ストック分は連続更新するからゆるして…
第一話 米田 佳という少女
「なあ、サッカーやろうぜ!」
なんて、二語だけの台詞で突然男の子に迫られて、まともにお返事ができる女の子はいったいどれだけいるでしょう。
しかもその男の子はがらがらがしゃーんと薙ぎ払うみたいに教室の戸を引き開け登場し、集まるクラスの皆さんの視線なんて意にも介さず一直線に私の席に突き進んできた挙句、机がガタンと揺れるくらいに強く手を突き言ったのです。
彼と私は同じ雷門中の二年生ではありますが異性であり初対面で、普通であれば『初めまして』と挨拶をするところから始めるべき間柄。
私はそこまで気が小さくはありませんが、かといって平然としていられるほど図太くもないのです。故に、悪びれもせずに目を煌めかせて返事を待つ彼に、私、
「……はい?」
ちゃんと日本語で話してくれませんか、と。
西日も傾き始めた下校時刻過ぎ。帰宅部の私はちょうど帰り支度を整え終え、席を立とうとしたところ。早く家に帰りたいのに通せんぼされて、ちょっとイラっとしていたのは否定しません。だから一語の中に煽りっぽく押し込めたのですが、しかし目の前の非常識の権化にはどうやら通じていないらしく、繰り返してきます。
「だから、サッカーやろうぜって! なあ、どうだ?」
「……どうだって言われましても」
意味不明ですとしか返しようがありません。そもそも『サッカーやろうぜ』って、言葉が少なすぎでしょう。何を言いたいのかさっぱりです。
もしかして、会話ができない感じの人なのでしょうか。であるなら、もうその真意を読み解くのは諦めて、さっさと自分の教室にお帰りいただくべきでしょう。周囲のクラスメイトの皆さんの視線も気になってきましたし、優しい優等生という私の評価のためにも、適当にあしらって追い返すのが一番です。
しかしそれを口に出す直前、彼が乱暴に開け放った教室の扉に、今度はよく見知った女生徒が現れました。
「失礼します……あ、円堂くん! やっぱりここに……。佳ちゃんには私から話すって言ったのに」
「あら、秋さん?」
私の幼いころからの友人である、木野 秋さんでした。
遠慮がちに教室に足を踏み入れた彼女は、男の子と同じく私とは別のクラスの生徒です。しかし他人ではなく友人であり幼馴染。あまり忙しくない時は、彼女がマネージャーをしているサッカー部の話題とかで盛り上がりつつ、一緒に下校したりもする仲です。
その縁で、ふと思い出しました。
(あら? サッカー部……“円堂くん”って……ああ、なるほどです)
秋さんの口から聞く機会の多い名前だったような気がします。そこからどんどん繋がって、ようやく彼の、円堂さんの『サッカーやろうぜ』の真意に理解が及びました。
「『サッカーやろうぜ』って、そういうことですか。円堂さん、私をサッカー部にスカウトしちゃいたいんですね」
あの二語は、気持ちがはやった故の圧縮言語であったわけです。
そしてどうやらそれは正解で、より一層テンション高く、円堂さんは私に迫って言いました。
「そう! そのとーり! 今どうしても部員が必要でさ、入ってくれよ、俺たちのサッカー部に!」
「いきなりだったから頭のおかしな人なのかって思っちゃいましたけど、よかったです。おバカはおバカでもサッカーバカの方だったんですね」
「え? バカ? まあ、授業の成績はあんまりだけど……?」
「そういう意味じゃないよ円堂くん……。もう、佳ちゃんには私から話してみるって言ったのに、勝手に一人で行っちゃうから……」
「いやぁ、悪い。でもようやく“部員になってくれるかも”ってやつが見つかったって思ったら、いてもたってもいられなくってさ!」
秋さんも私の机までやって来て、呆れ顔で円堂さんにため息を吐きました。そしてそれに笑って謝る円堂さん。先生とかが相手なら拳骨が飛びそうな謝り方ですが、「しょうがないなぁ、もう」と困った顔で許す秋さんを見るように、こういうのはもう日常茶飯事なのでしょう。
そしてその諦めと慣れの中には、ちょっとした甘さも混じっていました。秋さんから円堂さんの話をよく聞くのはつまるところそのせいなのですが、しかし衆人環視の中でそこに突っ込んではさすがに秋さんがかわいそうです。いじわるしたくなる気持ちは抑え込み、同じく秋さんとのおしゃべりの中、彼女がぼやいていたことを思い出して続けます。
「で、入部してほしいってことですけど……理由はやっぱりあの件だったりしちゃいます? 確か……帝国学園でしたっけ。すごく強い学校なんですよね? 練習試合をすることになったんだとか」
「ああそうなんだ。木野から聞いたのか?」
「あー……そういえば、この間、一緒に帰った時に愚痴っちゃってたかも……」
「そうそう、それです。部員が足りないんですよね?」
確か現在、円堂さんを入れても七人しかいないのだとか。その人数ではそもそも試合自体ができません。
「そうなんだよ! だから俺、試合までに部員を集めないといけなくてさ……」
「でも、私を入れても八人でしょう? サッカーに必要な人数、十一人だったと思うんですけど」
「大丈夫! 部長として責任もって、あと三人も必ず連れて来る! どこかに一緒に戦ってくれる仲間はいるはずさ!」
なんて胸を張りますが、実態はつまりノープランな模様。円堂さんは確かにサッカー部の部長で、さっきのぐいぐい来る感じからして物怖じもしなさそうですが、だからといって本当にあと三人、集められるものでしょうか。
疑問、というか不安が残ります。だって対戦相手である帝国学園は、私でなくても知っているほどの有名校であるのです。
「少年サッカー界最強、なんて言われちゃってますものね、帝国学園って。対して雷門サッカー部は……お二人の前で言っちゃうのはアレですけど、すっごく弱小。勝ち目のない試合に手を貸そうって人がいるかしら」
「うっ……それは……」
かたや最強――フットボールフロンティア、少年サッカーの全国大会において四十年近く無敗を誇っている超強豪校。対して我らが雷門は人数も足りず、大会どころか練習試合の一つもしたことがなく、挙句練習場所のグラウンドすら碌に借りられないほどの超弱小。明らかな負け戦に出たいと思う人はそういないでしょう。
それにこの練習試合、聞く限りでは帝国側から申し込まれたものであるらしいのです。超強豪校が超弱小校に試合を申し込む目的なんて、そんなの大勝ちしてチームの調子を上げたいとか、そんな感じのことに決まっています。つまり、雷門はただ負けるだけではなく、ボッコボコにされる可能性が高いのです。
「……そもそも、人数も足りないのなら練習試合なんて受けないのが当然だと思うんですけど……今からでも試合をお断りしちゃったりできないんですか? 試合の日程、いつでしたっけ」
「……明後日」
「あらまあそれは……手遅れみたいですねぇ」
「……本当なら佳ちゃんの言う通り、こんなことになる前にお断りしたかったんだけど、雷門さんが……」
「雷門さん? それって雷門 夏未さんですか? うちの学校の理事長の娘さんだっていう……」
時に校長先生すら顎で使うくらいの、正真正銘のお嬢様。ついオウム返しにしてしまいましたが、聞くまでもないでしょう。この学校で雷門の名字を持つのは、あの、私たちと同級生のあの子だけです。
そしてそれ故に、秋さんが練習試合を断り損ねたその理由も、なんとなく察しがつきました。
「……もしかして、あの子に何か意地悪言われちゃったとか? 『理事長の言葉と思ってもらって結構です』、とかなんとか、言っちゃいそうですもんね、あの子」
「まあ……そうなの。うちみたいな弱小部に回す予算がもったいないから、もしこの試合に勝てないようならサッカー部を廃部にするって……」
徐々に秋さんの目線が下がっていきます。つまり、そう脅されてしまったのです。そしてその言葉が脅しに留まらないことは、彼女の肩書からしてたぶん間違いないでしょう。
秋さんと円堂さんは、そんな状況に追い込まれてしまっているのです。
なるほど、と思いました。
「だから私が必要なんですね。……サッカー経験がある私が」
「ああ! 木野がサッカーが得意な友達がいるって教えてくれてさ! びっくりしたよ、今までそんな話、聞いたことなかったから!」
「………」
一瞬で調子を取り戻した円堂さんが言うのと同時、今度は秋さんが気まずそうに私から眼を逸らしました。
それもそのはず。私と秋さんとの間では、私が過去にサッカーをしていたこと、そしてそもそもサッカーの話題自体が、なんとなく口に出し辛い雰囲気になってしまっているのです。
私がサッカーをしていたのは、ちょうど秋さんがアメリカで暮らしていた時期。なのでもちろん秋さんは私がサッカーをするところを直接見たことはなく、代わりに当時頻繁に交わしていた手紙によって、秋さんは私のサッカーの諸々を知っています。
私がサッカーを始め、すぐにチームのエースになったことも。小さな大会でチームを優勝に導いたことも。
そしてその後、サッカーをやめてしまったことも、覚えているでしょう。
秋さんの方も現地のお友達と一緒にサッカーに熱中していたので一時期は手紙の九割八割がサッカーの話で埋め尽くされたりもしましたが、私がサッカーをやめてしまってからは一転。彼女の方も何か思うところでもあったのかサッカーの話をしなくなり――特別秘密にしてほしいとか、サッカーの話をしたくないとか、そういうことを言ったわけではありませんが、以来お互いにそれを引きずっているわけです。
なので私も口にするのに少し息苦しい思いをすることになりましたが、秋さんはどうやらそれ以上であるようで、すこぶる気まずそうに口をもごもごさせた後、ようやく目が私へと向きました。
「あの……佳ちゃん、ごめんね? 勝手に話しちゃって……」
「いえ、その……別に話さないでって言ったわけでもないですし、いいですよ、そのことは。
それよりも……そう、円堂さん。秋さんから聞いたのならわかってるとは思いますけど、私、サッカー経験があるとは言っても最後にやったのはずっと昔なんです。正直、お二人が期待するような活躍なんてできないと思うんですけど」
いたたまれなさにケリを付けるべく微笑んで、次いで円堂さんへと話しを戻しました。
実際、当時から今日までサッカーボールを蹴ったことすらありません。もしも円堂さんが過去の私の活躍を聞いて、『米田さえいれば帝国に勝てる』なんて思ったのなら、そこは認識を改めてもらわないと困ります。昔はまだしも、今の私はサッカープレイヤーとしては腕が錆びつきすぎているのです。
それに、何よりもまず、最初に抱いた不安がまだ残っています。
「廃部がかかってるんだから必死になっちゃうのはわかりますけど……けど実際、私以外の当てはないんでしょう? おまけにさっきも言ったように、相手だってすっごく悪いのに」
そもそもからしてこの話が無駄ではないかという、その点。それに対する返答をまだ聞いていません。ただまあ、想像できますが。
そして実際、想像通りに円堂さんは私に手を差し伸べてきました。
「……ああ。確かに、入部してくれる奴がいるかはわからない。勝てるかもわからない。けど……頼む! 俺を信じて、一緒に戦ってくれ!」
「『俺を信じて』、ねぇ……」
要するに、部員の件にも試合の件にも勝算はないということです。繰り返されるのはただ無根拠なだけの言葉。わかってはいましたが、やはりそれだけでした。
そう、わかっていたのです。最初に円堂さんが苦虫を噛み潰したような顔をした時から、察しが付いていたことです。そしてそんなものを、そんな手を、私が取るはずがありません。
そのはずなのに、わかっていた答えを私は尋ねました。
心が、さっきからほのかに揺すられ続けているからです。存在しないはずの、円堂さんへの信用によって。
一考にすら値しないと彼の手を払う理性と同時に、その根拠のない言葉を“信じてもいいかな”と、そう思っている自分もいたのです。
――たぶん、これは秋さんのせいなのでしょう。彼女から聞いた円堂さんのサッカーバカな性格、そして実績。サッカーから離れていた秋さんをマネージャーとして引き戻したのも、入学時には存在していなかったサッカー部を立ち上げたのも彼です。
彼ならばやってくれるのでは、なんて、下校中の会話の末に私の深層心理に刷り込まれてしまったに違いありません。
「なんならこの試合限りの助っ人でもいいんだ! 無茶な働きも求めない! 帝国との試合が終わった後にも入部しろなんて言わない! そりゃ入部してくれるならそのほうがいいし、それだけの実力があるのにもったいないとは思うけど……でも、嫌なら無理には誘わない! 約束する! だから頼む!」
「……私からも、お願い佳ちゃん……! 私、サッカー部を廃部にしてしまいたくない……守るチャンスがあるのに、それを諦めてしまいたくないの……! お願い……!」
円堂さんと秋さんは、そう、一緒に私へ頭を下げてきました。
するとその背の向こうに見える、興味津々な様子でこちらを窺い見ているクラスメイトの皆さんたち。私と眼が合うと慌ててそっぽを向きますが、しかしまあ、明日のクラスが私たちの話題で持ちきりになってしまうことは明白です。もし私がここで断れば、頭を下げるお友達の頼みも断ってしまう非道な女子、だとかなんとか変な評価をされてしまったりもしてしまうかもしれません。
それはちょっと困ります。私はこれでも成績優秀品行方正な女子生徒でやってきているのです。
という、世間体の心配が、結局決め手になりました。秋さん由来の円堂さんへの信用もありますし、私も別に、やめたとはいえサッカーをすること自体に思うところがあるわけではありません。
「それに、他でもない秋さんのお願いですからね」
「け、佳ちゃん……!」
「じゃあ……!」
助っ人でいいと言われればなおのこと、もうお断りする理由もありませんでした。
「わかりました。あんまり役に立たない助っ人でいいのなら、私もいいですよ。帝国学園との練習試合、出場してあげちゃいます」
にっこり言ってあげると円堂さんの顔がぱあっと輝き、
「――やったあぁっ!!」
喜びが、一気に噴き出すように爆発しました。両手を突き上げ喜ぶ雄叫びのようなその声はやかましく、至近距離で聞かされた私はちょっとくらくらしてしまうほど。秋さんは円堂さんほどではないにしろ嬉しそうに、しかしまだちょっとだけ心配そうに眉尻を下げ、それを私に向けました。
「……お願いした手前で聞くのも変な話だけど……佳ちゃん、ほんとにいいの? サッカーやめちゃったのに、私たちのために戦ってくれるなんて……」
「ええ、別にそれくらいなんでもありません。ああでも、ユニフォームとか着るものは新品のにしちゃってくださいね? さすがに人のは嫌ですから」
「それはもちろん。使ってない背番号のが何着かあるから大丈夫。スパイクは……私のでいいかな。最近はあんまり使ってないから、きれいだと思うけど」
「ならお願いしちゃってもいいですか? さすがに私が昔履いてたのはもう入らないでしょうし。というかたぶん捨てちゃってますし」
まだ何か気にしているのか、念押ししてくる秋さんの声色は思っていたより沈んでいましたが、それも一時のこと。私との受け答えをするうち回復していき、その表情に純粋な笑みが戻ります。
「……うん、わかった。佳ちゃん、ありがとう」
「いえいえ」
よくわかりませんが納得できたようで何よりです。そしてその期待を裏切らないためにも、期間は足りませんが少しでも練習をしておくべきでしょう。今日はまっすぐ家に帰るつもりでしたが、予定変更です。
ボールを借りて、まずは自分の身体がどれくらいサッカーを覚えているか確かめてみることにしましょう。そう思い、言おうとしたのですがその前に、喜びを露にしていた円堂さんが勢いよく、私の手を掴んで言いました。
「よし! じゃあ早速練習しようぜ! グラウンドは空いてないけど、河川敷にいい場所があるんだ!」
「え、円堂くんっ!?」
机の上の私の手をぎゅっと包み込むように握り締める円堂さんに、秋さんが一発で動揺してしまいます。若干声を裏返えらせてしまっていますが、安心してください。たぶん円堂さんに
手はすぐに離れ、円堂さんは私たちに背を向け言います。
「俺先に行ってるから、早く来いよ――
そしてあっという間に教室を出て行きました。「廊下を走るな!」と一喝する生活指導の菅田先生に平謝りする声が遠ざかっていきます。
なので、代わりに秋さんに聞きました。
「……“べーた”、って、なに言っちゃってるんでしょう? 『サッカーやろうぜ』もそうですけど、ほんとうにわけがわからない人ですね」
「ええっと……たぶん、佳ちゃんのことなんじゃないかな。ほら、“
……どうやら円堂さんは国語が苦手なサッカーバカみたいです。文句と訂正をしなければと頭の中に留めつつ、私は鞄と、そして体操着を取りにロッカーへ向かいました。