「――『逃げ出したりするもんか』、か。君たち雷門は本当に頑なだね。前半戦を無為にしたことを除いても、ここまで我々と戦っていられたチームは他にない、精神面では間違いなく、今まで我々が倒してきたチームの中でも一番だ。誇っていいよ」
パチン、とアフロディさんの指が鳴らされて、文字通り目にもとまらぬスピードのドリブルに抜き去られた最後のフォワード、豪炎寺さんが宙へと投げ出されました。
吹き飛ばされ、そして地に落ちた彼にはもはや起き上がる体力すら残っていません。しかしアフロディさんはそんな彼にもはや一瞥もくれることはなく、ボールを蹴りつつゆっくりと前へと歩みを続けます。
「だがそれも、もう限界だろう。あっという間に負傷退場していった眼鏡クン然り、『逃げ出したりするもんか』だなんて愚かな希望を抱けるのは、その身に絶望を知らなかったからだ。絶望という名の、
また、パチンと。
今度は鬼道さんたちミッドフィールダーが吹き飛ばされて、地面に倒れ込んだっきり動かなくなってしまいます。
「そう……今まで、君たちは知らなかった。だが今は皆が思い知った事だろう。雷門は勝てないと……我々世宇子に勝利することなど、土台不可能なことだったのだと!」
三度指が鳴り、ディフェンダーさんたちがグラウンドに転がることになりました。
フィールドプレイヤーはこれで全滅。九人が倒れ伏す死屍累々の惨状に、アフロディさんはようやく視線を向けました。
これ見よがしに背後に広がる己の蹂躙を見渡して、疲労の汗を滲ませつつもまるでそれを誇るように、その口元に尊大な笑みを浮かべています。
そして彼はそれを、正面に一人残った円堂さんへと向け振るいました。
「散々我々の強さを思い知らされ、そして見ての通り、彼らにはもはや希望を信じる意地すら残っていない。立ち上がるだけの力も戦意も、もう尽きたんだ」
「……そんな、わけ、あるかっ……!!」
ボロボロの身体を引きずりながら、円堂さんがアフロディさんを毅然と睨み返します。
その身体は他の皆さんに負けず劣らずボロボロで、同様に次の一撃が致命傷になってしまいそうな、限界一歩手前の有様です。
だというのに、立っているのはもう自分一人だけだというのに――やはり彼のその眼には一切、諦めの色はありません。
ただひたすら“本当のサッカー”に一生懸命だからこそ、変わることのないその姿勢。傷つき、倒れ、泥まみれになることがあっても尚、それでも愚直にボールを追うことがサッカーだと、そう固く信じている、その眼差し。
それを、アフロディさんは一切の躊躇もなく踏み潰します。
「諦めたまえ。こんな状況でこれ以上試合を続けても何の意味はない。……棄権する以外に道などないことは、君にだってわかるだろう? 円堂 守」
点を取り合うのではなく、相手を潰して勝利を手にするそのサッカー。いいえ、影山の、サッカーとも呼べないサッカー。アフロディさんの顔に浮かんだ邪悪な笑みは、そんなサッカーに芯まで染まってしまっているように見えてなりません。
私と彼のサッカーの致命的な隔たりを目の当たりにして、呑み込むことなどできるはずもなし。耐えられず、私は思わず目を逸らしてしまいました。
が、しかし。
「――いいや。道なら、まだある……!!」
円堂さんはまっすぐに、アフロディさんと対峙し続けています。
「お前たちがどれだけ強いのかは、よくわかった。でも……だからって、俺たちは試合から、逃げ出したりしない……!! 何があっても、絶対に最後まで諦めない……!! 最後まで諦めず、戦い抜くことが、俺たち雷門のサッカーだから……!!」
「……そうか」
そう、サッカーへの想いを叫んだ彼に、アフロディさんの背中は一転して冷めた声色でそう一言。そしてそれから少し、間を挟んだ後に、
「ならばその
突き放すように、彼は冷たく言い放ったのでした。
そして宣言通り、円堂さんへの集中攻撃が始まりました。
ゴールではなく、円堂さん自身を狙ったシュートの連打です。まるで壁当て練習でもするように、絶え間なく円堂さんへと叩き込まれるボールの波状攻撃。必殺技ではないノーマルシュートではあるものの、その威力はボロボロの彼が受け止められるようなものではなく、当然、抗う術もありません。
あっという間に円堂さんはボロボロを通り越し、他の皆さんと同じように倒れ伏すことになりました。
芝生の上に投げ出された手のグローブはもはや使い物にならないほどの穴が開き、守られなかった素手には血が滲むほど。そして、ピクリとも動きません。
勝負はついた。誰の眼にも明らかでしょう。
ですがそれでも、アフロディさんは止まりませんでした。むしろその悪意が全身に今まで以上のチカラを迸らせて、跳ね返ってきたボールがその掌中に。
「さあ……これでトドメだ、雷門!!」
光輝くチカラが天使の翼へと変わり、羽ばたいた彼から、ただの
「神の裁きを受けるがいい!! 【ゴッドノウズ】!!」
そんな彼の、あんまりな姿。もはや“サッカー”すらもが消え失せてしまった彼の有様を目の当たりにして、たぶん、私の中の何かが限界を超えてしまったのだと思います。
裏切者と呼ばれることを恐れて口を閉ざし、見て見ぬふりをし続けていた私の身体は、シュートのその瞬間とほぼ同時、
「アフロディさんッ!!」
放たれた必殺シュートの前に、身を投げ出していました。
眼前に迫るチカラ渦巻く光のシュートと、アフロディさんの愕然とした表情。それらを視界に入れながら本能的に身体は動き、ボールに向かって足が伸びます。
片足で地面をがっちり捉えつつ、ボールを打ち返すように振るったキック。しかしもちろん、いかに私が随一のシュート力の持ち主とはいえ、こんな突発的なブロックで彼の必殺シュートを止められるはずもありません。弾いて少し軌道を変えるのが精々です。
ただ今回に限っては、その
私の足に走った痛みと引き換えに、シュートは標的の円堂さんを逸れ、そのままゴールに突き刺さることになりました。
とりあえずは
「……ベータ」
すると、やはり。
起き上がった目の前には、怒りを必死に噛み潰しているような、そんなアフロディさんの顔が立ち尽くしていました。
「……なぜ、邪魔を……?」
感情抑え込み、食いしばった歯から絞り出した声音。チームから外されかけるような一応の味方とはいえ、こんなことをされれば彼が怒るのも当然でしょう。
当然の憤りに若干申し訳なく思いながら、しかしそれでも、もはや私に退路はないのです。こうまで明確な裏切りを働いてしまった以上、どうにか皆を“影山のサッカー”から“本当のサッカー”に引き戻す以外ありません。
故に私は深呼吸一つして意思を固め、怒りに震えるアフロディさんへと言いました。
「……見ていられなくなっちゃったので。雷門も円堂さんも、もうみんな倒れちゃってるんですよ? サッカーは、そんな相手にトドメを刺すようなスポーツじゃないはずです。“本当のサッカー”はもっと、正々堂々とした――」
「――またそれか」
「っ……」
しかし私の言葉は、すぐに断ち切られてしまいました。
アフロディさんの声に滲み出る“拒絶”の前に、続くはずだった言葉が奥へと転げ落ちていってしまいます。
そうしてあっという間に元通り口は閉じ、場には忌々しげなアフロディさんの嫌悪が広がりました。
「“本当のサッカー”……。本当に、いったいどうしてなんだ、ベータ。なぜそんなものに執着する? なぜ我々のサッカーを否定する? 昨日までの君は間違いなく同士だったはずなのに……!!」
ぎゅっと握った拳が震えています。激情を持て余す彼は、それを爆発させるように「見ろ!!」と、背後の光景、倒れ伏す雷門の皆さんを示し、続けます。
「我々のサッカーは雷門を下した!! 勝利したのは、我々世宇子のサッカーだ!! この光景が全てじゃないか!!」
「……全て、じゃ、ないです……! こんなの、勝っただけで……“本当のサッカー”は――」
「勝利以外に重要なものなどあるものか!! 負ければ全てが無価値に……これまでの全てを否定される……!! サッカーとは、勝利を奪い合うスポーツだッ!!」
「そ、それは――」
違う――とは、言えませんでした。
無論、彼が語るサッカーが間違っていることはわかっています。だからこそ、喉から転げ落ちてしまった言葉をどうにか引き上げ、その嫌悪を否定できたのです。
が、しかしこればかりは――彼の
その根幹は間違ってはいても、彼の心に根を張った確かな信念であるのです。
嫌悪や悪意で形作られたものでは決してない、純粋な想い。だからこそ、仲間としての私がそれを否定することに生まれる躊躇。
だから彼のそれを否定できるのは、
「――違う……!!」
「ッ!? 君は……まだ立つというのか……!?」
驚愕と共に振り向くアフロディさん。私も、声の方向を振り向きます。
ボロボロの身体をフラフラと揺らしながら、それでも二本の足で立ち上がった円堂さんが、はっきりと否定の声を叫んでいました。
汗と土汚れと擦り傷に塗れた顔が、鋭い目つきでアフロディさんを射抜き、続けます。
「当たり前だッ……! 俺は……俺たちは、“サッカー”をしているんだから……!」
「……さっきも聞いた言葉だね。では何かい? 君は同じように、まだ我々のサッカーを否定する気だったりするのかい? ……『サッカーには勝利よりも大切なものがある』、とでも?」
「ああ、そうだ……! サッカーの勝利は、相手を倒して奪うものじゃない。ゴールを決めて、勝ち取るものだ……! サッカーの目的は勝つことじゃなくて、ボールを通して繋がり合うことなんだよ……ッ!」
立ち上がり、地を固く踏みしめ、そして円堂さんはその意思を示すようにゴールの前で構え、言いました。
「だから俺たちは、どれだけ痛めつけられても絶対に諦めない……絶対に負けない……ッ! サッカーじゃないサッカーなんかで、
折れも曲がりも凹みもしない、あまりに強固な意志でした。
私とはまるで違う、堂々としたその姿勢、物言いは、アフロディさんの心にどれだけ届くことになったのでしょうか。その程度は、わかりません。
彼はただ俯き加減に表情を隠し、一言、ぽつりと呟くように声を零しただけでした。
「――
「……え? なんだって……?」
小さすぎて感情の窺い知れないその一言。まともに聞き取れたのは私だけだったのでしょう。円堂さんが僅かに眉を寄せて聞き返し――しかしアフロディさんはそれに答えることなく、勢いよく顔を上げました。
「滑稽だと言ったんだ! まさかこうまでされて、それでも諦めないなどと……君はいったいどれだけ愚かなんだい!? 勝ち目なんてどこにある!」
「……ここにある! 俺の中にも、みんなの中にも……! 仲間が信じてくれる限り、俺たちはどれだけでも、どんな強敵とも戦える……!」
「そうかそうか、やっぱり『仲間』か! 倒れ伏している彼らが、いったいどうすれば戦力になるのだろうね! 夢を見るのは勝手だが、誰もかれもが君のようなバカになれるわけでは――」
と、振り向き、哄笑していたアフロディさんの声がその時、切り落とされたかのように唐突に止まりました。
その顔に刻まれていた、彼の端正な顔立ちを歪めた攻撃的な笑みも抜け落ち、そしてその代わり、彼の視線の先から声が続きます。
「円堂だけじゃ、ないぞ……! サッカーを諦めない、雷門魂の持ち主は……ここにも、いる……!」
芝生に手を突き、ボロボロの身体に鞭打ちゆっくりと身を起こそうとする豪炎寺さんの姿。
いえ、彼だけではありません。もう動けるはずのないダメージを追っているはずの雷門全員が、円堂さんの声に応えて立ち上がろうとしています。
「俺たちも……円堂が信じてくれるなら、何度だって立ち上がってみせる……っ!」
「そうッス……! 俺たちは、絶対に、諦めない……!」
「勝利の女神がどっちに微笑むのかなんて、最後までやってみなくちゃわからない……だもんな、円堂……!」
「っ――!」
ついさっきまで間違いなく力尽きていたはずの彼らが、続々と蘇っていく光景。アフロディさんの眼には、墓場から這い出て来るゾンビの群れのように映ったのかもしれません。
何故お前たちまでと、信じられないものを見る目つきが、言葉を無くしてその光景を見回しています。
そしてそんな彼の動揺にトドメでも刺すように、真っ先に身を起こした豪炎寺さんから鋭い声が、アフロディさんを直に撃ち抜くことになったのです。
「そういう、事だ……! 確かに勝ち目は薄いだろうが、ゼロじゃない……! なら、試合を捨てる道理は、どこにもない……!」
「――勝ち目は、ゼロだ……!! 人間は神には勝てない!! 君たちがどれだけ抵抗しようが、最後には敗北するしかないッ!!」
「それでも……戦い続けた末に負けるのだとしても、俺たちは諦めない。――円堂一人がボロボロになるくらいなら、全員でボロボロになる。……それこそが、仲間というものだからだッ……!」
「ッ……!!」
豪炎寺さんから――もとい、雷門から放たれたあまりに熱いその言葉。それはアフロディさんを貫き、挙句、私の心の“諦め”までもを穿っていきました。
そうです。ただ一人、目も耳も口も塞いで己の“サッカー”を守っても、そんなものに意味はありません。アフロディさんたちの、仲間の“サッカー”を諦めてしまえば、残るのは後悔だけ。
みんなの“本当のサッカ―”を取り戻すことを諦め、見捨ててしまうことこそが、仲間への最大の裏切りなのです。
『だから……あなたが仲間とサッカーがしたいのなら、他でもないあなたがこの状況を――』
脳裏に蘇る、ハーフタイムでのあの雷門マネージャーさんの言葉。つまりはその通りです。
キャプテンの腕章を剥がされようと、影山に目をつけられようと、皆から拒絶されようと、それでも私はやらなければならないのです。
仲間のために――そして、“私自身のサッカー”のために。諦めることなどできません。
今度こそ、それこそ無理やりにでも、皆を“本当のサッカ―”に引き戻す。私はそう、固く決心しました。
そして、考えてみればこれはある意味好機です。
試合再開のためにもとのポジションに戻り、振り返って背後を見やってみれば、アフロディさんの様子は明らかに普通ではありません。
蘇った雷門に対する怒りか恐怖か、ともかく荒い息は動揺を隠しきれていませんし、他の皆もそれは同様。皆を導くべきキャプテンが冷静でなければ、チームが戸惑い、まとまりを欠いてしまうのは当然でしょう。
つまり私がチームの主導権を取り戻す絶好のチャンス。前半戦までのように皆が私の指示に従ってくれさえすれば、影山のせいで潰えた当初の思惑だってうまくいくはずです。
みんな、“本当のサッカ―”の魅力や強さや楽しさを理解してくれるはずなのです。
それでもまだアフロディさんたちが『“仲間”など二の次』などと言うのなら、その時こそ力づくで理解させるまで。
ともかく、それが叶うほどの絶対的な仲間からの信頼を、まずは手にしなければなりません。そのために、まずは“神のアクア”にも劣らないほどの、仲間同士で信じあう連携の強さを――
『――これでもダメですか。さすがはマスターⅮの孫、あまりに深く浸食されてしまっている。……記憶の植え付けはまだしも、これ以上の思考制御はさすがに悪影響になりそうですが……。いえ、これを放置する方がはるかに大きな問題になるでしょう。……議長も、きっとそうおっしゃるはずです』
『接続、完了。パラメータ編纂モード、起動――』
――いいや。そんなことよりもまず、オレがキャプテンたり得る証拠を、強さを示さなければならない。
全ての敵をオレ一人の力で叩き潰し、この場の全員に、オレに全てを任せていればいいと知らしめるのだ。
そうしてこそ、チームはオレに従う。そうすれば、“オレのサッカー”ができる。
サッカーで勝てるのだ。
ニヤリと、口元が勝利を先取りして歪むのを感じながら、オレはキックオフの笛を聞くのだった。