雷門中のベータちゃん! ~連載版~   作:もちごめさん

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待っていてくれた方々にはお待たせしました。
そうでない方々には初めまして。
エイリア編も完走できるよう頑張ります。


エイリア学園編
第一話 新たなる出会い


 私、米田(よねだ) (けい)ことベータが身を置く雷門中学サッカー部は、フットボールフロンティアで優勝を勝ち取りました。

 

 正直に言って、私は今でもちょっと信じられない思いです。最初は人数すら足りていない弱小部だったのに、特訓を重ねて予選を勝ち上がり、まさかとうとう優勝までしてしまうとは。

 当時の私にそんな未来を語って聞かせたのならば、きっと鼻で笑っていたことでしょう。

 

 しかし皆さん成し遂げました。四十年無敗を誇った帝国学園を下し、そしてその帝国を蹂躙した世宇子中すら打ち負かし、全国の頂点に立ったのです。

 

 あれはまさに至上の瞬間でした。

 日本一というずっと夢見てきた称号を手に入れて、トロフィー授与と表彰式、そして記念撮影に至るまで。その全てが喜びと達成感で満ち溢れ、治まる気配もない客席からの歓声はまだ耳朶の奥に残っています。

 スタジアムでの時間の全てが、未だに忘れられません。それほどの至福に包まれて、私たちは思う存分優勝と、その余韻に酔いしれることになりました。

 

 そしてその高ぶりがある程度の落ち着きを取り戻した頃、次に私たち雷門イレブンが足を向けたのは我らが母校、雷門中でした。

 

 凱旋です。文字通り身を削って私たちのサッカーを守ってくれた理事長さんに報いるのはもちろんのこと、他にも私たちを応援してくれた皆さんにも、優勝を報告しないわけにはいきません。

 

 それは自然な流れで、至極当然な行動でしょう。だから私たちが乗り込んだバスは、そのまままっすぐ雷門中へと向かいました。

 

 ――向かったわけなのですが。

 しかし今、私が居るのはバスでも学校でもなく、病院の診察室です。

 お医者様である豪炎寺さんのお父さまに診てもらっているところでした。

 

 

「それで……身体に違和感がある、ということだったか」

 

「はい。足がちょっと変な感じで……。怪我したりしてないか、私、不安になっちゃったんです」

 

 

 そういう理由で、私は学校への凱旋から抜け出してきたわけなのです。

 

 優勝報告は確かに重要ではあるものの、さすがに身体を痛めたかもしれないとなればそれより優先させるものでもありません。

 

 ついでに私用も兼ねて豪炎寺さんが付き添いに。そして土門さんと一之瀬さんが木戸川中の友人である西垣さんと会うためにと、便乗してバスを降りたのはちょっともにょりとしましたが、ともかく。

 

 

「心配することはない。君の希望通り、全身くまなく検査したが……どこにも異常は見当たらない。違和感は、恐らく運動と緊張から来る疲労だろう。安静にしていればすぐに回復するはずだ」

 

 

 豪炎寺さんのお父さまは、私の検査結果らしきものが映ったパソコンの画面に眼をやりながら、そう診断を下しました。

 

 喜ぶべきところでしょう。なにせ、心配した怪我はなかったのです。

 しかし、私の息は咽喉の奥で詰まったままでした。安堵の息は吐き出されることはなく、円堂さんたちに無用な心配をかけてしまったことを謝らなくちゃ、と申し訳なさが生じることもありません。

 

 なぜならば。身体に違和感がある、という申告は、そもそもが虚言であるのです。

 

 私は『問題なし』よりも、『問題あり』の診断結果を期待してここに来ていました。

 

 

「でも、あの……豪炎寺さんのお父さま。【神のアクア】のお話って、聞いてたりしちゃってます……?」

 

「む……」

 

 

 ――【神のアクア】。ついさっきのフットボールフロンティア決勝戦、その舞台で持ち出された、いわゆるドーピングのお薬です。

 私はそれを、吐き出し損ねたごく少量とはいえ口にしてしまっていました。しかも雷門ではなく、世宇子の選手の一人として。

 

 私が知りたかったのは、怪我の有無ではなくつまりこれです。

 

 不可思議な超常現象。そうとしか言いようがないことが試合中に起きていました。

 

 私は気付けば世宇子のキャプテンとしてユニフォームを纏っていて、それをおかしいと思うことなく試合をし、そして気付けばまた雷門の一員に戻っていたという、その異常。

 しかも私以外の誰もその異常を認識すらしておらず、みんなの認識では私は最初から最後まで、普通に雷門選手として試合をしていたというのです。

 

 ただの白昼夢。そう自分を納得させることはできません。

 そう思い込むには世宇子側でのサッカーも、アフロディさんを始めとしたチームメイトたちへの感情も、あの時体験した全てが余りに生々しすぎました。確かに、この胸に息づいているのです。

 

 だからこそ、嘘に嘘を重ねてでも、私はその真相を求めずにはいられませんでした。

 

 

「私……実は試合の前に喉が渇いて、スタジアムに置いてあったお水を勝手に飲んじゃったんです。特に変な感じはなかったんですけど……【神のアクア】って無色透明でお水そっくりの見た目らしくて、もしかしたらって……」

 

 

 もし本当に薬の影響が残っていたならサッカー選手としてはかなりよろしくない事態になってしまうかもしれませんが、しかしそれでも、これがわかればはっきりします。

 世宇子ユニフォームを着ながら【神のアクア】を口にしてしまったあの出来事が白昼夢なのか、それとも現実だったのか。ひいては私の記憶全ての夢現が。

 

 試合中とその後の余韻に酔いしれていたあの時ならいざしらず、正気に返った今となっては見て見ぬふりはできません。

 取り繕った平常心の裏で不安に胸を鳴らしながら、私はそう訊いたのでした。

 

 ――が、

 

 

「そうだったのか。……だが、さっきも言ったように君の身体に異常はない。飲んだ水も、やはりただの水だったのだろう。安心なさい」

 

 

 診断は変わらず、豪炎寺さんのお父さまは私を安心させるように頷きました。

 

 

「……飲んだっていってもほんの一口だけでしたし、おかしなところが大きく出てないだけだったりは……?」

 

「いや、それはないだろう。聞くに【神のアクア】とやらはかなり強力な薬剤だ。ほんの僅かでも摂取すれば症状が出ないはずがない」

 

「でも……」

 

 

 と、尚も食い下がる私。それに埒が明かないと感じたか、豪炎寺さんのお父さまは再びパソコンへと向き直り、カタカタっとそれを操作。

 ぱちりと切り替わったディスプレイの画面に、大スクープと題されたニュース記事が映し出されました。

 その内容は、言わずもがなです。

 

 

「随分早いが、件の事件は既にこうしてニュースにもなっている。……記事が言うに、軍事目的に開発された人体強化薬。適応できなければ恒久的な障害を負う可能性すらあり得る代物だそうだ。そんなものを口にしていたなら、それがどれだけ少量でも“異常なし”はあり得ない」

 

「そ、そうですか……」

 

「うむ。……まあ、このあまりに出るのが早すぎる速報を信じるのなら、だが」

 

 

 先の世宇子戦で起きた、全ての悪事の暴露記事。試合の内容から事の経緯に至るまで、やたらと長々連ねられているその記事は、確かに出回る速さも相俟って裏取りのないゴシップ記事のような印象がありましたが――しかし。遠目にざっと目を通した限りですが、書かれていることはすべて事実です。

 

 なにせ――影山 零治。悪事の黒幕たる一人の男がそれを成し遂げるまでの四十年間が、そこには実に事細かに書き記されていたのです。

 長く緻密な調査がなければこんな記事は書けないでしょう。

 

 だから恐らく、この記事の内容も早さも、その理由は鬼瓦刑事であるに違いありません。

 私たちも何度かお世話になった事のあるあのおじさまは、ずっと影山を追っていました。一度はその手に手錠をかけることに成功するも、しかしその少年サッカー協会副会長という権力を以ってして釈放されてしまったために、今度はこうして先手を打つことを考えたのでしょう。

 世間にその悪事が広まれば、影山を庇おうとする者もきっといなくなります。この速報記事は、つまりそういう思惑です。

 

 そして――だからこそ。全ての事件が仔細にまとめられているからこそ、そこに私が体験した超常現象の影がまるでなかったことは、わかっていたこととはいえ些かならず衝撃でした。

 

 なおのこと、アレが私の白昼夢であった可能性が真実に近づいてしまったということです。

 ――ただ、やはりそれでも世宇子としてサッカーをしたあの感覚が幻だったとはとても信じられないわけで。

 

 

(じゃあ何だったんでしょう、あれは)

 

 

 あのサッカーを思い返しつつ、つい考えこんでしまうのでした。

 

 

「――本当に……サッカーなど、所詮はただの娯楽だろうに」

 

「え……?」

 

 

 と、その時。沈みかけた思考が、豪炎寺さんのお父さまの声に引き戻されました。

 

 見上げたその表情はいつも通りにしかめっ面で、しかし微かに忌々しく歪んだもの。その上で声色には嫌悪の色も滲んでおり、おかげでつい、私は尋ねてしまいます。

 

 

「……豪炎寺さんのお父さまって、もしかしてサッカー、お嫌いだったりしちゃうんですか……?」

 

「……………はっきり言ってしまえば、そうだ」

 

「うーん……それは、残念です」

 

 

 パソコンを弄っていた手がピタリと止まった沈黙の後、ため息を零すように出てきた肯定。

 確かにサッカーそのものへと向いていた負の感情を、私は一人のサッカー少女として気にせずにはいられません。

 ですが――

 

 

「夕香のことは、君も知っているだろう? あの子は自分の兄の、修也の試合を見に行く途中、事故に遭った。サッカーがなければ、あの子はあんなことにならずに済んだ」

 

「………」

 

「それに……記事には、この影山という男が、自身が総帥を務める帝国学園を勝たせるために数々の不正や工作を働いていたとあった。……夕香の事故もこの男が仕組んだものだったのだろう。当時の修也の対戦相手は、帝国学園だった」

 

 

 だから、自分たちに苦しみばかりをもたらしたサッカーを好きになることはできない。そう、豪炎寺さんのお父さまは眉根を寄せていました。

 

 私はそれに否を言うことができません。

 サッカーはそんな、苦しみを産み出すものじゃないと言いたかったのですが、しかし、彼のその怒りと恨みと悲しみと、様々な感情が混ざり合った眼を見てしまえば言えるはずもありません。

 

 だって私は、彼の言ったことが事実と知っています。夕香ちゃんを襲った事故は影山の仕業ですし、夕香ちゃん自身もやはり、この病院で今も眠りについたままです。

 お見舞いにだって何度か足を運んでいるのに、それをないもののように言うことはできません。

 

 

「……そう、ですよね」

 

 

 結果、私はただ、そう頷くことしかできませんでした。

 

 そんな神妙の様子に、豪炎寺さんのお父さまも思うところがあったようです。ハッとなってからこころなし気まずそう私のことを一瞥し、またキーボードをカタカタと、今度はニュース画面から私の診断結果へと画面を戻しました。

 

 

「……すまない。君に聞かせることではなかったな」

 

「いえ……私のほうこそごめんなさい。ぶしつけなこと聞いちゃって」

 

「ぶしつけ……では、ない。……そうだな、元凶の影山も逮捕されたのだ。いつまでも恨みに囚われていても仕方がない、か」

 

 はあ、と胸の淀みを吐き出したようなため息を一つ。私を見る眼が心なしか気まずそうです。

 彼は片手でまたキーボードをカタカタと、今度はニュース画面から私の診断結果へと画面を戻しつつ、零すように息を吐きました。

 

 

「……忘れてしまったほうが、良いのだろうな」

 

 

 そして口にしたその台詞。それは彼のみならず、私の内にも響きます。

 忘却。私も……あの超常現象について、そうした方がいいのでしょうか。

 

 自分も他人も両方調べたにもかかわらず、それでも答えが出ないのです。解決のしようがない疑念ならば、忘れてしまったほうが抱え続けるよりもずっと楽に違いありません。

 

 だからもう、そうするべきでした。

 

 決めました。私も豪炎寺さんのお父さまを見習って、あの超常現象を気にするのはここですっぱりやめてしまいましょう。忘れて、そして後は夕香ちゃんのお見舞いをして帰るのです。

 付き添いに来てくれた豪炎寺さんとは受付で別れたきりですが、まあ間違いなく彼も夕香ちゃんに会いに行っているはずし、そうしたら二人で学校に戻って円堂さんたちに合流です。

 

 そう、疑念を頭から押し退けるためにも思い描いて、豪炎寺さんのお父さまに診察のお礼を言おうと席を立ち――

 

 その時でした。

 

 

「豪炎寺先生っ!!」

 

 

 バンっ、と診察室の戸が乱暴に開けられて、一人の見覚えのある看護師さん――確か夕香ちゃんの担当さん――が半身を乗り出してきました。

 

 その表情は、ただならぬ事態を確信させるほどに動揺していて、

 

 

「ゆ、夕香ちゃんが――!!」

 

「「っ!!」」

 

 

 言葉の続きは聞くまでもありません。

 

 私と豪炎寺さんのお父さまは椅子を蹴り倒し、同時に診察室を飛び出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焦燥と歓喜と驚きと、様々な感情に白熱した頭はまともに思考を回さぬまま、私と豪炎寺さんのお父さまは衝動のみで病院内を行きました。

 辛うじて理性がその歩みを早足に押し留め、そしてたまらぬ時間が数分ほど過ぎた後。とうとうそこにたどり着いた豪炎寺さんのお父さまは、彼もまた逸る思いで勢いよく、夕香ちゃんの病室の戸を引き開けたのです。

 

 

「――修也!!」

 

「父さん……!」

 

 

 出迎えたのは豪炎寺さんです。やはりずっとこの病室にいた彼は、だからこそ一番にそれ(・・)に気が付くことができたのでしょう。

 

 目尻に残る涙の痕は、もう十分に抱擁を交わしたその証でした。故に彼は身を引いて、代わりに豪炎寺さんのお父さまが、一転してゆっくりと魂が抜けたような足取りでベッドの下に。

 

 そして、目を開け、はかなげに微笑む夕香ちゃんの手を、彼は優しく手に取り握りました。

 

 

「夕香……っ」

 

「パパ……」

 

 

 事故に遭い、ずっと眠っていた夕香ちゃん。その目覚めに、言葉はきっとそれだけしか出てこなかったのでしょう。

 豪炎寺さんのお父さまの背中が微かに揺れていました。

 

 そうして彼はしばしの間、父親としての思いを噛みしめていました。がしかし、彼は父親であると同時にお医者様です。

 長い昏睡から目覚めた直後の夕香ちゃんに施さねばならないケアや諸々は、きっと山ほどあるのでしょう。そのために、彼は最後に夕香ちゃんの頭を優しく撫でた後、立ち上がって豪炎寺さんに言いました。

 

 

「修也、夕香をよく見ておくんだ。私は夕香のための準備をしてくる」

 

「わかりました」

 

 

 こくりと首肯。それを認めて、豪炎寺さんのお父さまは足早に病室を出ていきました。

 

 

「……? お兄ちゃん、パパは……?」

 

「心配するな、夕香。父さんはお前のための……そう、薬を取りに行ったんだ。すぐに戻ってくる」

 

「お薬……? 苦いの、やだなぁ……」

 

「大丈夫さ、夕香なら。お兄ちゃんも応援するから、がんばれ」

 

「……うん」

 

 

 あとに残ったのは兄と妹がなんて事のない会話を交わす、和やかな光景でした。

 

 

(ほんとに……よかったですね、豪炎寺さん)

 

 

 部外者なれど、私の胸も温かなものに包まれることになりました。

 

 仕方がないでしょう。眠る夕香ちゃんを見つめる豪炎寺さんの辛そうな横顔は、もう何度も見てきたのです。

 

 彼自身のせいではないにせよ、間接的に夕香ちゃんが昏睡する原因になってしまった豪炎寺さんは、彼女への負い目を――大好きなサッカーへの想いすら見失っていたほどの辛さを抱え込んでいました。

 しかし今、それがこんなに幸福そうな光景に変わったのです。仲間として喜ばしくないわけがありません。

 

 

「……? お姉ちゃん、だぁれ?」

 

 

 とはいえ一方、豪炎寺さんはともかく夕香ちゃんが私の思いを知るはずもありません。それどころか彼女の視点では、なぜか自分の病室で温かい視線をこちらへと向けている見知らぬ他人です。

 永い眠りに囚われていたボンヤリ眼は警戒心を抱いているわけではありませんが、それでも挨拶は必要でしょう。

 

 何度かお見舞いに行って話しかけたりしたこともあり、まるで“初めまして”の気分にはなりませんが――私はにこりと会釈の笑みで言いました。

 

 

「初めまして、夕香ちゃん。私は――」

 

「ああ、彼女はベータ……ああいや、米田だ。お前のお見舞いに来てくれてたんだよ」

 

 

 がしかし、私が名乗る前に、豪炎寺さんが被せ気味に紹介してくれました。

 

 勢い余って『ベータ』のあだ名まで出ていましたが、まあいいでしょう。私が自分から名乗るより、兄である豪炎寺さんから紹介してもらったほうが夕香ちゃんもきっと安心です。

 

 

「ベータお姉ちゃん……お兄ちゃんの、彼女さんなの……?」

 

 

 だからってそう受け取られるのは予想外でしたが。

 

 

「い、いや……彼女は俺のチームメイトだ。その……サッカーの、な」

 

 

 慌てて否定に走る豪炎寺さん。まあ確かにそういう関係じゃないですけども、と乙女心をつつかれながら、しかし呑み込み、見守ります。

 誤解の解消もそうですが、やはりそれ(・・)に関しても豪炎寺さんの口から言うべき事柄です。

 

 つまり円堂さんたちのように、彼女への優勝報告。豪炎寺さんのお父さまのように夕香ちゃんもサッカーを忌避しているのでは、とずっと前に振り払ったはずの迷いで歩みが遅いようですが……知った事じゃありません。まだ伝えていないならさっさとしゃべっちゃいなさい。

 

 そういう視線を豪炎寺さんの背中に突き刺して、そしてしばしの間。覚悟を決めたのか、豪炎寺さんが深呼吸の後、とうとう口を開きます。

 

 

「夕香……実はお兄ちゃんな、転校したんだ。木戸川中から、今は雷門中で……ベータたちと、サッカーをやってる。それで……。フットボールフロンティア、優勝したよ」

 

「優勝……?」

 

「ああ……。木戸川の時は勝てなかったが、雷門で今度こそ勝った。夕香……お兄ちゃん、約束守れたかな」

 

 

 じっと、夕香ちゃんは豪炎寺さんに顔を向けたまま。ぼんやりと眼を瞬かせる様子は些かならぬ緊張を豪炎寺さんに生むことになりましたが――しかし。

 

 

「……かっこいいシュート、打った?」

 

 

 目をこすりながら零れた声色には、やはり豪炎寺さんが危惧したものはありません。

 豪炎寺さんもたちまち勢い付いて、嬉しそうに首を振って頷きます。

 

 

「っ、ああ……! ベータと一緒に、とびっきりかっこいいシュートを決めてきた」

 

「そっか。夕香も、見たかったなぁ……」

 

「見せてやるさ。夕香の身体が良くなったら、いくらでも。なあ」

 

「ええ、そうですね」

 

 

 と私にも顔を向け、求めてくる同調には頷くしかありません。

 

 

「それに来年にもフットボールフロンティアはありますし……その頃には、きっと夕香ちゃんも試合を見に行けるようになってますよ」

 

「うん……夕香、楽しみ」

 

 

 にっこり笑いかけ、その甲斐あって夕香ちゃんも私にほのかな笑みを向けてくれました。豪炎寺さんやそのお父さまに向けるもののように和らいで――しかし。

 寝ぼけ眼の裏にあった緊張が、おかげで解けたせいなのでしょう。擦った眼が、今度は段々と、ゆっくり静かに落ちて行き、

 

 

「かっこいいシュート、次は夕香にも見せてね……」

 

 

 最後にむにゃむにゃ呟いて、そして完全に閉じてしまったのです。

 

 ……しゃべり疲れて眠ってしまったようでした。一瞬よぎった悪い想像に背が冷える思いでしたが、慌てて駆け寄って豪炎寺さん共々確かめてみれば寝息は穏やか。きっとまた、じきに目を覚ますことでしょう。

 

 ああ、本当によかった。夕香ちゃんのことも、サッカーのことも。

 胸をなでおろし、傍の椅子に脱力してしまいます。そして豪炎寺さんも、やはり同様にほっとした表情。安堵しながら、彼はクスリと余韻の笑みを零しました。

 

 

「……来年のフットボールフロンティアも負けられなくなったな。一年先の大会の心配なんて、気が早いが」

 

「ふふっ。伝説の“イナズマイレブン”を見習って、無敗伝説作っちゃいます? 何なら【ファイアトルネード】を超える単独必殺技なんかも開発しちゃって、夕香ちゃんの想像以上のかっこいいお兄ちゃんになっちゃえばいいんです」

 

「ふっ、そうだな。それもよさそうだ」

 

 

 夕香ちゃんも大喜び間違いなしでしょう。当時の響木監督がキャプテンを務めた伝説的な最強チーム、その二代目を名乗るくらいになれたなら、豪炎寺さんも胸を張って誇れるはずです。

 信頼できる仲間たちと、より楽しいサッカーを。私も、考えるだけで胸が高鳴ってしまいます。

 

 

「むしろ今の内からしっかり練習しちゃわないと、ですね。世宇子の皆さんだって、【神のアクア】以上に強くなってリベンジに来るかもしれませんよ?」

 

「日本一に胡坐をかいている余裕はない、ということだな。俺たちも努力を続けないと……悔いを残さないためにも」

 

 

 ふう、と豪炎寺さんが少しばかり息を詰め、吐き出しました。夕香ちゃんにかけた布団を整えてから、眠るその頭を優しく撫でています。

 慈愛に満ちた手つきと眼差し。そして妹のための想いを新たに、豪炎寺さんは夕香ちゃんの頭をなでていた手をぎゅっと固く握りしめました。

 

 勝利への決意かよい兄となる決意か、何はともかく良いことです。

 私が試合の中で見つけた“本当のサッカー”は、つまりこういうこと(・・・・・・)であるのですから。

 

 

「……というか、そういえばベータ。足の怪我はどうだったんだ? 事によっては練習どころじゃなくなるぞ」

 

「え、ええっと、あれは……はい、全然大丈夫。気のせいだったみたいです。今からでもバッチリサッカーできちゃいますよ」

 

「そうだったのか。それは――」

 

 

 よかった。そう、私と同様に前を向いた豪炎寺さんは口にしようとしていたはずです。

 なんて事のない会話の中で、そんな言葉を出し渋る理由などどこにもありはしませんでした。

 

 ――そのはずでした。この瞬間までは。

 けれど、しかし。私の方を向いてそれを口にしようとしていた豪炎寺さんは、その瞬間、たちまちそれを驚愕と緊張に押し退けられてしまったのです。

 

 

「――なによりだ」

 

 

 と。背後で、耳慣れない低い女の子の声が言いました。

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