雷門中のベータちゃん! ~連載版~   作:もちごめさん

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Pixivにてファンアートをいただきました。
ここにリンクを張るのは規約等々が怖いのでアレですが、
嬉しかったことは共有しておきたいと思います。ありがとうございました。


第三十二話 内側の闇

「――いい感じですね、半田さん、宍戸さん。風丸さんも、新しい必殺技、完成したって言っちゃってもいいんじゃないです?」

 

 

 無人のゴールネットから零れ落ちてプスプスと薄く煙を上げるボールを捕まえると、火傷する一歩手前くらいの熱が手のひらを焼いてきます。

 つまり彼らの必殺技はそれほどの威力にまで成長を遂げたというわけです。ずっとその特訓相手をしてきた私は、達成感と共に安堵の息を吐くことができました。

 

 マックスさんや少林さん、影野さんたちのような他の皆さんが続々と必殺技の開発に成功する中、彼ら三人は少しばかり順調とは言い難い状況にあったのです。

 それが私のアドバイスやら何やらの口出し手出しを経て、こうして実戦にも耐えうる必殺技として完成させることができたのですから、感動もひとしおのこと。乗り掛かった船的に付き合っていただけではあるものの、苦労の分だけ我が身のことのような喜びです。

 当の三人も十分に手応えを感じることができたようで、彼らも私の言葉に嬉しそうな笑顔を作っていました。

 

 

「ホントに、今まで練習相手してくれてありがとう、米田。俺たちが必殺技を完成させられたのはお前のおかげだよ」

 

「米田がアドバイスしてくれなかったら、どういう必殺技にすればいいかもわからなかったかもだしな。おんぶにだっこって感じで、ちょっと情けなくなくもあるけど」

 

「でもおかげでこんなすごい必殺技を手に入れられたじゃないですか! 秋葉名戸戦で足手まといになっちゃった分、これで名誉挽回です! 次の帝国戦は頑張りますよぉ!」

 

 

 元気もやる気もいっぱいに拳を突き上げる宍戸さん。しかし直後、「まあ俺、ベンチですけどね!」と自虐に走りだしてはそれも台無しです。

 風丸さんと半田さんが気まずげな苦笑いになってしまいますが、まあそれはともかく、メイド喫茶でハライタにされて返ってきたあの不名誉は、私としてもぜひ返上してほしいところです。アレはもはや個々人だけでなく、雷門サッカー部全体の汚点でしょう。

 

 しかし一方、私は彼らが汚点を拭えるとは――つまり順当にトーナメントを勝ち上がってきた帝国学園との試合で彼らが活躍できるとは、正直に言って思えないでいます。

 

 もちろん皆さんが活躍できるのであればそれに越したことはないのでしょうが、そんな未来はとても想像することができません。

 一度はボロボロに叩きのめされたあの帝国に、当時から比べれば格段に強くなったとはいえ元々が弱小である雷門が対等に戦えるとは思えませんし、それは必殺技があっても同じこと。試合日直前になってようやく完成した必殺技が、【キラースライド】のような長年磨かれ続けた必殺技に対抗できるでしょうか。

 

 圧倒的に熟練度が足りていません。

 とはいえ私が手を貸した完成度ゆえに、もしかしたらの可能性もなくはないのは確かです。それに、もう日がないとはいえ明日が試合日というわけではありませんし、来たる日までこのまま順調に鍛え上げることができれば、あるいは少しくらいなら期待だってできるでしょう。

 

 だからどのみちやることは一つ。その“もしかしたら”を信じて特訓あるのみです。

 足し引きで気持ちはけっきょく希望の側に傾いて、私は風丸さんたち三人の背を叩きました。

 

 

「さぁ、おしゃべりはそれくらいにして、練習を続けましょう。完成したとはいえ、必殺技を使いこなすにはまだまだかかっちゃいますから」

 

「ああ! 米田の【ダブルショット】みたいに、完璧な必殺技にしてやるぜ!」

 

 

 応じる半田さん。私を目標に定めるのは構いませんが、しかし私としては【ダブルショット】は完璧とは言い難いので何ともビミョーな心地です。最近ようやく長いブランクの分を取り戻したかなと思えるくらいであるのですが……まあこんなこと、言うだけ損でしょう。

 

 黙って、笑顔でやる気の三人に応じることにします。「じゃあまた私がボールを持つのでもう一度――」と、さっきまでと同じ練習を繰り返そうとした、その時でした。

 

 

「一段落ついたのなら、お前自身の練習をするべきじゃないか、ベータ」

 

 

 背後からの声に振り返れば、豪炎寺さんが難しい顔を私に向けていました。

 

 

「……仲間の特訓に付き合うのはいいが、自分をおろそかにしては本末転倒だろう」

 

「あー……そりゃそうだな。ただでさえ米田には世話になりっぱなしだったし……」

 

「そうですね。ここからは俺たちで何とかしますよ」

 

 

 お顔はいつも以上に硬くて威圧感すら感じられるほどですが、言ってることはまあ正論。風丸さんたちにも否定の材料なんかがあるわけもなく、ごもっともだと遠慮し始めてしまいます。

 

 けれどそれは私にとって迷惑でしかありません。私抜きでは、必殺技の形すら決まらず足踏みしていたあの頃の繰り返しにしかなり得ません。“もしかしたら”の可能性は一つもなくなってしまいます。

 それに別に、個人練習をおろそかにしている気は、私にはないのです。

 

 

「本末転倒も何も、私、ちゃんと練習しちゃってますよ? 風丸さんたちのお相手なんかは特にディフェンスの練習そのままですし……そもそも最初にウォーミングアップも兼ねて、皆さんでいつも通りの練習したじゃないですか」

 

 

 ボールタッチだったりドリブルだったりといった、いわゆる基本練習です。加えて私は日課として、【ダブルショット】や【スピニングアッパー】のレベルアップのために個人的に練習したりもしています。風丸さんたちのお相手はその後にしていることで、おサボりのいわれはありません。

 しかし豪炎寺さんはさらに眉間の皺を深くして、一言ずつ言葉を選ぶように言いました。

 

 

「……自分の能力だけでなく、仲間との連携力や……互いへの理解。そういうものを確かめる練習だって、重要だろう……?」

 

「……パス練習とかのことですか? それは確かに重要でしょうけど……」

 

 

 今は皆さん必殺技の練習中。私たちだけでなくそこかしこで似たようなことが行われている状況で、いったいどうやってパス練習なんてするつもりなのでしょうか。

 

 と、首をかしげかけ、その時ふと気付きました。というか思い出しました。

 以前、響木さんを監督にスカウトに行った円堂さんたちを迎えに行った時、聞こえてきた響木さんの『ベータは雷門イレブンを破壊する』を一緒に聞いた時。

 今、思い悩むふうな硬い表情で私を見つめている豪炎寺さんの眼は、その時のそれとよく似ている気がします。

 

 そこに気付いて、私も言葉に悩む豪炎寺さんが何を言いたいのかが理解できました。

 喉の奥に生まれた嫌なものを呑み下し、深呼吸してから口にします。

 

 

「……大丈夫です。わざわざ確かめなくても、試合になれば皆さんの動きは把握できちゃいますから。ちゃんと指示は出せますよ」

 

「……そうじゃない、ベータ。そうではなく――っ!」

 

 

 豪炎寺さんが何か言いかけますが、私はとてもこの話題を長く続ける気にはなれません。豪炎寺さんに一歩詰め寄り、言葉を遮ってから耳打ちをして終わらせます。

 

 

「――私、チームを壊したりなんてしません。ちゃんと皆さんを勝たせてみせますから。だから任せちゃってください」

 

「ベータ……」

 

 

 そのまま豪炎寺さんの横をすり抜け、彼の表情を見ないまま振り返ります。――いきなり耳打ちなんてしたせいでしょう、豪炎寺さんのツンツン頭越しに不思議そうな顔をしている風丸さんたちを見つけ、誤魔化すために「ところで」と声を張りました。

 

 

「次の対戦相手、帝国学園なわけですけど……土門さんってあれからどうなんです? 冬海のこともありますし、嫌がらせとかされちゃってたりしませんよね?」

 

「……えっ? なになに? ベータ、俺のこと呼んだ?」

 

 

 ベンチで休憩中だった土門さんへと話題を切り替えます。反応し、興味津々に近寄ってくる彼に同じことをもう一度繰り返すと、彼は「ああ」と鷹揚に頷きました。

 

 

「うん、びっくりするぐらいなんにもないよ。なんかしてくるだろうなって俺も身構えてたんだけど、全く必要なかったね」

 

「何よりです。鬼道さんが上手くやってくれちゃったってことなのかしら」

 

「かもな。最近連絡してないから、わかんないけど。……まあもし影山が何かしてきたとしても、今となっちゃ関係ないけどね。雷門のために全力で戦うだけさ!」

 

 

 言いながら若干表情が陰ったのは、裏切りをまだ気にしているせいでしょうか。しかしはっきりと言い切った土門さんは、それも“償いのために”と振り切った様子です。彼がスパイのことで悩むことは、きっともう来ないのでしょう。

 

 と、その時。その堂々たる宣言を傍のベンチで聞いていた音無さんの呟きが、偶然私の耳に入ってきました。

 

 

「……土門先輩は、逃げずにきちんと向き合ったんですね」

 

「……? 音無さん?」

 

「私も、もう逃げてばっかりじゃいられない……!」

 

 

 音無さんは深呼吸の後、静かに、しかしはっきりと呟き、意を決したような表情でフィールドへと入ってきました。

 こちらは一時中断中とはいえ、練習中のグラウンドに入るのは御法度です。マネージャーである彼女がそれをわからないはずがないのに、しかし構わず、やがて土門さんを追いかけ私たちの下までやってきてしまいました。

 ずっと土門さんを見上げたまま、彼女は言いました。

 

 

「土門先輩、『最近連絡してない』ってことは、やろうと思えば鬼道 有人と連絡を取ることはできる、ってことですよね?」

 

「え? あ、ああ。まあ、できるけど……?」

 

「呼びだしてくれませんか? 私、鬼道 有人に……お兄ちゃん(・・・・・)に、聞かなくちゃいけないことがあるんです」

 

 

 

 

 

 

 

「――来たぞ、土門。それに……円堂と米田もか」

 

「あ、ああ! 久しぶり……鬼道! ……ええっと、急に悪いな!」

 

「……別に構わない。俺も、改めて謝っておきたかったんだ。冬海のこと、すまなかった」

 

 

 ぎこちなさが隠しようもなく顔に出てしまっている円堂さんが出迎えるも、幸いなことに頭を下げる鬼道さんは疑問を抱いてはいないようでした。

 

 しかしそれは鬼道さんの言うように、冬海からくる罪の意識が前にあるから。このまま円堂さんに対応を任せていてはいずれボロに気付かれてしまうでしょう。

 私の他にもう一人、土門さんも鬼道さんを呼び出した本人として居はしますが、緊張しているのかその表情は硬く、腹芸は厳しそうです。となれば仕方なく、私が前に出るしかありません。

 

 

「そんな、謝らないでください鬼道さん。冬海のことはあなたのせいじゃないですし、そうでなくとても十分すぎるほど助けてもらっちゃいましたから。……むしろこっちの方がごめんなさい。わざわざこんなとこまで来てもらっちゃって」

 

「おい、『こんなところ』とは何だ。俺の店だぞ」

 

 

 おっといけない、口が滑っちゃいました。秘密の会合場所として待ち合わせに選んだこの場の店主、響木さんの眉が寄ってしまいます。

 しかし、場所を使わせてほしいとお願いした時にも一人のお客さんもいなかった寂れたお店なんて『こんなところ』扱いで十分です。私をいらないもの扱いした人のお店ならなおのこと。

 

 ほんの僅かに怯んでしまった心をそんなふうに言い訳して押し隠すと、しかし一方鬼道さんは紳士的に、新聞片手の響木さんにも頭を下げました。

 

 

「申し訳ありません。雷門と接触していることを総帥に知られてはまずいですから。安全に密談できる場所はここくらいなんです」

 

「ふん。俺とて、サッカーの内緒話なら何も文句はないんだがな」

 

「……? それは、どういう――」

 

 

 紙面の活字に目を走らせながら息を吐く響木さん。その、今回の呼び出しが“サッカーの内緒話”のためでないふうな言い方に鬼道さんが小首をかしげますが、しかし私は何も言えません。それ(・・)から注意を逸らすために、おしゃべりで誤魔化していたのです。

 

 そして響木さんが口にしたように、もうそれも不要。またもガラリと開いた戸から、厳しい目つきをした音無さんが現れました。

 

 

「……お兄ちゃん」

 

「ッ!!」

 

 

 途端、鬼道さんの身体がびくりと反応し、勢いよく振り返りました。その反応の強さを見るに、音無さんと鬼道さんが兄妹だというのはどうやら本当のことだったみたいです。

 鬼道さん本人も、はめられたことに気付いて私たちに非難がましい目を向けてきています。がしかし、音無さんが出口を塞いで鬼道さんを逃げられなくしているのも含めて、これらすべて音無さんの意思によるもの。私たちに非難の矛先を向けるのはお門違いです。

 

 むしろ会うためにこんな不意打ちのような真似をする必要がある兄妹とはどうなのかと、こっちが聞きたいくらいなのですが、どうやら逃げ道を塞がねばならないだけあって、鬼道さんには応える気はない様子。それどころか止まった足を再び動かし、冷たく音無さんの肩に手を掛けました。

 

 

「……どけ」

 

「っ……」

 

「……まあまあ、そんなに冷たくしなくていいじゃないですか。妹さんなんでしょう?」

 

「なあ鬼道、騙して呼びだしたのは悪かったと思ってるけど、ちょっと話くらい、な?」

 

 

 鬼道さんの突き放すような手と言葉に喉を鳴らしてしまう音無さんは、とてもじゃないですが見ていられません。挙句に彼はそのまま音無さんを押し退けお店を出て行こうとするので、円堂さん共々引き留める手は少し乱暴にならざるを得ませんでした。

 がしかし、鬼道さんは尚も頑なに、そして冷酷に、私たちまで振り払おうとしてきます。

 

 

「放せ……。これは俺たち兄妹の問題だ。お前たちには関係ない」

 

「関係ないってことはないんじゃないかしら。音無さんは私たちのマネージャーですし」

 

「それが首を突っ込んでいい理由にはならない」

 

 

 まあそれはそうなのですが。

 鬼道さんの“わからずや”の前では他に何が言えるわけでもなく、私はため息を吐くことしかできません。

 代わりに円堂さんが、我慢できずに言ってしまいました。

 

 

「そんなこと言わずにさ、話してくれよ鬼道。減るもんじゃないんだしさ。……例えばほら、なんで兄妹なのに苗字が違うんだ? 音無と鬼道って」

 

「ちょっと、円堂さん――」

 

 

 それはさすがに突っ込みすぎでしょう。やっぱりデリカシーがなさすぎです。

 

 しかし、一歩目でかなり大きく踏み出してしまった彼を諫めて挽回をと、そう考えた時でした。

 

 

「……私たち、施設育ちの孤児なんです」

 

 

 驚いたことに、音無さんが自らそう明かしました。スルーできそうにない衝撃的な事実です。

 言葉を失う私をよそに、彼女は言葉を押し出すように口にします。

 

 

「小さいころ、両親が飛行機事故で亡くなって……。だから血は繋がっているんですけど、でも、一緒の家には引き取られなかったんです。私は音無家の、お兄ちゃんは鬼道家の養子になって……それっきり」

 

「生き別れってことですか。それはまた……普通なら再会できたよかったって、喜んじゃうところですけど……」

 

 

 お互いにそんな空気でもありません。何か理由があるのは明らかですが、とはいえこれは、当人の告白以上に踏み込んではいけない話題でしょう。

 そして音無さんもそれっきり、口が重くなったようで黙り込んでしまいます。円堂さんならまたノンデリなことを言って空気をかき乱すかと思いましたが、さすがに懲りたのか気まずげな様子。響木さんは静観を貫き、土門さんは最初から役立たずなので、途端に場がシンとなりました。

 

 こういう、かける言葉が見つけられない静寂の間が一番気まずく感じるのは、誰だって同じなはずです。

 

 

「……再会などしていない」

 

「え……?」

 

 

 だからふと呟いた鬼道さんの一言には、いっそうの驚きを与えられることとなりました。

 

 否定の言葉。あんまりなそれに聞き間違いを疑いましたが、そうではないようで、彼はもう一度はっきりと繰り返しました。

 

 

「俺は、今日、春奈と会ってなどいない。……呼び出しの要件はこれだけか? なら、失礼する」

 

 

 そしてまたも無理やり出て行こうと、立ちふさがっていた円堂さんを押し退けようとする鬼道さん。どうしてそこまで頑ななのでしょうか。

 さっぱりでしたが、それでも身体は半ば自動的に、またしても鬼道さんを追って動きます。

 

 

「……もう、いいです。キャプテン、米田先輩」

 

 

 そして伸ばした手は次の瞬間、他でもない音無さんに止められることになりました。

 

 

「音無さん……」

 

「音無……」

 

 

 鬼道さんと話したい、という目的の内にある想いが、ただ久しぶりに兄と話したい、なんて軽いものであるわけないでしょうに。

 

 そう思うも応えはなく、鬼道さんは再び私たちの静止の手を払い除けると、構わず戸の取っ手に手を掛け――。

 その、開ける直前でした。

 

 

「でも……一つだけ答えて、お兄ちゃん。どうして……どうして今まで、連絡してくれなかったの……?」

 

「………」

 

「私のことが邪魔なんでしょう……? だから、あなたは何も言わずにいなくなった……! あの頃の優しかったお兄ちゃんは……もう、いない……っ」

 

「……っ」

 

 

 音無さんの涙混じりの声に鬼道さんの足が止まりました。そして彼は、何も答えません。

 

 ぽろぽろと両眼から涙を零す音無さん。長い間実の兄から顧みられなかった悲しみは兄弟のいない私には想像の難しいことですが、それでも彼女を見ていると胸を締め付けられるような心地になってしまいます。

 となるとそれをもたらした鬼道さんがとんだ冷血人間に思えてきますが、幸いなことにそこまで堕ちてはいなかったようです。肩を震わせた彼は、呟くように言いしました。

 

 

「……お前を忘れたことは、一度もない」

 

「おにい、ちゃん……」

 

 

 しかし、それも一瞬だけでした。

 

 

「だが……それでいい。俺はもう、あの頃の俺じゃない。それは事実なんだ。……だから俺とお前は、会っちゃいけない」

 

「……鬼道、それ、どういう意味なんだよ。俺、お前のことがわからない」

 

 

 円堂さんが眉を顰めます。そしてその思いは私も同じ。音無さんに対する思いがあるのなら、なぜそれを否定するのでしょう。

 返事は諦念のような微笑でした。

 

 

「理解されなくてもいい。だが、俺は勝たなきゃいけないんだ。……絶対に」

 

 

 必勝の想い。しかしそれは、初めて会った時に見た時よりもずっと弱り切ってしまっていました。

 弱々しいながらもその決心が固いのは、きっと音無さんのためです。そして諦めは、それが邪魔されてしまっているせいなのかもしれません。

 

 なんとなく理解しました。つまり、彼の誇りを穢したあいつ(・・・)のせいなのでしょう。

 

 

「『勝たなきゃいけない』か……。そんなに勝ちたいのか? まるで影山みたいだな」

 

「――ッ!! 俺は――っ、……俺は、総帥のようにはならない……!」

 

 

 帝国学園サッカー部を、恐らく支配している総帥であり、御影戦において私を潰すように仕向けた人物、影山。彼に対して並々ならぬ忠誠心があった鬼道さんでも、もはやその悪辣な性根は受け入れがたいものであるようです。

 しかしそれでも尚、長年の恩師を悪しように言うのは憚られるのか、彼は怒鳴り声を収めて唸るように言いました。

 

 

「影山総帥は……勝利に固執しすぎている。勝つためなら、卑怯な工作すらいとわないほどに。だが、それだけじゃない。あの人にとっての“勝利”は俺にとっての“勝利”とは別物だった。あの人は……本当に、勝利しか求めていない」

 

「……それって、そこまで言うほどおかしいものでしょうか。いえもちろん、人のこと潰そうとするのは異常ですけど……サッカーって結局は勝負事でしょう? 勝とうと思うのって、普通のことだと思えちゃいます」

 

「違う。そういうことじゃないんだ。総帥は……言ってしまえば、“勝利”という記号にしか興味がない。試合を重ねることによる俺たち選手の成長も、戦術の進化も、果ては四十年もの間少年サッカー界の頂に君臨し続けているという名声すら、どうでもいいようにさえ思える」

 

 

 少なくとも私にとっては、サッカーとは試合に勝ってこそのスポーツです。故につい、勝利を求めることを否定するような物言いに口が出てしまいましたが、しかしそういうお話でもないとのこと。影山が欲する勝利とは、不正でも何でもして、張り出される試合結果に“勝利”と記すだけのものであるそうです。

 

 もし本当にそうであるのなら、彼は何が楽しくてサッカー部の監督なんてやっているのでしょう。

 鬼道さんにすらわからないそれが、きっと彼の中で反意が勝った最後のきっかけであったはずです。

 

 

「俺には……あの人のサッカーは受け入れられない。偽りの勝利を、これ以上重ねられない。たとえその先に敗北があるのだとしても、この想いだけは……」

 

「鬼道……」

 

「………」

 

 

 鬼道さんはぎゅっと胸の辺りを握り締め、絞り出すように言いました。その内の葛藤はどれだけのものかは表情を見れば明らかで、円堂さんの顔も歪むほど。音無さんも何か兄の覚悟に感じるものがあったのか、黙って俯くばかりでした。

 

 そんな時、三度ガラリと戸が開きました。

 

 

「――『偽りの勝利』、か。鬼道、“勝利”に偽りも真実もないのだよ」

 

「……ッ!」

 

 

 現れたのは長髪を括った痩躯な男性。しかしお店のお客さんでないことはすぐにわかりました。黒いサングラスの下に、いかにも邪悪な笑みが浮いていたのです。

 思わず後退ってしまうほどの異様な迫力でした。目の前でそれを向けられた鬼道さんはハッとなって音無さんを背に庇い、どこか怯えたふうにその名前を押し出しました。

 

 

「影山、総帥……」

 

「っ!? この人が、影山……!」

 

 

 息を呑む円堂さん。すっかり悪感情が高まって警戒心露な彼でしたが、比べればそれも大したことはないでしょう。

 彼よりもずっと大きく、響木さんが感情を乱してしまっていました。

 

 

「影山……!! 貴様、よくもここに顔を出せたものだな!! 子供たちにあんなことをしておきながら……ッ!!」

 

「久しいな、響木。しかし、『あんなこと』? ふむ、何のことだかさっぱりだな」

 

「とぼける気か!? 貴様が冬海たちに指示し、ベータを襲わせたことはわかっているんだぞ!!」

 

「確かに、君たちが御影専農戦の前後で事件に巻き込まれたという話は聞いているが……なぜそれが私の指示だと? 証拠でもあるのかね? 証拠があるのなら、なぜ私はこうして逮捕もされずにいるのだろうな?」

 

「く……っ!!」

 

 

 椅子を倒すほど怒りを露に叫んだ響木さんに、さもわからないというふうに両手を上げて肩をすくめる影山。被害者の私すらもが前にいるというのにこうも堂々しらを切れる胆力は一周回って感心するほどですが、それ故に恐ろしさが際立ちます。

 

 この恐怖を以てして、彼は刑事の鬼瓦さんからも逃げきったのでしょうか。どうであれ彼の言う通り、彼が何の制限もなくこの場にいることが事実。響木さんも言葉に詰まってしまいます。

 そして影山は滑稽だとでも言うように鼻を鳴らし、次いで再び鬼道さんへと眼を向けました。

 

 

「鬼道、お前もくだらないデマを信じているようだが……わかるな? あまり迷惑をかけるな。お前は鬼道家の後継ぎとして、結果を出さなければならないのだから」

 

「ッ……」

 

 

 一瞬、影山の視線が音無さんに向きました。

 唇を噛む鬼道さん。彼も私も何も言えません。だから頷き、影山の元へと足を向ける彼を止めることもできませんでした。

 

 

「……はい、総帥……」

 

「結構。さっきの批判は聞かなかったことにしてやろう。それに、この場のこともな」

 

「……だったら、さっさと出て行ってくれないか。貴様のような奴に居座られちゃ迷惑だ……!」

 

「もちろん、すぐに出て行くとも。私もこのような店に長居する気はない――が、その前に、要件は済ませておくとしよう」

 

 

 しびれを切らしたように響木さんが唸ります。しかしそんな威嚇も影山にはまるで通じず、鬼道さんの肩に手を置きつつこっちを振り返ってきました。

 

 そしてその眼が、どういうわけか私へと向きました。襲撃のことが頭をよぎるも、影山の口から飛び出てきたのはもっと衝撃的な言葉でした。

 

 

「米田 佳くん。我が帝国学園サッカー部に興味はないかな?」

 

 

 同時に手が伸びてきましたが、握るも払うも、応じる余裕はとてもありません。唐突な勧誘は、あまりに予想外すぎたのです。

 

 

「何のつもりだ影山……! 冬海たちを使って彼女を潰せないとわかれば、今度は内に取り込むつもりか!? それとも揺さぶり動揺させる腹積もりか!」

 

「ただの勧誘だとも。選手の引き抜きなど、よくある話だろう? ……彼女の才能は、雷門においては腐るだけだ。私の指導の下でこそ輝く。そう感じただけだ」

 

「何をバカな……!」

 

 

 響木さんが吐き捨てるように言いました。その荒げた声で私も遅れて理解し、影山の手から自分の手を引き抜き抜くと、同時に円堂さんも我慢が利かなくなってしまったようで、お店の中に叫び声が響きます。

 

 

「ベータが、雷門では腐るだって……!? そんなことない! お前の勝つだけのサッカーで、輝ける選手なんているもんか! 俺たちには、俺たち雷門のサッカーがちゃんとある!」

 

 

 だから影山の甘言なんかに乗るわけがない。私にとってもそうです。二人のおかげで我に返り、そう、言おうとしたのですが、

 

 

「君たちはお互いのサッカーに対して、違和感を感じたことがあるはずだ」

 

 

 その瞬間、手と一緒に喉までもが固まってしまいました。

 

 

「米田くん、こう思ったことはないかね? “なぜ私は、こんなにも弱いチームメイトと戦わねばならないのだろう”と。……仲間だの信頼だの、くだらない戯言を重荷に感じたことがあるだろう」

 

「………」

 

 

 口をつぐむだけで精一杯。影山のサッカーなど理解する必要はない、すべきではないと思いつつも、理解ができてしまうのです。

 

 特別必要でない【イナズマ落とし】の習得のために壁山さんと無理矢理特訓をさせられた時も、『(ベータ)のため』とか『信じられない』とか言ってパスを出してもらえなかった時も、おバカな罠に掛けられて皆さん使い物にならなくなった時も。

 尻拭いをさせられたのは全部私。それらは確かに“重荷”です。そしてそれらは私にとって愉快なものではありませんでした。

 

 楽しいサッカーでは、ありませんでした。

 

 

「――サッカーに於いて最も重要なことは勝つことだ。雷門のような“重荷”のない(帝国)の下でなら、確実な勝利をその手にできる。少なくとも、今の環境に身を置くよりはよほどましだと思うのだが……どうかね?」

 

「確実な……勝利……」

 

 

 酷く惹かれてしまいます。彼の下なら“重荷”に邪魔されることはない。指示出しやフォローなんてことをする必要がなく、自分のことにだけ集中していればいい環境。

 円堂さんたちとのサッカー感の違いを、心のモヤモヤを感じずにサッカーに勝利できるのなら――それは楽しいのではないでしょうか。

 

 しかし――

 

 

「……ほう?」

 

 

 円堂さんが私と影山との間に立ちふさがるように身体を入れていました。おかげで我に返った私の聴覚に、円堂さんのはっきりとした宣言が響き渡ります。

 

 

「誰かを傷つけてまで手に入れる“勝利”に、意味なんてない……!」

 

「え、円堂さん……」

 

「ベータは渡さない! 今までもこれからも、ベータは俺たち雷門の仲間だ! お前の手下になんて絶対にならない!」

 

「それを決めるのは君ではなく、彼女本人の権利だろう」

 

 

 円堂さんの温かな言葉は鼻で笑い、あくまでその眼、サングラス奥の鋭い眼光は私のことを見つめています。その、どこまでも深い奈落のような眼は、気を抜けばまた呑み込まれてしまいそうでした。

 

 だからこそ湧き出した根源的恐怖心が、とうとう私に手を引かせました。円堂さんの肩越しにそれを眼にし、影山も息をついて手を引っ込めます。

 

 

「用は済んだらしいな。ならとっとと出て行け! これ以上俺の店で妙なことをしようというなら、こっちにも考えがあるぞ……!」

 

「……いいだろう。今日のところはこれで失礼するとしよう。……行くぞ、鬼道」

 

 

 響木さんの底冷えする怒気もあり、とうとう影山も諦めた様子。うつむいたままの鬼道さんを促し、一緒にお店を出て行きます。

 その背に響木さんが吐き捨てるように言いました。

 

 

「……変わっていないな、影山。四十年前から、何もかも」

 

「……帝国スタジアムで会おう」

 

 

 影山は背を向けたままそれだけ返し出て行きました。

 

 悪意は去った。のですがしかし、

 やはり私の心は拒否できても乱れたままで、円堂さんの心配にも顔を向けることができませんでした。

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