉は、実のところマリアには縁遠い。
「果たしてどのようなつわものがいるのやら」
「試合の勝ち負けも勿論重要だが、まずは五体満足で地上に帰ること。それを忘れないでくれ」
「――うむ。その時は頼りにしてござる」
『さァ始まるぞシニアリーグ第十六戦! 期待の超新星、ナナオ=ヒビヤのデビュー戦だァ!!』
魔法で大きく響いた実況の声に会場が沸き立つ。かくいうマリアもその興奮に乗せられて、今にも飛び出していきそうになっていた。そんなマリアをなんとか落ち着かせようとリュディアが飲み物を渡すが、中途半端な冷たさは逆効果になっていた。
『ワイルドギース対ブルースワロウ! ジュニアリーグのエースはどこまで通じるか!』
ぐん、と統制の取れた動きで両チームの選手が浮かび上がり、フィールドに広がっていく。次々と箒で飛び上がるワイルドギースの選手の中にナナオもいるのだろう。そして、開幕のラッパが高く響いた。
『試合開始!』
観客席から怒号ともつかない歓声が飛ぶ。下級生リーグとは比べ物にならない盛り上がりに、マリアの背筋が震えた。それから間もなく、金の瞳がナナオを捉える。
『おっとヒビヤ選手に三人がマーク! これがシニアリーグの洗礼か!?』
まっすぐに飛ぶナナオの後ろに一人。さらにその後方下あたりにも二人が付いている。
ナナオが彼らを躱そうと動くが、紐で引っ張られているかのような滑らかな軌道で後を追っていた。
「離せない?」
「動きを読まれていますわね。いくら才能があったとしても、ナナオは箒に乗り始めて一年程しか経っていません」
「速度はナナオの方が出てるけど、競技場の大きさにも限りがある。結構難しいね、箒」
リュディアの言葉が現実になったように、ナナオが競技場の端でターンすると、やはり三人がついて来る。良くも悪くも動きが素直すぎるのだ。
『ヒビヤ選手、マークを剥がせない! やはりシニアリーグは一足早かったか!』
チームメイトは助けに向かわない。動きを読まれ、攻撃を加えられている。
そして三人の中から一人が先行したその時、加速を残したナナオがすれ違い様にそれを落とした。
『へ……?』
「……やっぱり」
あまりに呆気ない結末に、一瞬実況が止まる。それでも相手の二人はナナオに襲いかかり、タイミングの差を見抜かれて落とされた。
『ひ、ヒビヤ選手、上級生三人の攻撃を正面突破!? なんという……』
残心のまま滞空するナナオの姿が、騎兵と重なった。あの動きは馬上の剣術だ。
マリア自身はトレント含め馬に乗ったまま武器を振るうことは少ない。だからどうということはないが、ああやって存分に強みを発揮しているのを見ると、もう少し背丈があっても良かったような、今のままでも良いような……
「マリア?」
ハッと顔を上げると、リュディアが顔を覗き込んでいた。その隣ではシェラが心配そうにこちらを見ている。随分と考え込んでしまったようだった。競技場に目をやると、ナナオはチームメイトと合流して更なる攻勢に出ようとしているところだった。
「何でもない。大丈夫」
「そう? ならいいけど」
そう言いつつ、リュディアはマリアを抱え直した。試合は刻一刻と進んでいる。下級生相手に三人を仕掛けて、その上で落とされたブルースワロウ側の動きは、たった一人を送り出す意外なものだった。
ワイルドギースの選手たちが気持ち遠巻きにその選手を囲む中、中心にいたナナオが向き合う。
「あれがブルースワロウのエース……」
「エース?」
「一番活躍してるってこと。ダイアナ=アシュベリーだったかな。箒乗りの一族だって」
端的にリュディアが口にするそれは、彼女の実力を示すのに十分だった。箒に乗ることを一生涯の目標として生まれ、生き、死んでいく。
箒乗りの寿命は短いと、箒術担当教員のダスティンが言っていた覚えがある。普通の魔法使いが何百年と生きる中で、初めの十数年の中に人生の意味を見出すのだ。
「……動いた」
競技場の中央で激しくぶつかり合った二人は何事か言葉を交わすと、アシュベリーがわずかに先行しながら空へ駆け上がっていく。
上空へ勢いよく加速していくナナオとアシュベリーを追って空を見上げるも、二人は加速しながら、雲の層すら突き抜けて登っていく。マリアは競技場側の試合を忘れてじっと上空に目を凝らした。
空の向こう、月の下で、ナナオは箒の魔女が中空に躍り出るのを見た。主を手放した箒は見る間に空へと飛んでいく。落ちていく魔女と、十分に高度を得て加速する箒。それらは必死に追いすがるナナオの眼前で一つに重なった。
「これがアシュベリーの魔法よ」
その声を聞くか聞かないかの内に、ナナオの意識は薄れていった。
「ぁ、」
空から落ちてくる一つの影に、マリアが小さく声を上げる。
傍らに箒が寄り添いながらナナオはオリバーに受け止められた。それを追って悠々と降りてくるアシュベリーの姿に、ナナオが負けたことを理解した。
「ナナオ……」
シェラの声が妙に耳に残る。心のどこかに、ナナオならという思いがあった。研究の結果では及ばないだろう。だが箒なら、と。
そんなマリアの期待を知る由も無く、ナナオは場外に歩き出す。最早マリアには、試合の行く末をじっと見守ることしか出来なかった。
『……決着ッ!! ワイルドギース惜しくも勝利を逃した! しかしヒビヤ選手が開幕で二人落とすなど、色々驚かされる試合運びとなりました。さて、ここまでのハイライトをご紹介しましょう――』
「控室に行きましょうか」
「そうだね。今回は惜しかったけど、」
立ち上がったシェラ達に続いてマリアとリュディアもその後を追う。他の生徒も客席を離れる中、マリアは競技場の方を振り返った。けれど二つのチームが居なくなったそこには当然のように何もなく、マリアはリュディアに手を引かれて席を後にした。
「どうしたの、マリア。お腹減った?」
「ううん。……リュディアは、この人なら大丈夫って思えるひとはいる?」
「……何の話?」
怪訝な顔をするリュディアに、マリアはしまったと顔を伏せた。口を衝いて出た、にしてはマリアにもその理由が分からず、どんな答えを求めているかもあやふやなまま。
リュディアは珍しそうにマリアを見ていたが、ふと口を開いた。
「いた、かな」
「今は?」
「さぁ。よく覚えてない」
「ふぅん」
今はいない。そうともとれる言葉に、マリアは納得したような気がして、首を傾げた。元の疑問も分からないのに、何に納得したというのだろう。
「マリアは?」
「私? 私は……ラニかな」
「やっぱり」
「後は、リュディアとか」
「…………へぇ」
手を握る力が強くなった気がしてマリアはリュディアを見上げたが、目を合わせてくれなかった。
自分の、そういうひとを口にしてみても、元の感情はわからないままだ。そこへ控室に下りていく通路の窓に、人だかりができているのを見つけた。マリアたちが近づくころにはもういなくなっていたが、遠目に小さくなっていく箒乗りの姿が見えた。
「アシュベリー先輩の遠乗りだってさ」
先輩を捕まえて話を聞いていたリュディアが教えてくれる。さすがにそれを追いかけるほど興味がある訳ではないが、マリアの疑問は氷解した。
アシュベリーについて、マリアが聞いた数少ない噂の中に、彼女のキャッチャーのものは無かった。
どうして受け止めてくれる者がいないのに、あんなに自由に飛べるのか。それがわからなかったのだ。箒乗りにとって、キャッチャーが替えの利かないものであるというのはナナオとオリバーの関係で分かっている。
「行くよ、マリア」
アシュベリーほどの箒乗りであれば、キャッチャーが誰だろうと全力を出せるのか。それとも自分が落とされるなんて欠片も思っていないのか。
実情は分からないが、マリアにはそのどちらとも思えなかったのかもしれない。だからこんなに胸がもやもやするのだろう。
「うん」
マリアはいつかアシュベリーと話してみたいなと思ったが、果たしてそんな機会はあるのだろうか。ナナオが今日少し話していたが、普段から練習で忙しいだろうし。
そう考えるとずっとオリバーと一緒に居て、なおかつ箒競技もやってとなっているナナオの努力が凄いという話になる気もする。
「もう見えなくなってる」
「皆足速いね」
「あたしたちが遅いんだと思う」
ともかく今はナナオの健闘を称えよう。
マリアは小走りになりながら、頭を切り替えた。
◆◆◆
アーシャは困惑していた。
迷宮に潜り、帰って来る途中で倒れている人を見つけたのが運の尽き。それが入学式の時に知り合った先輩であったのには驚いたが、それ以上に背中の怪我の具合、そしてそれを気にもせずに説教を垂れる姿勢が新鮮に映った。
「とにかく、わたしはもう大丈夫ですから!」
「んなこと言って、何かあったらリュディアに顔向けできねぇだろ」
「グリーンウッド先輩が言えることじゃないですからね? こんな傷を放置するなんて、」
「こんなもん唾つけときゃ治るっつーか」
「そんな訳ないでしょう!?」
校舎まで送る、送らないと問答を続けていれば、通路の向こう側から足音が聞こえてきた。二人は咄嗟に息を潜め、ガイがアーシャを庇うように前に出る。
そして曲がり角から現れたのは、二人が――特にガイが良く知る人物、オリバーであった。俯きがちに歩いてきたオリバーは、通路の隅で体を縮こまらせている二人を見て目を見開いた。
「ガイと……Ms.ムーングラム? 何をしているんだ?」
「あ、あはは……たまたまそこで会いまして」
「なんだ、オリバーか。……いっ、つつつ」
「ガイ!?」
処置をしようと上着を脱がせていたのが仇となり、シャツに染みる赤を見られてしまった。慌てて服を脱がそうとするオリバーに便乗して、アーシャも鞄から薬を取り出し始める。服の上からでも分かっていたが、あまりに酷い傷跡にオリバーが眉をしかめた。
「なんだこれは、ろくに手当てもせず!」
「あー……おれはまだ治癒が使えねぇし、」
「それなら薬を持ち歩くなりしたほうがいいですよ。はいこれ」
「お、おう。いいのか?」
「えぇ。予備はまだありますし、もう帰りますから」
それに、とアーシャは口の中で言葉を転がす。マリアの友人の不調を放置して何かあった時が怖い。無論そんなことを言える筈もなく、アーシャは曖昧に笑ってごまかした。
しかし面倒見の良いオリバーがそんなことで騙されてくれるはずもなく、怒りの矛先はアーシャの方にも向けられた。
「君もだぞ、Ms.ムーングラム。色々と気になるのは分かるが、一年生の身で迷宮に潜るのは早すぎる。せめて何人かで固まって、」
「今回はたまたま遅くまでかかっただけで……ほら、お昼なら人もいますし」
あからさまにこの場をやり過ごそうという意思が透ける言動に、オリバーは深くため息を吐いた。こういった手合いは痛い目を見なければ態度を改めようとはしないため本人の行動に任せるが、友人の妹というアーシャの立場が判断を鈍らせる。
「あっ!?」
「っ!」
オリバーが思考に沈み、ガイが痛みに顔をしかめたその瞬間、アーシャの姿は忽然と消えていた。辺りを見渡してみても、L字の通路のどちらにも影一つ見えない。
「逃げた、のか?」
「……そうらしい。見てくれ、律儀に置手紙まである」
【今日の所は】という端的な言葉が羊皮紙の切れ端に書かれていた。上級生二人を前にして逃げおおせた挙句隠れて手紙までしたためるとは、呆れた度胸である。
「……まぁ、俺もこれ以上は言わない。君の判断に任せる」
「オウ。ちったぁお前らを心配させねぇようにするからよ、オリバー」
オリバーはそれを軽口だと流そうとして、あまりに真剣な眼差しに息を呑んだ。ガイの方はすぐに目を逸らしてしまったから、今の輝きが本当かもわからず、と言ってその場に留まることも出来ずに立ち上がった。
そしてそのまま一言も交わさず、迷宮の闇に走り去った。
「危な……」
急に自分の方へ向かってくるものだから、バレてしまったのかと思った。
アーシャはそう独り言ち、小さくなっていくオリバーの背中を見送る。その背後では、陣を張り直したガイが体を小さく丸めて眠ろうとしていた。
(まさか先輩、それもあの方の友人に出くわすなんて)
事前に送ってもらった人物像を思い出しても、あの二人が単独行動を好むような情報は無かったはず。しかし二月は前のものでもあるため、更新が必要だろう。
とはいえ頼みの綱の姉は護衛任務に移り、以前のような情報収集は難しい。
(上級生にコネを作らないと)
最下級生の自分に出来ることは少ない。それを改めて実感したアーシャは、念の為姿を隠しながら寮に足を向ける。
夜は始まったばかりだが、今日の所は先輩の顔を立てておこう。
【アシュベリーターン】
箒の魔女、ダイアナ=アシュベリーの絶技
一度も破られたことのない、必殺の一
上空で乗り手を残して箒が上昇
十分に速度を得たのち下降し、落下途中の乗り手と合流する
唯一の弱点として
「客席から見えない」と揶揄される