円形闘技場での一件から数日。マリアたちがカティ関連で絡まれることは殆ど無くなっていた。その代わりにナナオの戦いぶりを直接見ていた生徒や、人伝に聞いた生徒が昼食前に群がって来ていた。
「あんな戦いはしばらく起こらないことを祈りますが、ナナオにとっては得たものは大きそうですね」
シェラがそう評した通り、ナナオは連日見知らぬ生徒に囲まれている。今までマリアたちとだけ接していたナナオの世界が、いきなり広がったようなものだ。やはり人と言葉を交わすことは成長につながるのだろうか。
ナナオの合流を待ちながらシェラに勧められた果物を摘んでいると、何やら悩んでいた様子のカティが遂に口を開いた。
「……やっぱりおかしいよ! なんでオリバーとマリアには人が寄ってこないの!? ナナオと同じくらい活躍してたのに、」
「カティ、俺にも傷つく心はある。その先は……」
「でも……!」
マリアは自分に人が寄ってこないのは当然だと思っていたが、確かにオリバーにはもっと人気が出てもおかしくないと感じていた。マリアが駆けつけるまでの間、ナナオを保たせていたのは間違いなくオリバーの技量だ。
カティの言葉に同調するようにがたりとシェラが立ち上がる。そのままゆっくりとカティに歩み寄って、肩に手を置いた。
「ええ、分かりますわ。あたくしもオリバーの戦いぶりには感服しました。小一時間でも語り倒したいくらいですもの」
「してたよな、昨日。たっぷり一時間」
「シッ! ……まだ語り足りないんだろ」
ガイとピートがこそこそ話しているのを気にもせず、シェラはオリバーに痛ましげな視線を向けた。
「オリバーはナナオを矢面に立たせて援護ばかりしていたように見えましたけれど、あれが無ければいくらナナオでも保たなかった筈ですわ。けれど……玄人好みなんですの。あの戦い方は」
「確かに、オリバーの戦い方は地味だったからな」
「うぐっ……」
ピートの追い打ちに、オリバーが突然発作に見舞われたように胸を押さえた。マリアとしては地味だろうが仕事をしていればそれで構わないのだが、まぁ、ナナオの周りを見る限りそうではないのだろう。
それでも食堂のあちこちから視線を感じるので、全くその強さが伝わっていない訳ではなさそうだ。しかし振る舞いに反してオリバーも気にしていたのだと、マリアは意外に思った。
「そ、それなら、マリアは? マリアもすごい活躍だったけど」
ナナオが戻ってくるまでもう少しかかるように見えて別の皿に手を伸ばしたのと同時に、カティがこちらに話を振ってきた。思わずシェラの顔を見上げると、彼女は途端に難しい顔をした。
「マリアは……二人とはまた異なりますわね。あの戦いで使っていた力は、私達にとって全く未知のものです。それ故の恐れ半分、疑い半分といった所でしょうか」
「シェラも知らねぇのか?」
「えぇ、恐らくこの学校でも知る者は数少ないでしょう。もしかすると一人も居ない、なんてこともあるかもしれません」
「……マジかよ」
そうだろうなと、マリアは独り言ちた。狭間の地でも元々死のルーンを持っていたマリケスとその眷属、そしてルーンを奪った刺客たち以外の使い手は見たことがない。
もしかするとやり過ぎだったのかもしれない。雷でも黒炎でも撃っていれば、そのうち倒せていただろう。そうでなくともこちらに注意を向けさせることは出来たはずだ。
(……難しい)
食べる手を止めて考え込んでいたマリアは、いつの間にか温かいものに包まれていたことに気がついた。それはここ最近で慣れ親しんだにおいに満ちていた。
「──とはいえ二人に何もないというのも腹立たしいですからね。まずはマリアから、」
微睡むように目を閉じていたマリアの髪を細い指が掻き分け、額に柔らかな感触が触れた。目を開くと鼻が触れ合いそうな距離にシェラの顔がある。その瞳は慈愛に満ちていて、マリアは胸の奥にむず痒いものを感じた。
「次はオリバーですわね」
だから、だろうか。離れていくシェラの体に思わず手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。テーブルの向かいでシェラに迫られて狼狽しているオリバーのことを、羨ましいと思ってしまった。
躊躇いなく唇を寄せてくるシェラをオリバーが必死に抑えていると、ナナオが集団から解放されて戻ってきた。
「只今戻り申した……これはどういう状況にござるか?」
「何にもねぇのも癪だから、シェラがオリバーとマリアにキスでもくれてやろうってんだよ」
ガイが茶化すような口調でそう言うと、ナナオは一つ頷いてシェラの反対側からオリバーの頬に唇を落とした。
「な──、!?!?」
「なかなか照れくさいでござるな、これは。……さぁ、次はオリバーの番にござる」
珍しくオリバーが混乱している。というか、シェラからのキスを避けていたあたりから考えていたが、オリバーはそういう行為に特別な感情を抱いているのだろうか。今も何か理由を付けようと余計なことを考えているようだ。
焦れたマリアが背中でも押してやろうと席を立つのと同時に、見知らぬ生徒が声を掛けて来た。マリアよりも薄い金髪と途切れ途切れの発声で、大人しそうな印象を受ける。
「それじゃあ、またね、ノル。お友達、大切に、ね」
彼女は一言二言会話を交わすと、自然な動作でオリバーの頬にキスをして去って行った。言葉にするとそれだけなのだが、去り際にずっとこちらを見ていたことにマリアは気づいていた。
◆◆◆
「──でね、ナナオが──オリバーも──」
マリアは身の危険が薄れ、以前にも増してトロールとのコミュニケーションに邁進するカティに付いて檻の前に来ていた。カティは毎日のようにトロールの所に通っているが、マリアが同伴するのはこれが初めてだった。トロールの態度は記憶にあるものよりも随分変わり、マリアを警戒しつつもカティの真正面で話を聞いている。
言葉が通じない相手に対して声をかけ続けるカティの努力は、到底自分には真似できないものだ。それをこうしてすぐ隣で見られる環境は得難いものだと思っていた。
『自分がやりたいことを押し付けるんじゃなくて、一緒に出来ることを探す方が大切なんだ。焦らないで、急がないで……そうやって長く一緒にいると相手のことがだんだん分かってくるの』
以前、カティが語った言葉を思い出す。もしも、そうして居たなら彼らは生きていたのだろうか。それとも私にはそんなことは出来なかったのか。
(駄目だな。前はこんなこと、考えなかったのに)
ここに来てから、自分は弱くなったと思う。大切なものは増え過ぎたし、過去の自分の行いを悔やむようになった。胸の奥に重苦しい塊があって、意識するといつまでも残り続ける。
目を閉じて、息を吸う。吐く。ずっとそうしてきたように、今だけは忘れてしまえ。
「……モう、クるナ」
「──え?」
「……うん?」
カティのものではない、低くたどたどしい声音。カティが勢いよく振り返ったが、マリアは首を横に振った。
今声を発したのは、まさか
「アいツ、アぶナい。……ハなレたほう、いイ」
檻の中から、怯えのちらつく目を向けて、トロールが人語を話しているのだ。
その後カティが何度か声を掛けたが、それきり話すことは無かった。それでもカティは喜び勇んでミリガンの所へ駆け出して行ってしまった。
「カティ! ……貴公、また来る」
マリアもトロールに一声掛けて、カティの後を追って走り出した。カティは元々体力がある方ではないのですぐに追いついたがそれでも彼女は走るのを止めなかった。それどころかマリアがついて来ていることにも気づかない様子で、息を切らせながら廊下を駆け抜ける。
「──ミリガン先輩!」
「おや。どうしたんだい、アールト君」
「トロールが、あの子が喋ったんです!」
「……ほぅ」
ほんの少しだけ低くなった声を聞いた瞬間、マリアの背中にぞわりと悪寒が走った。このままミリガンと話すのは不味い。自分でもよく分からない感覚に身を任せて口を開き、
「ぜひ私の工房に来てくれ。そこでじっくり話をしよう」
「はいっ! ……あっ、マリアも来る?」
ミリガンに先を越された。状況は最悪だ。後手後手に回らされて、こちらから有効な手を出すことが出来ない。このままシェラたちを呼びに行くか?それとも何があるかも分からない敵地に乗り込むのか?
「……うん」
迷ったのは一瞬だった。カティを置いて自分だけ逃げるわけには行かない。それにもし致死性の罠があったとしても、一回は私が盾になって防げば良い。
「歓迎するよ。さ、二人とも、付いておいで」
◆◆◆
鏡をくぐり、壁に穴を開け、マリアたちは遂にミリガンの工房に到着した。扉を閉じてしまうとそこはすっかり暗闇に包まれて、中の様子は殆ど分からなかった。
ミリガンがごそごそと壁際で作業をする間、マリアとカティは身を寄せ合って不測の事態に備えていた。
「アールト君、ちょっとこっちに来てもらえるかな。鉱石ランプを支えてほしいんだ」
「はいっ」
離れていくカティの背中から目を逸らして部屋の奥を見通そうとすると、視界の端でカティががくりと崩折れたのが見えた。ミリガンが支えてくれたから頭こそ打たなかったものの、突然倒れるなど尋常ではない。
しかし、咄嗟に駆け寄ろうとしたマリアは、カティの首元に細いものが添えられているのに気がついた。気がついて、しまった。
(杖剣! ミリガンは、敵……なんだ?)
ミリガンはカティを抱いたまま動かない。マリアもカティが人質になっている以上、下手に動けない。ミリガンから目を離さずに部屋の中の気配を探ると、背後から微かに息遣いが聞こえてきた。
振り向く時間も惜しいとばかりに即座に[嵐脚]を使い、すぐ後ろに迫っていた生物を吹き飛ばす。
(前っ、に、?)
ほんの一瞬ミリガンから視線を逸らしたのが運の尽き。気がつけば、マリアの体は全く動かなくなっていた。そこへ壁にカティを凭れさせたミリガンが近付いてきて、少しだけ開いた口元に液体を流し込む。
その時初めて、ミリガンの左眼がヒトの物でないことに気がついた。緑と赤が混じった虹彩と、縦に割れた瞳孔が妖しく光る。
「アールト君は当然として、私は君にも興味があるんだ。事が終わるまで、眠っていてくれ」
その言葉を最後に、マリアの意識は途絶えた。
◆◆◆
「この先だ」
オリバーの杖が指し示す先はただの壁であったが、迷宮において常識は通用しない。突入の意志を示したナナオを制し、シェラが一度ゴッドフレイを呼びに行こうと提案した瞬間、背後の壁が勢いよく陥没した。
「これはっ、」
「(不味い)」
数秒の浮遊感の後に薄暗い空間に投げ出された三人は、どうにか受け身を取って立ち上がった。唯一の光源に目を向けると寝台にカティが寝かされていて、その隣にミリガンが寄り添っている。
「ゴッドフレイ統括を呼ばれる訳には行かない。煉獄の炎に焼かれるには、まだ早過ぎるからね」
「……ミリガン、先輩」
「まったく、君たちには目論見を破られてばかりだ。あのガルダだって丸一年掛けて調教したというのに、お披露目した日がそのまま命日になるなんてね」
何も変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて、自分の行為を語るミリガンがオリバーには恐ろしく感じられた。
「でもね、そんなことはどうだっていい。トロールが人語を喋ったんだ。祖父の代から続く研究が遂に実を結んだのさ」
「……それとカティが、どう関係するのです」
「簡単なことだよ、Ms.マクファーレン。──ほんの少しばかり、脳を見せてもらうだけだ」
視界の端に転がる手術器具。カティが寝かせられている場所。そしてミリガンの発言を聞いて、オリバーの顔が蒼白に染まる。
ミリガンは、ここでカティの頭を切り開く──開頭手術を行うつもりなのだ。
「痛みなんて与えないし、傷跡なんて以ての外。君たちはしばらくそこでお茶でもしていてくれ」
指さした先には小さなテーブルと、解体されかけている亜人の死体があった。ミリガンにとってその程度の手術は休憩中の手慰みに等しいものなのだろう。
もはや言葉を交わす段階ではないと、ナナオが一歩前に進む。そこでシェラはある違和感に気がついた。
「ミリガン先輩」
「なんだい、Ms.マクファーレン」
「マリアは、どこに?」
ミリガンの唇がにんまりと吊り上がった。そして大仰な仕草で背後に向かって手招きをすると、ふらりと人影が進み出る。
「彼女は随分強情でね。つい、やりすぎてしまったよ」
ミリガンに背中を押されて立つマリアの手には杖剣が握られており、普段の眠たげな瞳とも違う、無機質な光が宿っていた。
「さぁ、マリア君。行っておいで」
「──マリアっ!」
一直線に飛び出したマリアは、シェラが咄嗟に構えた杖剣に自らの剣を叩きつける。そのままシェラが押され気味に、隣の部屋へ転がり込んだ。
「シェラ!」
「こちらは大丈夫です! 二人はカティを!」
オリバーとナナオは顔を見合わせ、構えを取る。
仲間を取り戻すための戦いが始まった。
◆◆◆
(さて……ああは言いましたが、っ!)
下段からの斬り上げを躱しつつ、シェラは思考を巡らせる。剣術の授業でのマリアの成績はあまり良くない。それは呪文学も同様であるのだが、かと言ってマリアは弱い訳ではない。
しかし、今のマリアは足元も覚束ず、酷く体力を消耗しているようだ。フェイントを全く入れないため攻撃のタイミングも分かりやすい。
「マリア」
「……」
反応はない。虚ろな目にシェラが映っているのかどうかも怪しいくらいだ。中段の二連斬りを流したシェラは、後ろに引こうとするマリアを追って足を踏み出した。
「少し痛くしますわよ」
真っ青な顔に薄く驚きを浮かべたマリアの肩を狙って、刺突を繰り出す。当然のように逸らされてしまうが、その動きは想定の範囲内だった。
流れに逆らわずに脇を抜け、すれ違いざまに手首を斬りつける。ぷし、と血が吹き出たものの、致命傷にはならなかったようだ。だがその瞬間、マリアの防御が緩んだ。
「っ!」
「……勝負あり、ですわね」
今まで上半身ばかり狙っていたのが功を奏し、シェラの杖剣は無防備な腱を切り裂いた。かくんと体勢を維持できずに倒れるマリアの手から、念のため剣を奪っておく。
「──シェラ?」
「マリア、気がついたのですか!?」
尻もちをついた姿勢でいたマリアは、痛みのショックで正気に戻ったようだった。自分で斬ったとはいえ、だらだらと血を垂れ流す脹脛が痛々しい。
しかし、オリバーとナナオがまだ戦っていることに気がついたシェラは最低限の治療だけを済ませて隣の部屋へ向かった。
マリアが、どんな顔をしているかも知らぬまま。
◆◆◆
その日の夕方。
迷宮から救出されたカティとマリアは、すぐに医務室へと運ばれた。その後すぐにミリガンに盛られた薬の副作用が現れ、マリアを強烈な吐き気が襲った。ヒトの限界ぎりぎりまで投与された麻酔薬は、褪せ人でも容易に分解できるものではなかったということだ。……本当に麻酔薬だったのだろうか。
それはともかく、マリアがようやく回復してきた頃にカティも目を覚ました。隣で悶えるマリアの惨状に顔を引き攣らせはしたが、特に薬の影響は残っていないようだった。
「……あのトロールは、どうなるのかな」
一通り状況を説明され、最初に発する言葉がこれというのは、正直マリアから見てもどうかと思う。ただカティ=アールトという少女の根幹を成すものは、この程度ではないということも勘づいていた。
「今のところ、人語を介する唯一のトロールだ。殺処分の線は無くなったと見て良い。コミュニケーションを取れるのがカティだけという点を武器にすれば、さらなる待遇向上も見込めると思う」
「そっか……それは、良い結末だね」
その一言にどれだけの感情が込められているかを考えようとして、止めた。付き合いが浅いというのもあるが、マリアにはカティの考えを理解できるとは思えなかったからだ。
「じゃあ、オリバー! 起立!」
「あっ、あぁ……!?!?」
「ナナオも!」
「む?」
突然立ち上がったカティが勢いのままにオリバーとナナオにキスをする。そのままこちらにも来ようとしていたが、それは丁重に断った。今は、慣れ親しんだシェラの匂いだけを感じていたい。
「三人ともありがとう! それと特にマリアは巻き込んじゃってごめんね!」
「ン」
頷き返そうとしてまた気分が悪くなってきたマリアは、鼻をシェラの胸元に擦り寄せた。それでも気持ちは伝わったようで、カティはまた正面に向き直った。
「もっと強くなって、隙あらばわたし色に染めてやる! この学校を今より優しい場所にするんだ!」
力いっぱいそう言い放ったカティを目にして、オリバーの瞳から雫がこぼれ落ちた。ぎょっとして慌て始めるカティを尻目に、マリアは帰って来られたのだと安堵した。
束の間の日常だろうとも、この一瞬が大切なのだ。
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