「首輪を嵌めて、先生」   作:天海望月

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前回の小説にて、まるで先生が男性であるかのような表情を修正しました (彼ら→彼女ら、大きな身体→その身体)
先生はね 男性かもしれないし 女性かもしれないし やること全部が先生らしくなきゃいけないの(解釈違い)


赤色の評価がついてましたやった~~~~~~~~~~
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空崎ヒナの場合(2)

 書類、書類に書類。書類書類書類書類。

 うんざりするほどに積み上がった紙の束が、目の前を埋め尽くしている。

 捌いても次々に増えるそれは、まるで嫌がらせのようだった。──ただし万魔殿からの書類だけは、比喩抜きに嫌がらせではあるのだが。

 夜の帳が降りたゲヘナには、今やごく一部の部屋のみが明かりを灯している。もはや残っている生徒は、少数の風紀委員くらいだろう。

 こうして遅くまで残らなければ処理しきれない、そんな業務内容が悪いのは分かりきっている。だがこれでもかなり改善されている方だ。仮眠を取る時間があるのだから。

 一時間ほどの睡眠を挟んだ頭は、おかげで眠る直前よりも幾分か冴えたように感じる。とはいえ、寝ている暇があるならさっさと仕事を終わらせたいのだが、あんなことがあった後ではどうもやる気にならなかった。

 嘆いても仕方がない。寝ていた分の遅れを取り戻すべく、私はすっかり慣れた手つきで書類を片付けていく。

 

「……」

 

 監査済みの予算申請、承認。議事録の監査、……承認。見覚えのない団体の予算申請、……こんなものに予算を割けるわけない、却下。万魔殿からの要求書、──風紀委員会の備品のチェック?弾薬の数まで全て?破棄、シュレッダーへ。

 重要なものはファイリングしつつ、効率よく作業を進める。雑念は捨て、ただ思考は仕事のみに向けていく。

 書類を取って、判子を押す。

 書類を取って、判子を押す。

 書類を取って、……シュレッダーにかける。

 そんな簡単そうで、意外にも神経を使う作業。大半は真面目な内容ばかりだが、稀に裏をかいたり騙すような文面も混ざっているため油断ならないのだ。

 ふと時計を見ると、今は既に日を跨いだ一時ごろ。出張もして疲れたのか、流石に能率も落ちてくる。

 ならば、すぐに対応の必要そうなものは処理したし、ひとまずここで切り上げて帰ろう。疲れたまま作業をして、つまらないミスをしないためにも。

 ふぅ、と一息つく。毎日同じ事の繰り返しだ。誰かがやらなければならない仕事なのは分かっている、だがもっと労ってほしい。褒めてほしい。

 どちらかと言えば私は褒める側の立場だ。尊敬されることはあれど、誰かから褒められるなんてほとんど無い。そう思うと同時にふと脳裏に浮かんだ誰かの姿を、頭を振って霧散させる。……考えてしまえば欲しくなるから。きっと疲れた頭に、その人の存在は強い毒になる。

 ペンを置いて、書類の角を揃える。荷物は持った、戸締りも良し。

 変な気を起こさないうちに部屋を後にすると、私は帰路へと着いた。

 ──アコのいた部屋には、とっくに誰もいなかった。

 

 

 

「先生……っ、だめ──!」

「大人しくして、ヒナ」

 

 ぐいぐいと追いやられ、私は壁際へと追い詰められる。あっという間に逃げ場が無くなって、抵抗しようのない状況に陥った。

 先生の手元には赤色の輪っか──首輪がある。何故だか胸がとても苦しい。暴れんばかりの心臓が、全身にこれでもかと酸素を送る。心なしか頭もぼんやりして、思考がまとまらない。夢見心地という言葉が良く似合う、そんな状態だった。

 

「ヒナ、こっち来て」

「あっ」

 

 ぐっ、と先生は力任せに手を引っ張る。バランスを崩した私は、転ぶままに先生の胸元へともたれかかった。

 そんな私を支えるように背中へ腕を回される。……もう逃げられないんだ。そんな事実をひしひしと感じて、一層心臓が跳ねた。

 今から何をされるのだろう。不安の中に混じる僅かな期待が、徐々に膨れ上がるのを感じる。

 先生の顔から目を逸らせない。これまでに無いほどに惚けた顔を見せたくないのに、私の眼はしっかりとその人を捉えていた。

 

「それっ」

「ひゃっ……!せ、せんせい?」

 

 対して悪戯に笑った先生は、軽く私を小突いた。それだけで私は倒れ込む。

 痛……くはない。丁度ベッドが衝撃を受け止めてくれたからだ。

 手が私に伸びる。なんだか怖くて、ぎゅっと目を閉じた。

 ああ──。遂に成ってしまうのだ。首輪を嵌められて、先生のペットに。

 リードに繋がれて、まるで周りへ見せびらかすように連れ出されるのだろうか。それとも、従順に躾られてしまうのかもしれない。

 覚悟を決めた私を差し置いて、いつまで経っても来ないその感覚。焦らされているのかと、固く閉じていた目蓋を開こうとすると、

 

「ぃ?」

 

 脳をつんざくような電子音が鳴り響いた。

 ほぼ無意識に音の主へと手が伸びる。手探りでアラームを止めると、二度寝しようとする身体に鞭打ってようやく目を開いた。

 見慣れた天井に見慣れた寝具。急速に明瞭になっていく意識とともに、私は嫌でも理解してしまった。

 あれ(首輪)は夢だったのだと。

 

「はぁ……」

 

 昂っていた気持ちが無になっていく。虚ろな目をしているであろう私は、そして自然にため息を出すのだ。

 今思い返せば、あれは紛れもなく夢だった。脈絡もなく、先生らしくもなく、シチュエーションも意味不明。後ろは壁だったはずなのに、いつの間にかベッドになっていた。──そもそも、あの程度の小突きじゃ私は転ばない。

 だが疑えない、それが夢なのだから。

 ……時に夢は深層意識の整理だという。記憶と願望の坩堝、無意識の現れる場所。そうなのだとしたら、私は心の奥底であの状況を望んでいることになる。

 それ故の、自己嫌悪のため息であった。

 重い身体を引きずりながらベッドから這い出る。いつもより目は覚めているものの、眠いのには変わりない。

 夢に文句を言っても仕方が無いので、私は朝の支度を始めることにした。

 

 

 

「こちらの書類はお預かりします。……ヒナ委員長、今日はいくらかご機嫌良さそうですね」

「そう?」

 

 いつもと変わらない、午前の風紀委員会室。書類の受け渡しに来た行政官のアコは、そんな言葉を放った。

 

「普段より表情が柔らかいと言いますか……。何かいい事でもありましたか?」

「……別に。ただ珍しく万魔殿の嫌がらせが無いだけ」

「それもそうですね。では失礼します」

 

 名残惜しそうに出ていく彼女の姿を横目に見送って、私は手元の書類に目を落とす。差出人はシャーレの先生だ。

 いい事はない、と言ったら嘘になる。ただ言えるわけがない。アコと先生の秘密の遊戯が羨ましすぎて、文字通り夢にまで見たなんて。

 私は風紀委員会の委員長だ。風紀を守る団体のリーダーなのだ。そんな私が風紀を乱すようなこと、軽はずみに発言することはできない。──原因を作った張本人であるアコも、同じ風紀委員ではあるのだが。

 兎にも角にも、私を慕ってくれている彼女のためにも、イメージを崩さないためにも。「首輪の夢を見た」なんて口が裂けても言えないのだった。

 

「先生のせいだから……」

 

 気を紛らわせようと、私は必死に書類へと向き直す。だが集中できない。悶々とするような感情が、私の頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回すからだ。

 先生のせいだ、先生のせいだ。生徒をペットみたいに扱う先生のせいだ。生徒の心を弄んでは放っておく、先生のせいだ。

 意味の無い責任転嫁とともに、シャーレの書類にサインする。するとどうだろう、心なしかあの人に言ってやった気がして爽やかな気持ちになる、ような。

 

「……ふふっ」

 

 ──本当に、バカバカしい。

 

 

 

「そんなに私が欲しかったんだ、ヒナちゃん」

「──ぇ」

 

 甲高い音を立てつつ、扉がゆっくりと開く。

 顔を上げれば、そこには見知った顔があった。

 

「先生、なんで」

 

 月光を背に優しい笑顔で、その人は迫ってくる。

 

「こ、来ないで。今はダメだから」

「どうしたの、ヒナ。顔が真っ赤だよ?」

 

 息の詰まるような感覚。直視できないくらい恥ずかしいのに、何故か顔を背けることすら叶わない。

 先生は執務机に手をついて、そっと私にもう片方の手を伸ばす。

 

「ひゃっ」

「首輪、でしょ?」

 

 どくん。脈打つ。

 

「付けて欲しいんだよね?」

 

 ぞくぞく。首を撫でられる。

 

「お散歩、一緒にしよっか?」

 

 やめて。目の前で首輪をちらつかせないで。

 そんなことしたら、本当におかしくなる。

 頬を撫でるのもやめて、先生。

 やめて。

 やめ──!

 

「ダメっ!」

 

 立ち上がる弾みで足をもつれさせた私は、そのまま椅子から転げ落ちる。

 無様な体勢で投げ出された私は、何が何だか分からなくてあっけに取られていた。

 落ち着いて周りを見る。さっきまで神秘的な月の光に包まれていたはずの部屋は、何故か夕焼けの橙色に染め上げられていた。

 少し鈍い頭の思考。それがかえって、すぐさま結論を出す助けになった。

 

「また、夢……」

 

 どうやら仕事をしているうちに、居眠りをしてしまったらしい。

 ふと身体に毛布が掛かっているのに気がつく。アコのものだ。……どうせなら起こしてほしかったが。

 にしても、あれは確かに夢だった。先生の後ろから月の光が差し込んできていたが、扉の傍には窓もないのに、どうやって光るのか。

 自分に呆れてものも言えないが、まあ寝てしまったのは仕方がない。そう割り切ることにして、再度仕事に取り掛かるのだった。

 

 

 

 その夜も。

 

「ヒナ」

 

 明くる日も。

 

「ヒナっ」

 

 次の日も。

 

「ヒナちゃん」

 

 しつこい。しつこい、本当にしつこすぎる。

 あれから毎晩のように夢に出てきては、必ず首輪を持って先生が現れるようになった。

 おかげさまでまともに眠れやしない。その度に飛び起きる自分にも問題はあるが、溜まったフラストレーションは、際限なく仮想の先生へと宛てられていた。

 毎回だ。あと一歩のところで首輪を付けるという時に、目が覚めてしまうのだ。妄想の具現化である夢で首輪を嵌められないのなら、一体どうすればいい。早く楽にしてくれ、起きる度にそう思い続ける。

 もどかしさのあまりイライラしてきた。ここ最近は眠気のあまり意識が朦朧とする。仕事もまともに手に付かない。……今度夢に先生が出てきたら、今度こそ。

 そう決意を固めた私は、深夜二時の時計を見て再び眠りにつくのだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 こつ、こつ。扉の先から足音が響く。

 遂に来た。私は確信する、この足音は恐らく先生だろう。

 執務机に向かい、私は平然を装いつつ待ち構えた。

 ……そういえば、今回は勝手に演じさせられるような感覚がない。いつも夢は自分の意思など関係なく展開するのだが、もしかしてこれは明晰夢というものだろうか。

 だとしたらこれはチャンスだ。明晰夢は、念じれば何でも思った通りになると見た覚えがある。ならば今こそ、私に首輪を嵌めさせてやる。こんな毎日とは、今日で別れを告げよう。

 ドアノブが、そっと動き出した。

 

「お疲れ様、ヒナ」

 

 先生の顔が、月の白い光に照らされる。いつも通りの優しい顔だ。

 私はペンを動かして、仕事をするふりをする。今はそれどころじゃない。

 先生は何も言わず、私の側へと歩いてくる。

 きっと、その鞄の中には首輪が入っているんでしょう?

 

「夜遅くにごめんね。お仕事、手伝えたらなって」

 

 椅子を出して座った先生は、囁くように甘い言葉を掛けてくる。いつもなら、こうやって期待させるだけさせておいて、そして目が覚めるのだ。

 乏しい反応のない私を見て心配になったのか、先生はこっそりと顔を覗き込もうとしてくる。

 

「ごめん、集中してた」

「……そっか。お邪魔しちゃったかな」

「そのくらい大丈夫」

 

 荒くなりそうな息を、悟られないよう必死に整える。そろそろ、からかう頃のはずだ。

 だがいつまで経っても、先生は私のことを見つめるばかりで何もしない。

 じれったい。いつもみたいに、さっさと手を出せばいいのに。

 

「……」

「……っ」

 

 おかしい。いつもと違う。どうして何もしてこないの?そう疑問に思って、すぐに思い出す。

 これは明晰夢なのだ。私から働きかければいい、望む結果にしてしまえばいい。

 

「……ヒナ?」

 

 突如立ち上がった私へ、困惑の言葉。それを気にも留めず、私は先生の膝の上に、向かい合うように座った。

 

「そっか、疲れてるんだよね。いいよ、ちょっとくらい休憩でも──」

「うるさい。早く出して」

「え?」

 

 白々しい。夢なんだから、私の思い通りになれ。

 

「持ってるんでしょ、首輪」

「な、え……?」

「付けて。私に」

 

 先生が焦らしたせいで、この数日間どれだけ大変だったと思ってるの?

 

「ダメ──。ダメだよ、ヒナ。一時の迷いでそんなことしたら、きっと後悔するから」

「アコにはした癖に?」

「な……どう、して。それを」

 

 はやく。

 

「してよ、先生。アコにしたみたいに、私にも。甘えさせて」

「──ヒナ?」

「嘘でもいいの。妄想でもいい。それでも、私はもう疲れた、もう耐えられない。だからいけないことをしよう、先生。──毎晩悩ませたんだから、夢の中でくらい、私のお願いを聞いて」

 

 そうだ。だってこれは全部先生のせいなのだから。

 夢とはいえ、空想とはいえ、ああやって弄ばれたら我慢できない。私にだって限度というものはある。

 

「……一回だけ、少しだけだからね」

 

 察したように、先生は鞄を手に取った。

 やっと出てきたのは、あの日アコに付けていたのと同じ、あの首輪。

 胸が高鳴る。やっと、やっと念願が叶うのだ。

 

「あっ、はやっ、く」

 

 声がうわずる。迫ってくる赤色の輪っかに、興奮が隠しきれない。

 艶かしい息が、二人きりの部屋に染み渡っていく。

 

「ぁ、うぁ」

 

 一段、また一段と首輪が閉まっていく。首との空間が狭まる度、何かが心を満たしていく。

 征服される身体。支配される感情。それなのに、私は幸福感に溺れているのだ。

 そして、ようやく。

 

「……ふふっ。本当にしたんだ、首輪」

「っ、やっぱり、外すよ」

 

 させない。一度は離れた先生の手を、逃さないとばかりに掴む。

 

「もう少し、このまま」

 

 やっと望み通りになったのだ、すぐに終わらせてなるものか。

 本当なら、リードを引っ張ってほしいし、もっと乱暴にしてほしい。だがこれ以上高望みしても何にもならない気もしている。今はただ、この喜びを噛み締めたい。

 今だけは、委員長であることを忘れることにしよう。

 

「すぅ……っ」

「ヒナっ!?」

 

 しばしば先生が私を吸うのを思い出して、試しに真似してみる。なるほど、意外と悪くないかもしれない。

 深呼吸して、──吐く。また深呼吸して、吐く。繰り返す度に、肺を先生の空気が満たしていくような。

 

「……んんっ」

 

 頭の上に感じる、優しい感覚。もしかしなくても、先生が私を撫でているのだろう。

 いつもなら恥ずかしいだけのことも、夢の中なら悪くない。本当に、不思議な感覚だ。ぞくぞくっと気持ちのいい感覚が全身に走るから。

 いつまでも、この夢が続けばいいのに。

 仕事も、辛いことも、全て忘れて。甘い甘い、幻想の中へ。

 ただ一人の女の子になれるのなら、どんなに幸せなのだろうか。

 急に、強い眠気が襲ってきた。久しぶりに、安心しきったからだろう。

 抗いがたい睡魔は、やがて目蓋を重くする。独りでに暗くなっていく視界へ別れを告げつつ、先生の身体に体重を預けた。

 

 ──眠る。

 ──()()()()()()()()()

 

 

 

 子鳥のさえずりに目を覚ます。目の前には、途中で投げ出された書類の数々。──やはりと言うべきか、居眠りしたのだ。

 しかし、久々によく眠れたものだ。あんなにいい夢を見れたのだから、当たり前と言うべきか。

 あくびを抑えつつ、外を見る。当然、青い空が広がって……。

 いや、待て。

 何故目の前に窓がある?私はいつも、外を背に座っているはず。

 そういえば、今の今まで眠っていたこの椅子は、いつ出した?それにどうして、執務机と向かい合うようになっている?

 ──あの夢は、本当に夢なのか?

 

「──……ぁ……ぇ!?」

 

 全身から血の気が引く。そうだ、その通りだ。部屋の配置、この全く進んでいない書類。全部あの夢だと思っていたもの、そのままだ。

 私はとっさに、電話を取った。

 

『はい、シャーレです』

「先生っ!?」

『……えっと、ヒナ?』

「昨日のって夢じゃ……!?」

 

 返事が返ってこない。違うなら、早く否定して。

 

「先生ッ!」

『あー……、その、大丈夫。誰にも言ってないから』

「先生ーっ!?」

 

 自分でも分かる程に体温が高くなる。

 嘘でもいいから。たった一言でいいから。

 夢って言って、先生──!?


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