「それでは授業を始める。教科書を開け」
教室に入ってくるなりそう言って、男は生徒たちに背を向けた。高速の魔法筆記が黒板を白く染めていく中でピートが恐る恐る手を挙げる。
「あの……自己紹介や、授業の概論などは……?」
その言葉に動きを止めて顔だけで振り返る。その瞳がこちらを睥睨した時、マリアは身を固くした。あれは戦う者の顔だ。尽きぬ戦いに身を投じて、生きて帰った者の顔だ。
「……そうだったな。君たちには、それも必要か。――私はデメトリオ=アリステイディス。天文学の担当教員だ。私を呼ぶ時は先生、ではなく名前にしろ。そうでなくては、私は自分が呼ばれていると認識できん」
妙な注意事項だった。これまでマリアが見てきた魔法使いたちは皆どこかずれている部分があったが、自分を見失うようなことは無かった。あるいはデメトリオの名前がそれだけ重要なものである、ということかもしれない。
ヒソヒソと話す声が響く教室の上に、薄い闇と小さな瞬きが広がっていく。マリアはそれを見て、大書庫にラニが仕掛けていた魔術を思い出した。
「天文学とは、星辰の位置関係からこの世界を、ひいては未来を予測する極めて実践的な学問だ。星がなぜ我々の世界に繋がるかをまさか知らぬ者はいるまいが、これが概論である以上は説明する必要があるだろう」
デメトリオが掲げた白杖の先で星を模した光がちかちかと瞬く。それらは妖しく光り、真っ暗な闇の中からこちらを誘っているようにも見えた。
「星はすなわち異界。それ一つがこの世界とは異なる法則によって運営されている。そしてそれを司る存在こそが『神』だ」
その説明にマリアはぽかんと口を開いた。だって、こことは異なる法則を持つ、神が運営する世界なんて。それはまるで――
「我々の世界にもかつて神がいた。だがそれを良しとしない人間種によって力を奪われ、倒された。その力こそが、我々の使う『魔法』だ」
神を倒し、力を奪う。その果てに世界を手に入れる。
なんてことはない、マリアが狭間の地で辿った道筋だ。ただ一つ違ったのは、魔法使いは自分たちの上に誰かが立つことを望まなかったこと。神の力を分配して、世界を手のひらの上に置こうとした。
「この世界には神がいない。つまり、他の世界の神が居着く余地がある。だからこそ警戒するべきは、異界からやってくるモノたちだ」
月を介してこちらにやって来る、狭間の新たな神であるラニ。そしてラニに従うマリアとリュディア。こんなもの、警戒されない方がおかしいだろう。
気づかぬうちに力が入っていたマリアの拳の上にそっと手のひらが被せられる。そっと横を見ると、リュディアがマリアの方を見ていた。薄青の瞳には警戒でも心配でもない不思議な色が見えた気がして、マリアは何とはなしに目を逸らした。
「一定の周期で接近してくる星々の中には、明確な意思を持つモノも存在する。それこそが使徒。この世界の人間に対し神の素晴らしさなるものを説き、魅了し、信仰を獲得する。このように異界に心を絡め取られた者を
明確な意思を持つ、使徒。
あの口振りからするとそうでないモノもいるのだろうが、マリアたちを意思を持たないモノとするのは無理がある。そして異端とやらの行く末も、わかってしまう。
「異なる世界の神が降り立てば、もはや世界は終わる。異端は全て排除しなければならない」
やはり侵略者との共存なんて望むべくもないのだ。
バレない内にキンバリーを出た方が良い。ラニがこれを聞いていたらきっとそう言うだろう。けれどマリアは、どうしてもここを離れられそうになかった。剣花団の皆と別れたくなかった。
「……よろしいですか、アリステイディス先生」
「何だ、ピート=レストン」
「なぜ使徒の言葉に耳を貸す者がいるのでしょうか」
「それは奴らの心の弱さ故。世界の正しさに耐え切れぬまま、ありもしない逃げ道を求めるのだ」
そうだ。
心の弱いままでは生きられない。それがたとえ、ひとときの夢だったとしても
◆◆◆
授業の後、マリアはシェラたちと別れ、リュディアと共に迷宮の入り口に向かっていた。足取りの重いマリアの手を引いていたリュディアが、周囲に人がいないのをいいことにぽつりと呟く。
「使徒だって」
「……うん」
神、星、異端、使徒。
偶然にしてはあまりにも一致し過ぎているその羅列は、この地と狭間を繋ぐ数少ない導でありながら、最悪を想起させるのに十分だった。もしもラニの存在を、律を知られてしまったら。マリアと剣花団の関係は、きっと今のままではいられないだろう。
「そんなに悩むことないんじゃない?」
「でも、」
「説明出来ない魔法には口出ししないらしいし、これまで散々暴れたでしょ」
「う……」
ぐうの音も出ないとはこのことである。
今更隠そうとしてもかえって悪目立ちするだろう。そもそも剣花団という学年全体に名の知れている集団に属しておきながら目立ちたくないなど、なにかの冗談としか思えない。
「それに万が一見つかっても向こうには行けないからね」
「そうなの?」
「そのはずだけど……聞いてないの? ラニ様が、」
「遅れました!」
マリアとリュディアの会話は、角を高速で曲がって来た灰の人影に遮られる。当の本人であるアーシャは口を開いたままこちらを見た姉の姿に一筋の汗を流した。
「お邪魔、でしたよね」
「そんなことない」
「あるよ。思いっきり話の途中だったからね」
「ひぃ……申し訳ありません……」
マリアの棒読みのフォローもリュディアに淡々と返されてしまった。恐縮したように顔を青褪めさせるアーシャに、庇護欲のようなものが湧きあがる。常々シェラやリュディアに世話を焼かれているマリアにとって、後輩というのはお姉さんぶって接することが出来る数少ない存在なのだ。無論、アーシャも歳を誤魔化しているのかもしれないが。
「なんで遅れたのさ」
「それは、そのぅ……止められてました」
「誰に?」
「えと、同級生に……」
「ふぅん」
案外上手く馴染んでいるようだ。マリアは自分のことを棚に上げてそう思った。なにせマリアときたら、世話を焼かれているうちに何となく仲良くなって、それが今も続いているような状態なのだ。今更手放すことなど考えもしないが、それはそれとして今の関係性には思う所がある。
「いい友達じゃん」
「それは……そうですけど。でもそこまで心配されるような言動はとっていませんから!」
「はいはい」
アーシャの言い分を適当にあしらうリュディアと、そこまで怒っているようでもないアーシャ。二人の距離感が気になって、マリアは言葉を投げかけた。
「二人はいつもそうなの?」
「ん? まぁ、あっちに居た頃と変わんないね」
「姉さんは変わりましたよ」
「そうかな」
気安く会話をする二人に何となく胸がもやもやして、マリアはそっとリュディアの方に近寄ってみる。スカートの裾をそっと掴むとリュディアはマリアの頭に手を乗せた。
「……寂しかった?」
困ったように、それでいて全て分かっているように、リュディアが問いかける。一言だけ答えるか、頷きでも返せばいいのに、マリアの体は自然とリュディアの手を取った。どうやらマリアは自分で考えているよりも、ずっとリュディアを大切に思っているらしい。
ついでにいたたまれない様子でこちらを見ているアーシャの手も握る。ぎょっと身を引いたがマリアは筋力にあかせてぐいと引き寄せた。
「アーシャのことも教えてね」
「エッ、あっ、はい……はい?」
「アーシャの恥ずかしい話なら沢山あるよ」
「ちょっと!?」
自分を挟んで行われる小気味よいやり取りに思わず笑みがこぼれる。近頃当たり前になりかけていた『誰かと一緒』はこんなにも嬉しいものなのだ。
マリアたちはきゃいきゃいと騒ぐ様子を上級生に怪訝そうに見られながら迷宮に入った。第一層を進んでしばらくした頃にリュディアが鞄から大きめの地図を取り出す。
「さ、工房探しを始めよっか」
そうして広げた地図には大まかな第一層の工房の位置が書かれていた。生徒会と交渉をして手に入れたと言うが、申告制とはいえ他者の工房の位置が記された地図など機密以外の何ものでもないだろうに、よく持ち出しが許されたものだ。
「入り口近くは駄目。二層付近も埋まってる」
「早い者勝ちですからね。そう上手くはいかないか……」
「そういえば前々から思ってたんだけど、掘るのは駄目なの?」
迷宮の壁を撫でながらマリアが言うと、リュディアとアーシャが顔を見合わせた。おかしなことを言ったかとマリアが首を傾げていると頷き合った二人がそれぞれ口を開く。
「迷宮の
「あたしの結晶とアーシャの茨で補強すればそう簡単には押し返されない、かも」
「おぉ」
言ってみたもの勝ちである。とはいえやたらめったら穴を開けると迷宮が崩れてしまうかもしれないから、仮にやるとしても地形選びという別の苦労が舞い込んでくるのだが。
とにかく空いている場所を探さなくては話にならないとまた歩き出した時、アーシャがぴたりと立ち止まった。壁の向こうを気にするふうに耳を寄せた。
「どうかした?」
「いえ、この声……エンリコ教授?」
「教授って呼んでるの? じゃなくて、なんで一層に?」
「走ってるみたいですけど……あ」
「え?」
マリアとリュディアの正面で壁に耳を当てていたアーシャが、背後に目を向けて声を漏らした。その視線を追って振り向いた二人は通路の向こうからやってきた偉丈夫を目にする。それは間違えようもなく、現学生統括アルヴィン=ゴッドフレイであった。
「む、君たちか。早速地図を活用しているようだな」
「あ、あの!」
「ん?」
リュディアの影に隠れて見えなかったのか手前の二人だけに挨拶したゴッドフレイに、アーシャが前に出て手を挙げる。
「わたし、アーシャ=ムーングラムといいます。いつも姉がお世話になっています」
「Ms.ムーングラムの妹か。もう迷宮に潜っているとは凄いな」
「――キャハハハハハッ!」
アーシャとゴッドフレイが握手をしようとした時、向こう側から振動と、聞き覚えのある声が響いて来た。四人が顔を見合わせた横でけたたましい哄笑が小さくなっていく。ゴッドフレイが無言で白杖を抜き、リュディアも続いて杖を構え、マリアがそっとアーシャを下がらせると、二人は壁に向かって魔法を放った。
◆◆◆
「キャハッ、キャハハハハハッ!」
「く、追いつけない……!」
ピートを半ば強制的に攫ったエンリコを追って、ナナオとオリバーは迷宮を駆けていた。思いの外
どうにかして距離を縮めなければ。そう考えるオリバーの眼前に炎の渦が吹き出した。慌てて飛びのくオリバーとナナオの前に、通路を冷やしながら見知った長身が現れる。
「あれ、オリバーじゃん。何してんの?」
「リュディア! ということは今の炎はマリ」
「助かる。つくづく君たちが生徒会に来なかったのが惜しまれるな」
「ゴッドフレイ統括!?」
急速冷却によりひび割れた石畳を重い靴音が踏みつける。水蒸気の中から現れたゴッドフレイはオリバーとナナオを見て片眉を上げると、通路の先でピートを担いだまま走り去ろうとするエンリコを捉えた。
「教師の追跡か。俺も経験がある、が。これはいささかやり過ぎだ。
――
たった一節の呪文で通路に擬態したゴーレムの機構を停止させ、他多数のゴーレムたちを焼却する。規格外の火力にオリバーは感心と同時に畏怖を覚えた。ゴッドフレイは底意地の悪さに呆れたように鼻を鳴らすと、また壁に穴を開けてパトロールに戻って行った。これ以上は過剰な助力だと判断したのだろう。
「ありがとうございます!」
オリバーの礼に片手を上げて答えたゴッドフレイに報いるためにも、エンリコを取り逃がすことは出来ない。ひょこりと姿を見せたマリアとアーシャも加わり、オリバーたちはまたエンリコを追い始めた。
「状況は?」
「エンリコ先生を追う! 詳しい説明をしている時間は、」
「
マリアの詠唱と、ぎしりと動きを止める小さな影たち。オリバーが顔を上げると、機能を取り戻したゴーレムが硬直していた。慌てて呪文を唱えようとしたオリバーの後ろから小瓶が投げ込まれ、襟元を引かれて後ろに下がる。ゴーレムの目の前で弾けた瓶から細い雷が迸り、再びその動きを止めた。
「また変なの使ってる」
「いります?」
「いや別に」
後ろに下がったオリバーと入れ替わるようにリュディアが前に出て、一部が赤熱する通路を冷やしながら走り出す。その後ろから飛び出したマリアが小さなゴーレムを割り砕き、その隙をアーシャが投げ物で埋める。頼もしい助っ人にオリバーとナナオは顔を見合わせ、エンリコに追いつかんと走り出した。
「これまた随分増えましたねェ。Mr.ゴッドフレイは途中までですか」
「……げぇっ、げほっ……わるい、マリア」
「水、飲む?」
「いや……」
肩に担ぐというおおよそ信じられない方法で運ばれてきたピートは、エンリコの逃避行ですっかり酔ってしまっていた。それでもマリアが背中を擦るとふらつきながらも立ち上がり、部屋の奥へ、エンリコの方に歩いて行く。どうやら無理やり連れてこられたわけではなさそうだ。
「私たちは勝手について来ただけだから、外で待ってる」
「機会を自ら逃そうとは感心しませんねェ。アナタたちも見ていくと良いでしょう」
もし嫌でなければ、ですが。
いたずらっぽい笑みを浮かべたエンリコに、マリアは後ろに立っていた二人に振り返った。自分の我が儘で付き合わせる訳にもいかないし、ここまでの追走でアーシャには多少の疲れが見える。
だが、アーシャは仮とはいえカーリアの魔術師。学ぶ機会を目の前にぶら下げられて、誘いに乗らないはずが無い。ぐっと呼吸を整えて、アーシャは一つ頷いた。
「覚悟は決まりましたか? では行きましょう」
本道から外れ、周囲の壁が見たことのない材質に変わってきた頃に、マリアたちはエンリコの工房に辿り着いた。先頭のエンリコ、それに付いて行くピートと、彼を守るように横に立つオリバーとナナオ。そのさらに後ろに立ってマリアは扉を潜った。
【星の力場】
王家の月見場を起点に展開される
宙に蠢く外なる神へ対抗するための大魔術
只人の身で扱うことは出来ない
鈍石の魔術と蔑まれたそれは
時代を超えて世界の守り手となった