夏休みが終わってひと月半がたった10月中頃、私はとある会議室に呼び出されることとなった。
さすがに今回は校内放送で呼び出されることはなく、体験入部をしていた時に連絡先を交換した東条トレーナーから、直接呼び出された形になる。
何でも、ようやくトレーナー間での話し合いに決着がついたらしく、私が所属する予定のチームトレーナーと面談して欲しいらしい。
例によって昼休み中に指定された会議室に赴いたところ、今回は東条トレーナーだけではなくもう一人、人間の男性が一緒にやってきた。
「お久しぶりです、沖野トレーナー」
「おう、元気そうでなによりだ、サイレンススズカ」
その人物は選抜レース以来となる、ダンスパートナー先輩のトレーナーである沖野トレーナーだった。
沖野トレーナーと挨拶を交わすと、全員揃ったのか東条トレーナーが話し始める。
「さて、一応先月中は私がサイレンススズカの面倒を見ていたということで、間を取り持つために私もこの場に居るけど、基本的には二人で話して頂戴ね」
東条トレーナーは所謂仲介役として出席しているだけのようで、一言喋った後は沖野トレーナーに目配せをし、場の主導権を沖野トレーナーに譲る。
「さて、改めてチームスピカのチームトレーナーを勤めている沖野だ。俺がここにいることから分かるかもしれないが、トレーナー間でサイレンススズカの面倒を誰が見るか話し合った結果、スピカで受け持つ事が良いという結論になった」
「はい」
「えー、なったんだが。サイレンススズカはうち──スピカの評判については、どれだけ聞いたことがある?」
「えっと、リギルと双璧をなす中央でトップクラスのチームだと」
「それ以外には?? こう、世間の噂とか聞いてたりはしないか?」
沖野トレーナーが真剣な表情をしながら質問するので、こちらもスピカに関しての情報を思い出そうとするが、私は何分世間の事柄にあまり興味がないため、先程の答え以上の情報は思い出せそうになかった。
「すみません、あまり世間の噂とかは知らなくて……。さっきの答え以上にはスピカのことは知らないです」
「あー、そうか~」
私がスピカのことをよく知らないと言うと、沖野トレーナーは困ったように目を片手で覆い天井を見上げる。
流石に自分が運営しているチームをよく知らないと言われてショックなのだろうか。
世間知らずですみません……。
「いやな、うちのチームってな、こう~、アレなのよ」
「アレ?」
アレで通じず、首を傾げる私に困ったように沖野トレーナーは頭を掻く。その様子を見かねたのか、東条トレーナーはため息をひとつ吐くと、言葉を切り出した。
「つまり、沖野のチームスピカは、世間から『気性難の巣窟』なんて呼ばれてる、凄いクセの強いチームなのよ」
言い淀んでいた沖野トレーナーに代わり、東条トレーナーがチームスピカの噂について教えてくれる。
曰く、『気性難の巣窟』『ヤベー奴の集まり』『気性難ウマ娘のセーフティネット』etc.etc.
チームスピカは、気性に難があるウマ娘が集まっていると言われており、そしてその噂に違わず個性的なウマ娘が多く所属しているらしい。
例をあげるなら、現役ウマ娘ではダンスインザダーク。3冠ウマ娘最有力候補の現在無敗の2冠ウマ娘だが、独特な言い回しを好むらしく、インタビューの時など解読が大変らしい。
またドリームシリーズや引退済みまで範囲を広げれば、サンデーサイレンスやミスターシービーなど、多種多様な気性難ウマ娘が揃っている。
そんなスピカだが、気性難ウマ娘に合わせたのか、それとも沖野トレーナーの元々の気質があるのか、トレーニングも中々に奇抜らしく、ツイスターゲームをやらされたり、将棋をやらされたり、クイズ大会が開催されたりなど、これまた奇抜なトレーニングが多いらしい。
そのためか、スピカの風土自体が一般的なチームからかけ離れており、チームスピカのネームバリューに釣られ加入したウマ娘の3ヵ月以内での定着率は1割を下回るとか。
ブラック企業も真っ青な定着率である。
「と言うわけで、トレーナー間の会議では沖野がいるチームスピカが適任だろうと言われているのだけれど、あなたがもし嫌になれば何時でも退籍していいのよ」
「おいおいおハナさん、不吉なこと言わないでくれよ」
東条トレーナーの言葉に、沖野トレーナーがツッコむが、東条トレーナーの顔は真剣そのものであり、冗談で言っている訳では無いらしい。
「あの、もしスピカと合わないとなって離籍するとしたら、どのトレーナーと契約すればいいとか、決まってたりしますか?」
「その時は、私のリギルで受け入れるつもりよ。ただ、あなたが逃げで行きたいと言う姿勢を貫くのならば、申し訳ないけど私はあなたが怪我をしないことを保証できないわ。もちろん、そうなっても最善を尽くさせて貰うけど」
私の質問に真摯に答えてくれた東条トレーナーの言葉を吟味しつつ、ふと思いついた疑問を再度訊ねる。
「東条トレーナーは、リギルに加入する場合は、怪我をしない保証がないと言っていましたが、スピカに加入すれば、その保証があるという事ですか?」
突飛な質問をしていると自分でもわかっているが、この質問は聞いてみなければいけないだろう。
なにせ私は怪我をしない範囲でできる限りのトレーニングをしてきたつもりである。これでいざ現役となってから怪我などしてしまったら、ボクの頃に怪我をしないようとても気を使ってくれていたおじさんや先生に対して申し訳ない。
もちろん、私だって絶対に怪我をしないことが、不可能に近いということはわかっているつもりだ。
アスリートウマ娘全体の故障率はそこまで高い数字ではない。1%あるかないかくらいだろう。だが、アスリートウマ娘の怪我の理由の大半が疲労骨折またはそれに準じる疾患と言われており、ジュニアよりクラシック、クラシックよりシニアと年を経る事に故障率は増える傾向にあるようだ*1。また、G1など高レベルでしのぎを削る必要のあるレースの方が、疲労がたまりやすく故障率があがると言われている*2。
つまり何が言いたいかというと、私に限らず強くなればなるほど、強敵と戦えば戦うほど怪我のリスクは増すということだ。そして、トレーナーはそれを完全に防ぐ術は持たない、ということでもある。
私の質問は、出来もしないことを確認する大変イヤらしい質問である。
「あー、確実に怪我をしない。なんて無責任なことは勿論保証はできないんだが──」
やはり、沖野トレーナーもそんな不確かなことは言えないだろう。逆に自信満々に「怪我をさせません!」なんて言われた日には、そのトレーナーの実力を疑うしかない。
「──だが、誰よりも怪我をさせないのが得意な奴が、うちのチームのサブトレーナーにいる。ってサンデーが言ってた……」
続けて言われた言葉に、私は驚きを隠せず目を見開く。
若干最後の方何かを呟いていた気がしたが、残念ながらウマ娘の聴力でも聞き取れなかった。
「東条トレーナーや、沖野トレーナーより、ですか?」
「あぁ。うちのサンデー──サンデーサイレンスが少々特殊な脚の骨格をしてるのは知ってるな?」
「はい。幼いころ事故で……と、聞いたことがあります」
「そのサンデーが言ったんだ。『普通のトレーナーだったら、いままで無事に走りきれなかっただろう。そいつが見ててくれたから、怪我無くやってこれた』ってな」
「そんな人が」
現役当時はカメラに映っていようがお構いなし、と言わんばかりに全方位に敵を作るような発言を繰り返していたサンデーサイレンスが認めるほどのトレーナー。
そんなトレーナーが、まさかサブトレーナーの地位に甘んじているとは思いもよらず言葉にならない。
「ま、そいつにサイレンススズカ、キミを主に任せようと思ってる。勿論サブトレーナーだからトレーニングやレース分析などは甘いところもあると思う。そこんところは俺もチームトレーナーの責務として、いやそれ以上の責任感をもって監督するつもりだ。
勿論、サブトレーナーに面倒を見られたくない、俺が良いって言うなら俺が責任もって全部担当するし、それこそ、今の話を聞いてスピカじゃなく、リギルが良いと言うならリギルに所属してかまわない。どうだ?」
沖野トレーナーは長い言葉を締めると、私の顔を真剣な眼差しで見つめてくる。その真剣な眼差しからは、私がどういう決断をしようと受け入れるという思いがひしひしと伝わってくる。
別に私自身文句は無い。トレーナーに拘りはないと東条トレーナーに言ったのは私自身だし、なにより
スピカの独特な空気というのに、慣れることができるかどうかが若干不安だが、スピカにはダンスパートナー先輩も所属しているし、そのダンスパートナー先輩は同室である。意外とどうにかなりそうな気がしている。
沖野トレーナーの申し出を受ける理由はあり、受けない理由は今のところ無い。ならば、特に問題はない。
「沖野トレーナー、ぜひよろしくお願いします」
私は沖野トレーナーに対して、深々と頭を下げ、今後世話になる事を伝えた。
そうすると沖野トレーナーは真剣な表情から一転、喜色満面の笑みを浮かべる。
「そうか! よし! それじゃこれからよろしくなサイレンススズカ!」
「はい。よろしくお願いします」
こうして私はチームスピカに加入する事となったのであった。
⏰
チームスピカに加入する事になった当日。
沖野トレーナーが多忙らしく、早めに顔合わせがしたいということで、その日のうちに私はスピカのチームルームへと案内されることとなった。
スピカのチームルームは、一般的なチームルームが集まっている場所からは少々離れた場所に建てられていた。
中へ入ると既に連絡されていたらしく、人間の女性が一人とウマ娘が一人私たちの到着を待っていた。
「お、やっと来たかチーフ。待ちわびたぜ」
ウマ娘の方は、先日リギルの併走トレーニングでも出会ったサンデーサイレンス。
「お疲れさまです、沖野トレーナー。そちらがサイレンススズカさん、ですね?」
人間の女性の方が、件のサブトレーナーなのだろう。
「おう、期待の大型新人のサイレンススズカだ」
「サイレンススズカです。スズカと呼んでください。よろしくお願いします」
沖野トレーナーの紹介に合わせて頭を下げる。
「んで、知ってるだろうが、こっちのウマ娘がサンデーサイレンス。スズカをうちで預かりたいって言い出した張本人」
「サンデーサイレンスだ。よちよち歩きのガキが、一端のウマ娘になれるよう鍛えてやるから楽しみにしてな」
沖野トレーナーの言葉に続けて、サンデーサイレンスが自己紹介する。
なんでも沖野トレーナー曰く、私のコーナリングの甘さを見かねたサンデーサイレンスが私を鍛えるよう言いだしたらしい。
「よろしくお願いします、サンデーサイレンスさん」
今後お世話になるであろう先輩に対し、失礼の無いよう深々と頭を下げる。
「んで、こっちがスズカの担当トレーナーになる予定の会津ハルカ」
「ご紹介に与りました、会津ハルカです。若輩者ですが、誠心誠意サイレンススズカさんをサポートしますので、よろしくお願いします」
私を担当する予定のサブトレーナーは、会津ハルカというらしい。
不思議なものでその名を聞き、ハルカトレーナーと視線が合った時に心が高揚するような感覚をおぼえる。
どこかで会ったことがあるような、いや、今出会うために私は生まれてきたのだと、そう思えるような。
ウマソウルとやらが導く運命的な
「スズカ? 大丈夫か?」
「あ! す、すみません。サイレンススズカです、是非スズカと呼んでください」
少々放心していたのか、沖野トレーナーに心配する言葉をかけられ、慌てて頭を下げる。
「よ~し、とりあえず自己紹介は終わったな。今日のこの後はスピカについての説明と、いろいろな書類関連を会津主導でやってくれ。スズカには悪いんだが、日本にいる間に他のトレーニングの調子とか、日本でやらなきゃいけない仕事とかやる必要があってな。アメリカにいくまでは俺も会津と一緒にスズカの面倒をできるだけ見ようと思ってるが、極力会津と……サンデーと一緒にやっていってくれると助かる」
沖野トレーナーは申し訳なさそうに言うが、それも仕方ないだろう。現在沖野トレーナーはメインで見ているダンスパートナー先輩が欧州からアメリカの連続遠征中であり、その隙間を縫って日本に戻ってきているだけである。そのため11月のBCターフに向けて、10月最終週はアメリカに行き、直接ダンスパートナー先輩の仕上げを手掛ける必要がある。
むしろ私のために、わざわざ日本に滞在させてしまって申し訳ないくらいだ。
「そういえば、沖野トレーナーはダンスパートナー先輩の……。すみません、私のせいで忙しくしちゃって」
「気にすんな! そもそもスズカのトレーナーに関しては俺が言い出したことだしな。これぐらいなんでも無いって!」
沖野トレーナー明るい表情でサムズアップすると、会津トレーナーに後を任せてチームルームを後にした。
「さて、沖野さんもいっちゃった事だし、改めてよろしくね、スズカさん」
「はい。よろしくお願いします、会津トレーナー」
「んじゃ、今日は書類仕事関連だろ? そいつはトレーナーに任せたぜ。私はテキトーに走ってくるよ」
「え!? ちょっと、サンデー……」
改めて挨拶を交わし合う私たちを見ていたサンデーサイレンスは、欠伸をひとつしてつまらなそうに言うと、止めようとする会津トレーナーを無視してチームルームから出て行ってしまう。
「あぁ、ごめんなさいね。あの娘、昔からあまり人の話聞かなくて……」
頭痛がするのか頭を手でおさえながら、会津トレーナーは私に向かって謝罪をする。
「いえいえ、大丈夫ですから、頭を上げてください!」
私が慌てて気にしてないことを告げると、会津トレーナーは顔を上げ困ったように笑うと、書類を数点取り出した。
「ありがとう。それじゃ今日は事務に提出が必要な書類に署名して貰ったり、そのあとはスピカについて簡単な説明をしましょうか」
「はい!」
会津トレーナーが取り出した書類を受け取りながら、私は元気よく返事をした。
こうして私は、チームスピカに所属することになったのであった。