雷門中のベータちゃん! ~連載版~   作:もちごめさん

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第五十六話 一之瀬 一哉の再始動

 この先これ以上のものは一生ないだろうと、そう確信するほどの衝撃を味わった後、案の定グラウンドの無断使用を怒られた私たちは、いつもの河川敷へと場所を移すことになりました。

 

 とはいえ、赴いた面子は少数です。三兄弟は監督さんに怒られながら首根っこを掴まれて連れていかれてしまいましたし、円堂さんたちも再会の邪魔をしてはいけないと空気を読んで各々帰路についてしまっています。

 

 もちろん私も、友人とはいえ部外者であることに変わりありません。だから当然皆さんと同様に一人その場を後にするつもりだったのですが、しかし秋さんや、一之瀬さんにも少し話そうと誘われてしまってはそういうわけにもいきません。

 場違い感を感じながらも一緒に河川敷の堤防斜面に座り込み、すっかり日が暮れた夕焼け空を眺めながら四人とのおしゃべりをすることになったのでした。

 

 

「……今日は人生で一番驚いた日だよ、全く。秋と土門に再会できただけでも十分なのに……まさか一之瀬が生きてたなんて」

 

「ホントにね。またアメリカ時代の仲間が揃う日が来るなんてさ」

 

「しかも今は佳ちゃんだっているわ。全員でこうして話せるだなんて、私、夢でも見てるみたい……。こんな奇跡、起こるものなのね」

 

「本当に、奇跡ですよねいろんな意味で。私としても、同姓同名の他人だとばかり思っちゃってた一之瀬さんが亡くなったはずの本人だったなんて、今でもちょっと信じられないくらいです」

 

 

 そこそこの時間が経っても尚、微塵も冷めない興奮で眼を爛々とさせている皆さんに、私も本心からの相槌を打ちます。

 

 一之瀬さんが同姓同名の他人ではなく本人であったことも、そんな彼が他の誰でもない私と交友があった彼であったことも、一つだけであればなんとか偶然と片付けられるような事柄が二つ重なってしまったことは、もはや奇跡としか言いようがないでしょう。

 どこか運命的なものすら感じてしまいます。私だけでなく、きっと皆さんも同じ心境であるに違いありません。

 

 ――違いありませんが、しかしです。

 

 

「それで……一之瀬さん。結局のところ、どうして『亡くなった』なんてことになっちゃっていたんです?」

 

 

 そこの事情への興味が、やっぱり喜びや驚きよりも勝っています。

 

 なぜ一之瀬さんは亡くなったことになっていたのでしょう。そして彼はどうして自らの生存を誰にも話さず、一人で抱えていたのでしょう。

 秋さんたちにしっかり事情を説明するべきであることは、誰の目にも明らかであるはずです。豪炎寺さん然り、なぜこんな大事なことに口を閉ざしてしまうのか。

 そう首を傾げ、あるいは責める眼は、喜び驚き安堵する秋さんたちの中にも間違いなく存在しています。そして一之瀬さんも、きちんとそれを理解しているはずです。でなければわざわざ河川敷で話そうなどという提案をしてくるはずがありません。

 

 そんな私と、皆さんの眼差し。一之瀬さんはそれらを一身に受け止めて、一つ深々と深呼吸をしました。そしてその後に、彼はようやく口を開きます。

 

 

「……わかってる。話すよ。あの時俺が、どうして死んだことになったのか――どうして死んだことにしてもらった(・・・・・・・・・・・・)のか……」

 

 

 事のあらましは、ともすればまるで関係がなさそうなアメリカでの暮らしから始まりました。たぶん、一之瀬さんには心の準備をする時間をする時間が必要だったのでしょう。土門さんたちアメリカでのチームメイトとの出会い、関わり、そして少年リーグでの華々しい活躍と、訥々と話が巡っていきます。

 そうしてやがて要の部分、子犬を庇って事故に遭ったことが、話進むうちにすっかり重くなってしまった彼の口から語られました。

 事故。それで一之瀬さんは亡くなってしまったというのが、私たちが聞かされてきた事実です。

 

 

「……でも、実はお前は生きていた。……どうしてだ……?」

 

 

 どうして生きていたのに亡くなったことになったのか。皆を代表して土門さんが神妙に尋ねます。一之瀬さんはそれに小さく頷いて、俯き加減に続けました。

 

 

「……確かに俺は生き延びた。だが無傷じゃなかった。あの事故で、俺は……足を怪我したんだ。もう二度と、サッカーはできないって言われるほどの……」

 

「……!」

 

 

 その告白に、皆さんビクリと背を跳ねさせました。心配そうな眼がパッと一之瀬さんの足に向きますが、しかしもちろん、すでにその怪我は治っています。

 初めて病院で出会った頃こそ松葉杖を突いていましたが、今やそれも足の包帯もなし。千羽山戦の前に会った様子からしても、サッカーするにももう何の問題もないくらいに完治しているはずでした。

 

 そしてそれがきっと、秋さんたちの前に姿を現すことを決めたそのきっかけ。であれば姿を隠すきっかけになったのも、またそれによるものだったのでしょう。

 一之瀬さんはそのことを悔いるように、しかし同時に仕方がなかったのだと言うように、苦々しげに口にしました。

 

 

「俺は……サッカーができなくなった俺を、みんなに見られたくなかったんだ……」

 

「見られたくなかった……?」

 

「ああ……」

 

 

 言ってみればそれは、強者故の挫折だったのでしょう。

 

 アメリカ時代、『フィールドの魔術師』なる異名を持ち、当時のチームを少年リーグ優勝にまで導いた立役者だった彼。そんな才能あるプレイヤーだったのですから、きっとみんなから頼りにされていたはずです。

 なのに突然その才能が――皆が求める一之瀬さん(自分)の価値が消え失せてしまった。その時、彼が味わっただろう恐怖と絶望感を、私は容易に想像することができます。

 私も同じ思いを味わった経験があるからです。例えば戦国伊賀島戦、例えば千羽山戦。皆さんの期待に応えられず、自分の居場所がなくなってしまったかのような疎外感は、今思い出しても身体の芯まで凍り付くような気分になってしまいます。

 

 

「サッカーができなくなった自分が、皆に失望されてしまうんじゃないかって怖かった。だから死んだことにしてくれって頼んだんだ……」

 

「そんな……失望なんて、そんなのするわけないじゃないか……! サッカーができなくなったって、一之瀬は一之瀬だろう!?」

 

「わかってる。……わかっては、いたんだ。みんなは失望したりしないって。……決して、皆を信じられなかったわけじゃない」

 

「じゃあ、どうして……」

 

 

 頭ではわかっていても、制御しようのない感情。やはり土門さんや秋さんには理解し難いものであるようで、困惑気な眼差しが、首を振る一之瀬さんへと向けられます。

 一之瀬さん俯き加減にそれを受け止め、ぽつりとつぶやくように口にします。

 

 

「……きっと、俺の心が弱かったせいだ。俺は秋や土門や西垣、チームのみんなは信じられても、俺自身のことは信じられていなかった。『フィールドの魔術師』じゃない、俺自身のことが……」

 

「一之瀬くん……」

 

 

 皆に信じられるに足る選手なのか、わからなかった。そんな声が立ち消えるように小さく萎んでいきました。露になった後悔に、秋さんたちもそれ以上何も言えなくなってしまいます。

 しかしそんな後悔の中にあっても、一之瀬さんは立ち上がりました。堤防の芝生から腰を上げ、陰りを拭った決意の眼差しで私たちを見渡します。

 

 

「俺は、一度間違いを犯した。でもだからこそ、もう絶対に間違えない……! 今度こそ……っ」

 

 

 頭を下げて、言いました。

 

 

「だから、頼むみんな……! 俺がもう一度サッカーをするために、協力してほしいんだ……!」

 

「もちろん! ……でも、協力って……?」

 

 

 元よりその決意を腐す人などいるはずもありません。むしろ力になる気満々で、特に秋さんは食い気味に頷きました。

 しかしとはいえ、『もう一度サッカーをするため』に何をすればよいのやら。首を傾げた気の早い秋さんに、一之瀬さんは僅かな苦笑を浮かべて続けます。

 

 

「俺、雷門サッカー部に入るつもりだ。ベータや豪炎寺と一緒にプレーするって約束したことだし、何より俺自身、雷門のサッカーは好きだからさ」

 

「そっか、今までの試合、見てくれてたんだもんね」

 

「だが……怪我は? 治りたてなんだろ? 大丈夫か?」

 

「うん。死ぬ気でリハビリしたからね。雷門の動きにもついていける自信はある。……ただ、サッカーは個人競技じゃない、団体競技だ。特に雷門は連携を重視するチームだろう? だから、一緒にプレーするためには必要なんだ。仲間の力を合わせられる必殺技が……!」

 

「……なるほど、読めたぜ。つまり俺たちを集めたのは、アレ(・・)の特訓をするためか」

 

 

 『仲間の力を合わせられる必殺技』とやら。私にはさっぱりですが、西垣さんは何やら合点がいったようです。

 しかし、何やら少々微妙な表情。嬉しそうにしながらも、彼は少し複雑そうに鼻を鳴らしました。

 

 

「俺だけ仲間外れで敵側だっていうのに、その上さらに塩を送れって?」

 

「そう言われると心苦しいんだけど……頼むよ、西垣。他の技じゃダメなんだ。……ベータのためにもね」

 

「……そうだよね。お願い、西垣くん……!」

 

「……言われてみれば、だな……! 俺からも頼む、西垣!」

 

 

 どういうわけか私のためにもなるらしいその特訓に、一之瀬さんに続いて秋さん、土門さんもが西垣さんに懇願しています。

 それを訳も分からず見守るしかないこの状況。詳細が全く分からないのが難点ですが、ともかくなんだかむず痒い気持ちです。これを断られれば私の中で出所不明の憤りが西垣さんに向いてしまいそうな感じでしたが、幸いなことに彼の軽口は拒否のそれではなかったようで、口に笑みを浮かべながら息を吐いた後、言いました。

 

 

「わかってるって、冗談さ。一之瀬も復活したことだし、俺も久しぶりに見てみたいしな。……俺たちをアメリカ少年リーグ優勝に導いてくれた必殺シュート、【トライペガサス】を!」

 

 

 

 

 

 

 

「――と、そんなふうにダッシュした三人がボールを中心に三角形を切って、ボールにチカラを集中させるっていうわけだ。そこが【トライペガサス】に於いて一番重要で、一番難しい部分なわけだ」

 

「……なるほど」

 

 

 一之瀬さん曰く、仲間の力を合わせられる必殺シュートである【トライペガサス】。それにチャレンジするために西垣さんから技の全容を教えてもらった私ですが、しかし、すっかりやる気になってしまっている皆さんに反して、私のモチベーションは一向に上がってくれません。

 

 「やりたい」という願望はあれど、「やれる」という希望をどうしても抱くことができないのです。元よりその気持ちは大きかったのに、教えられた【トライペガサス】というその技は、むしろ諦念を深くするだけでした。

 

 

「つまり……他の必殺技以上に息が合った“連携”が必要な必殺技、ってことですよね。……それ、私に使えるって本気で思っちゃってます?」

 

 

 失敗した【炎の風見鶏】や【イナズマブレイク】と同じ連携必殺技。西垣さんから聞く限り、【トライペガサス】はあれらよりもさらに高難易度な必殺技です。

 つまり到底私に使いこなせる技だとは思えません。西垣さんはともかくとして、これまでの私の失敗の数々を知る皆さんはそのくらいわかるはずだと思うのですが、しかし皆さんそんな事など忘れてしまったかのように素知らぬ顔。共に挑む一之瀬さんと土門さんなどは、大丈夫だと、何の根拠もなく微笑むばかりでした。

 

 

「もちろん思ってるよ。なにせ【トライペガサス】は俺たちが編み出した必殺技だ。しかも俺と土門と西垣で、使い手も全員揃ってる。これで失敗する方が難しいってものじゃないか?」

 

「ああ。いつだったか【ファイアトルネード】をコピーしてたみたいに、ベータって天才肌なとこあるじゃん? 一発で成功ってのも夢じゃないと思うよ、俺は」

 

「……あれとは全然状況違うと思うんですけど」

 

 

 【ファイアトルネード】はそれまでにも何度も見てきた必殺技で、且つ一人用の技だったからマネできたのです。見たこともなく、なにより連携技である【トライペガサス】とは比べるべくもありません。

 それに――

 

 

「……私、やっぱり無理だと思います。息を合わせるにしても、私は“信じる”ってことが――」

 

「わからなくても大丈夫。というか、理解するためのこの特訓でもあるんだからさ」

 

 

 私のため息を遮った一之瀬さんは、確信しているかのような声色でそう言いました。

 

 正直、円堂さんの謎理論にも似た単なる無根拠にしか聞こえませんでしたが、見る限り、土門さんや秋さん同様の考えであるようです。ウンウンと頷いています。

 しかし、だからといって「ならそうなのかも」と流れに身を任せられるわけもありません。思わず不信の眼差しを向けてしまいますが、それも一之瀬さんにとっては想定通りの反応だった様子。彼は動揺するそぶりもなく、私を見つめて言い聞かせるように言いました。

 

 

「俺が思うに、“信じる”っていうのは覚悟だと思うんだ」

 

「……覚悟、ですか?」

 

「うん、覚悟。つまり、“仲間に自分の全てを託す覚悟”だ。どんな状況でどんな事態が起こっても、迷わず自分の命を仲間に預けることができるような固い意志。それを持つことが“仲間を信じる”ってことだって、俺はそう思ってる」

 

「………」

 

「そんな意志を持ってこそ、息も力も合わせることができる。一つの大きなチカラが生まれるんだ。だからその点、【トライペガサス】はおあつらえ向きなんだよ!」

 

 

 唖然。トンデモな話に言葉も出ない私をよそに、【トライペガサス】のプレゼンテーションに話が移った一之瀬さんは、興奮気味に続けます。

 

 

「例えば【炎の風見鶏】や【イナズマブレイク】なんかは、たぶんみんな手探りで特訓するしかないような状態だったんじゃないか? パートナーみんなその必殺技に対して素人だったから、託す覚悟を固めることなんてできなかったんだと思う。

 でも、【トライペガサス】はそうじゃない! 俺と土門は試合で使いこなしてた経験者だ! 動きもコツも、この世の誰よりわかってる! ……なら、ベータも俺たちに託そうって――“信じられる”って、思えるんじゃないかな……?」

 

「……そう言われても、わからないですよ」

 

「なら尚のことチャレンジしてみようじゃないか! 案ずるより産むが易し、だよ!」

 

 

 一之瀬さんは私の腕を掴み、眼下のサッカーコートを指さして言いました。

 そしてにっこり笑顔で私をそっちに引っ張ってきます。不意のことで抵抗できず、されるがままに堤防を下って着地。他の皆さんも後に続いて下りてきて、一之瀬さんと一緒に土門さんまでもが乗り気にコート内へ出ていきます。

 

 

「いつもは助けてもらってばっかだけど、今度はこっちがベータを助ける番だ。恩返しも兼ねて本気も本気でやるから、安心して任せてくれよ?」

 

「はぁ……でも……」

 

 

 やっぱり何を言われても、無理なものは無理。彼らのように乗り気には、到底なれません。

 どうにか言葉でやり過ごしたりできないものでしょうか。そう、グラウンドで私を待ち構える二人を見ながら頭を回そうとした、その時でした。

 

 

「大丈夫。私も、今度は一緒だから」

 

「え……秋さん……?」

 

 

 グラウンドを見つめる視界の中に、三人目。秋さんが、グラウンドへ足を踏み入れました。

 

 そしてその手は一之瀬さんを引き継ぎ、私はコート内へと引きずり込まれてしまいます。挙句に彼女は振り返り、気負いもなく、さも当然というふうに平然と、それを言ってのけたのです。

 

 

「私がみんなの目印になる。三角形を切る位置がわかれば、きっとうまくいくわ」

 

「……ちょっとそれ、意味わからないんですけど。やる意味、あります?」

 

 

 意味不明で、無意味です。

 

 ……いえ、意味はあります。聞いた限りでは【トライペガサス】という必殺技の特性上、三人の軌道で刻む三角形は少しのズレも許されません。目印があれば、随分やりやすくなることでしょう。

 

 しかしその目印は、秋さんである必要性がありません。棒か何かで地面に印をつけておけば、それだけで済むことです。

 秋さんが身体を理由も意義もなく、ただただ危険を背負い込むだけで、あるのは衝突事故のリスクのみ。なのにどうして秋さんはそんなことを言い出して……そして一之瀬さんと土門さんは、大事な幼馴染の無謀を諫めもしないのでしょう。

 

 

「最初に俺たちが【トライペガサス】を完成させた時も、秋に目印として立ってもらっていたんだよ。お墨付きの方法さ」

 

「……でも、危ないですよ? もし失敗して、ぶつかったりなんてしちゃったら……」

 

「失敗しなけりゃいいんよ。うまくやれば何の危険もない、だろ?」

 

 

 一之瀬さんに続いて土門さんも楽観的にそう言って、私の背中を押してきました。さらに咄嗟に背後を振り向き助けを求めるも、当然、一人コート外のベンチに残った西垣さんまでもが同様の、堂々とした佇まい。

 

 

「俺も、この方法がベストだと思うぜ? 【トライペガサス】第一人者の俺たちを信じろって!」

 

 

 四対一。身体的にも場の空気的にも、私一人ではその人数差に抗うことはできませんでした。

 

 ボールを持つ一之瀬さんの右側に据えられて、少し離れた正面のゴール前に秋さんが立ちました。件の、三角形を刻むポイント。本当に軌道のギリギリの位置で、そこを秋さんを掠めながら走り抜けなければならないと考えると、今からもう恐怖心すらをも感じてしまいます。

 ますますもって皆さんの正気に疑問符が浮かんでしまいますが、しかし、結局そのままスタートの合図は鳴ってしまったのでした。

 

 

「よし、行くぞ……! ゴーッ!!」

 

 

 一之瀬さんがボールを蹴り出すとともに、土門さんと、そして私も走り出しました。

 

 広がった三人横並びの陣形から、秋さんめがけて徐々に収束していくダッシュの軌道。一之瀬さんと土門さんに、そして何より秋さんに近付いていくにつれて、やはりというかなんというか、恐怖心が私の足にまとわりついてきます。

 もし失敗して、秋さんを怪我させてしまったらどうしよう。そうしてさらに、私にはやっぱり“仲間を信じる”を理解することができないと、大丈夫だと太鼓判を押した一之瀬さんたちにも言われてしまったらどうしよう。そんな不安ばかりが、どんどん頭の中を覆い尽くしていったのでした。

 

 そしてそれは、秋さんの下まであと数歩といったところで、完全に私の足を絡め取りました。

 

 

「っ……!」

 

 

 限界に達した恐怖心が私に急ブレーキを踏ませ、秋さんの目の前で停止。気付いた一之瀬さんと土門さんも、三角形を切ることなくスピードを落として止まります。

 

 そんな彼らの責めるような視線を幻視して、私の口はすぐさま言い訳を並べ始めました。

 

 

「……やっぱり、危ないですよコレ。成功させればって言っちゃってますけど、そもそも特訓って技を完成させるためにやるものでしょう? 成功させられる保証もないのに、こんなことするのはよくないと思います。それとも一之瀬さんは秋さんを怪我させちゃいたいんですか?」

 

「そんなことはないよ。……でもさ、ベータ――」

 

「佳ちゃん。私、それでもやるよ。これは私の役目(・・)だから」

 

 

 答えにくそうにしながらも首を横に振った一之瀬さんを遮って、秋さんがそう言いました。

 

 彼女の眼はどこまでも真剣に私を見つめ、そして声はさざ波ほども揺れずに穏やかです。そしてその奥に垣間見えるのは、固く決意した“何か”。故に堂々とした物言いは、さらに私へと続けて言いました。

 

 

「……佳ちゃん。私、ずっと考えてたの。佳ちゃんが昔、サッカーをやめちゃった理由――サッカーに飽きちゃった原因を」

 

「え……いきなり、何の……」

 

「ほら、『自分でもどうして飽きたのかよくわからない』って、言ってたじゃない」

 

 

 私も今まで忘れていたくらいの、遥か過去の話です。そんなものがいきなり飛び出てきたせいで思わず眼を瞬かせてしまいましたが、秋さんは構わず続けます。

 

 

「ずっと答えが出なかったけど、今の【トライペガサス】を見ててわかったような気がするの。佳ちゃんがサッカーに飽きちゃったのは……佳ちゃんが一人(・・)だったからじゃないのかなって。

 ……私はあの時、佳ちゃんに寄り添ってあげられなかった。手紙のやり取りはしてたけど、手紙はあくまでも手紙。紙の上の文字でしかないでしかないもの」

 

「えっと……でもそれは、仕方がないじゃないですか。秋さんはアメリカで、私は日本にいたんですから」

 

 

 いまさらその件を掘り返されることになろうとは意外も意外。おかげで頭が若干ついていけていませんが、要するに秋さんは当時のそのことを悔いているのでしょう。

 であればそれには「気にするべきではない」と返す以外にありません。だって実際、それは物理的にどうしようもないことです。

 

 しかし、それに連なる彼女の感情も、『どうしようもない』のはまた同様。

 

 

「前も言いましたけど、私のことで秋さんが責任感じちゃうことないんですよ?」

 

「うん。そうね。そうなのかもしれない。仕方がないことだったのかもしれない」

 

 

 しかし彼女は、そっと私の手を取り、尚も言いました。

 

 

「……けど、私は仕方がなかったで終わらせられないの。親友の力になりたいっていう気持ちは、理屈じゃないのよ」

 

 

 日が暮れて肌寒さも漂ってきた夕方の空気の中、体温以上に温かなそれが私の手を包み込んできます。

 

 

「お願い、佳ちゃん。今度こそ、私も一緒にサッカーをさせて……!」

 

「っ……」

 

 

 その言葉と温度は、容易く私の喉を詰まらせてしまいました。

 秋さんの想いが痛いほど伝わってきます。

 

 

「秋も俺たちも、おんなじさ。……大丈夫。ベータなら、俺たちを“信じれる”……!」

 

 

 そして一之瀬さんにそう言われてしまえば、私ももうどうしようもありませんでした。

 

 二度目のチャレンジが、始まりました。さっきと全く同じ位置取りでスタートが切られ、私も胸に蟠る想いのせいで一拍遅れてしまいはしたものの、走り出します。

 そして迫る、秋さんの姿。近づくほどに恐怖心が足元から這い上ってくるような感覚はやはり変わらず、もうすでに足を止めたくて仕方がありません。

 

 故に、もうあと数歩で目印の地点にたどり着く、秋さんの目と鼻の先を通過しなければならない頃、またも限界を迎えました。頭の中で「こんな無駄で危険なこともうやめよう」という声が響き、やがて辛うじて続行に向いていた私の中の天秤も停止に傾き始めます。

 

 ――そう。十中八九失敗などしないでしょうが、万が一、億が一にも可能性があるのであれば、やめるべきです。無意味な上に、リスクしかないのですから。

 思考もそう傾いて――その時でした。

 

 

「―――」

 

 

 ふと、何かに導かれるように持ち上がる視線。それが秋さんの眼と合って、そして――

 

 

「……っ!?」

 

 

 止まりかけていた足が、止まらず前に駆けました。

 そしてそんな身体だけが動く忘我のまま、秋さんを越え、土門さん、一之瀬さんと交差。

 

 

「行くよ、ベータ!!」

 

「っ……!!」

 

 

 気付けば私は顕現したペガサスと共に跳躍していました。

 

 

「「【トライペガサス】!!」」

 

 

 そのまま三人で宙のボールを踏みつけるようにして、シュート。放たれたペガサスは途中で霧散することも力尽きることもなく、ゴールネットを激しく揺らしたのです。

 

 やがてすべての威力をぶつけ終え、ネットの坂を下ってゴールラインから零れるボール。その光景が一番信じ難いのは、間違いなく私でしょう。

 さっぱり理解ができません。【炎の風見鶏】や【イナズマブレイク】の時は最後までまるでダメだったのに――私は未だ“信じる”が理解できていないのに、いったいどうして【トライペガサス】は成功させることができたのでしょう。

 

 

「佳ちゃんっ! やった! 成功よ! おめでとうっ……!」

 

「あ……秋さん……」

 

 

 喜色面々の秋さんは私に抱き着き喜んでくれるものの、当の私に現実感はまるでなし。その感覚は他の皆さん、特に一之瀬さんの喜びようを目にして、いっそう強くなるばかりです。

 

 

「やったね、ベータ! ちゃんと俺たちを“信じられた”じゃないか! よかった! 本当に……!」

 

 

 秋さんと同様に彼からも祝福の言葉をもらったものの、やはり「ありがとう」と返すことすらできませんでした。それくらい、その言葉に何も感じることができないのです。言葉は私の心に吹き付けるばかりで、その表層から奥には何一つ届きません。

 

 そのことに、誰一人として気が付いていませんでした。

 

 困惑のあまり(・・・・・・)大きく鳴っていた心臓の鼓動が、途端に静かに冷めたような心地がしました。

 

 一之瀬さんは自身の目的、『仲間の力を合わせられる必殺技』を獲得したことに感極まっているようで、その喜びをぎゅっと拳に握り、噛みしめてからそれを高く掲げています。

 

 

「俺も、これで自信をもって雷門でサッカーできる……! 約束するよ。俺は今度こそ、間違えない……。みんなから信じられるにふさわしい選手に、絶対になってみせる……ッ!!」

 

「一之瀬くんっ……!」

 

「ああ……! 信じてるぜ、一之瀬!」

 

「ふっ……敵側だけど、俺にもバッチリ見せてくれよ? 完全復活したお前の姿を……!」

 

 

 秋さんも土門さんも西垣さんも、みんな喜んでいます。そしてそれを、私にも求めてきています。

 一之瀬さんの復活が、【トライペガサス】の成功によって証明されたから。――私が彼らを“信じる”ことができたから、【トライペガサス】は成功したのだと。

 

 しかしやはり、私はそうとは――この成功が私が求めた“信じる”だとは、どうしても思うことができません。

 

 曰く“仲間を信じる”とは、“仲間に自分の全てを託す覚悟”。それこそが、私がずっとそうありたいと求め続けた“円堂さんのサッカー”だと、どうしてそんなことに納得できるのでしょうか。

 そんな覚悟、どうかしているとしか思えません。自分が生きるも死ぬも、その人次第。そんな状況を受け入れられる人がいたならば、その人は間違いなく頭がおかしな狂人です。

 

 最初からずっと、私にはそれが理解できません。ましてそれを大事な試合で実行するだなんて、想像するだけで恐ろしく感じてしまうほど。

 

 ――そんなことが、楽しいはずがないでしょう。

 

 秋さんの腕の中で抱きしめられながら、私はずっと皆さんの背中が遠ざかっていくような感覚に囚われていたのでした。

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