小さな暁の小さな決意   作:甚四郎

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前編

「暁さん、そっちを塞いで下さい」

「はいっ!」

 

 羽黒の指示に短く答えた暁が、機銃をばら撒くように広く掃射した。

 降り注ぐ銃弾の雨は、けれど南方棲戦鬼の脅威にはならない。醜悪な形状の砲塔に、凶悪な気配の手甲に、がんがんと弾き返されてはあっさりと海中へ没してゆく。

 それでも暁は撃ち続ける。元より駆逐艦の機銃で戦艦を落とせるなんて思ってはいない。当たらなくても構わない。

 取り舵と面舵を交互に繰り返す之字運動をしながら機銃を撃つ暁を、南方棲戦鬼が睨み付けた。被害は無くとも、しつこい機銃掃射に腹を立てたのかもしれない。

 

 そうやって敵の足が鈍ったその瞬間に、南方棲戦鬼の右砲塔が吹き飛んだ。

 

 暁のばら撒いた機銃は音響で敵の位置を更に明確にし、照準を妨げ、進路と動きを抑制させる。その隙に放たれた羽黒の20.3cm連装砲が直撃した結果だった。

 

 暁は、思わず高揚してしまう。駆逐艦でもきちんと役に立てているということに。いつかは自分もそんなレディーになりたいと、密かに憧れている羽黒の力になれたことに。

 何よりさっきの砲撃は、敵の行動に合わせたものではない。暁を信じて、前もって撃っていた砲弾に敵が自分から突っ込んだ形だ。

 その羽黒の信頼が、とても嬉しい。

 

「暁さんっ!」

 

 思わず放心しかけた暁の意識を、羽黒の声が引き戻す。

 そして暁の目に映ったものは、ぴたりと自分を狙う南方棲戦鬼の砲身だった。

 

 敵の16インチ三連装砲の砲声音が鳴り響き、いつの間にか暁の前に立っていた羽黒が踊るように回る。

 

「え……?」

 

 ふたりの周囲に大きな水柱がいくつも立ち昇り、海水の雨をばらばらと降らす。びしょ濡れになったことも意に介さず、暁は驚きに言葉を失っていた。

 南方棲戦鬼が放った砲弾の数は6つ。対して水柱の数は5つ。足りないひとつは、恐らく暁に当たるはずだったひとつは、綺麗な放物線を描いて明後日の方向に飛んで行った。

 

「は、羽黒さん……も、もしかしてっ、砲弾を投げ返したのっ……!?」

「はい」

 

 暁と同じように、髪から海水を滴らせている羽黒が、にっこりと笑う。よく見ると、羽黒の右手の手袋が焼失していて、僅かな残骸から煙が出ていた。

 

 暁にも、理屈は分かる。

 着発信管なら、衝撃を与えないようにそっと手を添えて円運動に乗せれば可能なのかもしれない。けれど、それはあくまで理屈の話だ。野球のアドバイスを求める人に、ボールが飛んで来たらバットを振れば当たるよ、と言っているのと同じ。

 秒速にして800メートルを超える速度で飛来する鋼鉄の砲弾。仮にタイミングを合わせられたとしても、ほんの少しでも力の方向を誤っただけで腕が千切れ飛ぶだけの威力がある。

 いくら艦娘の身体が人間よりずっと頑丈だとしても、一体どんな技術があればこんな出鱈目が出来るようになるのか、暁には想像も付かない。

 

 その時、清々しい青空には不釣合いな叫び声が、海原に響いた。

 

 魔獣の鳴き声でありながら、どこか金属音を思わせる断末魔を残し、空母ヲ級が沈んでゆく。

 

 この珊瑚諸島沖の最奥で遭遇した深海棲艦の艦隊は、南方棲戦鬼を旗艦に空母ヲ級2隻、戦艦タ級、駆逐ロ級2隻、という構成だった。

 対してこちらは、羽黒を旗艦に暁、長門、龍驤、赤城、加賀。

 最も厄介な敵である南方棲戦鬼を羽黒と暁のふたりで抑え付けている間に、奮戦する4人は見事に残りの深海棲艦を撃破していた。

 

 南方棲戦鬼へと向かう味方の艦載機を視認した羽黒が、大きく腰を落として艤装を構える。

 

「全砲門、開いてください!」

「やぁー!」

 

 号令一下、羽黒と暁の主砲が火を噴く。艦載機群も爆撃を開始し、南方棲戦鬼は林のような水柱に包み込まれた。直撃弾が装甲を砕き、至近弾が体勢を崩す。何もかもを狂わす爆音と衝撃の中で、南方棲戦鬼はまともに照準することも出来ず、苦し紛れに放った砲撃も見当違いの方向へと消えて行った。

 

 唐突に、攻撃が途切れた。水の柱は崩れて弾け、砲声の残響も、波に呑まれて掻き消える。

 しかし、その凪の時間は南方棲戦鬼の勝機にはならなかった。この艦隊の最大火力、戦艦長門が一撃必殺の距離にまで肉薄していたからだ。

 長門の41cm連装砲が、吼える。

 

「全主砲、斉射ぁ!」

 

 

 

 ▼

 

 

 

「加賀さん、大丈夫ですか?」

「問題ありません」

 

 羽黒の問いに、加賀が短く答える。

 珊瑚諸島沖での戦闘を終え、こちらの被害は加賀の中破と長門の小破。結果として見れば大勝利と言えた。

 加賀を守る形の輪形陣で、鎮守府への帰路を急ぐ6人。彩雲を飛ばしてそれなりに警戒はしつつも、達成感と疲労で弛緩した空気が流れている。

 羽黒がぱんぱん、と手を叩いた。

 

「遠足は帰るまでが遠足ですよ」

「いや、そもそも遠足ちゃうから」

 

 冗談だと分かっていても、龍驤は思わず突っ込んでしまう。

 

「あ、バナナありますよ」

「赤城さん、何でバナナ持ち歩いてるのよ……」

「兵糧は重要ですからっ」

「そ、そうね……」

 

 既にバナナを食べ始めている赤城と、勢いでバナナを受け取ってしまって苦笑いの暁。長門はそんな暁を見て、目を細めていた。

 

 艦娘の小破や中破は、艤装の被害状況のことを指す。

 艦娘とはつまり巫女のようなもので、例えば羽黒のカタパルトを模した髪飾りは、1945年にペナン島沖で沈んだ現実の重巡洋艦羽黒の鋼材で造られている。そんな艦艇と縁のある依代を触媒として、自分の身体に艦艇の魂を降ろし、具現化させるのが艦娘の力だ。

 

 そして艦娘の最も特質すべき点は、外見と能力の剥離。見た目は無骨な装備を背負った少女でありながら、世界は彼女達を艦艇として認識している。仮に砲弾の直撃を受けたとしても、ダメージを受けるのは艤装部分のみで、肉体そのものは衝撃で服が破れる程度にしかならない。

 もちろん無敵というわけではなく、艤装の損傷は依代へとフィードバックされ、依代が破壊されれば艦娘は普通の人間に戻ってしまう。

 

「加賀さん」

「何ですか赤城さん」

「バナナが無くなってしまいました」

「鎮守府に着くまで我慢して下さい」

 

 ビニール袋にまとめて入れたバナナの皮を切なそうに眺めていた赤城が、ゆっくりと海を見渡す。

 

「魚……」

「やめなさい。というか生で食べる気ですか貴女」

 

 そんな一航戦のやりとりに羽黒と暁は顔を見合わせて、こっそりと微笑みを交わした。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「ふう……」

 

 湯船に身体を沈めて、羽黒はほっと息を吐く。

 鎮守府に戻った彼女達は、提督に軽く報告を済ませ(その時に赤城が提督の大福を強奪し)皆で大浴場に来ていた。

 

 入渠、とは依代を修理に預けることで、その間は基本的に休憩時間となる。艦娘は戦闘で汚れた身体を洗い、疲れた身体を癒す為に真っ先に入浴する者が殆どで、入渠イコールお風呂と呼ばれることも多い。

 

 長い髪を結い上げた龍驤が、妙に真剣な表情で羽黒の隣に腰を下ろした。

 

「羽黒さん、ちょっとええかな」

「はい。どうぞ」

 

 にこやかに答える羽黒から、何故か龍驤は目を逸らす。もじもじと手を擦り合わせて、発言を躊躇っていた。羽黒は特に何も言わず、力を抜いてゆらゆらとお湯に身体を委ねたまま、龍驤を待つ。少し熱めのお湯が心地良い。

 指を組み合わせて、腕を真っ直ぐ上に伸ばす。羽黒がそうやって筋を解していると、龍驤が羽黒を――具体的に言うと羽黒の胸を、じっと見ていることに気付いた。思わず身体がぴくりと震え、ぽわんと揺れる。

 

 同性とはいえ恥ずかしくなった羽黒が思わず胸を手で隠すと、龍驤が身を乗り出した。

 

「もっ、揉まれると大きくなるって本当なん?」

 

 横に居た暁が動揺し、ばしゃりと大きな水音を立てる。龍驤は気まずさを誤魔化すように早口で続けた。

 

「いやほら、うちでケッコンしとるの羽黒さんだけやん。提督と毎日ちちくり合っとるんやろし、他にこういうこと訊ける人おらんしっ」

「え、えっと……」

 

 羽黒は微かに頬を赤く染め、努めて冷静に答える。

 

「と……とりあえず、私は数字的な変化は誤差の範囲くらい、ですよ……」

「え、そうなん?」

 

 意外そうな龍驤に、羽黒が頷く。

 毎日どうこう、という点は特に否定しないのですね、と加賀は内心思ったものの、口には出さない。

 

「その言い方だと、数字的じゃない変化があるんですか?」

 

 横からそう問い掛けたのは、赤城。

 羽黒は表情を緩め、秘密です、と人差し指を唇に当てた。

 そんな羽黒の仕草が、微笑む口元が、紅潮した肌が、びっくりするくらい色っぽく見えて、暁はひとりでどきどきしてしまう。

 

「やっぱりそんな劇的に変わるもんでもないよねぇ」

 

 脱力した龍驤が、湯船の淵に顎を乗せる。

 

「あの、でも、龍驤さん」

「なぁに?」

 

 羽黒に呼ばれた龍驤が、気だるげに振り向いた。

 

「司令官さんは……わ、私のですよ」

 

 龍驤は言葉を失い、ごふぉ、と長門が咳き込む。

 

「貴女も……言うようになったわね」

 

 加賀が感心するように呟き、赤城は何故かにこにこしている。

 

「……っ! あ、暁さんっ!?」

 

 色々な意味でのぼせた暁がごぼごぼりと沈没しかけて、羽黒が慌てて抱き上げた。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「羽黒達が一緒だったのなら、大丈夫だよね?」

 

 西日の差し込む執務室で、のぼせた暁の話を聞いた提督は、書類から顔を上げることなく言った。

 

「はい。もう回復しています」

 

 お茶の用意をしながら、羽黒は密かに考える。暁がのぼせたのは、自分達が性的な話をしていたせいではないだろうか。原因を訊かれたらどうしよう、正直に話すべきなのかしらと提督をこっそり窺うと、彼は特に気にする様子も無く、書類仕事を続けていた。ちょっと安心する。

 

「司令官さん。お茶を淹れますけど、大福も召し上がりますか?」

「あれ、大福はさっき赤っぽい空母に奪われたのに」

「そうなるだろうと思っていたので、隠しておいた分です」

 

 ほう、と提督が感嘆の声を上げた。

 

「さすが、うちの秘書艦は優秀で助かる」

「こ、光栄です……」

「じゃあ、折角だし頂こうかな。一休みしよう」

 

 よいしょと腰を上げた提督が、ソファーへと向かう。羽黒はお茶と大福をテーブルの上に置いた。

 提督がソファーに浅く腰掛け、羽黒もその隣に座る。お茶を飲んだ提督が、熱いお茶が体内に染み渡るのを堪能するように、長く息を吐いた。

 

「何か、気がかりなことでもありましたか?」

 

 横から尋ねる羽黒に提督は意外そうな表情を見せ、自分の頬をぱしりと叩く。

 

「もしかして、僕はそんな険しい顔してた?」

「いえ、いつも通りの、のほほんとしたお顔です」

「それって艦隊の指揮官としてどうなんだろう……」

 

 羽黒は薄く笑いながら、労わるように提督の二の腕を優しく撫でた。

 

「根拠は……特にありません。何となく、です」

 

 提督は少し困ったような笑顔で、羽黒の頭をぽんぽんする。しばらくそうしてお互いに無言で過ごし、不意に提督が口を開いた。

 

「最近さ、深海棲艦が予想外の海域で目撃されてるんだ」

 

 提督はもう笑っていない。蟹を食べている時の赤城のような、真剣な表情。

 

「はぐれ深海棲艦みたいなのは今までもあったけど、その数が異様に増えてて……何より、鎮守府に近いんだよね」

「敵が侵攻しつつある、ということですか?」

「可能性は否定できない」

 

 100人を超える艦娘が在籍しているこの鎮守府が攻め込まれたとしても、すぐに致命的な状況になるわけではない。しかし、そもそも規模すら謎に包まれている深海棲艦と消耗戦をして、どこまでやれるのか。それは、あまりにも不安要素が大きい。

 

「陸戦のことも考えるべきなのでしょうか?」

 

 羽黒の問いに、提督は腕を組み、首を捻る。

 

 当然の話として、艦娘とは船だ。依代を通して艤装を纏った時点で、彼女達は『艦船』という概念そのものになる。艦娘が水面に立てるのも『船は水に浮かぶもの』だからだ。

 そしてそれと同じ理由で、艦娘は陸の上を移動出来ない。陸上で艤装を展開したその瞬間に、冗談のように足が動かなくなる。『船だから』だ。

 

「最悪の場合は固定砲台として頑張ってもらうしかないのかなー」

 

 提督は思案しながら菓子切りで大福を四等分し、口に運ぶ。

 

「ちなみに艤装の展開ってどのくらい時間かかる?」

「割と個人差がありますけど……2秒から8秒くらいだと思います」

「なるほど……」

 

 それでもやはり、提督は艦娘に陸戦をさせたくない。砲弾を撃った後に艤装解除、移動して艤装を再展開し砲撃、というのも確かに可能だ。けれど、艤装を解除した艦娘は、ただの人間でしかない。5メートル横に砲弾が落ちただけで致命傷になる、か弱い少女なのだ。

 

「そんな機会なんて来ないのが一番だけど、考えておかないとね。羽黒も何か思い付いたら教えて」

「はい」

 

 とにかく、と言ってから提督は言葉を区切り、一度お茶を飲む。

 

「しばらくは索敵重視でいこうと思う。羽黒もそのつもりで動いてくれるかな」

「わかりました」

 

 羽黒の迷いの無い瞳に、提督は口元を優しく綻ばせ、再び彼女の頭に手を乗せた。少し乱暴に撫で回し、そのまま抱き寄せる。羽黒は眠るように、目を閉じた。

 

 

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