「──
きし、と氷が空気を押しのける音がした。
炎が砂地に広がった瞬間、リュディアの声と共に空気が冷える。火炎呪文相手には有効な対処だが、今回ばかりは選んだ魔法が悪かった。
油の上に広がった炎が氷を溶かし、水と反応して弾ける。咄嗟にマリアが風を起こしていなければ、高温の油を全身に浴びるハメになっていただろう。
「……なんか、良い匂い」
「ガイがいつも使ってる油だね」
「そう言われればそうかも」
匂いから下手人を特定できてしまうという珍事はあったものの、攻撃は凌げた。
だが、いつ第二第三の矢が飛んでくるかもわからない。マリアが体を離した時には、リュディアの手に弓が握られていた。
「あたしはカティを落としてから行くよ」
「わかった」
「それと、二年生組が見当たらないから、一応気を付けて」
「うん。リュディアも」
「わかってるって」
結晶の傘が解ける。炎も粗方散らされていて、向こうでアーシャが茨のドームから這い出てきたのが見えた。マリアはそれを見て、リュディアに手を振って砂浜を駆け出す。
盾を背負ったリュディアも、行動に移るべく矢をつがえた。マリアたちの動きを見てか、移動を始めたグリフォンへ狙いをつけて、一射。
「──外れた?」
良くて胴体、翼に当てようと放った矢は、当たる直前に脇へ逸れていった。十中八九背に乗るカティが何かしたのだろうが、当たらないならこちらにも手がある。
青白く光る矢を放った次の瞬間、リュディアの姿はかき消えた。
「真正面からじゃ、アイツらには敵わない」
ピートの言葉が、三人の共通認識だった。
ガイの魔法植物は焼き払われ、ピートのゴーレムは練度で上回られる。カティに至っては、マルコやライラの力を借りなければアーシャにも負けかねない。
「つーことは、こっちから攻めるんじゃなくて」
「わたしたちの所に誘い込むことになる、よね。……上手くいくかなぁ」
ガイもカティも、マリアとリュディアの本気を知らない。唯一サルヴァドーリの事件に居合わせたピートですら、全てを知っているとは到底言い切れないのだ。そんな三人に、マリアたちへの対策を立てようなど土台無理な話だった。
しかし、彼らもこの三年間で成長している。身に着けた力を山と使って、マリアとリュディアにぶつければ、或いは。そんなことを考えてしまう程度には力をつけていた。
「当たったみたいだ」
「よっし!」
「油断するなよ。どうせ足止めにしかならない」
種子の着弾と発火。それを確認しても、ピートの顔に油断はなかった。
種を放ち切って枯れ始めた魔法植物を尻目に双眼鏡を覗き込む。取って返すカティをイメージして、しかしレンズに映ったのは片足に人影をぶら下げて、ふらふらと落下するグリフォンの姿だった。
「マルコ!」
「──ウ」
「カティを助けに行け。場所は分かるか?」
「繋ガってルから、ワかル。ピート、ガイ、気を付けテ」
「お前もな、マルコ!」
いつの間にか随分流暢になった
ピートとガイは頷き合うと、互いの持ち場に向けて走り出した。ゴーレムを周囲の監視に充てる間に島へ施した改造は、三人揃って動かすことを前提としている。カティがいない分は、ピートがゴーレムで賄うしかない。
「……さっさと戻って来いよ」
つい、口を衝いて出た言葉にハッとする。
いつまで誰かに縋るつもりだ。あの二人に頼らせて見せろ、ピート=レストン。
◆◆◆
リュディアに送り出されたマリアとアーシャは、湖面を走っていた。
木立の中は種が木々に遮られたのか延焼しておらず、難なく駆け抜けることが出来た。だが、ここからは周囲に遮蔽は見込めない上、常に
二年生のアーシャはともかく、マリアは水中の魔法生物にも気を払う必要があるのだ。そこを狙われるのは必然だった。
「
対岸の、土が盛られて丘のようになった所から雷がはしる。
砂浜には遠くからでもわかる長身の人影が立っていた。
「
砂地の上だというのに勢いよく伸びた茨が即席の柵を形成する。飛び越えられる程度の高さだが、ただでさえ呪文狙撃を食らっている状況で、そんな余裕があるとも思えなかった。
代わりに一部でも斬り払ってしまおうとマリアが杖剣に手を掛けた時、アーシャが何かに足を取られたようにつんのめる。見れば、水中から伸びた手がアーシャの足首を掴んでいた。
「
「っ、
マリアが足元へ電撃を放ったのとほぼ同時に、アーシャの体に黒い靄が纏わりつく。一瞬にして伝播した光は群がっていた魔法生物ごとその手を引きはがした。
「ぐ……」
「ごめん、加減できなかった」
「わたしが遅れました。でも、向こうもかなり効いたみたいですよ」
ざば、と焦ったように顔を出したのは二年生のディーン=トラヴァース。
そのまま水上歩行に移らないのはダメージが残っているのか、そもそも習得していないのか。しかし曲がりなりにも挟み撃ちの形となってしまった以上、安易にどちらかを攻めることは出来なくなってしまった。
そんなことを考えていたマリアの上に影が差す。見上げれば、片方の翼を凍り付かせてゆっくりと旋回するグリフォンの姿があった。
「リュディアは──」
不安に駆られて思わず口にした言葉に返事はなく。しかし水飛沫一つ立てずに降り立った人影が、マリアに向けられた魔法を防ぎきることでそれに応えた。
「リュディア!」
「二人とも無事……みたいだね。良かった」
「姉さんの方こそ大丈夫なんですか? 返り討ちにあったみたいですけど」
煽るようなアーシャの言葉にリュディアは苦い表情を浮かべる。
任せてほしいと啖呵を切っておいて、まともに役目を果たすこともできない。
情けない。そんな考えに陥りかけたリュディアの腕を、小さな手が掴み取った。
「今度は私もいる」
マリアの少しだけ高い体温が伝わってくる。
アーシャはそんな姉を横目に香を仕舞い込み、懐から救難玉を取り出した。
「格好良いところ、見せてくださいね」
救難玉が弾けると同時に、夢から覚めたように体を震わせるのが見えた。アーシャが何かしていたのか、などと、そんなことはどうでもいい。マリアの前で格好悪い姿なんて見せたくもない。
リュディアは飛来した魔法ごと、生垣を一息に斬り払った。
「行こう」
一緒に駆け出したマリアの頬が緩む。
頼りないなんて考えたことはないけれど、冷たくて鋭い強さを露にしたリュディアはまるで別人のようで、だからこそ、その隣に並びたいと思うのかもしれない。
「
新しく生やそうとした蔦を飛び越えてガイの懐へ。
緊張した面持ちで杖剣を構えたところに刃を叩きつけ、そのまま押し込む。
「う、おぉっ!?」
杖剣を握る手を掴んで、投げ飛ばした。
技も何もない、単純かつ力任せな行動に、しかしガイの対応は遅れる。意識外にあった投げ技と姿勢制御が困難な空中。
「ガイっ!」
カティの悲鳴も虚しく、リュディアの剣が青白い輝きによって拡張され、胴を薙ぐ。
使用が義務付けられている不殺の呪いによって両断こそ免れたが、胸から腹にかけてを袈裟懸けに裂いた傷は本来であれば致命傷だ。血をまき散らしながら砂浜に転がったガイはまだ気絶状態に陥ってはいないものの、復帰には時間がかかるだろう。
「マリア」
「うん」
頭上から降ってきた棍棒を受け止めて強引に逸らす。
よろめいたマルコへの追撃は、飛来したゴーレムによって防がれた。高速で回転する刃を備えた円盤状のゴーレム。それとほとんど同時に、ピートも高台から降りてくる。
「派手にやったな、オマエら」
「……そう?」
「一つのチームだけで他を相手取るなんて、ボクには考えられない」
「それにしては随分落ち着いてるように見えるけど?」
「腹を括るしかないってだけだ」
そう言ってピートが後ろに下がる。
追い詰められているようでいて冷静さを保つその瞳は、まだ勝負を諦めてはいない。
一時の、静寂。
それを強烈な破砕音が破る。
震動。一拍遅れて、破砕音。
アーシャがいるはずの島で、巨大な蛇のような影が這い回っているのが見えた。
「……なんだ、あれ」
◆◆◆
アーシャは追い詰められていた。
ディーンとリタのペース配分を考慮しない攻めの影から、テレサが的確に杖剣を挟み込む。即席の連携にしては出来過ぎているそれに、
「短期間でよく上達しましたね」
「もちろん、」
「お前に勝つためだ!」
「……」
不愉快だとばかりに鋭さを増したテレサの剣が脇腹を抉る。
砂地に散った血しぶきは相当な数になっていた。そう長くはもたないだろう。
「……困りましたね」
貧血で目がくらむ。体がふらつく。
それでも楽しいとしか思えない。アーシャの手札はこの状況をひっくり返してくれるのだろうか。このまま負けてしまうのはもったいないなと、そう思って。
「
眼球程度の大きさの種子が袖口から零れ落ちる。
リタの剣をわざと手のひらで受け止めて、溢れた血液が種子に降り注がれた。
「リタ!」
ディーンがリタの服を引っ張る。
かろうじて範囲から抜け出した二人が見たのは、
そして、満面の笑みを浮かべたアーシャがこちらに指をさす姿。
「
「
リタが壁を立て、ディーンが火を放つ。
しかしテレサのしごきで身に付いた咄嗟の役割分担も、圧倒的な巨体に押しつぶされた。
ただ這い回るだけで壁が壊され、植物の塊のように見える体が炎上する気配はない。彼らに許されるのは、逃げ回る事だけだ。
「んふ、ふ……ははは……」
ぼたぼたと垂れる鼻血を拭いもせず、アーシャは笑う。
樹霊の成長に伴い備蓄魔力までごっそり持っていかれたせいでもう一歩も動けない。それでも、座り込んだらそのまま意識を飛ばしてしまいそうな体で何とか立ち続ける。
「……どこ行ったかな」
テレサがいない。
樹霊を造る瞬間もすぐ横にいたはずなのに、魔力を消費した虚脱感に耐えている間にどこかへ行ってしまった。どこかに潜んで隙を狙っているのか、あるいはディーンとリタを見捨てて身を隠したか。後者の方が可能性が高い気がする。
「まぁ、いいか。二人も持っていけば、上出来……」
一瞬だけ視界が暗くなる。気が付くと、砂浜に座り込んでいた。
「そろそろですか……」
細い魔力のつながりから、樹霊の周囲に意識を向ける。
リタを突き飛ばし、足を潰されるディーン。それを見て悲鳴を上げるリタ。テレサの気配は、無い。
そこまで知覚したアーシャは、樹霊の根本、種子から伸びる根を断ち切った。
轟音。
そして、光。
樹霊の内側からあふれ出した光が小島を包み込む。
大元を絶たれたことによる魔力の暴走だが、不思議と熱は感じなかった。ただ、白く染まった視界が晴れると、島は更地に変わっていた。
「はー……」
ため息とも深呼吸ともつかない息を吐いて、アーシャが自身の体を見下ろす。
制服の胸元からは、細い刃が覗いていた。
「……逃げなかったんですね」
背後から聞こえるテレサの荒い息遣い。
首を回しても見えないくらいの背丈で、一体どこに隠れていたのだろう。
「ここは、あなたの負けです」
「……ですね。好き放題し過ぎました」
杖剣を引き抜かれた反動で砂浜に転がる。
見上げた先に広がるのは、雲一つない青空。
「あぁ、楽しかった」
アーシャはそう言うと、満足気に目を閉じた。
それを忌々しそうに睨みつけ、テレサは傷ついた体を引きずりながら、戦いの気配へ向かっていく。
◆◆◆
「オオッ!」
「
棍棒を振りかぶったマルコへリュディアが呪文を向ける。しかし狙いに反して空中で炸裂した氷塊は、地を叩く勢いのまま壊された。
飛び退った二人の足元が崩れていく。
その先に見えるのは網目状に張った蔓。ガイが用意していた落とし穴だろうか。跳んだ勢いのまま棍棒を踏みつけたマリアは杖剣を振るう。
「
「
マルコの眼前で黄金の光が炸裂した瞬間、マリアの体が縫い止められたように止まった。
木陰から杖を向けるカティの姿が目に入る。いくらマリアが小さく軽いとはいえ、人一人分の重さを支え続けるのは難しい。現にカティは震える手を必死に押さえつけながらマリアを空に留めていた。リュディアが助け出すのも、カティが倒されるのも時間の問題だろう。しかし、
「KIAAッ!」
グリフォンのライラにとっては十分な時間だ。
舞い降りた巨体がマリアの肩を鷲掴みにし、空中に攫っていく。
だがリュディアはマリアを追わない。ライラを撃ち落そうともしない。
マリアが狙われれば隙が生まれるだろうと思い込んでいたピートは踏み込んでくるリュディアに目を見開き、失策を悟ったカティの顔が青ざめる。
「
ある程度の高さからそのまま落として。
そんなカティのお願いを聞いて、ライラは元居た島からさほど離れず、高度だけを稼いだ。それはカティの下へすぐ戻れるようにと判断した結果であったし、水の上に落とすよりは良いだろうと思っていた。
その体が炎に包まれるまでは。
「──ッ!?」
爆発的な炎上に対し、ライラはたまらずマリアを離して水中に飛び込んでいく。
地上にいる
「
ピートの放った電撃はリュディアの盾に逸らされ、何度も攻撃を受け止めたマルコの棍棒は半壊している。
それでもピートは攻めることを選んだ。このままでは数が減る一方で、一対多数の状況を作れるのは今だけかもしれない。
何より、本気のリュディアと真正面から戦える。
「助けに行かないのか?」
「必要ない」
強く踏んだリュディアの足先から青白い氷が溢れる。
それはたちまち膨れ上がり、マルコの首から下を固定した。
「くそっ」
残ったゴーレムを放ってリュディアを牽制しながら、カティの傍まで下がる。追ってくる氷の波からカティの手を引き、走る。目指すのは、対岸で戦う後輩たち。
情けないと笑われても構わない。ピートたちが勝ちをさらうには、残りすべてのチームを巻き込んだ乱戦以外にあり得ない。
「行くぞ、カティ……!」
絶好の機会。そのはずなのに、ピートとカティの足が止まる。
「ごめん、遅くなった」
全身を焦がしたライラを担いでマリアが戻ってきた。
元の羽毛の美しさは失われているが、浅瀬に横たえられたライラはかろうじて息があるように見える。
「放っておいても良かったんじゃない?」
「溺れそうだったから」
「運営側で何とかしてくれそうだけど」
その言葉にカティの顔が歪んだ。
隣に立つピートが肩を掴んで駆け出していきそうなカティを制止する。
マリアは杖剣を握り直しながらも、アーシャのことを頭に浮かべた。樹霊を呼び出すなんて聞いていない。あまり無茶をしていなければいいけれど。
「カティ、やれるな」
「……うん。ライラの分まで、わたしが」
「気負い過ぎるなよ」
二人が杖剣を構える。
手持ちのゴーレムが少なくなったピートと、使い魔の援護が見込めないカティ。
一体どこまでやれるのだろう。そんなことを考えていると、爆発音と共に湖面が荒れた。
「っ!」
「
斬りかかってきたピートの頭上で閃光が弾ける。
視界が白く染まり、ピートの剣を受け損ねる、が。
その程度ではやられてあげられない。
炎で牽制する合間に爆発の方向を見れば、樹霊の姿が消えている。
元々ある程度体力の削られた樹霊は体内のエネルギーを放って攻撃するが、アーシャの造り出した樹霊は自分の爆発に耐え切れなかったのだろうか。
「よそ見、するな!」
一見無謀とも取れる突進の影から、二つのゴーレムが襲い掛かる。
だがそれも時間稼ぎにしかならない。後ろに下がりながらゴーレムを砕き、ピートの剣を受け止める。その、瞬間。
「マリア!?」
凄まじい衝撃がマリアを襲う。
何かがぶつかってきた。そう考える間もなくリュディアがマリアを庇うように動き、続く一弾をはじき返す。それは青く輝く氷の塊だった。
「ガイ!」
氷に閉じ込めてきたはずのマルコが腕を振りかぶって氷を投げる。
その足元ではガイがマルコの足元へ火をかざしていた。
「
「っ、
ピートとカティの呪文が収束する。
リュディアはそれに気づいていて、けれど水の下から現れた手に気を取られる。
マリアの体が意思よりも速く動いた。左袖に仕込んだ聖印に触れて、竜の血を呼び覚ます。
「
竜と化した左手で雷を受け止め、投げ返す。
マリアの魔力に影響を受けて赤く変質したいかずちは爆発的に拡散し、ピートとカティを焼いた。倒れ伏す二人を警戒しながらリュディアの方を振り向くと、ぼろぼろの、小さな体を抱えている。
「アーシャが取り逃がしたみたい」
「そう。ガイは──」
砂浜にある、巨体の影。
魔法により拘束されたマルコの足元で、今度こそガイは気を失っていた。
試合終了のアナウンスが響き渡る。けれどマリアは、手に残る雷の感触を忘れられずにいた。
【召喚】
契約に基づき、門の先から使い魔を呼ぶ
大型の使い魔を使役する魔法使いが好んで用いる
地面に魔法陣を描き、
門を架け橋とすることで、遠方から使い魔が現れる
只人の身で門を潜った者は
どこにも出られず消え去った
或いは狭間へ落ちたという