「……そろそろ、行きませんか?」
「……うん」
廊下のど真ん中で抱き合っているのがなんだか恥ずかしくなってしまって、二人はどちらともなく体を離した。シェラの肩はすっかり濡れてしまっていたし、目元も熱を持って腫れぼったくなっていた。
鼻をすすりながらまた歩き出そうとした二人の正面から、蒼いゴーレムが飛んでくる。それは頭上で旋回した後、来た道を戻っていった。
「リュディアかな」
「恐らくは。心配を掛けてしまったようですわね」
ゴーレムが戻ってから間を空けず、激しい足音が聞こえてきた。
リュディアにしては珍しく、相当に焦っているようだ。何かマリアたちの知らない問題が起こっているのかもしれない。
そう気を引き締め直し、現れたのは寝ぐせのついたリュディアだった。
「……起きたんだ」
「うん。リュディアは休めた?」
「さっきまで寝てた。もう、試合が始まってる」
誰の、なんて聞く必要もない。
ホーン隊とアンドリューズ隊の試合であり、事実上の決勝戦。
カティやガイ、ピートがリュディアと一緒にいないのは、オリバー達を応援しているからだろうか。見舞いに行くと言われていたはずだったが、もしかすると入れ違いになってしまったかもしれない。
「……泣いてたの?」
逸る気持ちもそこそこに歩き出そうとしたマリアの頬へ、白い指が伸ばされた。
硝子細工を撫でるようにそっと指が触れると、目元に冷気がまとわりつく。心配そうに眉をひそめて、リュディアが顔を覗き込んだ。
「ちょっと、嬉しくて?」
「なぜ疑問形なのです。あたくしは嬉しかったですわよ」
「改めて考えると、は、恥ずかしい」
はぐらかそうとしたマリアを腕の中に収めてシェラは笑う。
その笑顔が今までよりも意地悪に見えて、マリアはどうにもむずがゆいような気持ちになる。
「……ほら、早く行かなきゃ」
シェラの腕からなんとか逃げ出したマリアはリュディアの後ろに隠れようとして、ぼんやりと立ち尽くすリュディアを見上げた。普段だったら腕を取ったり、手を握ったり。これだけ離れていたら、触れてくれるはずなのに。
見上げた先で、蒼い瞳が揺れる。そこにあるのは後悔だろうか。
「ーーあたしが倒れた後のことは聞いた。決着、付けられたって」
「うん。リュディアとアーシャのおかげで」
「運がよかっただけ。ほんの少しでも膠着してたら、きっと邪魔が入ってた」
リュディアには、上手く乗せられていたという自覚があった。
ナナオの『剣の君』。その正体や役割を、リュディアは知らない。
セオドールが自分に何かを期待している。何らかの目的のために鍛えようとしている。そんなものはただの思い込みで、ただセオドールを足止めするためだけに、一体どれほどの代償を支払うことになったのか。
「あたしは、約束を守れなかった」
結果だけを見れば、大金星と言えるだろう。
一介の三年生が教師を相手に足止めを行う。それは無謀を通り越した愚行であって、少なくとも策として組み込めるほどのものではない。
だが、リュディアからすれば、セオドールに上手く乗せられた挙句に結末を見届けることなく気絶してしまった。何が全力だと、自分の幼さに吐き気がする。
「……リュディア、しゃがんで」
マリアの
珍しく有無を言わせぬ口調で、シェラも口を挟めずにいた。
滅多にない下から見たマリアの表情は固く、怒っているようにも、泣き出しそうにも見える。まだ赤い目元に気を取られて、気づけば頭を抱かれていた。
「私は、リュディアが一緒に居てくれるだけで嬉しかった。無理だって言わなかったし、私たちを守ってくれた」
「でもっ、んぶ」
結局負けたのだから意味はない。
そう言おうとして、後頭部に回された腕に力が入った。
マリアの小さな体を流れる血の音が聞こえてくるようで、少し新鮮だ。ジャケットの内側には、まだ消毒液の匂いが残っていた。
「負けたなら、勝てるようになればいい。今度は一人になんてさせない」
マリアにとっては当然のことを伝えただけで、慰めるなんて考えてもいないのだろう。未だに気恥ずかしそうに、それでもはっきりと、友達だからと言うのだろう。
けれど、このままじゃいられない。
マリアの友として。それから従者として。
格好良く在らなければ。
「うん、もう負けない。マリアがいるなら尚更」
最後にぎゅうと抱きしめ合って、二人は離れた。
それから、放ってしまっていたシェラへと慌てて向き直る。
「本当お似合いですわね、あなたたちは。少し、妬いてしまいますわ」
薄く、感情の読みづらい笑みを浮かべて、シェラがマリアの隣に歩み寄る。
するりとシェラの手がマリアの指を絡めとった。いつもより高い体温がじんわりと伝わってくる。それを見たリュディアも咄嗟にマリアの手を取り、マリアは二人に挟まれるいつもの位置に立った。
「ふ、」
こんな日々がこの先ずっと続けばいいのに、なんて。
柄にもないことを考えてしまうほど、幸せだった。
◆◆◆
「オリバーとナナオにMr.レイク……あれ、いないや」
「一旦始めてくれ、カティ。レイクは後から来るだろうから」
「ふぅん。じゃあ改めて、優勝おめでとう! 乾杯!」
かしゃん、と音を立ててグラスが打ち合わせられる。
剣花団にシェラと組んだコーンウォリスとウィロック、二年生たちを含めた大所帯で、マリアたちは祝勝会兼お疲れさま会を開いていた。
友誼の間を貸し切ったパーティー会場には所狭しと料理が並べられ、ナナオがさっそく鳥の丸焼きに手を伸ばそうとして止められている。
「Mr.アンドリューズも来ればよかったのにね」
「リックはMr.オルブライトやMr.ロッシと反省会だそうです。真面目な所は変わりませんわ」
「ロッシは嫌そうだったけど……」
駄々をこねながらオルブライトに回収されていったロッシを思い出して、マリアは首を傾げた。反省会は後でもいいのになんて思ったりもしたけれど、記憶が新しいうちにおさらいをしておきたいらしい。
シェラが盛り付けてくれたサラダを頬張りながら、マリアはアーシャの姿を探す。最初に倒れてしまったことを謝りたい、それから反省会もしたいと言っていた。そっちが本命でしょなんて、リュディアに怒られていたのを思い出し、目尻を緩ませる。
「Ms.ムーングラム」
リュディアが空のグラスを手に立ち上がった時、不意にマリアへ声が掛けられた。
振り向いた先に立っていたのは、つい数時間前にマリアたちと戦った、コーンウォリス隊のフェイ=ウィロック。無造作に伸ばした斑の髪の奥から、金色の瞳がついと向けられた。
「なに」
「お前の妹と話がしたい」
「別にあたしに断る必要ないよ」
「わかった」
二年生が固まる席に向かうウィロックの後ろから、コーンウォリスが現れる。
マリアと目が合って、次にリュディアに目を向けた。
「次は、負けないわよ」
どちらに行ったのかも定かではなく。
返事も待たずにコーンウォリスはウィロックの後を追う。
一年生の頃に話して以来ほとんど関わりがなかったが、こんなところにも決闘リーグを通じて結ばれた関係ができた。もっとも、意外と人見知りらしいコーンウォリスと話す機会なんて、しばらく無いかもしれないけれど。
「そういえば、アーシャって来てるの?」
「知らない」
「……教えればよかったのに」
二年生が集まった席の一角。
リタとディーンがハラハラした面持ちで見守る先には、膝を突き合わせて座るアーシャとテレサの姿があった。失血のせいで顔色が悪いアーシャだったが、テレサはそれを理由に逃がす気はなさそうだ。
唯一の頼みの綱であるピーターは二人に料理を持ってきたり仲を取り持とうとしたりしていたが、テレサにすげなく突っぱねられて、渡し損ねたチップスを齧っていた。
「私たちと戦った時、あれは全力でしたか?」
「えぇ。あの時準備できるものを持ち込んで、それでも勝てなかった」
「……決勝で見せたのは?」
今もアーシャの隣に置かれている大曲剣。
渡しておくと告げられて、どこか安心したほどに、触れたのがつい半日前とは思えないほど手に馴染むそれ。しかしテレサの刺々しい視線が向けられていると、つい隠したくなってしまう。
円滑なコミュニケーションのためなら手放してしまえるというのは、人間らしさと言うべきか。
「恥ずかしながら精神的に不安定だったところがあって、それが解消できたので持ち出しました」
「それは、以前から?」
「ずっとですよ。もちろん、普段の生活に支障はありません」
本当はそうでもないけれど、アーシャは黙っておくことにした。
面倒なことになりそうなのもそうだが、何よりリタがまだ聞こえる位置にいる。
「そうですか。では」
するりとテレサが立ち上がった。
ようやく諦めてくれたのかと安堵したアーシャの鼻先へ、刃が付きつけられる。
肌が粟立つような殺気。食器の音が消え、部屋中の目が二人へ向けられた。
「
アーシャの背筋に冷や汗がつたう。
恐怖ではない。確かに万全ではないが、その程度では気圧されない。
それよりも、アーシャの意識が戦闘に向きすぎているのが問題だった。
真っ黒な殺意を向けてくるテレサと、決勝戦を引きずって頭が茹だりかけたアーシャ。どちらに天秤が傾いても、決闘なんぞで済むとは思えない。
「ーームーングラム。今、いいか?」
二人の間の雰囲気を明らかに無視して、アーシャの後ろから声がかかる。
振り切るようにテレサから視線を逸らし、アーシャは声の主へと振り向いた。
「……どうぞ、ウィロック先輩」
そこにあったのは予想通りの顔。
その後ろには、ちらちらとこちらを伺っているコーンウォリスもいる。
アーシャが対面のソファを示すと、テレサはアーシャを睨みつけながら杖剣をしまって扉に向かった。が、その先でオリバーに捕まったのが見えたので、何とかなるだろう。
「話の予想は付いてるよな」
「はい。あ、コーンウォリス先輩もどうぞ」
「え? えぇ、それじゃあ」
試合中散々技で煽ったのだから、いつかは来ると思っていた。
こんな、衆人環視の中でとは思わなかったけれど。
「単刀直入に聞く。お前、人狼の血を引いてるな」
「おそらく。確かめるすべはありませんが」
「そうか。……悪い、同族に会うのは初めてでな。気が逸った」
ウィロックの瞳に過ぎったのは、安堵、だろうか。
純粋なヒトではない彼にとってキンバリーは異種族の巣に等しい。
もっとも、ウィロックの場合は入学前から主が居たのだから、孤独感は無かっただろうけど。
「いいえ、構いません。こちらからもいくつかいいですか?」
「あぁ。良いか、スー?」
「従者の無礼は主の不手際、なんてのは置いといて。私も興味があるのよね」
アーシャは改めて姿勢を正す。
自らが忌む血に対し、先行研究者を交えて学問の面から触れる。
きっと、得難い体験になるだろうから。
「変身する時の感覚を、教えてほしいんです」
まずは、アーシャから切り出した。
最初にする質問としては聊か幼稚で、しかしこれがアーシャの本命。
肉体の変化という人狼の強みを捨て去った猟犬騎士は、再び原点へ帰ろうとする。
「感覚と言ってもな……確かに無意識じゃないが、肉の筋一本一本に意識が通る訳でもない。こればかりは説明しにくい」
「フェイの言う意識って、認識の話でしょう? 普通は条件反射で人狼体へ変わるものよ」
「認識、とは?」
手のひらを握ったり開いたりしながら言葉を選ぶウィロックに、横から突っ込みを入れるコーンウォリス。まだ意味を理解するまではいかないが、アーシャにとっては値千金の内容だろう。ぽつりと呟くように尋ねたアーシャに、ウィロックとコーンウォリスが視線を合わせて頷いた。
「人狼は変身の時、月を見ている必要があるわ。だから普通は夜にしか真価を発揮できない。ここまでは知ってるわよね?」
「はい」
「そこらの野良人狼と違って俺は魔法使いだからな。ある程度は
「……そんなことで」
そう言ってから、アーシャは自らの思い違いに気が付いた。
確かに月の
だが、半人狼はその変身過程で強烈な痛みに苛まれるのだ。半分が人であるからこそ、変身などという無茶を許容できない。
「訓練はキツかったが、実証出来ればこっちのもんだ。スーには負担を掛けたが」
「そんなの、フェイの痛みに比べればどうってことないわ。本当ならそれもなんとかしたかったのに」
故意ではないとはいえ、成功するまで苦痛を強い続ける訓練。
なぜそんなものを続けられたのだろう。
「お前も従者なら分かるだろ。俺たちは主のためにある。自分の何もかもを捧げて、
「そう、ですね。……やっぱりわたし、身の程知らずなんでしょうか」
「何がだ?」
勉強するのは、楽しい。
出来なかったことが出来るようになるのは、嬉しい。
けれど。
黄金樹が燃えて、群れが心中を図ったあの時に、死んでおけばよかった。
何にもなれない半端者でいるよりも、ずっと幸せだったのではないか。
「わたしには先輩たちのような、人生を賭けられるようなものはありません。ただ、わたしがわたしでなくなるのが嫌なだけで、そんなことで」
「……お前、試合で負けてどう思った?」
「どう……? えぇと、悔しいと思いました。全然足りないって」
茨の魔術も、霊炎も、猟犬騎士としての力も。
何もかもが中途半端だからだと、そう思った。ただの犬であれば、とも。
「それなら大丈夫だろ。足りないなら足せばいい。結局やる気が物を言うからな」
「古臭い根性論みたいで嫌だけど、そうね。焦りも糧にして、がむしゃらにやるしかないのよ」
実感のこもった言葉だった。
コーンウォリスは魔法使いの良家。血筋も定かでない半人狼のウィロックと共にいるために、どれだけの努力を積み重ねたのか。
アーシャには想像もつかないことだけは確かだった。
「そもそもミシェーラとかホーンとかは世話焼きなんだから、どんどん頼ればいいわ。ターニッシュもそんな感じなんでしょ?」
「……はい。もっと、向き合ってみます。わたし自身とも、主とも」
本当、どれだけ自分が驕っていたかを突き付けられる。
ある程度卒なくこなせた程度で、成長を止めていい訳がない。
あのマリアが期待してくれている。頼りにしてくれる。ならば、それに応えなければ、何のための主従だろう。
「ありがとうございました。祝勝会の最中なのに」
「こっちから声を掛けたんだ。礼を言われるほどじゃない」
「それでもです。コーンウォリス先輩も、」
「いいって言ってるでしょ。ほら、ターニッシュのとこ行きなさいよ」
そっぽを向いたコーンウォリスの耳が赤く染まっていることに気づかないふりをして、アーシャはマリアの下へ走った。
きっとこれから得るすべてが、アーシャの力になる。
【魔素】
月より放射される、異質な魔力
古くは卜占にも使われたとされる
人狼は、魔素を浴びて変身する
神の被造物たる月は
創造主が死して尚、輝きを保ち続ける
その裏側を見せぬままに