「――ベータ。後半戦、お前はベンチだ。いいな」
ハーフタイム。ジンジン痛み始めた身体の節々に秋さんのアイシングを受ける私の耳に、響木さんの毅然とした声が入ってきました。
まあ、彼の立場からしてそういう判断になるのが自然でしょう。皆さんからも、最初は驚きの声が上がりましたが、それも染岡さんが鼻を鳴らすだけですぐに鎮まってしまいます。
「はっ、当然じゃねえかそんな事。せっかく注意してやったのに無視してスタミナ使い尽くしたバカが、後半戦を戦えるわけがねぇ。途中でぶっ倒れるだけだろ」
「う、ううん……それはそうかもなんでしょうけど……」
やはり私が抜けるのは不安、というところでしょうか。少林さんをはじめとした一部が弱気に眉を下げています。
【ダブルショット】と【ゴッドハンド】、今まで負けなしだった必殺技が両方とも破られてしまった今、私という大きな戦力を下げるのはいかがなものかと、そんな思いが拭えないでいるのでしょう。
不安、不満という点で、それは私も同じことです。疲労に痺れる身体を軋ませながらベンチを立ち上がり、響木をまっすぐに見やります。
途端に心臓を鳴らす緊張はどうにか呑み下すと、虚勢半分で決意の言葉を口にしました。
「……秋さんたちが処置してくれましたから、身体は大丈夫です。スタミナもちゃんと回復できました。もちろん完全とはいきませんけど、それでも後半戦を戦うには十分です。今度こそ三度目の正直で得点してみせます」
「だから後半戦に出してくださいってか? ケッ。虫がいいとは思わねぇのかよ、ベータ。当のお前は俺たちの言葉なんて一つも聞きやしなかったじゃねぇか」
「……スタミナのことはさすがに私も反省しちゃってます。ガス欠の状態でシュートを打っても、あの通りだったわけですもの」
でもそれも、染岡さんがもう少し協力的だったらちょっとくらいはマシになっていたはずです。素直にボールをよこしてくれてさえいれば、無理矢理奪い取るために走りったりして消耗する必要もありませんでした。
だからそういう意味での反省ならしっかりとあります。教訓を生かして今度こそと、そんな決意だったのですが、しかし。
「思い違いだ、二人とも。たとえベータのスタミナに問題がなかったとしても、俺の考えに変わりはない。後半戦、ベータはベンチに下げてスタートする。これは絶対だ」
響木さんは無常に切り捨ててしまいました。しかも、『思い違いだ』などと言う始末。それはさすがに理解ができません。
「……じゃあ、私の何が問題なんです……? 雷門で最強のシュートを持っているのは私です。あの源田さんを破って二得点挙げなくちゃいけないのに、わざわざ私を下げる意味が分かりません……!」
監督として弱った選手を試合に出すわけにはいかない、ということならまだ理解できましたが、そうではないというのなら、何なのか。
わからないうちには、いえ、たとえわかっても、私は引き下がるわけにはいきません。私は今度こそ点を決めなければならないのです。
「まさか本気で染岡さんのシュートで点が取れるだなんて、思っちゃってるわけじゃないでしょう? あの【フルパワーシールド V2】を破れるとすれば、私の【ダブルショット】だけです!」
「……同じことを繰り返すわけにはいかん。もはやこれ以上の失点は許されない状況だと言っただろう」
「さっきのやり方がまずかったことはわかってます! いいように走らされちゃいましたから……。けど、もうあんな失態は犯しません! 例えば帝国がシュートを打つ瞬間だけを狙い撃ちして消耗を抑えるとか……ちゃんと作戦を立てて、後半戦は戦いますから!」
“らしくない”と、そう思われているのでしょう。周囲から奇異の眼が向くのを感じます。
しかしどうにもならないのです。これが染岡さんとかとのやり取りであったなら憎まれ口の一つや二つくらい口にしていたでしょうが、今の響木さんの前ではそんな余裕は生まれようもありません。
それほどに、私の中に根を張っている“雷門でサッカーをしたい”というこの気持ちは強いものだったのです。
しかしそれでも、響木さんは首を横に振りました。そしてただ一言、
「……スタンドプレーに走る選手は、雷門には必要ない」
それだけで、口からとめどなく溢れ続けた気持ちはぴたりと止まってしまいました。
『雷門には必要ない』。監督から放たれたそれは、私の気持ちを真っ向から叩き伏せるもの。単語がぐるぐると頭の中を巡って滅茶苦茶にかき乱し、途端に何か、そこに繋がる回路でも焼き切れたかのように、ものを考えることができなくなります。
「監督……!」
豪炎寺さんの硬い声も右から左へ抜けていくばかり。その後に続いたやり取りも、ほとんど私の頭に上ってくることはありませんでした。
「……少なくとも、今のベータを試合に出すわけにはいかん。わかるだろう、豪炎寺」
「………」
「いいか、お前たちも。……後半戦はフォーメーションを変えていく。ミッドフィールダーを増やして2-4-4だ。宍戸、行けるな?」
「えっ!? お、俺ですか!? ……は、はい、わかりました……!」
「よし。とにかくまずは守りを固めろ。何度も言うが、これ以上点を取られるな。……時間だ、行ってこい!」
随分と遠慮がちな「はい」が聞こえ、徐々に皆の足音が遠ざかっていきます。それを聞きながら、私の腰がベンチに落ちました。
しかし一人、なかなかその場を動こうとしなかった一人に向けて、響木さんが言いました。
「何があったのかは聞かん。だが、わかっただろう。この場にいる全員が、勝つために必死になってサッカーをしている。それを忘れるなよ……円堂」
「……はい」
普段よりも元気のない、思い詰めたような声色で答えると、最後の彼もピッチへと向かって行きました。
「――ああっと! 雷門、果敢に攻め込むもまたも帝国ディフェンスに阻まれる! やはり米田を下げたことが攻撃力の低下を招いてしまっているのか!?」
なんて実況の声は、しばらく経ってようやく頭に入ってくるようになりました。
だから多少なりとも落ち着きは取り戻せたのだと思います。しかし我を失うこととなった原因の方は少しも変わらず、しかも秋さんに見透かされ、おかげで顔を上げて見えた彼女は心配そうな顔でした。
「……あの……佳ちゃん、その……」
「……大丈夫です。心配しないでください」
反射的にそう応じてしまうも、それもほとんど虚勢です。
実際は自分が今大丈夫なのかすらすらもよくわからない思考停止状態が継続し、唯一わかるのは、今フィールドで行われている後半戦、私抜きで戦う雷門をどうしても見ることができないという、それだけでした。
そんな悲しみとも苦しみとも判断つかない感情から逃げ出すために、私はさらに、秋さんを安心させるためのカラッポな言葉を紡ぎ続けます。
「……響木さんの判断が間違ってないことは、私ももう理解しちゃってます。スタミナもそうですけど、失点の流れを変えるためにも、選手交代は有効ですから」
「違う。……何度も言わせるな。変えなければいけないのは試合の流れではなく、ベータ、お前自身だ」
しかしせっかくの私のフォローは当の響木さんに無視されてしまいます。
しかもちらりと視線を上げれば小さな丸サングラスの視線がじっと私に向けられていて、身体が勝手にびくりと反応しました。
同時に蘇る彼の言葉。『必要ない』、『雷門を破壊する』。私はほんとに嫌われているのかもしれません。
なら私はやっぱり雷門サッカー部を追い出されてしまうのでしょうか。そう思うともう駄目で、頭が真っ白になって喉が詰まり、窒息させられているような感覚です。
(でも……イヤ、なんです……! とにかく、それだけは……っ!)
何も考えられない中、頭の中に残っているそれだけにしがみつくしかありませんでした。
そしてそれを頼りに、引き攣る喉をこじ開けようとした――その時。
「――なら……どう変えればいいのか、教えてあげるべきなんじゃないですか、響木監督……!」
私の前に秋さんがそう口にしていました。
眉を寄せ、かわいいお顔を不信で歪めた彼女が、ベンチを立って響木さんに立ち向かっています。
そしてため込んでいたのだろう不満を、そのまま勢いよくぶちまけてしまいました。
「佳ちゃんはサッカーが大好きです。……監督がスタンドプレーだって言うあのプレーは、彼女がその想いと同じくらい飛びぬけて高い実力を持っているから、みんなのために先陣に立ってくれているだけなんです。監督はそれを……佳ちゃんのサッカーへの想いを、『必要ない』だなんて言うんですか!? そんな簡単な言葉で切り捨てて……雷門を破壊しようとしてるのは、そんなことを言う監督の方なんじゃないですか……!?」
「っ! ……聞いていたのか」
勢い余ってあの時の盗み聞きをカミングアウトしてしまう秋さん。円堂さん以外の当事者、響木さんと、それから眼は試合に向けつつも耳をそばだてていたらしい雷門さんが驚いたように息を呑む音がしましたが、秋さんは気にせず、一つだけ頷くと続けます。
「あの時、監督は“佳ちゃんを信じてる”って言った円堂くんに、“それは眼を逸らしているだけ”なんて返していましたよね。けど、佳ちゃんのサッカーから眼を逸らしているのは、監督の方だと思います……! 彼女の想いも実力も、監督はわかっていないんじゃないですか? だから、監督なのにはっきりしたアドバイスの一つもできてない……!」
「………」
「……監督には、佳ちゃんをちゃんとわかってほしいです。一度はサッカーをやめてしまった佳ちゃんが、またサッカーに夢中になることができたんだから……私、佳ちゃんが思うように楽しんでいるサッカーを、邪魔したくないんです! ……邪魔してほしくないんです……っ!」
唸るように黙り込んでしまう響木さんに対し、秋さんはまるで心情をそのまま溢れさせたかのようでした。冷たく冷えた私の内心が、その剥き出しの想いでじんわりと温かくなっていきます。
しかしそれも僅かな間だけのことでした。秋さんの温かな友情は、次の瞬間、すぐに覆い隠されてしまったのです。
「それは果たして、どうなのかしらね」
雷門さんでした。冷やかなそれは、明らかに秋さんの訴えへの否定形。一瞬ぽかんとあっけにとられた様子だった秋さんも、すぐに憤りの顔に戻ってしまいます。
「思うがままに振舞うことが、必ずしも当人にとって良いこととは限らないんじゃなくって? 自分の歩く道が正しいかどうかなんて、実際に足を踏み外すまではわからないものよ」
「それは……そうかもしれない。けど、ならその時に手を差し伸べればいいのよ! もしも佳ちゃんが佳ちゃんのやりたいサッカーで、夏未さんの言うように足を踏み外してしまった時は、私が……私が今度こそ、必ず助けます……!」
いやに大人っぽいことを言う雷門さんに、秋さんが必死の反発を口にします。
やけに気持ちの入った『今度こそ』が引っ掛かりますが、ともかくそんな強い気持ちは、私のみならず雷門さんの心をも突いたようでした。
彼女は僅かに目を見張り、それから一呼吸の後に静かに頷きました。
「……そう。けれど木野さん、あなた、わかっているかしら。米田さんもだけれど……そもそもの話、彼女は本当に思うがままにサッカーなんてできていて? 実際、今はベンチじゃない」
「それは……だって、監督が――」
「そうじゃなくって、ほら……円堂くんよ」
「っ……」
「……円堂さんがって、雷門さん、何のお話ししちゃってるんです……?」
突然、脈絡なく出て来たその名前。私には関連性がさっぱりですが、秋さんは言葉に詰まってしまいます。それが私の首を傾けさせました。
確かに円堂さんの調子は今、はっきり言って悪いでしょう。おかげで負け越し、私もスタミナ消耗することになりました。
劣勢の原因を言うなら彼なのかもしれませんが、それは“私のサッカーに”という意味で、何か影響をもたらしたとは思えません。
このチームでサッカーを続けるために、私はチームを勝利させなければなりません。それを潰そうとしているのは――私を後半戦に出さなかったのは、響木さんです。
私に、“私のサッカー”をさせまいとしているのが響木さんであることは、疑いようがないでしょう。
「あなた、本当に今、試合に出たい? 出なければならない、と思ってはいない? 円堂くんたちみんなの代わりに一人で戦わなければならないサッカーは……本当に、
「……ッ!」
秋さんに続いて私も息を呑む羽目になりました。
“私のやりたいサッカー”とは何か。
それは楽しいサッカーです。円堂さんとやったサッカーが楽しかったから、私は一度は飽きてやめてしまったサッカーをまた再び始め、この雷門サッカー部に入部することを決めました。
そうして再び手に入れたサッカーを、円堂さんとの楽しいサッカーを手放したくないから、響木さんの言葉に胸の奥深くまでを貫かれてしまったのです。
しかし――今はどうでしょう。
この試合の前半戦、不調の円堂さんの分までと頑張ったサッカーに、私が惹かれた“楽しいサッカー”はあったでしょうか。
……尾刈斗戦、野生戦、御影専農戦、そして秋葉名戸戦。それらの試合を戦う中で常に背に感じることができていた“あの感覚”は、この試合の中には――
「……その答えを、他人が教えるわけにはいかん。それは己で気付かなければ意味のないことだ」
ハッとなって、思索に沈みかけていた意識が浮上してきました。見上げると、やはり私をじっと見つめていた響木さんと眼が合います。
しかし今度は身体が強張ることはありませんでした。
緊張はまだあれど、さっきと違って頭は明瞭。胸の内にも恐れの類はほとんどなかったのです。
その理由はたぶん、私が響木さんの……響木監督の言わんとした心情を、おぼろげながら察することができたから。
「ベータ。お前は、知らなくてはならない。これからも雷門でサッカーをしたいなら、まず雷門のサッカーを知るところから始めるべきだ。……それが、きっとお前のやりたいサッカーに繋がるだろう」
私は円堂さんのサッカーに惹かれたと言いながら、彼のサッカーの何に自分が惹かれたのか、全くわかっていないのです。
好きな食べ物は挙げられても、それが甘いのかしょっぱいのか、どんなフレーバーをしているのかがわからない、というような不思議な状態。そのどこが好きなのかと聞かれれば、味もわからないくせに“
だから当然、この試合にいつもの楽しさを感じられなかった理由なんて、私に理解できるはずがありません。
しかし私は理解しなくてはなりません。その楽しさの本質を。響木監督のことだけでなく、きっと、本当の意味で“私のサッカー”をするためにも必要なのです。
と、その時。
「――円堂ッ!!」
不意にピッチから騒めきが聞こえてきます。反応した私の顔はそれまでとても直視できなかった試合の場をあっさりと捉え、そして炎渦巻くシュートが円堂さんに直撃する瞬間を目撃してしまいました。
一瞬の困惑。シュートはぶつけただけであるようで、オウンゴールにはなってはいませんが、だとしても理解不能です。
しかし頭上から、そんな異常事態の中でも酷く落ち着いた響木監督の声が言いました。
「円堂は……あいつは、とんでもないサッカーバカで、キーパーだからな。例え何度躓いても、何度でも立ち上がって必ずゴールを守る。そんなやつだ。……ベータ、お前が答えを見つけるまで、きっとあいつはお前の背中を守り続けてくれる」
見上げると、ピッチの円堂さんたちに向いていた眼が、応じるように私へと頷きかけていました。
「だから安心して試合を楽しんで来い。そして今一度、確かめてみろ。お前の望んだサッカーというものを」
私が望んだサッカー……。自然と視線が再び円堂さんへ向かいます。
そこにはさっきまでの不調な彼の姿はなく、いつもの熱意で目を熱く輝かせた円堂さんが、豪炎寺さんからの“ボール”をしっかりと受け止めている姿がありました。
「……輝きを取り戻したようね、円堂くん」
「ハハハ……そうでないとね……! 身体張った甲斐があったってもんだよ……」
「……あれ? 土門さん?」
やれやれと言わんばかりな雷門に続いて、すぐ傍で土門さんのため息が聞こえました。
一瞬反応が遅れてしまいます。だって彼はスタメンディフェンダー。今もフィールドで戦っているはずです。
と思って視線を声のする方、ベンチに座っている私からさらに下方に向けて――また一瞬、言葉を失ってしまいました。
「……どうしちゃったんです? その怪我」
「え……み、見てなかったのかよ? 文字通り身体を張った、俺のスーパーセーブ……うぐぐ……」
頬のあたりが大きく晴れています。指摘の通り全く気が付きませんでしたが、たぶん顔面セーブか何かしたのでしょう。円堂さんのフォローのために。
ともかく怪我の具合からして試合は無理そう。ディフェンダーが一人欠けてしまっているわけです。
「ベータ。土門の代わり、行けるな?」
「……私のポジション、フォワードなんですけど」
欠けた穴、ディフェンダーに、響木監督は私を投入するつもりである様子です。控えのメガネさんはともかく、影野さんにはちょっと申し訳なく思ったりもしますが、選択肢は一つだけでした。
「……ディフェンスは嫌か?」
「見てるだけのサッカーなんて、ちっとも面白くありませんもん」
体力も十分回復できました。なら嫌なんて言う理由はありません。
一つ深呼吸をしてから、私はベンチから腰を上げました。
現実では一度控えと交代した選手は特別な場合を除いてその試合には復帰することができないルールになっていますが、超次元サッカーなので問題ありません。
そういうことです。
ゆるして。