「お、始まったな」
小さく、しかしはっきりと響くその音に、マリアは目を瞬かせた。
荒れ果てた死者の王国にふさわしくないその音は、どうやら全域に響き渡っているらしい。念のためゴーレムを飛ばしていたリュディアがそう告げる。
「……ピアノ?」
「慰霊演奏っつーんだよ。
「これはリヴァーモア先輩が?」
「あぁ、どういうわけか録音じゃ効果ねぇんだよな。だけどこれはチャンスだ。あいつが演奏に集中する間、こっちは自由に動ける」
この繊細な音色をあの死霊術師が奏でている様子は、とてもではないが想像できない。だが余計なことを考えている場合でもない。マリアはほんの少しの興味を振り切って、ティムの背中を追った。どうせその先でリヴァーモアと相対することになるのだ。
先の戦い以降
「他の隊の状況は?」
「あたしたちが先行してます。まだ戦ってるところもある」
「
十分に周囲を確認してから、ティムがリュディアの剣と自身の杖剣を重ねる。
それである程度の戦況が確認できたのか、一つ頷いてから二人を座らせた。
「この分ならまだ余裕がある。今のうちに手の内擦り合わせんぞ」
そう言って、ティムは自身のポーチを開く。
そこには瓶や干した薬草、そして色のついた煙が封入された小瓶がぎっしりと詰まっていた。
「決闘リーグかどっかで見てるだろうけど、僕は錬金術師だ。それも毒専門のな」
「……それが全部?」
「あぁ。製法は外に漏らしてねぇから、大抵の奴には効くはずだ」
腰に巻いても走行の邪魔にならない程度のポーチ。
その中に納まる薬品は、量だけを見れば大したことが無いように見える。
だが、それらは毒殺魔とも称されるティム=リントン手製の毒。たとえ最高学年たる七年生でも、油断して掛かれるものではない。
「今回お前らと組んだのは治療に長けた奴がいるからってのもあったんだが」
「私の方、です」
「だろうな。じゃあ、ほれ」
かしゃん、と目の前で煙が弾けた。
甘い香りが鼻腔の奥へと届くと同時に、マリアの視界が大きく揺れる。
(──治れ)
しかし、未だ警戒態勢にあったことが功を奏した。
握ったままの聖印に魔力を流し込み、マリアはすぐさま毒を中和してのける。リュディアを制しつつその一部始終を眺めていたティムは、満足げに笑みを浮かべた。
「合格だ」
「っ、なにを」
「今のに反応して、この短時間で効果を打ち消せるんなら、毒を被っても問題無いはずだ」
「……あたしには一言あっても良かったのでは?」
「その様子じゃ止めただろ」
お前に効かねぇのは知ってるし。そう言って、ティムはポーチの整理に取り掛かる。
頭を押さえて思考の端にかかるもやを振り払おうとしていたマリアは、いつの間にかリュディアの腕の中に抱き留められていた。むっつりと黙りこくるリュディアの向こう側で、呆れたような顔をしたティムがこちらを見ている。
「リュディア」
「……」
「大丈夫だよ」
「…………もう少し」
後ろから抱き締めながら、首元に鼻を擦り寄せる。
普段ならともかく走り通した後なので、すこし恥ずかしい。
そうしてティムの呆れ顔が無表情に変わる頃、リュディアが顔を上げた。
「来た」
「やっとか」
リュディアの腕の力が緩む。
立ち上がったマリアに毒の影響はもう残っていなかった。
「戦闘はなるべく避ける。お前ら──特にターニッシュは治療用に魔力残しとけ」
「はい」
「行くぞ」
外の様子を伺い、壁を伝って路地に降りる。
そこから先は、ここまで以上に慎重に。しかし、他の隊から遅れないよう素早く。
慰霊演奏が効いているのか、
「この分なら早めに行っといても良かったかもな」
「いえ……この先に、誰かが」
「あ? ターニッシュ、どっか空き家探せ」
ゴーレムと視界を繋いでいたリュディアが警告を口にする。
ティムの指示を受けて近くの廃墟へ入ると、埃と塵に埋もれた狭い部屋が残っていた。
天井まであっただろう本棚も、もはや形を残してはいない。
「こっちに」
「おう。ターニッシュはそのまま周辺警戒、ムーングラムは
床に突き刺したリュディアの剣に、ティムが白杖を交差させる。
視界を共有しその人物を捉えたティムの表情が、不快気に歪められるのが見えた。
「……相手は分かった。前生徒会派の錬金術師だ」
「迂回しますか」
「いや、余所に行かれても面倒だ。ここで倒す」
◆◆◆
霊廟へ続く一本の大通り。
ティムの制止を受けて立ち止まった先に、見慣れない男が立っていた。
「──ようこそ、いらっしゃいませ」
「こんな野ざらしの店があってたまるかよ、腐れバーテン」
「君は相変わらずですね、ティム君」
落ち着いた振る舞いと成熟した外見。そして、改造されつつも元の形を残す
予めティムから聞いていた情報に誤りがなければ、あれはエチェバルリアの一派。
「悪巧みはあのエルフの役目だと思ってたんだけどな。ついに愛想をつかしたか?」
「もちろん彼女も来ていますとも。ゴッドフレイ統括の骨を取り戻すには我々も人員を割く必要がありますからね」
「そうかよ」
ゴッドフレイの骨を取り戻す。その目的はどちらの陣営も共通している。
しかし前生徒会が骨を手に入れれば、決闘リーグが終わるまで、もしかすると卒業までゴッドフレイの手には渡らないかもしれない。
「尻尾撒いて帰るなら見逃してやる」
「申し訳ありませんが、本日はこちらで待機することとなっております」
「ま、そうだよな。──やるぞ、お前ら」
マリアは杖剣に手を掛けつつ後ろに下がり、代わりにリュディアが前に出る。
それを見たベルトラーミが訝し気に片眉を上げた。
「後輩に守らせるとは。珍しいですね、ティム君」
「
無駄口には付き合わない。
そう言わんばかりにティムが風に毒霧を乗せて放った。通りを包むように充満したそれを、ベルトラーミは慣れたように自身の薬で打ち消す。
校舎で出会ったらまずはこのやり取り。そんな思考の裏を突き、霧の真っ只中を突っ切って、銀の光が眼前に現れる。
「ッ!」
「
辛うじてリュディアの剣を躱したベルトラーミの耳が、ティムの詠唱を捉える。
無害化したはずの色付きの霧に、新しい毒が混ざり始めていた。だというのに、時代錯誤な剣と盾を構えた後輩は、まっすぐベルトラーミを見つめている。
毒の作成に関しては天才的、しかし通常の薬はまともに作れない。そう評されていたはずのティムが、高々下級生と連携を取るためだけに解毒剤を作ったのか。
「……考えても仕方ありませんね」
元々数の上では不利な戦いだ。
生徒会の邪魔が出来れば御の字、骨を奪えれば上々。それも妨害行為と見做されない内に返還しなければならない。同輩のキーリギなどは何やら張り切っていたが、ゴッドフレイがいないとはいえ生徒会は精鋭揃いだ。味方の少ない前生徒会派の勝ちの目は薄い。
「
ベルトラーミの役割は足止めだ。
幸運なことに、相手は自身の危険性を熟知した現生徒会派、ティム=リントンである。自分を逃がしてはいけないことは分かっているだろう。毒の効かない生徒がいたのは予想外だが、ティムに守られている方はそうではないようだ。
(だとすると、彼女が自力で毒に耐えていることになりますが……)
崩れかけた廃屋に身を隠し、あの背の高い後輩へ考えを巡らせたその時。
ベルトラーミの周囲は一瞬にして凍り付いた。
「っ、
足先から這い上がってきた冷気に熱をぶつけながら飛び退るも、既に周辺は氷に包まれている。
奇妙なことに、足止めに期待していた
「……効いてるかな」
「マリアの魔力が、あたしの魔術を伝わってるのを感じる。大丈夫だよ」
大通りに面した家屋の一つ。
その屋根の上に立ったリュディアの足元から氷が薄く張っている。視界を埋めるほどの範囲に広がった冷気は、しかし
マリアが付与し続けている聖律の力が、
「先輩が上手くやってくれるといいけどね」
ベルトラーミは、この時点で退くことを決めた。
ここまで派手に事を起こせば、人手不足の生徒会とはいえ応援に駆けつけてくるだろう。
この冷気の中では持ち込んだ毒の殆どが十分な効果を発揮できなくなる。そんな状態で大規模な戦闘になるのは避けたかった。
「……潮時ですか」
少し離れた場所に待機させていた箒を呼び戻しながら、相手の位置を探る。
魔法の大元は大通りからそう離れてはいない。瘴気が満ちた王国内では箒の速度が出ないため、飛び上がった途端に撃たれるような場所は避けたかった。
「逃げんのか?」
大きく回り込むように移動していたベルトラーミの頭上から降ってきた声。
杖剣を向けるも、そこにあったのは蒼く輝くゴーレム。驚愕に目を見開くよりも早く、背後から突風が吹き付ける。周辺の水分が凍り付いてしまった環境にも関わらず湿り気を残すその風に感じたのは、張り付くような生命の鼓動。
「かっ……」
熱を求めて這い回る、極小の細菌。
正体に感づくと同時、自己領域内に発生させた炎で体表に蠢くそれを焼き尽くす。
肉の焼ける臭いが、何もかもが凍り付いた路地裏に充満した。
「
黒く濁らせた魔力で自らの姿を隠し、ベルトラーミは走る。
その背中をティムは追わなかった。箒に乗って王国の入口へと飛び去って行くのを確認し、後輩二人と合流する。霊廟は目と鼻の先だった。
◆◆◆
「早かったな」
霊廟の入り口に着いたマリアたちを出迎えたのはレセディだった。
その後ろにはオリバーとナナオ、それからユーリィもいて、こちらに手を振っている。
そしてマリアたちの反対側から生徒の一団が向かって来るのが見えた。
「こっちはバーテン野郎が出やがった。クソエルフも来てるって話だったが」
「あぁ、キーリギとはこちらで会敵した。……そのことで、少し話がある」
上級生二人が離れて行ったのを見計らって、マリアとリュディアは三人の下に走り寄る。
「オリバー」
「二人とも、無事だったか」
「そっちもね。なんか上級生に捕まったらしいじゃん」
「すごかったよ! レセディ先輩が木の間を飛び回ってね、」
「うむ、練り上げられた体術にござった。しかし……かなり消耗していたような」
興奮気味にまくし立てるユーリィの勢いに押されつつ、何とか怪我の確認を済ませた頃、レセディとティムが戻ってきた。
難しい顔をしたレセディと、にやとマリアへ笑いかけるティムの表情が少し気になる。
「作戦を一部変更する」
マリアが不思議そうに見つめる先で、ティムに小突かれたレセディが口を開いた。
「突入部隊の再編制だ。上級生はティムとカルメンの二人。三年はホーン隊とターニッシュ、ムーングラムの五人になる」
「それは……上級生に対して下級生が多すぎるのではないでしょうか」
「あぁ、本来なら下級生と上級生を一組で数える状況だ。だが……」
レセディは言葉を切って、天幕へ目をやる。
記憶を読む過程で事故があったのか、涙と吐しゃ物に塗れて憔悴しきったシャノンを、戦場へ連れ出すのはためらわれた。
「私を含め、今の状態ではリヴァーモアと戦うのに不安が残る。そこで」
「ほとんど消耗してない僕と、死霊術師のアニェッリが付いて行くって訳だ」
「──って訳らしいよ?」
する、とマリアの肩に腕が回された。
即座に剣を抜き放ったリュディアに対して大げさに距離を取った女生徒は、にやりといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「カルメン=アニェッリ、合流しました。……悪いね後輩ちゃん」
小さな鞄を背負い、おどけるように頭を下げた。
そんな振る舞いとは裏腹に生気が薄く、しかし内には呪詛を感じる。
ミリガンやサルヴァドーリとはまた違う薄気味悪さに、マリアは半歩距離を取った。
「来たか。突入部隊はお前とティム、それからこの五人だ」
「ホーン隊とは遺跡探索で一緒になったから知ってるけど、そっちの二人は初めましてだね」
「……えぇ」
声を掛けられ、笑顔を向けられて尚、リュディアは剣を仕舞うのを躊躇った。
マリアと同じものを、もしくはその眼にしか見えない特別なものを感じ取っていたのだろうか。
「これでも数は足りん、が、四の五の言ってられる状況でもない」
「経験はともかく、戦力的には十分だろ。こいつら五人で六年二人分くらいは見込めるぜ」
「お前の言う事はあまり信用ならんからな……」
「体力使い果たしておいて何言ってんだ」
「まぁまぁまぁ」
自分で出した指示に納得のいかないようなレセディと、今にも駆け出していきそうなティムが睨み合う。生徒会の外でもこの調子のようで、止めに入るカルメンに焦りは見られない。
「その辺にしておかないと、死霊が集まってくる。無駄に時間を与える訳にもいかないだろ?」
「ハァ……ホーン」
「はい」
最後にレセディは、オリバーの目をまっすぐ見つめて告げる。
「危ないと思ったらすぐに退け。ゴッドフレイはお前たちが死んでまで骨を取り戻したいとは思わん」
「わかりました」
「この馬鹿のことは置いて行って構わない」
「私は?」
「お前は
そう言って外を守る生徒たちの指揮に向かったレセディに背を向け、マリアたちは霊廟に足を向けた。
がらんとした霊廟には死霊の一体も安置されてはいない。床に杖剣を向けながら歩いていたカルメンが、入り口から少し進んだあたりで足を止める。
「ここだね」
「よし、離れてろよ」
ティムとカルメンの二人がかりで、床に魔法陣が敷かれていく。
「
円形に通された魔力が、霊廟の床をくり抜いた。
そのまま下へと爆発は続き、黒々とした穴が露になる。
「行くぞ」
まずはティム。その次にカルメンが。
待ちきれないとばかりにユーリィが飛び出し、それを追ってオリバーとナナオも飛び込んでいく。
マリアもリュディアと顔を見合わせて、二人同時に飛び降りた。
生者の気配が遠ざかって、落ちる、落ちる、落ちる──
【
世界に残る、神の掟。その第二法則
世界は死者蘇生を許容しない
永く生きる魂は、或いは蘇った死者の命は
黒衣の刃に刈り取られる
たとえ魔法使いにも例外は無く
生きた時間だけ罪は増す
死の巡行が、始まる