黄金樹の麓から   作:シショ

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第7節

 

 冥府の合戦場から少し逸れた、第三層に差し掛かろうというところを横道に入り、所謂放棄区画と呼ばれる場所でマリアたちは陣を張る。一度きりの決戦場だからと後先考えずに改造されたそこは、ある種、儀式場のような様相を呈していた。

 

「……いよいよですね」

 

 中央に座ったモーガンを前に、アーシャが呟く。

 いつもの必要以上の装備に加え、背中にやたらと細長い背負い袋が一つ。マリアが中身を聞いても、はぐらかされて結局良く分からないままだ。

 

「終わったよ」

「ありがと」

 

 周囲の環境を整えていたリュディアが戻って来た。

 壁や地面を結晶で覆い、その上から魔力脂を塗布して耐性を底上げしている。そのせいでマリアが持っていた根脂はほとんどなくなってしまったが、元々使う予定も無かったものだ。死蔵しておくよりも、数が必要な時に思いっきり使ってしまう方がいい。

 

「始めましょうか」

 

 準備運動を済ませたアーシャが腕まくりをして言う。

 炎に対するのだから長袖の方がと言ってみたものの、肌が出ている方が感覚が鋭敏になるらしい。

 ふと、直前になってマリアの意識が壁際に寄る。精緻な細工を施された車椅子。それは全てが終わったあかつきに、モーガンを乗せて校舎へ送るものだ。

 

「ふぅ」

「……緊張してる?」

「そうかも。失敗させたくないから」

「大丈夫だよ。万一の時も、ね」

 

 そう言うと、リュディアは身を屈めてマリアの額に唇を落とす。

 あの日からお決まりになった二人のやり取りに、アーシャが声を上げた。

 

「いちゃつくのは帰ってからにしてください! モーガン先輩も見てるんですからね」

「そう言うな、ムーングラムの妹。仲睦まじいのは良いことだ」

「わたしの立場にもなってほしいですけどね」

「カカッ! 貴様も同じようになるかも知れんぞ?」

「今は違いますから……はぁ、もう」

 

 この流れでずいぶん空気が弛緩した。

 マリアも自身で思うより思いつめていたらしい。わざとかは分からないが、モーガンに感謝を送る。

 そして聖印を握り直し、モーガンへ向き直った。

 

「では」

「あぁ。頼む」

 

 部屋の中心で、モーガンが炎の制御を緩める。ごう、と燃え上がった異界の炎は、意思を持つかのように次なる依り代を求めて四方八方に炎の触手を伸ばした。

 今あるモーガンの肉体は、異界の炎を宿し続けたことによって枯れかけている。炎が求めるは魔力。そして、近くにあった最も大きい魔力の塊――リュディアの結晶へと向かって行く。

 ここまでは予定通り。そしてここからが本番だ。

 

「いきます」

 

 アーシャはマリアからの護りを受けてモーガンと向き合う。

 焦点を定めるのは肉体の先、魂と霊体に絡みつく異物。長い年月を掛けて癒着しモーガン本人ですら手出し出来なくなってしまったそれを、強引に剥がし取っていく。

 モーガンの顔が苦痛に歪む。当然だ。肉体よりもさらに深い場所を無遠慮に探られ、その一部を剝ぎ取られているのだから。

 

(想定より深く寄生されてる……丁寧に剥がしてたら間に合わない)

 

 しかしアーシャにも余裕は無い。

 覗き込んだ霊体の深さと、気の遠くなるほど張り巡らされた異界の炎。それはもはや肉体の一部とも言えるほど、あと一つでも段階が進めばモーガンの体がそのまま炎へ変わっていただろう。

 だが、炎は解放された。今残っている部分を切除してしまえば、モーガンを依り代としている炎は行き場を失う。狂い火に掛かれば異界生物の一片など溶かし尽くしてしまえるだろう。そうすればすべてが上手くいく。

 

「む、これは……! いかん、逃げ――」

 

 そう、思っていたのに。

 内側を覗き込むことに躍起になっていたアーシャは、護りの外側で炎がその温度を高めたことに、モーガンの叫びに、気がつかなかった。どすりと背中に衝撃を感じて、それが何であるかを考える間もなく小さな体に抱きすくめられる。

 

(熱っ……熱い? まさか)

 

 苦しいほどにきつく抱かれたアーシャの頭の中の、冷え切った部分が悟る。

 失敗だ。異界の炎を甘く見ていた。モーガンにこれを押さえ続けられるだけの余力は残っていなかったのだ。

 こうしてマリアに護られていなければ、今頃消し炭になっていたに違いない。それから一拍遅れて、冷気が周囲を包む。そうしてようやくアーシャは目を開けられるようになった。

 

氷雪盛りて(フリグス)氷雪盛りて(フリグス)氷雪盛りて(フリグス)――」

 

 今も氷を継ぎ足し続けてなんとか炎を押し留めているリュディアと、薄く煙を上げるブレザーを脱ぎ捨てて燃やしてしまうマリア。その先にいるはずのモーガンの姿は、炎に隠れて見えなかった。

 二人を手伝おうと、施術を再開しようとして、アーシャは自分がへたり込んでしまっていることを自覚した。

 

「私のせいだ」

 

 だから、アーシャはその言葉に反応できなかった。

 ゆっくりと顔を上げた先で、崩れかけた瞳孔にぼんやりした光を宿したマリアは、氷の中に閉じ込められてもがくモーガンを見据える。狂い火のせいで茹る頭に浮かぶのは後悔だろうか。それとも、何でもできると思い上がっていた自分への怒り?

 

「アーシャは外へ。誰でもいいから現状を伝えて、出来ればしばらく近寄らないように」

「……ぇ」

「せめて迷宮を出てほしい。もう巻き込みたくない」

 

 努めて冷静にマリアは言う。

 もうここまで来てしまえば、モーガン一人を放っておいてどんな影響が出るかなんてわかったものじゃない。それならせめて全部消し去ったほうがいい。

 

「あ、諦めるんですか!? こんなところまで来て」

「見通しが甘かった。もう殺さずに済ませるのは難しい。私も、リュディアも」

 

 今もなおモーガンを押さえ続けるリュディアと、それを見つめるマリアの姿に、アーシャは強い憤りを感じていた。任せるとそう言ってくれたはずなのに、どうして肝心なところで踏み込ませようとしないのか。

 やるせなさを振り切るように、アーシャは背負い袋に手を突っ込んだ。そこから取り出すのは、先端に鉤のついた長い金属棒。墓所の火守りたる死の鳥が用いた、死かき棒である。

 

「わたしのサポートはもういりません。ただ、長くは保たないので、そのつもりで」

「……いいの?」

「元々その予定だったでしょう。隠していたわたしも悪いのでとやかく言いませんが」

 

 地面に撒いた骨片から霊炎が立ち昇る。

 狭間の地に黄金樹が根付くより以前、肉体と魂の中間にある意思を焼いた炎。 

 異界の炎が確とした肉体を持たず、それでいて自立した魂のある存在だとすれば。霊炎はきっとその意志を焼くだろう。それはアーシャが自覚しながらも、由来により秘匿しようとしたもの。

 

「姉さん、氷を割ってください。炎を引き剥がします」

「それは助かるけど……マリアはいいの?」

「――うん」

 

 溶けそうなほどに熱を持つ瞳を押さえながら、マリアは頷いた。

 アーシャを信頼していたというのは嘘ではない。だが、同時に守るべきものとして見ていたのも事実だ。リュディアの妹であるというのもいくらか関係するが、一番はラニから預けられたということ。

 無事に返さなくてはならないという意識が、アーシャを無意識に危険へ踏み込ませまいとしていた。

 

「今度こそ、任せる」

「マリアが良いならいいけど。それ(・・)、あとで説明してね」

「ある程度でよければ」

「全部に決まってるでしょ」

 

 死かき棒の先に霊炎が灯る。

 氷が砕かれた瞬間に伸ばされた炎の触手を躱して、アーシャは懐へ踏み込んだ。

 モーガンの肉体は生かさず殺さず、しかし意識は完全に持っていかれている。アーシャが持ち込んだ骨片も数が少ない。相も変わらず、時間との勝負だった。

 

「始めます!」

 

 意識がないのであれば、もはや遠慮はいらない。

 無理やりに異界の炎を剥がし取ってはその穴を霊体で埋めていく。深く根付いた炎も、穴だらけの霊体も既に見た。その手に迷いはない。

 

「あたしも頑張らないと、ね」

 

 異界の炎はもはやモーガンの肉体に拘ってはいない。無論楔となっているのはモーガンの存在だが、それよりも最適な体が目の前にある。巨大な結晶を出しても余りあるほど魔力を湛えたリュディアの肉体は、第二の依り代として最適なものだ。

 しかし、アーシャによる剥離に抵抗することなく触手を伸ばした先で、炎は引力に絡めとられた。

 

「逃がさないよ」

 

 発音を筆記に変換した立体魔法陣。中心に小型ゴーレムを内包したそれは異界の炎を取り囲み、互いに展開した引力圏の中に炎を閉じ込めた。

 

「……もう少し、上に」

「はいはい」

 

 離れて立ったマリアの指示に合わせて、炎を移動させる。

 はっきり見えるようになったアーシャの背中は、どこか楽しそうだった。

 それに違わぬまま、振り返ったアーシャは満面の笑みで手を振る。

 

「終わり! いつでもどうぞ!」

 

 まさに元気いっぱいといった様子に、マリアの肩の力が抜ける。

 顔を上げれば、空中に隔離された異界の炎が大きく揺らいでいた。マリアが見つめるのはその先、炎の中で蠢くそれ自体の意思、ひいては異界の神の意思。

 焦点が合った瞬間、マリアの瞳が熱を持つ。脳まで溶け出しそうなそれを向けられた異界の炎から、叫び声が聞こえた、気がした。

 

◆◆◆

 

「――ベリー! アシュベリー! どうしたんだ、それがお前の全力か!?」

 

 箒競技の世界最速記録への挑戦。

 それは名誉であると同時に、ダイアナ=アシュベリーの存在意義だ。

 速く飛ぶために生まれ、空に生きて、空で死ぬ。覚悟など必要もない、当然のことだ。

 そのはずだった。それなのに、

 

「ハッ、ハァッ、ッ……」

 

 思考がまとまらない。体が重い。もっと飛べるはずなのに、速度(あし)が伸びない。

 これでは客席のどこかで見ている後輩も呆れていることだろう。現に箒術の担当教員、ダスティン=ヘッジズは必死になってアシュベリーへ声を投げかける。

 一体なにが足りないのだろう。肉体のコンディションは最高、メンタルも不調とは程遠い。それなのに、なにを躊躇っているのだろうか(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「アシュベリー殿!」

「うおっ、ヒビヤ!? お前どっから入ってきやがった!?」

「……何の用?」

 

 疲れ切った体を起こす。

 そこには、最近シニアリーグで叩き落してやったばかりで、ほんの少し交流を重ねただけの後輩が立っていた。手には鞘付きの刀がある。ここに来るまでに、何人を叩きのめして来たのか。

 

「ヒビヤ、応援は嬉しいが今は出てってくれ。分かるだろ」

「否、応援には非ず。言伝を預かってござる」

言伝(メッセージ)?」

「うむ」

 

 一つ頷いたナナオは、まっすぐにアシュベリーを見据えて口を開く。

 

「モーガン殿より『今行く』と」

「は……?」

 

 極度に集中した耳が、会場の喧騒を超えて控室の外から騒ぎを捉える。

 調整が上手くいっていないのかうるさいほど鳴る車輪の音と、聞き覚えのある笑い声。

 ナナオが振り向いた先。かつてアシュベリーのキャッチャーが足を踏み入れ、そして帰って来なかった迷宮から、二つの影が飛び出した。

 

「カカッ、なんだこれは! 凄まじい速度だな!」

「一旦止まろうモーガン君! 車輪がどっちもいかれてる!」

 

 記憶よりもいくらか痩せ、それでも鍛え上げられた厚みを残す大きな体。

 それが車椅子に乗ってこちらへ向かって突っ込んでくる。空中で小さな影に支えられなんとか制御を取り戻した車椅子は、飛び退いたダスティンの真横に着地した。

 

「――今日が正念場だと聞いていたが、一足遅かったか?」

 

 『生還者(サバイバー)』ケビン=ウォーカーに支えられて、アシュベリーの元キャッチャー、クリフトン=モーガンがそこにはいた。

 相も変わらずよく通る声が全身に響き渡り、そうして感じたのは安堵だった。

 元より落ちるとは思っていない。キャッチャーなど居ても居なくても変わらない。しかし、箒乗りには、飛び立って、帰ってくる場所が必要だ。

 

「これからよ。そこで見ていなさい」

 

 桶いっぱいの冷水を頭から被り、高ぶる精神を体ごと冷ます。

 そのままの勢いで箒に飛び乗って、時間計測者(タイムキーパー)に合図を送った。

 

0:01:47

 

 アシュベリーの原点。かつて見た最速の箒乗り。

 彼女は記録を打ち破ったその瞬間に、その箒ごと塵となって消えた。

 

0:44:85

 

 落ちることは怖くない。無論、死ぬことも。

 飛んで辿り着いたその先で、空に散って消えた時。そのどうしようもない孤独を恐れたのだ。

 

1:08:32

 

 だが、今は違う。

 

1:49:03

 

 アシュベリーには帰る場所があり、迎えてくれる相棒がいる。

 

2:00:57

 

 最後のカーブを抜け、直線に差し掛かった。躊躇う理由はもはや無い。

 最速の先へ、モーガンの下へ。真っすぐに。

 

  2:24:98――

 

◆◆◆

 

「――全くもって格好がつかんな」

 

 校門の外で車椅子に乗ったままモーガンが言う。

 結局、異界の炎をすべて取り除いてもモーガンの体は元に戻らなかった。長い期間侵食に耐え続けていたこと、そして無理に炎を引きはがしたこと。接いだ霊体は馴染んでいるが、それだけではキンバリーで生活するのは難しい。

 

「私がもっと良い策を考えられれば」

「俺はお前たちに命を救われている。これ以上は望み過ぎだ」

「でも」

「それ以上はいけませんわ、マリア。あなたも危ないところだったのでしょう?」

 

 耳元に直接シェラの声が降ってくる。

 迷宮から戻った後、シェラたちは血相を変えてマリアとリュディアを工房に叩き込んだ。カティとシェラが代わるがわる世話をしに来て、説教がてらオリバーとガイも立ち寄る。迷宮の入り口で別れたが、アーシャも同じような状況だったと聞く。

 

「元々危ないのは分かってた」

「だからといって命を投げ出すような行為は看過できません。約束、忘れていませんわね?」

「んんむ」

 

 『待っていてほしい。終わった後に、もう一度抱きしめて』なんて、今思えばほんの少しの恥ずかしさを覚える言葉を、シェラは律儀に覚えていたらしい。

 校舎に戻って来てからというもの、暇さえあればシェラはマリアを腕の中に収めていた。リュディアが羨ましそうに見ていることもあったが、その度にピートから突かれている。

 

「今度はこっちの用事に付き合ってもらうからな。車椅子(あれ)に何時間掛かったと思ってるんだ」

「マリアはあたくしが預かっておきますから、安心していってらっしゃい」

「ごめんってば……」

「――お待たせ」

 

 マリアたちがモーガンに見守られながら戯れていると、背後から声が掛かる。

 振り向けば、大荷物を抱えたアシュベリーとナナオ、オリバーが立っていた。その後ろにはカティとガイもおり、何やら小包を抱えている。

 アシュベリーとナナオがモーガンの乗る車椅子に荷物を積み込むと、オリバーから箒を受け取ってマリアに向き直った。

 

「こんなに乗せて動かなくなったりしないのか?」

「アンタが暴走するから重しがいるのよ」

「カカッ、すまん。こうも走り回るのは久しぶりでな、つい興が乗った」

 

 モーガンとアシュベリーが言葉を交わすのは校門の外。対してマリアたちは内側に残った。そう、二人はいくらかの休養を経て退学することとなったのである。

 モーガンは補助が無ければ一人で動くことも難しく、アシュベリーはこれまでの無茶に記録更新に伴う連続飛行が止めとなって、体にガタが来ていた。消えてなくならなかっただけ運がいいと言っていたが、それでも無力感があった。

 

「改めてにはなるけど、本当にありがとう。私自身、こいつが生きてるとは思わなかったし」

「あぁ、俺からも礼を言わせてくれ。生きて校舎を出る日が来るとは考えもしなかった」

 

 けれど、二人は生きている。

 未来に向けて歩き出したのだ。

 

「ではな! またどこかで会うこともあるだろうが、今はお別れだ」

「じゃあね、ヒビヤ。プロになったら、試合見に行くから」

「うむ。お二人とも、どうか達者で」

 

 小さくなっていく二人に背を向けて、マリアたちは歩き出す。

 互いに振り返ることはなく、遂に、門が閉じた。

 




【霊炎】
かつて狭間の地において朽ちゆく肉体を燃した炎
あるいは、落ちる鷹に宿った冷たい霊火

鉤棒の先に霊炎を生じ、地を這わせる

骨や泥濘に宿った炎は死者の体と意思を焼く
たとえ異界に由来したとて、死は平等に与えられた
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