一体何が起こっているのか。
シェラには、目の前の光景が全く理解できなかった。
灰色の霧に阻まれて、吹き飛ばされた父の姿を見ることは出来ない。
そしてマリアは何事もなかったかのように剣を構えている。
「……どういう、つもりですの」
「決闘リーグが始まる前に言った通り、私は皆と全力で戦いたい。それを邪魔されたくない」
「それは……それは、出来ませんわ」
「どうして?」
ひどく苦し気に泳ぐ目は、霧の向こうに向けられていた。
一生奪う側の人間だ、なんて言葉を否定できない自分自身がいるかのように。
きっと、マリアがいくら言葉を重ねてもそれを変えることはできない。旧家には口に出すのも憚られるような慣習があることを、キンバリーで過ごす内に耳にしている。
「約束したのです。決闘リーグに出る代わりに、決して本気を出さないと」
約束。
確かにシェラの性格を考えれば、破ることに躊躇いを覚えるのも分かる。
だが、そうであるのならそもそも約束を交わすべきではない。それに足るだけの理由があったのだろうか。それとも、昔のことをダシにセオドールに脅されているとか。
「決闘リーグが始まる前、あたくしが言ったことを覚えていますか?」
「うん。ルール考案にセオドール先生が関わってるから、私達とは出られないって」
残念そうにしていたシェラの顔が浮かぶ。
あの時はマリアも不満に感じていたのだが、剣花団と別れて行動するにはいい機会だとも考えた。あの時点からシェラは決闘リーグに関する制約を背負っていたのだろう。
「父は気に入った生徒を贔屓にする方ですからね。念のため、というのもあったのでしょう」
「まぁ、それはそう」
思い出すのは一年生の時。相手がコーンウォリスだったとはいえ、ピートへの接し方は問題があるように思えた。それを根拠に不正が行われると考えるのは、むしろ自然な思考といえる。
だがそれは、セオドールが審判など当日の判断を行う立場であれば出来ることだ。だがそこは魔法剣の教師であるガーランドにほぼ一任されている。その状態である特定の生徒だけに有利なルールなど作りようがなく、そこまで露骨であれば顰蹙を買いかねない。
「ですが、それはあくまで建前。本当の理由は別にあります。あたくしと同学年の大半の生徒では、力の差がありすぎるのです」
「……?」
だからどうしたというのだろう。
確かにエルフ体に変化したシェラには、ナナオですら敵うかわからない。
けれど、それが力を制限する理由になるだろうか。マリアは今一人で相対しているが、ここに来るまでにリュディアとアーシャの力を借りてきた。これは個人戦ではなく、チーム戦なのだ。
何も自分一人で立ち向かおうなどと思う必要はない。
「そう考えられる生徒がどれだけいるか、という話です」
シェラは嘆息して、観客席を見渡した。
いつまで経っても斬り合わない二人を訝し気に、つまらなさそうに見る姿。
勝敗は決まったも同然と信じ切っているその目は、友人たちを軽んじられているようであまりいい気分にはならなかった。そう思っていたのは、シェラ自身も同じだということに気づかないままに。
「あたくし一人で勝ててしまうなんて、出来レースどころの騒ぎではありませんわ」
「でも、それはシェラが悪いわけじゃ」
「もちろん、父もそれをわかっているでしょう。だから秘密裏に声を掛けたのです。生徒たちのやる気を保ち、運営を円滑に進めるために」
あたくしも納得はしているのです。
そう言ってシェラは困ったように笑う。
マリアには、それが無性に気に入らなかった。シェラに迫るだけの強さを見せられていない自分自身にも、教師としての立場を優先したセオドールにも。
「──じゃあ、私が本気のシェラを倒したら、先生もわかってくれるかな」
「……ぇ」
加減するとはいえ、競技相手だ。頼ろうとしない気持ちはわかる。
だったらあくまで敵として、シェラを真正面から打ち破ってやればいい。そうすればセオドールも、くだらないことを言う必要がなくなるだろう。
頼りきりだったシェラにも、もっと寄りかかってほしい。支えさせてほしい。
今のままじゃだめだと思うから。
「やろう、シェラ。私は最初からそのつもりだったんだ」
そう宣言したマリアに対し、シェラは杖剣を鞘に戻した。
本人の気持ちをないがしろにすることは出来ない。そうして諦めかけたマリアの目の前で、シェラは両手で自身の頬を張る。
ぱしり、とわりあい強い音が鳴った。
「腑抜けていたのはあたくしの方だったようですわね」
真っすぐマリアを見つめる瞳。
杖剣に掛ける手に迷いはない。ただ一人を見つめて、告げる。
「胸を借りるつもりで参りますわ、マリア」
言霊を紡ぐよりも前に、シェラの周囲に電撃が走る。
精霊と親和性の高いエルフならではの現象は、行使する魔法の強大さを表しているようで、
「
二節呪文と見紛う威力だが、しかし狙いが下に向きすぎている。
カティとピートの収束呪文を投げ返したところを見られていたか。しかしそれにしたって目くらましにもならない。そんな疑問は、ゆっくりと前傾姿勢を取ったシェラによって解かれた。
「【制止】」
視界いっぱいに広がったシェラの姿。
咄嗟に使った祈祷は真正面から打ち破られ、しかしその勢いを削ぐことには成功した。
前方に飛び込むように転がったマリアの目に、床に伸びた焦げ跡が映る。先ほど放たれた雷撃をそっくりなぞるようなその跡と、突きの姿勢からマリアへ向き直るシェラの姿。
「
「
体勢の悪さを誤魔化すように大きな竜巻を起こしたマリアに対し、シェラはまたも雷撃を放つ。
砂埃が舞う竜巻を一本の雷撃が突き破り、一拍遅れて人影が現れる。
これを待っていた。
「【獣爪】」
長く伸びた爪を床に突き立て、五本の衝撃波を発生させる。足元を狙ったその攻撃は命中こそしなかったものの、シェラは跳ねるようにして大げさに距離を取った。
今の流れで、あの技の性質を図れたような気がする。
あれは初めに放った雷撃に乗って高速で移動しているのだ。だから呪文よりも遅く飛び出す必要があり、足場を崩されると弱い。
「
駆け出したマリアに向かって、炎が放たれる。
得意とする属性でなくとも、威力は普段の何倍にもなっていた。
マリアはそれを躱すでもなく、正面から突っ込んだ。大火力の呪文への対処法は、オリバーが教えてくれた。
「
剣先に火種を作って火球へ突き入れ、そのまま解くように後ろへ流す。
火の僧兵たちが用いる祈祷は火への干渉力が強い。まだ攪乱魔法を使いこなせないマリアなりのアレンジであるが、それはシェラも見慣れている。
「シッ!」
指先、手首、顔。
当たれば致命傷になりうる部位を狙っての突きを二連斬りで弾き、さらに懐へと踏み込む。
あの突進攻撃は呪文を撃たせるタメと移動距離を与えなければそこまで怖くはない。それにこれだけ近づいてしまえば体の小さいマリアの方が有利になる。
「【嵐の刃】」
ほとんど密着した状態で、剣に風を纏わせ振るう。
風の扱いに長けたアンドリューズを幼馴染にもつためか動揺を見せずに受けられてしまったが、それでも頬に一筋の傷が残った。
初めてマリアがシェラに負わせた傷。
喜びよりも先に感じた力の差を、マリアはすぐさま振り払った。
まだ、届く。
◆◆◆
霧に隠された闘技場の向こう側で、リュディアはセオドールと向かい合っていた。
薄く見える結界が外と内を完全に鎖していることに気が付いているのか、すぐさま暴れ出そうとはしなかった。むしろ左手で額を押さえて立つその姿の方が不気味ですらある。
「……面倒なことをしてくれたね」
マリアとシェラの決闘が終わるまで、黙って立っていればいいのに。
そんな希望的観測を打ち破って、セオドールが口を開く。
「これはマクファーレンの問題だったんだ。マクファーレンだけの問題に出来た」
「そんなものを学生のイベントに持ち込まないでくれます?」
「……誰が悪いかと言ったら、それは僕だ。けれど黙って見ているわけにもいかない」
セオドールが剣を鞘に納めた。
一瞬とはいえリュディアが脅威たることを知った上での行動に、警戒心を募らせる。
しかし、セオドールの言葉には、少なくとも表面上は誠意あるものだった。
「どうか引いてはくれないだろうか。今ならまだ間に合うはずなんだ」
「友達との約束なので。その辺、理解してもらおうとは思わないですが」
結局、何と言われようとリュディアが道を空けることはない。
この状況に持ち込めたことすら奇跡に近しいのである。霧の向こうで何が起こっていようとも、リュディアはここでセオドールを押さえ込む。それがマリアの願いであり、リュディアの役目だ。
「……そうだったね。
セオドールは、礼をするかのように手刀を胸の前で構える。
傷つけはしないという意思表示か、はたまたそれだけで十分なのか。
リュディアも盾を引き、剣を斜めに掲げた。魔術で編み上げられた鎧は金具が擦れる音すら上げはしない。だから、リュディアの耳にはセオドールの息遣いがはっきりと聞こえてくる。
「いくら詫びたって足りないだろうけど──押し通らせてもらうよ」
目の前からセオドールの姿がかき消えた。
普段だったら捉えられない動きを、強化された目が追っていく。
回り込むかと思えばそのままリュディアの背後へ向かい、杖剣を抜き放った。
(隙だらけだ)
セオドールの視線は前方の霧に固定されている。ブラフかとも思えるが、リュディアが輝剣を展開してなお振り向く素振りも見せない。
狙うは心臓。初めから殺す気で掛からなければやられるのはこちらの方だ。
半自動的に射出される輝剣を追って踏み込んだリュディアは、しかし自らを巻き込むようにして現れた圧力に、慌てて距離を取る。
「フゥ……」
おおよそリュディアの観測し得る上で、セオドールが二つに分かれた。
元居た場所に一人。それより前方、結界に触れるほどの場所にもう一人。元々存在したセオドールへ向けて、埒外のエネルギーが押し寄せる。
題して、第二魔剣『
セオドール=マクファーレンの切り札の一つである。
「へぇ」
だが、それに対峙する封牢もまた、狭間の秘術の一つ。
時に街一つを収める封印を、ただ一人を抑えるためだけに用いている。
その代償を、セオドールは杖剣の粉砕という形で負うことになった。完全に力を制御していたが故に自らへ帰って来ることはなかったが、直接魔力を通した杖剣が耐えられなかったのだ。
「っは……」
リュディアの背をどっと冷や汗が流れる。
ラニからの通達にあった、魔剣と目される絶技。
ただ一度の行使でリュディアの魔力の半分を持って行ったそれを連発されては、結界どころかリュディア自身も無事では済まなかっただろう。
「困ったな」
「!」
「剣が無くては魔剣は使えない。魔剣が通じない結界を破る方法なんて思いつかないや」
「何を、言って」
「建前の話さ」
塵になった杖剣を払い落しながら、セオドールが振り向く。
その瞳には奇妙な光が宿っていた。まるで、こちらに期待しているような目。
「何も好き好んで君たちの邪魔をしている訳じゃない。言い訳くらいにはなる」
細められた目がリュディアを見据える。
本当はマクファーレンの問題だとか、そんなものはどうでもいいと思っているのではないか。
そうとしか感じられないような、煮え滾る狂気を隠そうともしないセオドールに、リュディアは知らず知らずのうちに唾を飲んでいた。
「ナナオの“剣の君”はもう決まってる。だけど、刺激は必要だろう?」
この男は、リュディアを利用するつもりでいる。
ここから出られないという、セオドール自身にしかわからない嘘を盾にして、剣の君とやらとは別の形に鍛え上げようとしているのだ。
セオドールを足止めすること。それはマリアから託された使命であるはずなのに、今、リュディアはセオドールの掌の上にいる。
「加減はしてあげられないけれど、構わないね」
結界を背に立つセオドールの間合いは、限りなく死地に近いものだった。
リュディアに残された道はそこへ踏み込むことだけ。
「望むところです」
かろうじて絞り出したその言葉を受けて、セオドールは不吉に笑った。
【カーリアのアミュレット】
カーリアの青、それに次ぐ輝石が埋め込まれた首飾り
代々カーリアの騎士長に受け継がれてきた秘宝
月の女王に連なる者の魔力で解き放たれ
瞬時に鎧となって彼らを守る
重量は存在せず、魔力と聖に対して高い耐性を持つ
一騎当千の魔術騎士たちは
王家の衰退と共に姿を消した
これを受け継ぐ者が、女王の剣と成り得んことを