マジン・ザ・ハンド養成マシン。イナズマイレブンのおじさまたちが運んできたそれは、小型のバスほどもあるかなり大掛かりな機械でした。
曰く、当時のイナズマイレブンキーパーだった響木監督のために自作した年代物なんだとか。回転上下する仕掛けの中、動くコンベアを逆走することによって【マジン・ザ・ハンド】において重要なおへそとお尻が鍛えられるらしいです。
【イナズマブレイク】の時と同様におじさまたち当人が習得に失敗している、という点に目を瞑れば、理に適ったマシンではあるようでした。
――が、しかし有用性は認める一方、なんとマシンは中々のサイズでありながらエンジンもモーターも、動力が何も備わっていません。
要するに、完全な人力マシンです。左右の側面に三つずつついたハンドルを回して動かさないといけないらしく、このマシンで特訓をしようと思えば実に六人もの人手が必要になってしまうという事実。
しかも大掛かり故に油を差してもハンドルはなお重く、特訓している人以上に汗だくになってしまうというおまけつきで、全体的に実に大変なマシンだったのです。
しかし、今の円堂さんにはそんなことは関係ありません。
とりあえずとマシンがグラウンドの端に置かれた途端に特訓熱が爆発し、カレー作りを放り出してコンベアの上へ。なし崩し的に私たちも巻き込まれ、汗まみれになりながら交代でハンドルを回すことになってしまいました。
そうして始まってしまった円堂さんのコンベア渡りは焦りや空腹、そもそもの難易度が相俟って案の定、中々成功しませんでした。
おかげで私たちもどんどん疲弊し、既に皆さんヘロヘロです。見渡せば誰もかれもが腕をプルプルさせていて、これじゃカレーを食べるのも苦労しそうだなぁと、ハンドルを回しながら空腹と疲労でボンヤリ加減な私の頭が乾いた笑いを浮かべてしまうほど。
そんな時、私をある意味で我に返す一声が、調理場からやって来ました。
「……カレーが出来上がったから呼びに来たのだけど……なんというか、酷いことになっているわね」
「雷門、木野……。ああ、見ての通りだ……」
夏未さんの、いかにも呆れたふうな声色。休憩していた鬼道さんが皆を代表してくたびれ果てたため息を吐くと、一拍遅れた私の眼もそっちの方へとたどり着きます。
無言の秋さんは、夏未さんの後ろで私たちにも負けないくらいに疲れ切った表情になっていました。精も魂も尽き果てた、といったふうな呆然とした面持ちで肩を落として佇んでします。
無理もありません。私たちがカレー作りから抜け、ほとんどマネージャー陣三人だけで調理の続きをしなければならなかったのです。
おまけにイナズマイレブンのおじさまたち分の追加もあったわけですから、それは当然、大変だったことでしょう。
「……体力がいるマシンだしって思ったけど、やっぱり私くらいはお料理の手伝いしちゃった方がよかったかしら……。ごめんなさい、秋さん」
「う、ううん。それは全然、大丈夫だったから……。――夏未さんだけで済んで、むしろありがたかったっていうか……」
「……? 秋さん、何か言った?」
「……何も」
私の耳にも何やらボソボソと言葉の後に聞こえた気がしましたが、秋さんは首を傾げる夏未さんに対してはっきり首を横に振りました。
その顔に冷や汗が浮いていたのは少々疑問ではありますが、ともかく、彼女たちはカレー作りをやり遂げて、食事の準備を整えてくれました。
つまり、特訓を終わらせるにはこれ以上に無いタイミングだということです。
「……それじゃあそろそろ、今日の特訓はこのあたりでおしまいにしちゃいましょうか。ご飯を食べて英気を養って、また明日、続きの特訓頑張りましょう?」
正直、このハンドル回しに関しては明日になっても頑張りたいとは思えませんが、しかしとにかくもう腕が限界です。休まないと、ちょっともうやってられません。
皆さんも内心そう感じているでしょうが、
マシンは本当にギリギリのところで稼働していたようで、一人欠けると途端にコンベアと仕掛けは停止してしまいました。拍子にハンドルを動かしていた他の皆さんも突っかかって崩れ落ちるように座り込み、辺りに疲れ切った息づかいが響きます。
一度こうして止まってしまえば、もう気力は再点火などしないでしょう。少なくとも、皆の中に生まれたカレーへの欲求を満たさない限りは不可能です。
はた目にも明らかな、そんな状況。円堂さんもさすがに諦めてくれたようで、マシンから降りてきます。
「そうだな。これ以上この特訓を続けて、みんなの明日を潰させるわけにはいかないもんな」
――と思ったのですがしかし、続いた台詞。降りてくるなり円堂さんは、まるで衰えていないやる気の眼差しを私たちへと向けてきました。
「それじゃあ、俺は一人で【マジン・ザ・ハンド】の特訓やってるから、みんなはしっかり身体を休めて、明日の練習に備えて――」
「ちょっと円堂くん!? 何を言ってるのよ、食事の時間だって言ってるの、わかってないの!?」
自分の体力は無尽蔵だとでも思いこんでいるような発言に、夏未さんも思わず声をあげました。
特段思い悩んだ様子もなく、さも当然というふうに吐かれた『一人で特訓を続ける』宣言。みんなの体力を慮る気持ちはあれど、どうやらそれを自分に適応する気はサラサラないようです。
確かに円堂さんは焦燥感が相俟って私たちほど疲れを感じていないのかもしれませんが、しかしその顎に滴る汗の量からしても疲弊しているのは明らかなのです。
自覚がないわけがありません。なのに、やはり平然と続けます。
「わかってるさ。でも、俺は特訓を続けたいんだ。……一分一秒でも多く、練習しないといけないんだよ。だから、悪いけど俺の分のカレーはあとででいいからここに持ってきてくれないか? そうしてくれると助かるんだけど……」
「円堂くん、あなた……っ! いいから、休みなさいって言ってるの! 練習ならまた明日すればいいじゃない! それに……そもそも、疲れたままじゃ特訓だって非効率でしょう!? どうしてそんな簡単なこともわからないのよッ!」
「な、夏未さん、落ち着いて……」
私たちの気持ちは全くの無視。気にも留めないようなその物言いは、とうとう夏未さんの顔をも歪ませました。
秋さんが諫めるも止まらず言葉尻が荒くなり、そしてそれは、やはり円堂さんのボルテージをも引き上げてしまいます。
「わかってるって言ってるだろ! でも……世宇子に勝つには【マジン・ザ・ハンド】が絶対に必要なんだ! もっと強くならないと、ゴールを守れない……!」
アフロディさんのあの強さを脳裏に刻み込まれてしまった円堂さんは、歯を噛み砕かんばかりに噛みしめ、続けます。
「それに……今日もそれまでも、みんなには散々、特訓に付き合ってもらってきた。ここまでたくさん迷惑かけて……それなのに『【マジン・ザ・ハンド】は習得できませんでした』だなんて、そんな結果で終わっていいわけがないじゃないか……!!」
「円堂、お前……」
夏未さんたちだけでなく、豪炎寺さんたちもまた、その表情が歪んで――陰っていきます。
一人で突き進もうとする円堂さんへの、悲しみ。みんな一様にそんな視線を彼に向け、しかしそれでも円堂さんの眼は曇ったまま。
「……大丈夫、約束する。心配しなくても、【マジン・ザ・ハンド】は必ず習得してみせる。だから……みんなは俺の事なんて気にしないで休んでてくれ」
おまけに何を勘違いしたのかそんな事まで、円堂さんはまるで聞き分けの悪い私たちを諭しているかのような調子で、そう口にしたのでした。
夏未さんや響木監督、そして他の皆さんもわかっています。この合宿の主目的は特訓ではなく息抜きです。
能力的な強化ももちろん重要ですが、今の円堂さんに必要なのはそれ。そして、なにより
なのに円堂さんだけが、それをわかっていません。
夏未さんたちの想いも私たちの献身も、今の彼はまるで気にも留めていないという、その事実。善意を踏みにじられたようなものです。
おまけにそこに見当違いな独善まで付け加えられては、悲しみが憤りに変わってしまうのも必然のことだったでしょう。
「円堂くん……あなた、いい加減に――」
が、しかし。
「いい加減にしてください。そろそろ私も怒っちゃいますよ、円堂さん」
その変質を真っ先に起こしたのは、私でした。
今の円堂さんに対する怒り――忌避感が、他の誰よりも強かったからです。
よりにもよって円堂さんが以前の私のようなことをしているこの状況は、私にとって我慢ならないものでした。
「思い詰めちゃう気持ちはわかります。自分の力が通用しなかった現実を前にして、キャプテンでキーパーでもあるあなたに重圧を感じるなっていう方が無理でしょう」
「……そう思うなら、やっぱり放っておいてくれよ。俺は負けない……重圧なんか、絶対に跳ね退けてみせるからさ……!」
「けど、それに一人で立ち向かう必要なんてないんじゃありません? ――私たちは、一人でサッカーしてるわけじゃないんですから」
「っ……!!」
――仲間。“信じること”を見失っている円堂さんにそれを言うのはむず痒いことこの上ありませんでしたが、しかしもう黙っているのも限界です。とうとう傾いた天秤の赴くまま口にして、すると途端、円堂さんはハッと息を呑みました。
我慢の堰が崩れた私の口は、そのまま勢いに乗って溜まっていたものを吐き出します。
「私たちプレイヤーもマネージャーも監督も、あとはおじさまたちも、みんな一緒に戦っているじゃないですか。みんな、円堂さんならできるって信じているんです。そうやって仲間を信じて戦うのが、円堂さんの……雷門のサッカー、でしょう?」
「そ、それは……で、でも俺は……みんなのためにも、どうしても【マジン・ザ・ハンド】を習得しないと――」
「なら『休んでいい』だなんて言うんじゃなくて、もっと私たちを巻き込んでください。『手を貸してくれ』って言ってくれたら、私たちもあなたが満足するまで付き合ってあげちゃいますから」
「で、でもそれじゃあ、みんなの体力が……」
「……夏未さんの手前で言っちゃうのはアレですけど、倒れるまで練習するなんて、ウチじゃいつものことじゃないですか。別に明日ボロボロになっちゃってても、それでいいんです。みんなでボロボロになるまで繰り返した練習は、円堂さん一人がボロボロになっちゃうよりも、きっとずっと大きなモノを得られるはずですから」
「で、でも……」
「もう……! 三回目ですよそれ! そろそろくどいです! ……いいから、ちゃんと見てくださいよ円堂さん! ほら!」
と、散々言ってなお煮え切らずに『でも』を繰り返す円堂さんに、周囲のみんなを示します。
「そうだぜ円堂。遠慮とか、水臭いにもほどがあるっての!」
「キャプテンがその気なら、俺たち、何時間だってお手伝いします!」
「一緒に完成させようぜ、【マジン・ザ・ハンド】……!」
皆さん一様に、“信頼”の眼差しを円堂さんへと向けています。そしてそれは、昨日今日のことなどではありません。
ずっと前から、みんな円堂さんを信じているのです。キーパーとして、キャプテンとして――そして何より、仲間として。
その想いは、とうとう円堂さんの眼の“曇り”を晴らしました。
「ッ――! ……ベータの言う通りだ。何やってるんだ、俺は……! こんな最高の仲間たちが傍にいたっていうのに、それを忘れていたなんて……俺は世界一の大バカ者だ……!」
ピシャリと両の頬を叩き、“曇り”の残滓を振り払うように首を振った円堂さん。そしてやがて前を向いた円堂さんのその顔は、ほっぺたを赤くしながらもすっかりいつもの輝きを取り戻し、みんなに応えます。
「みんな、ゴメン! 俺、ずっと【マジン・ザ・ハンド】のことばっかり考えてて、一番大切なものを見失ってた! みんなはずっと手を差し伸べてくれていたのに、ずっとそれに気付けなかった……!」
「全くです。……まさか私が円堂さんに“信頼”を説いちゃう日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「ほんと、何かにつけてすぐスタンドプレーに走っていた頃が懐かしいくらいだわ」
私のため息と、それに茶々を入れてくる夏未さんに一瞬苦笑いを浮かべた後、円堂さんは私たち全員へ頭を下げ、言いました。
「……虫のいい話だとは思うけど、俺も、やっぱりみんなとサッカーがしたい……! だから、改めて頼む! 【マジン・ザ・ハンド】習得のために、みんな、力を貸してくれ……!!」
円堂さんを信じている皆さんの返答は、もちろん一つです。
「当たり前だろ円堂!」
「みんなの力を合わせて、必ず【マジン・ザ・ハンド】を完成させましょう!」
「そもそもそのための合宿なわけだしね!」
それまでのハンドル回しの疲れなんて感じさせないくらいのやる気に満ちた顔で頷いて、そうしてとうとう、木戸川戦から続いていた円堂さんの焦りも、解けて消えることになったのでした。
そんな彼らを眺めながら、私もこっそり安堵のため息を吐き出します。合宿の主眼もこれで無事に達成。世宇子相手に私たちの――雷門のサッカーができずに敗北した、だなんて最悪はこれで無事に回避です。
それに世宇子戦は、私が真の意味で雷門の一員になってから初めての試合であり、ある意味でデビュー戦のようなものです。せっかくの晴れ舞台に雷門として戦えないなんて最悪すぎます。
だからその心配がなくなって一安心。円堂さんや皆さんの特訓士気もすっかり盛り上がり、とはいえさすがに夕飯抜きはちょっときついなぁと、今度は憂鬱のため息を吐こうとした――その時でした。
ぎゅぐるるる、と、場に満ちていた朗らかな空気を貫く騒音。響き渡ったお腹の音に、瞬間、その場の全員の思考がピタリと止まってしまいます。
そしてその音の主、円堂さんが、やがてバツが悪そうに頭をかきました。
「あー……ははは……。なんていうか、とにかくやっぱり、まずはメシにしない……?」
ズルッと、肩透かしを食らう皆。風丸さんが頭痛をこらえるようにこめかみを抑え、大きなため息を吐き出します。
「円堂……よりにもよって今、腹を鳴らさなくてもいいだろ……」
「せっかくいい雰囲気だったのに、ぶち壊しです」
私もなんというか、肩の力が抜ける思いでした。確かに特訓はちょっと憂鬱でしたが、それでも流石にこれはないんでじゃないでしょうか。
とはいえそういうのを抜きにしても、空腹を自覚した円堂さんに特訓を強制する道理も何も、ないのが事実。私たちと同じく呆れかえりながら、夏未さんが「やれやれね」と続けます。
「……まあ、きちんと休憩を取れと言ったのは私たちですものね。それじゃあ、食事にしましょう。みんなもそれでいいかしら」
「ああ。結局のところ、空腹のままでは特訓も非効率なわけだからな」
「『腹が減っては戦はできぬ』、だもんね」
鬼道さんと一之瀬さんも頷いて、他の皆さんにも文句はないようです。全会一致の食事会。決まって、その時です。
ふと、私は養成マシンでの特訓に向かう直前に場虎さんがぼやいていたことを思い出しました。
「そういえば……お皿とかはまだ準備してないんじゃありませんでした? 学校に置いてあるものを使うって話だった気がしますけど、もういいんです? それに、イナズマイレブンのおじさまたちの分も増えちゃいましたし……」
「あ……そういえばそうだったわ。それじゃあ誰か一緒に取りに行ってくださる? 家庭科室にあるはずだから」
「おお、悪いな突然押しかけちまったもんで。そんじゃ俺たちはその間、マシンをイナビカリ修練場にでも運び込んどくよ。グラウンドに置きっぱなしってわけにもいかねえだろうからな」
「あ、それなら俺たちも手伝います! ただ待ってるってわけにもいきませんし!」
心配に思えばどうやらその通りだったようで、少し慌てながら言う秋さんと、ごちそうしてもらえることに嬉しそうな顔をする備流田さん。お礼、というわけではないでしょうがこの巨大な装置の片づけを申し出て、ならばと皆さん、お手伝いに名乗り出始めます。
故に私も先んじて、お皿運びの人選を開始。
「円堂さんと豪炎寺さんと鬼道さんはこっちを手伝ってくださいね? まさかか弱い女の子二人だけで重たい食器を運べ、なんていうつもりじゃないですよね?」
「……? あ、ああ。もちろん……」
豪炎寺さんがなぜか訝しげな顔をしましたが、笑みを深めてやるとすぐに頷いてくれました。
これで他の面子も嫌だとは言わないでしょう。そのまま円堂さんと鬼道さんも引っ張って、私たちはお皿を取りに校舎へと向かうのでした。