空は青く澄み渡り、海は穏やかに凪いでいる。
任務が無ければそのまま寛ぎたくなるような心地良い海原を、暁、響、雷、電の4人が単縦陣で進んでいた。
「風が気持ちいいわねー。ほら見て、空がこんなに高い」
雷が真っ直ぐ空に手を伸ばし、電がはわー、とそれを真似る。暁はそんなふたりを横目でちらりと見て、電波探信儀の指示器に注意を戻した。
鎮守府近海の警備任務とはいえ、旗艦を任されているのだし、出撃前に羽黒から索敵に気を付けるように言われている。何よりも自分はお姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃ、と暁は改めて気合を入れた。
「暁、ちょっと進路がずれてる。右に10度戻して」
その矢先、後ろから響の冷静な突っ込みが入り、暁はそそくさと進路を正す。だいじょうぶー?と雷の声。
「う、うっかりしてただけなんだからっ。あんたたちもちゃんと周り見てなさいよっ」
はぁい、と3人の声が重なる。暁は溜め息を吐きながら指示器を見た。電探はまだまだ希少な装備で、遠征組にまでは中々回ってこない。この艦隊も、暁が搭載しているひとつだけだ。
電探指示器の画面の中で、脈動する波。正直なところ暁は、電探の読み取りが苦手だった。でもお姉ちゃんだから弱音は言わない。集中して、索敵を続けていた。
(…………あれ?)
まばたきしただけで消えてしまいそうな、一瞬の小さなノイズ。けれどそれは徐々に、確実に、形を示してゆく。信じられない数のそれは――
「これ……まさか爆撃機!?」
「だ、誰か空母の方が演習か何かしてるんじゃないのですか?」
不安そうな電の声。確かにこれが味方のものなら何も問題無い。そうあって欲しいと思う。でも、なら何故こっちに真っ直ぐ向かって来るのか。どうして何も言ってこないのか。
そして何よりも恐ろしいのは、艦載機を発艦させたであろう空母の位置が全く分からないこと。自分達は、索敵範囲外から一方的に捕捉されている。
暁は強く拳を握り締めた。旗艦である自分が決断しなければならない。ここで迷う1分1秒が、文字通り生死を分ける。
「右180度一斉回頭! 電、先頭艦お願いっ!」
「はいっ!」
全員でくるりと反転。最後尾だった電が先頭になり、先頭だった暁が殿になる。皆それぞれ予感があったのか、誰も動揺することのない自然な艦隊運動で、今まで進んで来た海路を引き返す第六駆逐隊。電も何度か戦闘を経験している立派な駆逐艦だ。その顔に迷いは無い。
「両舷前進第五戦速! とにかく急ぐわよっ!」
暁は指揮しながら、電探の指示器を注視する。どんどん近付いてくるこれは、やっぱり爆撃機の群れとしか思えない。相手が航空機である以上は、どんなに急いでも駆逐艦の足ではいずれ捕まることになる。だからこそ、逃げる。少しでも鎮守府に近付くことが、自分達の安全に繋がるのだから。
暁はポケットから衛星電話を取り出して操作してみた。予想通り、どこにも通じない。深海棲艦が出現してから、海上の通信は阻害され、人類の通信網は断絶してしまっている。役に立たないと分かっていながら、それでも念の為にと渡されていた衛星電話だったけれど、暁は落胆してしまう。
指示器の画面は嵐のように荒れ狂い、そして背後の海の彼方から、重く響くエンジン音。振り向いた暁の見たものは、夥しい数の深海棲艦の爆撃機群だった。予想はしていたことなのに、暁は背筋が冷たく凍るのを実感する。
雷もそれに気付き、わ、と声を上げる。
「実は抜き打ちの訓練か何かで、加賀さんの艦載機がペイント弾とか落としていくんじゃないかなって期待してたのに」
「そんなうまい話はなかったようだね」
割と能天気な雷に、響が坦々と返す。ふたりのやりとりに、暁は少し安心した。緊張感には欠けるものの、取り乱すよりずっといい。何よりも、お姉ちゃんである自分が落ち着かなければと再確認出来た。
「之字運動! 電、指示して」
「はいっ!」
暁の声に、電が答える。
電は艤装の背面に信号を出し、後ろに続く3人に方向を示しながら舵を切った。全員がそれに続き、流れるような之字運動で海面を滑ってゆく。
猟犬の唸り声のようなエンジン音を響かせて、敵機が迫る。
「みんな、対空戦闘の準備よ。ぎりぎりまで引き付けたら、回避と同時に攻撃するからね」
「了解なのです」
「わかったわ」
「やるさ」
怖くない、大丈夫。心の中で何度も繰り返して、暁は深呼吸をした。
敵爆撃機のエンジン音が十重二十重に連なり合い、物理的な質量を持った大きな怪物が、すぐ背後にいるような錯覚さえしてくる。うなじがちりちりする。震えているのは海か、自分か、分からない。
魚に似た、黒い異形の爆撃機が、空を覆う。
「緊急右180度一斉回頭! 機銃撃って、撃ってー!」
この緊急回頭で敵の爆撃が逸れますようにと祈りながら、大空に向かって機銃を放った。
土砂降りの爆撃に、海は数多の水柱に蹂躙される。狭いに範囲に集中した大量の水柱は、もはや壁。そこだけ重力が逆さまになってしまったような、荒れ狂う水の中に包まれる。
自分は本当に海の上にいるのだろうか。機銃が敵に当たったかどうか、という以前に、ちゃんと撃てているのかすら判然としない。
水が、音が、衝撃が、小さな暁をあらゆる方向に突き飛ばして翻弄する。
ざぶ、と水の壁が海面に落ちた。爆弾を落とし尽くした爆撃機が悠々と帰ってゆく。
今さら敵機を減らせたかなんて気にしても仕方ない。とにかく逃げるのが先だ。幸いなことに暁はかすり傷で済んでいる。まだ何とかなる。
暁は素早く振り向いて――愕然とした。
響の主砲は砕けて黒い煙を上げ、雷は膝のあたりまで海中に没している。そして電は、すべての艤装が脱落し、辛うじて上半身だけが浮いている状態だった。呼吸はあるらしいけれど、意識は無い。
暁は歯を食い縛り、急いで電を抱き上げる。身体が痛むのか、ぐぅ、と小さく呻いた。
「止まらないで!」
暁の叫びに、響と雷が我に返る。響は雷を曳航し、先に進んでいた暁の後を追う。
「雷、調子はどうなの?」
ふたりが着いて来ていることを確認した暁が、電探の指示器を見たまま問い掛けた。
「右側の主機がほとんど機能してないわね。左側にも注水して何とかバランスは取ったけど……速度は普段の3割くらいしか出せないかも」
艦娘が靴のように履いているものを主機と呼び、これは艤装というより『船体』に近い。航行する為の要であり、原動力だ。
「大丈夫、私が曳くから」
力強く腕を引きながら、響が言う。雷は小さくありがと、と呟いてから、暁の背中に声をかけた。
「ねえ、それよりも電は?」
暁は、抱きかかえている電に目を落とす。煤けた頬、破れた服、露出している肌にはところどころ痣がある。
「依代はまだ無事だから、平気だとは……思う。でも意識が無いし、衰弱がひどいから、急がなきゃ」
第六駆逐隊の依代は特III型のバッジで、これが健在だということは、まだ艦娘の力を失っていないことを意味する。艤装の展開は出来ず、入渠には長い時間を要するものの、肉体的には打撲程度で済んでいると思われた。ただし、殆ど人間と変わらない程に弱体してしまった身体には、この何も無い海原は過酷すぎる。
最大戦速のつもりで進んでいても、中々速度が上がらない。明らかに限界を超えている響の主機が、悲鳴のような甲高い音を立てて軋んだ。
「だめよっ。このままじゃ響の主機まで壊れちゃう」
「大丈夫。大丈夫だから」
自分にそう思い込ませるように、響は何度も大丈夫、と繰り返す。雷は自分の不甲斐無さに心を痛めながらも、素直に曳航されることしか出来ない。
もしも雷が、自分を置いて先に行くよう訴えたとしても、暁と響はそれを承知しないだろう。自分も逆の立場だったら、絶対にそんなこと受け入れない。本気で怒って怒鳴りつけるかもしれない。
分かっている。分かっているのだ。だから、雷は涙が出る程に悔しいのだ。
雷は、祈る。
敵の追撃がありませんように。このまま全員で帰れますように。
祈りは届かない。
空を貫く塔のように巨大な水柱が、第六駆逐隊の目の前に立ち昇った。あまりの衝撃に、4人は軽々と吹き飛ばされて海面に叩きつけられる。
「そんなっ……なんでっ!?」
暁は慌てて電探の指示器を確認する。索敵には気を配っていたはずなのに、少なくとも砲撃可能な距離まで来ているのなら、位置くらいは感知出来たはずなのに。
暁が見ている前で、指示器の画面がぶつりと消えた。暁の視界まで、暗くなったように感じられた。
恐らくは、最初の爆撃の時点でもう壊れていたのだろう。だから、接近されているのが分からなかった。
4人のすぐ背後に、爆圧と共に水柱が上がる。神話に登場する海魔のように、太陽を覆う程に立ち塞がり、大きな口を開けて暁達を呑み込んだ。
海水の大瀑布が降り注ぐ中で、暁はとにかく電が沈まないように抱き締め続ける。そんな危機的な状況で、暁は2発目の砲撃の意味を考えなければならなかった。
(
目標の手前と奥に着弾したことを夾叉と呼び、後はもう誤差の修正をするだけの状態。敵はこっちを完全に捉えている。
触れ合う電の身体に力は無く、呼吸も浅い。
でも、生きている。生きているんだ。絶対に死なせたくない。
「響、電を曳航して鎮守府に向かって。雷はとりあえず自力で頑張ってみて」
電を受け渡された響が、唖然と暁を見上げる。
「暁……きみは、まさか……」
ばんっ、と雷が海面を叩いた。
「駄目よ、そんなのっ!」
雷が髪を振り乱して叫ぶ。お気に入りのヘアピンはいつの間にか無くなっていた。
「砲弾の威力からして、どう考えてもわたしたちを狙ってるのは戦艦クラスの深海棲艦よ。そんな……そんなのを、そんな相手を、どうこうできるわけないじゃないっ!」
涙を流す妹の頭を、暁はくしゃくしゃと撫でた。いつも提督が自分にするように。それは恥ずかしくて、腹立たしくて、すごくすごく嬉しいこと。
「相手が戦艦だからこそ、速度でも射程距離でもわたしたちは敵わないわ。このままじゃ絶対に追いつかれちゃうし、鎮守府に敵を案内することになるかもしれないでしょ」
雷は聞き分けの無い子供のように、首を横に振る。
「だから、わたしがちょっと足止めしてくるの。へっちゃらよ、深追いなんてしないし」
電を抱きかかえた響が、雷の手を引いた。雷は何も言わず、素直に従う。
「すぐに助けを呼んでくる。ちょっとだけ待ってて」
今にも泣き出しそうな瞳を震わせて、響が強い口調で言った。暁は精一杯の笑顔で応える。
「お姉ちゃんに任せなさいっ!」
響は電と雷を曳航し、鎮守府に向かって進み出した。暁も180度回頭、逆方向へと海面を滑る。
全員が、分かっていた。今、振り返れば心が折れる。だから、前だけを見る。ひたすら真っ直ぐに進む。
ふたつに別れた第六駆逐隊の中間地点に、水柱が上がる。爆音に海がびりびりと震え、暁の身体が一瞬浮いた。着水した時、主機が不快な音を立てる。心を埋め尽くしそうになる不安を、暁は必死で押さえ込んだ。
之字運動で進む暁の周囲に、次々と水柱が立ち並ぶ。それは移動する水の森、油断すると方向さえ見失ってしまいそう。
それでも暁は確かな手応えを感じていた。敵は明らかに自分を狙っている。これで3人の離脱が容易になるはず。
皮肉なくらいに優しく穏やかな海の上。水平線の先にちらりと見える深海棲艦の姿。艦娘の力で増幅されている暁の目が、それを認める。
「うそ……」
暁の鼓動が跳ねる。けれど近付く程に鮮明に、決定的に、その凶悪な存在感を際立たせた。
戦艦レ級。
「なんで……なんでこんなところに、いるのよっ……」
遠く離れたサーモン海域でしか確認されていなかった敵が、そこに居た。暁は記録映像でしか見たことがなかったものの、鎮守府の主力である金剛が、あれはやばいデス、と真顔で言っていたのを聞いたことがある。
駆逐艦に似た小柄な体格でありながら、放つ威圧感は果てしなく大きく、深い。きっと死神というものはあんなカタチなのだろうと、思い知らされる。
見ただけで気が遠くなる、悪意を凝縮したような化け物が、こんな鎮守府の近海まで来ているという事実に、暁の足が震えた。
敵の砲撃が更に熾烈になる。並び立つ怒涛の水柱は、回避する意志そのものを刈り取ろうとするような数と激しさで海面を埋め尽くす。炸裂する海水が視覚を、鳴り響く爆音が聴覚を、容赦なくじわじわと蝕んでゆく。
駆逐艦としての身軽な足と細やかな旋回で、間一髪で避け続ける暁は、ひとつのことに気付いていた。
他の深海棲艦の姿が見えない。
斥候か、陽動か、あるいは何処かに隠れて罠を張っているのか。とにかく、もしこのレ級が単艦なら、最初の爆撃機もこいつが飛ばしたものであるなら、何とかなるかもしれない。
ここはまだ鎮守府が近いからこそ、時間稼ぎに充分意味がある。そして暁は、羽黒と一緒に南方棲戦鬼とだって戦えた。レ級だってきっといける。
「覚悟しなさいっ!」
気合いと共に叫び、暁は機銃を広く浅く撃ち放った。これで少しでも敵の照準を狂わせることが出来れば、それでいい。
レ級は避ける素振りすら見せず、機銃の弾はかんかんこつんと跳ね返される。それでも暁は機銃の掃射をひたすら続けた。
続けて、続けて、こっそり隙を突いて至近距離から魚雷を2本発射した。
海が爆ぜる。
暁の魚雷を、レ級が副砲で撃ち抜いた結果だった。目の前で起きた大爆発に飛ばされた暁が、背中から海面に落ちる。息が止まり、咳き込む。
そこへ、戦艦レ級の16インチ三連装砲が撃ち込まれた。
完膚無きまでの至近弾。壊れた人形のように宙を舞う暁の身体は、水面に激突しても勢いが衰えず、海の上をがぼがぼと転がってゆく。
破損した主機が機能を失い、身体が沈むことでようやく止まる。
途切れかけた意識をぎりぎりで繋いだ暁は、口に入った海水にむせびながら嘔吐感を堪えた。
主機はまともに動かず、暁は腰のあたりまで海中に沈んでいる。機銃はへし折れ、魚雷発射管は丸ごと脱落した。帽子も何処かに行ってしまった。
暁の目に涙が浮かぶ、暁の心に絶望が満ちる。
もう、駄目なのかもしれない。でも、妹達を逃がすことが出来た。
悔いなんて、何も――
こんな時だというのに、暁は前に皆でエクレアを食べた時のことを思い出していた。
第六駆逐隊が居て、提督が居て、羽黒が居た。フランス語で稲妻を意味するエクレアと名前が一緒だと電が喜んでいて、皆が笑っていて、とても甘くて、美味しくて。
ぼろぼろ零れる涙を、暁は止められない。
嫌だ。駄目だ。死にたくない。終わりたくない。諦めたくない。
暁の中には、妹達を置き去りにしてしまった記憶がある。そもそも艦娘は依代を通して艦艇と縁を結ぶことで、艤装を纏う。それは、その船の力と記憶を継承することだ。
第六駆逐隊の中で最初に戦没した駆逐艦暁の記憶を、無念を、彼女は『覚えて』いる。
悔いは、あるに決まっている。
もしも自分が帰らなかったら、響も雷も電も泣くだろう。鎮守府の他の仲間達も、お人好しばかりだからきっと悲しむだろう。
そんなのは耐えられない。暁は立派なレディーを目指すお姉ちゃんなのだから。妹が泣いていたら涙を拭うのが役目なのだから。
涙を振り払う。主機の回転数を上げる。戦艦レ級の炎のような紅い目を睨み付ける。
「わたしは……わたしはっ! 特III型駆逐艦のネームシップ、暁よ! あんたなんかに負けないんだからっ!!」
吼える暁を、レ級が笑った――ように見えた。おぞましい、としか形容出来ないその表情を、暁は無言で見据える。
前進はせずに、主機の回転数だけを高めてゆく。瞬間的にある程度の速度さえ出せれば、それでいい。
戦艦レ級の主砲が、火を噴いた。
暁の前に滑り込んだ紫の風が、旋回する。砲声音が、遠く遠く海原を渡って消えた。
「あ……」
暁を直撃するはずだった砲弾は、あらぬ方向へと飛んで行く。
レ級と暁の間を遮るように、羽黒が立っていた。砲撃を受け流した摩擦で手袋が燃え尽き、ぶすぶすと煙が上がっている。
羽黒はゆっくりと振り向き、暁に優しく微笑みかけた。
「暁さん。よく……頑張りましたね」
暁の頭に、後ろから手が乗せられた。細いけれど、力強い手。
羽黒に一歩遅れて到着した戦艦長門が、暁の隣に並び立つ。
「立派だった。後は任せろ」
暁の身体から、一気に力が抜けた。気力だけで自分を保っていた暁は、心から安堵することで意識すら失いそうになる。決意で吹き飛ばしたはずの涙が、再び頬を濡らしていた。
「ほらほら、もっとしゃきっとせんと」
そんな暁を、背後から龍驤が抱えた。長門は暁の髪を軽く撫でてから、名残惜しそうに手を離す。
悪魔でさえ逃げ出すだろう長門の攻撃的な瞳が、レ級を射抜く。長門の怒りに慄くように、風が、海が、ざわめいている。
「貴様。うちの暁にこれだけのことをしておいて、無事に帰れると思うなよ」
後ろから眺めているだけの龍驤ですら、身体がぞくぞくと震えた。ここまで激高する長門を見るのは初めてのことだ。あの鬼みたいなのが敵じゃなくて良かった、と思う。
長門の主機が唸りを上げ、レ級の側面に回り込むように海面を滑ってゆく。
「暁さんのことを、お願いします」
羽黒は龍驤に告げ、長門の反対側へと進む。挟撃する形だ。
「さて、ウチもお仕事お仕事ー」
龍驤は暁を支えたままで飛行甲板を広げ、いくつもの式札を青空へと射出する。舞い飛ぶ札は彩雲に姿を変え、それぞれの方角へと飛び去った。
戦艦レ級が、こんな鎮守府の近くに単独で居るのは異常なことだ。たまたま偶然が重なっただけなのか、あるいは――何かの前触れなのか。
空母は艦載機と視覚や聴覚を共有出来る。龍驤は索敵の『目』を広げながら、何ひとつ見逃すものかと神経を研ぎ澄ませた。敵の偵察機でも潜水艦でも、絶対に見付けてみせる。
「全兵装使用自由! 撃ち方、始めて下さい!」
羽黒の声が、凛と響いた。
戦艦レ級を中心に、左右に挟み込んだ羽黒と長門が主砲を放つ。大気を引き裂いて飛ぶ砲弾が、龍の咆哮のように海を震撼させる。
幾多の水柱がレ級を襲い、その姿を覆い隠す。掻き混ぜられて逆巻く激浪の海で、連鎖する水柱を中心に花火のような白い何かが水中を放射線状に広がった。
(雷跡――!)
羽黒と長門は即座に回避運動に移る。暁達の方へ向かった魚雷は、龍驤が艦載機の爆撃で吹き飛ばした。
砲撃が途切れ、水柱が崩れるよりも早く、その水柱が中心から叩き割られた。そこから現れた戦艦レ級が、一直線に長門に迫る。背後から飛来する羽黒の主砲を物ともせず、真正面に爆裂した水柱も、見えてないかのように打ち抜いて猛進する。
とてつもない勢いで接近して来るレ級に、長門もまた最大戦速で応じた。解き放たれた矢のように海上を滑走したふたつの戦艦が、激突する。
レ級の12.5インチ連装副砲が怒号を上げ、長門は増設バルジを右腕に盾のように展開させて砲弾を弾き飛ばす。そして長門は更に敵の懐へと飛び込み、レ級の背面から長く伸びる艤装を蹴り飛ばした。
大きく体勢を崩したレ級の顔面を、長門はバルジを纏ったままの右手で思い切り殴り抜いた。
確かな手応えに、長門に笑みが浮かぶ。これでいい。こういう分かり易いやり方が、自分には合っている。
傷付きながら鎮守府を目指していた響達は、運良く途中で龍驤の偵察機に発見されていた。取るものも取り敢えず迎えに出た羽黒と長門は、そこで託された。
暁を助けて欲しいと、響と雷に泣きながら託されたのだ。
大事な仲間達を泣かせたこいつを、ぶん殴って叩きのめす。
長門は倒れかけたレ級の襟を左手で掴む。踏み締める足を打ち鳴らし、バルジを装着した文字通りの鋼鉄の拳をレ級に胸に炸裂させる。
その威力に襟が破れ、レ級は後方へと派手に吹き飛ぶ。
違和感があった。
こいつは、今、自分で後ろに飛ばなかったか――?
「長門さんっ、足元です!」
羽黒の絶叫に長門が視線を落とす。すぐ目の前に、魚雷が『浮いて』いた。ぞわりと鳥肌が立つ。冷たい汗が背中を伝った。
長門が離脱を試みると同時に、魚雷が爆発。長門の右側の主機を粉砕した。
「くっ……!」
恐らくは、最初に副砲を撃った時に時限信管をセットした魚雷を放り投げて、浮かべておいたのだろう。長門はまんまと誘導されたということだ。
レ級の16インチ三連装砲が長門に照準を合わせる。しかし、レ級と長門の間に立ち昇った水柱が視界を塞いだ。長門を巻き込まないぎりぎりの距離で、レ級に砲弾の雨が降る。
長門は、思う。
きっと羽黒は、この間に逃げろと言っているのだろう。レ級も、長門が逃げると考えているのだろう。
そんなこと、出来るものか。
暁は、あの小さな駆逐艦は、一歩も退かなかったぞ。
主機の破損は、船で言えば船底に穴が空いてスクリューが脱落したようなもの。
それがどうした。穴なんて塞げばいい、動力が無いなら竹竿でも手でも何でも使えばいい。
「ビッグセブンを侮るなよ!」
長門が、海面を蹴って飛び出した。
まだ多少の浮力は残っている。ならば沈む前に海の上を蹴り進めばいい。いつものように滑るのではなく、水面を走って駆け抜ける。
レ級の首を掴んだ。水柱を突き破って現れた長門に、レ級の目が見開かれる。深海棲艦も驚くことがあるのかと、長門は少し感心した。
その顔に、鋼鉄の拳を叩き込む。殴り抜けながら腰を大きく捻り、41cm連装砲の砲身をレ級の腹に突き刺した。
「おおおおおおぉぉ!!」
砲身が身体にめり込む程の、完全な接射。戦艦長門の主砲が、敵を徹底的に撃ち砕く。高らかな砲声が、勝ち鬨のように広い海に響き渡った。爆散した破片が、長く尾を引いて彼方の水面に落ちる。
バランスを崩して倒れかけた長門の手を、羽黒が掴んだ。
「長門さん……無茶しすぎですよ」
接射の影響で、長門の砲身は縦にぱっくりと割れていた。
それでも長門は堂々と、晴れやかに笑う。
「託されたからな。多少の無茶くらいはするさ」
羽黒は何も言わず、ただ表情を緩めた。
「どうやらこの辺には何もおらんみたいやで」
暁を抱きかかえたままの龍驤が、やって来ていた。
羽黒はゆっくりとひとりひとりの顔を見つめて、にこやかに告げた。
「それでは、帰りましょう」
羽黒が長門を、龍驤が暁を曳航して、鎮守府へと複縦陣で向かう。龍驤に手を引かれながら、暁は羽黒の背中に声をかけた。
「羽黒さん」
「はい。どうかしました?」
羽黒は一瞬だけ振り向き、すぐに視線を前を戻した。
「あのね、さっき戦ってたら急にエクレアが食べたくなったの」
あはは、と龍驤が笑う。
「それで、戻ったら司令官にお願いしてみようかなって思うんだけど、大丈夫かな?」
「そうですね……じゃあみんなで頼んでみることにしましょう」
ん、と長門が首を傾げる。
「もしかしてそれは私もなのか?」
「はい」
「期待しとるで」
「む……そうか、うん……よし、わかった。頑張ろう」
自分の中で納得したのか、長門が真剣な顔で拳を握り締めた。
「あ、あとね……」
暁の言葉に、3人の視線が集まる。暁は静かに息を整えてから、ありがとう、と言った。
羽黒が微笑み、長門が頷き、龍驤が親指を立てる。
今日の潮風は、多分いつもよりしょっぱい。