──もうすぐ、超常解放戦線との最終決戦の幕が切って落とされる。
A組の同級生達はその最終決戦に向けて、過酷な訓練に身を置いていた。それというのも、ヒーロー公安委員会から参加指示が下されたからだ。
僕らが雄英ヒーロー科に入学してまだ一年にも満たない。その僅か一年足らずの学生達が、日本全体を騒がせた超常解放戦線との最終決戦に臨まなければならないのだ。同級生の皆が必死になって訓練に励むのも無理はない。
まったく、ヒーロー業界は人余りではなかったのか?
どうして、学生の僕達が戦わなければならないのだろう?
もしかして、学生相手なら課外授業としての名目を整えたら依頼料が要らなくてお得だと、ヒーロー公安委員会が考えているんじゃなかろうか?
そんな疑心暗鬼が、僕の頭から離れない。
「ハァ、世知辛い世の中だよ」
全てが、金、金、金だ。
確かにお金は大事だけど、所詮は何かを手に入れる為の手段でしかないと思うんだ。
この世界には、お金なんかより大切なものが有るって気付いて欲しい。
そう、例えば、素敵な女の子の笑顔はお金よりも大切なものだ。
僕がそれに気付いたのはいつだっただろうか。
そうだ。あれは雄英への進学を決める少し前のことだった。
⭐︎⭐︎⭐︎思い出話だよ⭐︎⭐︎⭐︎
──チャリン、チャリン。
日々、自室に隠し持つ巨大貯金箱には絶え間なく小銭が投入され続けていた。
大地から情報を得られるハーヴェストにとって、射程距離内で落とされた小銭を見つけ出すことは余りにも容易い。
満杯になった巨大貯金箱も、既に片手の数を超えていた。
ククク、このペースで小銭を貯め続ければ、将来は小銭御殿を建てれるぞ。――そんな夢のような話が現実味を帯びて来た頃のことだ。
僕のヒミコちゃんが将来の夢を語ってくれた。
「大人になったら警察官になるか、ヒーローになるかで迷いましたが、自由裁量権の幅が広そうなヒーローになる事に決めました。真面目でお淑やかな私とは違って、迂闊で大胆な重清くんはきっとヤバいことをやらかす筈なので、その時にヒーローの身分が役立つのです。ちなみに拾った小銭を懐に入れるのは普通に犯罪なので職業にはしないで下さいね」
ヒミコちゃんが語ってくれた夢の内容に、僕の心は強く揺さぶられた。
「えぇっ!? 落ちてる小銭を自分のものにしちゃダメなの!」
ヒミコちゃんが悲しそうに眉をひそめる。
「勿論、少額ならバレませんが、大金だとその出所を怪しまれます。無職が唐突に豪邸を建てれば、税務署が張り切って調査を始める案件になるのです」
ウググ、税務署め。許すまじ!
悔しさの余り、僕は巨大貯金箱を抱き締めた。
──チャリン、チャリン。
そんな僕を慰めるように、巨大貯金箱からは清らかな小銭の音が鳴り響いた。
⭐︎⭐︎⭐︎思い出話終わりだよ⭐︎⭐︎⭐︎
あの時の悲しそうに眉をひそめたヒミコちゃんの顔が忘れられない。
税務署がもっとお金に大らかだったら、僕のヒミコちゃんにあんな悲しそうな顔をさせることは無かった。
ヒミコちゃんには笑顔が似合うんだ。
こうして目を閉じれば、ハッキリと思い浮かべることが出来る。彼女のちょっぴり邪悪風味な笑顔を。
転生をした僕は成熟した大人の意識を持っていた弊害で、幼い頃は同年代の子供とは気が合わなかった。
たぶん、ジョジョ立ちで格好良く話す姿に嫉妬されていたのだろう。
幼稚園では明らかに浮いていたし、小学校でも腫れ物扱いだった。
そんな孤高な僕に初めて出来た友達がヒミコちゃんだ。
初めて出会ったとき、ちょっぴり邪悪風味な笑顔を浮かべながらヒミコちゃんは一生懸命に話をしてくれた。
あの時、実は勇気を振り絞って僕に声を掛けたのだと、随分と後になってから恥ずかしそうに教えてくれた。
彼女が勇気を出してくれなかったら、今の僕は存在しない。きっと、自宅近くにある適当な高校に通いながら、小銭拾いに精を出す平凡なナイスガイだったはずだ。
そう、全ては素敵な女の子であるヒミコちゃんの気高い勇気から始まったんだ。
あの日の幼い少女から始まった勇気の物語は、現代へと繋がり、そして遥かな未来へと続いていく。
「マナミお姉さんもそう思うよね」
「ええ、そうね。私にも覚えがあるわ。初めて声を掛ける時はとても勇気が必要だったわ。あの日、弾柔郎さんの自宅に突撃する直前、私は凄く緊張してドキドキしていたわ。あの時になけなしの勇気を振り絞ったお陰で、私は幸せを掴めたわ。ヒミコちゃんも勇気を振り絞って重ちーに声を掛けていたのね。まだ会ったことは無いけど、なんだか親近感を覚えるわ。いつか恋バナをしたいわね」
雄英を抜け出した僕は、マナミお姉さんのところに逃げ込んでいた。
自宅や、ミルコヒーロー事務所だと直ぐに相澤先生にバレるからだ。ユウ姉のヒーロー事務所でも時間の問題でしかない。
そして、他のヒーロー事務所は流石に頼れない。雄英の訓練から抜け出して来ただなんて言えないからだ。ヒーローというのは基本的に真面目な人達だからね。
社会通念上のモラルよりも、僕の味方であることを優先してくれるミルコ姉さんやユウ姉の方が少数派なんだ。この二人なら呆れながらも匿ってくれる。
二人以外だとモエ姉も匿ってくれると思うけど、彼女はエンデヴァーヒーロー事務所の纏め役だ。モラルに反することを頼むのは、部下達への手前を考えれば控えるべきだ。大切な彼女に不要な負担は掛けたくない。
そもそもが、ヒーロー公安委員会の経費節減の為に、僕ら学生に過酷な訓練を強いるのが間違っているんだ。
「まったく、過酷な訓練もいい加減にして欲しいよ。僕の個性はもう何度もレベルアップをしてるからこれ以上の成長は必要ないと思うんだ」
思わず口に出してしまった愚痴に、マナミお姉さんは諭すように言った。
「あら、強さはどれだけあっても邪魔にはならないわ。それに重ちーには大切なヒミコさんがいるのよ。彼女との薔薇色の人生の為にも、学生の今は貪欲に強さを求める時期だと思うわ」
その言葉に衝撃を受けた。
そうだ!
僕には大切なヒミコちゃんがいるんだ!
真面目で慎重派な僕とは違って、彼女は破天荒で大胆な性格だ。
いつかはきっとヤバいことをやらかすに決まっている。
そんな時に事態を収める為には、圧倒的な力が必要なんだ。
「目が覚めたよ、マナミお姉さん。僕は貪欲に強さを求めて、僕のヒミコちゃんを守り切れる力を手に入れてみせる! それでね、マナミお姉さん。マナミお姉さんみたいに他人の個性を強化出来る個性持ちの人をネットで見つけて欲しいな」
強さを求めるといっても、現代っ子な僕に過酷な訓練は向いていない。ショートカットできる道を探すのがベストだろう。
「もう、やっと男の子っぽい熱いセリフを口にしたかと思えば、直ぐにそういう裏技に頼ろうとするのね。でもそれでこそ重ちーだわ。大好きなヒミコちゃんの為ならどんな手段でもとる。たとえそれがヒーロー失格な選択肢でも平然と選ぶ。そんな重ちーの姿が、女の子から見ればとても素敵だわ。私に弾柔郎さんがいなければ、きっとヒミコちゃんを羨ましく思って嫉妬していたわね。ふふ、私の弾柔郎さんへの“愛”で成長した重ちーは子供同然に愛しい存在よ。必ず、重ちーに相応しい個性持ちを見つけて上げるわね」
マナミお姉さんは優しげな笑みを浮かべてキーボードを叩き始めた。
その華麗なキーボード捌きは相変わらずで、この僕ですら感嘆するしかなかった。
うん、後は頼りになるマナミお姉さんに任せて、僕はソファに寝転びながらテレビでも見ていよう。
ピッと付けたテレビには、巨大な空飛ぶ要塞が映っていた。
*
──それは日本の領海へと不法侵入した所属不明の飛行要塞だった。
テレビではアナウンサーが大騒ぎをしているけど、冷静沈着な僕は慌てたりはしなかった。
ゆったりとスマホを取り出してミルコ姉さんに連絡する。
『なに、飛行要塞だと? ちょっと待ってろ――あぁ、こっちでも確認した。ちょいとヤバそうな雰囲気だが、今のところ公安からの指示はねえから様子見だ。相手の正体によってはヒーローじゃなく、軍が動く案件かもしれねえからな。まあ、どっちにしろ被害があればうちに特別依頼が来るだろ。お前はそれまで大人しく待機してろよ』
ミルコ姉さんの言葉に、うんと素直に答える。
飛行要塞なんて個人経営のプロヒーローの業務範囲を超えている。あんなのは国家公務員が相手をするべきだ。
武闘派なミルコ姉さんが突撃するぞって言うのなら当然一緒に行くけど、その気はないみたいだ。
今回はのんびりとテレビ観戦を楽しもう。
ガサゴソとお菓子を漁って観戦環境を整える。テレビでは血の気の多いプロヒーローが早速集まり始めているのが映っていた。
ワクワクしながらテレビを見ていたら、ふと心に女の子の姿が浮かんだ。
──それはモモちゃんだった。
A組で最初に僕達を――ヒミコちゃんを受け入れてくれた女の子だ。そして、僕が閃いた機動戦士ヒーローの相棒をしてくれている。
最初、機動戦士ヒーローは、ただの思い付きだった。
それが思いの外、モモちゃんの喰いつきが良すぎてビックリした。半強制的に各種運転免許の猛勉強もさせられた。
モモちゃんは機動兵器の操縦レバーを握ると凶暴な人格に変貌するちょっぴり怖い女の子だった。
だけど、この機動戦士ヒーローという切っ掛けがあったからこそ、今のミルコ特戦隊が生まれたんだと思う。
モモちゃんがいなければ、ミルコヒーロー事務所にA組女子が集まるなんて奇跡も起こらなかった。
そして、モモちゃんの仲立ちが無ければ、僕のヒミコちゃんは他の女子達と今ほど仲良くはなれなかったはずだ。
ちょっとだけ酷薄な面があるヒミコちゃんだけど、凶暴時のモモちゃんと比べれば、気の荒いチワワと獰猛な闘犬ぐらいの違いがある。
凶暴で獰猛なモモちゃんが優等生扱いされるA組では、ちょっとだけ酷薄なヒミコちゃんなんて普通の女子生徒でしかない。
A組女子の一員として、キャッキャウフフと楽しそうに戯れる姿を初めて見た時の感動は、今でも忘れられない。
全ては、モモちゃんという一人の女の子が居てくれたお陰なんだ。
そんなモモちゃんは、この飛行要塞の出現に間違いなく大興奮してる筈だと気付く。それは、機動戦士ヒーローが活躍できる機会がやっと訪れたからだ。
無敵の機動戦士ヒーローとはいっても、今までに活躍できた場面はなかった。泥酔ヴィラン収集業務では役立ったと思うけど、モモちゃんとしては決して収集業務をヒーローとしての活躍だとは認めないだろう。
普段、相手をするヴィラン相手では、機動戦士ヒーローは意外と出番がない。それは、巨大な機動戦士ヒーローは街中で運用するのに向かないからだ。
泥花市での動乱の様な大規模な戦闘でなら大活躍できたと思うけど、残念ながらまだプロヒーローではないから機動兵器をヴィランとの戦闘で使用する許可が下りないんだ。
だけど、相手が生身のヴィランではなく、飛行要塞なら話は違ってくる。
例えるなら、ビル内に立て籠っているヴィランを捕えるために、機動兵器を使ってビルを破壊して内部に突入するようなものだ。
機動戦士ヒーローが、飛行要塞相手にその武力を行使するのに何の障害もないんだ。まあ、障害はないけど、依頼もないから出撃は出来ないんだけどね。
きっと、僕と同じように頭脳明晰で判断力に優れたモモちゃんもこの事実に気付いているはずだ。今頃、勝手に出撃しようとして周りの人達に止められているんじゃないかな?
──プルルル
スマホの着信音が鳴った。
相手は――モモちゃんだ。
うん、きっと出撃を止められた愚痴を言いたいのだろう。ここは機動戦士ヒーローの相棒として聞いてあげなくちゃだ。
僕は優しい気持ちで電話を取る。
『重清さん!! 簀巻きにされた相澤先生を解放する代わりに出撃の許可を貰えましたわ!! 雄英の課外授業扱いです!! さあッ、機動戦士ヒーローの鮮烈なるデビュー戦ですわ!!』
簀巻き…?
とりあえず、僕はマナミお姉さんに出掛けることを告げた。
*
海上に浮かぶ正体不明の飛行要塞は、今や炎に包まれていた。
無限とも思えるミサイルとビームを四方八方から受けたその姿は、世の人々に領海侵犯の罪深さを教えたと思う。
正体不明の飛行要塞だって無抵抗だったわけじゃない。その備えた対空兵器を全力で撃ちまくっていたけど、機動戦士ヒーローの機動力の前では殆どが当たらなかったし、偶に当たっても、僕がえいっとすれば一瞬で直る。
弾薬燃料だって、パクパクと高カロリーの携帯食を食べ続けるモモちゃんがいる限り、尽きる事はない。
「オーホホホホホ!! 醜悪なる侵略者など海の藻屑と消えるのが相応しい末路でしてよ!! この機動戦士ヒーロー“重ちー&クリエティ”がいる限り、我が愛する祖国には一ミリたりとも踏み込ませは致しません!!」
只今、大ハッスル中のモモちゃん。
──機動戦士ヒーロー“重ちー&クリエティ”
たぶん、重ちーの方を先にしてくれたのは彼女の好意なのだろうけど、出来れば遠慮したかった。
破壊と暴力の化身の様な機動戦士ヒーローは、紳士な僕のイメージとはズレている。
だけど、すっごく楽しそうなモモちゃんに文句なんかは言えない。
「オーホホホホホ!! 燃え盛る要塞から飛び降りるヴィラン達がまるでゴミのようですわ。さあッ、未だに抵抗を続ける愚かなヴィランの皆様方。これよりお見せするのは、我が叡智が生み出した
人型となった機動戦士ヒーローが構えるのは、機動兵器を製作した軍事兵器研究所が開発したライフル型の荷電粒子砲だ。
その動力源は、モモちゃんが時給一万円を明示したら喜んで手を上げた上鳴君が務めている。
『ぜ、全力放出と、即時回復の無限ループ……も、もう勘弁して……』
「
上鳴君の弱音を一喝するモモちゃん。
破格な時給のバイトなんてどう考えても怪しいんだから、絶対に受けたらダメだよね。
荷電粒子砲の動力室でヘロヘロになっている上鳴君が写されているモニターを見ながら、僕は心の中で思った。
え? 口には出さないよ。
絶好調のモモちゃんに水を差すわけにはいかないからね。
そのモモちゃんが、獲物を甚振るニャンコを思わせる笑みを浮かべながら荷電粒子砲の照準を合わせていると、空中要塞の甲板に二人分の人影が現れた。
何だかハイパームキムキなおっちゃんに似た金髪のおっちゃんと、お嬢様っぽい女の子だ。
お嬢様っぽい女の子は何だか元気がない様に見える。もしかして、ヴィランじゃなくて人質にされているのかな?
「巫山戯るなッ!! 俺こそが新たな平和のッ――」
「あら、ヴィランの親玉ですわ。では撃ちますね」
──ドチューン
「オーホホホホホ!! 機動戦士ヒーロー“重ちー&クリエティ”が、領海侵犯の首魁を討ち取りましたわ!!」
荷電粒子砲に貫かれて、爆発しながら墜落していく空中要塞。
こうして、モモちゃん渾身の高笑いをBGMとして、日本を騒がした空中要塞騒動は終焉を迎えた。
*
──ギリギリで間に合った。
お嬢様っぽい女の子をマナミお姉さんの部屋に置いてきた僕は、絶好調で高笑いを続けるモモちゃんの後ろでホッと胸を撫で下ろした。
*
「助けてくださって、ありがとうございます」
お嬢様っぽい女の子――アンナ・シェルビーノはやっぱりヴィランではなかった。
ヨーロッパの資産家の娘で、突然現れたヴィラン集団に拉致されたそうだ。
「すごい偶然だわ。彼女こそが重ちーが探していた個性の持ち主よ。うふふ、重ちーは幸運の女神に愛されているのね」
マナミお姉さんに探してもらっていた他人の個性を強化できる個性の持ち主。
それがアンナだった。
「あの、私の“過剰変容”は確かに個性を強化出来ますが、適合しない人に使えば、激痛を受けることになります。そしてその適合率はとても低いのです」
アンナが心配そうな顔になる。
「それなら大丈夫だわ。重ちーは幸運の女神に愛されているもの。絶対に適合するはずよ」
そんなアンナの心配を吹き飛ばすように、マナミお姉さんは胸を張って断言した。
ううーん。そこまで運の良さに自信はないよ。
マナミお姉さんと出会えたように、人との出会いに関する幸運には恵まれていると思うけど、それ以外の運は人並みだと思う。
だけど、マナミお姉さんの言葉を真に受けたアンナが、素直に安心するのを見たら訂正がしずらい。
よし、覚悟を決めた。
ここは男らしくアンナの強化を受けるぞ。
──クレイジー・ダイヤモンド!!
「アンナ! クレイジー・ダイヤモンドに個性を使ってね!」
背後に立つクレイジー・ダイヤモンドを示しながら、僕は男らしく堂々とアンナに告げた。
*
「うふふ、クレイジー・ダイヤモンドが嫌そうな顔になるのを初めて見たわ。やっぱり、重ちーは重ちーよね。どんなに咄嗟でも裏技で危機回避をする抜け目のなさが微笑ましいわ」
クスクスと笑うマナミお姉さんの横で、アンナはクレイジー・ダイヤモンドに触れている。
あれ? なんだか顔色が悪くなってないかな?
「ハァハァ、良かった。私の個性因子にクレイジー・ダイヤモンドは適合します。これなら強化ができ――」
倒れかけたアンナを抱き止める。
あれ、髪の色が黒ずんでいるような?
「ご、ごめんなさい。個性を使い過ぎると身体に少し負担が掛かるだけで――」
えい。
「あれ? 身体の痛みが消えました」
──両足を開いて立つ。両腕でアンナをお姫様抱っこにする。黄金の精神がオーラとなり、目を丸くしているアンナを優しく包み込む。
「アンナの中で個性因子が過剰増加していた。その苦痛は相当なものだったはずだ。アンナ、すまなかった。君に無理をさせた」
アンナの“過剰変容”は、彼女の個性因子を対象者に流し込み、個性を強化・変容させるものだ。
クレイジー・ダイヤモンドが、アンナの個性因子を受け入れたお陰で、彼女の個性について理解が深まった。
他人に触れるだけで発動する常時発動型のアンナの個性。彼女のこれまでの人生は孤独なものだろうと、簡単に想像出来た。
だが、今の俺なら彼女の個性を変えられる。
アンナの耳元で穏やかに囁く。
「アンナの
「え?……えぇ〜っ!?!!??!!!」
グルグル目になって混乱するアンナ。
それも無理はないだろう。自分の個性が改造されるとなれば誰だって混乱ぐらいする。
だが、苦痛が伴う副作用など無い方が良いに決まっている。峰田のような性癖が無ければ消した方が――いや、アンナがそういう性癖の可能性はあるのか?
うむ、聞いてみるか。
《本体、それを女の子に聞くのはダメ》
そうなのか?
分かった。ハーヴェストが言うのなら止めよう。
そうだな。今は性癖よりもアンナの個性改造を優先すべきだ。それにもしも元に戻せと訴えられたら戻せば良いだけだ。
俺は腕の中のアンナを優しくベッドに寝かせた。すると、グルグル目のアンナがワタワタと両手を大きく振り回しながら早口で叫んだ。
「あ、あの! 重清さんのお気持ちはとても嬉しいのですがッ、私には憧れている人がいてるんです!」
そうか。アンナのこの慌てよう。自分の性癖ではなく、エムな性癖を持つ人間に憧れているのだな。
だが、尊敬する人への憧れと、性癖は別物だ。
峰田も雄英に入学できる程度には優秀な人間だが、その優秀さに憧れたとしても、エムな性癖にまで憧れる必要はない。
アンナにこの気持ちが伝わるように、俺は強い気持ちを込めて、彼女の瞳を真摯に見つめた。
そして、胸を触れ合わせて互いの鼓動を感じ合う――鼓動と共にこの熱い気持ちが届くようにと願う。
「アンナ、憧れは人の目を眩ませる。君はその人の心に寄り添えているのか。俺は他人を思いやれるアンナの温かい心に触れて、その心に寄り添いたいと思った」
アンナには平和な日常こそが似合う。俺はそれだけを想い──彼女の耳元で本心を告げた。
「俺は俗なつまらない人間だ。アンナの心に寄り添いたいなどと格好つけた台詞を言ったが、本心を吐露すれば、アンナと実際にこの手で触れ合いたい。アンナの手を握り、その身体を抱き締めて、君の体温を深く感じたい」
「ッ!?」
アンナが息を飲むのが分かった。きっと幻滅したのだろう。自分を助けた異国のヒーローが、所詮はただの欲望塗れの男だと分かったのだから当然のことだ。
だがそれでも、そんなどうしようもない男でも譲れない想いだけはある。
「アンナ――君の笑顔と共に歩んで行きたい。その笑顔を誰でもないこの俺の手で守りたい。そして、俺の全てをアンナに感じて欲しい」
全ての想いを込めて、俺はアンナを抱き締めた。
「きゅぅぅぅ〜☆」
あれ? アンナが目を回しちゃった。
グッタリと力の抜けたアンナ。
抱き締めたその身体は、メリッサと同じく文字通りの日本人離れしたボリュームを誇っている。
そんなボリューム抜群の身体から手を離して、ソッとベッドに戻す。アンナとはまだ仲良しになった訳じゃないからね。意識のない彼女を抱き締めるのはマナー違反だ。
男なら紳士じゃないとね。
じゃあ、今の内にこっそりと改造しよう。
目を覚ましたアンナに個性の無断改造を怒られたら一緒に謝ってね。マナミお姉さん!
「ハァ、ヒミコちゃんの苦労が偲ばれるわ」
マナミお姉さんは、何故か困った子を見るような目を僕に向けていた。
*
「重清さん。本当にありがとうございました。対処療法ではなく、“過剰変容”を変質させてオンオフを可能とし、しかも副作用まで消せるだなんて、重清さんのクレイジー・ダイヤモンドは奇跡のような個性なのですね」
深々と頭を下げるアンナ。そんな彼女の姿が他人行儀すぎて寂しく思えた。
そんな想いが顔に出てしまったのだろう。アンナはその白く小さな手を伸ばして、慰めるかのように俺の頬に触れた。
「ごめんなさい。今の私には自分の気持ちが分かりません。私の胸にあるこの想い。これは幼い少女の憧れなのか。それとも、一人の女としてのものなのか。――それに、新たにこの胸に芽生えた温かいもの。私を満たすこの気持ちが一体何なのか。それを理解する為の時間を私に下さい。きっと、答えを見つけてみせますから」
そう告げて、優しげに微笑むアンナの姿が、俺にはとても眩しかった。
*
──超常解放戦線との最終決戦日が決まったそうだ。
空中要塞を撃破してご機嫌なモモちゃんは張り切って訓練を続けているらしい。
そんなモモちゃんを怯えた目で見ながら上鳴君も訓練を続けているらしい。
どっちも“らしい”と曖昧な表現になるのは仕方ないんだ。
何でも二人は秘密の作戦に関わっているらしくて、正確な情報は極秘になっている。
もちろん、モモちゃんにこっそり聞けば内緒で教えてくれるだろうけど、あまり最終決戦に興味が無いから聞いてない。
そもそもハーヴェストに聞けば済む話だからね。
《何でも聞いて。半径数百キロ内なら何でも分かる》
うんうん。僕のハーヴェストは優秀だよね。
そんなことをのんびりと考えている時だった。
「重清ちゃんに相談があるわ」
膝枕をしてくれてる梅雨ちゃんが悲しげな表情をしながら言った。
「青山ちゃんを助けられないかしら」
えーと、青山君に何かあったの?
そう思ったけど、シリアスな空気を漂わせる梅雨ちゃんには聞けなかった。
まあ、僕の梅雨ちゃんのお願いなら叶えるしかないよね。
僕は声高らかに叫んだ。
――クレイジー・ダイヤモンド!!
*
青山君を梅雨ちゃんの元に連れて来た。
はい、梅雨ちゃん。ご希望の青山君だよ!
「ここは何処なの!? 今まで緑谷君達と話していたのに!?」
「──ハァ、重清ちゃん。悪いのだけど、青山ちゃんを元居た場所に戻してきて」
パニくる青山君を目を丸くして見つめた後、梅雨ちゃんは溜息と共に青山君の返品を口にした。
僕は仕方ないから小さく呟いた。
――クレイジー・ダイヤモンド。
*
なるほど。青山君を物理的に助けるだけじゃなくて、合法的に助けたいんだね。
青山君を返品した後、梅雨ちゃんとお話をしてその望みをちゃんと理解した。すっかり忘れていたけど逮捕された青山君とそのご家族。そんな彼らを助けたいんだね。
──ごめんね。それは無理だと思う。
理解した上で非情な言葉を告げるしか無かった。
青山君らはこの世界のディオ――悪辣で残虐非道なヴィランであるオール・フォー・ワンの協力者を家族ぐるみでやってたんだよね?
そんな凶悪ヴィランの協力者の恩赦を願うのは、僕ら学生には荷が重過ぎる。
それに同級生として同情する気持ちは分かるけど、僕らはヒーロー候補生なんだ。
むしろ同級生だったからこそ、厳しい態度をとる必要がある。優しい梅雨ちゃんには酷な話だけど、それがプロヒーローを目指した人間の責任だと思うんだ。
「……そうね。重清ちゃんの言葉は正しいわ。とてもヒーローらしい態度だと思うわ。――ところで、もしも私が罪を犯したら、重清ちゃんはどうするのかしら?」
もちろん助けるから安心して!!
どんな手を使ってでも、梅雨ちゃんの罪なんか無かったことにして見せるからね!!
「ケロ――重清ちゃんのその気持ちはとても嬉しいわ。だからその気持ちを持ったまま、もう一度聞いてね。私達の同級生である青山ちゃんを助けたいの。その為に重清ちゃんの力を貸しては貰えないかしら」
うーん。どんな理由があったとしても、僕らはルールを守らせる側の人間なんだよ。
だから同級生としては辛くても、僕らは誇りあるヒーロー候補生として、青山君が罪を償うのを見守るべきだと思う。
だからさ、彼には差し入れを持っていって励ましてあげよう。そしていつか彼が出てきたら皆で出迎えて上げようよ。
それが僕らがして上げれる精一杯の友情だと思うんだ。
「……ええ、その通りだわ。重清ちゃんは正しいことを言っているわ。ヒーロー候補生としてとても模範的な意見だと思うわ。――それでね、もしもヒミコちゃ……いいえ、これだとさっきと同じ展開になるわね。そうだわ、お茶子ちゃんならどうかしら? 重清ちゃんから見れば、お茶子ちゃんは普通の同級生よね。ミルコヒーロー事務所に加わったのもごく最近だわ。そんな同級生が罪を犯して逮捕されたら、重清ちゃんはどうするのかしら?」
──梅雨の近くへと身を寄せる。左腕を彼女の腰に回してその小さな身体を支え、彼女のおとがいに指をかけて上を向かせた。
心の底から燃え上がる激情を全力で抑えながら、俺は低い声で彼女に語る。
「どれほど浅い付き合いだろうと、この俺に
「今は重清ちゃんとお喋りを楽しむ時間が無いから、ぶつける方でお願いするわ。でも、ぶつけるのは軽く触れる程度に抑えてね。それでね、浅い付き合いの青山ちゃんを助ける為に力を貸して欲しいわ。重清ちゃんなら良いアイディアが浮かぶんじゃないかしら?」
うーん。こんなに梅雨ちゃんが青山君を助けたがるだなんて、なにか特別な理由があるのかな?
顔を上げて剥き出しになった彼女の白くて滑らかな首筋に軽く触れるように鼻を当てて柑橘系の匂いを吸い込みながら、僕は彼女に疑問に思ったことを聞くことにした。
クンクン。
罪を犯した親しくもない
「ケロ? いいえ、青山ちゃんは全く好みではないわ」
そうなんだ!!
義を見てせざるは勇無きなりって言うからね。
クンクン。
ヒーロー候補生なら同級生を見捨てたりしないよね。それにオール・フォー・ワンの協力者とはいっても、青山君達家族は大したことはしてないみたいだ。
クンクン。
少し前に別件で恩赦を貰ったんだけど、それと比べれば楽勝だよ。
そうだ!
ヒーロー公安委員会の委員長は女性なんだけど、彼女の皺を消すのと引き換えにすれば、協力者程度の恩赦なら簡単に貰える筈だよ。だってこの間会った時にカイナお姉さんの顔を凄い目付きで見てたもん。
権力者とのコネは大切だよね!
クンクン。
「ハァ、色々な意味で頭が痛くなってきたけど、青山ちゃんが助かりそうで良かったわ。ところで、重清ちゃんはいつまで匂いを嗅ぐつもりかしら? あまり長く嗅がれたら流石に恥ずかしいわ」
頬を赤く染めてそう訴える梅雨ちゃん。その照れ顔が凄く可愛くて、僕は思わず赤く染まった頬に唇を寄せた。
*
青山君の恩赦交渉をしに、僕は公安委員長のお姉さんに会いに行った。
「あら、青山家の皆さんとはオール・フォー・ワンを罠に嵌める為の交渉役をする代わりに恩赦を約束しているわよ。まあ、それはそれとして矢安宮君の提案はとても魅力的だわ。私への貸一つとして先に貰えないかしら?」
ニッコリと凄く迫力のある笑みを浮かべて迫ってくる公安委員長の要求を、僕は否応なく飲まざるを得なかった。
うん。女性の美を追い求める心は凄いよね。
──モモちゃんが相澤先生を解放したと思ったら、喜び勇んで機動兵器に乗ってどこかに飛んで行っちゃいました。
相澤先生を解放する前にスマホで何かを見てましたが、それが関係するのでしょうか?
それと上鳴君を連れて行きましたが、彼を押し込んだ外部ユニットの構造だと中からは開かない気がします。乗務員というよりも機械の部品っぽい扱いですね。
何だか碌な目に合わない気がしますが、上鳴君がどんな酷い扱いをされたとしても、モモちゃんがとても楽しそうだったので問題ないです。
解放された相澤先生もこの場にいる私達に向かって『お前達はここで訓練を続けていろ! 決して街には行くんじゃないぞ!』と言い残すと、どこかに行っちゃいました。
私の勘だと、これはきっと大事件が起こったのだと思います。またテロでしょうか? それともMs.ジョークを妊娠でもさせたのでしょうか?
いくら婚約者同士といえど、結婚前なのですから節度ある交際をして欲しいです。
私の重清くんなんて、私の身体を触りまくりはしますが、そういう意味では信頼できる素敵な紳士なのです。
そういえば、以前に重清くんとの進展具合をママに聞かれた時にも彼の素敵な紳士っぷりを話して――
『ごめんなさいね、ヒミコちゃん。うちの重ちゃんがそこまで腰抜けな男の子に育っているだなんて思わなかったわ。いつもベッタリなのに蛇の生殺し状態なのは、若くて健康なヒミコちゃんには辛いわよね。なんだったらヒミコちゃんの方から――』
いやぁぁぁーッ!?!!??!!!
封印していた記憶が蘇りました!!
うぅ、ママにあんな心配をされるだなんて、能天気にペラペラ喋った過去の自分をぶん殴りたいのです。
いくらママでも、私の重清くんを腰抜け呼ばわりはしないで下さい。少し
この記憶は再び封印します。
清純な乙女には相応しくない記憶なのです。
それよりも嫌な予感が消えていません。早く重清くんを探し出さないとダメです。
私は可憐に駆け出しました。
♡
とても怪しい赤毛の男を見つけたので、簀巻きにしました。
「出会い頭に他人を簀巻きにされるだなんてどういう教育を受けているガキ様ですか!?」
日本有数の名門校で、プロヒーローの英才教育を受けている才色兼備な女子高生なのです。
最初に言っておきますが、お触りは厳禁ですよ。
私に触れて良いのは、私の重清くんだけです。
眼帯と義手を露骨にアピールしている厨二病な執事服の中年男性は、女子高生に近付くだけで社会的に抹殺案件になりますよ。
「ガキ様相手に妙な気を起こすわけありませんッ!」
女には興味がないのですか? それはとても安心できる情報なのです。
あっ、ひとつ言い忘れていました。
素敵な重清くんに近付いたら、その剥き出しになっている方の目ん玉をくり抜きますよ。
「急に怖い事を言わないで下さい!? ハァ、私は男性が好きなわけじゃありませんよ。普通に女性が好きですから、貴女の彼氏に手を出したりは致しません。そこは安心して下さい」
初対面の女子高生に、自分は女好きだと宣言する男には安心する要素が微塵もないですよ?
「……なるほど。その言葉は正しいですね。まさに真理だと言えます。ですが、私が人畜無害な人間なのもまた真実です。ですから、そのスマホを操作するのは止めて下さい! ガキ様ッ! 貴女通報する気ですね!」
ハイなのです。貴方に何かを“される”可能性は限りなく低くはあるのですが、何かを“見せられる”可能性はあります。
そういう気持ち悪いモノは見たくないので、通報を止めることには同意できません。
これに懲りたらきちんと更生してから社会に戻って下さいね。
私はスマホを操作して――
「本当に待って下さい! 私には成さねばならない使命があるんです!」
使命があるのですか?
「ええ! 私にはお嬢様を殺すという――」
通報しました。
♡
物騒な世の中なのです。
ただの変態で厨二病なオジサンかと思っていたら、変態で厨二病な殺人鬼でした。
あんな執事を雇っていたお嬢様が可哀想ですね。
いつか会うことがあれば、愚痴ぐらいは聞いて上げようと思います。
「おっと、嬢ちゃん危ないぜ。前はちゃんと見て歩きな」
つい考え事をしながら歩いていたら、人にぶつかりそうになりました。
ぶつかりそうになった相手――額に傷跡のあるオジサンはぶつかる直前でサッと身を引いて避けてくれました。
オジサン、不注意でした。ごめんなさいです。
「オジサンって、いや、嬢ちゃんから見れば完全にオジサンだな。ハハッ、時の流れは残酷だぜ」
オジサンという単語がショックだったみたいです。自分で自分を慰めるように敢えて陽気に肩をすくめています。
その哀愁漂う姿に、我ながら珍しい事ですが、少しだけ気が咎めました。
だからなのでしょうか?
私の口かららしくもない言葉が飛び出ました。
「──今、オジサンは幸せですか」
「おう? 初対面のオジサンにする質問かそれ。まあ、別にいいけどよ。それで俺が幸せなのかってか。うーん。じゃあ、少し語るぞ。実は少し前に泥舟から降りたんだがな。その後に飲み屋で知り合ったオネエと意気投合してよ。そいつが数年後にしげち――おっと、まだ内緒だったな。あー、俺も一応知り合いなんだが、途方もなく腕の良い美容整形医が居てな。その人に施術してもらえるんだわ。そしたら一緒に暮らそうって約束していてな。まあ、俺としては今すぐ暮らして良いんだけどよ。アイツが綺麗になってからじゃないと恥ずかしいって言うんだ」
その人の事を思い出しているのでしょうか?
オジサンはとても優しい顔になって話を続けます。
「まったく、俺からすりゃ、外見なんかどうでもいいんだ。アイツほど心が綺麗で温かい奴は居ないっていうのによ。俺なんかには本当に勿体無いと思うぜ。いや、絶対に他の男には渡さねえけどよ。アイツを幸せにするのは、アイツと一緒に幸せになるのは俺だからな。これだけは譲らねえよ。――おっと、スマン。話が長かったな。アイツの話になるとつい止まらなくなっちまうんだ」
そう言って、照れ臭そうに笑うオジサン。何だか幸せオーラを感じます。
なのにどうしてでしょうか?
鼻の奥が、ツンとなります。
「まあ、そういうわけで、これからは二人でひとつの幸せってやつを育んでいくぜ。だから俺はよ。今、すごく幸せだぜ」
そう締め括ると、オジサンはニヤリと笑みを浮かべて去って行きました。
その姿を見送りながら、私は何故か柄にもなく真摯に願いました。
──二人でひとつの幸せが、どうか末永く続きますように。
重清くんの顔が、無性に見たくなりました。