「――ふふっ。……ねぇ佳ちゃん、自分じゃ気付いてないでしょ」
「はい? ええっと……はい。何かヘンですか? 私」
「ヘン、ってわけじゃないけど……ほら、お顔。ニコニコしててなんだかすっごく楽しそう。ただ歩いてるだけなのにね」
「……あら、ほんと」
木戸川戦の翌日、いつものように着替えを終えて練習のためにグラウンドに赴く道すがら、秋さんが突然そんなことを言ってきました。
そしてそれは冗談というわけでもないようで、つい気になって頬を手で揉んでみれば、確かに私の口角は上がっています。自覚がなかっただけに驚きです。
思わず目を瞬かせ、そして私のそんな様子に、秋さんがまた愉快そうにクスクスと笑いました。
「何かいいことでもあったの――なんて、聞くまでもないよね。昨日の試合、すごかったもん。【トライペガサス】を完成させるどころか、もっとすごい必殺技に生まれ変わらせちゃったんだから」
「……まあ確かに、あの時は私もテンション上がっちゃってましたけど……一日空けても続いちゃったりするものなんですね。びっくりです」
揉んでいた頬を無理矢理元に戻しつつ、頷きます。
いつの間にやら浮かれ気分になってしまっていたことはともかくとして、昨日の木戸川戦が私にとって重要な経験となったことは事実です。話題に出れば、当時の光景も高揚感もすぐ鮮明に思い出せてしまいます。
なにせ私はあの試合で、ずっと求めていたものの
今までずっとそれが理解できず、そのせいで連携技は失敗続きでした。
私にとっての“信じる”と皆さんにとっての“信じる”が食い違い、毎試合、そして練習でも、もどかしい思いをすることはしょっちゅうのこと。挙句に【炎の風見鶏】と【イナズマブレイク】に至ってはいくら特訓しても上達すらしないという、無様までもを晒してしまう始末です。
それ故に。
疎外感、失望、絶望。そして、諦念。常に苦難に付きまとわれて、こんな思いをするくらいならもう――と、心が折れる寸前だったところに巡ってきた【トライペガサス】の成長は、まさに私にとって長い苦難の夜明けでした。
一之瀬さんたちのペガサスから、私たちのフェニックスへ。“仲間を信じる”ことを――“信頼”を知り、そうして私はようやく真の意味で雷門の一員になることができたのだという、そんな実感を抱くことが叶い、そして幼いころにサッカーを始めた時からずっと一人、孤独でつまらないサッカーをするしかなかった私に初めてできた、心の底から『仲間』と呼べるチームメイトと形作る“雷門のサッカー”は、解放感と合わさって楽しくて仕方ないものになったのです。
それこそ、知らずのうちに表情に滲み出てしまっていたほどに。自分で思っていたよりもはるかに強く、あの出来事と感覚は私の心を震わせていたということなのでしょう。
「だよね。一之瀬くんや豪炎寺くんも、今度こそみんな一緒にサッカーできたんだもの。……一度生まれた信頼は、簡単には消えたりしない。だから、もう大丈夫よね。私たちだって、何年も海を越えて離れていても、友達のままだったんだから」
「もうっ……!」
さすがに頬が赤くなるのを避けられず、照れ隠しに秋さんを小突きながら、私たちはグラウンドに向かうことになったのでした。
そしてほどなく到着した練習場所では、一足早く男子陣が練習を始めていました。
それ自体は別に構いません。着替え場所的な意味で、私たちよりも早く準備が終わってしまうのはいつものことです。
ですがしかし、今日の
「……円堂さん、練習に熱心なのはいいですけど……こんな早くから【ゴッドハンドW】の特訓なんてしても、途中でバテちゃうだけですよ?」
事もあろうに円堂さんは、汗だくになりながら巨大な手のひらを発動させていたのです。
強力である代わりに酷くエネルギーを消耗してしまうキーパー技、【ゴッドハンドW】。一度使えばもうその試合中に他の必殺技を使えなくなってしまうそれは、円堂さんの奥の手であり、諸刃の剣です。
つまり、間違っても練習の初めにやることではありません。
せめて程よく手を抜き体力を温存すべきであるのに、やはりというかなんというか円堂さんは全力全開なようで、すでに全身汗まみれです。
挙句、ほどなく技を維持するチカラも使い果たしてしまったらしく、誰かが打ったらしいシュートを止め切ると同時、彼の震える膝が折れ、そして光の手のひらはたちまち風に吹き消されるように消えてしまいました。
両手を地につき、苦しげにあえぐ円堂さん。案の定バテてしまっています。
そんな彼を横目にしながら、彼の無謀特訓を止めずに眺めていた豪炎寺さんたちへと、私は呆れに半分非難を乗せた視線を向けてやりました。
「誰も止めてあげなかったんですか? こうなっちゃうことくらい、普通に想像ついちゃうと思うんですけど」
「止めたさ。お前が言った通りの忠告も、鬼道が言った」
「だが、『それでも俺には【ゴッドハンドW】が必要だから』と聞く耳もたずでな。……昨日の木戸川戦で大量失点したことが随分響いているらしい」
「……まあ、これまでは多くても三失点くらいに抑えられちゃってたわけですし、気持ちはわからなくないですけど……」
豪炎寺さんに続いて円堂さんの心情を教えてくれた鬼道さん。確かに、円堂さんにそう言われてしまえば止めにくくなるのも納得です。
つまるところ、彼は自信を無くしてしまったのでしょう。
なにせ九失点。今までにないほどゴールを割られ、結局彼はあの試合、一人では一度たりともゴールを守ることができませんでした。
【ゴッドハンド】も【ゴッドハンドW】すら破られて、消耗しきったその後はザル化。悔やんでも悔やみきれないような戦績です。
加えて、豪炎寺さんの“裏切り”が原因でチーム内に生じた不穏。イラつく円堂さんがチームの士気を下げまくってしまっていたことも、やはり勘定に入れないわけにはいきません。
円堂さんとしては、キーパーとしてもキャプテンとしてもダメダメな一戦でした。
そんな、自身の役目を果たせなかった苦悩に、きっと彼は突き動かされて止まれなくなっているのでしょう。
「はぁ、はぁ……あ、あの時は、ごめん……。失点も……ゼェ、ふぅ……豪炎寺の、事も……。俺、豪炎寺の妹がそんなことになってたなんて、知らなくてさ……」
円堂さんが荒い呼吸の中から声を絞り出し、ふらつきながらも立ち上がりました。
私たちや豪炎寺さんに改めて己の失態を謝って、そしてやはり、初めての挫折に戸惑う眼が、私たちを通り越してがむしゃらに突き進まんと続けます。
「けど、やっぱり……木戸川に大量得点をされたのは、俺のせいだ……。俺の力が足りなかったことには、違いない……。だろう……? 最後の【トライアングルZ】を止められたのだって、壁山と栗松のおかげでしかないんだから」
「さすがに卑屈が過ぎる気がするが……まあ、そうだな。雷門はどちらかといえば攻撃的なチームだ、スリートップだからな。千羽山のようにディフェンスをゴール前に張り付けておくような戦法は取りづらい」
鬼道さんが半ば渋々といったふうに頷きました。確かに、あの三人によるディフェンス――【トリプルディフェンス】とでも言いましょうか。あれがあの場限りの必殺技であることは否定しきれません。
「だろう……? それに……次の相手は、世宇子だ」
「っ……」
そして何より次の戦い、決勝戦の相手が相手です。やはり勝ち上がってきた世宇子中は未だ詳しい情報がありませんが、しかし強いことだけははっきりしています。
なにせ鬼道さんを擁する帝国学園を苦も無く下してしまうようなチームです。
それに背後にあの影山がいるかもしれないというのだから尚のこと。当の鬼道さんも、円堂さんが出した世宇子の名に思わず喉を鳴らしてしまっています。
「きっと今の俺じゃ、世宇子のシュートは止められない……。鬼道だって、わかってるはずだ」
「……奴らのパワーもスピードも、木戸川の数段上のレベルにあった。それは確かだ」
つまり【ゴッドハンド】はおろか、【ゴッドハンドW】すら世宇子相手では通用しない可能性が高い、ということです。
鬼道さんはこの場に於いて、世宇子の力を間近で眼にした唯一の人です。言い辛そうに喉を鳴らした後、彼が下したそんな結論。いくら信じられなくても、誰にもそれを否定することはできません。
皆さん黙りこむしかなく、おかげで円堂さんはますますヒートアップ。疲労を忘れて惑乱気味に息を荒くしながら、身を乗り出して続けます。
「そうだろう!? だから、俺はもっと努力しなくちゃいけないんだよ! 世宇子との決勝戦だって、そんなに時間があるわけじゃない……! 一刻も早くもっと強くならないと……【ゴッドハンドW】を使いこなせるようにならないといけないんだ!」
「だが……実際問題、【ゴッドハンドW】をどうこうするのは難しいだろう。なにせああまで酷く消耗してしまうのは根本的なエネルギー不足……円堂の身体能力が必殺技に追い付いていないことが原因だ。一朝一夕にどうにかなる問題じゃない。世宇子戦までにだなんて、到底――」
「それでもやるしかないんだよ、鬼道! 俺がやらなきゃ!」
「円堂……」
「だって俺はチームのキャプテンで、キーパーなんだ。なのに木戸川戦じゃ、俺、何もできなかった……。みんなに迷惑ばっかりかけて……壁山と栗松の時みたいに、みんなに負担をかけ続けた。……また同じことを繰り返すわけにはいかないんだ……!」
唾を飛ばしながら必死に言い募る円堂さん。その言葉が進むにつれて、彼を見つめる皆さんの眼に同様の色が滲み出てきました。
憐れみと、そこから来る心配。大量得点によりすっかり自信を失ってしまった円堂さんは、彼の根幹である“仲間を信じる”ということも忘れかけてしまっているのです。
“仲間に頼る”なんて考えてもいないような状態では、私たちの言葉が届かないのも当然のこと。加えて“言い出したら一直線”なのは彼元来の性質です。
となればもう、円堂さんの暴走は止めようがないのかもしれません。彼はこのまま遮二無二に、叶うはずのない完璧な【ゴッドハンドW】を目指して突き進み続けるしかないのでしょう。
であるならば――
「いっそみんなで円堂さんの特訓のお手伝いしちゃいます?」
「え……?」
一様に否定的だったところに不意に落ちてきた肯定。円堂さんが目を瞬かせ、そこに私は続けて言います。
「かなりハードになっちゃいますけど、丸一日私たちのシュートを止め続けたら嫌でもキーパー力は上がっちゃうでしょうし。そしたらもしかしたら、光明とか見えてきちゃうかもしれませんよ」
「……いやでも、みんなにもみんなの練習があるだろう? 俺にばっかり時間を使ってもらえないよ。要するに必要なのは必殺技のスタミナなわけだし、それを鍛えるなら俺一人だけでもできるしさ……」
私が一つ指を立てて提案すると、案の定、円堂さんは無粋に首を横に振りました。
しかしもちろん、それを退けるための理屈も準備済みです。
「だから、私たちも必殺技の……シュート技の特訓をしちゃおう、ってことですよ。……ほら、木戸川戦で使った【トライペガサス】の進化系。あれって半分くらい偶然の産物ですし、世宇子戦でも使えるように改めてちゃんと特訓して微調整しておかないといけませんから。ねぇ、一之瀬さん、土門さん?」
「それもそうだ。うん、俺は付き合うよ、円堂」
「同じく。西垣にも期待されちゃってるしね」
まだ試合での一度しか成功していない新しい必殺技。その基礎固めです。話を振った一之瀬さんと土門さんも私の意を汲み頷いて、さらにそれに、鬼道さんや豪炎寺さん、染岡さんも続きます。
「だったらこの際だ、帝国の必殺技も覚えてみないか? この面子なら、注力すれば世宇子戦までには習得できるはずだ」
「そうだな、手札は多くあって困らない」
「つまり【皇帝ペンギン2号】とか【ツインブースト】とかか。ま、いいんじゃねぇの? 面白そうだ」
「ちょ、ちょっと待てよ! それなら俺の手伝いなんて言わないで、それぞれで特訓すればいいじゃないか! そのほうがずっとうまくいくに決まってる! 俺はみんなに迷惑をかけたくないんだよ……!」
しかしそれだけの声を受けても、円堂さんは首を横に振るばかりです。彼が嵌ったスランプはそれほど根深く、故に私はもう一越え、ずいっと彼に顔を寄せ、言います。
「私たちは同じチームの仲間なんです。なら、助け合うのは当たり前でしょう?」
「っ……!」
仲間を信じているからこそ、私たちは助け合うことができる。それこそが“雷門のサッカー”なのです。
背中越しに皆さんが頷いたのがわかります。少し前までは私こそがそれらを理解することができなかったのに、今は円堂さんがそれを忘れてしまっているというこの状況。
悲しいようなむず痒いような、複雑な気持ちになりながら、私は憮然の表情のまま明らかに乗り気でない円堂さんの背中を無理矢理押して、練習を始めるのでした。
「「「【ザ・フェニックス】!!」」」
「ぐっ……うわぁッ!!」
木戸川戦で進化した【トライペガサス】、もとい、【ザ・フェニックス】。練習を始めてからもう数十回は打ち放ったでしょう。
その数十回の内、恐れた失敗は結局のところ一度もなく、今回の不死鳥の羽ばたきもまた、円堂さんを撥ね飛ばしてそのままゴールネットを揺らすことになりました。
これはもう、完璧にモノにしたと言ってしまっていい出来です。なんならあたりが夕日に染まる打ち続けた分、上達の手応えまで感じることができていて、長練習の疲れが気にならないくらいの達成感すら抱けています。
一之瀬さんと土門さんもやはり感じる手応えに気分は上向きなようで、着地と同時にちらりと見やった二人の顔には自然な笑みが浮いていました。
おまけにこの必殺シュートに【ザ・フェニックス】と名付けたメガネさんも、ベンチでしれっとおサボりしながら満足げです。
そしてもう一方、鬼道さん提案の【皇帝ペンギン2号】や【ツインブースト】の修練も順調でした。
見ていた限り最初こそ手こずっていたものの、数回試す頃には形が出来上がり、二桁も打つ頃にはいっぱしの必殺技にまで押し上げることに成功していましたし、これならきっと、世宇子戦の頃には頼れる手札として機能してくれることでしょう。
シュートのほうはもうすっかり安泰です。が、しかし。順調な私たちに反して、やっぱり円堂さんのほうはあまり進展がありませんでした。
「ほら、円堂くん、ドリンクよ……。あっ、また擦り傷が増えてる……一度ちゃんと手当てした方がいいんじゃない……?」
「はぁ、はぁ……いや、大丈夫だ」
頑張ってはいるものの、さすがに体力が尽きかけているようでした。
このところはもう私たちのシュートに手を出すことすらおぼつかないような状況が続いており、ただ打ちのめされるばかり。おかげで増える一方な怪我と汗に、さしもの秋さんも眉尻が下がりっぱなしです。ゴールポストを支えに立っているのが精一杯といった円堂さんを見つめる眼は、心配そうに「もうやめようよ」と懇願しているようにさえ見えます。
けれども円堂さんがそれに耳を貸すことはなく、彼は少々焦点の怪しい目線をまっすぐこちらに向けたまま、特訓を続けるために秋さんをゴールから押し出そうとしている様子。
なんだかもう、限界一歩手前な感じです。
「……今日はこれくらいにしよう。円堂、お前も、これ以上やっても明日に響くだけだ」
そう思っていると、先んじて鬼道さんが言いました。
言葉は取られてしまいましたが、私も全くの同意見です。きっと他の皆さんだって内心は同じでしょう。
特訓に取り憑かれているみたいな彼はさすがに見ていて痛々しいですし、そもそもからしてオーバーワーク。もっと言うなら時間的にももう下校時刻で、そろそろ後片付けを始めるべき時間帯であるのです。
しかしやっぱり、円堂さんにはそうは思えないようでした。フラフラと身体を揺らしながら、それでも「まだやれる」と声をあげます。
「俺のことは、大丈夫さ……! 全然平気だし……それに、俺だけまだ、一つもレベルアップできてない……! 少しでも多く、ハァ……練習しないと……!」
「円堂……」
「やる気があるのは結構ですけど、頑張りすぎは逆効果ですよ。強くなりたいなら尚のこと、ちゃんと身体を休めちゃわないと」
「でも……じっとなんてしてられないんだ……っ!」
苦しみもがく円堂さんの姿に一蹴されてしまった鬼道さんに代わって正論を続け聞かせるも、当然、不安という感情に突き動かされている円堂さんには効果なしです。
きっと彼は一人でも練習を続けようとするでしょう。さてはてどうしたものでしょうか。
円堂さんが一度こうなったら梃子でも動かないことはわかっています。辺りに転がるボールを拾い上げていっそう練習の決意を固くしてしまった彼を前に、私たちは途方に暮れるしかなく――そして、その時でした。
「おいサッカー部! もう下校時刻だぞ! さっさと片付けて家に帰りなさい!」
「あ、菅田先生」
生活指導の先生で、イナズマイレブンの一人でもある菅田先生がグラウンドに現れて、そう声を張り上げました。
実にタイミングの良いお声がけです。あるいは私たちの練習を見ていてくれたのかもしれません。
ともかく先生にそう言われてしまえば、円堂さんもそれ以上の言葉を続けられません。言われるが練習道具を片付けて、私たちは学校を後にすることになりました。
――なったのですが、しかし。
私も鬼道さんたちも、円堂さんがこのまま大人しく帰路につくとは思っていませんでした。
どうせ帰ると見せかけて、どこかで無茶な特訓の続きをするのでしょう。そんな予想で全員一致。
フラフラと一人歩いて校門を出る円堂さんの後を少人数でこっそり追って、そして思った通り、私と豪炎寺さん、そして鬼道さんと一之瀬さんの四人は無茶を続ける円堂さんの姿を目撃することになったのでした。
とはいえその光景には、少々予想外の部分もありましたが。
「……どうしてわざわざ鉄塔前の広場なんかで特訓しちゃってるんでしょう、あの人」
てっきりいつもの河川敷で特訓するつもりなんだろうと思っていたのですが、円堂さんが向かったのは小山の上、街のシンボルであるイナズママークの鉄塔傍に広がるちょっとした広場。
お世辞にもサッカーの練習に向いているとは言えないような場所でした。
「しかも木にお手製の……タイヤかしら? 練習器具まで作っちゃって……よくやりますよね」
「そうかな。手作りの道具って、なんだかワクワクしない? ……それに、ちょっと懐かしい感じだよ。俺もアメリカではよくあんなことやってたなぁ」
「男の子ってみんなおバカなんですか?」
辛辣に鼻を鳴らすも、返ってくるのは一之瀬さんたちの苦笑だけ。木にぶら下げたタイヤをひたすら受け止めるなんていう滅茶苦茶な特訓に夢中な円堂さんは、少し離れた木陰の私たちに少しも気付いていない様子です。
まあ確かに、それが自分を痛めつけるだけなただの暴走であることを除きさえすれば、彼のその練習へのひたむきさは憧れるに足るものなのかもしれませんが……しかし、やっぱり私たちは彼のためにもそれを止めなければならなりません。
そのためにわざわざ円堂さんをストーキングして、挙句山登りまでしてきたのです。
――だというのに、皆さん目の前の光景にそれを忘れてしまっているんじゃないでしょうか。
一之瀬さんだけでなく、鬼道さんと豪炎寺さんまでもが木陰から円堂さんのタイヤ特訓を、楽しそうに見物し始めてしまいました。
「……そういえば、ベータと一之瀬はここに来るのは初めてだったか」
「初めて……? みんなは来たことがあるの?」
「ああ、入部したすぐ後に、豪炎寺と一緒にな。円堂の昔からのお気に入りの場所、なんだそうだ」
「他のやつらも時々来ているらしい。最初の帝国戦の前、ここで皆で練習したこともあったと聞くが……ベータはその時、来なかったのか?」
「……そういえばそんな話もあったような気がしますけど……その時の私、あくまで一試合の助っ人だったので」
呆れていたら、不意に出てきたその事実。気付かぬところで仲間外れになっていたこと気付いて、思わずちょっと気まずくなってしまいます。
けれど仲間外れは当然でしょう。それまでの私の行いの結果です。
それに過去はともかく、今はこうしてみんなと同じようにここに来ることができたのだから、もう構いはしないでしょう。ある意味、私は一之瀬さんと同じように雷門の仲間になったばかりなのですから。
そう思うと、鬼道さんたちが眩いものを見る眼をしている気持ちもわからなくはないような気がしてきます。いわばあれは、雷門サッカー部の原点であるわけです。
「――というか、そんな昔話なんてしてないで、さっさと円堂さんを止めちゃいましょうよ。早くしないと円堂さん、明日学校にくる体力も残らないかもしれませんよ」
とはいえやっぱり、優先すべきは円堂さん。彼のある意味ひたむきな特訓にも、夕日が彩る見晴らしのいい景色にも、見とれている場合ではないのです。
鬼道さんたちも私の言葉に「まあそうか」ととうとう頷き、木陰の下を立ちます。そしてみんな揃って円堂さんに声をかけようとして――その直前、私たちに先んじて、背後から新たな声が響きました。
「――ああ、やっぱりここにいたのね円堂くん。みんなも、入れ違いにならなくてよかった。響木監督、こっちです!」
秋さんと、その後ろから現れたのは響木監督でした。
みんなで円堂さんを追いかけようとした時、秋さんは「考えがある」と一人でどこかへ行ってしまったのですが……どうやらその『考え』とは、響木監督を連れて来ることだったようです。
とはいえしかし、響木監督の存在がいったい何になるのかはさっぱりです。
私たちは口を閉ざして道を譲るほかなく、そして呼ばれてパッとこちらに振り返った円堂さんは、揺れて戻ってきたお手製の特訓タイヤを後頭部にくらいつつ、顔の汗を拭って怪訝そうに言いました。
「ひ、響木監督……? なんで、こんなところに……」
「お前が随分荒れていると聞いてな。……なるほど、相当な重症らしい」
円堂さんのボロボロ加減を眼にすると、響木監督は唸るように息を吐きます。しばらくそのまま悩むようなそぶりを見せて、それから彼は改めて小さな丸サングラスの視線を円堂さんへと向けました。
「……苦しいか、円堂。どれだけ特訓しても自信を掴めない現状が」
「……俺だって、わかってます。こんなことをしても何にもならないって。世宇子戦までに【ゴッドハンドW】を使いこなせるようにはなれないって」
響木さんの静かな眼差しのおかげか、円堂さんもまた静かにそう頷きます。
「だって、【ゴッドハンドW】は【ゴッドハンド】を上回る俺の切り札だ。使いこなせるようになりたいって思ったのは今回だけじゃない。今までだって、ずっと練習してきたんだ。でも……」
昨日の木戸川戦を見れば一目瞭然。【ゴッドハンドW】を生み出してからそこそこの時間が経ち、曰くその時間と同等の練習を積み重ねてきたにもかかわらず、一度の発動でダウンしてしまう現実は何も変わっていません。
なら、さらに世宇子戦までの時間を練習につぎ込んだところで、何も変わらないであろうことは想像するまでもありません。鬼道さんの言っていた通り、【ゴッドハンドW】で円堂さんがあれほど消耗してしまうのは彼の基礎能力が足りていないことが原因で、その強化、身体作りには相応の時間が必要になるのです。
それは円堂さんもわかっているのに、しかし。
「それでもどうしようもない、と。……わかっているからこそ、じっとしていられないわけだ。全く……お前らしいな、円堂」
それでも彼はみんなのために強くなりたいと思わずにはいられないのです。
そんな内心を響木監督は汲み取って、僅かに口の端を緩めると、次いで一つ咳払い。苦しむ円堂さんへ、語りかけるように続けます。
「円堂、お前はつまり、世宇子にも通じるチカラが欲しいんだ。【ゴッドハンドW】が欲しいわけじゃない。そうだろう?」
「それは……そうかもしれないけど、でも【ゴッドハンドW】くらい強力な必殺技なんて、そんな簡単に……」
「武方たちの【トライアングルZ】に破られたことが相当ショックだったらしいな。……円堂、お前の秘伝書に書かれているはずだ。大介さんの……最強のキーパー技が」
「っ……!!」
ハッと、何か思い出したように円堂さんが息を呑みました。
大量失点のショックで思考が凝り固まっていたのでしょう。そのせいで忘却し、しかしたった今、彼が思い出したその存在。そんなものがあるのかと私たちも少しどよめいて、しかし響木監督は浮つきかけたそれらを、声のトーンを落として引き締めます。
「大昔に俺も挑戦したが、ついぞ使えなかった必殺技だ。【ゴッドハンドW】と違って希望はあるが、それでも道は困難だろう。うまくいかないことも十分にあり得る。だが円堂、お前がどうしても強くなりたいというのなら――」
「なりたい!! 教えてください響木監督、じいちゃんの最強のキーパー技を!!」
しかし引き締めにかかったものの、円堂さんだけには逆効果。ようやく見えた希望の光に眼を輝かせ、彼は響木監督の下へ詰め寄ります。
その勢いに若干のけぞりつつも、監督はまた一つ息を吐いて頷きました。
「わかった、教えてやろう。かつて大介さんだけが使った最強のキーパー技、【マジン・ザ・ハンド】を……!」