授業が本格的になり始める、一年生の中期。ひよっこたちの毛並みが整ってきた頃。そしてまだ涙が枯れていない頃。
「おら、これが今日の課題だ。シンプルだろ?」
燃える魔法蚕の前で陰惨に笑うバネッサ=オールディスの声が静まり返った教室に響く。焦げ臭さが充満した教室内は、一斉に喧騒に包まれた。
「これが魔法蚕……!」
「アーシャちゃん、知ってたの?」
「えぇ。目指せパーフェクトですよ、ピーター」
こちらに来るにあたって新調した短めの杖を握ってアーシャは笑う。姉から聞いていた通り、手っ取り早く評価に繋がる、こちらの心を折らんとする授業だ。
良い感じに難しく、面白い。この蚕を貰えないかとアーシャが考えていると、すぐ近くから悲鳴が上がった。
「うわぁぁっ!」
「ちょっと、ディーンくん!?」
黒い蛾が鱗粉を撒き散らしながら飛び上がる。見るとディーンが手首を押さえていて、どうやら食いちぎられたようだと理解するのに時間はいらなかった。
アーシャが剣に手を伸ばすよりも早く、小さな影が飛び回る蛾を断ち切った。ふわりと浮き上がる霊体を回収して、アーシャはディーンの傍に寄る。
「……何してるんですか?」
杖剣を収めた小柄な生徒――テレサ=カルステが首を傾げる。アーシャから見てもかなりの手練れである彼女からすれば、この程度の課題にてこずり、手傷を負うなど考えられないことなのだろう。問題はそれを声と態度に出してしまうことなのだが……
「剣を抜くなり、呪文を唱えるなり出来たでしょう。なぜ怪我を?」
「え、ぁ……」
「まぁまぁ。怪我したところ、見せてくださいね」
そっと割って入ったアーシャがディーンの手を取る。かなり深く食われているようだ。出血が激しい。
(治癒のいい練習になる。言いませんけど)
黄金の光が欠けた部分を覆い、じわりと肉を補填した。ディーンに動かしてもらったが、特に問題はないようだった。それを見ていたテレサは興味を無くしたように席に戻った。彼女はもう課題を終わらせているようだ。
「ありがとよ、アーシャ」
「いえいえ。今度は気を付けてくださいね」
「おう。つってもコツとか全然わかんねーけど」
アーシャが教えようか、それとも自分で気づくまで待とうかと考えていると、注意散漫になっていた彼の手元から新たな蛾が飛び立った。
「うおわ!?」
「今度は治しませんからね?」
「マジかよ! や、やってやらぁ!」
◆◆◆
「……騒いでる」
アーシャたちがいるよりも、一つ上の階。吹き抜けの上からマリアが見下ろしていた。
剣術の授業中だが、盾を持ち、どっしり構えて戦うリュディアはあまり向かって来ない――
「っと」
「当たんないか」
「流石に」
下の階に気を取られているところを狙ったのだろうが、リュディアは背が高いからマリアの視界にも映りやすい。そう考えると背が低いというのも悪くは……最近変なことを気にしているな。
今度はマリアからも斬りかかる。手が届きにくい足元を狙うも、避けられた挙句に蹴り飛ばされそうになる。リュディアは割と足癖が悪い。
「人のこと散々言うけど、大して大きくもないのに力がある方が面倒だから。マリアがその気になったらあたしの足くらい握り潰せるんじゃないの?」
「たぶん?」
「こわ……」
リュディアはそう言うけれど、何を今更という気持ちの方が大きい。実際マリアは、短距離ならばリュディアを抱えて走るくらい訳もないのだ。
だらだらと二人が会話しながら向き合っていると、横から気の抜けた声が届いた。
「マリアちゃん、ボクの相手もしてくれへん?」
「……ロッシ」
にへらと笑みを張り付けて、ロッシが言う。去年オリバーに倒されてから決闘にかなり執心しているようだが、当のオリバーは最近ピートに稽古をつけている。だからといってこちらに来ることは無いだろうと思っていたが、彼は想像よりも見境がないようだ。
「いいけど、リュディアの説得は自分でして」
「んー、何なら二対一でも構へんよ。そっちのほうが鍛えられそうやわぁッ!?」
「避けるんだ」
「そらそうやろ! 今の本気と
「本気でやらなきゃ訓練にならないでしょ」
絡まれていたマリアを見かねてか、マリアから声を掛けるまでもなくリュディアがロッシに斬りかかった。ロッシはたたらを踏んで、慌てて二人から距離を取る。
見上げると、リュディアは不機嫌そうにロッシを見ていた。流石のロッシもまずいと思ったのか、軽薄な笑みは何処へやら、一転真面目な表情で向かい合う。そこに、重い金属音が響き渡った。
「勢ィィイッ!」
「勇気と無謀をはき違えるな! もう一度だ!」
「承知!」
教室中の視線が中央、ガーランドと斬り合うナナオに向いた。教員から直接教えを乞うているというのもさることながら、ナナオはガーランドと互角に渡り合っているように
「気ぃ取られるわ、やっぱ」
「……そうだね」
「おっ、リュディアちゃんも同意見? 嬉しいわぁ」
かく言うマリアも、二人の立ち合いには目を引かれる。戦場で鍛えたナナオの剣は、殺すためのもの。それと互角以上に渡り合うガーランドのそれもまた同じ。そのどちらかが自分の前に立った時。それを考えるだけで、マリアの背筋に震えが走る。
じっと剣筋を追うマリアの肩にそっと手が置かれた。眼だけで横を見ると、膝をついたリュディアが若干の焦りを含んでこちらを気遣うような視線を向けてきている。
「落ち着いて。相手はマリアじゃない」
「あ、」
「誰も気づいてないと思うけどね。気持ちは分かる」
何も殺そうとしていたわけではないが、どうにも気持ちが高ぶってしまったらしい。背中に添えられた手を意識しながら深呼吸を繰り返す。ナナオが刀を弾かれる頃にはマリアも落ち着きを取り戻していた。
「何だい、楽しそうなことをやってるじゃないか、ルーサー君」
だからといって新しい混乱の種を持ち出しても良いとは言ってない。
真上から聞こえた声に、マリアとリュディアは揃って飛びのいた。庇うようにして動いたリュディアの後ろから天井を見上げると、見覚えのある縦ロールが逆さまにぶら下がっていた。
「セオドール先輩、いつ戻って来たんです?」
「ついさっきだよ。それにしても精が出るねぇ、いっそ弟子にしてしまったらどうだい?」
「彼女は剣以外にも道を知るべきでしょう」
セオドールがナナオについて話していると警戒が先に来るようになってしまった。それもこれもセオドールの態度が悪い、とマリアは考えるようにしている。むしろあの振る舞いで他人から尊敬されると思っているのかも分からないのだが。
セオドールが授業を止め、ガーランドが生徒を集める。どうやら立ち合いを行うらしい。
「マリア、大丈夫でしたか?」
「? うん」
ガイとカティに教えていたシェラが戻って来て言った。するりとロッシが触れたところを撫でて、制服の乱れを直し始める。先ほどセオドールの信用がどうとか考えたが、ロッシも大概のようだ。
マリアが呪いやらというよりも身だしなみのチェックを受けている内に、生徒たちが集まって来た。その流れで、リュディアがどこから持ってきたのか小さな台を足元に置いてくれる。
「こうして剣を交えるのも久しぶりだね」
「そうですね。胸を借りるつもりで挑ませていただきます」
「それはこっちの台詞だよ、ルーサー君」
軽い日常会話の延長線で、斬り合いが始まった。ガーランドはラノフ流、片やセオドールはリゼット流。剣花団内で言えば、オリバーとシェラの二人が一番近いだろうか。
だが、一合二合と刃を合わせる内に、剣戟はその速度を増していく。これでは他の生徒には見えないだろう。
「高みを知るというのも、自分の力量を測るには必要なのですよ」
「それはまぁ、わかる」
剣に慣れが生まれて、それが油断に変わる前に叩き直す。荒療治の意味も込められているのだろう。楽し気に斬り合う二人を見ていると、そんな目的は二の次になっているような気もするのだが、仮にも教育者。そこは弁えているのだろう。
そうして生徒たちが固唾を飲んで見守る内に、二人は一足一杖の間合いに戻った。汗の一つもかいていないセオドールが杖剣を収めながら口を開く。
「参ったね。先達の面子を潰す気かい?」
「セオドール先輩相手に加減が効くはずがないでしょう」
笑みを交わし合った二人が離れ、セオドールがこちらに向かってくると、マリアの元まで人混みが割れた。マリアはそっと台から降りていつでも動けるような体勢をとったままセオドールを待ち構える。セオドールはそんなマリアを見てか微笑まし気に笑うと、扉の方に足を向けた。
「それじゃあね、僕の愛しい娘」
「はいはい。早く行ってくださいまし」
セオドールはシェラの言葉にひらひらと手を振って教室から出て行った。静まり返った教室にガーランドの声が響く。乱入によって唐突に始まった特別授業は、嵐の中心が去ったことでまた終わったのであった。
◆◆◆
「オリバー、少しよろしいでしょうか」
そんなことをシェラが切り出したのは、その日の昼食のことだった。カティは次の授業の準備のため工房へ、ピートとガイ、そしてナナオは連れ立って図書館に向かった。マリアはもしタイミングが合えばアーシャと話そうと思っていたのだが、さすがに一年生とはいえ何かと忙しいらしい。
迷宮にでも潜ってみるか。そうリュディアと話していると、シェラが迷いながら口を開いたのだ。
「どうしたんだ、シェラ」
「……マリアも、出来ることなら」
暗く沈んだ表情に、思わずマリアの手が伸びる。緩く握られた拳を両手で包み込むと、シェラはひしとマリアを抱きしめた。身近に触れ合って肩の力が抜けたことを確認したマリアは、緩く力を抜いてシェラから離れた。
「すみません。そう、話というのは、父のことについてですの」
「……セオドール先生か」
直接巻き込まれたオリバーが渋い表情を浮かべる。もっとも、事の顛末をリュディアから聞いていたシェラの雰囲気が暗くなるとすぐに表情を戻したが。
「あの人、結局何がしたいの? マリアを拾ってきたのもそうだし」
「マクファーレンの魔道ではない、もっと個人的なものだと思うのです」
「と言うと?」
「……あなたたちはクロエ・ハルフォードという魔法使いをご存知ですか?」
マリアとリュディアはその名前を聞いて顔を見合わせた。それは奇しくもセオドールから聞いたものである。ナナオの箒の元の持ち主であり、あの口振りからしてセオドールとそれなりに親しかったであろう人物。それがまさか娘であるシェラの口から出てくるとは思わなかった。
「あぁ、知っている。キンバリーの卒業生の中でも破格の有名人だからな」
そしてオリバーも自然に答えを返す。やはりガラテアでの不審な振る舞いはマリアの気のせいだったのだろう。一つ頷いたシェラは、重く口を開いた。
「であれば彼女の死に不穏な噂が付き纏うことも知っていますわね。人権派の旗手として知られていた彼女が、不審な死を遂げたことについて」
「場所が場所だ、シェラ。これ以上は、」
「いえ、話はここからです。父が変わったのには、恐らくMs.ハルフォードの死と関わりがあります」
また話が複雑になってきた。人権派の魔女と、マクファーレン家当主。立場上表立って付き合うことは出来なかっただろうが、その後の生き方をまるきり変えてしまうほどの何かを、クロエ=ハルフォードは齎したのだ。
「……今はキンバリー所属として
「放浪癖?」
臨時教員だけでなく、マクファーレン家の当主として様々な仕事があるだろうに、癖と称されるほどに各地を私歩いていた。その言い振りから察するにこの国の外まで足を運んでいたようだが、果たしてそんな暇があったのだろうか。それとも、何よりも優先すべきものがあるのだろうか。
「えぇ、あてどなく方々を歩き回り、何をするでもなく戻って来る。そんな生活を続けていました」
「それはいつから治まったんだ?」
「おそらくナナオを助けた時分に。マリアがこちらに来たのは入学式の直前だと聞きましたので」
マリアはその言葉にこくりと頷いた。郊外の森をうろついていたマリアを拾ったセオドールは、知り合いの経営する宿にマリアを預けると制服を置いてどこかに行ってしまった。今思えばあの時はナナオの入学準備もあったのだろう。
「ナナオを見つけてから、父は変わりました」
かつての父親の変貌を思い返すように、シェラは目を伏せる。
「追い立てられるような余裕の無さは消え、Ms.ハルフォードが亡くなる以前のような振る舞いに。ですが、それは父の執着がナナオの身一つに向けられているのに等しいと、あたくしは考えています」
「あのレベルの魔法使いの情念はもはや呪いと同じ。君が伝えようとしていたのはそれか」
強大な力を持つ魔法使いは、その一挙手一投足に魔力が籠る。たとえ本人が意図していなくとも、丁度剣術の授業のマリアのように、漏れ出す力の残滓が他に影響を及ぼすことも珍しくない。
セオドール=マクファーレンという魔人から、故人への想いを肩代わりするナナオには、どんな影響があるか分かったものではない。
「それ、防げないの」
「難しいですわね。父とて、ナナオを害そうとは思っていないはずです。ただ、ナナオは父に命を救われて、恩義を感じている」
「利用されるかも。いや、ガラテアの件がその一端か」
一人の子どもに向けるには淀み過ぎたそれから、マリアは友を守れるのだろうか。
ここまではシェラの憶測に過ぎないが、他ならぬ彼女の考えを一蹴することは出来なかった。
「……俺たちで注意する必要があるな」
「それなら、私が。立場だけなら、ナナオに一番近いから」
ナナオと違って、マリアはどういった思惑で拾われたかは分からない。もしかすると単なる気まぐれなのかもしれない。だが、セオドールに選ばれてキンバリーに入ったという事実は変わらない。何か繋がるものがあるはずだ。
「無理だけはしないように。もし、あなたにまで何かあったら」
「その時はあたしがいる。今度こそ好きにはさせないよ」
四人で目を合わせ、頷き合う。
仲間を守るというその一点で、マリアたちは秘密を抱えたのだ。
「本当なら、家族の問題としてあたくしが止めるべきなのですが……こうしてあなたたちを巻き込んでしまったのが、心底不甲斐なく思います」
顔を伏せたシェラの肩にマリアが手を置く。入学時から世話になりっぱなしなのだ。こんな時でしか返せないのだから、シェラにはもっと頼って欲しい。
その思いでオリバーを見やると、我が意を得たりとばかりに頷いた。
「君は自分のこととなると一歩引いてしまう。それでは友人関係としてフェアじゃない。剣花団の面々には、たとえ相手が拒んでも強引に介入するだろう?」
そうだそうだとマリアが頷いた言葉で、なぜかシェラは耳まで真っ赤になっていた。シェラは悔恨ではなく、羞恥で顔を隠してしまう。
「……返す言葉も、ありませんわ……」
「待てシェラ!
いったい二人はどうしたというのだろうか。リュディアの方を振り返ってみても心当たりがないようで首を振るばかり。そんな状況の中で、マリアはふと視線を感じた。
友誼の間にはマリアたち以外にも生徒がいる。急に騒ぎ出したことで悪目立ちしたかと辺りを見回すと、ぽかんと口を開けてこちらを見るコーンウォリスと目が合った……のだが、すぐに逸らされてしまう。
「?」
騒ぎの中心で、マリアは首を傾げていた。
【
異端狩りの魔女、クロエ=ハルフォードの異名
史上最強とも目された彼女は、辺境で謎の死を遂げた
殺したぐらいで死にはしないと生存を唱える者さえいる
クロエ=ハルフォードは二本の杖剣を振るい、その名を轟かせた
羨望と恐れをもって、その名は語り継がれる