大変長らくお待たせいたしました。
ダービーステークスですが、書きたいことが増えてしまって、約4話分の分量になってしまたため、同様の時間を待たせしてしまったと、言い訳させてください。
時の流れは個人の事情など酌んではくれず、私の走る理由を思い出す事もままならずダービーステークスの当日を迎えることになった。
噂に聞くところ、日本でのオークスはメジロドーベルが、ダービーはマチカネフクキタルが獲得したらしい*1。これでドーベルは無事桜花賞との2冠となり、フクキタルは私たちの世代を代表するダービーウマ娘となった。
日本に居る仲のいいウマ娘からも応援のメッセージを貰っており、特にフクキタルからは自分に続いてダービーウマ娘になれと、激励の言葉も貰っている。
ドーベルやフクキタルに続き、欧州3冠の大事な1戦目となるダービーステークスを無事奪取。と行きたいが、そんな私の今日の調子は可もなく不可もなくと言った所。
仕上がりや体調面などは問題ないが、やはりサンデーさんに突き付けられた
アスリート──殊更ウマ娘ともなるとメンタル面の調子もかなり重要になってくる。気合乗り*2が足りていないとでも言うべきか、体調面や精神面共に充足してこそレースでは真価を発揮できるという物だ。
本日の私の枠番は2*3となっている。普通に考えれば逃げである私は内枠が取れたことを喜ぶべきなのだが、ここエプソムレース場は、最初の直線がコーナーとも言えない緩やかなS字カーブを描く形となっている*4。そのためスタート直後は外ラチによっていき、コーナーに入るまでの疑似的な直線を作り、その後真っすぐ走る事でコーナーへと内ラチ沿いに入ると言うのが定石となっている。
なので、エプソムの12ハロン競走では、外枠の方が最序盤の位置取りが楽であったりもする。
全部ぶっちぎって経済コースを取れば良い。と、いつもの私なら考えるのだが、今回のエプソム競馬場ではイギリスの中でも最も芝が重く、ほぼ日本の重バ場と言っても良いほどの重さがある。一応先日の実地訓練のお陰で、いつもの加速をするのにどれくらいのパワーが必要かはわかっているが、パワーが沢山必要ということはそれだけスタミナを要するという事でもある。クラシックシニア混合であるという点を除き、レース場の条件だけで言えば、エプソム競馬場が私にとっての最大の難関になるであろうことはわかりきっている。
それでも、その不利を含めてもハルカトレーナーは、私であればクラシック級のウマ娘には勝てると踏んで送り出してくれたのである。気合乗りがそこまで良くないと言えど、下手なレースはする訳にはいかないだろう。
⏰
勝負服に着替え終わり入場を待つ間、ハルカトレーナーと最後の打ち合わせをする。打ち合わせと言っても今回も私の作戦は逃げであるため、とにかく走る以外に作戦など無いのだが。
「ついにやってきたわね、英ダービー。スズカの目標の大事な初戦だけど……、大丈夫。あなたなら問題なく勝てるはずよ」
「はい。ラビットとかは、どう見ますか?」
「ラビットの可能性がありそうなのは5番*5ね。8番*6の娘と同じトレーナーから出場してきているけど、ラビット役として先行するなら5番の娘になると思うわ」
「わかりました、5番ですね。気を付けます」
「大丈夫。クラシック級で貴女と競り合えるウマ娘が居るとは思えないわ。それこそ、貴女の作戦は欧州ではほとんど存在しない逃げだし、その中でも貴女のペースはシニア級と遜色ないわ。もし相手の娘が競り合いをかけてきても、問答無用で競り落としてしまいなさい」
「……はい」
「やっぱり、調子が上がり切ってないみたいね」
私の返事から煮え切らないものを感じたのか、レース直前になっても調子が上がらないことをハルカトレーナーに指摘される。
「ごめんなさい……」
「謝らないで。サンデーに貴女の事を頼んだのは私なのだから。それに、そんな状態になるのは早ければ早いほど良いと、私もサンデーも判断したわ。せめてクラシック級だけのこの時期に、ってね」
ハルカさんは私の前まで近寄ると、腰を落とし座っている私の目を覗き込む。
ハルカさんの真摯な瞳が私の目を見つめてくる。
「だけど、それでも今の貴女が負ける要素はほぼ無いわ。大丈夫。私を信じて、思いっきり走りなさい。それに、貴方の悩み──サンデーからの宿題もきっと走る中で切っ掛けが見つかると思うから」
つよい眼差し、つよい言葉と共に私の手をハルカさんは自分の両手で包み込む。
「あっ」
柔らかく温かい手のひらからは、どこか懐かしい温かみを感じ微かに声を漏らしてしまう。その温かみは遥か昔感じたことのあるような、母が産まれたばかりの赤子を撫でるような、そんな安心する温かみ。
気づけば、私はハルカさんの手を逆にとって自分の頬へと擦りつけていた。
「スズカ?」
私の行動を怪訝に思ったのか、ハルカさんは問いかけるように私の名を呼ぶ。
温かい手のひらの
「すみません、出場まで、このままで」
「……うん、わかったわ。貴女の気のすむまで」
その後は、係の人に呼び出されるまで、私はハルカさんの手のひらに頬を擦り付けていた。
「行ってきます。ハルカさん」
「えぇ。がんばってね、スズカ」
──『がんばるんだよ。スズカ』
一瞬、見送ってくれるハルカさんの言葉が誰かと重なった気がした。
「はい!!」
重なった言葉の主と、ハルカさんに応えるように力強く返事をしパドックへと向かう。
──私のダービーステークスが、始まる。
⏰
『さぁ、お次は日本からの刺客! 2番サイレンススズカ! 仕上がりはバッチリみたいだぞ!』
実況の紹介と共にパドックへと昇り一礼するとサッサとひな壇を後にする。色々パドックでアピールをするウマ娘も多いのだが、私はどうすれば良いのかわからないので一礼だけして終わることにしている。
パドックでのお披露目が終わった先から本バ場のゲート前へと向かう事になっているので、さっさと本バ場へと向かおうと足を速めた瞬間。
「っ」
背筋をなぞる様な悪寒が駆け巡る。
悪寒の現況を突き止めようとプレッシャーの元を辿ると、そこにはパドック紹介を順番待ちしている一人のウマ娘が居た。
その顔は無表情。あらゆる感情を押し込めて無理やり無表情にしているかのような、そんな気迫のある無表情で私を強く見つめているウマ娘。そのウマ娘が放つプレッシャーに押されたのか、そのウマ娘の一定範囲は不自然な間ができていた。
ウマ娘には、時たま鬼が宿ると言われる。
ライスシャワーさんが勝利した菊花賞。カツラギエースさんが勝利したジャパンカップ。
どちらも、人気上位の大本命のウマ娘を打ち破り世間を賑わせた。その時の彼女たちは、まさに鬼が宿ると言われていた。
その鬼が、目の前にいる。
『さぁ、つづいて9番!』
その
『ダービーウマ娘は私のものだ! ベニーザディップ!! すごい気迫だ!! これは期待できるか!?』
ベニーザディップ。この前、エプソムレース場で実地練習ができた時、私のすぐ後に利用していたウマ娘。
私に『負けない』と告げたウマ娘が、鬼を背負って出場してきた。
彼女は、その鬼気迫るほどの思いをダービーに抱いているのだろう。
どんな思いを持っているのだろうか。
そんな事が気になりながらも、私は彼女がパドックでお披露目している間に本バ場へと急いだ。
──どこか、逃げるように。
⏰
⏰
『さぁ、今年のクラシック級大一番がついにやってきた! 宰相になるより難しいと言われたダービーウマ娘が今日もまた一人生まれるぞ! 世紀の約2分半、瞬きなんてしてる暇はないぜ!? ウマ娘達も次々とゲートインだ!』
実況が観客の熱を高めるように煽る中、私はすでにゲートに収まりスタートのための集中力を高めていた。2番のため早めにゲートインしたのだ。
ゲートには今まで経験したことの無いほどのプレッシャーが満ちていた。
それは私の走りがクレイヴンステークスや2000ギニーで研究された故のプレッシャーでもあるだろう。現にハルカトレーナーから言われた通り、5番の娘からはつよい敵意を感じる。
しかし、それ以上に9番、ベニーザディップからの圧がすごい。多分私だけでなくゲート全体にその圧は広がっている。
『おっと、どうした!? 最後の14番*7ゲート入りが難しそうだぞ?』
実況の言葉の通り、ベニーザディップがゲートインした後から、徐々に後ろのウマ娘がゲートに入りづらそうにしている。
私はそれを気にしないように、極力落ち着けるように努めていつものルーティンをしていた。
(ウマ娘となってから、ここまでスタート前に落ち着かないのは初めての経験だ)
思えば、パドックからここまで私は初めての経験だと思う出来事が多い。それも全て、ベニーザディップの鬼気迫る気迫が故か。
『まごついてた14番がやっと収まり、全員ゲートイン完了だ!』
──
『全員、体勢整って────スタートだ!!』
スタートを切る。
〈ロケットスタート〉
〈高速逃げ〉
〈坂越え〉
〈クラシックギア〉
『左回り〇』
誰よりも早くスタートした手ごたえはあった。視界には私の前を走るウマ娘は居ない。
『2番サイレンススズカとんでもないスタートだ!』
しかし、大きく外にはフレない。私の後ろを必死に追いすがろうとするウマ娘の足音が聞こえるから。
『しかし5番も2番に競り合うように加速していくぞー!? こいつらエプソムの定石を知らないのかー!!?』
(諦めては、くれないか)
スパートの如く加速してしまっては、エプソム最初のカーブが難しくなってしまうため、5番の娘と競り合いながら私も外に寄る。
この競り合いの勝負は最初の若干の右曲がりのカーブを越えた先。
コーナーに入る前にどちらが先頭かを決めなくてはならない。
《2番と5番が先頭争いしたままカーブを抜け──》
(ココ!!)
『大逃げ』
『先駆け』
カーブを抜けコーナーの入り口が目の前に見えた瞬間に、踏み込みを強くし加速する。
脚は動くが、ここまでの力を日本で込めたらスパートと同等の速度すら出せる。それほどの踏み込みをエプソムの地は私に要求する。
しかし、スパートと間違うほどの力を込めた加速をしたためか、競り合っていた5番の娘の反応が遅れたのを感じる。
「嘘!? まだ上がるの!?」
驚く5番の声を後に、速度を上げる。
一瞬付いてくるようなつよい踏み込みを感じたが、コーナーが近づく事に自分では曲がり切れないと判断したのか、徐々に足音が遠ざかっていく。
『2番この速度は掛かっちまったか!? こんな速度でコーナーに突っ込むのか!? 5番はさすがに諦めて番手に落ち着いた!』
目の前には
つまり、普通なら曲がり切れず大きくインから外に膨らむ逸走をするレベルでギリギリだ。
だからこんな速度で走っていたら普通は速度を落としつつコーナーを曲がるだろう。私と競り合った5番のように。
だけど、私は
私の視界の横にピッタリとコーナーのラチが入った瞬間、身体を倒す。
膨らむ遠心力に逆らうように、走る先を見据えながら、ラチギリギリまで顔を寄せ身体を倒す。
一瞬、サンデーさんの言葉が頭をよぎる。
『だからあのコーナリングができるお前はな、根本的に自分の身体の事なんか、命なんか気にしてないはずなんだ。
確かに、私は普通じゃないのかもしれない。
頬をかするほど近くまでラチに顔を寄せて、恐怖はない。
ラチが頬をかすり、若干血が出てもそこに驚愕も恐怖もなにもない。
あるのは、たった二つ。
それは、先頭で風を切る快感。そして──
『ま、曲がったー! 2番ほぼ経済コースでコーナーを駆け抜けていく──!!』
曲がり切った時の達成感。
コーナーを曲がりつつ後続を確認するが、
『しかし後続も続々とコーナーに入っていくぞー! 現在の序盤に競り合った2番と5番に釣られてか、今年のダービーはやけにハイペースだ!!』
ラビット役の5番の娘が私との競り合いのせいで時計を狂わされたのだろう。私の加速に付き合ってしまった結果、本来先行集団として走るべき集団も含めかなりのハイペースになってしまっている。
ハイペースは後方脚質のウマ娘次第と言われることが多い。基本的に前方脚質のウマ娘が有利と言われるが、周りのペースに惑わされず、自分のペースを貫き、1着との差をキチンと計算してスパートをかけられる後方脚質のウマ娘にとっては、自分以外が勝手にスタミナを使ってくれているボーナスステージのようなモノだ。
しかしシニア級ならばともかく、クラシック級でそこまでのレース勘が鍛えられているウマ娘はほぼ居ないだろうと予想される。故に、私にとっては追い風であると判断。
若干速度を緩めて
元々エプソムのコーナーは第2コーナーまでしかない分大回りで曲がりやすい。そのため速度が出ていても曲がり切るのは容易いのだが、エプソムはコーナー自体が上り坂になっている上、ゴール前にも上り坂が待っているため、そこまでのスタミナを確保しておくために結局他と変わらないか、それ以下の速度で回ることが多い。
私もミホノブルボン先輩に習った坂路トレーニングのお陰で坂は苦手では無いが、ゴール直前の坂に備えてスタミナは多い方が良い。
『先頭の2番がそろそろコーナーを抜けるぞ! 二番手の
いつものように、5バ身以上の差は付けられてないようなので油断はできないが、コーナー出口から最終直線の途中までは下り坂となっている。
そのため最終直線に入ってから数百メートルだけだが、
ここでスタミナを少しでも蓄え、最後の坂を駆けのぼる。
そうすれば、私の勝ち──
『続々と最終コーナーを抜け、最後の直線に入る──っ!』
──だと思っていたのに。
『ここで番手の9番加速する! 2番を追う──いや追い越すためにスパートを始めた!!!!』
次回は12日の12時に投稿しますが、見ても見なくても良い内容になってます。
見ると、オリジナルウマ娘への解像度が上がるかな、くらいです。