主役への憑依が素晴らしいものとは限らない 作:悪路
「落ち着いたか?」
「少しは」
「そりゃ良かった」
衝撃的な出会いの少し後、僕は薄暗い廃ビルの一角でペットボトルの水を飲んでいた。
彼が言うには『監視カメラにある場所にヴィランである俺は行けない』ということらしい。
確かにそうだ、たとえフードを深く被っていたとしても現在の科学技術なら容易に正体が分かってしまう。
隠れるに越したことはない。
「一息ついたしそれじゃあシガラ……」
ここで僕はとある事実に気づいた、僕らは互いの名前を知らないのだ。
緑谷出久や死柄木弔と言い合う選択肢もあるが、流石にヒーロー精神をその身に宿す主人公の彼と一緒にされるのは畏れ多いし純粋に嫌だと思ってしまう。
それに、緑谷と呼ばれ続けると僕が本当に僕なのかがわからなくなってしまう。
哲学みたいで、少し滑稽で、馬鹿らしいけど今の僕には深刻な問題だ。
「あー、成る程そういうことか。本当ならここらで自己紹介の時間でも設けたいところだが、生憎俺の生前の記憶は曖昧だ。名前なんざ覚えちゃいない」
「僕もだよ、名前以外は結構思い出せるんだけどね」
ペットボトルの蓋を閉めながら、ぼんやりとこの体に入る直前のことを思い出していた。
なにか、大きなものに押しつぶされたような気がする。
けれども熱い熱いお湯の中にいたような気もして、そういえばトラックに轢かれたのかもしれないとも思った。
要するに曖昧だということだ、だが一つはっきりしているのは僕は死んでここに来たということ。
戻る体は何処にもないということ。
「じゃあ、互いに名前付け合わないか?二人だけが知る秘密の名前、互いに付けた偽りの名、少年漫画でありがちなシチュエーションだろ?」
ニヤリと笑って彼は言う。
ピンと指先を立てて、五指が一つの場所に触れないように気を配りながら。
名前、新しい名前。
こんな状況なのに、希望なんて何処にもないのに、ほんの少しだけそれを楽しみにしている自分がいた。
「いいねそれ。コードネームみたいなカタカナばっかりのやつと普通の日本人名みたいなの、どっちがいいかな」
「まあ、実際問題役所に出す書類に使うわけでもバイトの申し込みをするわけでもないし『シュバルツ』とか『ギル』とかみたいなやつでいいんじゃねぇか?」
スルスルと、会話が進む。
不思議なことに彼と話すとか安心した、今まで抱いていた不安や絶望が少しだけ薄れていく感じがしたんだ。
いや、不思議でもなんでもない。
僕らはきっとこの世界で二人だけの憑依転生者、偶然出会った同類。
公園での会合からまだ10分も経っていないけれど、僕は既に彼のことを信じ始めていた。
いや、もうとっくに気を許していた。
「なら互いに5分考えて一斉に発表するってのは?」
「よし、そうするか。じゃあタイマー……悪いけどお前が測ってくれないか?まだ慣れてない崩壊の個性を持ったままスマホを使うのは少し怖い」
ケラケラと明るく振る舞いながら彼は外へと歩いていく。
どこへ行くのかと問えば自販機でジュースを買ってくるとのこと、やっぱり何か飲みたくなったと言っていた。
「名前、名前、呼びやすいのがいいよね」
どうしようかと、僕は悩む。
でもその悩みは苦痛ではない、暗闇の中で出会った希望にあげる名前を考えるのが苦しいわけがない。
気がつくと、僕の顔には笑みが浮かんでいた。
────────────
「カルピス一本百六十円、高いのか安いのかあんまわかんねぇな」
お金を入れて、ボタンを押して、そうすればガコンと音がしてペットボトルが落ちてくる。
散々アニメや漫画で見たシチュエーションだ、飽きるほど夢見たワンシーンだ。
けれど、
「まさかカルピスを飲める日が来るなんてな、もう二度とあの病室から出られないと思ってたよ」
白、白、白、白色で満ちたあの部屋にいたのを思い出す。
病名だとか症状だとか、それらがいったいどんなものだったのか今となっては知る術もない。
生まれてこの方太陽を見たことはなく、ジャンクフードを食べたこともない。
窓のないあの病室で、変わり映えのしない味の食事を一日三回永遠に食べる日々。
娯楽と知識と時間だけは無限に等しいほどにあった、でもそれだけ。
ただ、それだけ。
「それがなんだ、死んだと思ったら漫画のキャラに憑依?しかもそいつはストーリーのラスボスだって?偶然憑依した先がコイツとかどんな確率だよ」
なんとも可笑しな話だ、Twitterに蔓延る嘘の体験談よりもよっぽど信憑性は薄い。
しかも本来ならば主人公の立ち位置にいる筈のヒーロー志望は自分と同じ境遇ときた、今時ライトノベルだってやらないようなベタすぎる設定だ。
なにかしらの超常存在の介入すら疑ってしまう。
「にしても、随分と参ってたなアイツ」
脳裏に映るのは先刻であった少年、緑谷出久の体へと憑依してしまった同郷の少年。
オールマイトとの会話、公園での一幕、この廃ビルに来るまでの時間、俺は彼を見てきた。
傍目からでもわかるくらい、前世では人付き合いなど全くしてこなかった俺ですら理解出来るほどに、彼の精神は不安定だ。
「まぁ……会話内容から察するに恐らくアイツの歳は15、6くらい。そりゃやりたかったことも残してきた友人や家族もいるよな。未練が全くない俺の方が異常なだけで」
この廃ビルに来るまでの間、少しばかり彼と話した。
同郷の人間に出会えたことが余程嬉しかったんだろう、話題はもっぱら『僕のヒーローアカデミア』に関するものだったが会話の内容などからして現在進行形で学校に通っているだろうということはわかった。
極め付けは『僕はただの高校生なのに……』と呟いていたこと、これは確定だろう。
友達もいなければ大して家族と顔を合わせているわけでもない、病室に居座る生きた屍に未練なんてありはしないのだ。
むしろ、この体ならば今まで食べられなかったラーメンや寿司を食せると思うと心が躍る。
明日への不安は大いにあるが、そこらへんは緑谷の中にいるアイツと一緒に乗り越えればいい。
「友達に、なれるかな」
家族と医者以外の人間となんてリアルで話したことがない。
せいぜいTwitterのフォロワーとのリプライでの会話、後はゲームのボイスチャット、それくらいだ。
現実で、目を合わせて、互いに身振り手振りを交えながら会話するなんて経験は一度もない。
だから、だからこそ俺はこんなクソみたいな状況でもワクワクしていたのだ。
未練もなく、体を縛る病気もなく、新天地にて俺は生きていく。
とはいっても、
「まあ、俺の心情はともかくアイツはだいぶ俺に気を許している。それに同郷は今のところたった二人、既に協力関係にはあるんだ」
友達になるのは、難しいことではない。
そう、感じていた。
「……もうアジトを出てから二時間か。ククッ、トガちゃん達には黙ってここに来てるんだ。早めに戻んねぇと心配……はされねぇか。マグネ辺りはしてくれそうか?」
あまり思案に耽らずに、同郷の彼のところへ戻って話を進めようと考えていた。
時間が経ちすぎると連合のみんなに迷惑がかかる。
「でもその前にカルピス……」
五指で触れないように、消して崩壊させないように慎重にペットボトルの蓋を外す。
四指でボトル本体を掴む、そして飲む。
喉を冷たい液体が通り、腹に未知のナニカが迫る感触を味わった。
「美味っ!つーか甘っ!病院食のよくわからん健康ドリンクとは全然違うじゃん!」
感動していた、あまりに甘味に新たなる味覚への刺激に。
心の底からカルピスを崇めたい気分になっていた、カルピス教でも作ろうそうしよう。
なんて、訳の分からない思考と共に廃ビルの中へと足を進める。
既に彼への名前は決まっていた。
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動く、蠢く、走り出す。
現象が止まることは決してなく、世界は次のステージへと姿を変える。
『では次のニュースです』
転生、憑依、常軌を逸した事象がただ二人だけに訪れるなんてそんなことは有り得ない。
ゆっくりと、されど確実に、世界を蝕む癌細胞。
『本日未明、ナイトアイ事務所が出した声明によれば────』
しかし現段階でそのことに気づいている者はいない。
まだ、誰も。