第1節
マリアの向かいで、アーシャががりがりとペンを走らせている。
リュディアのゴーレムに記録された映像と、マリアから直接聞く話。それらは大層知識欲を刺激したようで、決闘リーグの最中でなければ迷宮に駆けつけて行ったことだろう。
「絶界に、復活、死の神霊……! いやぁ、大変でしたねぇ」
羨ましいとか、自分も見たかったとか。
そんな言葉をいくつも飲み込んで押し出されたそれに、マリアは曖昧に頷いた。アーシャは学年の制限から置いて行きこそしたが、あの場に居たら解決策を見出していたかもしれない。無理を言って連れて行くべきだっただろうか。
「遊びじゃないんだからね、アーシャ」
「分かってますよ。聞く限りだとわたしじゃ役に立たないでしょうし」
「……そうなの?」
アーシャのことだから、霊炎とか魂とかには何らかの対抗策を用意しているものだと思っていた。モーガンの件で見せた死かき棒や泥人の魔術など、マリアが触れてこなかったものを持っている。
それをそのまま伝えると、渋い紅茶を飲んだ時のようにきゅっと眉が寄った。
「運命の死とか、大ルーンとか、特別なものは何もないですからね。
ソファに立てかけられたその剣は本来そんなふうに扱っていいものではないのだが、特別ではないと言い張るつもりらしい。 第一拾い物がどうとか言ったら、マリアが持つ力に自前のものなどほとんどない。精々が体の頑丈さくらいだろうか。
「あんたは聖水壺とか色々持ってるでしょ」
「金輪草だって今どき見ないんですから、無駄遣い出来ませんよ。祈祷があればいいんですけど」
「……ごめん」
「えっ……あっ!? いえ、マリア先輩のせいではっ」
現在、狭間の地に祈祷を扱える者はほとんどいない。
最も盛んだった王都は灰に埋もれ、黄金樹の祝福でかろうじて生き長らえてきた者たちも消えてしまった。
ミリエルを迎えて研究を進めているそうだが、その基礎となる祈祷書も現存していないのだ。
「祈祷書を持ち逃げした聖職者のせいでしょ。今も行方不明だし」
「あの金仮面卿も手配中ですから。責任なんて押し付けちゃっていいんじゃないですか?」
「二人が悪いことしたわけじゃないし……」
おそらく黄金樹の秘密に最も近づいた人物である金仮面卿。
そして、マリアが渡した祈祷書を持っているはずの聖職者コリン。
マリアが狭間に居た頃から捜索が行われているが、二人の痕跡は脱ぎ捨てられていた衣類以外に発見できていない。特に女王マリカとラダゴンの関係に気づきかけていた金仮面卿は、今後何らかの脅威となる可能性がある。
「あたしたちが卒業するまでには進展があるだろうし、そんなに気にすることないよ」
「……うん」
沈みかけた思考を打ち切り、改めてアーシャへ向き直る。
決闘リーグ前とはいえ、あれだけの激戦を繰り広げた後にはちょっとした慰労会が行われるのが剣花団の通例になっていた。しかし、アーシャからの呼び出しを受けて、こうして工房に集まったのである。
リュディアが新しい紅茶を淹れ直し、アーシャも居住まいを正した。
「今日集まっていただいたのは、わたしの今後について相談したかったからです」
「研究を辞めたい、とか?」
「いえ、それはずっと続けていきたいくらいなので」
照れくさそうに笑うアーシャに、図書館で会った時のことを思い出す。
沢山の本に囲まれて、好きなものに好きなだけ時間を使う。それが楽しくて仕方がないのだと語る姿に、夢中になれるものがあることの素晴らしさを見た気がした。
しかし、それ以外で思い当たることはない。ちらとリュディアを見てみると難しい顔をしていた。
「単刀直入に言います。マリア先輩、わたしの
ぱちり、とまばたき。
色素の薄い瞳がまっすぐにマリアを見つめている。
「あるじ」
「はい。いきなりこんなことを言われても、ご迷惑でしょうけれど」
「……説明」
リュディアがぼそりと呟いたそれに、アーシャは頷いた。
「わたしは、猟犬騎士の血を引いています。マリア先輩は彼らをご存じだと聞きました」
「うん。見たことも、戦ったこともある。でも」
猟犬騎士。
彼らの内情をマリアは知らない。
身を低く構え、肩に担いだ大曲剣を体ごと振り回す。独特なステップに翻弄されて何度も切り刻まれたが、それだけの相手だ。言葉を交わしたこともなく、唯一ブライヴが裏切者と呼んだ、彼の名前だけを知っている。
「猟犬騎士となる者は言葉を失い、一匹の獣として生きます。でも、わたしはそれが嫌でした」
どちらかといえば、前者のような気がした。道具を使うことも術を学ぶことも、獣とは縁遠い行いだ。
「わたしはわたしのままでいたい。人のまま生きていたいんです」
「でも、私を主にしたら、そうなっちゃうんじゃないの」
「そこは黄金の祝福に期待しています。むしろ、そっちが本命というか」
申し訳なさそうに言うアーシャだったが、マリアはむしろ納得していた。
黄金樹の祝福は不変の力。それを実感したのが森に落ちていた排泄物だったのは嫌な思い出だが、それを施すことが出来ればアーシャの望みも叶うかもしれない。
だが、実現にあたって気になることがいくつかある。もちろん、不安なことも。
「私は祝福を与えるとかできないんだけど」
「普段の様子を見ていれば、まぁ。その研究をさせてほしいっていうお願いでもあります」
普段の様子とは。
特段力を持て余しているとかそんな実感はないのだが、正式に教えを受けたものなど戦技くらいしかない。リュディアやアーシャから見れば、何かもったいない使い方をしていてもおかしくはない。
「祝福だけ欲しいって言えばよかったのに」
「主がいた方がいいみたいなんです。当然あるものがないって精神的に悪影響と言いますか、下着つけるの忘れた日みたいな」
「なるほど?」
例えはともかく、言いたいことはわからないでもない。
最近誰かと一緒に寝ることが増えて、一人では寝つきが悪くなってしまったのだ。
誰もいない洞窟の入り口で体を丸めて休んでいた日のことなど思い出したくもない。
「ラニには相談したの?」
「出自から何から、全てお話しています。その上で、あの方には解決できないと」
「ふぅん」
ラニが掲げた暗月の律は、緩やかに回っている。
完全な停止は望めないだろう。もしかするとそれも含めてアーシャを送ってきたのかもしれない。
こんな質問を繰り返すまでもなく、とっくにマリアの心は決まっていた。
「──わかった。いいよ」
マリアの言葉で、ほっと安堵の笑みを浮かべたアーシャの隣に座る。
灰色の瞳は気の緩みからか少し濡れていて、柔らかな気配が戻っていた。
「ありがとうございます。わたし、本当にどうなってしまうかと」
「私はどうすればいい?」
「……じゃあ、最初に。ハグをしてもらえませんか? 匂いを覚えたくて」
主従の契約を結ぶかと思えば、案外簡単なお願いだった。
恥ずかし気に身を屈めるアーシャの頭を抱え込むと、胸元に鼻先を擦りつけられる。
血が繋がっていないのだから当然と言えば当然だが、リュディアとは髪の柔らかさも匂いも違う。少し高い体温がぐりぐりと押し付けられる。
しかし、何かに気づいたようにぴたりと動きを止めたアーシャは、恐る恐るマリアから離れた。
「あの、姉さんは……」
そういえば、さっきから一言も話そうとしない。
アーシャと一緒に黙りこくったリュディアの方を見ると、心底嫌そうに顔を歪めてマリアとアーシャを見ていた。二人から見つめ返されてため息をつき、する、とマリアの腕を取る。
「別に、マリアがいいならそれでいいし、あんたが大変そうなのは知ってたから。でも」
小さな体を強く抱きしめる。
本当は、マリアのものという立場を、誰にだって渡したくない。
マリアが頼るのは自分だけにしてほしい。なんだって受け入れてくれるマリアを独り占めしたい。
けれど、マリアが望むのなら。
「言うのは今だけにするけど……ずるい」
「姉さんもあんまり人のこと言えないですよね」
「はぁ?」
「二人とも、喧嘩しないで」
にじり寄ってくるアーシャと腕の力を強くするリュディアの間で、マリアは二人を窘める。
そろそろいい時間だ。ついに明後日に迫った決勝戦に向けて準備もしなければならず、
「皆で一緒に寝よう。これからのことは、また明日」
「……覚えてなよ」
「姉さんこそ」
これまで以上に打ち解けられたような気がして、マリアは薄く笑みを浮かべた。
この後寝る順番でひと悶着あることを、マリアはまだ知らない。
◆◆◆
良く晴れた日だった。
闘技場の大歓声が、マリアたちのいる控室まで響いてくる。
マリア率いるターニッシュ隊の相手はコーンウォリス隊。シェラがいるところだ。
スカートからパンツスタイルに変えたアーシャが動きの確認をしている間に、マリアはリュディアと共に最後の調整をしていた。
「先鋒はあたしでいいの? シェラが来ても抑えてはおけると思うけどさ」
「うん。最初にシェラが来てくれるならいいけど、そうじゃなかった時を考えると任せたい」
「全力で戦いたいんだもんね。任された」
力強く頷いたリュディアの胸元で、大粒の輝石が光る。
試合では使わないだろうが、万が一のために持ち込んだリュディアのとっておきだ。
視線に気づいたリュディアの指が、銀の装飾が為されたそれを撫でる。
「これを着るのは久しぶりだ」
「ルール違反じゃないのが不思議ですけどね」
「流石にこんなの想定してないんじゃない? 実際ほとんど意味ないし」
「一回使ったら次から禁止になりますよ」
「だから奥の手なんだよ」
会話に割り込んできたアーシャは物好きを見るような目をしていた。
弓の時といい、今といい、アーシャはリュディアの戦い方には疑問があるようだ。
「次はわたしが出ていいんですよね」
「そう。あの二人がいる以上、間にシェラを挟んだりはしないはず」
半人狼であるウィロックとその主であるコーンウォリスは、切っても切れない関係にある。先鋒・中堅か中堅・大将、そのどちらかの組み合わせで出てくるはずだ。
そして半人狼の強みは有り余る体力と頑強さ。控えさせておくのはもったいない。
「中堅はウィロック先輩でほぼ確定。猟犬のわたしなら、勝機があります」
「向こうはそれを知らないわけだから、なおさらね」
「危なくなったらすぐに退いて」
「分かってますって。大事な役目もありますし」
マリアを主と定めたアーシャは、半日で猟犬のステップをものにした。
武器も曲剣から大曲剣に変え、本格的に猟犬騎士としての自分を受け入れ始めている。そこにこれまで積み重ねてきた知識が噛み合った時、どれだけの力になるかは想像もつかない。
「大将は、私」
「思いっきりぶつかってきなよ。絶対邪魔はさせないから」
「本戦では楽しませてもらいましたから、わたしもお手伝いしますよ」
マリアは剣花団の皆と戦いたくて、今、ここにいる。
カティとガイ、ピートに続いてシェラで四人目。いつも世話になりっぱなしなシェラに、自分を頼ってもらえるように。肩を預けても大丈夫だと信じてもらえるように。
「ターニッシュ隊、入場!」
監督役の上級生から声がかかる。
マリアたちが歩を進めると、段々歓声が強くなってくる。
「それじゃあ、行ってくる」
マリアとアーシャは闘技場の端へ。
リュディアはそのまま階段を上がり、予想の一つでもあった相手に声を掛ける。
「先鋒はシェラじゃないんだ」
西側から上がってきたのは、ステイシー=コーンウォリス。
当初の予想通りにいけば、次がウィロックで最後にシェラだろうか。
温存しておくべき戦力にも思えず、シェラにはチーム決め以外にも何か制限がかかっているのではないか。そんな考えがよぎる。
「お生憎さま。私はそこまで単純じゃないのよ」
「どうだか。取っといても仕方ないでしょ」
「そんな思い込みがいつまで通用するか、見ものね」
これ以上語る言葉はない。
そう示すように、コーンウォリスが杖剣を抜く。
それに応えてリュディアも盾を下ろし、剣を構えた。
「両者構え──試合開始!」
【猟犬騎士】
猟犬として訓練を受けた、執念深い追跡者
その過程で人語を失い、物言わぬ獣に成り果てる
彼らは一様に自我を持たず
昂る本能の内にあって、主を決して裏切らない
原初の大罪の後に生まれたものは
我を失う恐怖と共にある
もはや黄金は、永遠ではあり得ない