オリバーの不調が回復した次の週には、ナナオの箒リーグが始まった。
まさかここまで見越して鬼事とやらを提案したのかとマリアは考えかけ、すぐに止めた。ナナオは、たとえオリバーの調子が戻らなくとも文句を言うなんてことはないだろう。あの二人の間に培われた絆はそれだけ大きい。
今も試合前のミーティングで互いの感覚をすり合わせている最中だろう。
「やぁ、失礼するよ」
「ミリガン先輩! どうしてここに?」
「ナナオ君の応援さ。もう二人は行ってしまったのかい?」
「えぇ、つい先ほど」
そして観客席には予想外の客が訪れていた。
奇妙な燐光を宿す小鳥を何匹か連れたミリガンは、ぐるりと会場を見渡して一つ頷く。
「いい席を取ったね」
「それはどうも。しかし、ナナオの進退に興味が?」
そっけなく返すリュディアをマリアは横から見上げた。
さっきまではいつものように膝に乗せられていたのだが、ミリガンが来たと気づいた途端に降ろされて体で隠すように押さえつけられている。
飲み物を買って戻ったガイとピートが近寄りづらそうにうろうろと歩いているのが見えた。
「リーグ優勝者に与えられる権利を知っているかい、ガイ君」
「うおっ!? 気づいてたんすね……」
「もちろん。というか、売店ですれ違ったよ」
「マジすか。権利って、賞金とかとはまた別なんですよね?」
「あぁ」
元々ざわついていた会場が、開始間近のアナウンスに沸き上がる。
立ったままの二人に座るよう促して、ミリガンは連れていた小鳥を高く舞い上がらせた。小鳥たちは一斉に空中へ躍り出ると、燐光を撒き散らしながら空中に何かを描いていく。
「外でプロ選手になれるとか、すかね」
「残念。正解は優勝者演説さ。中身は自由だが、この時期はもっぱら候補者についてだ」
「応援演説ですわね。もしや、それをナナオに?」
「そのとおり。彼女なら無下にはしないだろう……おっと、始まるね」
中央のフィールドに向けてナナオとオリバーが、その反対側からは対戦相手とそのキャッチャーが歩いて来るのが見えた。会場の熱気が最高潮に達し、実況席から強い拡声の魔法が放たれる。
『──キンバリー入学は去年の春、箒を手にして一年足らず!
そのキャリアで上級生リーグを駆け上がった、今期最年少、ナナオ=ヒビヤの登場だ!』
どっと会場が沸き立つ。
決闘・箒の両リーグでは、毎回多額の賭けが横行しているらしい。席に来る途中でオッズ表らしきものを見ていたマリアは、この盛り上がりは単に箒好きが集まっているだけではないのだろうなと思った。
「──うん、うまくいった」
ふと、横からそんな声が聞こえてくると、マリアはミリガンの視線を追って上を見上げた。角度がきつく見えづらいが、さっき飛ばしていた小鳥たちの燐光が文字を形作っている。
「『頑張れ、ナナオ=ヒビヤ』?」
後ろからでは反転して読みづらいそれに、首を傾げる。自慢げな顔を見せつけるミリガンにカティが尋ねた。
「いつの間にこんなの仕込んだんですか、ミリガン先輩」
「この種は利口だからね。カティくんも飼ってみるといい」
「お金も場所も足りませんよ」
カティとミリガンのじゃれ合いもそこそこに、ナナオと対戦相手が箒に乗って浮かび上がった。シェラによれば相手は持久戦でミスを狙ってくるタイプ。ナナオの戦法との相性は悪そうだが、果たしてどうなるか。
『さぁ、お待ちかね! ヒビヤ選手対ジョンケ選手、試合開始だァ!』
ある程度の高さから降下し、中央で激突。しかし当初の予想とは裏腹に対戦相手の軌道が大きく乱れた。
「上手い!」
「さっすが、ナナオ!」
『さぁ両者再びぶつかり合い──おぉっとぉ!?』
がつりと中央でぶつかり合った二人だったが、唐突に相手が回転しながら吹っ飛んでいく。
あまりの勢いにマリアは思わず感嘆の声を上げた。
「すごい……」
「ナナオがやったの?」
「いえ、あれはクーツ流の『
クーツ流。確かロッシが片手間に覚えようとしていたものだ。
あの器用さでも本物のそれとは比べることも出来ないと言うから、空中で繰り出そうとすればなおのこと制御が難しいのだろう。
『勝者、ナナオ=ヒビヤ選手! ここから上級生相手にどこまで勝ち進められるか!』
どっと沸いた歓声に背中を押されながら、ナナオとオリバーが控室に戻っていく。思ったよりも落胆するような声が聞こえて来ず、ナナオが賭け込みとはいえ期待されていたことにマリアは嬉しくなった。
「よし、行ってくるよ」
ナナオの姿が見えるか見えないかといったところでミリガンが立ち上がる。今は反省会中で控室に入れないのではないかと思ったが、するすると消えていったミリガンに声を掛ける暇は無かった。
リュディアから渡された飲み物を飲みながら次の試合を待っていると、途端に会場が静まり返る。その原因はもちろん、今出てきたアシュベリーだ。一気に張り詰めた空気に、マリアもカップを傾ける手が止まる。
『さぁやって来たぞダイアナ=アシュベリー! 最近はレースのタイム更新をメインに活動しており
ナナオと同じように浮かび上がり向き合う二人の選手。
まずは実力を測るためのぶつかり合いと誰もがそう考えていた、もしかするとアシュベリーの相手もそう思っていたかもしれない。けれど試合は大方の予想を裏切って、その一合だけで終わった。
『…………うそぉ』
実況すらも素に戻る中、当のアシュベリーは悠々と控えに戻っていく。対戦相手はキャッチャーの腕の中で呆然としている。
思えば応援も、キャッチャーすらも彼女の側にはいなかった。初めから自分が落ちるなどとは頭に無いのか。一体どうすれば、ああも一人で戦い続けられるのだろうか。
◆◆◆
「ナナオのリーグ初戦白星を祝って! 乾杯!」
かしゃんとグラスが打ち鳴らされる。
共有工房で開かれたささやかな祝勝会は、
「かっこよかったよー、ナナオ」
「二合決着とは、また派手な初戦になりましたわね」
ナナオには驚かされっぱなし、というのは剣花団の共通認識である。むしろ予想を超えてくるのが予想通りという、正に規格外な活躍を見せている。
「あれはオマエの作戦なのか?」
「いや、俺じゃない。むしろ」
ちらとオリバーが視線を向けた先では、ナナオが困ったように腕を組んでいた。
「拙者は一合一合に全力を注ぐだけでござるゆえ、策を練るのは不得手にござる」
「——ナナオがあの調子だからな。下手に作戦で縛るよりは思いっきり飛ばせた方がいい」
それで通して勝ちを奪ってくるあたり、ナナオの地力が相手を上回ったということか。アシュベリーが出場している以上難しいだろうが、それでも優勝を夢見てしまう。
「でも、アシュベリー先輩に勝つならあの技を破らないとね」
思考に水を差されたマリアは、思わずリュディアに目を向けた。黙々と料理を食べていたはずのマリアが急に自分を見たことでリュディアは戸惑ったように眉を下げたが、ソースで汚れた口元を見て布巾を手に取った。
「んむ」
「あ、こら。動かない」
口元を拭かれるマリアと、それに気がついてそっとマリアを押さえるシェラ。
机の向こう側ではナナオが普段のトレーニングについて聞かれ、答えるたびに悲鳴が上がっていた。
小さな祝勝会は、マリアが眠気をうったえるまでささやかに続いていった。
◆◆◆
すっかり夜も更けて、皆が寝静まった頃。
ナナオとピートの間で眠っていた筈のオリバーが、むくりと起き上がった。
誰かを起こさないようにそっとブーツを履き直し大広間を出ると、キッチンの脇に洗い終わった皿が積んであるのが見える。途中で抜け出したリュディアがやってくれたと思うと、申し訳ない気持ちが湧いた。
外へ出ると迷宮はしんと静まり返っている。
校舎に戻らず活動する生徒もいるが、それでも夜遅くまで外に居る者はほとんどいない。だからこそこの時間に抜け出そうと考えたのだ。
目的地は二層の
工房から少し離れた所で一息に加速したオリバーは、背後で扉が開いたことについぞ気づかなかった。
二層の太陽は、地上など気にすることも無く四六時中輝き続ける。
体内時間とのずれによってかいつもより眩しく感じる光に目を細め時間を確かめると、オリバーは
「ハッ、ハッ……!」
幹に足を掛ける瞬間に体内の魔力循環を加速させた。
景色がぐん、とオリバーの後ろに流れていく。頂上まで辿り着いたところでようやくオリバーはその足を止め、懐中時計を取り出した。
(前回よりも十分近い短縮……こんなものが、まともな成長なものか)
カティの疑問は正しい。否、カティに限らずあの場の誰もが思っていたに違いない。
今まで手を掛けなければ登れなかった場所を一跳びで越える。魔力の巡りが今までとは比べ物にならないほどに滑らかになっている。
(エンリコとの戦い。あれさえなければ……いや、いつかはこうなっていた)
遥か格上との命の奪い合い。
本来ならば成立しえないそれだが、オリバーにはその中の万に一つを引き寄せる切り札がある。だが、その切り札がオリバーの命を削っていることも事実。母の仇を殺し尽くすのが先か、己の命が尽きるのが先か。
「あっ、オリバーくんだ! 居たよ、ナナオちゃん!」
「む、追いつき申したか!」
「……ナナオ!?」
思い耽っていたオリバーの足元から予想外の声が聞こえてくる。
そこにいたのはマリアが治した腕をぶんぶんと振るレイクと、工房で眠っているはずのナナオだった。思わずレイクを無視するような返答になってしまったが、オリバーの視界には正にナナオしか映っていなかった。
「どうしてこんなところにいるんだ? 今はリーグ戦の真っ最中で、迷宮に潜るのは危険だと言っておいただろう!」
「それは……そうなのでござるが」
「校舎ですら警戒がいるのに、生徒会の目も届かないような迷宮では何が起こるか――」
「待った。落ち着いてオリバーくん。一旦こっちこっち」
ヒートアップするオリバーを引きずっていったレイクは、枝の陰でオリバーの両肩を掴んだ。
「何のつもりだ、Mr.レイク」
「落ち着けってば。見なよ、あの顔。君が言いたいことなんて全部わかってるさ」
そう言われてちらと盗み見ると、ナナオの顔には申し訳なさと後悔、そしてほんの少しの寂しさがあった。
その表情に、オリバーは思い当たるものがあった。調子を取り戻すまでの間、オリバーは迷宮探索に出向かなかった。それ以前も何かと理由をつけてナナオや他の皆と距離を取ってきた。
「君は彼女が大切で、心配だから怒ってるんだろ? それなら向こうがなんで追いかけてきたか分かるんじゃないかい?」
「……あぁ」
考えるまでもない。
ナナオの前に進み出たオリバーは、何度か咳ばらいをして気まずげに口を開いた。
「君の想いはわかった。ただ、迷宮にはいられないから、そうだな、談話室に行こう。あそこなら襲撃されることもないだろうし、君が望むならお喋りして過ごそう」
「! うむ、朝まで語り明かそうぞ!」
「……明日も授業があるから、ほどほどにな」
目を輝かせていつものようにくっついてきたナナオを受け止め、オリバーはレイクの方へ振り返った。
「君もどうだ、Mr.レイク」
「いいね。あ、ユーリィでいいよ。ぼくもいっぱい聞きたいことがあるんだ!」
三人は魔獣に気を配りながら、ゆっくりと
行きよりも人数が増えて魔獣が仕掛けてくる気配もない。警戒し過ぎていたのかとオリバーの気が緩みかけたその時、ユーリィの足が止まった。
「どうした?」
「――だれか、追いかけられてる」
その言葉と同時に眼下の茂みから人影が飛び出した。
その後ろからフード付きローブを着込んだ人物が数人、追いかけていく。
「
追いかけられている人影が呪文を唱えると赤黒い茨が生え伸び、追手との間に壁を作った。
そのままオリバーたちがいる枝まで駆け上がって来ると、オリバーも相手も、ようやく誰か気が付いた。
「君は……アーシャ!?」
「ホーン先輩!? 今日は祝勝会のはずじゃ」
「君こそどうしてこんなところに――まさかまた一人でいるのか!?」
図星を突かれたアーシャは言葉に詰まったが、下から追いすがる集団がそれを許さない。
オリバーはアーシャの手首を掴むと背中に追いやるようにして隠した。
「また何かやったのか」
「またって何ですか、偶然ですよ。ヒビヤ先輩を襲うとか聞こえたので盗み聞きしてたんです」
「……巻き込まれたのか」
ナナオとオリバーだけならば、襲われても逃げ切るくらいは出来ると思っていた。たかが二年生の選手相手に過剰な戦力をけしかけることはないだろうとも。
だがそこに誰かが巻き込まれ、それもここまでの規模となると無視してはおけない。ひとまずは全員が生きて帰ること。それが最低目標だ。
「来るよ」
ユーリィが呟いた。
集団の中から二人が幹を駆け上がる。オリバーたちはそれを迎え撃つべく杖剣を抜いた。
「ナナオ!」
「
一節呪文とは思えないほどの火力に相手の対応が遅れ、まともに火の中に突っ込んだ。
そこへオリバーの後ろから小さな壺が飛んでいき、中身がかかった二人のローブが強く燃え上がる。油壷を投げ込んだアーシャは、オリバーの背中から様子を伺った。
「オリバーくん、下!」
しかし間髪入れず、今度はオリバーたちが立つ枝の裏に残りの襲撃者が立つ。左右から挟み撃ちにしようという魂胆だろうが、ナナオの前では分が悪い。
「
「跳べ!」
先ほどに続いて巨大な枝を一撃で斬り払うナナオに、アーシャは目を見開いた。報告を受けて知ったつもりになっていた
(っ!?)
枝と共に落とした。
そう考えたのもつかの間、襲撃者の一人が
「ハァ――」
「
ナナオへと手が伸びる、その寸前、空気を焦がすような炎熱が襲撃者を灼いた。
一瞬で身を引いた襲撃者は、丸焦げになった仲間を担いで森の中に逃げていく。オリバーたちが息を整えて振り返ると、そこには覚えのある偉丈夫がいた。
「モーガン先輩!」
「カカッ、ムーングラムはさっきぶりとして、この時期に潜っているとはお前たちも懲りないな。ム、そっちは新顔か」
「初めまして! ユーリィ=レイクです!」
「おう、俺はクリフトン=モーガンだ」
ユーリィとモーガンの交流を横目に、オリバーはアーシャへ尋ねる。
「さっきぶりと言っていたが、モーガン先輩と会っていたのか?」
「えぇ、少し相談することがあったので。本当はあの後すぐに帰るつもりだったんです」
「それは……災難だったな」
深々とため息をついて鞄の中を整理し始めるアーシャに同情の視線を向ける。
もしオリバーが迷宮に来ていなければ、彼女の命が脅かされることはなかっただろう。この期に及んで原生の魔獣たちにやられてしまうとは思えない。
機会があれば何かお詫びをしたほうがいいだろうか。オリバーは、はしゃぐナナオとユーリィを眺めながら独り言ちた。
【無垢なる直感】
ユーリィ=レイクの特性の一つ
大地や生物の声を無意識に聞き取る
無口、雄弁、口下手と、感じ取れるものは一定ではない
魔法使いの手によるものは、口を利かないという
しかし世界は彼に囁く
キンバリーに蔓延る謎を暴き出せと