第16話「新年・決断と挑戦と」
ジュニア級が終わり、新年になってしばらくした時。
私─サイレンススズカ─は、トレセン学園のコースを全力で走っていた。
息を切らし額から流れ出る汗を拭う暇も無いほどに疲弊しきっている私に、ハルカトレーナーが近づいてくる。
「お疲れ様スズカ。とりあえず酸素と水。まずは呼吸を落ち着かせましょう」
言葉と共に差し出してくれた酸素ボンベを受け取り、口に当て呼吸を整える。数度深呼吸を繰り返すと安定してくるため、落ち着いてきたら水を飲み干す。
流れ出た汗と疲労による体温の上昇のためか、常温になっているドリンクですら心地よさを感じる。
「落ち着いたかしら?」
水分を補給すると一気に汗が流れ出てくるため、手渡されたタオルでそれを拭いとる。
「聞く準備は大丈夫?」
「はい」
私が落ち着いたのを確認すると、ハルカトレーナーが先ほど走った結果を伝え始める。
「まず3000mのタイムだけど、だいたい3:20。終盤はあきらかに足が鈍っていたし、末脚も出せてない。今後の成長次第とも言えなくないけど、正直菊花賞は難しいと言わざるを得ないわ」
私が先ほど走っていたのは、菊花賞に向け3000mを私が走り切れるのか、戦えるのか。それを確認するためにトレセン学園のコースとは言え、3000mを全力で走っていた。
「現状のタイムでは例年の菊花賞を鑑みるに、勝ち負けに絡むことは無理だし、これからスタミナ練習に注力したとしても、精々勝ち負けに絡めるタイムまでしか行けないかもしれないわ」
「そう、ですよね」
半分以上は分かりきっていたが、2500mを越えた頃から明らかに足が鈍り末脚を繰り出すどころではなかった。
「どうする? 先方の予定や適性合わせの関係上、そろそろ今年の──クラシック戦線での目標を決めないといけないわ」
「はい」
なぜ菊花賞を想定して走っていたのか、それはクラシック戦線を日本のクラシック級に挑戦するのか、それとも
結果だが、菊花賞はやはり難しいという結論を出さざるを得ないだろう。
元々私自身、長距離は難しいと思っていたというのはあるが、それでもこの世界にはミホノブルボン先輩というデビュー前はスプリンターと言われていたが、無敗でクラシック2冠になり、そして菊花賞では惜しくも2着となった優駿がいる。*1
彼女のように距離延長を目指せばどうにかなるかとも思ったが、彼女は彼女でスピードが高くスタミナが無かったミドルディスタンスウマ娘であったとされており*2、血統統計からも外れた突然変異であろうと言われている。
そのような突然変異に私が当てはまっているわけもなく、やはりボクの頃感じていた2400程度が限界というのはウマ娘となってからでも変わらないらしい。
ウマ娘となってからこの世界での3冠がとても価値のある物だというのは、何度も3冠ウマ娘が誕生している現在でも人々の熱狂が冷めないところを見て思い知っている。なので、入学前の予定ではクラシック級では欧州マイル3冠を取る予定であったが、
そのため、私の距離延長が成功するならば、クラシック戦線を日本で過ごすことも考えていたのだが、ジュニア級が終わったばかりの1月中頃とはいえ、この程度の有様では難しいと言わざるを得ないだろう。
ただ、何も考えず欧州マイル3冠を目指すわけではない。正直、馬の頃は欧州の芝は走りにくいという印象しかなかったが、それでも苦戦せず欧州マイル3冠を取れたくらいには敵が居なかった*3。
今では重バ場のトレーニングを重ねた結果、ある程度芝質への適性はなんとか誤魔化せそうであるし、それにウマ娘になってから私自身
だから私は決めた。菊花賞が難しいのならば、中距離の世界一を目指すと。
「決めました」
ハルカトレーナーの目を真っすぐ見据えて言う。
「欧州3冠を目指します。そのために、クラシックのすべてを捧げると、今決めました」
私の言葉を聞いてハルカトレーナーが強くうなずく。
「わかったわ。なら、私はあなたの目標を達成できるよう全力を尽くすわ。共に目指しましょう、日本初の
⏰
欧州3大レース。
これはウマ娘レース─ひいては元となる競馬─の原点である欧州にて最も権威のあると言われている3つのレースの事を指す。
1つはすべてのダービーの元となったと言われるダービーステークス。その開催地や開催国からエプソムダービーや、英ダービーなどと呼ばれるダービーの原典。
2つ目はそのイギリス王室が設立し、古くはイギリスの最高峰を決めるレースと謳われ、そして現在ではクラシックディスタンスの頂点を決めるため世界各地から選手が集まるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(KGⅥ&QES)。
そして最後の3つ目はKGⅥ&QESと並びクラシックディスタンスの頂点を決めると謳われ、世界中の関係者が夢見るフランスが産み出した凱旋門賞。
これら3つが欧州で最も価値のあるレースと言われ、それらを合わせて欧州3大レースと言われる。
これを欧州3冠というのは日本独自の文化になるが、トリプルクラウンと言わないだけで欧州のウマ娘やトレーナーにとって価値のあるレースであることには変わりがない。
日本はいろいろなレースを包めて
日本で春シニア3冠や秋シニア3冠などが3冠と呼ばれているのは、クラシック3冠と同じように同一年で制覇した場合、特別賞が授与されることから、クラシック3冠にちなんで3冠と呼ぶようになったのだとされている。
それから転じて日本ではあらゆる関連する3大レースを3冠と呼ぶようになり、欧州3大レースも欧州3冠という呼び方をするようになった。
そんな欧州3冠だが、今までに制覇したことがあるウマ娘はたった2人しかいない。
1人目はもはや過去の時代、シャドーロールの怪物と呼ばれたウマ娘ミルリーフ。ミルリーフと近い時代で有名な日本ウマ娘を挙げるとすれば、ミルリーフの一回り上の世代にシンザンが居るくらいだろうか。もはや伝説上のウマ娘である。
そして2人目は我々の記憶にも新しい、まさに去年それを成し遂げた生きる伝説。「奇跡のウマ娘」「神のウマ娘」と呼ばれたウマ娘ラムタラ。そのラムタラは通算成績4戦4勝、デビュー戦以外はすべてが欧州3冠だけという、全てをそれだけに注ぎ込み傾けたがゆえに達成できた記録であり、それゆえか凱旋門賞を終えたあとレースに出走する事はなく現役を引退しドリームリーグへと移籍した*4。
時代を隔絶した能力を持つ優駿か、時代に愛された優駿がすべてを擲ってやっと達成できる。それが欧州3大レース同一年制覇である。
そもそもなぜそこまで欧州3冠は難しいのか。それは単純に参加できる世代の問題が多いためだ。
3大レース最初の英ダービーはダービーであることからクラシック級のウマ娘のみが出場できる。そしてKGⅥ&QESと凱旋門賞は知っての通り、クラシック・シニア混合の国際レースである。
どれか一つだけを勝利できただけで死んでも良いと言うウマ娘が居るくらいのレースを同年に制覇することが求められ、しかもダービーを制覇したばかりのまだまだこれからのウマ娘が、全世界から集まるシニア級以上の優駿を相手に2度も勝ちを収めなければならない。
そのことがどれだけ大変なことか。語ることも比べることも難しいことであるが、あえて日本のレースに置き換えて言うなら日本ダービーを制覇したその年に宝塚記念と有マ記念を制覇するくらいと言えばいいのだろうか。
一応国際競走に指定されているとはいえ、宝塚記念も有マ記念も、KGⅥ&QESや凱旋門賞ほどの権威付けは世界的にもされていないので、少々例としては不適切かもしれない。しかし、それほど難しいと考えて問題はないだろう。
そんな欧州3冠を目指すことを、私は、私達は決めた。
⏰
決めたのならば、発表はともかくURAには報告しなければならない。特に今回は海外遠征をするため、URAへの報告・申請が必須となる*5。
そんなわけで、まず生徒会長であるシンボリルドルフ会長、URA職員扱いの理事長にクラシック期は主に欧州で過ごす事を報告したが、お二方は快く応援してくれた。
会長に至っては海外遠征に一家言あるらしく、滞在先などの紹介もしてくれると言ってくれたが、私のトレーナーがハルカさんだと思い出すと「ハルカくんに全部任せた方がわかりやすいかもしれないな」と言って、その事はハルカトレーナーと会長の間で話し合う事になった。
なんでもハルカトレーナーのご実家の会津家は、海外にも伝手を持っているらしく、会長の伝手というのも結局はそちらと同じルートであるためらしい。
そんな感じで、ウマ娘の意志を尊重する派の会長や理事長への報告は何事もなく終わったのだが、そこから上となると中々大変だった。
URA本部としてはホープフルステークスを勝利した私が、皐月賞すら出場しないというのは興行的に問題があるらしく、何度かURAの本部の人が学園まで説得しに来たくらいである。
それもそのはず、URAがウマ娘興行のすべてを担っているという半ば独占市場であるとはいえ、私達に支払われている賞金はURAが入場料やライブ観覧料、グッズ販売などで稼いだお金から支払われている*6ので、人気のあるウマ娘がレースに出場しないのは収入に影響すると言われてしまうと申し訳ないと言わざるをえない。
だが、根気よく相談した結果、旅費滞在費は8割個人持ち、その代わり駐留先予定のフランスにあるトレセン学園、および出走予定レースの開催元であるURA-GB*7やURA-FR*8に便宜を図ってくれるという事で合意した。
制度上滞在費の5割以上をURAが負担してくれることが多い海外遠征において、ウマ娘・トレーナー双方において個人が8割負担、しかも私の場合4月~10月の半年以上の長期滞在となると、かなり金額が変わるため、その分で私が日本のレースに出走しない分の興行収入の減少を補填しよう、という話らしい。
正直途中からチンプンカンプンであったが、URAが非営利団体ではない以上、稼げる目算のある人気ウマ娘が国外を走るというのが問題になることはわからなくない。
結局最後の方は、ハルカトレーナーが「旅費・滞在費は全部私が出します!」とブチ切れて本部の人に啖呵を切ったため、上記の内容で締結した*9。
そんなこんなでURAの人と交渉することひと月。2月のとある日、URAの公式から私がクラシック期は海外遠征をするため、日本ではクラシック限定のレースを殆ど走らないということが告知されると、大々的に告知したわけでもないのに世間がかなり騒ぎ出した。
世間の噂に興味なさそうな私がなぜこんなことを知っているかというと、ウマッターとウマスタグラムである。
人気商売であるトゥインクルシリーズを走るウマ娘は、SNS最盛期の現代、SNSでの情報発信がファンに求められている。
そうなると、私もトレーナーに言われてウマッターやウマスタグラムを始めたわけだが、使い方もわからないのでおはようとおやすみを投稿するだけになっているが。*10
そんな私のウマッターやウマスタグラムで、クラシック期について、URAから告知があることを投稿したら、これが見事に「ばずった」*11らしい。
なにせ、投稿した数時間後にダンスパートナー先輩がドリームリーグへ移籍して退寮したため、個室になってしまった私の自室*12にドーベルとフクキタルがタイキとブライトを引き連れて駆け込んできたくらいである*13。
「ちょっと! スズカどういう事よこれ!!!」
「スズカさんさっきのウマートの事なんですけど!!」
「Hey!! スズカどういうことですかー!?」
「お邪魔いたします~」
と、まるで示し合わせたかのように、4人がいっきに私の部屋になだれ込んできた後、そのまま私を質問責めにしてくるが、それをなんとか落ち着かせて事情を話す。
入学前からクラシック期は欧州マイル戦線を目指していたこと、そしてより上を目指してみたくなったこと。菊花賞がどうしても適性不足で走れなそうなこと、それならいっそ中距離を極めようと思ったこと。凱旋門が終わったら帰ってくる予定であること。などを告げたら、なんとか納得してもらえた。
学園内では仲のいいウマ娘はあまり多くないし、他に仲のいいエアグルーヴは生徒会の関係でもっと前から私が海外に行くことを知っていたので、学園内の騒ぎは私の耳に入る限りは当日中に収まったと言える。
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問題は学園外であり、告知された翌日からトレーナーの下や、果ては私のウマッターやウマスタグラムのアカウントにまで、取材の依頼がひっきりなしにやってくるようになってしまった。
私は元から知らない人のアカウントには返信しないようにしている上、自室に乗り込んできた4人のように私の知り合いは私がSNSを積極的に利用していないことを知っているため、そもそもSNSを通じて連絡してくる事などないため、完全に無視するようにしている*14。
私自身はSNSを無視すれば問題ないのであるが、トレーナーは大変である。チームスピカ用の連絡先はもちろん、どこから突き止めたのかハルカトレーナーや沖野トレーナーの個人連絡先にまで取材依頼がひっきりなしに来てしまっている。
電子的連絡をすべて無視すれば良い私とは違い、大事な連絡が紛れているかもしれないため、トレーナー達は大量のメールを確認しなくてはならなくなってしまっている。
「なんか、すみません二人とも……」
パソコンを前にして大量のメールに苦慮する2人の姿をみて流石に申し訳なくなり、トレーニングが終わった後パソコンに齧りついているトレーナー2人に頭を下げる。
「あ~、良いって良いって気にすんな」
画面から目を離さずに、私に向かって手をあげひらひらと振る沖野トレーナーは、私に気にしないように言うが、流石にトレーニング後の夜にまで渡って整理しきれないメールの山を作る原因としては気にしないわけにはいかない。
私が気にしてなかなかトレーニングルームから退室しないのを感じ取ったのか、沖野トレーナーは振り返って私に向かい合う。
「あー、そんな気にすんなって」
「でも……」
「ウマ娘がやりたいことを応援すんのがトレーナーの仕事だからよ。ま、そんなに気になるならちょっと手伝ってくれるか?」
「はい? 私にできることなら……」
「実はな、スズカのローテに関して告知をしたら現状のような状況になるのは少し予想できてたんだわ。んで、その解決策として合同記者会見を開催することが案の一つになってるんだが、もし悪いなと思ってるならそいつに出てくれないか?」
「合同記者会見……ですか」
話を詳しく聞いてみると、もともと私がクラシック期を欧州で過ごすことを考えていると伝えたころから、このような状況になることは予想されていたらしい。それで何度か理事長などを含め考えていた対策の中に、私が表立って複数の報道機関相手に会見をすることで騒動を落ち着かせようという話があったらしい。
「スズカの同意が取れればすぐさま本格的に始められるんだが、どうだ?」
沖野トレーナーの言葉に私は一二もなく同意の意志を返す。
「それなら良かった。まぁすぐ始められるといっても準備だけで、実際には参加予定の報道機関から質問を募集して、それに対する答えを用意して、と準備することも多いから実際に会見するのは1、2週間後とかになっちまうはずだ。ま、それまでは気にせずトレーニングに集中してくれや」
「わかりました」
その日は合同記者会見に出席する同意と、準備に時間がかかるという事だけ聞いて私はその場から退くことにした。
次回は本編だけど掲示板形式で世間の反応を交えながら行動記者会見の様子を届けられたらなと思っています