風丸さんたちとのお話の後、現れた雷門さんは明らかに惑乱していました。
不安と心配を押し込めたような表情で、どうしたのかと尋ねても「パパが……」とうわ言のように繰り返し、一刻も早くといったふうに何の説明もしないまま一人でどこかに向かおうとするような有様。もちろん放っておくことはできず、さりとて止めることもできなかったので、キャプテンだからと円堂さんと、そして女子でちょうど帰り支度を終えていた私が付いていくことになったのです。
そうして雷門さんの後を追いかけたどり着いたのは、スタジアムにほど近い大きな病院。その、特に重篤な患者さんたちが収容されている静かな区画でした。
そこまで来れば、さすがに雷門さんの惑乱の理由も察せられてしまいます。だからやはり雷門さんには私たちのことを気にするような余裕もなく、病室の戸の前で項垂れる執事さんを見つけた瞬間、脇目もふらずに彼に取り付き、悲痛な声を上げました。
「場虎っ!! パパは――っ……!!」
「お、お嬢様……!」
彼女は何かに導かれるように、面会謝絶で閉じ切られた病室の唯一の窓に眼を向け――そしてその動きをピタリと止めてしまいます。痛ましそうな眼差しでそれを見つめる執事さん。遅れてたどり着いた私たちも、二人の間からその中を見ることになりました。
力なく目を閉じた雷門さんのお父さま、理事長さんが、ベットの上に横たわっていました。
身体はほとんどがシーツの下ですが、それでも出ている顔や腕には夥しいほどの怪我と手当の跡が刻まれています。包帯まみれで、肌が出ている面積の方がずっと少ないほどの、一目見ても重症を負っていることがわかるようなあんまりな惨状です。
他人の私たちでさえ、思わず眼を背けたくなるほど。となれば娘の雷門さんが受けたショックは、きっととてつもないものだったでしょう。彼女は言葉を失ったまま後退り、それを慌てて執事さんが支えると、そのまま椅子に崩れ落ちてしまいました。
やがて現実を受け止め切れないのか呆然としていた顔が俯き、彼女はか細い声を震えさせながら訪ねました。
「……パパに……お父さまに、何があったの……?」
「……事故に遭われたのでございます。影山の件での対応のためにお出かけになられたすぐ後に。車に同乗していた他の方々にも負傷者は出たのですが、その中でも旦那様のお怪我は重く……ずっと意識も戻らず……」
「そんな……っ」
「雷門さん……」
意識が戻らない。そんなことまでもを告げられては、雷門さんの心だって限界です。膝の上で祈るように手を組み、震えだしてしまった彼女を見ていられず、私は思わずその手を握り締めてしまいます。
が、そんなもので慰められるはずもなく、彼女は「大丈夫……大丈夫よ……」と言葉だけの平静を騙るばかり。
そしてそんな震え声を大きな深呼吸で無理矢理に抑え付けると、彼女は私たちに赤みを隠した目を向け言いました。
「……ベータさん、円堂くん、ついてきてくれてありがとう。私はもういいから、みんなのところに戻ってあげて。練習に遅れるわよ」
「……何言ってんだよ。伊賀島との試合が終わったばっかりなんだ。さすがに今日は練習も休みだぜ」
「だとしても、反省会とかミーティングとか、いつもやっているじゃない。……いいから、行って。練習の妨げになりたくないの。理事長も、きっと同じことを言うわ。あなたたちには、フットボールフロンティア優勝を成し遂げてもらわないといけないんだから……」
確かに執事さんもいることですし、この場に私たちが留まる必要はありません。できることもありません。ならば彼女の言う通り、やるべきことをやるために戻るのが合理的なのでしょう。
しかしだからといってすんなり「わかった」と言えるほど、雷門さんとの関係は浅くありません。円堂さんと顔を見合わせ、やはり同じ思いであることを確かめてしまえばなおのこと。むしろ手を握る力が強くなってしまって、雷門さんに、弱々しく困ったような笑みを作らせてしまいました。
「……もう、だから大丈夫だってば」
「そうは言いますけど……こんな時期に事故なんて、なんだか不穏な感じですし……」
「影山の仕業じゃないかってこと? それこそ心配する必要なんてないじゃない。彼は逮捕されたんだから」
おっしゃる通りです。どうにか捻り出した居座る口実も、早速一刀両断されてしまいます。
「……お嬢様、そのことなのですが……」
「場虎……?」
がしかし。私たちを追い払うように振られた雷門さんの手は、執事さんの酷く言い辛そうな物言いに止まることになりました。
ともすれば後悔の念すら滲ませたような表情で、彼は懐から書類の束を雷門さんに差し出します。
「それは……?」
「端的にご説明するのであれば……影山の悪意は未だ潰えていないのではないか、という疑念です」
「疑念……? 場虎、あなたは何を言っているの……?」
「詳しくはこちらに。旦那様はお仕事の傍ら、ずっと影山についてお調べになっていらっしゃったのです。……もし自分に何かあればこれをお嬢様にお渡しするようにと、私にお命じになり……その矢先にこんなことに……」
「それって……っ」
つまり、理事長さんは口を封じられた、ということ……?
執事さんの言わんとすることを察した瞬間、背中にぞくっと悪寒が走り抜けました。
もちろん、常識的に考えればあり得ません。疑念もなにも影山はもう捕まったのですし、口封じなどということができるはずがないのです。
しかし、同時に『あり得るのでは』と思えてしまうのも事実。状況証拠が揃ってしまっていることだけでなく――なにより、あの悪意の塊のような男ならば、捕まっていてもそれくらいのことはできてしまえるんじゃないかと、そう思えてしまうのです。
だからそれは私が影山の悪意と直に対面した経験から生じる、ただの恐怖心であるのでしょう。あり得ないことだとわかっていますが、ともかく陰謀論だと笑って否定することはできそうにないのでした。
と、私がそんなふうだったから、もしかしたら深刻具合と真実味が伝染してしまったのかもしれません。
くしゃりという紙が潰れる音にハッとなって意識を引き上げると、病室の理事長さんを見つめる雷門さんの眼がその色を変え、抱える書類の束が腕の力で大きなシワを作っていました。
せっかく取り戻した理性をまたも失いかけている彼女。私の手にもまた力がこもります。
「雷門さん――」
しかし口にしかけた心配は、言葉になる前に思いもよらぬ人の声に立ち消えることになりました。
「――影山……?」
「えっ……鬼道!?」
円堂さんに続いて振り向くと、私たちがやってきた通路に佇む帝国学園のキャプテン、鬼道さん。唖然と口を半開きにしてこちらを見つめている姿がありました。
確か彼は私たちとの試合で足を痛めてしまっていたような気がします。病院にいるのはその治療のためかと、一瞬そう考えましたがしかし、よくよく考えればあの怪我はさして酷いものではないはずですし、日もだいぶ経っています。いまさらこんな大きな病院のお世話になる必要はないはずです。
ならばなぜと、考えていたせいで反応が遅れてしまいました。
「今、影山と言ったか!? 奴が何かやったのか!? 奴を見たのか!?」
「きゃっ!?」
「ちょ、ちょっと鬼道さん!?」
いつの間にか、鬼道さんが雷門さんに詰め寄っていました。
やはり足に問題はなかったようで、素晴らしい体捌きです。しかしその精神状態は平静とは言い難く、『影山』の一点以外視界に無いといった必死な感じに雷門さんの肩を掴んで揺さぶっています。
もちろん放ってなんておけません。円堂さんと共に若干手荒ながら鬼道さんを引きはがし、私の隣に座らせます。
「落ち着け、鬼道! 影山がどうしたんだよ!?」
「奴の企みは、まだ終わっていないかもしれないんだ!!」
そして円堂さんがどうにか落ち着けようと肩を掴むと、鬼道さんは逆にその手を捕まえて、必死の勢いで叫びました。
その言葉は先ほど執事さんが口にしたこと――あの“疑念”とまるっきり同じです。
なんだか一気に現実味が増してしまったような気がします。背に走る悪寒はより一層ひどくなり、そのために鬼道さんも私たちの“疑念”に気が付いたようでした。
ゴーグルの奥の眼が愕然と見開かれ、やがてがっくりと項垂れてしまいます。悟ってしまった現実味。さっきまでとは一転して肩が落ちてしまった彼に、円堂さんは再び尋ねました。
「……鬼道、何があったんだ?」
「……今日、俺たちも試合だったんだ」
「え、そうだったのか?」
「そうよ。……影山は中学サッカー協会の副会長だったから、そのゴタゴタでいろんな予定が乱れたのよ。……理事長の件も、たぶんその一環よ」
「それで……確か相手は世宇子中、でしたっけ。開会式を欠場した、あの無名の学校」
以前に見たトーナメント表を思い出しつつその名前を呟きます。
音無さんの情報網でも未だ有力な情報を得られないでいる、全く無名な学校です。わかったことといえば、特別推薦枠なる大人の事情を感じるお題目で出場権を得ているらしい、ということくらい。
そんな学校が強いだなんて、普通は思いません。
「ああ、世宇子中。……で、勝ったんだろ? もしかして、その後に何かあったのか?」
だから私たち全員、そこに疑問を持ってはいませんでした。試合があり、帝国が勝利し、その後に鬼道さんが惑乱するような何かがあったのだと、そう身構えていたのです。
「……負けたんだ」
「え……?」
そのせいで、絞り出すように鬼道さんが口にした言葉を、私たちはしばらく理解することができませんでした。
「ま……負けたって、それって、どういう……」
「手も足も出なかった……。完敗だったよ、大会前に俺たち帝国が雷門を負かした時のように……いや、あれ以上に、圧倒的な実力差でねじ伏せられた……」
「ねじ伏せられた……って、鬼道さんが? ……それ、冗談か何かだったりしちゃうんです?」
「嘘でも冗談でもない。……事実だ。見たことも聞いたこともない必殺技の数々に皆叩きのめされ、仲間たちは今もこの病院のベッドで苦しんでいる。なのに俺は……お前たちとの試合で負った足のダメージなんかを気にして、ベンチにただ座っていたんだ。仲間たちが倒れていくのに何もできず、気付けば手遅れ……笑えるだろ?」
持ち上がり、私たちを見上げた鬼道さんの顔には、弱々しい負け犬の笑みが浮かんでいました。
影山に逆らえなかった頃でも、こんな情けない顔はしていなかったはずです。
「そんなの……そんなの、笑えるわけない! なあ、やっぱり嘘なんだろ!? 帝国が負けるなんて、そんなことあるはずないじゃないか! お前たちの強さは、戦った俺たちが一番よく知ってる!」
「疑うなら確かめてみればいい。……影山から勝ち取った俺たちのサッカーは、終わった。それが事実だ」
どうしても信じられない様子の円堂さんが鬼道さんの肩を揺さぶります。が、それでも鬼道さんの乾いた笑みは消えません。
ならばつまり、真実なのでしょう。そして、その影山。
「それに……ああ、そうだった。もっと笑える話を聞かせてやるよ。世宇子との試合が終わった後、俺は奴の姿を見たんだ。なあ、どういうことかわかるだろう?」
「……世宇子中の背後に、影山がいるってことですか……?」
「ご名答。俺たちは、影山に勝ってすらいなかったってことさ。……甘かった。奴の影響力なら、手錠から逃れることくらい造作もないことだったんだ。……俺のサッカーは、どこまでいっても影山に捕らわれたまま、逃れることなんてできなかった」
どうやら“疑念”のほうも真実であるようでした。実際に姿を見たというのなら、理事長さんのことと合わせて間違いはないのでしょう。
逮捕されたはずの影山はしかし未だ日の下を歩き、そして世宇子でまたあの悪意を滾らせているのです。
鬼道さんがあんな情けない顔をしているのも、やはりそのせい。
影山の支配を脱して得た自分たちのサッカーが、他でもない影山のサッカーに敗北してしまった。そんなの、自分たちのサッカーを否定されてしまったも同然でしょう。そんな惨たらしい現実、誰であろうと受け止められるはずがありません。
「……なあ、俺が孤児だってことは知ってるだろう? 本当の両親は飛行機事故で死んだんだ。……小さすぎて、両親の顔すら覚えていない。だから唯一遺品として残ったサッカー雑誌だけが、親との繋がりだった。俺のサッカーの始まりはそれさ」
「鬼道……」
「影山に……あの人について行けば、サッカーを極められると思った。だがそれは偽りだらけで、それを捨て、俺は初めて俺自身のサッカーを手に入れた。勝利がすべてではないと、全力で正々堂々と自分の力で戦うサッカーこそが本当のサッカーなんだと……ここから俺のサッカーは始まるんだと、そう思っていたのに――負けた。偽りであるはずの影山のサッカーに、俺のサッカーは負けたんだ」
もはや笑いすら出てこなくなってしまったようです。鬼道さんは引き結んだ唇に形だけの笑みを滲ませ、天井の証明を眩しそうに仰ぎ見ました。
そして震えたため息を吐き出します。
「反逆の先にあったのは、何の反論もできない敗北だった。四十年続く帝国の伝説を終わらせただけだった。……なあ円堂、米田。俺のサッカーに、結局意味なんてなかったんだよ」
嗤ってくれとでも言いたげな風でした。
投げやりに訥々語った彼は、そこでとうとう取り繕うこともできなくなったようです。魂が抜けたように身体が椅子に沈みこみ、首が垂れて動かなくなってしまいます。
私にはそれを笑うことはもちろん、励ますこともできそうにありません。だって何しろ鬼道さんの言う通り、彼ら帝国はフットボールフロンティアから敗退し、その戦いも終わってしまったのですから。
かけてあげられるとすれば慰めの言葉くらい。そんな何の意味もない言葉を口にしようとした、その時でした。
「意味はある!!」
円堂さんは彼らしい堂々たる眼差しで、大真面目にそんなことを言いました。
その勢いに鬼道さんは面食らっているようでしたが、彼はお構いなしにニカッと笑って続けます。
「鬼道とのサッカーは楽しかった!!」
「は……?」
私たちからすればまたかと嘆息するような無邪気な笑顔でしたが、耐性のない鬼道さんは唖然とするほかなかったようです。
しかしもちろん、円堂さんは考えなしに聞こえのいい言葉を口にするような人ではありません。無邪気の中からしっかりと鬼道さんを見つめ、続けました。
「最初の練習試合も地区大会の決勝戦も、ボコボコにされたり、他にも色々あったけど、それでも俺はどっちの試合も楽しかった。……意味なんて、それで十分じゃん」
「……楽しかったから、それがなんだっていうんだ。そんなもの……」
「じゃあ鬼道、もしサッカーに意味が必要で、それがなかったとして――お前、サッカーやめるのか?」
「っ――!!」
鬼道さんがハッと顔を上げました。
サッカーをやめてしまうのか。諦めてしまうのか。私にだってわかります。
鬼道 有人というサッカー少年が、そう問われて立ち上がらないはずがありません。
「だろ? サッカーを愛する気持ちは、いつだってお前の心の中にある。なら、後は簡単だ」
「……だが、帝国は敗北した。俺はもう――」
「俺たちがいるじゃないか」
円堂さんは、鬼道さんにそう手を差し伸ばしました。
鬼道さんはそれを信じられないものを見る眼で見つめ、繰り返します。
「……俺に、雷門に入れと……?」
「ああ! 俺、お前みたいなやつと一緒にサッカーできたらすげー楽しいんだろうなって、ずっと前から思ってたんだ!」
「……まあ、そうね。あなたほどのプレイヤーなら、雷門の戦力増強という意味でも心強いわ」
どうやら以前から思い描いていたらしい円堂さんに、雷門さんも辛うじて毅然を取り戻し、頷きます。
確かにその通り。敵としては厄介なことこの上なかった彼も、味方であればそれほど頼もしいことはないでしょう。間違いなく即戦力になってくれます。
けれど――やはり、あまりに唐突な展開だったからでしょう。私の胸の内に、霧のように薄くではありますが、黒い靄のような感情が立ち込めます。
「……元敵をいきなりチームに入れちゃうとなれば、色々と反発も出てきちゃいそうですけど……?」
「サッカーを愛するやつに、敵も味方も関係ない! ……大丈夫、その時は俺がみんなを説得するよ!」
「なら、何も問題はないわね。……鬼道 有人。あなたが円堂くんに背中を預けるつもりがあるなら、理事長の娘として、雷門サッカー部はあなたを歓迎するわ」
しかしチームみんなに擦り付けた己の不安は、円堂さんの腕の一振りで退けられた後、さらに雷門さんによって反論の道筋までもを残さず断たれてしまいます。
そうなればもう私は口を出せず、後は鬼道さん次第。しかしそれも、彼の眼はすでに答えを物語っていました。
「……俺のサッカーがまだ俺の中にあるのなら、俺は……!」
鬼道さんは己に伸ばされた円堂さんの手を、力強く掴みました。
とんでもなく沼っていつの間にか四ヶ月経ってたしその間に新作のベータテストが告知されて始まってたしベータテストなのにベータちゃんおらんやんwって言おうと思ってたら追加が予告されちゃったしもう色々と私はダメです。
それはさておき誤字脱字報告ありがとうございました。