「
戦いの火蓋を切ったのは、コーンウォリスの詠唱だった。
撃ち合いを望んでいるのかもしれないが、生憎付き合ってはやれない。
そんな思いを巡らせるリュディアを襲ったのは、息をつく暇もない矢継ぎ早の詠唱だった。
「
呪文の精度や出力と引き換えに、速射性を向上させる技術だ。
どうやら向こうは、ウィロックが出てくるまでの三分間をこれで凌ぐつもりらしい。
「フゥ──」
通常の三倍もの弾幕を前にして、リュディアは踏み込んだ。
最低限のステップで躱しながら、どうしても避けきれないものは盾で逸らす。徐々に距離を詰める内に、コーンウォリスの顔が険しいものになっていく。
雷撃呪文は速度と威力に優れるが、呼気の少なさと曖昧な
「っ、
一度吐き切ってから息を吸い直し、自分よりもリュディアに近い位置に壁を立てる。
剣を握る手首が返されるのを見届けると、コーンウォリスは身を屈めて斬撃をやり過ごした。元々脆く作ってあった壁は切り口から崩れ始めている。
「
そこへ炸裂呪文をぶつけてやれば、爆発と共に粉塵がまき散らされる。
流石のリュディアも目の前で爆発が起これば攻撃を中止せざるを得ない。
「
周囲に風を起こしながら、領域知覚に集中する。
幸いというべきか詠唱の声は聞こえない。その分呼吸を回復させる時間を与えていることにはなるが、煙が晴れれば先程の応酬が繰り返されるだけだ。その初動を掴まなければ。
「
右手側。盾を持たない腕。
咄嗟に体を捩って声の聞こえた方向に盾を向け、力場を発生させる。
たとえ威力が増していたとしても正面からなら受けられる。その考えを裏付けるように、細いままの雷撃が土煙を突き破って飛んできた。
「っ!」
未だ領域知覚を手放していなかったリュディアは、直上から魔法が降ってきていることに気が付く。しかし今からでは盾の防御は間に合わない。そう悟り、剣を避雷針のように掲げる。
一節呪文では考えられない威力のそれを、同一の属性を纏った剣で受け止め逸らす。ナナオが得意とする、諸手切り流し。
「……しぶといわね」
「それはどうも」
余裕ぶって見せてはいるが、上手く流せなかったせいで痺れが残っている。
震える右手を隠すように半身になったリュディアは、上空で散っていく雲を視界の端に捉えた。
先ほどの雷撃は空に仕込んだ雷雲から落としたものだったのだろう。一度の詠唱で曲射と直射を同時に放てるわけもない。無意識のうちに油断していたということだ。
「──
コーンウォリスが連続詠唱を再開する。
試合開始当初よりは彼我の距離は縮まっていたが、これからは迂闊に攻められそうもない。
もしくはリュディアも呪文戦に応じれば同等に戦えるだろうが、狭間の魔術は消耗が激しく、こちらの魔法ではあちらに分がある。
「
一方コーンウォリスの側も、躊躇する理由があった。
開幕時点では、連続詠唱によって威力が下がっているために押し切れないのだと思っていた。しかし、仕込みの雷撃をほとんど不意打ちに近い形で当てて、それでもなお無傷でいることは想定していなかったのだ。
躱されるか、相殺されるか。そのどちらかを選ぶと思えば、剣で受けると同時に呪文を流される。クーツの切り流しに近い結果は、相手の技量が自分を上回っていることを示していた。
「……仕方ない、か」
どのみちシェラとマリアが出てくるまでに落としておきたい相手だ。これ以上、冗長な戦いに付き合っている暇はない。
「
「
リュディアの剣から、青白い魔力の刃が伸びる。
それは詠唱途中だったコーンウォリスの雷撃を割り、翻った彼女の制服の端を切り飛ばした。
焦りを帯びた表情を隠し切れないコーンウォリスを追って刃を振るう。通常の切断呪文には無い持続性。それを遺憾なく発揮した奇襲によって、コーンウォリスが初めて傷を負った。
「ぐっ……」
肩口についた小さな傷跡。
動きに支障はないだろうが、攻撃を当てられた結果はそのままプレッシャーになりうる。
リュディアは闘技場の床に転がったコーンウォリスへ追撃を試み、しかし背後に迫った刃によって防がれた。
「時間掛け過ぎです」
「……悪かったよ」
「おや、珍しい」
三分が経過した。
コーンウォリスが大きく回り込んだのが仇となり、飛び出したウィロックとの間にリュディアが立つ形になってしまっている。そのままコーンウォリスの方へ向かおうとしたウィロックを止めるのは、長大な曲剣を背負ったアーシャだった。
「お相手しますよ、先輩」
「……お前」
低く腰を落とした構えに、ウィロックが眉をひそめる。
人狼体の彼と酷似したその姿勢のまま、アーシャは両の足と、鍵爪を付けた左手で地を蹴った。
目の前にいたはずのアーシャの姿が掻き消え、次の瞬間には懐に潜り込まれている。大きく振るわれた刃を間一髪で避けながら、ウィロックは直感した。
彼女は、自分の同類だ。
「オォォッ!」
両足を即座に変身、爆発的に増した脚力で反撃に出る。
驚愕に見開いた目に、まだまだ未熟だとどこか安心しながらも、油断はしない。
狩りは慢心した者から死んでいくのだから。
「
半人狼の強み。それは、魔法を使える余地を残したままの変身にある。
歴史上多くの人狼を切り刻んできた魔法使いたちが到達し得なかった領域に、ウィロックは今立っていた。コーンウォリスとの信頼が、自身の魔法使いとしての素養が為せる、ある種の奇跡。
「っ、」
そこにアーシャは食らいつく。
マリアが貸してくれた猟犬の長牙は、驚くほどすんなりと体に馴染んだ。
それはアーシャが否定したがっていた、猟犬としての本能だった。
「フ──」
特殊な歩法により、一時的に姿を消す猟犬のステップ。
床との摩擦を低減させて移動距離を伸ばしたそれは、ウィロックを翻弄し続けている。
牙も、爪も、剣すらも。霧のように掻き消えるアーシャには当たらない。けれど、ウィロックの眼は、高揚した表情の裏に滲む疲労を見逃してはいない。
「はっ、はっ……!」
呼吸が荒くなる。
目の前の獣が自分よりも強いと分かってしまう。
それでも、止まらない。止められない。動き続ける中で高まる熱が、体を突き動かしている。
「
「
後ろからの援護を受けて、ウィロックが突っ込んできた。
自ら放った魔法のすぐ後を追うように飛び掛かり、切りつける。
雷撃は巨剣陣で撃ち落とされたものの、ウィロック本人はそうはいかない。大曲剣よりもずっと短い杖剣が、アーシャの太腿を深く切り裂いた。
「っ、
派手にまき散らされた血液から赤黒い茨が伸びる。
ウィロックの杖剣に付いた血からも伸び始めたそれに、戸惑ったように距離を取った。
互いに後方、チームメイトの下へと戻り、アーシャはぐっと顔をしかめる。魔術を使った時の手ごたえから分かっていたことだが、出血が激しい。
「止血できる?」
「えぇ。……すみません、前衛をお願いします」
魔力は使わず、筋肉や血流を制御して流れ出す血を止める。
ひどく痛むがどのみち足は治せない。元々魔力量もそう多くはないのだ。
アーシャを庇うように立ったリュディアは、燃え盛る杖剣を構えたウィロックと向き合う。
「お前も
「違うよ。あの子だけ」
「──
アーシャを指してそんなことを言うウィロックに否定の言葉を投げつけ、その背後から飛んできた魔法を逸らす。結局のところ、攻勢に出られないというだけで、リュディア一人でも相手は足りる。
そんな戦況を打ち崩す要因と成りうるか。
マリアとシェラが、闘技場に上がってきた。
◆◆◆
マリアは、正面から姿を見せたシェラに向かってゆっくりと歩き出す。
シェラも闘技場の中心へ歩を進め、二人を囲むようにして、両陣営が体勢を立て直した。
「アーシャ、大丈夫?」
「……あまり。飛んだり跳ねたりは難しそうです」
「調子に乗るから」
血を流し過ぎたせいか、アーシャの顔色が悪い。
それを窘めるリュディアも、剣を頻繁に握り直している。
どちらも、マリアの我儘のために負った傷だ。ルールに抵触しない範囲で血止めを施す。
「それで、どうだった?
「五分五分かな。無理な作戦ってわけじゃないし」
「観客席にはいませんね。どこからか見てるのは確実ですけど」
「そっか」
杖剣を抜いて、一呼吸。
そのままどちらともなく戦闘を再開した。
「
コーンウォリスが放つ、大火力の二節呪文。
前に出たリュディアが防ぐと同時に、マリアもシェラの方に飛び出した。
温存する理由はない。そのはずなのに、シェラはエルフ体への変身を切ってはこない。
「ウォオオォッ!」
マリアの横腹を狙って飛び込んできたウィロックは、伸長した青白い刃に跳ね飛ばされる。
斬れなかったことに舌を打ちつつ、リュディアがコーンウォリスとウィロックを遮るように立った。この二人をマリアの下に向かわせるわけにはいかない。
ウィロックはますます姿勢を低くし、まるで剣を持った獣と戦っている気分だった。アーシャとの立ち合いで慣れたつもりだったが、そのさらに下へと潜り込む。
「なっ、」
すれ違いざまに伸ばされた脚。
そこへ刃を合わせ、腕を襲った衝撃と甲高い音に思わず声が漏れる。
編み上げのブーツの爪先に、鋭い爪が見えていた。さっきまでは使わなかった、二段階の変化。
狙う的を一つに絞って、主従の連携が真価を発揮する。
「
コーンウォリスの詠唱と共に、爆発と共に広がる黒煙がリュディアを包み込んだ。
それはマリアとアーシャからの援護を妨げ、しかしウィロックには匂いで居場所を悟らせる。
変化と共に生え伸びた体毛が足音を殺し、深手を負わせる。そういう段取りだった。
「ッ!?」
今まさに飛び掛かろうとしたその先で、煙が巻き取られていく。
下手人はリュディア。剣を高速で回転させ、煙を払っているのだ。明らかに魔法剣の術理に反するそれに、踏み込むのを一瞬ためらってしまう。
その一瞬が、命取りだった。
「フェイ、右!」
焦りを帯びた主の声を受け、ウィロックは杖剣を振るう。
ずぶりと肉に食い込む感触と共に、凄まじい力で床に引き倒される。仰向けに倒れたウィロックの腹の上に重い塊が圧し掛かった。
「ぐ、うぅっ!」
アーシャが苦し気な声を上げながら、青白く光る杖を押し付ける。
輝石掘りたちが使う魔術である岩盤発破は、動いている相手に対してほとんど効果を発揮しない。しかし、こうして上を取り、頼みの杖剣も使えないのなら、
「
アーシャとウィロックの頭の上。
そこに浮かぶものが、もう一つ増えた。
リュディアの攻撃をかいくぐって、コーンウォリスが浮かべた満月。それを見たウィロックの体がめきめきと音を立てて変化していく。
「さっさと、倒れろ!」
「Woooooッ!!!」
首元に押し付けられた杖を筋肉の肥大だけで跳ね返し、今度はウィロックがアーシャの上を取る。もう爪も剣もいらない。鋭く伸びた牙がアーシャの首筋に突き刺さった。
「かっ……」
筋張った肉を感じながら、殺してしまわないよう慎重に牙を抜く。
念のため口内に溜まった血を吐き出して、コーンウォリスの援護に向かおうとしたウィロックは、ふと体が動かないことに気が付いた。
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほどに、体が冷え切っている。唯一動く眼球が捉えたのは、宙に揺らめく青い頭蓋骨。
「怨霊、たち」
足元からの声も、もはや耳には入らない。
主たるコーンウォリスの最後を見届けることも出来ず、ウィロックは立ったまま気を失った。
一方、当のコーンウォリスは、リュディアの猛攻を受けきれなくなっていた。
元々の魔力量は多い方だが、試合開始直後からの連射や立て続けの二節呪文の行使によって、底が見え始めている。肉体の強化や魔法剣にも魔力を使う以上、余力はほとんど残っていなかった。
そして、現代に残る魔法剣の術理に、盾を持つ相手に対する技はない。
「こんなことっ」
これまでの戦いから分かってしまう。
リュディアは何らかの目的──次の試合を見据えてか、魔力を温存していた。
その状態で妹を庇いながら二人を相手に戦い、今、コーンウォリスは追い詰められている。
「うぁっ!?」
リュディアの剣を受け流したかと思えば、切っ先同士が吸着していていた。
たたらを踏んだコーンウォリスの頭を強い衝撃が襲う。意志に反して崩れ落ちた背中に剣が突き刺され、コーンウォリスの視界が暗く落ちた。
「はぁ……」
思ったよりも手強い相手だった。
リュディアは血だまりの中に倒れたアーシャの懐をまさぐり、それからマリアの下に駆けつける。
マリアとシェラは互いに小さな傷を負っていたが、決定打はどちらもない。それは、シェラがエルフ体への変身を解禁しないことも理由の一つだろう。
「……アーシャは?」
「駄目だった。あたしがどっちもやるよ」
二人がそんな会話をしている間も、シェラは立ち尽くしていた。マリアとリュディアの二人がかりでもまだ勝ち目はあるだろうに、ぐっと目を瞑ったまま動こうとしない。
「シェラ」
マリアの呼びかけに、シェラはゆっくりと顔を上げた。諦念の籠った花緑青の瞳が固い意志を帯びる。
「ごめんなさい、スー」
その言葉とは、裏腹に。
耳が長く伸び、溢れる魔力で髪が揺れる。
人としてのシェラが成長すると同時に、エルフとしてのシェラもまた成長している。一年生の時に見せたそれとは、比べ物にならない魔力の質。
「それじゃ」
「うん」
対し、マリアが前に出て、リュディアが下がる。
訝し気に眉を寄せたシェラへ、マリアはまっすぐに剣を向けた。
互いに本気でぶつかり合ったことのない二人。競い合う相手とも思っていなかった。
「行きますわ」
「──いいや、そこまでだ」
最初の詠唱を舌に乗せようとして、シェラの頭上に影が差す。
弾かれたように顔を上げた先に浮かぶのは、箒に逆さまにぶら下がる人影だった。
「お父様」
闘技場に降り立ったセオドールの背中は、マリアには見えていない。
しかし、彼を前にしたシェラの表情が青褪め、強張るのが目に入った。
「今、何をしようとしたのかわかっているのかい」
「あたくしは、」
「君の力で勝たせたって意味はないよ。本当は、気づいているんだろう」
二の句の告げなくなっていくシェラに、マリアは嘆息した。
こうなることは半ば予想していた。そのための策だって練ってきた。
リュディアとアーシャに負担を強いるのも覚悟していたつもりだった。
それでも、いざ目の前にしてしまうと、判断を下すことを躊躇してしまう。マクファーレンの家の問題に、家族を知らない自分が首を突っ込んでもいいものか。
「それでもっ、返したいのです。あの子から奪ってしまったものを」
「いいや。僕の娘に生まれた時点で、君は一生奪う側の人間だ」
家族として、一番身近な人間としての言葉とは思えない。
体温を欠片も感じさせないその冷たさは、マリアの迷いを一息に消し去った。
「──お願い」
「了解」
蒼い閃光が、駆け抜ける。
その勢いのままに、セオドールの背中に向けて剣が振るわれた。
「何の」
つもりだ、と。そう言ったはずだった。
横向きの重力がセオドールを引きはがし、闘技場の端へと飛ばす。
咄嗟に刃を合わせたそれが、視認して初めて剣だと気づく、その速度。
「ここが分水嶺だ、セオドール=マクファーレン」
銀色の騎士ががマリアとシェラを背に立っていた。
兜の中から聞こえる、くぐもった声。それは間違いなくリュディアのものであり、しかしそれは決定的に異なる響きを帯びていた。
「このまま乱入者として立ち去るか、邪魔を続けるか」
「……悪いけど、娘との約束なんだ。それは守られなければならない」
「ならば、良し」
手の中で剣を模した石の杭を砕く。
同時に闘技場の中央が灰色の壁で区切られた。
リュディアはセオドールの眼前で、その決意を口にする。
「しばらく足止めさせてもらう」
友人として、騎士として。
任されたものを投げ出すわけにはいかない。
【石剣の杭】
石剣の鍵を元に作られた
虜囚を封じる石の杭
封印の時間は封牢よりも短く
その動力も使い手の魔力に依存する
黄金樹に反する力は、封じられる定めにあった
それが英雄であったとしても