皆さんお待たせしました。12月は気候変動などが祟り体調を崩していたため更新できませんでした。
結構長くなったのでダービーステークスまで行けませんでした。
全力とは、何なのだろうか。
辞書を引けば一般的な意味は載っている。
もっている限りの力。ありったけの力。
全力を出す、とは何なのだろうか。
全力で走れと、トレーナーに言われたことは何度かある。
その時も勿論、全力で走った。
──つもりだった。
私は全力が出せないらしい。
その事でトレーナーが、ハルカさんが悩んでいることは知っていた。気づいていた。
ニューマーケットに着いてから暫くしたある日、練習後に忘れ物を取りに行った時、室内から微かに聞こえてくるハルカさんの恨めしそうな、悔やむような声を聞いてしまった事があったから。
その日とは別の日にも、トレーナー室へ早めに向かった時、偶然ハルカさんが居らず、片づける暇がないように机上に散乱する資料を見てしまった事があった。
ハルカさんは、トレーナーとしてやるべき仕事はウマ娘に見せないようにしているのか、私が見かける時には資料が散らかる事など無く、ハルカさんの机はいつも綺麗に整頓されていた。
ただその時は忙しかったのか、急用が入ってしまったのか。私がたまたま予定よりだいぶ早く、トレーナー室へと到着してしまったからだろうか。ハルカさんの机は資料が散乱していた。
だから私はいつもお世話になっているお礼代わりにと思い、机の上を整頓しようとした。してしまった。
そこで見たのは、私の予測成長線と実際の時計の伸びの差が、一目で見てわかるグラフに纏められた表*1と、それに対する走り書きの考察。
なぜこのような差異が出るのか、なにが予測を狂わせていたのか。
ハルカさん自身の感覚とのズレを、必死に埋めようとしていた痕跡だった。
その日から、私は私なりに考えてはいた。
多分、ハルカさんの脳内では、私はもっと速いのだろう。
トレーナーの予想を上回る成長と言われたら誰だって気分が良くなると思うが、逆にトレーナーの予想を下回る成長などと言われたら誰だって不安になるだろう。
今回は私がたまたま盗み見てしまっただけだから、ハルカさんは悪くないのだが、それでも期待を裏切ってしまったというのは、なんだか落ち着かない気分にさせられる。
チラッと見た考察や、データの日付から。多分ハルカさんは私がもっと速く走れると、ジュニア級の頃から感じていたのだろう。
そしてそれは、たまーに計測するときに出る「全力で走ってみてちょうだい」という指示に繋がる気がする。
つまり、ハルカさんは私が
全力とは、なんなのか。
全力で走るとは、なんなのか。
言われたときは、常に全力で走っているつもりだった。
自分では全力で走っているつもりなのに、全力を出せと言われても普通の人は「これ以上どうやって出すんだよ!」と頭にくるだろう。
それはアスリートも同じだ。
トレーニングとは、心理的限界をどこまで生理的限界に近づけさせる事ができるかに終始する。
だからトレーニングがたりてないのに、全力──つまるところ生理的限界を出せと言われても、無理なものは無理なのだ。
だがハルカトレーナーの言う、「全力を出せ」は多分意味合いが異なる。
心理的限界を出せ、という意味なのだろう。
そして私は既に心理的限界を出しているつもりであった。
そうなると話は単純だが難しい問題になる。
問題の原因として考えられる事は2つ。
トレーナーの予想、予測が、間違っている。
私が無意識的に、心理的限界を実力より下に置いている。
これら2つのどちらかになる。
上の原因ならば話は単純で、ハルカさんが悪いという一言に尽きる。
きっとハルカさんもそう思っているのだろう。だから、とても悩んでいる。私のあらゆるデータの横に書き殴られた、ハルカさんの悔しさが滲む筆跡がそれを物語っていた。
仮にハルカさんが正しく、原因が2つ目だとすると、これはこれで問題である。
心理的限界とはつまり、自分で思う「もうこれ以上は無理だ」という限界である。これは全力をだせば意識する事もできるが、基本的に無意識的に設定される。
つまり、脳やいろんな器官が、これ以上の力を出してはいけないと思っていると言うことに他ならない。
私もトレーニング理論を昔から齧っていたから聞いたことはあるが、心理的限界というのは基本的に無意識が設定するものなのだ。
これが実際に出せるはずの力とズレている、というのは一朝一夕で直るものではない──というか、それを直すために行うのがトレーニングなのだ。
徐々に負荷を増していく事で、無意識に「自分の身体はここまでの負荷には耐えられる」と教え込む事で、心理的限界の上限を上げていく。
これがトレーニングと呼ばれる物の、普遍的かつ根本的な目的となる。
つまるところ結論は、「鍛えろ」の一言で済まされてしまう訳で、そうするとハルカさんのトレーナーとしての予測とズレているのは…………。
と、無限ループになってしまう。*2
そんなこんなで、外面だけみれば順調に、ハルカさんと私の脳内では完全に壁にぶつかっていた中、サンデーさん達助っ人が到着し、トレーニングに変化がもたらされた。
そんな変わったトレーニングを順調にこなしていたある日、私はサンデーさんに練習後呼び出される事となった。
そしてそこでも私は言及された。
全力について。
ハルカトレーナーに加えて、サンデーさんまでもがそう言うのだからそうなのだろう。
きっと、私は全力が出せていないのだ。
しかしサンデーさんからはこうも言われた。「なぜ走るのか。ウマ娘として、なぜレースにでるのか」
それはきっとウマ娘だから出た疑問で、そしてきっとウマ娘として走りつづけるには避けられない命題で──そしてその先に、私の
それからはダービーに向けた調整を続けながら、己と向き合う日々だった。
なぜ走るのか。
多分、それだけだった。
でも、走り終わるといろんな人が褒めてくれた。いろんな人が喜んでくれた。多分それが嬉しくて、その嬉しさが楽しさに変わって、言われたとおりに走っていたんだと思う。
勝てばトレーナーは喜んでくれる。沖野さんも喜んでくれる。
当然、私を応援してくれた観客は喜んでくれるし、そうじゃない人も「強かった」と賞賛してくれる。
でも、それだけ。
喜んでくれるのは嬉しいし、走るのも楽しい。でも、そもそも私は、
小さい頃から走るために鍛えてきた。怪我をしないで走りきる身体を作るために、たくさんの知識を蓄え実践してきた。
そこでふと、思う。
確かに、なぜ私はレースを走るんだろうかと。
走るならどこでも走れる。この世界はウマ娘に優しい。
いろんなところでコースが貸し出されているし、大きな国営の公園などではウマ娘専用トラックがタダで借りられる。
そんな世界で私はなぜレースに拘るのだろう。
誰かに言われた訳ではない。レースを走れと、レースで勝てと、誰かに強制されたわけではない。
レースに出さえしなければ、そこまでの高強度な走りをしなければ、私の努力など必要無い。怪我をする危険性もほぼ無くなり、素人判断の訓練をする必要も、プロの論文などを学び遜色ない知識を学ぶ必要もない。
確かに、言われてみればなぜここまで己を律してレースに挑むのか。
誰かは、レースの世界にはいることを強制されたのかもしれない。
誰かは、憧れたウマ娘になるためにレースに挑むのかもしれない。
誰かは、夢見た勝利を得るために己をいじめ抜かなければならないのかもしれない。
でも、私にはそのどれもない。
誰かに言われた訳でもなく、憧れたウマ娘などおらず、レースにかける夢すらない。
──私は、なぜ走るのだろうか。
そんなことを考えているうちに月日は流れ、日は進む。時は待ってはくれず──ダービーの日が近づいてくる。
距離は2400m、すべてのダービーの原典であり、イギリスでの若手ナンバーワンを決める夢の大舞台、エプソムダービー。
そんな世界最高峰の歴史あるレースが行われる場所に、私は立っていた。
⏰
日付としてはダービー3日前、時間帯は正午を少し回った頃。
レースが開催される週末が近づいてきたレース場に私は来ていた。
「ここが我がUKが誇るウマ娘レースのもう一つの聖地! エプソムダウンズレース場よ!!」
私とハルカトレーナーは、レースコーディネーターとして私の手伝いをしてくれているエマさんに連れられ、エプソムダウンズレース場まで足を運んでいた。
ダービー当日でもなければ、レースが開催される訳でもない日にレース場へ来ている理由は、現地のレース場で軽く走らせてくれる事になったからである。
URA主催のレースが開催されてない日でもレース場は開放されており、予約などをして利用料を払えば利用させてもらえる。*3
特にG1級のレースが開催される近辺は、現地での走り心地を確かめるため多数の予約があり利用することは日本でも難しい。
そんな日本でも難しいのに、海外でアウェーオブアウェーとなる私とハルカさんは、事前のレース場の下見は海外遠征中は諦めていたのだが、そこは敏腕コーディネーターであるエマさん。
コーディネーターとしての知名度やらなんやらを生かして、見事私達の分の枠を勝ち取ってしまったのだ。
「できれば色々施設をまわったりとかしたいんだけど、残念ながら1時間しかとれなかったから、コースへ急ぎましょう。見学は後程、ね」
「いえ、遠征で来ている私達が1時間も取れたのはエマさんのおかげです。有り難く使わせていただきます」
「ありがとうございます」
コースの予約を1時間しか確保できなかったと、エマさんは残念がっているが、そもそも下見を諦めていた私たちにとっては望外の幸運である。
ハルカさんがお礼を言うのに合わせ、私も頭を下げると、エマさんは嬉しそうに笑い、時間が無いからと私達をコースへと誘導する。
エプソムレース場の特徴としては、コースが蹄鉄状──つまりループする事ができない形状になっている事である。
そのため最長2400mまでのレースにしか対応しておらず、コーナーが1角と2角しかない。
更に、勾配も特徴的で、2400mレースではスタート直後から1000mの間4%というキツい上り坂で、1角あたりで頂上に。その後すこしの平坦と直線とは言えない緩やかなカーブを進むと、2角を出たあたりからゴールまで同じような下り坂。そのままゴールかと思いきや、ゴール前100mの部分に壁かと見紛う急坂が待っている。
前半の上り坂を駆け上がるパワーと、オーバーランしないでスタミナ管理に徹することができる冷静さ。カーブ終わりから直線を駆け下るための度胸とスピード。そして最後の急坂でへこたれない根性。
あらゆる能力が要求される、まさに鉄人レースと呼ぶに相応しい厳しいコースである。
その厳しさから、クラシック級でこのコースを走ることに対する危険視の声もあるが、伝統や何やらの事情もあり長年このエプソムレース場でダービーステークスは行われている。
そんな、逃げどころか先行脚質ですら不利をうけると言われるレース場だが、私にとってはまだ不安視すべき懸念点がある。
それは芝質である。
高速芝と呼ばれるほどスピードに乗りやすい日本の芝と違い、欧州での芝はパワーを要求される芝質となっている。そんな欧州芝の中でも最も重いとされているのがエプソムレース場である。
土地柄か土壌のせいか、まるで雲の上で走るかのように衝撃を吸収する芝は、ともすれば日本のダートの方が近いかもしれないとすら思わせる。
「わぁ」
「どう、スズカ? 芝の様子は」
「はい。噂に聞いてた以上にフカフカです」
私も初めて足を踏み入れた際、予想以上の重さに驚きの声を上げてしまった。
「うまく走れるかしら?」
「ちょっとやってみます」
トレーナーの質問に返しながら、ジョギングのペースでコースを走る。
少し走って、一周できないことを思い出した私は、踵を返すようにUターンしてトレーナーの元へと戻る。
「どうだった?」
「凄い力を取られるというか、踏み込んでも全然加速できないです。ホントにニューマーケット以上で、かなり大変かもしれません」
「そう、それが知れただけでも来た甲斐はあったわね」
「はい」
走り心地を確認するトレーナーに、素直な感想を述べる。
正直な話、この芝質と序盤の上り坂も相まって、序盤のリードが重要な逃げ脚質のウマ娘にとっては辛いレースになると言わざるを得ない。*4
その後は、何度かコースを流しで1周*5して坂の勾配によるスタミナの減り具合を確認したりと、レース場に居るからこそできる事をしていると、予定の1時間など瞬く間に過ぎ去っていく。
エマさんが予約時間が終わる10分前に声を掛けてくれたため、その後クールダウンを行った後、側に待機してくれていたコースの整備係の人*6に挨拶をしてコースを後にする。
「どうする? 当日はそんな余裕ないかもしれないし、エプソムレース場の見学でもしましょうか?」
「スズカはどうしたい? 私としては今日は帰ってもトレーニングをさせるつもりは無いから、お言葉に甘えても良いと思うけど」
「それじゃお言葉に甘えようと思います」
レースの直近という事もありあまり詰め込みすぎも良くないと言うハルカさんの言葉も合わせて、エマさんの提案を受ける事にした。
「やぁエマ女史」
エマさんが先導して歩き出そうとしたその時、ウマ娘を連れたトレーナーらしき男性がエマさんへと声を掛けてくる。
「まぁジョン。奇遇ね」
「あぁ、そちらは現地の視察かな?」
「なんとか取れた枠を使ったところよ」
「そうか、そうするとそちらのお嬢さんが噂の──」
ジョンと呼ばれた男性はエマさんと顔見知りらしく、しばし歓談したと思ったら男性がこちらへと視線を向けてくる。
「そう、サイレンススズカ。こっちはそのトレーナーの会津ハルカよ」
エマさんの紹介に合わせて相手のトレーナーへと軽く頭を下げる。その時、ウマ娘の方が「──サイレンス、スズカ」と少し私の名を口にし、私を強く見つめてくる。
「Oh! 君が噂のニンジャガールだね! 私はトレーナーのジョン、そしてこっちが私が担当している──」
「ベニーザディップ」
ジョントレーナーの言葉に合わせ、私の目の前まで進み名前を告げる黒鹿毛のウマ娘、ベニーザディップ。
彼女は黒鹿毛の艶やかな髪と、どことなく見覚えのあるような目を引く顔立ちをしており。その目はやたらと鋭く、私を強い視線で──ともすれば睨みつけていると言っても良いほどの視線で見つめてくる。
「サイレンススズカはダービーに出るのだろう? ベニーもダービーを目標としていてね、お互いライバルとなるだろうがどうかよろしく頼むよ」
「そうなんですね。それなら私たち同期になるわよね。改めてサイレンススズカよ。よろしく、ベニーザディップ」
ジョントレーナーはベニーザディップが私と同じダービーを目標としている事、私たちと同じく今日は現地の下見に来た事を朗らかに伝えてくれる。そのおかげでベニーザディップが同期だと分かったので、多少くだけた口調で話しかけ、友好の印として右手を差し出す。
「……」
ベニーザディップは私が差し出した右手をしばし見ると、それを無視するかのように私の隣を通り過ぎる。
「おい! どうしたんだベニー! すまないサイレンススズカ、ハルカトレーナー。いつもはあんなにぶっきら棒な娘では無いんだが……」
「いえ、気にしないでください。一応私たちライバルですから」
「スズカが気にしてないと言うので、特に私も。レース前のウマ娘は気が昂っている娘も多いですから、気にしないでください」
印象の悪くなる態度をとったベニーザディップに対しフォローを入れるジョントレーナー。彼自身は朗らかで気さくな人物なのであろうと思えたため、私自身は特に気にしていない旨を告げる。
ハルカトレーナーも私が不快に思ってないなら、とジョントレーナーに告げるとジョントレーナーは頭を下げベニーザディップを追うようにコースへと入っていった。
「ま、それじゃ施設の見学に行きましょうか!」
空気を変えるように努めて明るく言うエマさんを先導に、エプソムレース場を観光するために歩き出す。
「ハルカさん」
観光の間、隙を見てハルカトレーナーへと話しかける。
「どうしたの?」
「さっきの、ベニーザディップって娘の情報、帰ったら教えて貰ってもいいですか?」
「あら、あなたが他の娘を気に掛けるなんて珍しいわね。わかったわ、帰ったら情報を纏めておくわね」
「よろしくお願いします」
たしかに、私が自分と一緒に走る相手を個人まで気にしたことがあるのはホープフルステークスの時のブライトくらいだろうか。
しかし気にならない方がおかしいだろう。
──貴女には、絶対に負けない。
去り際に私にのみギリギリ聞こえるような小さな声で言った、その言葉を聞かされたら。
彼女がどうしてそこまで私を気に掛けるのか、私にはまったくわからないのだから。
次回こそはダービーステークスです。
今年もなるべく月1更新はしたいと思っておりますので、どうかよろしくお願いします。
感想・高評価など活動の活力となりますので、どうかよろしくお願いいたします。