黄金樹の麓から   作:シショ

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第7節

 

「ほら、あと少しだよ。頑張れ頑張れ」

「な、何回目の、ひゅっ、あと少し……!」

「今度は本当だから」

「何回目の今度なんですか……ぐへ」

 

 転んで力尽き巨大樹(イルミンスール)の頂上の瘤に座り込んだアーシャに、リュディアが鼻先を冷やしてやりながら栄養ドリンクを渡す。群がってきていた魔鳥はマリアが火をちらつかせた途端に逃げて行った。

 

「――鼻血、止まった?」

「……はい」

「やっぱり体力落ちてるでしょ」

「面目ないです……」

 

 エンリコの工房から戻った三人は、日を改めて今度は第二層にやって来ていた。やはり一層はどこも開いておらず、さらに下へ潜るしかなかったのだ。だが何につけても二層の移動には巨大樹が絡んでくる。エンリコとの追いかけっこでアーシャが疲れを見せていたため登頂に誘ったが、予想以上に体力が無かった。

 

「図書館にこもってばっかりいるから」

「ハイ……これからは迷宮にも潜ります……」

 

 一年生の段階では早すぎる。マリアはそう言いかけて、途中で止めた。読書三昧だったせいでこうなっているようだし、現状のみで判断することはできない。そもそもそうあれと作られたリュディアと神人であるラニ、そして自身もルーンを力に変える術によって身体能力が強化されたマリアには『普通』を評価する物差しがないのだ。

 下手に鍛えすぎてアーシャが周りから浮いてしまうかも、とも考えたが実際それはないだろう。カティやシェラから聞くに良い友人がいるようだし、アーシャ自身もコミュニケーション能力に難があるわけでもない。

 

「二層に工房を置くならどこがいいのかな」

「森を一部更地にして要塞とか建てちゃう?」

「目立ちすぎます。それより巨大樹の下なんていいと思うんですけど」

 

 辺り一面が豊かな自然に包まれた二層では工房の建設など望むべきではないのかもしれない。リュディアの案では定期的に周囲を焼き払う必要があるから、森の魔獣たちから襲撃を受ける可能性がある。アーシャの案は良いかもしれないが、石造りの一層と違って二層は地盤の強さが未知数だ。

 とはいえマリアにも有効な案があるわけでもなく、このままでは三層まで進んでしまいかねない。その前にどうにか平地を見つけられればと思っていると、妙に周囲が騒がしいことに気がついた。

 

「鳥が騒いでる」

「狙いはあたしたちじゃないね。もっと下の方……え?」

「どうしたの……!」

「マリ、ちょっと!?」

 

 眼下で魔鳥に襲われる三人組を見た瞬間、マリアは飛び出していた。背中に投げかけられた言葉がどんどん小さくなっていく中で、箒とガイを結んでいた命綱が切れるのが見えた。巨大樹の幹を蹴って加速しながら未だ魔鳥に囲まれているカティとピートの下に落ちていく。

 

火嵐盛りて(フランマ)

 

 巨大樹に引火しないように短い時間で発生させた炎の嵐は、魔鳥だけを的確に焼いて落としていく。カティとピートがいきなり現れたマリアに目を見開いて手を伸ばした。マリアはそれを身をよじってすり抜けながら落ちて行ったガイに目を向ける。

 すると一つ下の枝の上に、ガイを受け止めた偉丈夫の姿があった。男は羽根を焼かれて落ちる魔鳥の雨の中でマリアに向かって獰猛な笑みを浮かべる。

 

「カカッ、二人とも運がいいな。俺の上を選んで落ちてくるとは……む?」

 

 男は杖を抜いて何がしかの魔法を唱えようとしたが、対するマリアの速度が落ちていくことに気がついて片眉を上げる。カティとピートの手が届かないところまで来たマリアは、体全体を上から引っ張られるような感覚を覚えていた。見上げた先には馴染みのある魔力が上まで伸びていて、その終端ではリュディアが魚を釣るように杖を持っていた。

 

「この距離で当てるか。二年生三人組かと思えば、とんだくせ者がいたものだな」

「ガイ、怪我は?」

「ねぇ、けど……」

「ガイ!」

「マリア! なんでここに、」

 

 着地してすぐにガイの下に駆け寄ったマリアだったが、すぐに合流したカティとピートに挟まれて肩を揺らさる。ひとまずガイに怪我が無ければいいだろう。そう考えていたところに降りてきたリュディアの表情に、マリアはそっと目を逸らした。

 

「マリア?」

「…………はい」

「なんでこっち見ないの」

「う、その、」

「……あんまり無茶しないでよ」

 

 その言葉に顔を上げると、リュディアは疲れたような、諦めたような顔をしていて、マリアは咄嗟にリュディアに抱き着いた。目線を合わせるためにしゃがんでくれていたのもあって膝に乗り上げるようになって、包み込まれるように抱き締められる。

 

「あたしだって、アーシャだっているんだから」

「うん」

「ひとりで行かないで」

「……うん。ごめんなさい」

 

 最後にぎゅうと力を込めて、リュディアはマリアを放した。

 ふとガイたちのほうを見ると、ガイを助けた上級生らしき男に言われるがまま魔鳥の死骸を集めているところだった。マリアの視線に気づいた上級生が杖剣の先に刺した魔鳥の死骸を振って見せる。

 

「食うか? 調味料があるらしいぞ」

「……連れを迎えに行くので」

 

 一旦返事は保留にした後上からアーシャを連れて来て、マリアたちは謎の上級生と一緒に焚火を囲んでいた。ただでさえ二年生ばかりの集団で痛い目にあったというのに一年生まで現れて、彼は森中に響き渡るほどの大声を上げて笑った。その後に無茶をさせ過ぎだと注意されたので、根は良い人なのだろう。

 

「俺は六年生のクリフトン=モーガンだ。そっちの三人は聞いたが、お前らは?」

「マリア=ターニッシュ」

「リュディア=ムーングラム」

「アーシャ=ムーングラムです」

「ふむ、覚えのない名だな。普通人出身というわけでもあるまい」

 

 そこはマリアたちにも答えられない部分だ。家系に一人でも魔法使いがいれば魔法使いの家と見なされるのか、それとも一代として認められなければ名乗れないのか。そもそもどこが家を管理しているのかさえ分からない。マリアの答えは煮え切らないものだったけれど、モーガンはそういうものかと納得していた。本人がそういう細かなことに頓着しないだけかもしれないが。

 

「しかし無茶は良いが、それで死んでは世話が無い。あと数か月は先輩に甘えて『危ない橋の渡り方』を覚えろ。話はそれからだ」

 

 香辛料を振った腿肉を一口で噛み切りながらモーガンが言う。その言葉は、実際に死に掛けたガイとそれを間近で見たカティ、ピートが一番良く分かっていることだろう。しかしガイたちも伊達や酔狂でこんなところまで来ている訳ではないのだ。

 オリバーに、ナナオに、シェラに追いつきたい。肩を並べて戦えるだけの力を身に着けたい。そんな思いが三人だけで迷宮に潜るという無茶をさせているのだ。モーガンにもそれは伝わって、説教はそこで切り上げた。

 

「――やはり良い場所だな、二層(ここ)は。これより下では誰かと話すこともままならん」

 

 しみじみと、迷宮暮らしが長いことを察させる口ぶりで言うモーガンに、マリアは一つ疑問を覚えた。これだけ面倒見がよい人物をこれまで話にも聞いたことがない。かの『生還者(サバイバー)』ケビン=ウォーカーのように、何かの形でその存在が広まっていてもいいだろうに。

 マリアがそんなことを考えていると、モーガンが胸を押さえた。初めは肉が喉に詰まったかと思ったが、どうにも様子がおかしい。

 

「ぐ、ごほっ、げほッ!」

「わぁっ!?」

 

 顔を背けたせいではっきりとは分からないが、モーガンは今明らかに火を吹いた(・・・・・)。その後も何度か咳き込んでようやく落ち着いたようだ。

 

「ちょっ、大丈夫ですか!?」

「あぁ――いや、これも先達の務めか。そうだな、俺はもうじき死ぬ」

 

 唐突な告白にマリアたちは固まってしまった。

 ついさっきまで元気そのものという様子で食事をしていたモーガンの命が、今すぐにでも喪われてしまうかもしれない。そんな事実を突きつけられた後輩たちを気遣うように笑って見せたモーガンは、白杖を取り出してその先に火を灯した。

 

「二年生ならば天文学を履修しているな? これは異界研究の副産物だ。異界の一つ、蝕む火焔の炉(ルフトマーズ)に由来する火の精霊。俺はこいつを利用しようとして、失敗した」

 

 杖の先で炎が自ら枝分かれし、踊る。モーガンの魔力と大気中の魔力を喰らって外へ外へと這い出ようとしている。マリアが改めてモーガンの全身を見ると、あの炎と同質の魔力体が全身に絡みつくようにして宿っていた。その姿は共存よりも、寄生に近い。

 

「取り除く、ことは」

「不可能だ。少なくとも、今の技術ではな。霊体にまで融合しているせいで手が付けられん」

 

 静まり返った森にぱちぱちと弾ける焚火の音が響く。俯いてしまった後輩たちをモーガンは豪快に笑い飛ばした。

 

「そう辛気臭い顔をするな。心残りと言えばブルースワロウのエース……いや、迷宮から出られない俺が言っても詮無きことか」

「……あの」

「ん?」

 

 マリアが立ち上がり、リュディアの肩に手を添えてモーガンを見据える。

 

「私がやる」

「なに?」

「その火、消してしまえるかも」

 

 確証の無い、勘と経験からの想像にすぎない。まるで格好のつかない出で立ちではあったが、しかし一人の王の言葉である。リュディアは喜んでその手を取った。

 

◆◆◆

 

 それから日を置いて、真夜中。

 女子寮から少し離れた場所にリュディアとアーシャが何重もの結界を張っていく。月からの加護を受けながら、キンバリー側に気づかれないよう、けれど密会が露見しないよう念入りに。その中心にいるマリアが指輪を外し、胸元で握った。

 

「――驚いたな、我が王。お前の方から声が掛かるとは」

 

 切り株の直上、月の真下に青白い光が降りてくる。それは瞬く間に月の女王、ラニの形をとってマリアの出迎えに応えた。しかし呼び出した側のマリアはラニの手を取らず、蒼の瞳をじっと見つめる。

 

「ラニ」

「どうした?」

「狂い火を降ろしたい」

 

 その瞬間、結界が軋んだ。

 ラニとマリアを挟むように立っていた二人がすぐさま魔力を流して崩壊を防いだものの、端からヒビが入り始める。だが神に対して止めろとも抑えろとも言える筈もなく、ただ耐えながら見守るしかなかった。

 

「どういうことだ」

「精霊に憑かれて、命を奪われかけている人がいる。その人を助けたい」

「お前がすべきことなのか?」

「あの人は友達を助けてくれたから」

 

 マリアがきっぱりと言い放つと、途端に圧力は薄れてリュディアとアーシャも膝をついた。マリアは伸ばされたラニの手を今度こそ握り締める。冷たい目でマリアを見ていたラニだったが、一つため息を吐いてマリアを抱き上げた。

 

「……お人よしめ」

 

 自らの膝の上でマリアと向き合い、ラニは小さな体を抱きすくめる。

 

「だがその気質故、私も救われた。無下には出来ん」

「なら、」

「好きにしろ。外なる神の干渉など知ったことではない。お前の残していった魔術もある」

「! ありがとう、ラニ」

 

 月を見上げて嘯くラニの首元にマリアは抱き着いた。久しぶりに感じる冷たさと透き通るような夜の香りを求めて、むき出しになった肩に顔をうずめる。

 ラニはそんなマリアの髪を優しく漉いて、顎を指で持ち上げた。そして、

 

「ん――」

「……!?」

 

 きょとんと見上げてくるマリアの口元に唇を重ね合わせた。たまらず硬直したマリアの口を強引に割り開くと、自らの力の源たる夜の律の欠片を滑り込ませる。

 そして喉元に手を添えて舌でそれを押し込むと、マリアは混乱しながらも口内の欠片を飲み込んだ。ラニは欠片が臓腑に満ちたことを確認して、体を離した。

 

「ぇ、今、いま」

「ほんの一瞬目を離した隙に死んでもらっては困る。内にその力がある限り、お前は逃げられんぞ」

「へ……?」

 

 ぽかんとした顔のマリアを少しいじめてやりたくなって、ラニはついさっきまで触れ合っていたマリアの唇をなぞった。面白いくらいに反応する小さな体を最後に抱きしめて、顔の前に手を翳す。

 

「もう眠れ」

 

 そうして、一言も放つことなくマリアは眠りの渦に落ちて行った。

 くったりともたれかかって来た体を抱え直したラニは、結界の隅で疲弊したリュディアとアーシャを手招く。ひび割れた結界を気にした二人の様子を見て指を振り、ほんのひと手間で修復すると、観念した二人はラニの足元に傅いた。

 

「■■■■、お前の情報は役に立っている。今後も励め」

 

 唐突ともとれるそれは、しかしアーシャにとっては最大の賛辞だった。未知の場所へ送り込まれ、偵察にはあまり向いていない姉と会ったことも無い神の伴侶の協力を得て、この地特有の神秘を持ち帰る。もちろん望んで先遣隊に立候補したのだが、それはそれとして不安もあった。

 だからこそ、成果を認められることは安堵を齎し、この上ない名誉となるのだ。そこでほっと肩の力を抜いたせいで、アーシャは姉の不穏な表情に気がつかなかった。

 

「リュディア、我が王の相手、ご苦労。言いたいことがありそうだな」

「はい」

 

 いつになく硬い姉の口調にアーシャは顔を上げた。ちらりと見えた横顔が、到底主に向けるものには見えなくて、背筋が冷える。一体何を言おうとしているのだろう。

 

「先ほどの口吸いは、マリアへの力の譲渡だけが目的なのですか」

「姉さん!?」

 

 肝が冷えるどころの話ではない。

 思わず声を上げてしまったが、神に意見するなど許されざることだ。きっと学院の教授たちや師匠も許してくれるだろう。そんなことを考えてしまうほど、アーシャの頭は焦りで満ちていた。結界に音を遮断する効果も加えていなければ、一階近くの生徒は起き出していただろう。

 

「意趣返しに決まっているだろう。あれ(・・)を見せつけられる私の身にもなってみろ」

 

 そしてラニの答えも動揺を誘った。

 あれ(・・)とは? 姉はいったい何をしているのだろうか。キンバリーの人は軒並みスキンシップが激しいので、相当なことをやらかしているのかもしれない。

 

「あれで我が王が意識してくれればよいが……それだけか?」

「は、感謝致します」

「本当ならやつらに直接見せられれば良いのだが、どうやら難しいらしい」

 

 この分だとラニはアーシャが上げた報告について知っているようだ。こちら側の人間が持つ、異星への敵意。月よりマリアを見下ろすラニであれば、異端狩りの現場も見ることができるだろう。その結果として呼び戻されるかもしれないが、狭間の地が外敵に脅かされる可能性を考えれば仕方のないことだ。

 もっとも、マリアが残りたいと言えばある程度の期間は設けられるだろうが。

 

「――ここまでだな」

「嗅ぎつけられましたか」

「いや、お前たちの落ち度ではない。ここは月の翳りが早い」

 

 眠りこけたマリアをリュディアに預けると、ラニは魔力の残り香を漂わせながら夜の闇に消えていった。元々無かったかのように消失した結界の範囲を抜けて、寮に向かって二人は歩き出す。

 腕の中のマリアを確かめるように抱き直した姉に、アーシャは詰るように声を掛けた。

 

「何のつもりですか。ラニ様にあんなこと言って、」

()、マリアが好きだ」

「知ってますけど……?」

 

 普段から散々いちゃついておいて、何を今更。談話室で肩を寄せ合って座る二人を見るたびに何とはなしに視線を逸らしてきたアーシャはそう言おうとして、強烈な違和感に襲われる。

 宝物を抱えたリュディアの瞳は、月を反射して蒼く光っていた。

 

◆◆◆

 

 翌朝。

 いつの間にか自室のベッドに寝かされていたマリアは、いつになく良い気分で目を覚ました。洗面台の方から聞こえる水音にいつもより早く起きたことに気づく。そして珍しく並んで身支度を整えたマリアとシェラは部屋を出て仲間たちと合流し、最初の授業である魔道築学の教室に向かった。

 

「マリア、よく眠れた?」

「うん」

「やっぱりそうだよね。いつもより元気そう」

「そんなに違うか……?」

 

 魔道築学の講義に臨むとは思えないほど和気藹々とした雰囲気を纏ったままマリアたちは教室に入る。流石に中でのおしゃべりは控えたが、浮ついた空気は戻り切らなかった。しかし、それは予想外の方向から壊されることになる。

 

「キャハハハハァーッ!!」

 

 相変わらずの笑い声を上げて教室に入って来たエンリコは、どこか様子がおかしいように見えた。いつもならゴーレムが教室の壁を突き破って来る頃だろうに、悠長に教壇の前に立って両手を広げ――

 

「実はワタクシ、死んでしまいました!」

「……え?」

 

 両目はポンと飛び出して、口は大きく開いてカコカコと動く。

 そのあまりに異様な姿に教室はたちまち混乱に包まれた。

 




【狂い火】
かつて三本指が罹患した、古き神の病
或いは狂いのはじまり

瞳を介して感染し
その落涙には狂的な痛みを伴う

その火は霊をも焼き溶かす
新たなる混沌の幕開けとなった
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