注意:約13000文字
「ルビー、アクア、愛してる」
言葉にして、覚えたのは安堵だった。
「ああ、やっと言えた。ごめんね、言うのこんなに遅くなって」
誰かに愛されたことも、誰かを愛したこともない自分。
だから、口にするのが怖かった。
お腹を痛めて産んだ実の子供たちに言う「愛してる」が、嘘であったらと思うと。
「あー、良かったぁ」
でも、分かった。
「この言葉は絶対、嘘じゃない」
「アイ……」
心残りはたくさんある。
この子達をずっと側で見守っていきたいという想いも本物だ。
それでも、後悔は一切ない。
最期にずっと知りたかった愛を知れたんだから。
こうして、星野アイの人生は幕を閉じた。
後に伝説的アイドルと語られるアイドル、アイは死んだのだった。
その筈だった。
「……あれ?」
気付けばアイは、何処とも知れない道の真ん中に佇んでいた。
「えっ、私、生きてる……わけじゃない?」
結論として、どうやら自分は幽霊になっているらしい。
通行人の目の前で手を振っても反応がないし、何よりやろうと思ったらちょっと浮けたのだ。即座に訓練して1メートルは浮けるようになったのでめちゃくちゃ楽しい。
「いやー、幽霊って存在するんだ。やっぱり私ってヤバい位の天才っぽいな」
幸いだったのは、俗に言う地縛霊と違って自由に動き回れることだった。
ならばもう、やりたいことは決まっていた。
「アクア、ルビー、今会いに行くからね!」
最愛の子供たちに会いたい。
この夢のような現象がいつまで続くのかも分からないのだ。ならば行動あるのみだろう。
とりあえず現在地の把握のために誰かに付いていこうと決め、丁度黒髪の女の子が携帯片手にキョロキョロしているのを見つけた。多分、目的地への道が朧気なのだろう。こういう子は自分の運が良ければ、駅前に行って地図を確認するものだ。
背後霊のようにしばらく移動して、自分の幸運は死してもなお有効であることを悟る。いとも簡単に、現在の居場所であろう地名が載った看板を見つけたのだから。
「えーと、池袋かぁ。うちからはちょっと遠いなぁ」
「……えっ?」
「えっ?」
驚いたような声が聞こえて、思わずそっちに顔を向けた。
そしたらなんと、さっきの黒髪の女の子と目が合ったのだ。
女の子の反応も劇的で、声を出したことと目を合わせてしまったことがヤバいと顔色を青に変え、プルプルと震えながら静かに地図へと向き直していた。
「えーと、ここにはこう行くんだー。分かったぞー、よーし行こー」
途轍もない棒読みでそう独り言を溢して、女の子はそそくさと退散していく。
それを見て、アイは顔を輝かせた。
「へい、そこの彼女ー!」
「四谷みこちゃんね、これからよろしくね!」
「ああああああ……」
頭を抱えながら蹲る女子中学生──四谷みこは、幽霊が見える系女子だった。原因は不明、本当に唐突に見えるようになったらしい。
本来なら全神経を注いで全力で無視をしていたようだが、今回はどうやら勝手が違ったとのこと。
「えっ、幽霊って喋らないの?」
「はい……こんなにはっきりと話す幽霊はほとんどいないです。あと見た目が人間と変わらないのも」
「ほぇー。さすが私かな」
あははっと笑うアイを死んだような目で見上げるみこ。テンションの高低差が凄いことにアイは気付いていなかった。
逃してくれないことを察したみこは携帯を耳に当てて、アイと会話することを決めた。
「あの、お名前は?」
「私は星野アイ! これでも一応、B小町ってグループのアイって名前でアイドルやってたんだよ」
「アイ? ごめんなさい、アイドルには詳しくなくて」
「あちゃー、私もまだまだだねー。ドーム公演を間近にして死んじゃったから、女子中学生の知名度は高くなかったかぁ」
「B小町のアイですね」
携帯をいじってみこは検索をかける。今時、情報なんて文字を打ち込めば速攻で分かるのだ。
「え」
検索結果を見て、みこは呆然と呟いた。
「どうしたの?」
「……アイさんが亡くなったのって、何年の話ですか?」
「えーと、確か……」
告げられた年代を聞いて、みこは気まずそうにこう言った。
「アイさんが亡くなったの、十年前の出来事です」
「……えっ? 十年前? 私、幽霊になって意識を取り戻したのってついさっきだよ?」
「ですが……」
その後二人して散々調べたところ、現在は星野アイの死から十年経っていることが判明した。
衝撃の事実に然しものアイも項垂れてしまう。
「そっかー、十年かぁ。それはうーん、どうしよう」
「……会いたい人がいるんですか?」
「そうなんだよね〜、実は私……」
経産婦で、と言おうとしたところで、アイは絶句した。
何故か唖然とするアイにみこは首を傾げて、その視線の先を追って理解する。
「え、なにあれ? なにあのバケモノ? みこちゃん、みこちゃん!?」
「アイさん無視して、無視してください」
人間の形を真似た異形。言葉で表現することすら難しい悍ましさを孕んだバケモノが、人間のように服を着て歩いていた。
並大抵の出来事では動揺しない自負があったアイだが、流石に本物のバケモノを前にしてはビビらずにはいられなかった。
「えっ、どうするの? 何が正解なの?」
「見えてることを悟られたらヤバいので、全力で無視です」
「でも、このままだとみこちゃん完全に正面衝突だけど」
「それでも無視です」
「すごい」
一本道を此方に向かって歩いてくるバケモノに不自然を悟らせない。だからみこはたとえバケモノの中を突き通ることになっても無視するというのだ。覚悟がガンギマリである。
年下の女の子が頑張るというのだ。アイが付き合わないわけにはいかない。
二人して超無表情になりながら歩き続け、両者の距離があと十歩ほどになった。
その時、バケモノに変化が訪れた。
『お゛ぉぉあああぉッ……』
「「……?」」
バケモノは何かに怯んだように立ち眩みを起こし、まるで二人を避けるようにして塀の中へと消えていったのだ。
よく分からないまま二人は無言で歩き続け、ある程度距離を取ったところで顔を合わせる。
「え、なに? 本当になんだったの?」
「私にもよく分からないです。あんなことは初めてだったので」
「普段はぶつかるんだよね?」
「……はい」
「ああいうのって一杯いるの?」
「家の中にも入ってきてます」
「うっわ」
アイは心から同情した。そして、あんなバケモノを無視し続けるみこの尋常でない胆力に敬意を抱く。
だが、今回のこれは契機であった。
「みこちゃん、ちょっと実験しようか」
「実験?」
「ふふーん、もしかしたら私もみこちゃんの役に立てるかもしれないし」
きらりと笑う笑顔は作り物のように綺麗だった。
とりあえずアイツらが多い場所に連れて行って、ということだったため、みこはアイを連れて歩いていく。
「そう思えば、何処かに行く予定だったんじゃないの?」
「……数珠を買おうかなって」
「あー、なるほど。アレって数珠でどうにかなるの?」
「それを調べるのも込みでしたが、こうなったら急ぐ必要もないので」
アイという異常事態に巻き込まれたのだ。最優先はどう考えても彼女である。
雑談に花を咲かせてしばらくして、二人は薄暗い路地裏に辿り着いた。
「ここなら多分いると思います」
「よーし、なら突っ切ろう!」
「え」
「大丈夫大丈夫、私を信じて」
掴めないし触れないがアイは後ろから背中を押すようにしてみこを急かし、本能で嫌がっているであろうみこの足を動かす。諦めたように気合いを入れて無表情になるみこが不憫でならない。
路地裏に入り込んで数歩、アイはドン引きした。
「うわ、一杯いる……ヤバいね」
小さいのもでっかいのも入り混じった性質の百鬼夜行とはまさにこのこと。そのグロテスクさは此処が地獄だと言われても信じてしまうだろう。
今からこの道を進むと思うとみこは既に涙目だが、アイに何かしらの考えがあるのであれば信じてみるしかない。
勇気を出して更に一歩踏み込んだ。
『『『ぉお゛ぉああぁぉおおおッ』』』
「っ!?」
変化は劇的だった。
目に付く全てのバケモノは後退りするようにみこから離れていく。小さい奴らであれば塵か灰かは定かではないが、断末魔の微かな声を残して跡形もなく消えてしまった。
その光景を前に、アイはにっこりと笑う。
「ちょっと先に行くね」
「アイさん!?」
ヒュンと浮遊しながら飛んでいくアイにみこは驚いて手を伸ばすも、眼前の光景に目を見張って静止した。
みこはバケモノにもレベル的な格付けがあると思っている。弟が好きなとある漫画を参考に四級から一級とし、更にその上の埒外を特級と呼称していた。なお、みこの独断と偏見によるものである。
路地裏に特級はいなかったが、それでも一級なら二、三体はいたのだ。普段であれば三級ですら恐怖以外の何ものでもないし、一級なんて即ガン無視案件である。因みに一級以上の区分けは、共食いをするかしないかでみこは判断していた。
そんなヤバい通りでありながら、最強として君臨したのはアイであった。
一級のバケモノたちがアイの気配なのか輝きなのかは分からないが、それを嫌がって避けていくのだ。
正しく特効薬。ぶっちゃけ信じてもいない数珠なんかよりも、目の前の事実の方が遥かに信用出来た。
「どうみこちゃん? 私って結構凄いでしょ?」
「アイさん……」
浮遊しながら脚を組んでいるアイの背から後光が差している。比喩無しのその光景に魅入ってしまったみこはふと思う。
きっと神様はこんな感じなんだろうと。
みこはバケモノ避けの為に。
アイは会いたい人に会う為に。
取引を結んだ二人は行動を共にすることを決めた。そして、みこの家へと連れ立って帰り、情報共有をすることにした。
「えっ!? アイさん、お子さんがいるんですか?」
「うん、多分みこちゃんと同い年だよ。男の子と女の子が一人ずつ。双子なんだ。ちっちゃい頃はもうすっごく可愛かったんだから。まぁ今でも可愛いに決まってるんだけどね!」
まさかの告白に、みこは疑問を抱いた。
「アイさんってアイドルだったんですよね? 子供ってokだったんですか?」
「あはは、ダメに決まってるよ」
「……幾つの時に生んだんですか?」
「16歳」
「おぉ……」
恐らく世間を揺るがすであろう特級の爆弾にみこは言葉を失った。
ツッコミどころは満載であるが、このやり取りでみこはアイの願いを察した。
「つまりアイさんは、お子さんに会いたいんですね?」
「そう! 十年経ってるから何処にいるかは分からないんだけど……」
「それは難しい……」
現状は例えるなら、砂漠の中から砂金を見つけろと言われているようなものだ。闇雲に探しても見つかるわけがない。
みこはアイも見やすいようにとパソコンを操作して、B小町や事務所に関することを調べていく。
「B小町はアイさんが亡くなった2年後に解散。事務所の苺プロダクションは存続してますが、アイドル部門はない……? 社長は斉藤ミヤコさん」
「あれ、社長が変わってる」
「知っている方ですか?」
「うん、私が生きていた頃の社長の奥さん。社長辞めちゃったのかなー」
ホームページを漁ってみるも、元社長の名前は会社概要でしか発見出来なかった。住所も非公開であり、現状職員の募集もないようなのでこれ以上得られる情報は無さそうだ。
みこは続いて、アイについても詳しく調べてみた。
正直、外で軽く調べた時は内容があまりにも衝撃だったために、頭が追い付いていなかったのだ。
だからこそ、冷静に情報を整理した時には寒気がした。
「アイさん、殺されたんですか……?」
「うん、ナイフをお腹にグサって」
「解説はやめてください……」
「あっ、ごめん」
みこは想像しそうになるのを無理やりシャットアウトする。
「犯人は熱狂的なファン、アイさんの自宅にて殺害、その後犯人は自殺……現実でこんなことあり得るんですね」
「だねぇ、私もビックリ。まぁ理由も理由だし、アイドルが子供を作った代償を見事に払わされちゃったよ」
やれやれ、なんてアイは軽く言うが、その発言を聞いてみこは違和感を覚えた。
「うん? アイさん、子供がいたことを公表してたんですか?」
「まさか、するわけないよ。してたら私のアイドル人生はとっくのとうに終わってたからね」
「……でも犯人は、アイさんが子供を生んだことを知ってたんですよね?」
「うん、不思議だよねー」
「…………」
嫌な予感がした。
あと何ピースか揃えば完成する残酷な真実を示すパズルを前にしているような、そんな感覚。
好奇心は猫をも殺す。だというのに、知りたくなってしまうのが人間の性であった。
記事を読みながら、みこは質問を重ねていく。
「引っ越したばかりだったんですか?」
「うん、ファンの子ってよくそんなの調べられるよね」
「アイさんは籍は入れてたんですか?」
「ううん、未婚のお母さんってやつだよ」
「…………」
ぐるぐると回る思考の中で、みこは記事を読み込む。自らの疑念を確信に変えるだろう文言が、そこには記されていた。
【協力者がいる】
「ふぅー」
頭を振って推察を打ち切り、みこは本来の目的の為にキーボードをタップする。
「お子さんのお名前は?」
「星野
「なんて言いました?」
「アクアマリンとルビー。あっ、でもアクアの芸名は星野アクアだよ」
「星野アクアですね……」
ここに来て有力情報が手に入った。
子役として活動しているならネットでも調べられるかもしれないと、みこは手早く星野アクアの情報を検索する。
「星野アクアさんは……あまり活動してないです。最近はめっきりない」
「そんなぁ、アクアは役者さんになると思ってたのに」
がっくりと凹むアイを他所に、みこはもう一人の名前も検索してみるも成果はなし。
「二人とも芸能界には入ってないみたいですね」
「うーん、おかしいなー。アクアは役者さん、ルビーはアイドルになってると思ったのに……」
これで手掛かりが途絶えた。
浮きながら大袈裟に膝から頽れるアイを器用だなとみこは思いながら、代案はないかを考える。
「アイさんは、お子さんが芸能人になると思っているんですよね?」
「うん。私の子供だからね、あの可愛さを世間が放っておくわけがない」
キリッとキメ顔でそう言うアイを信じていいかちょっと悩んだが、みこは決断した。
「では、芸能科のある高校に行くのはどうですか?」
「芸能科?」
「はい」
みこは『高校 芸能科』と検索して、数少ない高校の名前を画面に出す。
「若い芸能人の多くが集まる学校の筈です。お二人がまだデビューしていなくても、いずれ芸能界に入るのならこういう学校に入学するかもしれないです」
「成る程、確かにあり得るね」
「一般科があれば私も入学できます。もしかしたら会えるかもしれません」
「……うん、私としては賛成だけど」
バツが悪そうな顔でアイはみこを見た。
「みこちゃんはいいの? 行きたい高校とかあるんじゃないの?」
「あのバケモノから解放されるなら高校なんて何処でもいいです」
真っ黒に淀んだ瞳は死人を思わせるほどの光の無さ。
みこの心の底からの叫びであった。
方針が決まり、アイの直感のもと目指すべき高校が決まる。
陽東高校。
受験までの約半年、バケモノに悩まされなくなったみこは寝不足も解消されて、健やかな身体へと戻っていた。
◇
「四谷みこです」
「四谷さんは……偏差値60! なんでうちを受けたの?」
「えーと、私の知り合いの知り合いが芸能人になってる可能性があって、知り合いがどうしてもその知り合いに会いたいらしいので、もしかしたらここに入学してるかもと思い、代わりに私がここに来ました」
「そんなあやふやな理由で高校を決めて本当に大丈夫なの!?」
陽東高校面接会場。
失礼しますと一礼してから教室を後にしたみこは、守護霊として廊下を漂っていたアイを見つける。
「アイさん、終わりました」
「お疲れー。どうだった?」
「大丈夫だと思います」
周りに人の気配が無いことを確認して、みことアイは連れ立って移動する。
本来であれば後は帰るだけなのだが、二人としては入学するより大事な要件がこの高校にあった。
「アクアさんとルビーさん、本当にいるのかな……」
「私はまだ見つけられてないんだ。もうちょっと探してもいいかな?」
「はい、私も元々そのつもりです」
不自然に思われないように携帯を耳に当てながら、みことアイは足早に校舎を散策する。
面接が終われば帰宅が許されている現状、残っているのは面接待ちの子が多い。廊下で屯している終わった組も散見されたが、人数はそれほどいなかった。
「芸能科の方に行きましょう」
「おっけー、上だよね?」
一般科と芸能科では校舎が異なる。渡り廊下で繋がっていることは確認済みなので、みことアイは3階の渡り廊下を目指して階段を上った。
今日見つかれば御の字とみこは淡い希望を持ちつつ、それでも難しいだろうなと考えていた。
だからこそ、その声が聞こえた瞬間は本当に驚いた。
「貴方、星野アクア!?」
「「っ!!」」
思わずみこはアイと顔を見合わせて、気付いたら声に向かって駆け出していた。
廊下を走ってはいけないという当たり前のルールを堂々と破り、ヒュンと飛んでいくアイの後を追う。この半年で幽霊としての自分に慣れたアイの移動速度はとても早い。アイを見失わないように、みこは懸命に走った。
みこが息を切らせて渡り廊下に辿り着いた時、アイは目を見開いて固まっていた。
みこはそこで、滅多にお眼にかかれないであろう三人の美形を目撃する。
一人は黒髪の美少女。なんか何処かで見たような気がするが、みこは思い出せなかった。何はともあれ、まごうことなき美少女に変わりはない。
だが、それ以上に目を惹いたのは残りの二人だった。
繻子のように煌めく金髪を靡かせる美男美女。
男子の方はアイと一緒に探した映画に出演していた星野アクアを、逞しく成長させた姿だと否が応でも分かった。
女子については深く言うまでもない。この半年で見慣れた星野アイの生まれ変わりと言われても信じてしまうほどによく似ている。
星野アクアと星野ルビー。
──彼らは間違いなく、アイの子供達だ。
(良かった。これでアイさんの役に立てた)
「ア、アクア……ルビー……」
呆然と子供達の名前を呼ぶアイ。
アイはこの瞬間、感情の爆発を抑えられなかった。
刹那、みこは脳を揺さぶられた。
「え」
一瞬のことすぎて、動揺する間もなく。
気付けばみこの意識は、暗闇へと落ちていた。
こんな奇跡が起きるなんて、思わなかった。
「アクア、ルビー!!」
「「……えっ?」」
並んで立つ最愛の子供達を、両手をいっぱいに広げて
瞳から零れる涙は抑えることが出来ず、二人から伝わる温もりがとても心地良い。
「ああ! アクア、ルビー! すごい、すごいよ! こんなに大きくなったんだね!」
ちょっと前までは二人一緒に抱っこ出来たのに。
自分の膝くらいの身長しかなかったのに。
愛すべき子供達の成長というのはこんなにも感動的で、こんなにも嬉しいものなのか。
誰かに愛されたこともなく、誰かを愛したこともなかったけど、今際の際で確かな愛を知った。
悔いも無く死んだ筈なのに、何故か幽霊としてまたこの世界で目覚めてはや半年。生きていた頃は時間が過ぎることに対して何も感じなかったが、今は違う。
子供達と会えないのではないかという不安や恐怖を知った。
会えない時間で子供達へと愛情が強く深くなっていった。
アクアとルビーに会いたいと、心の底から願うようになった。
「ア……アイ………?」
「ママ……?」
「二人とも、もっとよく顔を見せて」
抱擁をほどいて二人へと向き合い、アクアの頬に両手を寄せた。
「アクアはすっごいイケメンになったね。背も追い抜かされちゃったな。流石は私の子だ。役者さんになったら引っ張りだこ間違いなしだね!」
お世辞なんて一切無い本心でそう思った。国宝級イケメンとはまさにこの我が子であると、至る所で叫び回りたいくらいだ。
続いてルビーの顔へと両手を添える。
「ルビーはもう可愛すぎてヤバいね。ママよりも美人さんになるなんて、流石は私の子だ。ママが出来なかったドーム公演も、ルビーならあっという間に実現して超満員に決まってるよ!」
こんなにも可愛い女の子が存在していいのだろうか。あまりの可愛さに少し心配してしまうが、アクアがいるなら大丈夫だろう。安心して任せられる。
もう一度ぎゅっと抱き締めて、二人の存在を心に刻み込む。
「アクア、ルビー。いつまでも、いつまでも元気でね。もう名前も呼んであげられないし、触れ合うことも出来ないけど、ずっと見守っているから。お母さんはこの先もずっと、二人のことを愛してるから」
最後に力一杯抱き寄せて、二人から離れる。
満足した。これ以上なく心が晴れ渡っていた。
だからこそ、ここからは距離を取った方がいいのかもしれない。幽霊である自分は、今後何がどうなるのかが分からないのだから。
まぁ、みこちゃんには迷惑掛けちゃうかもだけど、と苦笑する。
足取りは軽く、かつて無いほどに幸せな気分。
「みこちゃん、帰ろうか」
アイはそう言って、後ろを振り返った。
そこには誰もいなかった。
「あれ? みこちゃん?」
この半年で見慣れた黒髪の少女が何処にもいない。
みこは優しい子だ。空気を読む為に少し離れることはあっても、完全に見えない位置にまで移動することはないとアイは確信していた。
だけどいない。
みこがいない。
きょとんとすると同時に、アイはようやく昂ぶり過ぎていた精神が平静を取り戻した。
「あれっ?」
そして、文字通り
「……えっ?」
ペタペタと顔を触る。確かな肉感を感じてびっくりする。
投げ出されていたみこのカバンを見つけたので拾う。拾えてしまった。
カバンのポケットに入れてある手鏡を持つ。覗き込む。
瞳に星を宿した四谷みこが、そこには映っていた。
「みこちゃんがいる……」
アイはみこになっていた。
この現象が俗に言う憑依というものだと理解したのは後のことだったが、アイは唐突に、背中に氷塊をぶち込まれたかのような悪寒を覚える。
バッと振り返ると、子供達と目が合った。
「アイ、なのか?」
「ママ、ママなの?」
「え、ちょっ、なに、何がどうしたの?」
虚な目でこちらを凝視するアクアとルビーを見て、アイは人生で初めて冷や汗を流す。
──これはヤバい!!
「あははー……」
じりじりと近付いてくる子供達を前に、アイは距離を保つように後ずさる。
一瞬の静寂。
「お邪魔しましたー!!」
アイは全速力で逃げ出した。
「あっ、おい!」
「ママッ!!」
「ちょっ、二人とも!!」
アイは急いで階段を降りながら、背後から聞こえてくる足音に焦りを募らせる。
「ヤバいヤバいヤバいヤバいっ!!」
なんでこんなことにっ!! とアイは内心悲鳴をあげながら、現状を客観視して思考を巡らせる。
(みこちゃんの体力で逃げられる? いや、無理! 多分ジリ貧で捕まる! 何処かでやり過ごすのが最善! なら……)
一階まで滑り落ちるような速さで駆け降りて、アイは周囲を確認。
「あった!」
目的の場所へと一直線に走り抜け、滑るような挙動で個室へと侵入した。
持ち前の身体制御で荒れている筈の呼吸を抑え付け、アイは息を殺して聞き耳を立てる。
「なっ、いない!?」
「ママッ! 何処にいるの、ママッ!!」
「ルビー、トイレを確認してくれ!」
「分かった!」
ドタバタと捜索の音が耳朶を打ち、緊迫にアイの心臓はバクバクと音を立てている。
神様なんて信じていないが、この時ばかりは心の中で祈る。
──お願いだから気付かないで!
「お兄ちゃん、誰もいない!」
「チッ! 校門に急ぐぞ! まだ間に合うかもしれない!」
「うん!」
荒々しい声が響き渡り、廊下を駆ける音が木霊する。
徐々に小さくなっていくその音を油断せずに聞き届け、人の気配が完全に無くなってからアイは大きく息を吐いた。
「ふぅーーー、なんとかなったね」
キョロキョロと警戒しながら立ち上がり、アイは身を隠していた男子トイレから出た。
咄嗟の判断だった。まさか女子が白昼堂々と男子トイレに入らないだろうという固定観念。あの状況ではこれを逆手に取らなければ到底逃げられなかっただろう。
アクアがもっと用心深く捜索していれば万事休すだったろうが、死んだ筈の母親らしき存在の登場は正常な判断を失うには十分過ぎたらしい。
幸せな気分から一気に疲れ果てたアイは、どんよりと呟く。
「みこちゃんになんて説明すればいいの……?」
◇
「……つまり、私はいつの間にかアイさんに乗っ取られてて、その状態でアイさんはアクアさん、ルビーさんと感動の再会を果たし、それに気付いてビックリしたから何も説明せずに逃げてきた、ということですか?」
「……うん」
「すごくヤバい」
「本当にごめん」
みこの自室にて、アイはちゃんと床に膝を突いて土下座する。
アイとしては、みこを凄まじい面倒ごとに巻き込んでしまったことに対する謝罪だった。素のみこがアクアやルビーと会ったらなんて言い逃れをすればいいのかと、この時点ではそのことばかりがアイの頭を渦巻いている。
しかし、みこの心配はその程度では収まらない。
アイの懸念も尤もだが、それ以上に自分が危機的状況に陥っていると理解していた。
完全に涙目で、みこは未来を思う。
「私、もしかしたら殺される」
「えっ!? なんで!? アクアとルビーはそんな子じゃないよ!!」
「その二人ではなく。……いえ、ある意味ではその二人からも既に標的になっています」
「……もしかして冗談じゃない?」
「はい」
話の雲行きが怪しくなってきた。
アイは姿勢を正して真っ直ぐにみこを見つめる。
「どうしてみこちゃんが殺されるかもしれないの?」
「……できれば、アイさんには知ってほしくないです」
「やだ、教えてほしい」
意志の強い返答に、みこは呆気にとられたような顔でアイを見返した。
みこの瞳に映るのは不安や心配だ。既に亡くなってるアイへの気遣いに溢れたその感情を受け取って、アイは優しく微笑んだ。
「みこちゃんは私にとって唯一無二の友達だから。みこちゃんが危ないならなんでか知りたい」
アイは今まで、同年代において友人と言える存在が居なかった。全てが嘘でできていたアイにとって、親しい友達というのが何なのか分からなかった。
でも、みこは違う。
アイ自身が確かな愛情を知ったのが大きな要因であったが、みこと話す時はほとんど嘘を言わなかった。会話の内容は子供達が如何に可愛いかという親バカ丸出しであったが、アイにとっては本心を曝け出せた唯一の相手がみこになっていたのだ。
だから、みこの為に出来ることなら何でもしたい。
互いに無言で視線を交わした後、引いたのはみこだった。
「今から話すのはあくまで予想です。それはアイさんを苦しめるかもしれない話です。それでもいいですか?」
「うん」
「……分かりました」
ふー、と大きく息を吐いて、みこは覚悟を決めた。
「アイさんが殺害された事件ですが、あれはまだ終わっていません」
「え? リョースケ君は死んじゃったんだよ? もう終わってるんじゃないの?」
「犯人には協力者がいた筈です」
みこはこれまでに知った情報を一つずつ組み合わせて考えを述べていく。
「そもそも、当時大学生のただのファンが、引っ越したばかりのアイドルの家を特定できたのがおかしいです。しかもその犯人は、公表されていないアイのお子さんまで知っていた」
「探偵とかを雇ったんじゃないの?」
「探偵について調べましたが、調査対象が芸能人の場合、その認知度によって料金が変わるそうです。当時人気絶頂だったアイさんはかなり高い筈なので、大学生だった犯人に払えたとは思えません」
探偵だって犯罪の片棒を担ぎたくはないだろう。その点どの時代においても、アイドルの情報なんて厄ネタの中の厄ネタだ。そもそも依頼をまともに受ける探偵がいるとも思えないし、いたとしても莫大な依頼料を要求する筈。探偵という線は薄い。
それに、とみこは続けて、一瞬だけ言い淀んだ。
口内に溜まった唾を飲み込んで、みこは重々しく喉を震わす。
「一人だけ、います。アイさんの身近な存在じゃないのに、アイさんに子供がいることを知っていて、かつ住所すら知っていそうな人が」
「……嘘……まさか」
ようやっと、その可能性に思い当たったアイに、みこは真っ直ぐと相対して該当者を口にする。
「アクアさんとルビーさんの、血の繋がった父親。状況証拠から、その人が黒幕だと思います」
「ッ!?」
出来ればこの推察は、口にしたくなかった。
死者の墓を暴くような真似なんて、碌なことにはならないのだから。
いつも泰然としていたアイも動揺が隠せない。当然だ。いくら別れていたとはいえ、一度は身体に触れることを許した相手の裏切りなど、狼狽えない筈がない。
だが、納得もいった。アイの中でその推察が正しいと直感が理解していた。もしかしたら無意識のうちに考えることを放棄していただけで、本当はとっくのとうに気付いていたのかもしれない。
瞬間、アイの身から溢れ出したのは、人生において一度も感じたことがない強烈な怒りであった。
「あの男、よくも私を……っ!! 頭がおかしいのかもって思ったことは沢山あったけど!」
なんでそんな方と……と、口走りそうになったみこだが、何とかその言葉を喉奥に留めてひとまず安堵する。この話をしてアイがどうなるか見当も付かなかったが、ヤバい奴らみたいな怨念を振り撒いているようには見えない。
「ムカつく! ムカつくムカつくムカつくっ!! こんな気持ち初めてだよ! あの男の所為でアクアとルビーの成長を見守れなかったなんて!! 住所なんて教えなきゃよかった!!」
多分大丈夫。浮きながら地団駄踏んでるけど、多分大丈夫。きっと、メイビー……とみこは判断して話を続ける。
「アイさん、話の本番はここからです」
「ふぅうううう……。ごめん、みこちゃん。冷静になった」
「いえ。問題は二つあります」
みこは指を一本立てた。
「一つ目は、黒幕が殺人教唆した動機が不明な点です。こちらは今考えても仕方ないので一旦置きます。もう一つが問題なんです」
みこの話を黙って聞くアイは、何が飛び出ても平静でいるつもりだった。
「アクアさんとルビーさんが、黒幕の存在に気付いているだろうというのが問題なんです」
「……え?」
もう一つ天に伸びた指と同時に発せられた言葉は、アイの思考を吹き飛ばすのに十分だった。
「そんな、まさかー。アクアとルビーはその時5歳にもなってないんだよ? 確かにもう大きくなったけど、そこまで……」
「アイさんいつも言ってます。アクアさんとルビーさんは、ヤバいくらいの天才だって」
「──あ」
その時、アイは唐突に思い出した。
今日真近で覗き込んで見たアクアの顔を。
その瞳の奥の星を。
子供の頃は光り輝いていたそれ。
だが、あの時は違った。黒く、暗く、妖しく輝いていた。
「アクアは気付いてる……」
しかも、気付いてるだけじゃない。
闇に染まったあの眼は、絶対に良からぬことを企んでいる。
「アクアは私の仇を取ろうとしてる……?」
「その可能性は否定できないです」
母親を殺された子供が何を思うか、それは当事者でなければ分からない。
アイは悪い想像が止まらないが、ここまで来てやっとみこは本題に入れた。
「さて、アイさん。ここで問題です」
みこの目が死んでいた。
「私はアクアさんたちにとってどんな人間だと思われているでしょうか?」
「……あーーー、あーーー、なるほどー……」
みこにとっての事の大きさを理解したアイは、アクアの立場になって結論を述べた。
「母親を殺した黒幕に繋がるかもしれない重要参考人?」
「そうです」
「……ヤバくない?」
「ヤバいです」
これが始まり。
バケモノではなく複雑怪奇な人間関係に翻弄されることとなるみこの受難の日々は、この日から始まったのだった。
星野アイ
伝説的アイドル。熱狂的なファンにナイフで致命傷を与えられ、最期にずっと知りたかった愛情を知り、子供の目の前で亡くなった。その10年後、幽霊となってこの世に舞い降りて、幽霊が見える系女子である四谷みこと出会う。
生前に培われた光属性によって、怨霊だか何だか分からないバケモノを寄せ付けない霊質を持っていた。弱い特級()ですら一定の効果がある。なお、ガチの特級をみこと遠目で見た時は白目になった。
みこ限定であるが、憑依合体も可能。アイスを食べた時、味覚から襲いかかるあまりの情報量に涙が零れた。
子供達への愛を実感したお陰で、アクアとルビーに関することなら情緒が豊かになった。その影響もあって、みこに対しても嘘をほとんど言わずにいれている。
自分の所為でとんでもない目に合っているみこには本当に申し訳なく思っている。アクアとルビーの未来も不安でしかない。
自分のことを忘れてとは思わないが、アクアとルビーには幸せになってほしい。だけどこれ以上みこに迷惑をかけるわけにもいかないというジレンマ。
生きていた頃より悩みの質が重くなった。ヤバい。
四谷みこ(口調が迷子なのは許して!)
原作よりも早く見える子ちゃんになった。ヤバい。
オカルトに頼ろうとしたら、ほぼ人間と変わらない幽霊である星野アイと出会ってしまった。ヤバい。
アイのお陰でバケモノに悩まなくなった。神!
芸能界の闇を知った。ヤバい。
伝説的アイドル殺害事件の裏の闇に勘付いた。ヤバい。
なんか知らないけど身体を乗っ取られた。ヤバい。
とんでもない面倒ごとに巻き込まれた。ヤバい。
結局、命が危ない状況に落ち着いた。泣きそう。
続きは特級が食べちゃったのでありません。