──それはまるで、星の煌めきのように(激寒ポエム)
硬い地面を踏み鳴らすように足音が近づいてくる。それを聞いて、私の意識は引き戻されるように覚醒した。
眠っていたのだろう、横になっていた身体を起こすと同時に頭が痛む。──悪夢じゃなかった。鎖も牢もそのままだ。
寝ぼけている場合じゃない、目覚めたばかりの頭も急速に冴え、ここから逃げないとという意思を再確認する。だがやはり枷は外れない。今できるのは、訴えることだけだ。
そうしていると鉄格子、その向こうの扉が開かれ彼女が現れた。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
「……ここから出してよ」
「まあまあ、そんな怖い顔で睨まないで。きっと寝起きでお腹がすいてるのよ。ほら、ご飯持ってきたから食べましょ?」
何やら皿を持って中へ入ってくる。乗っていたのはいくつかのクロワッサン。漂う香りが鼻腔をくすぐれば、不覚にも私のお腹は疼くように反応してしまった。
彼女はしゃがむと、空いた手でクロワッサンをつまんだ。
「ほぉら、口開けて」
「……なにしてるの?」
「何って、食べさせてあげようとしてるんじゃない。それともあんた、朝は食べない派?」
「そうじゃなくって!私、一人で食べられるから、そこに置いて──」
何かが腹に押し当てられる。ほぼ同時に、壊滅的な衝撃が私を襲った。
「あがッ、ああああぁッ!はっ、うっ……あぁっ!」
「食べなさい」
「たべ、るからっ!うたないでっ」
頭の中が恐怖に染まる。従わないと、また撃たれてしまう。
焦ったように、私は手を伸ばし食事をしようとすると、
「聞いてなかったの?口を開けろって言ったのよ」
「え?……ぁ、いやっ、まっ──」
ぱんっ。
「ひぎっ、ぃ、がッ」
名状しがたい程の激痛に声すら詰まる。涙が、唾液が自ずと溢れる。何も考えられず、ただ蹲ることしか出来なかった。
──どうして、どうして撃たれなきゃいけないの。こんなに痛くて苦しいのに、なんで分かってくれないの。
痛みが引いてくるにつれ、そんな言葉ばかりが浮かんでいた。
「もう一度言ってあげる。口を開けなさい」
「……っ」
言う通りにしないと。まだ腹部に銃が当たっている。彼女の機嫌を損ねれば、今にだってもう一発喰らわされてもおかしくないのだ。
身体を震わせながら口を開ける。それを見たのか、彼女は満足そうにパンをねじこんだ。
「んっ!?」
「どう?念願の食事は。美味しいでしょ?」
頷く。彼女の言う通りにしなければ。
まともに味がしない。クロワッサン自体は至って普通のものなのだろうが、恐慌を起こした私の心には味を感じる余裕がなかったのだ。
必死に嚥下すると、続けて彼女はもう一つを手に取った。
「それじゃ、次は私の手から食べなさい。動物みたいに、頭を差し出して」
「……うそでしょ?」
「本気よ?ほら」
突然リードが思い切り引っ張られる。首を持っていかれ、なすがままに前のめりになる。
そして彼女の手のひらに乗った一つのクロワッサンが、私の目と鼻の先に鎮座していた。
これを、食べる?口だけ、そんな品のない方法で?
──目の端に拳銃が映る。ダメだ、それでも食べないと。
「んぅっ、んん……」
「ぁ、──は。そう、そうよ。ほら、もっと」
プライドなど全て投げ捨てて、保身のために食べる。彼女の目にどう映っているのかなんて関係ない、ただ痛いのはもう嫌だった。
心を殺して、ようやく平らげる。生きてきた中で一番、美味しくない食事だった。
「喉乾いたでしょ?飲んで」
続けざまにティーカップが唇に当てられる。急いで飲まなければ溺れてしまう気がして、私は一心不乱に液体をすすった。
「けほっ」
「よく食べたわね。えらいえらい」
「やめ──っ!」
さも当然のように、頭を撫でられている。嫌でしょうがなくて、つい否定の言葉を口走りそうになる。
だがはっとして閉じる。そんなこと言えば、また撃たれるに違いない。
堪えるしかない。頭頂に伝わる優しくも不快な感触を必死に感じないようにしながら、私は歯を食いしばった。
従順でいなければ。痛みと恐れで心が壊れてしまう前に、なるべく我慢しなければ。いつかここを出られるその時まで。
「うん。それじゃ、私は行くわね?また会いましょ」
「……」
食器を持って彼女は出ていく。ようやく、この部屋に静寂が訪れた。
これから毎日、あんな辱めを受けるのだろうか。意図は分からない、それでも嫌だというのはひしひしと感じている。
祈るしかなかった。この生活で完全に意志を砕かれる前に、誰かが救いの手を差し伸べに来てくれることを。
「ほら、あーんして?」
「……んぐっ」
目の前では、彼女が私の口にパンを押し当てている。
自分で食べられる。そういって抵抗すれば、またあの銃で撃たれる。
だから従う。無感情に口を開けて、上品さの欠片もなく食事にかぶりついた。
「……っ、そうそう。えらいわねミカちゃん」
「……」
頭を撫でられる。前なら、触らないでと反射的に口走っていただろう。
やめた。抵抗するのは無駄で、何一ついいことがない。どうせここから出られないし、従っていれば痛いこともない。
ここに繋がれて、もう何日だっただろうか。もしかすれば、半月は経っているかもしれない。私はこの首輪のせいか身体に力が入らず逃げられないからこのままだ。
皆は何をしているのだろう。必死に探してくれているのだろうか。……これだけ探して見つからないから、もう諦めたのだろうか。
正直もう、目の前の彼女に全てを委ねてしまってもいい気がしてきている。この牢で会えるのは彼女以外いない。そんな状況のせいなのか、あれほど嫌悪していた彼女を見る目が変わってきてしまっている。
おかしいことだと分かっている。それでも、彼女は前に言った通りちゃんと私を可愛がってくれた。言う通りにしていればさっきみたいに撫でてくれるし、褒めてくれるし、それから……。
す、き?
「それじゃ、私もう行かないと──」
「……ひとりに、しないで」
「っ」
寂しかった。
こうやって彼女に会う時以外、私はずっと一人きりだ。
手足、そして首に感じる枷の窮屈さの中、彼女がやってくるまではただ帰りを待つことしか出来ない。
それが、どうしようもなく寂しいのだ。
「おいてかないで……。ひとりは、いやなの……っ」
「──」
限界だった。この状況をもたらした張本人にさえ、温もりを求めてしまうほどには。
「そうね……。ずっと一人にして、悪かったわ」
「ここにいてよっ……!もうむりだよ──っ、わたし、こわくって」
背中に腕が回される。──この部屋で初めての、抱擁だった。
全身に温度を感じる。まるで心にぽっかりと空いた穴まで満たされるような感覚。
確かに、私は幸せだった。もう、このままでいい。この安心が、今の私には必要だったのだ。
「分かったわ。今度からは、もっと早く戻るようにするから。だから、泣かないで?」
「うん──。やくそくして」
胸の中で、何かが崩れるような音がする。
同時に、あてがわれたピース。それがぴったりと嵌った気がした。
潤んだ視界が揺れる。視界に映るその顔がどうしようもなく愛しく見えて、
『ミカ』
「……っ」
そうして目の前の顔がチラついて、一瞬だけ記憶と混ざりあった。
大人のカードを持って私を庇う姿。私を、お姫様と言ってくれた先生の姿。ぼやけた風景が広がって、そして先生がこちらに笑いかけた気がした。
そうだ、そこにいるべきは彼女じゃない。先生だ。先生じゃなければダメだ。
力を振り絞って彼女を突き放す。帰らなきゃ。
「やっぱり、私帰りたい」
「……何言ってるの?」
「ここから逃がしてよ。ねえ、私あなたのこと誰にも言わないから──」
「どうしてそんなこと言うのッ!?」
狂乱に満ちた顔で、震えた手がこちらに銃を向けてくる。それだけで、固まりかけていた意志を砕くには十分すぎた。
思わず身を引く。散々撃たれて、その時の感覚が私に恐れをもたらしていたからだ。
「ダメ、ダメだから。お願い、私に引き金を引かせないで」
「ぁ──で、でも私」
「撃ちたくないのッ!言うことを聞いて?良い子だから、ねえミカ?」
──言うことを聞かなきゃ。条件反射のように刷り込まれた頭が、勝手にそう判断を下す。
心臓が痛いくらいに脈打って、私はもはや黙って首を縦に頷くしか無かった。
彼女は躊躇しているように見えた。以前なら迷うことなく撃っていたはず。それなのに、今は逆らってもこの様子だ。
それでも私は従順でいた。今撃たなくとも、刺激すればそうとは限らない。
──逃げないと。このままじゃ本当に彼女に飼われてしまう。……でも、どうやって逃れたらいい?
自力で拘束を壊すのは恐らく不可能。彼女に外してもらうのはもってのほかだ。
なら、待つしかない。明日の希望も見えない現状で、その時が来るまでずっと。撃たれるかもしれないという恐怖に耐え、誰も助けてくれないかもという憂いに耐え、ひびの入った心が壊れないように耐えながら。
「そんなの、もう無理だよ」
縋れるものすら、もう何もない。幻想の中の先生ですら、もはや薄れてきているのに。
ごめん、皆。私、やっぱり帰れそうにないよ。
頭の中を諦念が包み込む。もう、十分耐えた。それでこうなったのだ。ならいっそ、このまま受け入れてしまえばどんなに楽だろう。
「……ねえ、ミカ」
声がする。いつにもなく、不安そうな声だ。
視線を上げぬまま、私はそれに耳を傾けた。
「私も、もう疲れたの」
小さな声だった。弱々しく、かすれた声。
「平静を装って学園に行くたび、周りから後ろ指をさされてる感じがする。あの子たち以外誰にもミカを誘拐したこと言ってないはずなのに、ずっと責められてる気持ちになってる。人気者なのね、あなたって。学園はあなたの話題で持ちきりなのよ」
顔を上げて、表情を覗く。
「不良生徒の真似事って、思ったよりもずっと難しくて」
今まで注視していなかったせいで気が付かなかったが、随分とやつれたような雰囲気を帯びていた。
「ねえ、私──何やってるんだろう?害するために誘拐したのに、今じゃあなたが大切に思えてきてる」
彼女は笑顔だった。だがそれは、どこか困ったような雰囲気で。
「こんなことしてて良いのかな。間違ってるわよね私。ミカの時間を奪って、あんなに酷いことして、なのに私、あなたのことが──」
「じゃあ……」
「でもあなたを学園に帰したら、どうなるか分からない。だから、二人でどこか遠くに行かない?それなら、ミカも外に出れる」
彼女が私に抱いている感情。それはもはや嫌悪でも嗜虐でもない。何か、根本的にすり変わっている。この長い間でおかしくなっていたのは私だけじゃないんだ。
でも、それで外に出られるのなら。少しだけ、いいかなと思っていた。トリニティに帰れなくとも、いつか皆とまた会えるかもしれない。こんな生活をずっと続けるくらいなら、いっそもう彼女に着いていくのもいいのかもしれない。彼女が取り返しのつかないところまで来てしまったことなど、とっくに分かっているのだから。
心が折れるまであと僅か。そんな無意識からの訴えを感じていると、
唐突に、激しい爆発音が鳴り響いた。
「なっ……!?」
「──?」
キヴォトスでは爆発なんて珍しいことじゃない。近くで何かあっただけだろう。
だが音と振動は鳴り止むことを知らない。まるで砲撃でも受けているかのように、しつこく響いている。
ふと思う。ここに閉じ込められてから今まで、こんな騒ぎ一度もなかった。彼女による銃声以外、何一つなかったのだ。
もしこの爆発が、偶然ではなく意図的にここを狙ったものだとしたら。
──誰かが私を、救出するためだとしたら。
「この音って」
ティーパーティーでの一時が蘇る。
三人でテーブルを囲んで、迫撃砲の発射訓練を眺めていた他愛もない瞬間。
あの時遥か彼方から聞こえた着弾音が、今。
「ナギちゃんの──!?」
すぐそばで、聞こえていた。
続けて、数人分の足音と声。建物中の扉が開け放たれるような衝撃音がする。
「どうやってここを……!でも、この牢は隠してある。見つからずに帰ってくれれば、まだ──」
「……んせい、先生!こっちです!」
「っ!せん……せい……?」
音が近づいてくるごとに、彼女の焦りも着実に増す。私を愛でていたその表情は、今やどこにも存在しない。
「お願い……!どうしたらいいのっ」
「せんせいっ!先生!私は、わたしはここに──」
「黙りなさいッ!」
「ひっ」
銃を向けられ、私の身体が恐怖にびくりと震える。反抗する私に対し、幾度も吼えた拳銃だ。
息が詰まる。あの痛みがフラッシュバックして思考がまとまらない。
……だけど、諦めちゃダメだ。私の希望は、もうすぐそこまで来ている。
「──ッ、たすけてっ、助けて、先生──!」
「黙れっていうのが聞こえ──」
あ。やっぱり、ダメだ。
銃口が震えながらも私を見つめている。
撃たれる。絶対、痛いのが来る。
条件反射的に身をかがめる。目を強く閉じて、これから来るであろう激痛を堪えようとする。
引き金に指が当たって、ぐっと力を込めれば、
「ミカっ!」
「……!」
最後の重い鉄扉が、ついに解放された。
「あんたが、シャーレの先生」
「うん。早速だけれど、ミカを返してくれるかな」
正義実現委員会の制服を着た子達に囲まれながら、ずっと待ち焦がれていた姿が現れる。
先生は微笑んでいる。だが笑っているのは口だけで、隠そうとしているのだろうがほんの僅かに怒りが透けていた。
先生も、あんな顔するんだ。
「どうやって、ここを見つけたの?」
「トリニティに誰かを閉じ込めて置ける場所はそう多くない。それこそ、こういう大昔の廃教会でもないと。だから古書館の文献やナギサの統率力に、そして最後は、セイアの勘で見つけたんだ」
「……みんな」
諦めずに、ずっと探してくれていたんだ。枯れたはずの涙が、しばらくぶりに薄く目尻に流れる。
先生がこちらに来ようと近づいてくる。だが、それを制止するべく声が放たれた。
「来るなッ!撃つわよ!」
「っ、先生っ!ダメ!」
私を捉えていたその銃が、続けざまに先生へと向けられた。キヴォトスの外から来た先生は、私たちと違って銃弾一発で致命傷になりえる。故に先生が撃たれる、そう思って制止するように叫んだ。
だが、先生は一歩前に出た。
「聞いてないの!?本当に、……本当に撃つわよ!?」
「……落ち着いて、私の話を聞いてくれるかな」
「説教でもするつもり?どうだっていいわよ、私はどうせ捕まるんだから!」
「私は、先生だから。だから、最後まで生徒の味方であり続けたいと思ってる」
「はあ?……なにを、都合のいいことを」
また一つ、歩みを進める。
「……?嘘でしょ?怖くないの?」
「怖いよ。でも、あなたが人殺しになることの方がもっと怖い」
一歩。
「なら近づくんじゃないわよ!」
「私は聞かせてほしいんだ。あなたには、あなたなりの正義があるんでしょう?だからミカを連れ去った。私は、その訳を知りたい」
「そうやって聞くだけ聞いたら、怒るんでしょ」
「そうだね。現に私は、少し怒ってる」
言葉を遮るかのように、もう一歩。
「だからこそ、まずは私の話を聞いてほしい」
彼女もまた面喰った顔で、同じだけ後ずさった。
「私は、可能な限りあなたに寄り添いたい、向き合いたい。捕まって、反省して、ちゃんと裁きを受けるべきだけど、その後のあなたの人生がめちゃくちゃになってしまうのだけは容認できないから。だってあなたには、あなただけの人生があるはずなのに。本人は反省してるのに、周りから蔑まれるなんて理不尽だよ」
「無理よ。私は、拉致に監禁なんて擁護しきれないくらいの罪を犯したから」
「ううん、立派だよ。……あなたはそれが罪だって、ちゃんと分かってるんだから」
「……」
「きっとあなたはいい子になれる。だから、次はあなたの考えを聞かせてほしいな」
口を噤んで、動揺して。先生を見上げていた顔は、やがて俯いていく。
沈黙が訪れる。この場の全員が、彼女を見守っている。酷いことをされたはずの私も、納得が欲しかったのか言葉を待っていた。
「笑わない?」
ただ先生は頷く。
自分の言葉とは裏腹に、彼女は自嘲するような声で話し出す。
「──怖かったのよ」
彼女は下を向いたまま、こぼすように呟いた。
「昨日歩いていた道が、お気に入りの店が、いつもの街並みが、全部めちゃくちゃになって。もしかしてトリニティすら消えるかもしれないと思ったら、急に怖くなった。全部終わったあとに犯人を知って、その彼女がすぐ隣にいると思うとどうしようもなくって……!」
手が、顔を覆い隠すように持ち上がっていく。
「振り払いたかったっ!ミカに酷いことすれば、全部終わるって思ってたッ!でも、──でもそんなことなくて、あの光景が頭から離れなくて、だからトリニティから追い出せば、せめて後輩たちだけでもこんな思いしなくて済むって」
ああ。そっか。
全部、私のせいだったんだ。妙な納得が頭を支配する。
私が招いて、不幸にして、苦しめて。
その揺り返しが、全部帰ってきただけだった。
勝手に反省したつもりになっていた。奉仕活動して、祈って罪を償えているつもりでいた。
──それだけじゃ、当然赦されるようなことじゃなかったんだ。あまつさえ、こうやって被害者ぶって。
「でもっ、こんなの歪んでるって分かってるけどっ。ミカを閉じ込めてるうちに、──恨んでたはずの相手が、愛おしくなって。勝手に捕まえたくせに、勝手に好きになって!もう訳わかんないの!どうしたら、私どうしたらいいの?……先生、私──!」
流石の先生も、どんな言葉を掛けるべきか見つからず、必死に考えつつも困った様子を見せていた。
それならば、せめて。
私は彼女の手を、引いてみることにした。
「──え?」
「私をここに閉じ込めたのは怒ってる。銃で撃ったことも怒ってる。痛かったし怖かった。だけど元を辿れば、あなたにそうさせたのは私のせいだから。……だから、お互い様ってことにしよっか?」
「で、でも私……、取り返しのつかないほどあなたの時間を奪って」
「それは違う、かな。あなたは、美園ミカという人間に後悔する時間を与えてくれたんだよ」
だってこうして牢で過ごさなければ、一人の心に深い傷を負わせたことに気がつくこともなかったのだから。
彼女に対する好感はきっと偽りのものだろう。長い間を一緒に過ごして植え付けられた、心理的なもののはずだ。
でも、今はそんなこと関係ない。
「私はあなたを傷つけた。それでも、あなたは私に反省する時間をくれた。それじゃ、ダメ?」
「──私の事、嫌いじゃないの?殺したいほど、憎んでてもおかしくないのに」
「ううん。だって、こんな私を頑張ってお世話してくれたから。憎むべきは、あなたじゃなくて罪かな」
何かを言わんと口を開けた彼女は、それでも声を発することなくゆっくりと閉じ、代わりに鍵を取りだした。
「ごめんなさい。私、もっとちゃんとあなたの事を知っておけばよかった」
──こんなこと、しなければよかった。
鍵穴が、かちゃんと小気味いい音を発する。私の自由を知らしめるように、いくつもの枷が床に転がっていく。同じくして、失ったはずの力も徐々に満ちていく。
彼女はそのまま鍵を先生に渡すと、正義実現委員会へ両手を差し出した。
「罰は、ちゃんと受ける。償いになるかは、分からないけれど」
「……連行します」
そのまま彼女は囲まれて、廊下へと消えていった。
ぽつんと部屋に残された、私と先生。
いつぶりだろう、ずっと待ち焦がれていた先生の顔を眺める。
全部終わったんだ。また、今まで通りの生活が始まるんだ。皆と他愛もない話をして、外で両腕を広げて深く息を吸って。そんな日常が帰ってくるんだ。
「ねえ、先生。私、あの子のことを弁護しようと思うんだ」
瞳をじっと見つめる。話を促すように、先生は微笑んで私の話を聞いていた。
「さっきの先生の説得を聞いて思ったの。少しでもあの子が前を向ける、その手助けができたらって。だって私も、皆にそうやって助けてもらったから」
立派になったでしょ?
そう言いたげに、私は先生の微笑みへと笑い返した。
「──辛かったって、言ってもいいんだよ」
対して先生は、褒めるでもなくただ一言そう述べた。
「そんなことないよ。私は、先生が来るって信じてたから。……さっ、帰ろ。皆にお礼しないと」
「……ミカ」
分かってる。先生に迷惑をかけちゃいけないこと。
分かってる。先生は私を大切にしてくれてること。
だから、心配させたくない。平気なように振る舞いたい。散々救ってもらったくせに、何もかも頼りきりになってしまっては愚かしい。
──分かってる。あくまであの人と私の関係は、“先生と生徒”だってこと。
だから、……だから、──だから。
「私は、ミカにそんな顔させたくない」
「──」
抑えていたはずの感情が、涙となって表れる。気丈に振る舞うつもりで作った笑顔を、上塗りするように滴っていく。
違う。こんなはずじゃない。これ以上、先生に心配も迷惑も掛けたくないのに。
「わた、わたし──っ。違うの、先生っこれは」
「もう耐えなくていいんだよ。頑張ったんだね、ミカ」
「あっ」
「今は、休んでいいんだ」
頭に手が置かれる。知っている、これは撫でているのだ。
あの子がしてくれたものとは違う、本当に私が欲しかったもの。ずっと待ち望んで、ついぞ訪れなかったこと。それが今、ようやく目の前で起きている。
取り繕っていた体裁が解けていく。あえて私と距離を置いていたはずの先生が、嘘偽りなく甘えさせてくれている。
その事実を理解した時、私を雁字搦めにしていた建前は粉々に吹き飛ばされた。
「わたし、わたしちゃんと耐えたよっ、せんせぇ──!寂しくて、怖くて!でも、先生はもう来ないかと思ったの、もう捨てられたのかもって思って……!信じられなくてごめんなさいっ、ごめんなさいっせんせぇ」
「私こそごめんね。もっと早く見つけてあげられなくて」
「やだっ、あやまらないでよ!私が悪いの、わたしがわるい子だったから、だから……!」
先生の胸に顔を埋める。私は、誰にも見せられないような顔をしているだろう。もちろん、先生にも。
ありったけの感情が吹き出て、助けてくれた先生にそれをぶつけていく。先生はただ静かに私の背中をさすって、吐き出される言葉を受け止めてくれていた。
◆ ◆ ◆
「落ち着いたかな」
「……うん。ごめんね、先生。おかしなこと、たくさん言っちゃったかも」
「いいんだよ。生徒の心を守るのも、私の役目だから。すっきりした?」
「あははっ、あれだけ泣いたら流石にね」
心に溜まった膿が全てさっぱり消えたかのように、清々しい気分だった。しがらみから解き放たれてぐしゃぐしゃに泣いたおかげだ。まあ、改めて思い返せば恥ずかしくなるのだが。
後は帰るだけ。私のために動いてくれた全員に、感謝を伝えるために、先生と一緒に帰ればこの事件は一旦の幕を閉じる。この牢を出て、トリニティへ戻るだけでいい。
おもむろに、私は足元を見た。そこには、無残に転がった枷、そして首輪があった。
──私の中に新しい願望が生まれたのを感じる。今なら、先生もそのお願いを聞いてくれるかもしれない。
そう、これは心を癒すため。脳裏に染み付いた悪い記憶を追い出すため。だから、少しだけ協力してもらおう。
「……わがまま言っていい?先生」
「うん?どうしたの?」
こんな事言うのは、はばかられる。だが耐えなくていいと言ってくれたのも先生だ。
私は落ちていた首輪を拾うと、それを先生の手に押し付けた。
「……ミカ?」
「知ってるの。先生は、わざと私との距離を置いてること。依存させちゃわないように、線引きしてること」
私がちゃんと独り立ちできるように、という思いが込められていることも、もちろん知っている。
「この事件で分かったんだ。距離を取りすぎると、かえって私は先生のことが欲しくなっちゃうって」
辛い時、心の中で先生が希望の光として支えてくれたことも、もちろん分かっている。
「大変でしょ?そのたびに、先生が私を慰めなきゃいけないなんて」
自分を納得させるため、これから言うことに理由付けするための詭弁であることなんてとっくに見破られているだろう。
そうでもしなければ、言えるはずがない。
「ねえ先生、飽きさせて。私の頭の中、先生のことでいっぱいにして。一生分、満足しちゃうくらいに」
だから。
「首輪を嵌めて、先生」
耳元へ囁くように。
こんなこと、普段なら絶対に言えるはずがないのだから。
あの子の首輪より、先生の首輪がいい。最後の最後には、この人にこそ私の心を染め上げてほしい。
そんな先生は困ったようにして、それでも決して目は逸らさない。
なんだか嬉しくなる。私のためにこうやって悩んでくれているんだって思うと、何とも言えない喜びに包まれる。
先生はどうするだろう。お願いを聞いてくれるだろうか。それとも、優しく諭してくれるだろうか?諭されるのならそれでもいい、先生が私を大切にしてくれている何よりもの証明になる。
「それなら、私は──」
ついに口を開く。なんと言ってくれるだろう。踊る心を必死に鎮め、必死に表情に出ないようにしながら次の言葉を待った。
「私は、ミカの先生をやめるよ」
「……え?」
その言葉は、私の頭の中で激しく反響した。
やめる?わたしの、せんせいを?
理解ができなかった。──いや、理解を拒んでいた。私が、たった今聞いたことを現実として受け入れることを拒否していた。
視界が暗転する。一瞬思考がまっさらになって、そしてすぐに違う何かが湧いてくる。
──そうだよね。こんなわがままな子、嫌いになってもしょうがないよ。散々先生を困らせて、苦労させて。こんなに手のかかる面倒な女、捨てられて当然。
無茶なお願いなのは分かっていたのに、こうなることは考えてすらいなかった。
楽観的過ぎた。全部、頭の中の筋書き通りになると思ってたんだ。
……ダメ、ミカ。泣いちゃダメ。せめて、せめて先生がいなくなるまでは、心配させちゃダメ。最後の最後まで迷惑をかけるような、そんな生徒にはなっちゃダメ。
「そっか。うん、わかった。いいよ、私はそれで──」
首に、何かが掛けられる。
困惑して前を見上げれば、カチッと音がして、
「今から私たちは、ただの大人と女の子だから」
ぐいっとリードを引かれた。
首輪が嵌った瞬間に身体中からみるみる力が抜けて、まるでただのか弱い女の子のようになっていく。
訳も分からないまま身体が前へと飛び出した。そして飛び込んだ先は先生の胸の中。
頭が情報を処理しきれないでいると、先生は変わらずいつも通りに笑った。
「せん、せい──!?」
背中に左手が回される。頭上には、リードを持ったままの右手が。
意識が途切れそうになる。ぞくぞくと身体が疼いて、甘い感覚に視界が明滅している。目の端には、そんな今の私と同調するように、ヘイローが消えては点いてを繰り返していた。
しがみつくしかない。意識が振り落とされないように、必死に受け止めることしかできない。
ただ抱擁されて、ただ頭を撫でられて、そしてただリードを引かれているだけなのに。たったそれだけの行為が、どうしようもなく“心地いい”。
一瞬突き放されて、それから急に優しくされてしまっては癖になってしまう。私のすべてが先生に染め上げられて、それ以外考えられなくなってしまう。
「こんなこと、しちゃったら──、わたし先生から離れられなくなっちゃうよ……?」
私を信じないで。
幾度も伝えたことだ。先生だってそれを理解して距離を置いてくれたはずなのに。
それなのにこんなことをされたら、今度こそ二人とも引き返せなくなってしまう。
「言ったでしょ、ミカ。今の私はただの大人だって。今は何も考えず、私に任せてほしいな」
「ぁ……」
そんなこと言われたら。
私の細い、細い理性の糸が切れる。もう、我慢しなくていいんだ。思いっきり甘えたっていいんだ。
甘い疼きが、痺れが増していく。想像を絶する悦楽に、独りでに涙が溢れる。
ただ首輪の一つで、ここまで乱れるだなんて思いもしなかった。所詮、紅茶に加えるシュガーくらいの認識だった。
程度が違う。
「ならっ、もっと抱きしめて。もっと撫でて、大切にして!引っ張って、乱暴にして、それから……っ!」
隠していた欲望が次から次へと飛び出る。
先生は、ただその通りにしてくれた。
「うぁ」
両腕で慈しむように。
「ひゃっ」
赤子を慰めるように。
「や……あっ」
かと思えば、急に首をぐいっと引かれたり。
まるで私が先生の所有物になったかのようだ。そう思うと、より心臓の音が顕著になった。
「はぁ……っ、ぁ……、はっ」
酸素が足りないのか、頭が重い。気が付けば、私の息はいつの間にやら相当荒くなっている。
そんな私を見かねたのか、心配そうに先生が声をかける。
「大丈夫?苦しいならそろそろ外そう──」
「ッ!やだっ、やだ!外さないで──!もっと、もっと……っ!遠慮なんかしないで!」
どうしようもなく不安になる。置いていかれる気がする。先生はそんなこと絶対しないって知ってるのに、首輪を外されてしまうことで全てが終わってしまう予感がしてしまう。
やっと先生に会えたのだ、ようやく希望に縋れるのだ。永遠とは言わずとも、あともう少しだけこのままでいさせてほしい。
──私の頭を真っ白にして、今だけは先生だけで満たしてほしい。
先生は頷く。決心したような顔でこちらを見る。
「それなら、ミカ。──覚悟してね」
「──あはは……、おかしくなっちゃう、かも」
「おかしくなったら、私が責任を取るよ」
──だから、全部任せて。
その言葉は、私の最後の枷を外すには十分すぎた。
意識の裏にあった僅かな抵抗すらやめて、全体重を先生へ預けた。
ああ、先生。
やっぱり、私が本当に好きなのは──。
◆ ◆ ◆
私を誘拐したあの子は捕まって、何事もなく裁かれた。
あの子を被害者たる私が弁護したおかげか、言い渡された判決は“しばらくの奉仕活動と聖園ミカとの接触禁止”。正義実現委員会やティーパーティーすら動かした件の事件は、トリニティ総合学園にそれなりの混乱を巻き起こしたのだ。それを考慮しても、かなり優しい結果と言えるだろう。
どうやら私は一週間と少し監禁されていたようで、思ったよりは短かったがそれでも喪失感は拭えない。
空は事件など露知らず、前と変わらず清々しい青色を保っている。
これを残酷と捉えるのか、それとも安寧の象徴と捉えるのか。それは私次第だろう。
「……先生」
自らの首を、撫でる。
すべてが終わってしばらく経った後も、私のここには生々しくあの感覚が残っていた。
夢か現実か分からなくなるほどの濃密な時間。私の心はまだ、牢の中に取り残されているのかもしれない。
先生の体温、そして匂いが蘇る。
またしてもらいたい。
首輪に繋がれて、乱暴にリードを引っ張ってもらいたい。
──そう、全ては先生のせいなのだ。私を信じてしまった、先生のせいだ。
良い子でいたい。面倒な女にもなりなくない。でも、我慢しなくていいと言ったのも先生ならば。
責任を取ってもらおう。
私は携帯電話、そのモモトークの画面を開くと、少し迷った後に文字を打ち込んだ。
『やっほー、先生☆』
私の無様な言い訳が下にあります。醜いので読まなくても全くもって構いません。
すい~~~~~っとスクロールするかページ戻しといてください。
【執筆中の脳内遍歴】
ミカの戦闘シーン書きてえ!
↓
せや!絆ストーリーのモブに活躍してもらおう!
↓
あかん思ったよりも相当クズに書いちゃった……(無能)
↓
それでも先生は先生なんやろなあ
↓
助けて先生!(投げやり)
めちゃくちゃになってるので自分で読み返しても流石にちょっと無理があると思います(最近の評価が証明してる)
もう頼れるのは先生しか……。
次はもっとさっくり短く首輪嵌めさせます。長文久しぶりすぎて納得のいく統合性取れませんでした。申し訳ないです。
あと普通にミカの苗字誤字った私が許せません。祈ってください(攻撃力1540%分のダメージ、HP最大時与ダメ2倍)。