「――帝国は強い。それは俺よりもお前たちの方がよく理解しているだろう。だが、お前たちは今日まで俺の特訓にも耐えぬいた。帝国と戦えるだけの実力を持ったことは俺が保証する。だからお前たち……あまり気負うんじゃないぞ? 落ち着いて、いつも通りにやればいい。いつも通りに……」
そう言う響木さんこそが一番いつも通りでない状態に見えますが、ともかくとうとうやってきた試合当日。前回とは逆にこちらから帝国学園に赴いて、私たちはウォーミングアップに励んでいました。
しかし響木さんほどでないにしろ、皆さんあまりそれに集中できてはいません。
散漫のその原因は、ここ、帝国学園のグラウンド。今まで戦ってきた中でも飛びぬけて立派なドームスタジアムと、その大きさに見合った広さの観客席という、プロサッカーの舞台もかくやといった会場の様相のせいです。きれいな芝の上でストレッチしたりボールを転がしたりしながら皆さんの視線はチラチラと周囲を見回しており、緊張と不安に呑まれてしまっているように見えます。
そのせいか、響木さんや私のように今日という日を警戒心を以って迎えることとなった人は、あまり多くはなさそうでした。
もちろん、いまさら鬼道さんたちを警戒しているわけではありません。彼が率いる帝国学園サッカー部も然りです。
が、その長、帝国学園総帥である影山は話が別。直に対面し、そのねばつく悪意を知ってしまった私たちは、警戒心を抱かずにいる事ができなくなってしまっています。
特に私にとっては尚のこと。あの時の影山の言葉、私が仲間に“重荷”を感じていることを自覚させられ、その後に提示された彼のサッカーに惹かれてしまったという事実によって、私はより一層の警戒心、というか恐れを、心の奥深くに植え付けられてしまっているのです。
私がサッカーを再開したのは、円堂さんとのサッカーが楽しかったからです。ですがしかし、彼以外の多くの仲間に対しては、そういう思いを抱いたことがありません。
だから私が円堂さんのサッカーを、雷門のサッカー好いてはいても、気性が合っていないというのはずっと前から感じていたことで……しかし、あまり深くは考えたくないと、最近は半ば忘れかけていたことでした。
影山はそれを私に強く自覚させ、そのさらに奥、考えたくなかったことを、無理矢理自覚させてきたのです。
そしてさらに、彼のサッカーへの勧誘というおまけつき。それらを、あんな悪人の言葉でありながら今なお否定できないことこそが、私がこの場で息を吐けない、最も大きな要因でした。
そんな私が果たして雷門に所属し続けていていいのか。本当に『雷門を破壊する』ことになってしまわないか。あるいは、やっぱりそういうモヤモヤを感じる必要のない影山のサッカーの方が、私には合っているんじゃないか。
そういった即否定しなければいけない考えたちが、次々と頭に浮かび上がってきてしまいます。
(……そんなこと、ありませんって)
浮かび上がるその度、ワンパターンに蓋をして思考を打ち切る、その繰り返しです。あんな奴のサッカーが円堂さんのサッカーよりも楽しいものであるはずがない、あってはならないのだと。
それに、否定することができなくても、試合に勝ちさえすれば影山のサッカーが円堂さんのサッカーに劣ることを証明することはできます。
だからとにかく試合に集中。今は帝国学園に勝つことだけを意識すべきと締めくくり、私は視線を無理矢理に、帝国選手たちのベンチの方へと向けました。
そうして見やって、ふと気付きました。
「あら……? 鬼道さんが……」
肝心の彼の姿が、そこには見えません。私たちと違ってまだアップを始めていない彼らは全員ベンチで待機していますが、ただ一人、彼だけがいないのです。
しかも心なしか、帝国選手たちも不穏な感じにざわついている気がします。まさか以前の密会がバレてしまったことで影山に何かされてしまったんじゃ……、なんて嫌な予感が頭に浮かんできました。
しかし、そっちに構ってばかりいるわけにはいきません。
中身は違えど、不安が渦巻いているのは雷門も同じこと。帝国ばかりを見守っていることはできず、響いた壁山さんのビビり声が、すぐに私の意識を帝国から引き戻してしまいました。
「お、お客さんがいっぱい入ってきたッスよ……。あんな大勢の前でサッカーするんスか……?」
「そうだよ。……なんだ、ビビってるのか――って、さすがに責めるのも酷だな」
「さすが帝国って感じですよね。決勝戦とはいえ、本戦でもない地方予選なのにすっごい注目度……」
「あとは設備もな。……まあ、あいつらの強さを思えばそれも当然って感じだけど」
成長の証かトイレに逃げ出しこそしませんでしたが、人が入りつつある観客席を震えて見上げる壁山さん。それに各々呟く皆さんも軒並み顔色はよくありません。
当人たちにとっては十分重大なのかもしれませんが、落差でちょっと気が抜けてしまいました。
「……設備を言うなら、私たちにだって立派なのがあるじゃないですか。雷門さんが整備してくれちゃったあの牢獄が。さすがにあんなトンデモな施設は帝国も持ってないと思いますよ」
「牢獄でもトンデモ施設でもなく、修練場よ! イナビカリ修練場! それに『整備してくれ
「ま、まあ、かなりハードだったのはそうけど……。でもそんな特訓ができたから、今こうして決勝戦に望めてるわけだし……ね……?」
耳聡く聞きつけた雷門さんに必死のフォローをする秋さん。そんな二人の手には、準備中のドリンクのボトルが抱えられています。
秋さんはともかく、雷門さんは普段から『雑用なんてごめんだわ』といったふうに見ているだけだったはずですが、どうやら音無さんが鬼道さんの件で腑抜けて役に立たなくなっているようで、お嬢様な彼女も手伝わざるを得なくなってしまったのでしょう。
雷門さん本人はまだ否定しそうですが、彼女もすっかりマネージャーが板に付いてきたようです。
しかしそんなことは、唯一一人、影山にもこの舞台にも全く物怖じしない染岡さんには関係のないこと。彼は鼻を鳴らし、不敵に言ってのけました。
「ふん、上等じゃねぇか。リベンジには好都合だ。……俺たちは、あの頃よりもずっと強くなった。俺や風丸みたいに必殺技を習得した奴だっていっぱいいる。恐れる必要なんて何もねぇ。それに――」
そしてその眼は、ぶすっとしかめっ面になって私へと向きます。
「今度は最初っからベータがフォワードだからな。【ダブルショット】だって打ち放題だ。……なあ、そうだろうが」
ついこの間メイド喫茶に行ってハライタにされたくせに、よくもそうまで堂々と対抗心を燃やせるものです。
滑稽ですが、しかし確かにキーパーの源田さん、彼の【パワーシールド】を確実に破れるのは私くらいなものでしょう。頼るのは正しいし、当然のこと。
以前、尾刈斗戦の時なんかは取り付く島もなく私を否定してきた彼でしたが、最近になってようやくきちんと現実が見れるようになってきたようで何よりです。
しかし――。
「……はぁ。ええ、任せちゃってください。不甲斐ない染岡さんに代わって、いつもみたいにしっかり点、決めてあげちゃいますから」
ふと零れたため息混じりに、私はクスリと笑って言ってあげました。
するとたちまち、染岡さんのこめかみに青筋が浮いてきます。
「こっ、の……ッ! お前はマジで……いつまでたってもその性格、治らねぇな!」
「性格も何も、事実だって染岡さんもわかっちゃってるんじゃないですか? 源田さん相手に一回もいいとこありませんでしたし」
「だからあの時よりも強くなったって言ってんだろ! シュート力だってついてきてるし、それに今の俺には【ドラゴンクラッシュ】だってあるんだ! お前にだって負けやしねぇ!」
「そうです? なら……そうだ。アップがてら勝負でもしてみちゃいます? どっちの必殺シュートがより強力か」
面白いくらいに簡単に怒ってくれる染岡さんで遊びつつ、ふとそんな余興を思いつきました。試合開始までの暇つぶしになるし染岡さんをもっとおちょくれるし、もしかしたら皆さんの緊張をほぐすこともできるかもしれません。一石三鳥です。
真面目にアップをしていた豪炎寺さんには嫌な顔をされてしまいますが、一度火を付けられた染岡さんはもう止まりません。
「……おい、二人とも。俺たちは今から帝国と戦うんだぞ。遊んでいる場合じゃ――」
「遊んじゃいねぇよ! シュートのウォーミングアップだ! おい円堂、キーパー役を……って、いねぇな。どこ行ったんだあいつ」
「トイレじゃないか? さっき中に入ってったよ。……にしてはちょっとかかってるけど」
フィールドの出入り口に眼をやり答えてくるのは風丸さん。私も話題に出るまで気付きませんでしたが、確かに辺りを見渡せば、円堂さんの姿がありません。
そして曰く、妙な長トイレだそう。このドームスタジアム広いですし、迷っているだけならいいんですが――
(……そういえば、鬼道さんの姿もないのよね……)
なんだか本格的に不穏な気がしてきました。しかし染岡さんはそんなことなどつゆ知らず、円堂さんの代わりにちょうどゴールの近くで震えていた壁山さんに目を付けました。
「円堂がいないんじゃ仕方ねぇ。壁山! ゴール前で構えてろ! お前がキーパー役だ!」
「えっ? あ、あの、なんの話――」
私たちの言い争いは、緊張のあまり耳に入っていなかったのでしょう。こっちを向いて目を瞬かせていますが、しかし染岡さんはお構いなしにボールを足元に転がして、大きく足を振りかぶりました。
「見てろベータ……これが俺の、今の実力だッ!! 【ドラゴンクラッシュ】!!」
そしてそのまま打ってしまいました。
威力は、確かに習得したてと比べたら格段に強くなってはいるでしょう。エースはともかくストライカーを名乗るには十分です。
そんなシュートが、全く自体を理解していない壁山さんめがけて一直線。彼が自身めがけて打たれたことに気付いたのは、彼の巨体にボールが激突する直前でした。
「――わ、わぁッ!!?」
「っ!?」」
だから
ボールがぶつかる瞬間、びくりと強張った壁山さんの身体が、ほんの一瞬やけに大きく見えたのです。
まるでぶ厚く巨大な壁がそこに現れた、というような感じで、それは当たった染岡さんのシュートも阻んで止めてしまうほど。
しかしその一瞬ではシュートの威力が消え切らなかったのか、壁のような圧迫感が消え、シュートにお腹を殴りつけられることになってしまった壁山さんはたちまち体勢を崩してしまいました。「ふぎゃあぁッ!」と後ろに倒され、角度がズレたシュートは真上に跳ね上がります。
天井まで届いたらしく、ガンッと響く鈍い音が響きました。
普通であれば、帝国選手や観客も集まりつつある中で騒音を鳴り響かせてしまったことに、皆さん瞬時に頭が冷えていたでしょう。悪戯してごめんなさいと謝罪の言葉の一つや二つ、飛び出していておかしくない状況でしたが、反して皆さん静かです。
息を呑んでいます。壁山さんが見せた一瞬の威容は、皆さんの頭からそんな良識をも弾き飛ばしてしまうものだったのです。
「ね、ねえ……今、なんか壁山……」
「あ、ああ。なんか一瞬、すごい気迫みたいな……」
「壁山、お前……」
マックスさんや半田さん、シュートを防がれた染岡さんすら目を見張っています。しかし驚愕の空気も、壁山さんが身を起こすまででした。
「お、俺……もしかして、今の――」
正確にはグラウンドに投げ出したその足の間に、天から銀に輝く何かが落ちて来るまで。
どどどっと、芝生にいくつも突き刺さりました。
「ひ――ぎゃああぁぁッッ!!?」
少しズレていれば壁山さんの身体に突き刺さっていたでしょう。しかもそれは、慌てて確認してみれば、手のひらほどもある大きなボルト。悲鳴も当然です。
「……でも、どうしてこんなものが天井から……?」
「全くだ。見かけは立派なくせに、整備もされてねぇのかこのドーム」
「そそそそっ、そんな冷静に言ってないで、少しは俺のことも心配してほしいッスぅ!!」
それは他の皆さんにお任せすることにします。壁山さんの心配なんかよりも、ボルトの方がずっと重要です。
だって影山が牛耳る帝国学園のスタジアムで起きた事件なのです。もしかしたら、嫌な予感は的中かも。そんな気がしてなりません。
影山の暗い目が頭をよぎり、思わず身震いしてしまった――その時でした。
「おい、どうかしたのか。大声が聞こえたが……それは?」
ハッとして顔を上げると、そこには私に真剣な目線を向ける帝国キーパーの源田さん。そして周囲に他の帝国メンバーも駆け寄ってきていました。
壁山さんのバカでかい悲鳴はさすがに無視のしようもなかったらしく、みんな揃って心配しに来たようです。
そしてすぐに何があったのかを察したのでしょう。私の手の中と、そして壁山さんの足元に突き刺さるボルトを見つけ、その眉間に皺が寄りました。
それは以前に鬼道さんが影山の悪行を認識した時と同じ顔。彼らが鬼道さんのように影山に反意を抱いている証でした。
であれば、私が感じた影山の悪意を一から十まで説明する必要はないでしょう。一応、彼らの疑問形にかいつまんで答えておきます。
「染岡さんがボールを天上にぶつけちゃって……そうしたらこれが降ってきたんです。……やっぱりこれ、施設が古くなってる、とかじゃありませんよね……?」
「……ああ。実際、こんな事件は初めてだ。それに……ボルトはどれも真新しい」
つまり老朽化の事故ではありません。少なくともその証拠になります。
「……おい、米田。こんなことを頼むのは筋違いなのかもしれないが……それ、鬼道さんに届けてくれないか」
「鬼道さんに、ですか……?」
「俺たちに後始末させるのかよ! ……いやまあ、どうであれ壊しちまったのは俺たちだけど……」
染岡さんに劣らぬ仏頂面で鬼道さんの名前を出したのは、眼帯の、確か佐久間さん。不承不承な雰囲気に思わずといったふうに染岡さんが反応しましたが、騒動を起こした当事者である意識はあるらしく、すぐ素直に引き下がります。
しかし、そもそも後始末とかそういう話ではありません。これは明らかに鬼道さんにとって、武器になりえるもの。
そして武器を探しているということは、鬼道さんの不在は影山に屈したが故のことではなく、影山と戦おうとしているがためであるのです。
彼が帝国サッカー部の皆さんと共に影山に抗うのであれば、私ももちろん、それを後押ししましょう。私のためにも、兄を想う音無さんのためにも。
「……俺たちは影山に監視されている。迂闊に動けないんだ。だから――」
「わかってます。……いえ、わかりました。鬼道さんに渡せばいいんですね」
「ああ。スタジアムのどこかで、今もソレを探しているはずだ。……頼んだ」
「はい、任されちゃいました」
「……って、さっきから何の話してんだよ、お前ら」
なんて、未だに帝国の皆さんの覚悟に気付けない染岡さんは放っておいて、神妙な源田さんたちに頷きます。
次いで振り返り、いちおう皆さんにも断りを入れておくことにしました。
「というわけで、ちょっと行ってきますね。すぐに戻りますから」
「えっ? ちょ、おい!? だからどういうことだって!!」
言ってしまえばクーデターです。しかしだからこそそれを大声で言うわけにもいかないので無言を返し、私は早足で広いスタジアム内へ鬼道さんの捜索に向かいました。