シロコとの騒動から一週間後。
ダメ元でアビドス廃校対策委員会へ謝罪をしに行った私を、「シロコにも落ち度があった」として彼女たちは意外にもすんなりと許してくれた。セリカとアヤネの視線はあまりにも痛かったが、逆にそれだけで許してくれるのだから優しすぎるくらいだ。
今回の件はお互い内密にという約束の元、実際に私は仕事をクビになることもなく、こうして今もシャーレの業務を続けることが出来ている。
今は午後の3時過ぎ。特にトラブルもなければ、今日は定時で終われそうだが──。
そんな私の希望虚しく、ノック音が響いた。
「先生、入っていいー?」
「うん、どうぞ」
おっとりとした声の後にオフィスの扉が開く。そこにいたのは、桃色の長髪にオッドアイが特徴的な、小鳥遊ホシノであった。
普段は隙さえあれば眠ってはよく後輩に怒られているホシノだが、その実は学校と後輩のことを第一に考えている。そんな彼女は、件の対策委員会の委員長だ。
そう、シロコの所属する対策委員会の委員長なのである。
……私、また何か怒られる?
「え、えっと、今日はどうしたのかな」
「まあまあ、先生落ち着いて。怒りに来たとか、そういう訳じゃないから。ほらリラックスリラックス~」
ほっ、と胸を撫で下ろす。よかった、恐れが顔に出ていたようだが、怒られるというのはどうやら杞憂だったようだ。
だとしたら何の用事で来たのだろうか。
「この前、先生はシロコちゃんに……首輪を着けたって話だったよね」
「そ、それは……ごめん」
「いっ、いやいや!おじさん本当に怒ってないから、ね?ただ、ちょっとだけ嫉妬しちゃったっていうか……」
……嫉妬?その単語に引っ掛かりを覚える。
「あぁいやっその、最初にシロコちゃんを捕まえたのは私っていうか……。先生に取られちゃってちょっと悔しいな~、なんて……」
「えっと……?」
話が見えない。私を責めにここへ訪れたのではないとしたら、一体何をしにきたんだろう。
「うへぇ……」
そういえば、さっきからホシノの目線はずっと泳いでいるし、顔はほのかに赤みを帯びていた。
デジャブを感じる。こんな光景、最近どこかで見たことあるような──?
「先生」
そんな私の考えを見透かすように、意を決した素振りでホシノはまっすぐこちらを見据える。
時が止まったような感覚に息が詰まる。次に出る言葉が、何故か予想できる気がする。
次のセリフ、それはきっと、
「せっかく来たんだし、おじさんがお仕事を手伝ってあげよう~」
……あれ?
卓上のまだ温かいコーヒーに口をつけ、私はほっと一息つく。
結局ホシノは私と一緒に仕事をしたあと、そそくさと帰ってしまった。おかげで私は当初の予定通り、問題なく仕事を終えることができた訳だ。
ただただありがたい話なのだが、どうにも引っ掛かりを覚える。当番でもないのにせっかくアビドスからやって来たのだ、本当は何かお願いがあったとしてもおかしくない。
しかし彼女が帰った今となっては分からない。今日はひとまず休むとしよう。
そうしてぐっと伸びをした私は、何の因果かモモトークのメッセージ欄を横目に見る。今は一件の通知もない。既に読み終えた生徒からのメッセージ達を、なんの感慨もなく眺めていた。
『先生』
『会えないかな』
それをまるで待っていたかのように、偶然更新されたホシノの言葉を読んだ瞬間、私の身体は突き動かされるような衝動に駆られていた。
「わかった、すぐ行くね」
そう打ち込んだのを送信して、私は走り出す。
──きっと彼女は、助けを求めていた。
『あ』
『まって』
『やっぱりだいじょうぶだから』
◆ ◆ ◆
陽が水平線へと落ちる黄昏時。息を切らしながら、私はアビドス高等学校のとある教室の前にたどり着いた。
彼女がいつも昼寝をするために使っている一室。根拠はないが、ホシノはそこで待っているような気がしたのだ。
考える暇もなく、私は勢いよく扉を開け放つ。
「ホシノ、大丈夫!?」
「ぅぇ──!?」
窓際にうずくまる姿が一つ。惚けるように外を見ていたそれは、驚いたように跳ね上がって振り向いた。
「どうしたの、ホシノ?何かあったの?」
「せ、先生?なんで」
彼女の顔には困惑の色が見えた。気がはやるあまり、突然部屋に入ったのだから当然だ。申し訳ないことをしてしまった。
しかしそれよりも目に留まったのは、──彼女の瞳に浮かんでいた、大粒の涙。
私の視線に気が付いたのか、慌ててホシノは顔を拭った。
「ホシノ……?」
「なっ、なんでもないよ先生。それよりもほら、こんな時間にどうしたの先生?」
「あなたから送られてきたメッセージで、心配になって来たんだよ。何かあったのかなって。ホシノがあんな感じで頼ってくること、なかったから」
「……」
私の目を、黙って見つめてくる。しばらくそうしていると、観念したように肩を落とした。
「──やっぱり、先生には隠せそうにないね。きっとなんて言おうと聞いてくるんでしょ?」
よく見なくとも、頬には乾いた跡。ここに隠れて泣いていた、というのは少し考えれば理解できてしまう。
心配でたまらなくなる。いつも穏やかで怠けていて、それでいて気丈に振舞う彼女が涙を流すようなこと。想像がつかない、一体ホシノの涙腺を崩す出来事とは何なのか。
ホシノは壁に背を預けると、もたれかかるように床へ座った。私は同じように隣に腰かけた。
「以前、カイザーに騙されて、私は捕まった」
「そう、だね。それで、あなたの後輩たちが助けてくれた」
「先生もね。……うん。嬉しかったなぁ、こんなおじさんをあの子たちは大切にしてくれてるんだって。でも」
微かに震えた声で、ゆっくりと。こちらに向けていた顔が俯いていく。
「たまに思い出すんだ、捕まっていた時のこと」
両腕で、自らの身体を抱く。しばらく黙って、それからまた口を開いた。
「暗くて広い空間に、一人っきりで縛られて。苦しくて、寒くて、寂しくて。……ほんとに怖かった、これから私はどうなるんだろう、死んじゃうのかなって」
「……」
「腕に、身体にまとわりつくような、縛られる感覚がずっと忘れられなくてさ。さっきみたいに思い出しては、辛くなって泣いてるんだ。──情けないよね、迷惑かけたのは私なのに。もう、終わったことなのに」
そんなことない。
軽率にそう言いかけて、私は堪えた。頭ごなしに何かを言えるような、単純な話じゃない。
彼女はまだ何か言いたげだ。静かに、私はそれを待つことにした。
「シロコちゃんが先生に首輪を着けてもらったって言った時、考えちゃった。おじ──ううん、私も先生に首輪を嵌めてほしいって」
音を立てながら、水滴が床に滴り落ちる。
「カイザーなんかじゃなくて、先生なら。苦しくない、寒くない、寂しくなんかない。優しくて、暖かい。隣にいてくれる」
いつしか声も嗚咽交じりになる。
「だから、先生」
満面の笑顔に似つかわしくない溢れんばかりの涙が流れる顔を向けて、ホシノは言う。
今度こそ、次の言葉は決まっていた。
「上書きして。私の心を、先生の首輪で染め上げてよ」
そう言われた瞬間に、私の手は迷うことなく持ってきた鞄の中に突っ込まれていた。どこかで捨てようと、そう思って入れておいた首輪を掴む。
もっといい方法があると思う。生徒に首輪を嵌めるなんて、本当はしてはいけないことだ。
──だが今は、これしかない。
「ふあぁ……っ」
金具が擦れる音を鳴らしながら、彼女の細首に輪を着けていく。うわずった声を上げて、ホシノはこちらを見上げていた。
私はただ黙ってベルトを締めていく。宝石を扱うように、慎重かつ優しく。
「着けたよ、ホシノ」
「えへへ……。これで私は本当に、カイザーじゃなく先生のものになっちゃったんだね」
ホシノは嬉しそうに首元に手を当て、首と輪との空間を確かめるかのように指を入れた。
「苦しくない?」
「大丈夫だよ先生。ありがとね。……ねえ、ぎゅって抱きしめてもいい?」
「いいよ。おいで」
そう言うと、ホシノは私の胸に顔をうずめ抱擁した。私はそっと頭を撫でながら、逆の手を身体に回す。
背中をさすって、そして両手で抱きしめ返した。
「……っ」
押し殺すような声、荒くなる呼吸。気のせいでなければ、ホシノは隠れて泣いているのだろうか。
「いいんだよ、大声で泣いたって。ここにはあなたと、私しかいないんだから」
迷惑をかけさせまいと、必死に弱いところを隠そうとする姿。だが、そんな生徒の無理を窘めるのが先生としての役目なのだ。
「っ、でも、わた、し……。わたしぃ……っ」
「大丈夫。大丈夫だよ、ホシノ。頑張ったね、怖かったんだね」
「うぁぁっ、ひきょうだよせんせぇっ──。やさしすぎだよ……っ」
遂にホシノの何かが外れたのか、無防備に泣き顔を晒して喚きだした。
「つらかった……っ。こわかったよぉ……っ!ごめんねせんせぇっ、わたし、めいわく、かけてっ」
「迷惑じゃないよ、ホシノ。もう自分を責めなくていいんだよ。怖いことも、辛いことも、これから一緒に乗り越えていこう?」
「うん、うん……っ」
二人きりの教室に響く泣き声。月の光が先生を、そして生徒を穏やかに照らす。
彼女が泣き疲れて眠るまで、私はただ抱きしめ続けるのだった。
鳥のさえずりで目を覚ます。
日差しが眩しい。いつの間にか、私も眠ってしまっていたようだ。
腕の中では未だホシノが眠っている。首輪もそのままだ。
なんだか忍びなくなって、私はそれを外そうと手を伸ばす。
「ホシノ先輩、おはよ──」
「っ!?」
教室の扉が開く。そこには対策委員会の一人、黒見セリカの姿。お互いの時が止まる。
言い逃れできない。彼女の目線の先には、ホシノの首輪に手を伸ばす私の姿があるのだから。
「なっ、なっ、なにしてんのよ先生ーっ!?」
「いやっ違うから!違わないけど違うから!ねえホシノ起きて!説明するの手伝って!」
「寝てる生徒に首輪つけてといてっ、何が違うのよこの変態!」
セリカの顔が怒りで真っ赤に染まる。まずい、このままでは私の社会的地位が今度こそ墜ちてしまう。
頼みの綱のホシノはすやすやと眠っている。それはもう、どうしようもなく安心した顔で。
我ながらとてつもないことをしてしまったのは自覚している。だがそれも、理由あってのことなのだ。
お願いだセリカ、どうか信じてほしい。お願いだホシノ、どうか起きてほしい。
そんな私の望みも叶うことなく、私はしばらくセリカに説教を受けるのだった。
本当は絆ランク高いのは水着おじさんの方なんですが、普通のおじさんにしました
この小説につける適切なタグが思いつかないんですけどなんかいいのありませんかね?