「みこ! これ見て! みこにそっくりじゃない? ていうかみこじゃないの?」
「ワー、ホントニソックリダネー。デモワタシジャナイヨー」
「えー、そーなの?」
「うん、ほんとほんと。ハナ、ちゃんと見て。別人でしょ?」
「んー、確かに別人かと言われたらそんな気もしてきたけど……」
むむむー、と眉間に力を入れてとある動画を凝視する女子──百合川ハナの態度に、隣でしらばっくれていた四谷みこは冷や汗を流していた。
(ヤバい……アイさんのアイドルオーラ舐めてた)
ある意味では計算通りで、ある意味では想定外の事態。みこは過去の行いを後悔し始めていた。
(まさかハナの目にまで入るなんて……)
今日はハナと休みを利用して遊びに出掛けるはずだったのだが、第一声がアレだと身構えずにはいられない。
とりあえず誤魔化そうと決心して、みこはハナへと向き直った。
「部屋の間取りもみこの部屋に似てるようなー」
「偶然だよ」
「隅に見えるこのクッションもみこの部屋にあったようなー」
「偶然ってすごいよね」
「何より見た目が完全にみこなんだよねー」
「世界には自分とそっくりさんが三人はいるらしいよ」
(いやこれはヤバい)
いくらハナが他人の言うことを真に受けやすいとはいえ、これは誤魔化しきれないかもしれない。みこの焦燥は加速度的に積もっていった。
温度差が激しい友達同士の会話。
「みこちゃん、頑張ってー……」
どんどんと追い詰められていくみこを少し離れた空中から見守っていた星野アイは、思わず苦笑いを浮かべていた。
◇
時は遡り、星野一家との対談が終わった帰宅後のこと。
「疲れた……」
「本当にごめんね、みこちゃん……」
ベッドの縁にだらりと座り込んだみこは深々と息を吐き、疲弊の元凶とも言えるアイは伏して謝罪していた。
「こんなに早く見つかるなんて……」
「アクアの行動力を舐めてたねー」
「はい」
みこからすると、本当に寿命が縮んだ気がした。二度とあんな不意打ちは勘弁してほしいと心から思っている。
しかし、過ぎてしまったことはしょうがない。
逆に考えれば、この状況は取れる選択肢が増えたとも、迷う必要がなくなったとも言える。
「アイさん」
「ん?」
少しだけ背筋を正したみこは、まずはずっとアイに言いたかったことを口に出す。
「アイさんが、アクアさんとルビーさんに会えて良かった」
「みこちゃん……うん、本当にありがとう」
泣き笑いを堪えるように微笑むアイは本当に綺麗で、想いが報われたことをみこは嬉しく思う。
しかし、未だ油断はできない状況。
次にするべき行動やら対策やら調査を考えなければならない。
「とりあえず私は、受かったら陽東高校に入学します」
「いいの?」
「はい。もう、手遅れだから」
「それは、うん。そうかも」
みこがスマホを弄れば、星野アクアと星野ルビー、それに斉藤ミヤコの連絡先が映し出される。別れ際にルビーが凄まじく駄々を捏ねたので、交換せざるを得なかったのだ。
この状況で別の高校に逃げても大して意味がない。住所もバレているので、所詮子供に過ぎないみこでは逃走が不可能になったとも言う。
それなら側で見守れる立ち位置にいた方が安心できる、かもしれないのだ。
高校入学という喫緊の問題はこれで解決した。
最恐の諸悪の根源がいるので安心などは全くできないが、あれは今すぐどうにかなる存在ではないので一旦無視する。みこの精神衛生的にもそれが最善だった。
ハプニングはあったが、方針は決まった。
「アイさん」
「なに?」
「アクアさんにはなんて伝えたんですか?」
「……復讐なんて考えないで、幸せになって、って」
みこの問い掛けに、アイは表情に影を落とす。
直接言葉を交わせることは二度とないかもしれない。その想いが行動に出てしまった。もしかしたら先走り過ぎたかもしれないと、相変わらずの自身の迂闊さを反省していた。
「やっぱり、マズかったかな?」
「……分からないです。でも、私たちがアクアさんたちの父親が黒幕だと勘付いていることはバレたと思います」
「アクアなら気付くよね」
「……今後のアクアさんの行動が読めない」
結論は二つにひとつであることは変わりない。
アイの願いどおりに身を引くか、それでも突き進むか。
「様子見、ですね」
「うーん、分かった。ごめんね、みこちゃん」
「ううん。これでアクアさんが引いてくれるなら、それに越したことはないから」
みことしてもその展開が一番良い。心労が少なくて済む。
天才と殺人鬼が正面衝突するなど、事情を知っている身からすると胃痛の種でしかないのだ。
「あっ、そうだ。みこちゃん、ちょっと相談したいことがあって……」
「なんですか?」
「実は……」
アイは憑依していた間にあった気になったことの詳細を話す。
アクア曰く、壱プロの元社長──斉藤壱護はアイが殺害された後に行方知らずとなり、今もどこに居るかは分かっていないらしい。
しかし、いなくなった理由をアクアはおそらく察しているが、アイには教えてくれなかったとのこと。
「みこちゃんはどう思う?」
「…………頭が重いです」
がっくしと項垂れたみこを見て、これは言っちゃいけなかったやつだとアイは悟るが時すでに遅し。
「み、みこちゃん? その、なんかごめんね?」
おずおずと謝罪するアイは本当に分かっていないのだろうと察して、みこは溜め息をぐっと堪えて顔を上げる。
「いえ、大丈夫です。それで、社長さんのことですが、狙いは多分アクアさんと同じです」
「というと、まさか……」
「黒幕への復讐です」
「あーー、そういうことかー……」
しっくり来た。アクアが推論を口にしなかった理由も合点がいく。
「いなくなった理由は、多分だけどミヤコさん達に迷惑をかけないようにって……」
「そっか……」
みことしては頭痛の種が増えたわけだが、この結論によってアイが壱護からどう思われていたかが分かって微笑ましくなる。
「アイさんはちゃんと愛されてますね」
「そう、かな……ううん、そうだったんだね」
愛が失われて憎悪に変わるなど、創作の中ではありきたりで陳腐な話。そこら中にありふれた設定だが、現実にもそれは存在している。
余程強い感情が無ければ、十年以上もの間、誰かを憎み続けるなんてできないだろう。アクアや壱護は本当に、心の底からアイを愛していたのだ。
だからこそ、アイの未練を晴らそうと奔走している。
失ってから初めて気付いた想いにアイは嬉しいやら気恥ずかしいやらで顔色が赤くなるが、ふと現状を見つめ直して頭を抱えた。
「って、このままじゃ佐藤社長が殺人犯になっちゃうかもじゃん!? アクアだってそうなるかもなのに!! しかも相手は本物の殺人鬼っ! どうすればいいのっ!!」
「私の頭が重い理由……」
他人事でいられればどれだけ気が楽だったのか。
着実に災厄の中心へと巻き込まれているみこは、目から光を失ってどんよりと淀む。
だけどみこはこんな悲惨な状況であろうと、友達を見捨てられない。
「アイさんは、どうしたいですか?」
「そりゃあ、止められるなら止めたいけど」
「じゃあ、次の目標は社長さんを見つけることですね。黒幕の法則性を調べるのはその後にしましょう」
「うぅぅ。ごめんね。ありがとう、みこちゃん」
ここまで来たらアイも、みこに覚悟を聞き直したりはしなかった。ただただ謝罪と感謝を伝えるだけ。
罪悪感で暗く沈むアイを見て、みこはかすかに苦笑する。
「私もちゃんと、アイさんには感謝してます。恩もあります」
「えっ? 私、みこちゃんのためにできてることなんてほとんどないけど……」
「アイさんがいなかったら、私は今でもバケモノに怯えて生きてました。私にとってアイさんは本当に、スゴい方なんです」
アイと出会うまでの数ヶ月。みこは途轍もないストレスと闘いながら生きていた。
心休まる時間は全くなく、自室でも風呂場でもバケモノが見えていた。
見えるだけでも恐怖なのに、自身のプライベート空間にまで侵入される始末。無視すれば直接的被害は無かったが、突如として襲い掛かってきたりしたら死ぬのではないかと、そんなことを考えない日はなかった。
だからこそ、アイはみこにとって掛け替えのない存在なのだ。
芸能界やらアイドル殺人事件の闇に触れることになろうとも、バケモノが近くに来ない日々の方が比重は上。ミヤコの問い掛けに返答を迷ったのは事実だが、天秤はメリットに傾いている。
「だから、そんなに気に病まないでください」
「みこちゃん……」
どうしてこんなに良い子なのに、こんな目に遭わなければならないのか。
バケモノ関連を除けばみこの苦労の十割くらいは自分が原因であるが、アイはその事実をとりあえず棚に上げる。
世界の理不尽にアイは初めて憤りながら、みこの優しさに改めて感謝した。
「とはいえ、どうやって佐藤社長を見つけよっか? アクアたちも知らないみたいだし……」
「うーん……」
うむむー、と悩み始めたアイと一緒にみこも考える。
正直に言って、こちらから見つけるのは無謀の極みだ。十年も経っているので下手したらアイですら顔を見ても分からないかもしれないのに、みこに至っては会ったことも見たこともない。アクアたちを探し当てるより難易度が跳ね上がっていた。
だが、みこは既にアクアたちと接触している。見つかりたくないという大前提は大破していた。
つまり、諦めの境地で大胆にことを運ぶのも選択肢としては考えられるのだ。
「一番あり得そうなのは、釣ること……?」
「釣る? 社長を?」
「はい。アイさんをエサとして、社長さんを誘き出す。上手くいけば、釣れるかも……」
エサ、私がエサ……と呟いているアイを置いて、みこは作戦の成功可能性を検討してみる。
(私が気付いたんだから、社長さんだって黒幕が芸能界にいるのは分かってる。業界からはそう離れていないだろうし、情報にはアンテナを張ってるはず……)
勝算はある。あの動画を使えば一発で釣れるかもしれない。
「アイさん、提案があります」
◇
多分、みこはあの時、本当に疲れていたのだろう。自棄になっていたとも言える。
アクアたちにバレたのだからもう怖いものなどなくはないけどないっ! ぐらいの浅慮のもと、アイが憑依した己の踊ってみた動画をSNSに公表してしまったのだ。
ちなみに、アイは一度は止めた。
ネットについてアイ自身も浅い知識しか持っていなかったが、その影響力は少しは知っていた。現代はネットカルチャーが更に世に根付いたものだとなんとなく気付いていたし、何より普通に可愛いみこの顔をそのまま世に出すのは若干憚れたから。
しかし、みこの提案には説得力があった。
動画にメッセージを載せて社長を誘き出す。
この動画だけを観ても、通常時のみこを星谷アコと結び付けられる人はいない。
何より、刃傷沙汰を避けたい。これは時間との勝負である。
みこが乗り気であったから、アイは断れなかったのだ。
そして今、みこは大いに後悔していた。
「ハナ、この人は私じゃない。分かった」
「うーん、みこがそこまで言うならそうなんだね」
未だに納得し切れていない様子だったが、ハナはみこの嘘を受け入れた。みこの心がちょっと痛んだ。
「うん。じゃあ、行こっか。今日は映画観に行くんだっけ?」
「そうそう! 最近話題の作品なんだよ!」
かなり無理やりだったが、話題を逸らすことに成功した。
この後観る映画の簡単な説明をしてくれるハナの話を聞きながら、みこはちらりと宙空へと視線を投げる。
「大丈夫、問題ないよー。みこちゃんに気付いてる人はいないから」
意図を理解していたアイの返答に、みこは改めて安堵した。
星谷アコのバズり方はみこの予想を遥かに上回った。
確かに、アイの存在感は凄い。魂から発せられているとしか思えないオーラやカリスマは遺憾なく発揮されていたからこそ、みこは壱護を釣れると考えたのだ。
しかし、拡散のされ方がヤバかった。
突如現れた星谷アコという、その動画のみしか投稿していない架空の人物の発信はある程度人の目に留まって順調に広がっていったのだが、とある有名ユーチューバーが反応してからは劇的であった。
──アイだ!
──マジでアイがいる!!
──アイ恒久無限推しの俺には突き刺さり過ぎた、これは本物
──本人? 別人?
──普通に超美少女
──クオリティがおかしい
──完コピを超えてる
──アイが蘇った!
ドーム公演を目前に殺害された伝説的アイドルの再臨。界隈は湧きに湧いて、祭りとなった。
秒を挟まずに音を鳴らし続けるスマホに恐怖を抱いたみこは、通知をオフにして以降アカウントを見ていない。
こうなると最大の懸念となったのは、星谷アコ=四谷みこだとバレることだ。実際、翌日みこが出かける時はかなり用心して移動していた。
結論としては問題なし。想定内ではあったが、ハナのように親密な間柄で無ければ気取られることはなく、みこは心底安堵したのだ。
(でもこれなら、社長さんを釣れるはず……)
気付いていない筈がない。
アクアとルビーからは鬼電され、なんか怖いなという理由で無視し続けているくらいだ。
いつ捕まえられるかは分からないが、壱護は射程圏内に入ったと考えてもいいだろう。
となればあとは待つだけ。
みこはせっかくの休日を満喫するために、ハナと一緒に映画館へと入って諸々の必須物を購入し、席に座って待機する。
「あっ」
当然のように無賃観賞で映画を観ようとしていたアイが、小さく声を上げた。
「みこちゃん、ちょうど目の前に一体いるから気を付けてね」
「……ハナ、ポップコーン大き過ぎ」
「えーっ、このくらい普通だよ!」
アイの忠告にみこは僅かに瞳を揺らしたが、何事もなくハナと雑談を続けた。
その間にアイは、自分という霊体から発せられていると思われるバケモノが嫌がるナニカを高めていく。すると、黒い塊だった人影は唸り声を上げてみこの側から離れていき、五席分くらい移動したところで沈黙した。
今ではすっかり見慣れた光景だったが、みこはアイの器用さに感嘆する他ない。
二人は一時期考えたのだ。どうしてバケモノはアイから逃げるのだろうかと。
素人考えしか出し合えなかったが、行き着く先は同じであり、やっぱりナニカ出てるんじゃないかというもの。
その後、試しにアイからギリギリ逃げない距離でバケモノに念を送ってみたところ、すったかたーと立ち去っていたのだ。どっか行けー、どっか行けー、と強く願うのがポイントらしい。
みこもアイも不用意にバケモノに近付きたくはないので、以降は標的を見かける度に追っ払っている。
無事に上映時間になり、みこは久方ぶりの映画を楽しんでいた。
物語は順調に進み、中盤を越えていよいよクライマックスへ展開していくその直前頃。
夢中になっていたみこの視界の左隅に、幾つもの目ん玉がギョロリと蠢いた。
(えっ……)
思わず視線を走らせようとするのは必死に我慢して、ちらりと様子を伺う。
『はっけん』
先程アイが追い払ったはずの黒い塊が超進化。後頭部という概念を無視してヤバい目とヤバい口を生み、幾つもの触覚を頭から生やして、先端にはギョロギョロと音を立てる眼球が付いていた。
(うわぁあああ〜〜〜……)
視界の四分の一くらいが目ん玉に侵食され、みこはなんとか平静を保ちながら真っ直ぐ前だけを見る。もはや映画は観ていない。
これほどの至近距離は久々だった。アイと出会ってからバケモノと向き合った経験は数えるほどなので、相変わらず五臓六腑がきゅっとなるこの感覚にみこは鳥肌が立つのを抑えられない。
「……あれ? なんで?」
みこを挟んでバケモノとは逆側の空中で映画鑑賞していたアイも、追い払ったはずのヤバいのが超進化しつつみこに接近しているのに気が付いた。
『はっけんしたばあい、じごくをみせます』
「……まさかこのバケモノ、条件型特級?」
『ヴォオオオオオオオ』
普段は二級程度だが、ある特定の条件下においては特級と同等の性能を発揮するバケモノを、みことアイは条件型特級と呼んでいた。
この手のバケモノは地縛霊型や守護霊型に多く、力の振れ幅が大抵の場合において激しい。何より面白いことに、人として守るべき法やルールに誰かが違反すると反応を示すことが多いのだ。
「ごめん、みこちゃん。条件型特級だと追い払えないし、下手に関わるとどうなるか分からないから我慢してくれないかな」
「…………」
みこは無言ながらかすかに二回頷いて、アイと共にバケモノの様子を伺い続ける。
不幸中の幸いか、どうやら標的はみこやアイではないようで、バケモノはみこの後ろの席に座っている男性へと迫った。
「うわっ、電源切れたっ……マジかよ……」
舌打ちと共にそんな小声が聞こえた。
その男はどうやらスマホで映画を撮影していたようだ。普通に犯罪なので見つかれば法に裁かれるのだが、今回はそれよりも厄介な存在にバレてしまった。
「映画泥棒に反応するタイプかー。……私はセーフってことだよね?」
幽霊なのでお金を支払うわけがないのだが、アイもやっていることは大差ないのでちょっと身構えつつも距離を取る。
安全圏まで退避したアイはしばらく様子見していたが、みこにも自分にも被害は無さそうだと判断して映画の続きを観ることにした。
(……落ち着かない)
だが残念ながら、真後ろにバケモノがいるみこはもう、映画の内容などこれっぽっちも頭に入ってこなかった。
「サイコーだったよねー」
「う……うん」
途中までは、と内心で注釈を付けたみこは、ハナと共に映画館を後にした。
「ジャマだよ、出口で突っ立ってんじゃねー!」
二人についていくアイは背後から聞こえてきた声に振り向き、映画泥棒をしていた男性を観察する。
『はっけん』
「クソッ……頭いてー……なんなんだよ」
条件型特級に取り憑かれたその男は心当たりの無い不調に毒づき、不機嫌な様子を隠さずに去っていく。
「……ふーん」
確信と疑問を得たアイはヒュンと飛んで、みことハナの近くへと移動した。
その時、アイは気付かなかった。
自身と同じように映画泥棒の男性を見つつ、アイを観察していた男がいたことに。
男──神童ロムはスマホを操作し、最近話題となったとある動画を観る。
瞳に星を宿した黒髪の美少女が、およそ十年前に殺害された伝説的アイドルの歌とダンスを完コピしたその動画。そこに映る女性。
「はっけん……」
ボソッと呟いたロムは己の幸運に妖しく笑った。
◇
みことハナは映画を観た後、思う存分散策を楽しんだ。
ハナのお気に入りグッズを買い、ハナが食べたかったものを食べ、ハナが行きたかった場所に行く。みこは基本的に受動タイプなので緊急時でもない限り率先して動かないが、二人はこれで十分以上に楽しく過ごせていた。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね」
休日をしっかりと満喫したみことハナは駅へと歩を進める。
半年経って慣れてしまったが、みこは本当にアイに感謝していた。アイと出会うまでは、ハナと遊ぶ時でさえ気の抜けない状況が多かったのだ。
今日も平和に遊べたことを当然と思わないようにしよう。みこはそう心掛けている。
そして、その心構えが身を結ぶのは大抵の場合で厄介事が発生した時。
「みこちゃん。落ち着いて聞いて」
これまで静かに同行していたアイが、ハナと一緒にいるにも関わらずみこに声を掛けた。
「…………」
既に嫌な予感がしているみこだが、平静を保って一度だけ小さく頷いた。
みこの反応を見たアイは、単刀直入に問題に言及する。
「ずっと私たちをつけている男がいる」
「────」
「みこ? どうかした?」
「……ううん、何でもないよ」
声を出さなかったのは奇跡に近い。
わずかに瞠目した所為でハナに異変を感じ取られてはしまったが、気のせいと片付けてもらえた。
「続けるね。多分だけど、ストーカーとかじゃないと思う」
「みこ、帰りにミセドにも寄ってく?」
「……さっき食べたばかりだよね?」
「さっきってもう三十分も前だよ」
「私はお腹いっぱい」
「厄介ヲタなら気配で分かるから」
ハナと雑談しつつアイの話を聞く。みこはこんなマルチタスクを学んでいないが、今だけは全神経を注いで耳と口を稼働させていた。
「あと、もう一つ気になることがあって」
まだあるの? と、アイの言葉に内心そう返していたが、次の発言には流石のみこも動揺を隠せなかった。
「私のことが見えてるっぽい」
「えっ」
「ん? どうしたの、みこ」
「う、ううん! なんでもない! 本当になんでもない!」
「絶対何かあったやつじゃん!」
みこー? と口を割らせようとしてくるハナに、さてどうすればとみこは焦燥を募らせる。
助け船はみこを慌てさせたアイが齎してくれた。
「万が一ハナちゃんがターゲットの場合もあるから、最寄駅までついて来させない方がいいと思う。適当に用事が出来たって言って、解散するのはどう?」
「……ごめん、ハナ。急用を思い出したんだ」
「えっ、そうなの? 買い物とかじゃなくて?」
「そう。ちょっと、その、一人で行かなくちゃいけなくて」
「そっかー」
その後もなんとかかんとか言い訳を言い連ねて、みこはハナを駅まで見送るという話の流れに持っていった。
「じゃーねー、みこー! またねー!」
「うん。またね、ハナ」
改札を挟んで大きく手を振るハナに小さく手を振り返して、その姿が見えなくなるまでみこはその場に立っていた。
みこは即座にスマホを耳に当てて反転し、適当に歩きながらアイと詳しく情報を共有することに。
「ついてきてますか?」
「うん。案の定だけど、私たちが目的だったみたい」
「どうしよう……」
狙いが分からない。
星谷アコ関連と予測できたらまだ良かったかもしれないが、アイの直感は神がかっている。アイが違うと言うのなら、それは正しいのだ。
「本当にアイさんが見えてるんですか?」
「多分ね。他人の視線には敏感なんだ。まあ、幽霊になってちょっと鈍ってたみたいで気付くのが遅れちゃったけど」
「つまり、私と同じ……」
初めて会う、自分以外の幽霊が見える人間。きっとバケモノだって見えてるだろう。
正直に言うと、話してみたい。
あのバケモノはなんなのか。
どうしたら発生するのか。
幽霊とは違うのか。
正道の対策法はあるのか。
アイと出会って余裕が出来たからこそ、そういう興味をみこは抱いていた。
無論、わざわざ危険に突っ込みたくはない。
だが、巻き込まれる可能性があるのかどうか、それすらもみこには分からないのだ。
「アイさん、その男の人は危険な感じの人?」
「んー、流石に喋ってもいない相手はなぁ。ヲタではないのは分かるけど……ただ、どっちかと言うと見た目は不審者よりだね」
何一つ安心出来なくなった。
「げっ」
ここはやっぱり逃げかなと、みこが決断を下そうとした時だ。アイが困ったような声を出したのは。
「みこちゃん、距離詰めてきた! 走って!」
「っ!」
言われるがままにみこは駆け出す。
人混みにぶつからないように気を付けながら、真横に飛んでいるアイと視線を合わせる。
「ど、どうすればっ」
「この先を曲がったところに喫茶店があるからそこに行こう! 警察署の前にあるからまだ安全なはずだよ!」
「んっ!」
アドバイス通りにみこは道を曲がり、視界の先に見えた喫茶店に入っていった。
「ふぅ……」
警察署から見える窓際の席に座ったみこは少しだけ荒れた息を整えて、隣に浮遊しているアイと目を合わせる。
「アイさん、ここから見えますか?」
「うん。様子見してる感じかな」
「…………」
みこは状況を整理するために沈思する。
(本当に幽霊が見えるなら話を聞いてみたいけど、知らない男の人は怖い。アイさんが言う通りなら、ヤバいヲタ? じゃないけど、見た目は不審者……)
今までに出てきた情報をまとめるとこうなる。
もうすぐ女子高生になる身としては、絶対に会わないの一択なのだが、こちらが捕捉されている以上、逃げ切るには強引な手が必要だ。
(でも、私みたいに幽霊と一緒にいたらあまり意味ない。逃げられないと考えた方がいいかも。そうなると……)
今後に響くかもしれない不確定要素は排除すべき。
「アイさん、その男の人を呼んでもらってもいいですか?」
「えっ!? いいの……?」
「その人がバケモノを操ってるとか、すごいヤバそうなら引いてください。それで、普通に会話が出来そうなら一度話してみます」
「んーーー、分かった。じゃあ、行ってくるね」
アイはそう言い残して、窓ガラスを透過して件の男の下へと向かっていく。
行く先を見守っていたみこは初めて、遠目にだが男の姿を捉えた。
片目を覆うボサボサの黒髪、上下もほぼ真っ黒の服装。
(確かに不審者に見える……)
少し後悔し始めたみこだが、男がアイと会話をしているだろう光景を見てしみじみと驚いた。
(本当に話してる)
自分以外にも幽霊が見えたり話せたりする人が存在した。
みこはその事実に、心底安堵していた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。どうでした?」
「話したいって」
「分かりました」
当たり前のように窓ガラスをすり抜けて来たアイと共に、みこは男がやって来るのを待つ。
チリリーン、と喫茶店のドアに付いたベルが鳴り響く。
店員が人数を確認し、待ち合わせだと説明したのだろう。男は真っ直ぐにみこのテーブルへと近づいてきた。
「お招きいただき、ありがとうございます」
向かいの席に男が座ると、みこのスマホが通知音を鳴らした。
画面を見ると、目の前の男が開催しているのだろうオンラインサロンの画像が映し出されている。
「神童ロムです。どうぞ、お見知りおきを」