「ははぁ、成る程。君の魔法の基礎にはこの青い剣があるわけだ」
セオドールが輝剣を容易く摘み取るのを前に、リュディアは荒く息を吐いた。
鎧を維持しながらの戦闘はこれまでにも経験がある。格上と相対したことも、マリアには及ばないまでも幾度か。けれど、封牢の維持がここまで負担になるとは思わなかった。
「こ、のっ!」
「おっと」
とっくに見切られているカーリアの大剣を囮に重力弾を打ち込む。
そのまま引き寄せられるはずが、セオドールの足は闘技場の床に張り付いたように動かない。目を丸くしたセオドールに向かって剣を振るうも、体捌きだけで避けられる。
さっきから、この繰り返しだ。向こうは一度見た技には引っ掛からない。そして初見の魔術でも対応してくる。手札を後ろから覗き見られているような不気味さがあった。
「どうしたんだい」
「!」
「これで終わりなら、とんだ期待外れだよ。まだあるんだろう?」
見せてごらん。
そう言い放ったセオドールの頭上に氷霧の塊が現れた。
面白がるように頭で受け止めたそれは急速に広がり、リュディアの姿を隠していく。
セオドールは視覚から領域での知覚に切り替え、そちらでも薄れつつある気配に笑みを深くした。
「【流星群】」
詠唱が響いた。
霧を突き破って青白い流星が飛んでくる。その数は十や二十ではきかず、複数の魔法使いが連携して放てるだけの密度は、いくらセオドールでも無事では済まない。
そのはず、だったのに。
「かっ……」
「油断したね」
背後から斬りかかったリュディアの脇腹に、手刀がねじ込まれる。
内臓を握りつぶされるような痛みに、リュディアはたまらず膝を追った。
喉の奥からこみ上げてきた熱いものを押しとどめるだけの体力はない。
「ごほっ、ぅげぇっ」
面頬を跳ね上げて嘔吐する背にセオドールの視線を感じる。
追撃はない。ただの視線が、しかしリュディアにとっては侮蔑に等しい。その程度の力で歯向かったのかと、言葉よりも雄弁に語りかけてくる。
震える手で剣を掴んだ。まだ終われない。そんな思いとは裏腹に、結界が揺らいだ。危うく手放しかけた結界の制御に意識を割くと、それを見透かされたかのような言葉が降ってくる。
「そろそろかな」
「っ、」
「……君は分かりやすくていけないね。まぁ、よく頑張ったと言っておこう」
時間の感覚は、セオドールと対峙する内に消え失せていた。
一体自分がセオドールとシェラを分断してからどれだけの時間が経ったのか、まるで把握できてはいない。だが、たとえ外では試合が終わっていようと、この男を逃がしてはならない。
リュディアはマリアの役に立ちたいのだ。ただの好意でもなければ、恋慕でもない。自分でも説明できない感情に突き動かされて、リュディアは立ち上がる。
「次が、最後です」
「ふむ」
「確かめてください。あたしがお眼鏡に適うかどうか」
「いいよ。全力で来たまえ」
リュディアは自身の周りに三つの呪文衛星を浮かべた。属性は、重力。
歩を進めるごとに、足元に魔法陣が広がっていく。それはかつてレアルカリア学院全域を覆っていた、魔術の威力を高める陣。
足元が青い光に包まれ、周囲を重力弾に囲まれようと、セオドールは動かない。それをいいことに、リュディアは宙に向けて剣を掲げた。
「【アステール・メテオ】」
虚空から小隕石を呼び、対象に向けて落下させる大魔術。
リュディアはそこに残った魔力の全てを注ぎ込んだ。
門が広がり、視界すべてを覆い尽くすような巨岩が現れる。重力に縛られたセオドールに避けるすべはなく、そもそも結界に嵌まり込むような大きさでは逃げ場すら存在しない。
「あぁ、くそ」
血液がごっそりと失われたような不快感と共に鎧がほどけ、意識が暗闇に落ちていく。
封牢もじきに解かれるだろう。リュディアには、セオドールの末路を見ることも、マリアを迎えてやることも叶わない。
「……ごめん、マリア」
最後まで、目を開いていようと思っていたのに。
倒れ込んだリュディアの耳には、もう何の音も聞こえやしない。
「──肝が冷えるよ。
額から血を流しながら、セオドールは立っていた。
その腕の中にはリュディアが抱かれており、傷の一つも見あたらない。
初めから、セオドールはリュディアに傷を負わせるつもりはなかったのだ。
焦ったのは先ほどの魔法。全力を見せるとは言っていたが、気絶した上に自らを巻き込む魔法など、それこそ魔に呑まれる以外に起こりようがないはずだった。
「まさかこんな形で魔剣を使わされるとはね」
セオドールの傍らには岩の破片が散らばっていた。
重力に縛られ、杖も持たないセオドールは、巨岩に向かって『
第二魔剣は、存在率の合流に伴って発生するエネルギーを利用しているだけの剣術に過ぎない。だからやろうと思えば頭突きでも、指先でも、この縦ロールの先でも使うことができる。
「さて、」
結界が揺れている。
その主が気を失っている状況では、数分と保たないだろう。
セオドールはその先へ広がる光景へと思いを馳せる。
果たしてミシェーラは、良き友人に巡り合えたのだろうか。
◆◆◆
届く、だけだ。
ただ刃を合わせているだけで分かってしまう。
近くにいると思っていたシェラは、ずっと遠くに立っていた。
逆袈裟に振るった剣を躱される。切り返しの隙を出の早い祈祷で埋めて、前に踏み込んだ。
「やあっ!」
顔を狙った突きを前転してやり過ごし、闘技場の床目がけて拳を叩きつける。
円形に広がった衝撃で崩れたシェラの足へ蟲糸を放ち、絡めとって引き倒した。好機だと、そう思ったのに、硬い群青の瞳がこちらを見ている。
「
蛇のようにのたくった雷撃が、糸とそこに繋がるマリアの腕を焼いた。
痛み以上にしつこく残る痺れによって拘束を解いてしまう。すばやく体勢を立て直したシェラが紡ぐのは、必殺の一撃。
「
這いつくばったマリアの眼前に一本の道が敷かれる。
先ほどまでとは異なり、床から少し浮いた位置に雷撃が残っていた。
地面を崩しても無駄だということに気づくのと、胸元に刃が迫るのはほとんど同時だった。
「ぐ……」
「!?」
下手な鎧程度だったら背中まで貫通してもおかしくないほどの攻撃をまともに受けて、シャツを赤く染めるだけで済んでいる。竜の肉体というのは、硬くて、大きくて、しなやかで。マリアが欲してやまないものを持っていた。
咄嗟の変化だったから首筋まで鱗が這ってきて、シェラが驚いているのが見える。あの反応だと、わかりやすく変わっている部分があるのかもしれない。
「は、」
ドクドクと、シェラにも聞こえているのではないかと思うほどに、心臓の鼓動が大きくなる。
吐く息は熱く、腕にこもる力は強く。力の発散を求めて広がろうとする鱗を左半身に留めた。これ以上は戻れなくなる。
「
呪文の詠唱に入ったシェラ目がけて、雷槍を投げつけた。
途中で
全身の皮膚を這う雷撃を受け、歯を食いしばって耐えるシェラを前に、マリアは剣に氷雷を纏わせる。こちらの魔法ならともかく、狭間の祈祷は魔力の消耗が大きく大規模な運用はまだ難しい。
「
シェラの杖剣から滲むように黒が現れる。
初めから対抗属性を纏わせておいて、威力を減衰させようという腹積もりか。得意な雷撃呪文を選ばなかったのは冷気を放っているのを見て取ったからだろう。
シェラの踏み込みは、雷道を抜きにしても遅く、マリアの
「【獣の石】」
床を裂いた時に拾っておいた石を投げつけて視界を晦まし、剣を振るう。
しかし、魔法剣では
領域魔法で小石を逸らし、マリアの剣を受け止め、弾き返す。そのまま連撃に繋げようとしたシェラの足元から溶岩が吹き上がった。
「なっ……!」
たちまち燃え上がったローブを脱ぎ捨てたシェラの懐に、一足飛びで踏み込む。
靴は燃えるがマリアに影響はない。硬く伸びた爪が闘技場の床に痕を残す。
体勢の崩れたシェラでは完全に躱しきれず、左腕に浅い傷が刻まれた。それでも傷は浅い。止血の手間も惜しんで反撃に移ろうとしたその時、傷口から血が吹き上がった。
「
動脈は避けていたはず。
傷を焼いたシェラの目が、マリアの剣へと向く。
そこには、赤々と燃える血が滴っていた。血炎は対手に出血を強いる。
失血による気絶すらも勝ち筋に。それだけの力の差があると、マリアは実感した。
「!」
灰色の壁が揺らぐ。
マリアはそれを視界の端で捉え、シェラも追撃の手を止める。
壁の向こうで何が起こっていようと、残された時間は少ない。それを直感した二人は互いに距離を取った。次が最後の一撃になる。
「
これまでとは段違いの出力をもって、シェラが雷道を敷く。
リゼット流奥義『
地面に敷いた反発属性のレールに乗って、超高速での突きを繰り出す技。
倒れず、しかし加速できるだけの前傾姿勢を保つ重心制御に、吹き飛ばない程度に反発力を乗りこなす制御力。この二つが揃って初めて、爆発的な加速を実現することができる。
「フゥ……」
けれど、この短期間の連続使用で、マリアはその速度に慣れつつあった。
シェラにはまだ、父セオドールのように空中にレールを敷くような真似は出来ない。
だったら反発力を強めてしまえばいい。単純な速度でもってマリアの反射神経を振り切り、マリアよりも先に攻撃を叩きこむ。
この時、シェラの頭には恐怖心など欠片もなかった。ただ、マリアへ自分の全力を示すこと。それだけのために即死寸前の蛮行に及ぶ。
「
対するマリアは、剣に自らの血を浴びせ、古竜の赤い雷を呼び起こした。
竜餐を経たマリアの体は飛竜よりも古竜に近い。たかが一節呪文でも、呼び水には事足りた。
空中に散っていこうとする赤雷を剣の形に押し込める。古竜岩の鍛石も制御に一役買っているのか、はたまたマリアが古竜に近づいているのか、今までよりもずっと容易く扱える。
「……は」
バチ、と迸る雷が目の前に広がった。
その先にはまっすぐにこちらを見据えるシェラの姿。
この時点でマリアの思考から、逃げるという選択肢は消え失せた。剣に魔力が集まっていく。ひとりでに震えるそれを両手で掴み、腰だめに構えた。
突進してくるシェラに合わせて振り抜き、斬り伏せる。相打ちではなく、辛勝でもない。確実な勝利を、この手に。
二人はどちらともなく動いた。
全身に及ぶ反発力に身を任せるシェラは、後のことなど考えてはいない。弾けた雷撃が肌を焼き削るのも厭わず、マリアへ向かって突き進む。
マリアは鋭敏になった感覚によって、シェラが空気を押しのけて進むことを知覚した。もはや視覚にはほとんど重きを置かず、伸ばされきったシェラの腕をかいくぐり、無防備な腹に向けて剣を振り上げる。
誤算。
シェラはこれまで見た前転による回避まで考慮して、マリアの胸より下を狙った。
マリアは反射では間に合わないと悟って下方向から斬撃を置くように動いた。
故に二人の剣は、真正面からぶつかり合った。
「ぐ、うぅぅっ!」
「アァァッ!」
レールの反発力を制御し切る限り、シェラの剣が軌道を外れることはない。
滑り込んだマリアの剣が鍔を、そしてシェラの手を焼き切る。しかし上から押さえつけるように突っ込んできたシェラに対抗するために、マリアの体は初めよりも持ち上がってしまっていた。
二人の剣が互いの体に到達するのは、同時だった。
「ぎ」
不殺の呪いなどとっくに解けている。
マリアの左肩に突き刺さった剣は、関節部を完全に破壊し、左肺の大半を抉り取った。
竜体となっていなければ、心臓もきっと無事では済まなかっただろう。
「ごぶっ」
シェラに向けて振るわれた剣は、纏った雷によって腹を破り、中を焼いた。
バケツをひっくり返したかのような血液がぶちまけられ、堪らずシェラは転がりながら倒れ込む。
重なり合うように倒れ、意識を保つことすら困難になって尚、マリアは剣を手放さなかった。
「ま、だ……」
酷い耳鳴りと、叫びだしたくなるほどの痛み。
勝手に流れていく涙のせいで視界がぼやけてしまう。
シェラがどんな顔をしているかもわかりはしない。倒す、なんて大口を叩いたことに呆れているだろうか。失望されてはいないだろうか。こんなところで諦める訳にはいかないのに、
「──マリア」
耳元で声がする。
柔らかい声。名前を呼ばれるだけで安心するような、そんな声。
「……ありがとう。こんなにも、想ってくれて……」
力が抜ける。
とっくに限界だったのだ。
体から抜けていく熱と、それでも灯る胸の温かさを感じながら、マリアは目を閉じた。
【狂獅子】
セオドール=マクファーレン、その異名
死の淵を歩み、決して沈まぬ獣の成れの果て
脳へと挿した管によりもたらされる「制御された恐怖心」
それ以外の恐怖を知らない
その一点において彼は欠陥品であり、生まれながらに狂気を抱いていた
獅子は望む
彼に終わりを齎す、双杖の後継を