「……はぁ。合宿、ですか?」
「ええ、みんなでご飯でも作って……って、響木監督が。……ほら、円堂くんもあなたたちも、このところすっかり特訓詰めでしょう? 私も、決勝戦の前に少しは息抜きした方がいいんじゃないかって思うのよ」
「まあ、そうですね。頑張りすぎて身体壊しちゃったら元も子もないですし、ぶっちゃけ今の円堂さん、このままだとそうなっちゃいそうな勢いですし」
「でしょう? だから早速手配したわ。明日の夕方、一泊する準備をして体育館に集合だから。よろしくね」
――という、夏未さんとのやり取りをしたのが昨日の練習の帰り際。突然の提案、もとい通達でしたが、しかしアフロディさん襲来のせいで殺気立ってしまった空気に辟易していた皆さんからは、きっとほとんど反対意見も出なかったのでしょう。無事、決行されることになりました。
なので私も言われた通りに着替え一式を準備して、夕暮れの中学校へ。そうして集合場所の体育館に集まって、合宿というイベントにテンションが上がってしまった男子たち――巻き込まれたのか自分から飛び込んでいったのか音無さんも混ざっていますが――が敷かれた布団の上で枕投げに興じるさまを眺めながら、私と同じくお子様の遊びに付き合う気のない秋さんと夏未さんとでのんびりおしゃべりの時間を得ることになったのです。
「男の子ほどじゃないけど、学校に泊まるのってなんだかワクワクするね。ありがとう、夏未さん」
「私もこのチームのマネージャーですもの。チームのためにしたことなんだから、別にお礼を言われる筋合いはないわ。……どうしてもって言うなら、場虎を労ってあげて。今回は彼に随分手伝ってもらったから」
「あとは響木監督にも、ですね。合宿するって言いだしたの、あの人なんでしょう? 全く優秀な監督さんですよね」
「ほんとにね。監督には今までも散々お世話になったし、いつかみんなでしっかりお礼をしないと。まあ、でも……」
「円堂くんがあの様子じゃ、少なくとも今は無理そうね」
と、夏未さんが肩を竦め、
私と秋さんも、同じように息を吐きつつ眼をやります。楽しいイベントの中、おしゃべりに興じていても、やっぱり彼のことが気にかかってなりません。
彼、円堂さんはこの合宿の場に於いて、唯一全く楽しそうではありませんでした。枕投げの輪にも入らず、さっきから実に不本意そうな表情で一人、特訓ノートとにらめっこし続けているのです。
そもそもからして合宿を楽しもうとする気が欠片もなく、きっと今も頭の中では『特訓してもっと強くならないと』と、そんな事ばかり考えているのでしょう。
同時に『こんなことをしている場合じゃないのに』というピリピリした空気までもを撒き散らし続けており、一番気分転換するべき人が全く気を休められていないという、本末転倒な感じの事態になってしまっています。
夏未さんの口からため息が出てしまうのも、次いでそれを眼にした秋さんが肩を落としてしまうのも、仕方のないことでしょう。
「円堂くん、やっぱりまだ引きずってるみたいね。この間、世宇子の選手にやられちゃったこと。……そう簡単に吹っ切れるものじゃない、ってことなのかな」
「でしょうねぇ。木戸川戦で壁にぶつかったせいで、ただでさえ精神状態ヤバめでしたし。そこにあんなの見せつけられちゃったら、誰だって焦っちゃうと思いますよ。こっちはいい迷惑ですけどね」
「そういうこと言わないの。……でも、そうよね。やっぱり彼にはどうにか立ち直ってもらわないと。このままじゃ、練習どころか試合にも悪影響でしかないわ……!」
夏未さんは連日の空気の悪い練習に辟易な私を諫め、そしてふと、ため息を切りました。
勢いをつけて立ち上がり、私たちへと手を差しだしてきます。
「さあ、二人とも立って。気を取り直して、そろそろ合宿を始めましょう? ただのお泊り会じゃないんだから、やることは山ほどあるわ」
「……そうですね。色々やってれば、その内、円堂さんも元気になっちゃうかもしれませんし」
「それで……まず何すればいいの? もう随分遅いけど……」
まさか練習? と、一瞬秋さんの頭によぎったようですが、もちろんそんなわけがありません。合宿――泊りがけの集中特訓と銘打ってはいるものの、その実態は気分転換。夏未さんとしてもいきなり無粋なことをさせる気なんてないでしょう。
それに秋さんの言う通り、もうそこそこ遅い時間帯です。
具体的には、夕飯時。故に夏未さんは、外、食材やら調理器具やらを運んでいる執事の場虎さんを示して言いました。
「腹が減っては戦はできぬっていうでしょ? 何をするにも、まずはご飯よ。最初に言った通り、みんなでカレーライスを作るわよ! ……以前のおにぎりでは失敗してしまったけど、今度は私もうまくやってみせるわ……! ベータさん、今回はあなたも手伝ってよね!」
「カレーですか。まあ、定番ですよね。はいはい、ささっと皆さんで作っちゃいましょう」
やたらと意気込んでいる夏未さんは置いておいて、私もお腹が空いてきてはいるのです。異存などあるはずもなく、夏未さんの手を取り立ち上がりつつ頷きます。
言われずとも、作っちゃいましょう、カレーライス。
「あー……うん、そうね。……私、頑張るわ」
などと、なぜだか秋さんは苦笑いを浮かべていましたが、ともかく彼女も立ち上がり、枕投げに勤しむ皆さんを呼び集めにかかりました。
「――それじゃあ、まずはニンジンの皮むきね。……まずは私がお手本みせるから、夏未さんも佳ちゃんもよく見てて。ピーラーの刃を表面に当てて、こう、スーっと――」
「いや、こんなことにお手本なんていりませんって。ただ皮をむくだけでしょう? そんなの、小学生にだってできちゃいますよ」
と、調理用の机の前に並ばせた私たちへやたらと真剣な面持ちと物言いで言う秋さんに、私は呆れ半分のため息を返しました。
小学生以下の幼児みたいに思われているようで、正直かなり心外です。
確かに刃物や火を使う行程ならば心配になる気持ちもわからなくはないですが、しかし今からやるのは籠に積まれたニンジンの山の皮むき。しかも包丁ではなくそれ専用の調理器具まで使うのだから、危険なんて皆無でしょう。
「さすがに気を張りすぎちゃってますよ、秋さん。おにぎり爆発させちゃった夏未さんじゃないんですから、私への心配はご無用です。道具まで使って、どうやって失敗しろって言うんですか」
「ちょっと、妙なことを言わないでちょうだい! おにぎりを爆発させてなんていませんから!」
「似たようなものじゃないですか」
部室中にご飯粒を撒き散らした、という意味では。
「まあともかく……夏未さんはアレかもしれませんけど、私までそれに巻き込まないでくださいよ。皮むき……っていうかそもそもカレー作りくらい、心配せずともフツーにできちゃいますから。食材を切って煮込むだけでしょう?」
顔を赤くしてわめく夏未さんを無視しつつそんな不満を視線に乗せて、私は秋さんへと言いました。
正当な言い分です。そのはずなのですが、しかし秋さんから帰ってくるのは同意からは程遠い冷たい視線――端的に言えば「ほらやっぱり」とでも言いたげな諦念のジト目でした。
そんなものを向けられる心当たりなんて、もちろんありません。これはもう、夏未さんの“トンデモ”の監督という大役で疲れてしまったと見た方がいいでしょう。
もう、そう勝手に納得することに決めました。
ならばこちらも勝手にと、ニンジンと、
「……佳ちゃんも、夏未さんと同じくらい料理の経験ないんだからさ。そりゃあ心配にもなるよ……」
「えっ……!?」
ため息を吐くように言う秋さんと、息を呑む夏未さん。散々自分を煽ってきた相手がまさかと、その頬は若干ニヤつき始めています。
しかし残念ながら、彼女が私を煽り返すことなどありえません。
「むぅ、失礼な。確かに秋さんよりは経験少ないかもしれませんけど、夏未さんと比べたら全然料理しちゃってます。――電子レンジでチンしたり、電気ケトルでお湯沸かしたりとか」
きっと夏未さんは電子レンジも電気ケトルも使ったことなどないでしょう。所詮、その程度。彼女の料理経験値は私に遠く及びません。
「あとは調理実習の授業だってありましたしね。人数が余ったせいで私はお皿洗い担当でしたけど……。ともかく、だから私、夏未さんみたいな“トンデモ”級の料理下手なんかじゃありません。まあ確かに、カレー作りもこの……ぴーらー? とかいうのを使うのも初めてですけど、別に難しいものでもないでしょう? 私のことは心配せずに、秋さんは夏未さんのサポートに集中してあげちゃってくださいよ」
「レンジもケトルも、それ料理してるって言えないと思うんだけど……はぁ。まあ、そうね。ピーラーの皮むきで危険も何もないだろうし……。それじゃあ佳ちゃん、私は夏未さんについてるけど……くれぐれも気を付けてね?」
そもそも失敗しようのない作業。おにぎり大爆発という“トンデモ”事件でその基準が壊れかけていたらしい秋さんは、吹っ切ることこそできなかったようですが、それでもそう頷いてくれました。
代わりにまた恥を晒しあげられることになった夏未さんが憤激していましたが、それも負け犬の遠吠えと無視をして、私は今度こそ手の中のニンジンにピーラーの刃を当てました。
そうしてしばらく無心の作業に勤しんだ後、ちょうど最後のニンジンの皮をむき終え籠に放り込んだ時でした。
「……よし、これで全部ね。夏未さん、ひとまずお疲れ様」
「ええ……! ふふ……私だってやればできるのよ!」
聞こえてくる秋さんと夏未さんの一段落。どうやらタイミングのいいことに、お互い同時に皮むきを終えることになったようです。秋さんの手を借りはしたものの、“トンデモ”を発動することなく皮むきをやり遂げた夏未さんは得意げに胸を張っています。
そして疲れた様子でそんな彼女の相手をしていた秋さんも、こっちを振り向きお互いの仕事が終わったことに気付いたようでした。疲れた顔を安堵で若干緩ませます。
「ああ、よかった。佳ちゃんのほうも怪我なく終わらせられたみたいね」
「はい、ばっちりです。だから言ったでしょう? フツーはこんなことくらい、初めてでも余裕ですって」
「そうね、安心したわ。これで次は――」
秋さんがそう頬を緩ませながら頷いて――しかし直後のことでした。
彼女の眼が私の調理の成果物、皮をむき終わったニンジンの籠へ向き、その瞬間、ピシリと全ての動きを止めてしまったのです。
「……秋さん?」
表情も台詞も、全てが瞬間的に凍り付いてしまう怪現象。何があったというのでしょう。
首を傾げながら停止状態な秋さんの前で手を振って、それでなんとか再起動してくれた彼女はなぜか今度は頭痛を堪えるように頭に手を当て大きなため息を吐くと、私が皮むきしたニンジンを一つ手に取り、続けて息を吐き出しました。
「……佳ちゃん、これを見て何か言うことは?」
「……何かおかしいとこでもありますか?」
「どう見ても! どう考えても!
何か爆発してしまったかのような勢いと声量でした。
いえ実際、爆発してしまったんでしょう。夏未さんにも散々苛め抜かれたであろう、彼女の忍耐が。
そんな状況でまた「何をそんなに怒ってるのかわからない」なんて言った日には、もうどうなってしまうかわかりません。ニンジンの身を削いだつもりは全くないのですが、とにもかくにも言い訳無しで謝ります。
「ご、ごめんなさい……。……でも、ニンジンのどこまでが皮なのかって、意見分かれちゃうとこじゃありません?」
言い訳、出ちゃいました。
でもだって、そうだと思うのです。
確かに三分の一くらいにまで小さくなった私のニンジンはやり過ぎなのかもしれませんが、しかし皮が残ってしまうよりはいいはずなのです。それに正直、元のサイズと大して変わらない秋さんたちのニンジンは、私からすれば軽く水で洗っただけくらいに思えてなりません。
という、不満も混じってしまった言い訳は、やっぱり秋さんの忍耐にダメージを与えるだけでした。
「分かれないよ、皮は皮じゃん……。はあ……やっぱり佳ちゃんもちゃんと見張っておかないとダメね。けど私一人じゃ手に負えないし、誰か手が空いてる人を……」
とうとう私を夏未さんと同列に扱うことを決めてしまったようで、もう一人の介助人を探し始めてしまう始末。言いようのない恥ずかしさです。
「私もさすがにアレはどうかと思うわよ?」
「うるさいです」
落ちぶれた私にほくそ笑んでくる夏未さんのことはそっぽを向いて無視をして、そうしてほどなく秋さんはお目当ての人材を見つけました。
しかもその人物。誰であっても恥ずかしいものですが、“よりにもよって”
「それじゃあ豪炎寺くん、よろしくね。……くれぐれも、気なんて抜かないように」
「あ、ああ……」
もうこれ以上問題が起きてほしくない秋さんの気迫と、介護の相手が私であること。彼が言葉に詰まったのは果たしてどっちが理由なのでしょう。
それを尋ねる度胸はもちろんありませんでしたが、代わりに気まずい空気の打破のため、一応の質問をぶつけてみます。
「豪炎寺さん、お料理できちゃう人なんですか?」
「……ああ。夕香によく作ってやっていたからな」
「なるほど、納得です。それで、あの……そういうことなので、よろしくお願いします……」
「あ、ああ……」
気まずい空気は打破できませんでしたが、ともあれ腕はちゃんとしているようです。であれば、もうさっさと全部片付けてしまうべきでしょう。
恥ずかしさと頬に上る血の気を押し殺して頭を下げて、それにまた同じ調子でどもる豪炎寺さん。次の工程、『ニンジンを食べやすい大きさにカットする』ために私が包丁を握ると、すかさず豪炎寺さんも私の背後につきました。
包丁を握る右手とニンジンを持つ左手に、伸びてきた豪炎寺さんの手が重なります。そうなるとなんだか覆いかぶさられているようで内心ちょっぴりドキドキしてしまいましたが、それもまた心の奥に押し込め封印。
それからさらに深呼吸を一つして心を落ち着けて、私は初めて使う包丁へと意識を集中させながら、それをニンジンへと向けました。
――そして、振り下ろす直前。
「ほぎゃあああああぁぁぁぁッッッ!!!?」
と、辺り一帯に響いた壁山さんの悲鳴。突然のそれにビクッとなってしまった私の手元は狂い、ダンッと空を叩き切った包丁がまな板に食い込みました。
豪炎寺さんも相当驚いたのでしょう。かわいそうに、重なる手のひらはビクリと跳ねて、一気に血の気が引いて冷たくなってしまいました。
これはもう、いきなり悲鳴なんて上げた壁山さんに一言言ってやらねば収まりません。
そう思い、まな板に突き刺さったままの包丁から手を離して彼の姿を探し、それをすぐ見つけます。
「ちょっと壁山さん! こっちはお料理してる最中なんですから、あんまり騒がれたら――」
「おお、晩飯作ってる途中だったか! そりゃ悪いことしたな!」
と、豪炎寺さんの腕の中から出た私の言葉を遮ったのは、校門前で腰を抜かしてしまっている壁山さんではありませんでした。
震える彼の、その指が示す先。街頭に照らされ逆光になっている大きな影――それを運ぶイナズマイレブンのおじさまたちのうちの一人、備流田さんが、相変わらず豪気に笑って言いました。
「お前たちが【マジン・ザ・ハンド】の特訓するって聞いたもんでな、急いで引っ張り出してきたんだよ! この、マジン・ザ・ハンド養成マシンを!」
「『マジン・ザ・ハンド養成マシン』……!?」
大きな影、もとい機械のその名前。繋がる単語を耳にして、真っ先に声を上げたのはやっぱり円堂さんでした。
そして調理の最中もずっと難しげに歪んでいたその顔は、やはり希望に――特訓への渇望に、輝くことになったのです。