四月、春、始まりの季節。
四谷みこにとってはそれは同じで、この日から晴れて高校生となる。
高校生というのは憧れの世代だ。
多くの創作物で取り扱われる年代であり、乙女であればドラマのような恋愛に文字通り恋焦がれるのだろう。
生憎みこはそっちの憧れは無かったが、新生活にはそれなりに心躍らせていた。
そして、現在──
「よお、四谷さん。よくもまぁ無視しまくってくれたね。何か言うことはないですか?」
「……いやー、あのー、そのー、えっとー、あのー、そのー、えっとー……」
──みこは既に家に帰りたくなっていた!
タメ語でいいって言っていたのに今は歪な丁寧語でみこを追い詰めるのは、金髪碧眼で容姿が完璧に整ったイケメン──星野アクアである。片目に瞬く星は妖しくギラついており、みこは真面に目すら合わせられずに冷や汗を流していた。
どうしてこんなことになったのか。
理由は単純、みこがアクアの鬼電を春休みの間、ずっと無視し続けていたからである。完全に自業自得であった。
一度嫌だな怖いなと思って放置した結果、二度目以降も変わらないよねという免罪符で自分を納得させて問題を先送りにした報いである。
チラリ、とみこは視線を虚空へズラす。
「こらー、アクアー! みこちゃんを虐めるなー! 確かにみこちゃんが悪いけどみこちゃんを虐めるなー!」
空中に浮遊する、この場ではみこにしか見えない女性。
艶やかな紫がかった黒髪に、人の目を惹き付ける天性の瞳。可憐な美貌は十把一絡げのアイドルを鎧袖一触にするほど整っており、目の前にいるアクアに部分的に似た要素を持っている。
彼女の名前は星野アイ。およそ十年前に亡くなった伝説と謳われるアイドルであり、アクアの実の母親でもある。
そして今、アイは幽霊となっていた。
物理(?)的にアクアに届かないアイの制止は意味を為さない。頼れるときは本当に頼りになるアイだが、現状においては何の助けにもならなそうだ。
こうなるならせめて言い訳を考えておくべきだったとみこが後悔し始めた頃、アクアは大きな溜め息を吐いて尋問の姿勢を解いた。
「はぁ。事故とかそういうのじゃなくて安心した。鬼電は悪かったけど、せめて一言くらいは返事してくれ」
「うっ、ごめんなさい……」
「俺とルビーも遠慮が無さすぎた。お相子だ」
その心配は尤もで、みこは心底反省する。面倒ごとを避けたいという願望に素直になりすぎていた。
割と凹んだ様子のみこを見て、アクアは場を取りなすように苦笑する。
「元気そうで良かったよ。どうせアイの我儘に振り回されてるんだろう?」
「……それは、そのー」
「色々と企んでるのは察しが付いてる。言えない理由もまあ、理解している」
これについてはみことアイが大胆に動き過ぎているからだ。もはや隠す気がないのだろうとすらアクアは思っている。
腹芸など身に付けていないみこはぎくりと固まるので、素直なその反応は逆にアクアを穏やかにさせた。
「この後ルビーに会いに行くんだが、四谷さんもどうだ?」
「そっか、ルビーさんは芸能科……」
「今のところは何の実績も無いなんちゃって芸能科だけどな」
アイドル志望というのは知っているが、ルビーはまだどの媒体でもデビューしていない。
だが、ルビーは星野アイの実の娘。
きっと瞬く間にスターへの階段を駆け上がっていくのだろう。
了承の返事をしたみこはアクアと共に校舎を移動して、ルビーが待っている中庭へと向かった。
「あー、それで、アイは最近どんな感じなんだ? 今もいるのか?」
「うん。今は……」
「うきゃー! うちの息子がカッコ良すぎる!! 制服姿が拝めるなんて!」
「アクアさんの周りをぐるぐるしながら守護霊してる」
「……言葉にされるとちょっと鳥肌が」
正直ゾッとした。母親だとしても、目に見えない存在はなんかやっぱ怖い。
色々と押し殺して、楽しそうなら何よりだとアクアは結論付けた。
「あと、最近家ではずっと『今日あま』の最終回を観てる」
「頼むからやめさせてくれ」
「無理だと思う……アクアさんの演技、凄かった」
「……ありがとう」
ここで言う『今日あま』とは、最近放送された漫画原作のドラマのことだ。その最終回にストーカー役としてアクアは出演していた。
ドラマとしての評判は散々なのだが、最終回だけは評価が高い。素人目から見ても、それはアクアのお陰だったのではないかとみこは思っていた。
それほどに、アクアはストーカー役を完璧にこなしていたのだ。
「いやー、アクアは小さい頃から気持ち悪い役が上手いんだよねー!」
褒め言葉なのだろうか……と、みこはアイの感想を一旦スルーする。
視界の先に、見覚えのある女子の姿が見えたのだ。
「アクア! それにみこちゃん!! 久しぶりー!」
「うん、久しぶり」
煌めく太陽のような笑顔で手を振るのは星野ルビー。アクアの双子の妹であり、その美貌はアイの血を深く受け継いでいることが見ただけで分かる。
みこはこの時、冷や汗を流していた。
原因はルビーではない。ルビーの隣にいる美少女、もといその女子に取り憑いているバケモノである。
「(うわぁーーー……)」
アイは声に出し、みこは内心に留めて同じ感想を抱いた。
「ルビー、そっちの人は?」
「寿みなみちゃん! 隣の席で友達になったの! 聞いてよお兄ちゃん! みなみちゃんはグラビアアイドルで、なんとGカップなんだよ!!」
「その紹介の仕方は非人道的だろ、謝れクソバカ妹」
「あははー、気にせんでええですよー」
艶のある桃色の長髪、ぱっちりとした目が可憐な整った顔立ち、何よりも同性異性関係なく目が吸い寄せられる胸の双丘。
これが美少女──寿みなみを客観的に見た場合の特徴だが、みことアイは異なった。
キリンのように長い首と気色悪い人間の顔、同等に長い腕と脚がみなみに巻き付いている。腕に至っては四本あり、胸に股に尻に頬にと感触があったら即発狂ものの光景が広がっていた。
容姿の良い女性にバケモノが取り憑いているのは過去にも見たことがあるが、これほどデカくてキショい奴は初めてであった。
「二級……いや、準一級ってところかな? グラドルだとこんなことになるんだ。マジで気持ち悪いね」
「はい……」
「それにしても、随分と立派な
「ハマったんですね……」
小声で返事をしつつ、みこは気持ち一歩引いた位置で三人と合流する。
「寿みなみいいます。ルビーちゃんのお兄さんと、そっちは……」
「四谷みこです。私はアクアさんとルビーさんの友達……? です」
「なんで疑問形なん?」
ちょっと色々と複雑で、とは口にしなかったが、友達かと言われると本当に怪しい。何せ直接顔を合わせたのはこれで二回目なのだ。
「もうみこちゃん、私たちはズッ友だよ!」
「悪いな四谷さん。うちの妹は相手のパーソナルスペースを踏み潰しにいくのが特技なんだ」
「大丈夫、慣れてるから」
「……えっ、みこちゃんもしかして私で慣れた?」
「なんや、仲ええんやなぁ」
アイがちょいちょい会話に混ざってくる。テンションが上がっているのだろう。
みこは返事を間違えないように気を付けながらも、細心の注意を払ってみなみと視線を合わせていた。
(おかしい……)
これほどの至近距離まで近付いたら、大抵のバケモノはアイが無意識に纏っているオーラで追い払えるのに。
『ぉお゛ぉぉああああ』
当のバケモノは寧ろ絶対に離れまいとみなみにしがみついているように見えた。男性の下劣な性的欲求の無駄な力強さを見ているようで、みこの心が凍る。
アイもアイで徐々に眼差しがしんと冷えてきた。
「ぜんっぜん離れない……赫とかで消し飛ばせるだろうけど……」
何やら物騒なことをアイは口にし始めた。
みことしては軽率な行動は是非とも遠慮してほしい。乙女的デメリットが大きいのだ。
「不知火フリルが居たんだよ!」
みこの気がそぞろになっている間に、話題は芸能科の同級生の中でも飛び切りの有名人についてとなっていた。
「不知火フリル……?」
「えっ、もしかしてみこちゃん知らないの!? 月9のドラマで大ヒットした、歌って踊れて演技も出来るマルチタレントだよ! 美少女という言葉を聞いたら殆どの人がまず思い浮かべる不知火フリル!!」
「月9、美少女……あ」
同世代で月9に出てた美少女、というワードでみこの中で該当人物が浮かび上がった。奇しくもそれは、バケモノ関係であった。
「あっ! ほら、あそこに実物!」
ルビーが指差す先に視線を移す。
「(うわぁーーー……)」
みなみの時と全く同じ感想をアイとみこは抱いた。
長い髪は烏の濡れ羽色、左目にある泣きぼくろがチャームポイントな絶世の美少女。アイとは異なるジャンルの、美しさの極致。これが客観的に見た不知火フリルだ。
その姿はみこも見覚えがあった。残念ながら、良い意味ではなかったのだが。
『お前さえいなければ……』
『呪ってやるぅ……』
『なんで貴女だけ……』
『しね……』
虚空に漂う幾つもの黒い靄から腕が伸びている。深淵の奥から聞こえるのは嫉妬に狂った怨嗟の声で、首を締めるように、髪を握り潰すように、フリルを害しているように見えた。
彼女の圧倒的な人気が、ああなった原因だろう。
「こんにちは、不知火さん。俺の妹がアンタと同じクラスなんだ。仲良くしてやってくれ」
「ちょっ!」
呆然とみこが固まっていた間に、アクアがフリルへと絡んでいた。ちょっ、はこっちの台詞である。
背中に変な汗をかいてきたところで、アイが視線を鋭利にさせた。
「あの二人、それなりに参ってるぽいね」
「えっ」
「ナチュラルメイクで隠してるけど、目元がちょっと濃い目だから隈が酷いのかな? 悪夢を見てるんだろうね」
つい先日出会った霊能者である神童ロムの言葉を思い出す。
バケモノに取り憑かれた人は様々な不調が現れると。その中には悪夢を見ることが含まれていた。
どんな悪夢を見るのかも後日教えてもらっている。バケモノの種類によるらしいが、あの二人は典型的なものが当て嵌まるはずだ。
「貴女……」
「えっ」
気付いたら、みこの目の前に不知火フリルがいた。
中々に迫力あるホラー映像が視界の端に映るが、みこは瞬きを多めになんとかフリルと視線を合わせた。
「普通科の四谷みこ、です」
「……んーー」
じーっ、とフリルはみこを見ながら首を傾げる。
「貴女、どこかで……」
指を顳顬に当ててフリルは記憶を漁っていき、みこを真正面から見据えた。
困ったのはみこだ。美人はアイで見慣れているとはいえ、同い年の有名人に見詰められた経験はない。緊張で心臓がドキドキしてきた。
「四谷さんがどうかしたのか?」
「……いえ、何処かで見たことがあるような気がして」
「あっ、それうちも思っとったんよなー。なーんか見覚えがあるような気がするんよ」
アクアの疑問に、フリルとみなみがそう答える。
その時になってやっと、みこはこの状況に理解が及んだ。
(二人とも、星谷アコを知ってる!?)
芸能界にまで星谷アコの存在が浸透しているとは。流石というべきか、ヤバいというべきか。
冷や汗が止まらなくなってきたみこを一瞥したのはアクアで、雰囲気を変えるようにからりと笑った。
「気のせいだと思うぞ。四谷さんはそういった活動はしてないから」
「……そうね。ごめんなさい、不躾に見て」
「……ううん、大丈夫、です」
「不知火フリルです。どうぞよろしく」
みこは色々と混乱していた。
フリルのような超有名人と縁を結ぶことになったのも要因だが、アクアの対応の意図が全く読み切れないからだ。
(どうしてアクアさんははぐらかしてくれたんだろう……)
公にしたくないというみこの思考を汲み取ってくれた、というのが一番あり得る。もしかしたらアクアにとっても、みこの存在は秘密である方が都合が良いのかもしれないが。
何はともあれ助かったみこは音を出さずに大きく息を吐き出して、ふと、みなみに付いてるバケモノに視線が移った。
バケモノがその醜い顔を巨乳へと
「虚式「茈」」
「あっ」
「……あっ」
みこと、少し遅れてアイの呆気に取られた声が漏れるが、時すでに遅し。
ノータイムで放たれた紫の極光。
次の瞬間には、その場にいたみこ以外の姿が、みこの視界において濃紫の奔流に飲み込まれて消えていた。
みこの目が死んだ。
「みこちゃん、どうかしたの?」
「ううん、なんでもない。なんでもないの」
紫の中から声が聞こえる。多分ルビーなのだが、みこには見えない。
やっちまったー、と反省しているのは反射で必殺技を撃ち抜いたアイだ。確かに有罪以外の何物でもない光景ではあったが、せめて一言くらいはあって欲しかった。
(しばらくは早朝ランニングだ……)
強制デイリーミッションが課せられた現実にみこが気落ちする中、数秒で視界が晴れる。
何事も無くそこに立っていた四人だったが、違和感に気付いた二人はそれぞれが気になった体の部位へと手を伸ばしていた。
「「……あれ?」」
みなみは肩、フリルは首。
「みなみちゃん、フリルちゃん、どうかしたの?」
「いやー、んー……?」
「どうして、急に……」
ルビーが疑問を投げ掛けると、みなみは肩を回して調子を確かめ、フリルは小さく発声練習をするように声を出す。
確認が終わった二人はやや呆然としていたが、小首を傾げていたルビーへと向き直った。
「うち、結構前から肩が異常にこってて。それが今、急に無くなったんよ」
「そのおっぱ」
「おいクソバカ妹。余計なこと言うな」
「あははー。いやまあ原因の一端ではあるんやけどな。ただ、これまではどんなにマッサージとかしても効果が無かったんよ。だから、いきなり無くなってビックリして」
もちろん嬉しいんやけどな、とみなみは言う。
続けてフリルが話し始めた。
「私は最近、妙に息苦しい時があって。病院にも行ったんだけど、異常は無かったの」
「もしかしてフリルちゃんも、それが今、突然治ったの?」
「そう。信じられない、一体何が……」
フリルからしたら異常事態なのであろう。安堵の気持ちもあるが、疑念も同等に感じている。
そんな二人の様子を見て、みこは冷や汗が止まっていなかった。
(なんか大事になってる気がするっ!)
気付けばアイは地べたで土下座していた。
みなみとフリルに取り憑いていたバケモノは既に消滅している。体の不調が無くなったのはある意味では当然の帰結なのだが、理由を理解しているのがみことアイしかいない。
アクアはその時、強張っているみこの表情を一瞥していた。
「もしかしてなんだが、二人は最近、夢見が悪かったりしたか?」
「「えっ」」
唐突なアクアの質問に対して、反応は劇的であった。
目は口ほどに物を言うとはこのことで、なんでそれを知っているの? と二人の表情は物語っていた。
「お兄ちゃん、それって悪夢を見てたってこと?」
「ああ。かなり
アクアは小さく幽霊関係だとルビーに耳打ちする。
なるほど、と呟いたルビーはチラリとみこを見てから、下手なことを言わないようにと神妙な顔をして黙り込んだ。
アクアは学術的興味としてみなみとフリルに確かめていた。接点を持った霊能者から教えてもらった情報に間違いがないのか、検証できる場面だったから。
「……ねぇ、アクアさん」
後にこの軽率な行動が自分の首を絞めることになろうとは、思ってもいなかったのだ。
「どうしたんだ、不知火さん?」
「因みになんだけど、悪夢の内容って分かる?」
「そうだな……恐らくだが、不知火さんは嫉妬に狂った誰かに殺されそうになる夢で、寿さんは、あー、まぁ、あれだな。男に酷い目に遭わされそうになる夢じゃないか?」
「「…………」」
想定できる代表的なものをアクアは口にしたが、どうやら当たっていたらしい。言い当てられた二人は顔色が若干悪い。
思い出させるような真似をしたとアクアは反省し、これ以上踏み込むのはやめようと決めた。
「ごめん、二人とも。変なこと言ったな」
「ううん、そんなことない。ありがとう、アクアさん」
「うちもありがとうな」
「……?」
お礼を述べられた理由がよく分からなかったアクアは首を傾げる。
そんな三人の様子をルビーはアクアと同様に首を傾げながら見守っていたが、みこはまばたき多めでなんとか思考を回していた。
(またアクアさんが庇ってくれた? ……ううん。なんか、ちょっと違うような……)
色々とおかしなことになってる気がする。
何が、と言われるとはっきり言及出来ないのだが、少なくともみこにとっては都合が良い展開に思えた。
「アクア、妙だね」
段々と価値が軽くなっている土下座から復活したアイは、我が子を疑わしげに見詰めて考える。
「悪夢についてあんなにはっきりと口にするなんて。ネットの情報だとしても、そんな簡単に信じられるかな? 私たちだって色々と半信半疑だったのに」
そう、それが第一におかしな点。
みことアイが取り憑かれた人の不利益を本当の意味で知ったのは、先達であるロムに教えてもらった時だ。絶対に体調悪いだろうなと思いはしても、それまでは曖昧な予想でしかなかった。
しかも、悪夢については全く知らなかったのだ。
アクアが何故、それを知っているのか。
つい最近まで幽霊の存在すら実在していると知らなかったアクアが。
頭がそんなによろしくないと自負しているアイですら、簡単に結論に辿り着いた。
「もしかしてアクア、霊能者の知り合いがいる?」
「行動力の権化……」
みこはなんかもう、バケモノとは違う意味でアクアが怖い。どうしたらこの短期間で、存在自体が不明瞭な霊能者を探し出してコンタクトを取れるというのか。凄いを通り越してもはや怖い。
ひとまず、アクアは色々と知っていると仮定して動いた方が良さそうだとみこは判断して、視線を動かさずに囁いた。
「アイさん、お腹は?」
「……減ってます」
「……いっそのこと、二人へのお土産はご自身で渡してください」
「うぃ。本当にごめんね、みこちゃん」
放課後の予定が決まったところで、みこはアイとの会話を切り上げてアクア達の側へと向かった。
とりあえず、みなみとフリルとは話しやすくなった。
◇
通称「お腹空いた事件」は、割とヤバい想像から始まった。
「もしかして私、バケモノ食べないといけない感じっ!? イヤだ、それは本当にイヤだっ! 絶対ヤバいじゃん! 最低でも吐瀉物を処理した雑巾みたいな味じゃんっ!!」
「アイさん……」
みこ的には魂が汚染されるとかそういう方が怖いのだが、真っ先に味の心配とはなんともアイらしい。
それはそれとして然もありなん。みこは掛ける言葉を失っていた。
ロムと別れ、帰宅したみことアイは部屋で話し合っていた。
幽霊であるアイのお腹が空くという、珍事件なのか大事件なのか判断に困る事態に陥って、もう数時間は経っている。
その間にもアイの感覚は空腹を訴えており、それ以上酷くはなっていないが、放っておけば絶対に碌なことにはならないという確信が二人にはあった。
こういう時こそ冷静に。
みこは想定し得る原因および解決案を究明することを決めた。
「原因はオーラを使ったことで間違いないと思います」
「うん、それしか考えられないもんね」
今までアイは幽霊の状態で空腹になった経験はない。半年以上無かった出来事であり、だからこそ理由は容易に見当が付く。
アイは空腹を訴える前に、自身から発せられるオーラを用いて喫茶店にいたバケモノを全滅させている。確実にこれが原因だろう。
ここまではぶっちゃけ考えなくても分かるレベルの話だが、問題はこの先だ。
空腹になった原理は掘り下げない。考えても分からないし、お腹が空いたのならば満たせばいいのだ。
しかし、その満たす方法が分からないのが問題であった。
「共喰い、魂喰い……」
「みこちゃんが物騒っ!!」
「じゃあソウルイーター」
「それはなんかかっこいいから好き」
碌でも無い解決方法しか出ないうえに、会話でのやり取りに生産性が微塵も無い。
これまでブレイン担当であったみこをしても、正解が思い付かないのだ。
「アニメや漫画だと、幽霊の栄養補給? と言えば同族を食べることですよね?」
「まあ、そうだよね。でも、某死神漫画の死神はちゃんとご飯食べてたよ」
「確かに……」
設定では、霊力を持っていると空腹になるとかそんなだった気がする。
「でも、ご飯を食べられないアイさんじゃ……あっ」
そこまで呟いて、みこは単純な解決案を思い付いた。
「憑依した状態でご飯を食べれば、空腹が治るかも?」
「それだっ!」
結論として、みこの読みは正しかった。
幸いにも今日は一人飯だったため、みこに憑依したアイは晩御飯をたらふく頂き、憑依解除してみたところ空腹感が消えていたのだ。
アイはこの事実に、心底安堵した長い息を漏らしていた。
「はぁー、良かった。本当に良かった。ホロウとかスピリット・オブ・ファイアみたいなことになるかと思ったよ」
二つの共通点は魂を喰らえば喰らうほど強くなることだ。アイがこれ以上霊的に強くなることに意味があるかは知らない。
幸せな表情でお腹をぽんぽん叩いているアイに対して、みこは真剣な眼差しで自身の腹部を見詰めている。
恐る恐る手を伸ばし、脇あたりをひっそりとつまむ。
ベストの自分よりもぷにぷにしている気がした。みこの目が死んだ。
「アイさん」
「ん、どうしたの?」
「この前アクアさんと焼肉を食べてたけど、どのくらい食べたんですか?」
「んーと、ご飯三杯に、お肉いっぱい?」
「…………」
「み、みこちゃん? なんか目が据わってるよ……?」
また何か自分はやらかしたのだろうかとアイが戦々恐々となる中で、みこは淡々と宣告する。
「憑依状態でご飯を食べると、アイさんのオーラが回復することは分かりました」
「う、うん……」
「だけど、私の身体で食べてるので、結局は私の栄養になってます」
「えーと、それは、つまり?」
「エネルギーはアイさんに行きますが、カロリーは私に来るんです……」
「…………本当にごめんなさい」
アイの土下座は長かった。
以降、なるべくオーラを消費しない方向でとその場では決めたのだが、なんやかんや色々あってその約定が守られることは少なかった。
◇
高校生活一日目の放課後。
所変わって苺プロダクションの事務室にて。
「じゃじゃーんっ! 呼ばれて飛び出て星野アイ、参っ上っ☆」
みこ、もといアイがキラリーンと音が聞こえてきそうな決めポーズを放って現界した。
その光景を見たアクアと苺プロ社長である斉藤ミヤコは目が虚無り、ルビーはキラキラと瞳を輝かせた。
「ママー! こんなに早くまた会えるなんて!」
「ルビー! 高校入学おめでとうっ! 制服姿めっちゃ可愛いよー!」
だきっ、と抱擁を交わす親子(同級生)という頭がバグりそうな場面。
頭が痛いアクアとミヤコは蟀谷を手で押さえていた。
「ねぇ、なんでこんなことになってるのかしら?」
「俺が知るか」
焼肉屋で「今度こそ本当のお別れだよ」的な雰囲気を醸し出していたのに、なんかもう色々と台無しである。情緒とか、風情とか、そういうのが。
大きな大きなため息を吐いて、アクアは二人へと近付いた。
「アイ、そんなぽんぽん憑依するな。四谷さんに迷惑だろ」
「アクアも制服似合ってるよっ! 超イケメンっ! 高校入学おめでとうっ!!」
「いや、まぁ、うん。ありがとう……」
「おい」
ミヤコが思わずツッコんだが、アイガチファンであるアクアにアイの言葉は効果が抜群であった。
バカ親子三人に露骨にため息を溢したミヤコは、毅然とした態度でアイに向き直った。
「アイさん、アクアの言う通りです。憑依という行為が危険かどうか私には分かりませんが、四谷さんに迷惑を掛けていることは間違いないんです。当たり前のようにやらないでください」
「はい、ごめんなさい。それについては私も深く反省しています」
「じゃあなんで今回は憑依されたんですか? まさか、アクアとルビーの高校入学祝い、なんて言わないですよね?」
「えーと、その、これには深くも無いけど深い事情があったり無かったりしましてー……差し当たってはみんなにお願いがありましてですねー……」
急に卑屈になったアイは胸の前で指を突き合わせながら、上目遣いでお願いを口にする。
「ご飯をいっぱい食べたいなって」
「うう! まさか我が子の手料理が食べられるなんて、お母さん感激っ!」
「散々作ってと駄々捏ねてたじゃないですか……」
「ママ! どう、美味しい?」
「うん、最高に美味しいよ!」
満面の笑みで料理を食べるアイ。
なんだかんだ微笑ましく見守っている三人であったが、アクアは内心、実の母の傍若無人な振る舞いの片鱗に冷や汗を流していた。
(アイが泣いてない。つまりは久々の憑依じゃないってことだ。結構頻繁に四谷さんの身体を借りてるな……)
なんてはた迷惑な、と思わずにはいられない。
後でみこには謝罪と、お気持ちとして何か差し上げようとアクアは心に誓った。
そうこうしている間にアイはご飯を食べ尽くしたのか、両手合わせて満足そうにしていた。
「ふぅー、ご馳走様でした。いやー、これでエネルギー充填完了だよ!」
「お粗末さま。でだアイ、色々と聞きたいんだが」
「その前に! 私からまず三人にお土産があります」
「お土産?」
アイは片手を勢い良く突き出して、アクアの機先を制する。
お土産の単語に反応したのはルビーであり、小首を傾げていた。
「ママ。お土産って何?」
「んー、色々と説明しないといけないけど、大丈夫?」
「もちろん私は大丈夫!」
「私も問題ないわ」
「……はぁ、分かった。先に言ってくれ」
諦めたアクアはルビーと共に聴きの姿勢に入る。ミヤコはパソコンの前で仕事をしながらであったが、耳を傾ける準備は出来ているようだ。
アイはみこの入れ知恵を思い出しながら、ピッと自分のことを指差した。
「私はみんなと出会ってからもみこちゃんと一緒にいるんだけど、そもそもなんで一緒にいると思う?」
「えっ? そんなの話し相手がいないと寂しいからじゃないの?」
「それじゃあ四谷さんにメリットがないだろ。いくら四谷さんが善性の塊のような人でも、自分の身体を乗っ取ってくる幽霊なんて怖いに決まってる」
「そうね、私もアクアに同意するわ。アイさんは四谷さんにとって余程重要な存在の筈よ。理由は、分からないけど」
「あれ? なんか私ボロカスに言われてない?」
常識的な二人の身も蓋も無い意見に、アイの良心はクリティカルでダイレクトなアタックを受けた。
「ルビー! 二人がいじめる!」
「よしよし。あっ、なんかこれ目覚めそう……」
ひしっ、とアイに抱きつかれたルビーは形容し難い笑みを浮かべていた。
再びのバカ親子を見て、ミヤコの顳顬に青筋が走る。
「アイさん?」
「はいすみませんごめんなさいちゃんと話します」
さっ、と背筋をピンと伸ばして座り直したアイは、自分で脱線させた主題へと軌道修正を図る。
「それで、一緒にいる理由なんだけど……んー、とりあえず前提として、この世界には幽霊が結構蔓延ってるんだ。……今更だけど本当に話して大丈夫?」
「正直私は聞きたくなかったし、今めちゃくちゃ後悔しているわ」
「俺は構わない、続けてくれ」
「私も大丈夫ー」
虚ろな目でパソコンに向き合うミヤコはすでに耳を塞ぎたくて仕方がなさそうだが、アクアとルビーは先を促している。
ならいっか、とアイは判断して、この世界の裏の真実を口にしてみることにした。
「それでねー、幽霊って一言で言っても種類があってね。最悪なことに、一番多いのがいわゆる悪霊なんだ」
「……マジですか?」
「うん、マジ」
「吐きそうだわ……」
ミヤコが更にグロッキーになって崩れ落ちた。もはや仕事どころではない。
実は知っていたアクアは表情を取り繕い、組んだ両手に顎を乗せて思考を回した。
「アイ。もしかしてだが、アイはその悪霊を撃退できるんじゃないか?」
「えっ、なんで知ってるの?」
「やっぱりか」
「お兄ちゃん、どゆこと?」
首を傾げるにルビーに対して、アクアは予想を口にした。
「さっきアイが言ってたろ。なんで自分が四谷さんと一緒にいるのかって。恐らくだが、四谷さんは幽霊が見えるだけで対処法は持ってないんだ。だから、悪霊を撃退できるアイと一緒にいるんだろう」
「おー。その通りだよ、アクア」
ぱちぱちとアイは拍手する。
明らかになった真実に対して、アクアとミヤコは成程と納得していた。悪霊というのがどれほどヤバい存在なのかは分かりようもないが、アイというヤバい幽霊を側に置く方が遥かにマシだということは理解できた。
アクアは更に思考を回して、今日あった出来事を思い出す。
「で、不知火フリルと寿みなみの二人には、悪霊が取り憑いていたのか?」
「なんでそこまで分かるかなー。我が息子ながらちょっと怖いよ」
「えっ、あっ! そういうことだったんだ」
「悪霊が取り憑いてるとかいうパワーワード……ホントやめてほしいわ……」
話の核心へと一気に切り込んできたアクアに対し、アイは若干引いた。アクアがなんか怖いというみこの気持ちが、なんとなく分かってきた今日この頃である。
心当たりがあったルビーと、完全にメンタルがやられ始めたミヤコの為に、アイは説明を再開した。
「私は幽霊になってから、オーラって呼ばれる不思議パワーを操れるようになってね。これで悪霊を追っ払ったり、消滅させたりできるんだ」
「わぁ、フィクションの話だ!」
「残念だけどルビー、現実の話だよ!」
「引くわぁ……」
ルビーの瞳からも段々と光が無くなっていった。
「それでさっきの二人なんだけど、おっぱいが凄い子には変態が憑いてて、黒髪の子には妬み嫉みが具現化したような悪霊が憑いてたんだ。最初は消し飛ばすつもりなんて無かったんだけど、変態の方がおっぱいに顔面から突っ込もうとしてたのを見てついヤッちゃった」
「マジ引くわぁ……」
ルビーとミヤコは思わず自分の身体を抱き締めた。
「あの、アイさん。つかぬことを聞きますが、今この場に悪霊とかいないですよね?」
「うん。私が入ってくるのと同時にどっか行ったよ」
「いたってことじゃないですか!?」
「いやだって、ホントに割とどこにでもいるよ?」
ミヤコは顔面蒼白で今にも倒れそうだ。ルビーとアクアも顔色が悪い。
「でも大丈夫! これからは安心だよ!」
やっと本題に入れると、アイはみこのカバンをごそごそと漁ってあるものを取り出した。
「じゃじゃーん! 水晶の腕輪ー!」
某ネコ型ロボットの秘密道具みたいに登場したアクセサリー。
一体何事だろうかとルビーが首を傾げるなか、アクアはアイの当初の目的を思い出していた。
「それがお土産か?」
「その通り! ズバリ、悪霊避けの水晶だよ!」
その言葉に対して、ミヤコの反応は早かった。
「もしかして、それを付けてるだけで悪霊を追い払えるんですか!?」
「ザッツライト! これは特別製なんだよー。なんせ私のオーラを込めたものだからね!」
「マジでアニメみたいなこと言い始めたな……」
フィクションとはなんぞや、と思わずにはいられない発言だが、事実であれば感謝しかない代物だ。
アイからブツをわたされた三人は早速とばかりに腕に装着する。
「……なんか普通だね!」
「まあそうだな。身に付ければ特別な何かを感じるのかもとは思ったが」
「そもそもが気休めみたいなものじゃない。でも、アイさんが用意してくれたものなら安心出来るわ」
なんせ存在自体がフィクションだから、とミヤコは結論付けた。
目的を果たして満足したアイは、その後しばらく雑談に興じていたが、次の一言で流れが変わった。
「そういえば、ルビーはいつアイドルデビューするの?」
何気ない疑問であったが、ルビーへの効果は抜群だった。
「ミヤえも〜んっ、早く私をアイドルにしてよ〜っ!!」
「急かさないで……」
唐突にミヤコに泣き付くルビーを見て、アイは首を傾げた。
「どしたの?」
「端的に言うと、メンバーをどう集めるかが問題になってる」
「へぇ」
アイは冷凍庫に常備されていた高級アイスをパクリと食べる。
発端の割には他人事なアイであったので、ルビーはぐるりと振り向いて先達に詰め寄った。
「ママ! ママの時はどうだったの?」
「私が入った時にはもうメンバー決まってたもん。佐藤社長が選んだんだと思うよ」
「くっ、何の役にも立たない!」
「酷くない?」
「高校生になったら母親への対応なんてこんなもんだ」
「くっ、これが浦島太郎の気持ちっ!」
パクリ、とアイスを頬張りながら、アイはふと社長のことを思い出した。
(そう言えば社長を釣ってるんだった)
あまりにも鳴り響く通知音にびびったみこが機能をオフにして一週間は経っている。
そろそろ進捗を確認した方がいいだろうと思い立ち、アイはみこのスマホを取り出して暗証番号を解除した。
「おい、それは流石にヤバいだろ!」
「大丈夫、みこちゃんに許可は取ってるから!」
「四谷さんは神か天使か?」
今を生きる女子高生にとってスマホは下手したら命よりも大事な筈なのに、それを平然と明け渡すとは。アクアは真面目に戦慄した。
息子の驚愕を他所にアイはSNSにアクセスし、例の動画に付いたコメントやらDMやらを確認していく。
「うーーん、多い……」
大抵は褒め言葉なので悪い気はしないが、如何せん量が多い。これはもう釣りではなく漁である。
流石にそう上手くはいかないかとアイはスマホを走らせて。
「おん?」
何となく、目に付いた。
金髪にグラサンのアイコン。
アイはアカウント名とメッセージを確認する。
「ねぇ、アクア」
「なんだ?」
「社長の本名って何だっけ?」
「斉藤壱護だけど」
呆れた様子のアクアであるが、その時のアイの目には映らなかった。
星を宿した瞳は、画面へと吸い寄せられていた。
アカウント名はアルファベットでICHIGO。
そして何よりもメッセージが、アイの心を掴んでいる。
──惜しい、俺の名前は斉藤だクソアイドル
「キッタァアアーーーーーーーっ!!」
獲物が針に掛かった。
四谷みこ
今日から晴れてJKと清々しく言えなかった。
アイのオーラがモノに込められると知ったため、母親、弟、親友とどんどん御守りを作ってしまった。最近は早朝ランニングが日課。
なお、オーラは適宜補充が必要だとまだ知らない。
星野アイ
虚式な紫をノータイムで放てるようになった。
子どもたちの制服姿を見れてテンション爆上げ。今日も空気が美味しい(憑依)。
釣りが成功したと確信している。
星野アクア
ハーレムルートに突入した。
続きは伏魔御厨子に切り刻まれたのでありません。