夕日の色が空に広がる頃、ようやく祝勝会はお開きとなりました。
八分目だったお腹は、雷門さん――もとい夏未さんのマネージャー就任祝いとして追加された料理のせいで、もうすっかり満腹状態。若干のお腹の苦しさと油分の取り過ぎによる罪悪感には、明日からの練習のためのエネルギー補給だと言い訳をする必要がありましたが、ともかくそうして私はお店を出たのでした。
そして帰り道。商店街入り口に掲げられている『雷門中、地区大会優勝おめでとう!』という、地域ぐるみの横断幕をなんとなく避けて横道へ。円堂さんたちの熱気に当てられた身体を、商店街付近の路地という状況で少しばかり乱暴に冷ましつつ、一人家路を進んでいたその時です。
人気のあまりない静かな道だったからこそ、その声は無暗にうるさく響きました。
「あ、あのッ! ……もしかして、サッカー部の人ですか?」
「……ええ、そうですけど」
声のした方に振り返ると、廃倉庫らしき大きな建物の角に女の子と見まがうほどのかわいらしい顔をした男の子が立っていました。
走り寄ってくるその子には、やっぱり見覚えがありませんでした。しかし制服からするに、同じ雷門中学校の生徒ではあるようです。彼ら一般生徒にも私たちが地区大会優勝という偉業を達成したことは知られていますし、今の私は部のジャージ姿。もしかして、手ずから祝福しに来てくれたりしたんでしょうか。
という、そんな予想をしたのですが、実際は全く的外れ。ここへたどり着く前にもずいぶん走っていたのか、彼は息せき切って言いました。
「俺、陸上部の一年で、宮坂っていいます! 今日サッカー部は、このあたりで祝勝会してるって聞きました! それで、その……俺、風丸さんと話したいことがあって……祝勝会、どこでやってるのか、教えてもらってもいいですか?」
「風丸さんと……? なら残念ですけど、ちょっとわからないですね。祝勝会、ちょうどさっき終わっちゃったところなので」
「お、終わった……? じゃあ、風丸さんは……」
「お家に帰ってる途中です」
けれどもちろん、私は彼の家がどこにあるのかなんて知りません。だから返事はこれで終わり――なのですが、少し気になりました。
風丸さんの古巣である陸上部の後輩だったという宮坂さんは、こんなに急いでいったい彼に何の用があるのでしょう。それが、よくわかりません。
陸上部の彼が、以前はともかく今は別の部活動をしている風丸さんに、火急の用があるとは思えないのですが。
「そ、そうですか……」
「力になれなくてごめんなさい。……でも、宮坂さん、風丸さんに何の御用だったんです?」
『わからない』と聞いて途端に身体の力が抜けたのかへにゃりとアスファルトの地面にへたり込んでしまった彼に、その目的に興味が湧いてしまった私は思わず尋ねてしまいます。
そしてノロノロと視線を持ち上げた彼から、想像だにしなかった言葉を聞くことになりました。
「……サッカー部が全国行きを決めたって聞いて、いてもたってもいられなくなって……。だって、そこまで行ったならもう十分でしょう? 役目を終えたなら、もうそろそろ陸上部に戻って来てくれるんじゃないかって思って、それを聞きたくて……」
「陸上部に……?」
「はい。サッカー部も、今は部員だって足りてるんでしょう? だったら風丸さんが助っ人に入る必要も、もうないじゃないですか」
「え……もしかして、風丸さんって籍はまだ陸上部に置いちゃってたんです?」
驚きです。なぜなら私はてっきり、風丸さんはもう完全にサッカー部に移籍したものと思っていたのです。
いえ確かに、思い返せば彼がそう言っていたわけではありません。しかし同時に『陸上部に戻る』なんて話も一度も聞いたことがなく、私の知る雷門サッカー部には最初から風丸さんが居たことも相俟って、陸上部としての風丸さんを意識したことはありませんでした。元々帝国戦のための助っ人だったことも、言われるまで忘れてしまっていたくらいです。
という驚きが思わずそのまま口に出てしまって、それが風丸さんの陸上部復帰を望んでいるらしい宮坂さんの表情をピシリと固まらせてしまいます。しまったと思った時にはもう遅く、風丸さんの意思を悟ってしまった彼は、愛しの先輩のそれを認めたくないあまりに、一転して私に敵意の眼を向けてきました。
「……か、風丸さんにはもう陸上部に戻る気がない、とでも言いたいんですか……!? そんなわけない! あなたたちが引き留めているんでしょう!? 風丸先輩の足が惜しいからッ!」
「……引き留めてなんていませんよ。それに、そうまでするほど風丸さんが絶対必要ってわけでもありませんし。宮坂さんの言う通り、部員は足りちゃってるんですから」
本当に、別に今日風丸さんが「陸上部に戻る」と言い出しても我が部に特別問題はありません。部員が足りているのはもちろん、彼が抜けたディフェンスの穴程度なら私がちょっと気を回すだけでも塞げるでしょうし、それに敵の攻撃は何であろうと円堂さんがすべて止めてくれることでしょう。
なので私たちが風丸さんを引き留めている、というのはあり得ない話なのですが、当然、勢いよく立ち上がって肩を怒らせる今の宮坂さんにそれを言っても信じてはもらえないでしょう。
ヒートアップさせてしまったのは全くもって失敗でした。が、もちろんそれを悔いても仕方がありません。正直にため息を吐いても彼をさらに興奮させてしまうだけならば、私もそれを呑みこむしかないでしょう。
しかし口をつぐんでも尚、宮坂さんは憤怒に震えたままでした。その怒りのボルテージは上がり続け、やがて彼はますます声を荒げます。
「じゃあ、なんで風丸さんは陸上部に戻って来てくれないんですか!? おかしいじゃないですか! あんなに一緒に……一緒に、練習したのに……っ!」
「うーんと……それは、サッカーが楽しいからなんじゃないでしょうか。助っ人をやめるにはちょうどいいタイミングなのにそんな話は出なかったんだから、それ以外になくないです?」
「そんなはずないッ! 風丸さんは優しいから、あなたたちに遠慮して言えないだけなんだ!」
「そ、そういうこと言われちゃうと、もう私が何言っても意味なくなっちゃう気がしちゃうんですけど……」
「風丸さんが……風丸さんが陸上を捨てるなんて、そんなのありえない……! サッカーなんかよりも、陸上の方が――」
とうとう目つきまで危ない感じになってきました。遠慮もきれいさっぱりなくなって、詰め寄ってくる宮坂さんに廃倉庫まで追い詰められてしまいます。背中が倉庫の大扉にぶつかっても彼は止まらず、やがて何やら不穏な言葉までもが口から顔を覗かせてきました。
そしてそれが吐き出される、その直前。
「うるせぇッ!! さっきからギャーギャーと……公道で何を騒いでいやがんだ小僧どもッ!!」
「きゃっ……!?」
突然押し付けられていた倉庫の戸が開き、中から耳が痛いほど大きなおじさまの怒声が飛び出してきました。
さらに背を押し付けていた壁が消えて尻餅をついてしまった私の頭上、声の主であるおじさまは、見やればかなり大柄で顔もこわもて。いろんな意味で怖そうななのに、そこにさらに怒り顔までもが加わってしまっています。
宮坂さんも一瞬のうちに我に返って青い顔になってしまうほどで、瞬時に立ち上がった私共々、慌てて頭を下げることになりました。
「ご、ごめんなさいっ! そ、その……」
「部活のこと話してたらちょっとエスカレートしちゃったんです。ごめんなさい。……すぐに行きますね?」
そしてすぐさま離脱すべく、頭下がったままの宮坂さんの手を引っ張ります。こんな見るからに危なそうな人相手に下手に許しを乞うてはお説教を誘発してしまって危険です。だから投げつけるような謝罪をして踵を返したのですが、しかしどうやらそれでも遅かったようでした。
というか、私の顔とサッカー部のジャージを見られてしまった時点で、もう手遅れだったのでしょう。
「……いや、待て。そっちの嬢ちゃん、もしかしてサッカー部の子か? 雷門中の……あの帝国に勝っちまったっていう、フォワードの米田」
「……ええまあ、そうですけど」
背を呼び止められ、仕方なく再びおじさまに向き直ります。声と同じくキョトンと私を見つめる顔からはそれがどういう意図なのか読み取れず、不気味です。
しかし直後、宮坂さんの驚きの声がそれを霧散させてしまいます。
「えっ!? フォワード……って、選手ってことですよね!? 先輩、マネージャーじゃなかったんですか!?」
「マネージャーだぁ? んなわけねぇだろ。筋肉のつき方に重心のバランス、それにさっき
「えっ……き、筋肉……? そ、そうなんですか……」
「おうよ! しかし……こんな、虫も殺せなさそうな子がねぇ……。エース並みにバンバン点取ってるんだって? 大したもんだなぁ」
乾いた笑いが、おじさまの口から漏れました。
そこにあったのは、嘲りの笑み。そしてそれはいかにもあからさまで、意味もあまりに明白でした。彼は私のような小娘が活躍できるようなレベルなのかと、中学サッカーを嗤っているのです。
そしてその中にもう一つ、異なる感情も見えたような気がしましたが――しかしともかく、『筋肉で選手かどうかわかる』とかいう胡散臭い感じも含めて、なんというか、キモいです。私や円堂さんたちまでまとめてバカにされたようで腹立たしいのも含めて、相手をする気が急激に失せてきました。
お説教を仕掛けてくる雰囲気ではありませんし、もう無理矢理にでも逃げてしまいましょう。そう決めて、精一杯の愛想笑いで言いました。
「ありがとうございます。それじゃあ、失礼しますね」
が、しかし。
「ああ待て待て! その前によ、一つサインくれねぇか? 帝国に勝った女子選手のサインなら、もしかしたら店の宣伝になるかもしれねぇからよ!」
と、一瞬倉庫に引っ込んだおじさまが、長い間しまわれていたことがよくわかる汚らしいサッカーボール持って出てきました。
二重のイライラ。バカにするのもいい加減にしてください、という言葉はギリギリのところで抑え込み、その代わり。
おじさまが私めがけて抛ってきた緩やかなボールを、私は思い切りボレーで返してあげました。
それが文句を言うよりもマズイ行いであることに気付いたのは、その数秒後でした。
「あっ……」
ぐらわあぁぁん、と。
おじさまのすぐ横を貫いて倉庫内にボールが消えた直後、そんなやかましい反響音が辺りに響き、そこで私は我に返ります。
やっちゃいました。倉庫を滅茶苦茶にしちゃいました。しかも気のせいでなければ小さくパンッと何かが割れるような音が聞こえた気もします。
もう言い訳のしようがありません。おじさまのお説教から逃げれる言葉なんて全く思いつきません。
だからもう物理的に逃げ出すしかないと、ほんの一瞬の逡巡の後、決めた私はあまりの事態に呆然としている二人に向けて、
「あの……サインは、ごめんなさい。そういうことなので……」
それだけ小さく口にして、その場を逃げ出したのでした。
そして、
「――ハハッ……!」
という、おじさまが漏らした声がにやりと好戦的に笑ったことは、もちろん私には見えませんでした。しかし次の日、私は意外にもそれを知ることになったのです。
――翌日。祝勝会がお開きになった後に何かあったのか、いきなり円堂さんから「河川敷で伝説のイナズマイレブンと練習試合をするぞ!」などという連絡が飛んできました。
“伝説のイナズマイレブン”。それは響木監督も在籍した、四十年前のサッカーチームのことです。伝説になるほどの強さを誇ったチームと戦えるのなら、それはまあ光栄なことなのでしょう。響木監督がいるのだから招集をかけるのも不可能ではないのでしょうし、円堂さんじゃなくても興奮するのも納得です。
ただし一夜明けた私は、ちょっとそれどころではありませんでした。
寝て目覚め、パニック気味だった頭がリセットされてようやく思い至ったのですが――昨日の廃倉庫でのあの出来事。あの場面での逃走の選択は、最悪に最悪を上塗りするが如き最悪手だったのではないでしょうか。
私はあの強面のおじさまに、学校に所属部に、果ては名前までもを知られてしまっていました。ならば彼がクレームの付け先に悩むことはないでしょう。私の不祥事は間違いなく学校に伝わるはずで、それが巡り巡って私たちのフットボールフロンティアに影響を及ぼすことも、まあ至極当然の流れと言えるでしょう。
そうなってしまったらもう、土下座でも到底足りません。あの時ちゃんと、誠心誠意謝っておけばよかったのに――と、キリキリ胃を痛ませながら、言われた通りに河川敷に訪れることになったのでした。
そうして到着したそこで、私は見たのです。
「おっ! 来たな!」
その強面のおじさまが、雷門OBのユニフォームを着て私にぶんぶん手を振っているのを。
どうして彼がこんなところにいるんでしょうか。まさか直接文句を言いに来たのかと、一瞬頭が真っ白になってしまいましたが、直後にそれを打ち消す明るい声音が、ベンチ近くでたむろしている円堂さんたちから放たれました。
「よっ、ベータ! 遅かったな、お前が最後だぜ? 俺たちもイナズマイレブンの人たちも、もうみんな揃ってるぞ!」
「……イナズマイレブン……?」
「おう! ほら!」
オウム返しに聞き返す私に、円堂さんが反対側のベンチを示します。眼をやれば、強面のおじさま以外にもおじさまがいっぱいいることに気が付きました。
しかもその、それぞれがどこかで見た覚えのある顔。
「びっくりしたでしょ? 生活指導の菅田先生に、理髪店の髪村さん。他もみんな稲妻町の人たちなの!」
「ウチの場寅もね。まさか彼がイナズマイレブンの一員だったなんて……今でもちょっと信じられないわ」
「イナズマイレブン……なんですか? あの人たちが?」
秋さんと夏未さんの言うように、そこにいるのは思いもよらないほど身近な人たちです。菅田先生や雷門さんの執事の場寅さんなんかは特にそう。
そんな彼らが伝説とうたわれたサッカーチーム。驚きです。
いえ、というか――
「おじさまも、イナズマイレブンだったんですか……」
「おうよ! イナズマイレブンの点取り屋、“雷門のライオン”とは俺のことだ!」
こわもてのおじさままでそうだったなんて、これはいったいどういう巡り合わせなのでしょう。
「備流田、お前、ベータと知り合いだったのか?」
「べーた? ……ああ、いや、昨日が初対面だ。倉庫の整理してたら色々あって、シュートぶち込まれちまってよ!」
「……ほう? シュートを……」
瞬間、響木監督のサングラス越しの視線が鋭くなって、私は困惑交じりの驚愕から引き戻されました。さっきの土下座の妄想が蘇り、瞬時に謝り倒そうとしたのですが、しかしその前に強面のおじさま、備流田さん。
「ああいや、おかげで俺もいい刺激もらえたから、それは別にいいんだよ。四十年前の、あの時の気持ちをもっかい思い出せたんだからな。……ってか、謝らなきゃならねぇのはむしろ俺の方だ」
「え……ちょっ……!?」
「悪かった。あの時、サッカーを……お前らのサッカーをバカにしちまって」
響木監督の詰問の眼を遮り、頭を下げてきました。
謝ろうとしたら逆に謝られる、というおかしな事態。顔と勢いに見合わない突然の行動に、私の頭の方が間に合いません。備流田さんの後頭部を唖然と見つめる他なく、そしてその内に彼は頭を上げて、謝罪の神妙な表情に代わり、今度はにやりと不敵の笑みを浮かべ、言いました。
「侘びに、今日は試合ついでにイイモノをプレゼントしてやる。モノにできりゃあ、お前にとってもすげぇ武器になるようなものをな! 期待しとけ!」
そして彼は響木監督共々、再びイナズマイレブンのベンチへと戻っていきました。
その後姿を見つめて見送り、そして今まで備流田さんとのやり取りを見守っていた円堂さんが、期待感に溢れた顔で言いました。
「“イイモノ”……よくわからないけど、よかったなベータ! 伝説のイナズマイレブンのメンバーがくれるんだから、きっとすごいものに違いない!」
「ベータだけじゃないさ。これから俺たち、伝説のイナズマイレブンと試合するんだぜ? この経験は、きっと俺たちをもっと強くしてくれる!」
「ああ。胸を借りるつもりで、全力でやろう」
風丸さんと豪炎寺さんに続いて、他の皆さんも気合十分に頷いています。
伝説という憧れを前にしているのですから、それは当然の向上心でしょう。が、しかし。
備流田さんと響木監督を見送っていてもう一つ気が付いたのですが、なんだか二人以外、イナズマイレブンに迫力を感じません。談笑に勤しむおじさま方にはどうにも緩い空気が漂っているようで、皆さんが期待するような強さを本当に彼らは持っているのか、ちょっと不安になってきます。
……いえ、そんなのは気のせいです。少なくとも、この試合を楽しみにしている皆さんの前で口にすることではありません。
そうやって湧いた思いは押し込めて、私は練習試合に臨んだのでした。