初めに感じたのは、右手の温かさだった。
逆にそれ以外が冷たいことに気が付いたのは、少し後のこと。
マリアが薄く目を開くと、真っ白な天井が目に入った。
「…………?」
見覚えは、あるような。
継ぎ目のないそれはキンバリーのもので、けれど医務室特有のにおいはしない。
右手に残る柔らかな感触の正体は、ベッドの横に座り込んだリュディアの手だった。椅子にも座らずぐったりともたれかかる様子に起き上がろうとしたマリアは、左半身から広がる激痛に思わず声を漏らす。
「──マリア、起きたの?」
四角く囲むカーテンをめくって現れたのは、カティだった。
枕元に駆け寄ってきたカティはほっと安心したように表情を緩ませ、左半身を見て痛まし気に眉を寄せる。そちらを向こうとしたマリアだったが、それは慌てて止められた。
「動かないで! 応急処置を済ませたばっかりだから」
「おうきゅう……?」
「さっきまで何してたか、覚えてない?」
心配そうなカティの目に、また何かしてしまったのかと記憶をたどる。
暗がりの中。全身の痛みと、眩く光る一閃。互いの呼吸が混じり合い、泣き出しそうに震えた声がよみがえる。
「私、シェラと」
「……そう。試合、終わったよ」
「シェラは……?」
「無事だ」
聞こえてきた声に、カティがぎょっとした顔を見せた。
断りを入れて入ってきたのは、魔法剣の
ガーランドはマリアの半身に目を向けると、嫌なことを思い出したように眉間にしわが寄った。用件を尋ねようとしたカティを制し、口を開く。
「Ms.マクファーレンの治療が終わった。命に別状はない、らしい。相変わらずゾンネフェルト校医の施術は的確だ。出来ることなら受けたくはないが」
苦い表情を隠しもしないガーランドの後ろで、ピートが口元を押さえる。
ゾンネフェルトの治療は一年生の頃から語り草であり、つい先日もゴッドフレイが霊体の接合手術を受けたばかりである。医務室の中から聞こえてきたゴッドフレイのくぐもった叫び声は、思い出すだけで恐怖を抱かせるには充分だった。
「次は君の番だぞ、Ms.ターニッシュ」
「ぇ」
「腕を繋ぐだけだからそこまで時間は掛からないだろうが、目覚めてしまったのは不運だったな」
ガーランドにそう告げられて、マリアは残った魔力を確かめる。
ぎりぎり、腕を繋げられるかどうかしか残っていない。これでは自力での治療など許してもらえるはずがない。
「まぁ、そう悲観することはない。手早く終われば次の試合に間に合うかもしれん」
「次って」
「ホーン隊とアンドリューズ隊の試合だ。闘技場の整備に時間が掛かっていてな」
そうだ。
マリアはシェラとの試合だけを考えていたが、無論それだけで終わるはずもない。
しかし、ガーランドの口ぶりではシェラは治療を受けたばかりで、マリアもこれから左腕を繋ぐ作業に入るはずだ。それでは次の次、決勝戦はどうなるのだろうか。
そんなマリアの疑問に答えるように、ガーランドは懐から紙束を取り出した。
「Ms.ターニッシュ、治療の前に一つ聞いておきたいことがある」
「はい……?」
「君たちターニッシュ隊とコーンウォリス隊の試合は、
その言葉を聞いたマリアは、すぐに首を横に振る。
自身の怪我の度合いもあるが、何よりリュディアとアーシャをこれ以上マリアの我儘に付き合わせるつもりはなかった。あの時マリアは勝てなかった。それで終わりだ。
アーシャはまだ出たいと思っているかもしれないが、連れて来たマリアが出られないというのは不義理に思うし、それに残ったチームが相手では楽しむどころではないだろう。
「……そうか。では、両者辞退になる。次が事実上の決勝戦だ」
シェラの方も辞退していたのかと、そう思って。
マリアは右手の感触を思い出す。ジャケットを脱いで晒されたシェラの腹を突き破り、その奥にある柔らかな内臓を焼いた、あの感触。もしもう少し上を狙っていたら、マリアの剣は心臓を貫いていたかもしれない。
今更になってそんなことに気づき、マリアの顔が一気に青褪める。そんなマリアの様子を気にもせず、ガーランドは足早に立ち去りかけて、何かを思い出したかのように振り返った。
「互いに死力を尽くした、素晴らしい試合だった。Ms.ムーングラムにもそう伝えてほしい」
そう言って、ガーランドは今度こそ医務室を去って行った。
駆け寄ってきたピートがベッドの脇に座り込むリュディアを呆れたように見やりブランケットを持ち出すと、もぞりと銀の髪が動く。蒼の瞳が握った手から顔色の悪いマリアへ向けられ、マリアと目が合うと肩の力を抜いた。
「……よかった」
マリアがそっと手に力を入れると、緩く握り返される。
顔色は変わらないけれど、リュディアが相当に疲弊しているのが感じられた。
「オマエ、いつベッドから抜け出したんだ。どうせここにいると思ったけど」
「いつ? ……いつだろ」
「リュディア、立てる? もう少し休んだ方がいいと思うよ」
ピートとカティの問いかけにもぼんやりとした返事しか返さないリュディアをガイが抱え上げる。
運ばれながらもマリアのことを目で追っていたリュディアは、血液が鉛に変わってしまったかのような眠気に抗いきれず、目を閉じた。普段は弱った姿を見せないリュディアだが、元々の血色のない肌も相まって、マリアよりも病人然としている。
「……リュディアも怪我、酷いの?」
「いや、ただの魔力切れだ。霊体の備蓄魔力まで使ったから、回復までしばらくかかるらしい」
「そっか」
リュディアは、マリアの願いを叶えてくれたのだ。
夢中だった。今できるだけの全力を出せたはずだった。けれど、シェラに会うのが少し怖い。
独りよがりになってはいなかっただろうか。ありがとうと、そう言ってくれたけれど、本来ならマリアが口を出すべきではないことだ。
「っ、もう、来たんですね」
「施術が終わりましたから。Ms.ターニッシュは目覚めていますか?」
「マリア、リュディアはわたしたちで見てるから。絶対お見舞い来るからね」
入り口の近くでピートがうろたえる声が聞こえる。
同時に入ってきた上級生二人がガイとカティを追い出しにかかった。
リュディアを抱えたガイがピートの後に続き、ぎりぎりまで残ったカティも引きはがされる。丁寧に、しかし素早く持ち上げられたマリアは、廊下に残っていたカティたちを追い越して医務室に運び込まれた。
「ゾンネフェルト先生、患者を連れてきました」
診察台にマリアを寝かせると、上級生たちは部屋の奥に声を掛ける。
すぐさま現れた女性は、細い布の塊を持っていた。それはマリアの腕だった。
さすがのマリアでも自分の体の一部が切り離されているところを見るのは数えるほどしかない。
「お前が来ンのは初めてだなァ、ターニッシュ」
「……」
「一年の頃からアタシの世話になんねぇやつは久しぶりでよ。今日は麻酔を使うが、どんな声で泣くか楽しみにしてたんだぜ?」
マリアの包帯が解かれ、傷口が晒された。
肋骨が空気に触れているような不快感と痛みが薄れ、意識が朦朧としていく。
かろうじて瞼が閉じきる前に見たのは、腕に管が繋がれるところだった。
「効きすぎだろ……オイ、寝るんじゃねェぞ」
頬を叩かれる感触すらも遠ざかって、マリアは思考の海に沈んでいく。
望みが時に枷となることを思い出しながら。
◆◆◆
次に目を覚ました時、マリアは今度こそ医務室にいた。
麻酔のぼんやりとした感覚の奥に、確かに左手が動いている。
痛かったような気がするし、ゾンネフェルトがつまらなさそうにしていたような気もする。ぬるま湯に漬かっているような心地よい眠気に身を委ねようとして、カーテン越しに聞こえてきた声に目を見開いた。
「く、ぅ……」
苦痛を押し殺す、細い声。
それを聞くやいなやマリアは体を起こし、音を立てないようにベッドから降りる。自由の利かない左腕を庇いながらカーテンを開けた先には、額に玉のような汗を浮かべたシェラが横たわっていた。
シャツの前を開いて露になった腹には縫われた痕が目立つ。
「ったくよォ、世話の焼ける患者だぜ……あん?」
「ぁ、」
「なんだ起きたのか。さっさと出てけよ、邪魔くせェ」
「シェラはっ」
乱暴な足音を響かせて入ってきたゾンネフェルトがマリアを追い出しにかかる。焦った雰囲気はないが、実際のシェラは苦しんでいるようにしか見えない。
聖印を取り出して近づこうとしたマリアは、しかし鋭い眼光に止められた。
「こいつは簡易臓器が合わなかったようでな、アタシが手ずから調整してやらなきゃならねぇ。それともなんだ、お前が治してやれんのか?」
「簡易臓器、というのが何かわかれば、たぶん」
「…………ほォ」
マリアの回復呪文は、治療よりも修復や再生に近い。
無いものを作り出して足りないところに埋める。マリアが理解していなくとも魔力を注ぐだけでその結果が得られるのは、黄金樹の祝福が元来そういったものだったからなのだろうか。
簡易臓器とやらが異物として判定された時、シェラの腹を突き破ってはじき出される可能性がある。それだけが不安だった。
「やってみろっつうのは簡単だが、お前は責任負えンのか? マクファーレンに喧嘩売ったんだろ?」
「そうならない可能性を上げるために協力してほしい、です」
「……いいじゃねぇの。分の悪ィ賭けは大好きだぜ」
そうして、マリアはゾンネフェルトの監視の下、聖印に魔力を込める。
簡易臓器ははらわたを食い破られた時に使う一時的なもので、段階的な治療によって元の臓器と同化していくらしい。それなら回復祈祷を施したとしても問題はないだろう。
「【黄金樹の回復】」
マリアが知る中で、もっとも効果の高い回復祈祷。
黄金の光が聖印を握るマリアの手の中から放たれ、それは次第に円環を形成する。
重なり合う光の輪から幹が伸び、葉を付け、根を張っていく。正しき信仰をもって、失われた恵みを再現する力。それこそが黄金樹信仰である。
「──ふぅ」
息をつく。
シェラは安らかな表情で目を閉じていた。手術痕も消えている。
上手くいった。そう安堵したマリアは、しかし黙りこくるゾンネフェルトの様子に気づき、恐る恐る顔を上げた。
「っ、」
嗤っていた。
喜びではない。そんなもの、決してありえない。
もしそうだとしたら、こんな酷薄な笑みなど浮かべるはずがない。
「
それだけ。
それだけの言葉を投げかけられて、マリアは震えを押さえることが出来なかった。
程なくしてシェラも目を覚まし、今度こそ二人は医務室から追い出された。
元々あそこはゾンネフェルトが治療を行うためだけの場所であり、治療を終えた生徒を置いておく場所ではないらしい。
医務室に長居したがる生徒は少なく、ゾンネフェルトも怪我人以外に興味を抱かないからだと説明された時には校医としての役割を問いたくなったが、偶々適性があってあのポストに就いているだけなのだと思うことにした。
「ですから学年が上がれば上がるほど、自力での治療が上手くなるのです」
「そうなんだ」
「治癒を無償で行ってはいけないと釘を刺していたのはこのためですわ。良いように使われることなど、目に見えていますもの」
まだ足元がおぼつかない様子のシェラを支えながら、マリアはゆっくりと歩く。こうやって二人きりで話すのは随分と久しぶりに感じられた。
マリアはそっとシェラの顔を見やる。鮮やかな緑がこちらに振り返った。それが苦痛に歪み、決意を秘めてこちらを見つめていたのを、マリアは確かに覚えている。
「シェラ」
「はい」
「私のしたことは、迷惑だった?」
シェラの足が止まった。
遠くで場内アナウンスが響いている。
生徒の多くが観戦のために出払っている今、マリアたちを邪魔する者はいなかった。
「──リュディアがお父様に剣を向けて、マリアがあたくしの前に立ちふさがったあの時、なんてことをしたのだと思いましたわ」
「……」
「けれど、あなたの真意を聞いて、あたくしが間違っていたのだと悟ったのです」
向かい合ったシェラが、マリアの頬に手を伸ばした。
柔らかな指が頬を撫でて、だらりと下がる。
「お父様を止めることは出来ない。あなたたちはあたくしに勝てない。そう思い込んで、諦めていたのはあたくしの方でした。……友を、信じ切れていなかった」
シェラの目から雫が零れ落ちた。
どうせ勝てないだろうと、初めから諦める。それは、セオドールが危惧していた生徒の姿そのものだった。マリアも、リュディアも、剣花団の皆も。シェラにとっては守るべきもので、対等な友人ではなかったのかもしれない。
そう思うと、無性に悲しかった。
「だから、あなたが戦おうと言ってくれた時、あたくしは認められたのだと思いました。嬉しくて、それ以上に情けなくて。せめて応えなければならないと、そう思ったのです」
「それじゃ」
「えぇ、迷惑だなんてことはありませんわ。改めて……ありがとう、マリア。これからも、あたくしの友人でいてくれますか?」
その言葉を聞くやいなや、マリアはシェラに飛びついた。
友人でいてくれるかなんて、そんなことは聞かれるまでもない。
「ずっと友達だよ。ずっと、ずうっと……」
「……えぇ」
二人とも声の震えを隠せなくなっていた。
背中に腕を回されて、マリアはシェラの肩に顔を押し付ける。
嬉しくて涙が止まらないなんて、初めてだった。
【簡易臓器】
魔法技師、ブロガスの手による生体ゴーレム
核に肉体の設計図を仕込み
植え付けられた部位の臓器を補填する
その性質上、人間以外とは相性が悪い
神を失って尚、醜く足掻き続ける
もはや我々こそが異端であろう