河川敷を飛び出した壁山さんは、その後も結局、戻ってくることはありませんでした。
最も特訓をすべき人がいなくなってしまったために、なし崩し的にその日の練習も終了。『米田お前、壁山に何か変なことでも言ったのか』なんていう全くの濡れ衣な疑いを向けられたりもしながら、私たちは学校へ戻ることになりました。
そして今、私は日が落ちかけな夕闇の中、家路を歩いている最中です。片付けがあるからと残った秋さんと別れて一人トボトボ進みつつ、気付けば口から大きなため息がもれてしまいます。
「はぁ……結局、なんだったんでしょう壁山さん」
部室で着替えた男子たち曰く、壁山さんの荷物は彼らが学校に帰り着いた時には既になくなっていたそうです。つまりとっくに帰った後で、私に向けられたイジメの疑惑は未だ解けぬまま。奇行の理由もさっぱり不明な状況で、心は重たくなる一方です。
【イナズマ落とし】に疎外感にと、もう、今日はなんだか何も上手くいきません。
「はぁ……」
気を抜けばいくらでもため息が出ちゃいます。そのことにまたため息が出そうになる無限ループに陥りかけて、その時ふと、背後から車の音が聞こえてきていることに気が付きました。
ここは結構狭い、どちらかといえば路地と言ったほうが正しいような通りです。ちゃんとした広い道路を走ればいいのに、とやさぐれ気分になりつつ道の端に寄ってやり過ごそうとしたのですが、しかし車の音はなぜだか徐々に減速し、やがて私の隣で停車しました。
やさぐれ気分が掻き消えて警戒心が湧きました。が、それも一瞬だけで、すぐにまたまたため息に変わりました。
黒い高級車、いわゆるリムジンの窓が開いて見えたのは、今日で随分見慣れてしまった雷門さんの顔だったのです。
「なんだ……雷門さんですか」
「『なんだ』って、随分な物言いね。せっかく声をかけてあげようと思ったのに」
「そうなんですか。それはどうも、ありがとうございます。誘拐でもされちゃうんじゃないかってびっくりしちゃいました。ほら、私ってかわいいですし」
「あら、そんなに心配ならいっそ送って差し上げましょうか?」
「遠慮しちゃいます。……それで、どういうご用なんです? 姿が見えたからっていうだけで声をかけちゃうほど、私たちって仲良くはないじゃないですか」
車の窓から顔だけ出した雷門さんは談笑するつもりであるのかもしれませんが、今の私はとてもそんな気分にはなれません。それにそこまで仲良くもないことも本当なので言い訳にして歩き去ろうとするも、続く雷門さんの、憮然とした中に若干の心配が混ぜ込まれた声色に、思わず足が止まりました。
「……【イナズマ落とし】だったかしら。あの特訓、途中までしか見ていないけれど……気になったのよ。あなた、何か悩んでいるでしょう? あからさまに落ち込んでいるみたいだし」
話なら聞くわよと、そう言いたいようです。読み取って、その瞬間はもう一度『遠慮しちゃいます』と繰り返しそうになりましたが、直前に踏み止まりました。
雷門さんは雷門サッカー部、皆さんの事情を知っているものの、関係者ではありません。であるなら、この私の心のもやもやも、相談して許されるのではないでしょうか。
気落ちのあまりにそんなふうに血迷って、気付けば私は「例えば、なんですけど……」と切り出していました。
「雷門さん、もし……もしもあなたが、あなた以外の全員が気に入っているものを一人だけ良く思えなかったら……どうです?」
「……『どう』って?」
「私だけ仲間外れ……みたいな感じに、なっちゃったりしません?」
言ってから気が付きました。これでは『例えば』の前置きが全くの無意味です。改めて子供みたいな疎外感の告白が恥ずかしくなり、思わず雷門さんから顔を逸らしてしまいました。
しかし、たぶん顔以外も赤くなっていたでしょうが、雷門さんは私の赤面から何かしら感じ取ったのか、揶揄ったりはしてきませんでした。
彼女は少しの間、考え込むように口を閉ざし、それから静かに息を吐きました。
「……まず言っておくけれど、私はサッカーのことはよくわからないわ。だからあなたの
またも一呼吸。その間で私も気恥ずかしさを呑み込んで、背けた顔を元に戻します。そして、じっと微動だにしない視線の雷門さんが言いました。
「それは“仲間外れ”ではないわ。ただの意見の相違、気に病むようなことではないわね」
「……まあ、そうですよね」
そりゃそうです。呑み込んだ気恥ずかしさがぶり返し、たちまち顔に溢れる、その寸前。
「けれどあなたがそれを“仲間外れ”と感じる理由も、私は理解できているつもりよ」
続けて彼女は言いました。
「なんというか、初めてあなたたちを見た時からずっと感じていたのよ。あなたと円堂くんたちが、一緒になって何かをしていることへの……そう、違和感。全く毛色が違うのに、どうしてああも仲良くやっていられるのか。傍から見てると不思議なくらいなのよ、あなたたち」
「そう、なんですか……? 私と円堂さんたちが……要するに、仲間に見えないってこと……?」
言ってしまえば敵同士。例えば雷門メンバーの中に帝国選手が一人混ざっているような、そんな感じに見えていたとでも言うんでしょうか雷門さんは。
それはちょっと……正直、ショックです。そして私自身も雷門さんのその感想を理解できなくはありません。少なくとも、隔意は確かに感じたのですから。
「それじゃあ、私は……」
この疎外感は、永遠にどうしようもないものだったりするのでしょうか。
「けれど実際は、あなたたちはサッカー部の仲間なんでしょう? 尾刈斗の時も、もめていたけど、結局うまく転んだじゃない」
(それは……確かに)
そうです。あの時も仲間外れ、雷門さんが言うところの意見の相違が染岡さんとの間に起こりましたが、それを引きずったりはしていません。ちゃんと解決できました。
例え傍目からは敵同士に見えていようが、私は今日まで、円堂さんたちと同じチームでやれています。
「だから要するに、私やあなたのこの感覚は大して当てにならないってこと。心配しなくても、またそのうち勝手に解消するんじゃないかしら」
しかし、つまりそれは“私の気にしすぎ”ということ。雷門さんの口から出たのは、はっきり言ってしまえば私の欲しかったものではありません。慰めなだけの言葉です。
ただ、だからこそ誠実で、気遣いの暖かさがよく感じられるものでした。
であれば、これ以上不安を漏らして彼女を困らせるのも申し訳なくなってくるわけで、そこで私はようやく、もやもやを益体のないものと切り捨てる決心をすることができたのでした。
「……そうですよね」
無理矢理に思考を断ち切って、私は再び彼女の車に背を向けました。
後に残ったのは思春期の悩み相談をしたような、というかズバリそのものな羞恥心をどうにか口から追い払うべく苦心しながら、たぶんおそらく間違いなく、今度こそニヤニヤしているに違いない雷門さんへ、渋々ながらお礼を言います。
「……一応、ありがとうございます。励ましてくれて。ちょっとは気が楽になっちゃいました」
「そう? なら、わざわざこんな狭い道に車を行かせた甲斐があったわね」
言った、その時でした。
「……あれ? 土門さん?」
ふと視界に見知った顔があることに気付きました。ユニフォーム姿のままで、何か人目をはばかるようにきょろきょろとあたりを見廻しています。
しかし私たちの存在には気が付いていないようで、彼はそのまま角の向こうに行ってしまいました。姿が見えなくなって、遅れて私の首が傾きます。
「……? 土門さん、まだランニングでもしちゃってるんでしょうか。もう遅いのに。……むぅ、ちょっと気になりますね。なので私、ちょっとお話してきます。雷門さんもまた学校で」
「え? ちょ、ちょっと!?」
正直そこまで土門さんが気になったわけではありませんが、これ以上雷門さんと会話を続けていれば、せっかく断ち切った思考が元に戻ってしまいそうだったのです。だから言い訳にしてさっさと雷門さんも振り切って、私は土門さんを追って角の小道に入りました。
傍の雑木林から差し込む西日でそこは思いのほか明るく、電信柱の陰にいた土門さんのことも、すぐに目につきました。見つけたと同時に声が出ます。
故に彼の奥にもう一人、思いもよらぬ人物がそこにいたことに気付いたのは、彼へと呼び掛け手を振った、その後のことでした。
「土門さ――ん……?」
「よ、米田ッ!?」
「ッ!」
見慣れた顔ではありませんが、はっきりと覚えています。ゴーグルにドレットヘア、帝国学園の鬼道さんが、土門さん共々驚愕に満ちた表情で私を見つめていました。
それも合わさり、私の頭の中に疑問がたくさん駆け巡ります。なぜ鬼道さんがここにいて、なぜ土門さんと密会なんてして、なぜ土門さんはああも怯えた表情をしているんでしょうか。
それらが過去の彼の言動と混ざり、そして呆然と言葉を失って数秒、私は気付きました。
「もしかして、土門さん……」
帝国学園から送り込まれたスパイだったりするんでしょうか。
元々彼は以前の学校でもサッカー部員であったと聞いています。鬼道さんとの関係があるのなら、その学校とは帝国学園なのでしょう。そして帝国自体、最初に雷門に練習試合を挑んできたのは豪炎寺さんの実力を確かめるためであり、再確認が終わったなら、今度は監視をしておきたいと思うのはおかしくない流れなんじゃないでしょうか。
少なくとも、土門さんは鬼道さんたち帝国学園と通じている、というそれは、間違いのない事実です。それを裏付けるように、土門さんの怯えが罪悪感という形を帯び始め、やがて言葉に変わりました。
「米田……お、俺……っ!」
が、それ以上の懺悔が行われる前に、
「――米田さん? 土門くんは捕まえられた?」
通りの方から近づいてくる雷門さんの声が、土門さんの背を跳ねさせました。
鬼道さんもほんの一瞬身を凍らせてしまうもすぐに我に返り、電柱の陰に身を押し込めて、その直後に雷門さんがこの小道に入ってきます。その眼に私と土門さんだけを認めた彼女は、そこで露になった黒い関係のことなど少しも気付かず、しかし私と土門さんの間に言葉を交わした痕跡が見えないことには気付いて不思議そうに首を傾げました。
「……あなたたち、何をしているの? そんな変な顔をして」
「えーっと……。土門さんが私に気付いていないから、こっそり近づいて脅かそうとしてたんですよ。雷門さんのせいでパァになっちゃったと思ったけど、結果的には大成功ですね」
土門さんの怯え顔は雷門さんに驚いたためだと、咄嗟にそんな嘘をつきました。
帝国学園のスパイである土門さんを庇う行為です。ですが彼は秋さんの幼馴染。売るような真似をするのは憚られましたし、それに土門さんの表情に罪悪感を見てしまえば尚のこと、真実を言うことはできませんでした。
そんな一瞬の感情からの判断。数舜後に遅れてチームへの不義理に対する躊躇が追い付いてきましたが、しかし今更言葉は取り消せず、そして土門さんも心を決めたのか無理矢理に笑って言いました。
「あ、あっははは! 脅かそうだなんてひどいな米田! 雷門サッカー部には新人いびりの慣習でもあるのか?」
「……いえいえまさか、うちのサッカー部はそんな陰湿じゃありませんよ。雷門さんじゃあるまいし」
「ちょっと、私にだってそんな趣味はないわよ! これは……偶然よ偶然!」
土門さんほどではありませんが動揺し、うまく言えたかわからなかった冗談ですが、雷門さんの反応を見るにきちんと笑えていたみたいです。
それで私自身の負の思いもまとめてうやむやにすることに成功し、ついでに鬼道さんが隠れているはずの電柱からも雷門さんの意識を離せて安堵した、その時でした。
「なあなあ、今雷門サッカー部って言った? お前ら、にいちゃんのチームの選手なのか?」
知らない子供の声でした。私たちが入ってきた通りの方から聞こえたそれに、振り返って目を向けます。
するとやはり、そこには見知らぬ男の子――ともう一人、こっちはよく知る巨漢の男子、びっくりするくらいに青い顔をした壁山さんの姿がありました。
「よ、米田さんっ……!!」
「へえ、こいつが米田か! お前、にいちゃんに憧れてサッカー部に入ったんだよな!」
「……はい? 憧れて……?」
『にいちゃん』というからには、男の子は壁山さんの弟さんなのでしょう。よくよく見れば、体形はともかく顔がよく似ています。
身長的にはたぶん小学生くらい。私も小さな子の態度なんかに目くじらを立てたりはしませんが、しかしそれはそれとして理解不能です。彼の兄である壁山さんに憧れて私がサッカー部に入部した、というのはいったい何の話なんでしょう。
「あの、壁山さん、これはどういう――」
出くわしたからにはさっきの練習中、急に声を上げて逃げたしたことについても尋ねたくありますが、まずはこっちです。今度こそ逃げられないようにと距離を詰めますが、しかし彼の下までたどり着く前に、汗が滴るほど焦りまくった壁山さんが、いかにも大慌てで弟さんの肩を掴んで声を上げました。
「さっ、サクっ! 米田さんたちのことよりも……なっ! は、早いところ家に帰るぞ! 腹減ったし、それに……ええっと……」
「なあお前、にいちゃんのこと好きなんだろ!?」
「さっ、さささ、サクぅ!?」
建前を見つけられずに途中で勢いを失った壁山さんの静止は、弟さんを止められませんでした。その口から飛び出す、さらに突飛な理解不能の台詞。おかげで壁山さんの顔から一段と血の気が引いてしまいましたが、弟さんはそんなことに気付きもせず私へと詰め寄って、ウンウンと自慢げに続けました。
「そうだよな! だってにいちゃん、みんなを引っ張るエースストライカーなんだもん! 好きになるのも当たり前だ!」
「え、エースストライカー? 壁山が?」
話がどんどんわけのわからない方向に進むせいで、様々な感情に襲われているはずの土門さんからも、とうとう唖然とした声が聞こえてきました。そしてそれは、やがて雷門さんにも。
「そうだ! にいちゃんはスゲーんだぞ! あの帝国学園に勝ってから、ようやくみんなにいちゃんのすごさがわかってきたんだな! ……今なんて、にいちゃんを中心にすっごい必殺技の特訓中なんだろ? にいちゃんの必殺技があれば、今回だって楽勝だ!」
「え? ……ええ、そうね……?」
「ああ! そっちのガリガリもサッカー部なんだろ? 大会の予選はもうすぐらしいけど、にいちゃんの足だけは引っぱるなよ!」
「お、おう……頑張るわ……」
そうして土門さんの顔に引き攣った笑みが浮かぶ頃になって、ようやく壁山さんが実力行使に移りました。
「さささささ、サクっ!! そうだなっ、もうすぐ大会だなっ! だから俺、こいつらの練習を手伝ってやらないといけないんだっ! すっかり忘れてたっ! だっ、だから先にさっ、先に一人で家に帰っててくれないかっ!!?」
「え? う、うん、わかった。じゃあなお前ら、にいちゃんを見習ってしっかり練習しろよ!」
壁山さんの剣幕は、さすがの弟さんにも届いたようです。言葉の通り尊敬されているようで、素直に聞き入れた彼はやはり不遜な挨拶と共に通りへと去って行きました。
その頃になって、ようやく私も悟りました。弟さんの狂言の理由、それは壁山さんなんじゃないでしょうか。
「……兄の威厳を保つための虚言が、行く所まで行っちゃったって感じかしら」
「そ、その……その通りッス……」
思った通りだったようです。
「あ、あの……米田さん、そのことなんッスけど……色々、内緒に……」
「ええ、別にあなたの弟さんに何か言う気はありませんよ。私があなたのことを好きだ、とかいう勘違いさえ訂正しておいてくれちゃえば」
「そ、それはもちろん! しっかり言っておくッス! それで……あの、もう一つの方も……」
「『もう一つ』?」
「あっいえ、何でもないッス!」
小声で「バレてなかったみたいッス……よかった……」なんて、何を安堵しているのか知りませんが、とにかくこれで、彼はもう逃げだしたりすることはないでしょう。
「じゃあ威厳を保つために、明日からはちゃぁんと【イナズマ落とし】の特訓、しなくちゃですね」
弟についた嘘を本当にする必要があるのですから。
とにかくさっさと【イナズマ落とし】を完成させてしまうため、私はそんな脅しをかけることに成功したのでした。
しかし結局、私たちは試合当日までに【イナズマ落とし】を完成させることができませんでした。
そうなってしまった原因は、やはり壁山さん。私に脅された彼はまじめに特訓を繰り返し、やがて橋の下で見せたような十分なジャンプ力を身に着けたのですが、しかしその後、私と実際に合わせて一段目の足場になる段階になって発覚してしまったのです。彼のその、極端なくらいの高所恐怖症が。
上になる私が気にでもなるのかどうしても下を見てしまい、身体がすくんでしまうのだとか。おかげで二段ジャンプするどころか私まで立っていられなくなって、もろとも墜落してしまう始末です。
もはや【イナズマ落とし】は絶望的な状況でしょう。それ即ち、もやもやの解消も絶望的。二重の意味で憂鬱になりつつ、そしてそのまま、私たちは試合の日を迎えてしまったのでした。