「──
その姿を視認したリヴァーモアの顔から血の気が引く。
絶界の結びが完全ではなかったのだ。頭の冷静な部分がそう囁くのを他人事のように感じながら、白杖を抜き放つ。
「
リヴァーモアの詠唱に、ファウの声が重なる。
それに応えて地中から湧き上がるのは、二十を超えた
絶界の
「奴を止めろ!」
見慣れぬ骨獣を呼び出す者。呪詛の嵐を巻き起こす者。
中でも一際目立つのは、青白い炎に包まれたかに見えた者だった。骨と皮だけで出来た、巨大な鳥の雛。そんな異形へと変じた古人が耳を塞ぎたくなるほどの金切り声をまき散らすと、空を漂っていた霊魂たちが翼を形作るように集まってくる。
「死儀礼の鳥……!?」
居合わせた後輩たちの方から聞き捨てならない言葉が聞こえたが、努めて無視する。
あの体は、リヴァーモアの分家から預かってきたものだ。霊魂そのものではなくその行き着く先、死後の世界について探求を行っていた家系の末娘。
原因不明の火災によって
「KYOOoooooO!」
死儀礼の叫びに呼応するように、黒衣の死神が動き出す。
今は亡き神の後押しを受けるかの如く、振りかざされた大鎌は一振りで
「サイラス、」
「下がっていろ、ファウ」
己の名を呼ぶファウを押し止め、下がらせる。
言いたいことは察せる。死霊術は
死そのものに対して死者をもって対抗することの愚かさは、説明せずとも理解できるだろう。曽祖父たるダグラス=リヴァーモアは、あれを相手に戦い、そして死んだ。
あの時の曽祖父よりも力量が勝るとは言えない。絶界にしても、家に受け継がれるものを引き継いだだけだ。
「……まだ足りない、か」
実力不足は、誰よりも、己自身がよく知っている。
それでも退けない理由が、すぐ後ろにある。
「
背中から、ファウが驚く気配が伝わってくる。
古人たちの遺骸が泥のように溶ける。元々この絶界は、ファウと共に歩いた砂浜を元にデザインされた。そして海と陸の狭間は、生と死の境界でもある。
「■」
泥濘の騎士。
文献に残るのはただそれだけ。死肉の成れの果てである灰の塊は、下肢を失った人と馬を合体させたような外見へと姿を変えた。
異形の
だが、それでも。どれだけ強力な個体であろうとも、
人が死儀礼の鳥に変じ、死体が銀の塊となって
この場の誰にとっても予想だにしない状況に、ようやく理解が追い付いた。それは、すぐ隣まで迫った命の危機から目を逸らそうとしていただけかもしれないけれど。
「……手ェ出すなよ、頼むから」
青褪めた顔でそう口にするティムは、ポーチに手を突っ込んだままの体勢で固まっていた。
咄嗟に対抗手段を判断しかねたのだ。死の神霊は、性質としては
「狙いはあの少女だ。私たちが刺激しない限り、矛先が向くことはない」
死霊術師でもあるカルメンにとって、天敵といってもいい存在。
そんなものを前にして、彼女はオリバーの前に立って庇おうとする。ただの先輩後輩というよりも、もっと別な感情によって動いているようにも見えた。
「ゴッドフレイの霊体が無事で済むかはわからないが、こんな状況じゃレセディも文句は言わないだろう。もちろん、君たちが気に病むことではないよ」
だから、動かないで。
無意識に刀に手を伸ばしたナナオと、
ただ、あの二人を見殺しにすれば済む話だった。
「っ!」
死儀礼の鳥の首が果実のように飛び、残った体が崩壊していく。
返す刃を銀色の騎馬兵の胸元に突き入れると、何の抵抗も感じさせぬまま両断した。
ほんの数分。それだけの時間でリヴァーモアの兵は尽き、そして彼らの命運もまた同様に、風前の灯火かに思える。剣を抜くことは、できない。
「ぐぅっ……」
「サイラス! 早く私を」
「下がっていろと言っている!」
自ら刃に身を晒そうとするファウを庇いながら、リヴァーモアは死を迎え撃つ。
逃げ道は自ら塞いだ。増援は見込めない。
ファウを差し出してしまえば命は助かる。それを理解できないはずもない。けれど、
「
絶界内の地形であれば、ある程度自由は効く。
だが、いくら
「……まったく、仕方ないなぁ」
傷ついていくリヴァーモアの背中で、ファウは微笑む。
どうあっても自分を前に出してくれることはない。それを理解してしまえば、出来ることは一つだけだった。リヴァーモアが仕立ててくれた杖を自らの胸に向ける。
棺越しに何度も聞いた声が、ようやく触れられた温かさが。
一呼吸の間に何度も過ぎり、ついに、詠唱が成った。
死は、その動きを止めていた。
黒衣に浮かぶ青白い炎がゆっくりと振り返る。
眼球など存在しない、揺らめくそれが、確かに下手人を捉えた。
「なにを……」
ティムも、カルメンすらも
紺よりも暗い瞳に激情を湛え、オリバーは口を開いた。
「使命を果たせ、サイラス=リヴァーモア! 魔法使いに世界の赦しがいるものか!」
リヴァーモアは死者のために命を捧げようとした。
ファウは自分の生まれてきた意味を、たった一人のために放棄しようとした。
互いのためにどこまでだって懸けられるその心を、どうしようもなく守りたいと思ったから。
「参ろうぞ、オリバー」
「確か神霊って殺せないんだよね? どうやって戦おっか」
それでこそオリバーだと言わんばかりに笑みを浮かべたナナオと、冷静に見えて未知への好奇心に駆られたユーリィ。隣に立ってくれたことへの感謝も詫びも、今は不要に過ぎる。
「思いつく手はあるから、私にも手伝わせて」
「帰ったら覚えてなよ、オリバー」
マリアとリュディアも、二人に続く。
リヴァーモアとファウの別れが、あんなものに邪魔されるのは許せない。
珍しく感情を露にしたマリアの前にリュディアが進み出た。蒼い瞳がオリバーに釘を刺す。
「……ほんとに? いやまあ、こうなったらやるしかないけどさぁ」
死霊術師としても呪者としても格段に相性の悪い相手に、カルメンはそれでも剣を抜く。
巻き込んでしまったことへの後悔は、背中に感じた衝撃にかき消された。
「馬鹿野郎……手ェ出すなって言っただろうが」
オリバーの背中を叩いたティムが、リュディアとナナオの間をこじ開けて前に出る。
「聞いたな、リヴァーモア! 僕らが押っ
「──恩に着る!」
おおよそリヴァーモアには似つかわしくない言葉にあっけにとられ、大鎌を振りかぶった
今にも命を手にせんと、死の御使いがこちらを向いていた。
◆◆◆
「向こうの攻撃には絶対当たらないように! 霊体を持って行かれるよ!」
「【聖律共有】」
カルメンの言葉と同時にマリアが杖剣を掲げると、その場に金の光が満ちる。
死に生きる者に対して絶大な効果を発揮する聖性は、果たして神霊に通用するのだろうか。
「
威力よりも命中精度を重視して放たれたオリバーの雷撃に、
「
「
カルメンとティムの減速呪文が命中し、ぎりぎりでリュディアが壁を打ち立てた。
結晶の表面を細かく削りながら、黒い霧が絶界の天井まで昇っていく。強度を無視して削られていく感触に、リュディアが顔をしかめた。
「……降ってくる」
「集まれッ!」
上空で雲のように固まった霧に、ユーリィがぽつりと言葉を漏らす。
それを聞きつけたティムの号令で集まったマリアたちは上空に向けて杖を掲げた。
「
頭上に風の障壁を展開させるのと、雲が崩れるのはほとんど同時だった。
雨となって降り注いだ死が障壁を蝕んでいく。マリアたちの周囲に落ちた雨はたちまち地面を溶かし、黒い煙が上がる。軋みを上げる障壁が、全員でなければ耐えられないという無慈悲な結末を予言するようだった。
「これ、周りから」
「伏せて!」
何かを
リュディアの言葉で低くした頭の上を、重力雷が奔る。
「【星砕き】」
体が持ちあげられそうになるほどの重力球が死の槍を絡めとり、突き放す。
一塊になった
「
運命の死が解放され、本来の力を取り戻した黒炎。
それは二節呪文による後押しを受けて、
しかし火が消えたそこ何の痕も無く、ただ揺らめく黒衣が残るばかりだ。
「大火力の攻撃は控えた方がいい。あれに死という概念はない」
「死がない……」
「それよかレイクだ。お前、アイツの動きを見切れるな?」
束の間の空白。
大鎌が再度形を成す間に、ティムが問いかける。
「はい!
それがなんであるかは関係ない。
ただ、この場で全員が生き残る可能性を上げられるなら、何だっていい。
きっぱりと請け負ったユーリィにティムはにやりと笑いかけた。
「よし、お前は下がって全体に指示出せ。んでヒビヤとムーングラム、前衛いけるか?」
「承知」
「了解です」
この中で最も剣技に卓越したナナオと、盾を使った防御重視の戦いを得意とするリュディア。
この二人で押さえておけば、そうそう変形しながらの攻撃は出来ないだろう。向こうはなぜだかこちらの刃を律義に受けてくれている。それが続くうちは、前衛に頼る。
「後で取り除くから、勘弁しておくれ」
カルメンの手から薄い靄が飛び出し、全員の頭に吸い込まれた。
ほんの少しの気持ち悪さと、生ぬるい湯を介して全員と繋がっているような感覚。呪詛を使った感覚の共有だと気づいても、マリアはそれを受け入れた。
「ホーンとターニッシュは一旦待機。前二人がヤバくなったら交代だ」
「──来ます!」
流れる風のように、死がやってくる。
二手に分かれて刃を受け止めるナナオとリュディアへ向けて、呪文の援護が放たれた。
死が形を持たず、自動的に魂を奪う仕組みであったなら、今のような攻防は成立しなかっただろう。だが、そんなことは死そのものも十分にわかっている。だから、
「二人とも、下がってっ!」
突如として黒い穴に変わった
世界に生まれ落ちた時点より受ける、死の運命。それを手繰り寄せることで、死へと誘っているのだ。
「待ってたぜ、その手に頼るのを!」
「マリア、何を」
どういうわけか引力の影響が弱いリュディアがナナオを引っ張って逃れる。そこへ攻撃を繰り出したのは、ティムとマリアの二人だった。
ティムのスカートの中から飛び出したのは、たっぷりと霊薬を貯めこんだ使い魔。最高峰の治療薬とされるそれのもつ癒しの効能が、死を遠ざける。
マリアは距離を取ろうとする他の面々の間をすり抜けて前に出た。その手に握られるのは、本来の輝きを取り戻した黒き剣。引力に任せて体ごと振り回された剣は、緋い閃光となって飛んでいく。
「うわっ!?」
次の行動を聞こうとしていたユーリィの耳に飛び込んできたのは、有り得ざる
大量の生のエネルギーを取り込んで大きく形を崩した死は、黒き光刃によって真っ二つに両断され、何の痕跡も残さずに消滅したのだ。
カルメンが、それを為した元凶、マリアへと目を向ける。
「
「……わからない」
見せてはいけない力だった。
それが実感としてふつふつと湧いてきて、しかしマリアはそれを黙殺した。
全員が生きて帰った時に心配すればいいことだった。
「皆、まだ来てる!」
「っ!」
初めに
そこから、再び骨の腕と大きな鎌が現れていた。
「一体しか現れないところをみるに、絶界は十分機能しているようだね」
「お行儀よく長ーい行列作ってるってとこか。向こうさんも暇なこって」
「だがこちらにも対抗策が出来た。Ms.ターニッシュ、さっきの剣はあと何回使える?」
カルメンに問いかけられたマリアが、魔力の量を計る。
戦闘が始まってから何度か魔法を使ったが、指輪から魔力が流れ込みつつある今なら。
「あと3回か4回。でも、休憩を挟めばもう少し」
「よし。前衛は変更なし。隙を見せたら、いけるね?」
マリアが頷きを返すと、カルメンは満足そうに笑った。
この場で唯一の最上級生として、諦める訳にはいかない。
けれど。
限界は訪れる。
「ハァッ!」
攻撃を受けてはいけない。
それは戦いにおいてあまりに致命的な制限であり、加えてこちら側からの攻撃が効かないことも、リュディアとナナオの神経を擦り減らす要因となっていた。
二対一の戦いで必然的に生まれる隙が隙足り得ず、しかし離れることも許されない。
「避けて!」
脳裏をくすぐる呪詛の感覚に身を委ねて左右に跳んだ。
その後ろから迫る光刃が
指輪を介して流れ込む魔力と残り少ない自身の魔力を混ぜ合わせながら行う戦闘は、体力と精神の両方に多大な負担をかけていた。
「レイク!」
「はい、まだ来てます! 結界も段々脆くなってるみたいで」
「そりゃそうか、死人が生き続けてるんだからな!」
「二体目が入って来たらすぐに伝えること。その後は、まぁ、運次第かな」
呪詛の総量を調整しながら絶界内を探っていたカルメンが、いずれ訪れる結末を口にする。
ティムは前線の二人へ集中薬を投げ渡した。効果が切れた後が怖いが、疲労が溜まったまま戦わせるより幾分ましだ。薬を飲んで死ぬか、飲まずに死ぬかの違いでしかない。
「ナナオ、まだいける?」
「無論。終わりのない戦は何度も潜り抜けてござる」
「頼もしいよ」
同じだけ戦い続けているにもかかわらず、ナナオの顔に疲労の色はない。高まった魔力循環を示すかのように、真っ白に染まった髪が流れる。
しかし、さしものナナオですら、余裕を保っていられるのはこの瞬間までだった。
絶界全体に罅が入る。初めに
「ユーリィ!」
足元で蠢く影を捉えられたのは、一歩下がって戦場を俯瞰していたオリバーだけだった。
中空に現れた二体に気を取られたユーリィを突き飛ばし、その間に割り込む。投げ出された体勢からでは防御もままならない。実体を現すと共に形を成した刃が首筋に迫る。誰もが最初の犠牲を確信した、その時。
「──遅くなってごめんね、サイラスの学友たち」
戦場に響く、穏やかな声。
死神の刃はオリバーの首筋に触れる、その一歩手前で停止していた。
扉の前に立ったファウは、満ち足りたような顔で微笑む。本来の目的を完遂するために動き出した
「ぁ……」
ぐらりと傾いだ小さな体を支え、リヴァーモアは絶界の中心に向けて歩き出した。
記憶よりも沈み込まない砂地。どこからともなく聞こえる潮騒。棺に入っていたファウを背負って、何度も歩いた砂浜の音だった。
「ありがとう、サイラス……
最後の息が漏れる。
ファウの死と共に役目を終えた絶界が崩壊していく。意志ある死者たちがその姿を曖昧にさせ、仮初の肉体が塵となって消え失せる。最後に波の音を響かせて、死人の世界はその役目を終えた。
「……リヴァーモア」
「持って行け」
ぶっきらぼうに声を掛けたティムへ、一つの骨片が投げ渡される。
多少変形してこそいるが、纏う霊体は紛れもなくゴッドフレイのもの。
「校医に渡せば、後は勝手に治すだろう。今回の件で大きな借りが出来たことは忘れん。
──だから、今は行け」
当初の目的は果たされた。
元の石造りの大広間に戻った空間に、ティムは無言で背を向けた。
リュディアの手を借りて立ち上がったマリアは、部屋の中央に座り込むリヴァーモアを振り返る。小さな体を抱えたその背中からは覇気が抜けてしまったようだった。
「最期に彼女が笑っていたのなら、あなたは後悔するべきじゃないんだ」
オリバーが、最後に伝えた言葉。
返答はなかったけれど、それは確かに聞き届けられた。
【巌の心臓】
竜餐の末、褪せ人の体に生じた心臓
人の身で古竜に至る、最初の一欠
たとえ死んだとしても、姿は戻らず
竜と化した時に逆鱗へと変わる
王が成した竜餐は坩堝に触れていた
故にその身は赤みを帯び
暗月の律の獣と成る