(あら……? あの人……)
木陰に佇む人影。まさに美少年というにふさわしい風貌の、女の子のような綺麗な長髪を風になびかせる男の子が、私を見つめてはにかんでいます。
一度見たら忘れられないくらいの美貌を持った少年です。なのに、しかし。
(ウチの学校にあんな子いたかしら……?)
全く見覚えがありません。同学年にも先輩にも後輩にも、あんなきれいな子はいなかったはずです。
なら、彼は他校の生徒ということになります。そして私たちの練習をこっそり観察するような、あの立ち位置。御影専農の時の偵察隊や、戦国伊賀島の時のスパイの件が、頭の中に蘇ってきます。
瞬時に警戒心が掻き立てられて、喉の渇きと好奇心のまま進みかけた足をその場で停止。微笑む彼をにらみつけ、尋ねました。
「……どちら様です? ウチに何の御用でしょう」
しかし木陰の彼はそれには答えませんでした。相変わらず微笑んだまま――まるでさえずる小鳥でも眺めているかのような眼差しを私へと向けたまま、ゆっくりと木陰の下から出てきます。
日の光に照らされた淡い金色を輝かせ、彼はその昂然とした笑みで静かに私に言いました。
「君が米田 佳だね? ベータ、だとか呼ばれていたが」
「……そうですけど。それで?」
だから何の用なのだと、こっちを無視して勝手に投げられる会話のボールに応えてやって――その、次の瞬間。
「え……?」
ふと突然、どこからともなく胸元に降ってきたボール。一瞬遅れてそれがあの男の子から投げ渡されたものだと気付くと同時、
「君に会いに来たんだ」
「ッ――!?」
呟いた彼が、まるで瞬間移動のような身軽さで一瞬のうちに私の間近まで迫り、ボールを奪いに襲い掛かってきました。
「っく……!!」
「へぇ、反応できるのか……! 評判通り、悪くはないらしい!」
反射的に身体が動き、男の子からボールを守って足元に収めます。しかしそれだけでは終わりません。足元に収めても平穏はなく、次々と攻め入ってくる男の子の足と体捌き。
テクニックも何もかもが、彼が超高レベルのサッカープレイヤーであることを物語っています。彼が見せているのはディフェンス面だけですが、それだけでも私並みか、それ以上の実力です。
ともかく、彼が今までにも出会ったことがないくらいの強者であることに疑いの余地はありません。故に、そんな彼の正体についても、なんとなく察しが付きました。
「あなた……っ! もしかして、世宇子の……!」
しかしそれ以上は続きません。ボールを奪わんとする男の子の攻撃がさらに苛烈になり始めたのです。
避けても避けても次々と伸びてくる足。埒が明かないと逃げようとしても、まるで動きを読まれているかのようにぴったりと張り付いて離れてくれません。スピードで無理矢理引きはがそうとしても、立ちふさがってくるのはあの瞬間移動のような身のこなしです。
手詰まりをはっきりと意識させられてしまうほどでした。
しかし、それはどうやら男の子のほうも同じだった様子。膠着状態が続き、そしてとうとう身体同士の競り合いでお互いの動きまで止まった時、彼は一瞬だけニヤリと、今までとは別種の楽しそうな笑みを浮かべ、
「やるね……! 確かに、これならば頷ける……!」
「何がです……!」
昂然としていたその眼が、その時、初めて私を映しました。
認められた、ということなのでしょうか。別に嬉しくも何ともありませんが、しかしその様子になんとなくかつての自分を思い出してしまい、ちょっと動揺してしまいます。
しかし、その隙を突かれた、というわけではないのです。それはただ純粋な、当然の結果でした。
「だが……人の身では所詮、そこまでさ……!」
「っな……ッ!?」
互いに押し合っていた身体。拮抗していたはずの男の子の膂力が、突然跳ね上がりました。
ギリギリの競り合いだったのです。そこに突然のパワーアップがあれば、当然私は支えてなどいられません。あっさりと押し負けて、ボールは男の子にさらわれてしまいました。
御影専農戦でも似た経験をしたことがありましたが、あれは洗脳によって身体のリミッターを外した結果です。男の子にそんな様子はないですし、そもそもパワーアップ量も桁違い。
あんな華奢な身体のどこからこんな力が出ているんでしょう。驚きのあまり呆然とするほかない私は、押され、バランスを崩してもそれを支えることができません。
重力にされるがままに身体が傾いて――しかし、倒れる間際。
「おっと! ……平気かい? すまなかった。少し熱くなりすぎてしまったようだ」
「……いえ、別に。なんなんですか、今の」
男の子の腕がバランスを崩した私の背中に回って支え、そしてあの昂然を取り戻してしまった微笑が、上から私に覆いかぶさってきました。
サラサラの亜麻色髪カーテンの天井から、私を見下してくるその顔と声。敗北してしまった事実と合わさって、私の喉からは冷たい声以外出てきません。
そのせいというわけではないでしょうが、案の定、男の子は私の質問に少し笑みを深くしただけで何も語りませんでした。
私を起こして顔をどけると、代わりにまた独りよがりな会話のボールを投げてきます。
「君は本当に素晴らしいよ、米田 佳。正直、ここまでとは思っていなかった。サッカーの才能も、その美しさも、見事というほかない」
「サッカーの才能はともかく、美しさって……ますます意味不明です。さっき私に会いに来たとか言っちゃってましたけど、あなた、私のファンか何かだったりしちゃうんです?」
「ファン、か。……当たらずも遠からず、といったところかな」
「……?」
全く会話にならず、故にまともな応対を諦めて口にした適当な軽口でした。だというのに男の子は意味深に顎を撫でて頷いて、おかげでついつい引っ張られてしまう私の興味。
「それって、どういう――」
と聞き返そうとした、その時。
「すげぇ……! 君、すごいディフェンス力だな! まさかベータからボールを奪っちゃうなんて!」
円堂さんの、私以上に好奇心に満ちた声が、私の言葉を遮りました。
思わず振り返ってみれば、円堂さんだけではなくほとんど全員が集まって、私たちを――というか男の子を、尊敬の念に満ちた眼差しで見つめています。
たぶん今の勝負を見られてしまっていたのでしょう。つまり私はチーム全員に負けた姿をさらしてしまったわけで、途端に居心地が悪くなってきます。
しかしとはいえ身を隠すこともできず、皆の注目が男の子へ向いていることを複雑な想いで頼りにしつつ、彼の近くからこっそりと離れる私。逆にみじめな気分になりつつ、それでも期待通りに注目の的になってくれた男の子へ、皆さんから次々に称賛の言葉が送られました。
「ベータさんって、シュートもだけどオフェンス力も、一対一なら敵無しなくらいだったんですよ!? それを破っちゃうなんて……」
「ホントすごいよ! 俺たちでも難しいことをさぁ! なあ、風丸!」
「ああ。あんなことができるプレイヤーがいたなんてな」
「それで……君は、どこの誰なんだ? うちの生徒じゃないんだろうけど……」
皆さんひとしきり男の子をほめちぎり、そしてやはり気にせずにはいられない円堂さんが、若干遠慮がちに尋ねました。
それに対して、男の子はやはり昂然と微笑んで――
「世宇子中のキャプテン、アフロディだ」
一人厳しい面持ちで彼を睨め付けていた鬼道さんが、代わりにそう言いました。
途端、驚きのあまり一瞬にして息を呑む私たち。世宇子中のメンバーなのだろうと当たりが付いていた私からしても、まさかキャプテンだとは予想外です。
「……それで? キャプテンさん、素性も割れちゃったことですし、そろそろ答えてくれちゃいません? あなたがここに……決勝戦の対戦相手の雷門中に、何の目的を持って来ちゃったのか」
「……まさか、俺の必殺技を……!?」
故に、注目の的から避難し終わった私は、さらに警戒心を高めて三度尋ねました。これでまた応じないようであれば、もう構いません。ケチな偵察だと決め付けて叩き出してやります。
そしてそんな通告に続き、皆さんも我に返って警戒心をあらわにしました。特に円堂さんのそれは顕著で、【マジン・ザ・ハンド】のおかげでいつも通りの朗らかさを取り戻しつつあった顔があっという間に歪み、敵意が剥き出しです。
あの影山が関わっている学校の一員と知られ、結果、一転してみんなから敵意を浴びせかけられることになった男の子、アフロディさん。相当なプレッシャーに囲まれて、しかし、それでも彼は昂然と微笑んだままです。
人離れした精神力。あるいは彼のその超然とした態度を見ていると、精神性そのものがおかしいのではという気もしてきます。
彼は欠片も心を乱すことなく平然と私たちを見下し、そして敵意を向ける円堂さんたちを見渡して、その後に一つ、クスンと鼻を鳴らしました。
「……失礼。彼女の能力は素晴らしかったが……それだけに、君たち程度がチームメイトだという事実が少し、可笑しくてね」
嘲笑。一瞬の後、嘲笑われたことに遅れて気付き、円堂さんが声をあげます。
「なんだよ、どういう意味だ!! 何がおかしいんだよ!!」
「『何が』? フフフ……君は僕を笑い死にさせる気かい? ……決まってるじゃないか。君たちの実力では彼女には、米田 佳には見合わないと言っているんだ」
「見合わない、だと……?」
「そうだな……例えば、リンゴも高級なものと安価なものがあるだろう? 君たちは粗悪品の身でありながら、ただリンゴというくくりだけで最上級な彼女と同じ箱に収まっている気でいる。彼女にはもっと他に収まるにふさわしい箱が、チームがあるというのにね」
「……俺たちが粗悪品だって言いたいのかよ……!!」
「そうだよ。そう言っているじゃないか」
アフロディさんはあっけらかんと、怖い顔の円堂さんに頷きます。
それで円堂さんを含めて全員が憤慨することになりましたが、しかしわめき出す皆さんを横目に、私はようやく気になっていたそれに気付くことになりました。
「『収まるにふさわしい箱』、ですか。……それってもしかして、私のこと口説いちゃってるんですか? 『うちのチームに来ないか』って」
地区大会の決勝戦、帝国戦の前に影山が接触してきた時のことが思い出されます。要するに、これはあの時と同じ状況です。
あの時、彼の手を取らなかったのは、彼のその言いようのない迫力に竦んでしまったせいでした。彼の提案、サッカーを、きっぱり否定できたわけではありません。
「なら、改めてお返事しちゃいます。……お断りです。あなたの下でサッカーする気なんて一ミリもありません。あなたたちのご主人様にそう伝えちゃってください」
だから改めて、この場できっぱり言ってやりました。以前までなら彼の“勝利だけを求めるサッカー”に惹かれてしまう自分もいましたが、今はそれも皆無。私のサッカーは、円堂さんたち“雷門のサッカー”なのです。
それ故の僅かな迷いもない断言。それを叩きつけてやると、さしものアフロディさんの微笑みも止みました。眉が寄り、私を見やるその眼に僅かに困惑を滲ませます。
「……なぜだい? こんなチームに居ても君の才能が発揮できないことくらい、わかっているだろう? ……言っておくが、世宇子は雷門のようなワンマンチームではないよ。ディフェンス、フォワード、もちろんキーパーも、僕に準ずる実力者が揃っている」
「へぇ、すごいですね。それで?」
「君がいたところで、雷門は僕たちには決して勝てないということだ。それに、総帥は特に君たち雷門が目障りらしいからね。きっと君たちを徹底的に叩きのめすよう指示なされるだろう。……君のような才能と美しさを兼ね備える選手を潰してしまうのは忍びない」
「お褒めにあずかり光栄です。でも、勝利宣言はちょっとせっかちすぎですよ。私たち、あなたたちに負けちゃうつもりなんてありませんもの」
「……戦力差がわかっていても、かい?」
「ええ。……円堂さんの受け売りですけど、勝利の女神がどっちに微笑むのかなんて、最後まで戦ってみないとわかりませんから」
アフロディさんがいくら言い募ろうが、もはやこれは揺らぎません。私は雷門として世宇子と戦い、そして勝つ。目指す先はそれ以外にないのです。
つまり実質的な宣戦布告。差し出された手をとうとう払い除けて言ってやると、円堂さんたちのほうも調子付いてきました。
「そうだ! アフロディ、お前たちがどれだけ強くたって、何をしてきたって、俺たちは絶対に諦めない……! 俺たちは全員で、お前たちを倒してみせる!」
「そうだそうだ」と円堂さんに続く声。それを浴びせかけられて、アフロディさんは今度は不愉快に満ちた眼差しを浮かべました。
一歩踏み出し言ってのけた円堂さんにそれを向け、同時に、その身体もそっちへ向けます。
「……どうやら彼女の天上足り得る魂は、取り返しのつかない段階まで堕落させられてしまったらしい。実に残念で……実に不愉快だよ」
「『てんじょう』……? 急に何の話だよ!? どこの天井のこと言ってるんだ!?」
「円堂くん、『天井』じゃなくて『天上』。空の上とか神様の世界みたいな意味ね」
「まあ、いい。手遅れであるのなら致し方ない。米田くんのことは諦めよう」
相変わらずなおバカをさらけ出す円堂さんには取り合わず――そしてアフロディさんは、ボールに足をかけました。
いやな予感。ひんやりと走った感覚に身体が身構えるも、しかし彼の速さの前では全く遅く、
「――だが、身の程を知らぬ只人への罰は必要だ」
「なっ……!? い、いつの間に!?」
一瞬で距離を開け、ボールと一緒に背から純白に輝く三対の翼を広げた彼は、次の瞬間、円堂さんへとそのチカラを蹴り放ったのです。
「神の裁きを――【ゴッドノウズ】」
「ッ――!!」
放たれたシュートは瞬きの間もなく宙を駆け抜け、円堂さんへと迫りました。
アフロディさんが正面のど真ん中を狙ったせいでもありますが、シュートに反応して咄嗟に突き出した円堂さんの両の手は、ピッタリにボールを捉え、受け止めます。
――そして直後、彼の身体はあっけなくシュートに弾き飛ばされてしまいました。
「ぐわあああぁぁッッ!!」
万全ではないにせよ、おにぎり休憩で彼の体力は幾らか回復していたはずです。それにボールは受けやすいど真ん中。アフロディさんが距離を取ったことでわずかながら身構える時間もあって――なのにしかし、シュートはまるで障害などないようにほとんどそのまま突き抜けて、ご丁寧にもかけてあった回転によってそのままゴールネットに突き刺さりました。
皆さん唖然とその様を見届けることになり、そして遅れて我に返ると、弾き飛ばされた円堂さんへと駆け寄ります。私もそれに続きかけましたがしかし、直前に耳元で声が鳴りました。
「頂で会おう、米田 佳」
「っ……!?」
アフロディさんの声。ハッとして振り返るも、しかしすでに彼の姿はどこにもありませんでした。
あの異次元的な身のこなしでさっさと去ってしまったのでしょう。全く最後まで身勝手極まりない態度です。
神だとかなんだとか、イタい発言含めてお望み通り、試合で存分に発散してやりましょう。そう、私が心に誓うと同時でした。
「え、円堂……!? 大丈夫か!? あんなヤバいシュートにやられたんだ、あんまり動かない方が……」
「いや、大丈夫だ……」
弾き飛ばされた円堂さんは、幸いなことに比較的軽傷で済んだようです。すぐに起き上がり、心配する風丸さんの手を借りることなく立ち上がります。
が、肉体の無事に反してその心。アフロディさんの【ゴッドノウズ】なる必殺シュートは、円堂さんの精神にかなりの傷跡を残したようです。
いえ、元々あった傷を抉られた、というべきでしょう。ともかく立ち上がった円堂さんの眼は、危機感でギラついていました。
「それよりも、練習を再開しよう。……今の一発ではっきりわかった。やっぱり、世宇子戦に【マジン・ザ・ハンド】は必要だ。【マジン・ザ・ハンド】がないと戦えない。絶対に、試合の日までに習得しないと……!!」
「え、円堂……」
せっかく【マジン・ザ・ハンド】という指針で安定していたのに、闇雲特訓に明け暮れていたあの頃に逆戻りしてしまっています。
再び表に出てきてしまった、焦り由来の視野狭窄。思わぬ弊害です。そしてそれは、なかなかに致命的。「そうだけど……まずは怪我の手当てをしないと、な?」というみんなの言葉も、今の彼には届いていません。
皆を無視してゴールへと向かってしまう円堂さんと、それに続く他ない私たち。少し前とは一変してしまった練習環境に、私もため息を吐かずにはいられませんでした。