やはり俺の青春ラブコメは短編でもまちがっている。 作:石田彩真
ありふれた(非)日常
──キスをした。
眼前に彼女の顔が近づいてきてゼロ距離になっているのなら、それはもう唇同士が触れた以外の何者でもないだろう。
最初は軽いソフトタッチ。次に口を啄むように動かし、不意に彼女の舌と接触する。ピクッとなる彼女と同時に彼女の鼓動も感じた。
ああ、これがキスなのかと自分がしている行為を自然と受け入れられていることに、俺自身かなり驚いていた。
そして──
× × ×
はっと目が覚めた。
辺りに首を動かすと自分がいる場所は部室なのだと理解する。
そして視線を斜め上へ向けるとそこには奉仕部部長、雪ノ下雪乃が驚いた表情で立ち尽くしていた。
「比企谷くん、大丈夫?」
恐らく俺が飛び起きたことにびっくりしたのだろう。珍しく罵倒もせず、ただただ心配してくれてるのが伝わってくる。
けどこれは……やっぱりそういうこと、だよな。
「大丈夫だ、ちょっとした夢見てた」
「そう。なら、良いのだけれど」
「……それより、なんで俺の横に立ってんだ?」
「えっ……? こ、これは、その……、あなたが魘されてたから起こそうと思ったのよ」
「そうか。……なんか悪いな」
目の前の少女と言葉を交わし、俺は自分が夢の中へ迷い込んでいたのだと知覚した。
まあそんな気はしていた。だって付き合ってるどころか、友達申請を拒否されてただの部活メイトでしかない雪ノ下と俺が……ね?
あくびを噛み殺すように伸びをし、関節を鳴らす。そして目を擦りながらほふぅとため息をひとつ。
……………………。
やばいやばいやばいヤバい。
俺なんて夢見てんの⁉︎ えっ、マジハズイ。
今が自室だったら発狂して思わず窓から身を投げ出す自信がある。
多分いま雪ノ下が部室から去っても同じ事象が発生するだろう。
それほどの衝撃だった。
夢というのは自分の願望を見る、というのを聞いたことがある。
もちろん一概にそうとは言えないだろうが、先の夢を"そうじゃない"と断言するのは難しい。だからこその羞恥が俺を襲いまくる。
ちらっと雪ノ下へ視線を移す。目ではなくそれより少し下にある部分に。
……あ、雪ノ下のやつ今日はリップグロスしてるのか。少し艶々してる。
あの綺麗な唇が俺のかさついた唇に、か。
──柔らかかったし、良い匂いだったよな。
ただ夢で感触が分かるものなのだろうか。
確か痛覚は感じると聞いた事はある。けれど他の五感は……分からん。
理屈で考えるなら、一緒にいる時間が長くて触れたこともあるから分かるって事なんだろうけど、そこだけ切り取ると変態みたいだな俺。だいいち唇に触れたことなんて無いし。
「……その、比企谷くん」
「ん?」
「いえ……。私の顔に何かついてる?」
どうやら視線を送りすぎていたらしい。チラッとどころかガン見をしていた。
雪ノ下も俺の目線がどこにあったのか理解をしているみたいで、仕切りに唇を指でなぞっている。
やめて! それは今の俺に効果抜群だから!
そう言葉にしようと喉まで出かけたが、理由を尋ねられるとアウトなのでギリギリのところで噤んだ。
「や、なんでも。ボーッとしてただけだ」
「……そう。なら、いつものことね」
「いや違うから。あれはニヤついてるだけだから」
「そちらの方がよほど気持ち悪いからやめてほしいのだけれど。由比ヶ浜さんとも前話してたのよ」
あれれ〜おかしいぞ〜? 流れるように俺の心を傷つけられた。まあ話を振ったの俺からだけど。なんだ、自業自得じゃん。
もう部室ではラブコメ系を読まないことに決めた。ファンタジーにしよう。
……や、ダメだな。と言うより、昨今のラノベはどんな系統の作品でもとりあえずイチャつかせとけって感じのばかりだからニヤつかないとか無理だわ。
なに? 覆面でも被ってれば良いの?
「……キズ」
「えっ、キス⁉︎」
「は?」
「すいませんごめんなさい出来心だったんです」
冷酷無比すぎる言葉に謝罪した。
普段ソプラノボイスから、どうしたらそんな低い声が出せるんですかねぇ。あとイチオクターブ下がってたら床に額を擦り付けて土下座を敢行しているレベル。
雪ノ下は自分の口端に人差し指を当てた。
「あなたのここ、血が滲んでるけど大丈夫?」
言われて手で触れてみると確かに傷が存在するようでピリッとした痛みが走った。けれどそこまで騒ぐほどでも無い。
「ああ、問題ない。多分、起きた時爪が当たって切れたんだろ」
「そう。なら良いのだけれど」
言って雪ノ下は自分の席へと戻り、閉じられてた本を読み始めた。
対して俺は昼休みにラノベを読んでそれが読み終わったてしまったから暇して寝てたことを思い出し、手持ち無沙汰だなぁと心で嘆く。
「……っ⁉︎」
不意に傷を触ってしまいヒリヒリした。
よくあるよね、こういうの。傷があるのに気づくと、そこが無性にに痛くなること。今まさにその現象が起こっていた。
ヤバいすごい気になるってか痛い。ささくれがむけたときと似た感じだなこれ。とにかく痛い。
とりあえず手のひらで押さえてみた。少し出血していた。
思いの外鋭く切れてるのかもしれない。
スマホのカメラモードで確かめてみるもよく分からない。
こうなったら保健室でも行って絆創膏をもらってくるか。気休め程度にはなるどろうし。
そう思い立ち上がろうとすると、不意に雪ノ下と目が合った。
「どこか行くの?」
「や、ちょっと保健室で絆創膏をもらって来ようかと」
「それなら私、持ってるわよ」
言って雪ノ下はかばんの小さい開け口から絆創膏を取り出した。
「どうぞ」
「…………」
「いらないの?」
「……や、もらう」
無条件に世話を焼いてくる雪ノ下に変な勘繰りをしてしまう。
なんか今日の雪ノ下はおかしい。絶対裏がある。
思えば俺が部室に来た時から変だった。笑顔で挨拶してくるし、紅茶は俺の適温で淹れてくれたし、挙げ句の果てには俺が寝る前「おやすみ」って挨拶までくれたし。
今目の前の彼女が雪ノ下雪乃の双子の妹でしたって言われた方がまだ納得出来る。
……ま、それはそれで恐怖しかないわけだが。
とにかく今日の雪ノ下は何かを隠している! なんて事はなく、ただ単にそういう日なだけかもしれない。
わかるわかる。無性に身近な人に優しくしたくなる時ってあるもんね。
俺もあるよ。まあその身近な人って小町しかいないし、そもそも小町のお願いならお兄ちゃん無条件でなんでも聞いちゃうから、あまりその手の衝動に左右されないけどねっ!
俺の小町愛はこの際どうでも良くて、くれるというならありがたく頂戴することにする。
雪ノ下の近くまで行き絆創膏に手を伸ばすと、するりと躱されてしまう。試しにもう一度やるが再び繰り返す。
「新手のいじめですか」
「違うわ。そこの椅子持ってきなさい」
なぜ? という問答をするのが面倒だった俺は言われるがまま椅子を雪ノ下の眼前に置き、指で指示してきたので座ることにした。
なにをするのかと思い観察していると、絆創膏を取り出したので理解してしまう。
「自分でするから一枚くれれば良いんだけど」
「動かないでね、ちゃんと貼れないから」
「や、聞けよ」
苦言を呈するものの目の前の彼女は取り合ってくれない。
こちらは絆創膏をもらう立場上、拒否するのも気が引けて既に詰み状態だった。
「比企谷くん。ごめんなさいね」
「えっ? なにが……?」
聞くものの彼女はそれを取り合わず、優しい手つきで貼ってくれた。そしてそのまま俺の頬に手を添えるようにして、じっと見つめてくる。まるで夢の中の彼女のように……。
だがそんな上手い話があるわけもなく、はっとした様子で雪ノ下は俺から距離をとった。
「ご、ごめんなさい」
「や、別に……。ありがとな、これ」
「いえ、大したことではないわ」
「……そうか」
「……そうよ」
そして訪れる謎の沈黙。
やばい気まずい。そして気まずい。
そもそも雪ノ下と二人の時なんて静寂が常みたいなもんなのに、今日に限ってはいつもとなんか違う。理由は知らんけど。
あれか? やっぱ変な夢見ちゃったからか? ……や、でも、それだと俺はともかく雪ノ下まで気まずそうにする理由がわからん。
チラッと雪ノ下に視線を送る。と、さっきは気づかなかったことに気がついた。彼女のグロスが少しだけ取れていることに。
まあ今日一日してたなら多少取れても仕方ないだろうし、雪ノ下が休憩時間ごとにトイレの鏡で塗り直してるところなんて想像できないからしてなくてもおかしくはないんだが……なんだっけかな? この前小町が言ってたこと。
例の偏差値低い雑誌片手にだったから、またリア充の話だと思って軽く聞き流してた。
『お兄ちゃん。女の子はね、好きな男の人の前ではいつでも可愛くいたいの』
『ほーん』
『だからリップグロスだってご飯食べた後落ちちゃうからお手洗い行くでしょ?』
『行くでしょ? ってそうなの? それは初耳だわ』
『もうほんとダメだなぁごみいちゃんは』
『や、彼女いない歴イコール年齢なの小町も知ってるでしょ』
『……そんな自信満々に言われてもなぁ』
『ふっ、どうだ』
『どうだじゃないよ全く。じゃあそんなお兄ちゃんに彼女が出来た時のためにもうひとつ』
『俺に彼女が出来るとか小町に彼氏ができるレベルであり得ないんだが?』
『それお兄ちゃんとお父さんが邪魔する予定だからだよね? そんなことしたら家族の縁切るから』
『小町ちゃん? マジトーン怖いからやめて? 冗談だから』
『……はぁ。いい? 女の子がグロスを直すのはご飯食べた後と──』
「ひ、比企谷くん!」
あと少しで思い出せそうなところで、雪ノ下からお声がかかる。
まあ思い出せたところで今の状況と全く関係ないだろうからどうでもいいけど。
とりあえず雪ノ下との会話を優先することにした。
「どうした?」
「い、いえ……。今日はもう帰りましょうか?」
「そうだな。もう少しで下校時刻だしな」
言うが早いか雪ノ下は素早く帰り支度を済ませ、鍵を俺に押し付けてきた。
「これ、返しておいてもらえる? 私このあと急ぎの用があるの」
「ん、了解。平塚先生に渡せば良いのか?」
「ええ。それで構わないわ」
さようなら、と雪ノ下は部室から姿を消した。が、すぐに引き返してきた。
「今日、家帰ったら真っ先に顔を洗いなさい。……いい? 真っ先によ?」
そして今度こそ去っていった。せめて俺にも挨拶ぐらいさせて欲しかったなぁ。ってか最後のあれは暗号か何かか?
雪ノ下の態度はいろいろと気に掛かったが、俺も帰り支度をし部室を後にする。
そして不意のフラッシュバック。
ここまで鮮明に覚えられてる夢も珍しいのではないだろうか。
……やばい。なんだこれ。今更ながらドキドキしてきた。
雪ノ下とそう言うことをするなんてそれこそまさに夢物語だ。
けれど夢だからこそってのもある。
考えるだけでも心臓が破裂しそうだ。多分今の俺、相当顔にやけてる。
「明日、雪ノ下とまともに会話できるかもわからん」
俺はその事ばかりを考えて、雪ノ下の帰り際の言葉をすっかりと忘れてしまっていた。
[newpage]
「ただいま」
「あっ、おかえりおにいちゃ……っ⁉︎ どったのお兄ちゃん⁉︎」
「は? 何が?」
「……待てよ。今日結衣さんはサブレの美容院に行くって言ってたし、じゃあ雪乃さんと?」
「や、何がだよ。ってかなんでお前が由比ヶ浜の事情知ってるんだよ」
「良かったねお兄ちゃん! 後で雪乃さんにもお礼言っとかなくちゃ! 今日は赤飯だよ!」
「さっきから訳わからん。おい、待て。小町ちゃーん? おーい?」
そして今晩の夕飯はガチの赤飯でした。
……八幡、いっちょんわからん。