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小さな話し声。耳元をくすぐる感触。
マリアが目を開くと、何故か視界が横倒しになっていた。
「む」
体を押さえ込まれて身動きが出来ない中で、正面の、オリバーの膝に頭を乗せて寝転がるナナオと目が合う。その横では、もう片方の膝をユーリィが占領している。
視線を上に向けると困ったような表情でオリバーがこちらを見ていた。
「起こしてしまったか」
「……別にいいけど。私、どうなってるの?」
「リュディアが君を、そうだな、抱き枕にしていると言えばいいかな」
他の面々を起こしてしまわないようにひそめられた声で、マリアをがっちりと抱き締める者の正体が分かった。
とはいえ同じソファに座っていたのはリュディアだけだったから、確かめるまでもなかった。一体どうやってこんな体勢になったのかは気になるが。
「もう少し眠っていてもいい。時間はまだあるはずだ」
その言葉にマリアは首を振る。
睡眠は十分に取れていた。むしろナナオとユーリィに膝を貸していたオリバーの方こそ眠れたのか心配だ。
「二人は何の話をしてたの?」
けれどマリアが言っても変わることは無いだろう。
オリバーはそれを望んでいるのだから。
しかし、ナナオは一緒に寝ようくらいのことを言いそうなものだが、それよりも優先することがあったのだろうか。
「これからリヴァーモア先輩が行おうとしていることについて。マリアは、蘇生が叶わないことは知っているか?」
「うん。前に、シェラから聞いた」
魔法使いは、その体に寿命を持たない。
生きようと思えばいつまでだって生きていられるのだという。
「あぁ、と言ってもそれを確かめることが出来た魔法使いは恐らく存在しない」
魔法使いが齢二百を迎える日。
日付が変わると同時に、死がやってくる。
このキンバリーにも存在するという死の神霊。定められた時間を超えて生きようとする魔法使いを狩るために、世界が遣わすもの。
「そして、ひとたび彼らを退けたとしても、五十年が経つ頃にまたやってくる」
死の神霊は、生者に対して絶対的な優位性を持つ。
かの刃に触れれば霊体を削られ、こちらの攻撃は一切通らない。
丸一日戦い続けた末に、やっと生き延びることが出来る。
「『二百年越え』に成功する魔法使いは多くない。リヴァーモア先輩の曽祖父に当たる方も、死の神霊と戦って命を落としていたはずだ」
二百年を生きた魔法使いが培った力を持ってして尚、死に敗れるのだ。
千年を生きるという呪文学の教師、フランシス=ギルクリストがそれだけで偉大な魔女とされるのも頷ける。
「長く生きることを認めない世界が、蘇生を許すはずがない。リヴァーモア先輩の儀式は初めから失敗することが見えている」
「しかし、それを覆す方法があるのでござろう?」
「あぁ。二人も見ているものだ」
どうせ失敗するだろう。
そう考えていたから話し合いの可能性が持ち上がった時に飛び出さずにいられた。けれど、あのリヴァーモアが何の勝算も無しに儀式へ踏み切ることがあるだろうか。
「絶界だ」
オリバーの言葉で思い出すのは、熱く蠢く肉の壁。
オフィーリア=サルヴァドーリが作り上げた、歪な命が生まれる世界。
「この世界で蘇生は許されない。それなら蘇生を許容する世界を作ってしまえばいい」
「……本当に、そんなことが」
「緻密に編み上げられた術式と、それを行使できるだけの力があれば、世界の
ナナオの髪を梳くオリバーの手に、ほんの少し力がこもる。
世界を歪める力。恐らく魔剣もその類なのだろう。マリアは本当の魔剣を見たことはないけれど、サルヴァドーリの
「オリバー」
「ん、どうした、ナナオ」
「絶界というものは、いつか消えるものではあり申さぬか」
そうだ。
どれだけ優れた魔法でも、使い手の魔力が尽きてしまえば持続させることは出来ない。
無理に展開し続けた先に待っているのは、サルヴァドーリと同じ、魔に呑まれるという結末。
「……そうだ。だから、これから行われるのは蘇生の儀式でもあり、弔いでもある。俺たちは、儀式を見届けて、全てが終わった後に骨の一片を貰い受けて帰るんだ」
半生を掛けて追い求めたものが、一瞬の出会いの後に否応なく奪われる。
それが大切なものであれば、悲しみはどれほどのものになるだろう。
改めてリヴァーモアの行く先を理解して、シェラの話を聞いた時から燻ってきた思いが、マリアの口を衝いて出た。
「どうして」
「うん?」
「どうして、神さまはそんな
そうしたら、リヴァーモアと棺の少女が出会うことも無かった。
そんな言外の思いを感じたのか、オリバーは痛まし気に目を伏せる。長寿のエルフを母に持つシェラに、これを聞くのは躊躇われた。オリバーやナナオの親族にも同じ状況の人がいるかもしれないのに。
「死霊術に関しては、まだ謎が多い。ましてや神の考えを推し量ることなんて出来るはずがない」
「……」
「でも、そうだな。俺はみんなが生きたいと、生きていてほしいと願ったからだと思う」
「どういうこと?」
膝の上から自身を見上げるナナオを、良い夢を見ているのかにやにやと笑うユーリィを。
向かいで寝転がるマリアを、マリアを抱いて眠るリュディアを。
丸くなって目を瞑るティムを、意外と寝相の悪いカルメンを。
順繰りに見やったオリバーは痛みを思い起こすような顔で口を開いた。
「理由はそれぞれ違うだろうが、神はその願いを叶えた。神代は殖えることも減ることも神の手の上だったけれど、失いたくないという願いはあったはずだ」
かつて、自分と他人の境界が薄く、世界との繋がりが途切れていなかった頃。
それでも『我ら』が消えることに対する忌避感があったはずだと、オリバーは言う。
「そして神が死ぬ間際、
思いたいだけかもしれないけれど。
そう零したオリバーは、どこか泣き出しそうに見えた。
◆◆◆
「──始める前に確認しておく」
リヴァーモアが寄越した骨の従者に連れられて、マリアたちは儀式場へと足を向けた。
床に敷かれた魔法陣と、中央に置かれた棺。そして魔法陣の端ぎりぎりに設置された小さな小屋。
広大なこの空間こそ、玉座であると。かつて聳えた黄金樹の威容とその姿が重なる。
「何が起ころうとも絶対に手を出すな。そちらに危害が及ぶことはない」
「当たり前だろ。何やってんのかも分かんねーんだ」
「理解できたとて、手を出す気にはなれないね。大人しく見守らせてもらうよ」
つい数刻前までの、殺気立った魔力の持ち主とは思えない。
深い海を覗き込むように。底知れない魔力が、リヴァーモアの体に渦巻いている。
これから始まる大儀式を、否応なく予感させた。
詠唱が始まる。
一人離れて立つリヴァーモアの足元から、魔力が泥のように広がった。
空間に満ちる魔力すらも、白杖の下に統べられていく。
リヴァーモアが白杖を掲げた。
その動きに呼応するようにして、魔法陣の端から黒い糸のようなものが立ち上がる。
幾億ものそれが重なり合い、紡がれながら、周囲を黒に染めていく。
空が、黒い繭によって鎖される。
カルメンが目だけで周囲を見渡した。死霊の気配が濃くなっている。
光の失われた繭の中で、ただ詠唱の声だけが響き渡る。
マリアがそっと手を伸ばした先に、冷たい指先が迎えてくれる。
今は、それだけがよすがに。
黒の中にぽつぽつと光が灯る。
どこか暖かさを感じる淡い輝きが、空間を満たしていく。
──『
そうして、絶界は成った。
明かりの無い黒天の下で、無数の
死者が目に見える程集まっていながら、生きる意志に満ちた世界。もし、いなくなってしまったフィアがこの光景を見たら喜んだだろうか。
「
リヴァーモアは間髪入れず、その杖を魔法陣の中心、棺へと向ける。
執拗なまでに掛けられた錠前が外れ、蓋がずれ始めた。太古の空気がじわりと漏れ出す。
「
魂を直接観測することはできない。
しかし肉体を失うことが死を意味しないこの世界において、魂は力の塊である。
それ故に、マリアたちは、棺からゆらめく何かが出ていくのを見た。
「……失敗か?」
棺の隣に安置された少女の肉体。
確かに魂が宿ったはずのそれは、動き出そうとしない。
ティムが思わずといったふうに呟くと、リヴァーモアの低い声がそれを否定する。
「目覚めさせる。
出力を絞った雷撃が少女の胸を撃つ。
びくんと痙攣した肉体の中で、血液が循環を始め、頬に血色が戻る。
小さな口から空気を取り入れ、吐き出し、瞼が開いた。
「
少女は、聞きなれない言葉を叫びながら床を転がる。
深く息を吐いたリヴァーモアの口元が緩んでいるのを見てしまったマリアは、シャノンの言う『大切』を実感した。彼女が、リヴァーモアの全てだったのだ。
「
「……
起き上がり、触れ合う二人の会話はうまく聞き取れないが、
寂しさすら感じてしまうほどの、温かさがあった。
「なんて言ってるかわかるか?」
「はて。古代言語かな? グウィンの奴がいればわかったかもしれないが」
儀式は成功したも同然。そんな気の緩みが広がっていた。
ティムとカルメンは二人の会話を何とか聞き取ろうとしていて、ナナオとユーリィは呑気に周囲を見渡している。もしオリバーが手を繋いでいなければ、今にも駆け出して行ったことだろう。
ふと顔を上げると、リュディアが眉をひそめて周囲を探っていた。
「……どうしたの?」
「なんか、違和感ってほどじゃないんだけど……何だろ」
違和感。
絶界は開かれ、棺の少女は生き返った。
うまく行き過ぎていると言えばその通りだが、リヴァーモアの周到な準備によるものだとすればいいだろう。それでも拭いきれないとしても、リュディアが口を出すなど許されない。
「私も気を付けておく」
「お願い。気にし過ぎなら、それでいいから」
マリアとリュディアが相談する内に、リヴァーモアが少女を連れてこちらへ向かってきた。
くるくると少女の体が回るたびに、杖先に灯る魔力光が色を変える。以前見たオリバーの属性変換の練習に似ているが、それよりもずっと滑らかで、美しい。
「
「私の復活祭に来てくれてありがとう……だそうだが、こいつの話は粗方聞き流して構わん」
「
微妙な表情のオリバーに感じるものがあったのか、ファウと名乗った少女がリヴァーモアの袖を引く。
面倒くさそうにしつつも、リヴァーモアの表情は穏やかだった。ひと言、二言話してから、二人は絶界の端の小屋へと歩を進める。
流石に衆目の中で死霊術の秘奥とやらを伝えるつもりはないらしい。今のところ、リュディアの言う違和感の正体はわからない。最後までわからなければいい。
「……あれ?」
いつの間にか砂地に変わっていた足元を弄っていたはずのユーリィが声を上げた。
視線の先は、
「なんか、来る」
ぱきり、と。
空間の一点に罅がはしる。
小屋の入り口に差し掛かったところで、リヴァーモアとファウも同時に振り返った。
「……まずい。あれは」
罅が亀裂に、亀裂が穴に。
砕けた世界の向こう側はただ暗く、滲むようにしてぼろぼろの黒衣が現れた。
風で飛ばされでもしたかのように漂うそれから骨の腕が伸びる。中空を掴んだ手には、一切の光を反射しない大鎌。顔があるべき場所に青白い炎が湧き出した。
「──
二百を超えて生きることはならず。死より蘇ること、能わず。
ただ死に逝くことのみが許される。
神霊とは、そうした現象である。
【
二百年生きた魔法使いの下に現れる、神霊
冷たい刃を振るう死の具現
神の残した呪いにして、霊体を刈り取る黒衣は
全ての魔法使いの怖れであった
その存在は皮肉にも
魔法使いを高みへ引き上げる試練となる