階冪村落 ー グレッグ・イーガン『順列都市』勝手続篇   作:wash I/O

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1.変異(へんい)から規則(きそく)

 二回目の発進(ローンチ)の直前、今傍ら(かたわ)にあって屈託のない無邪気な微笑みをこちらへ送り続ける男、ポール・ダラムは、悲観であるとか失望であるとか諦念であるとか、ともかくそういったものに対応する部位(エージェント)を自ら除去(パージ)したのだろう、と彼女は半ば確信しているが、それを問い(ただ)す気分にはなれなかった。

 

 人類へと至る進化の過程において、それは、生体が自身の生存欲求から発する衝動が固執の余り返って生存を脅かすことのないよう、ある種の安全装置(セイフティ)として脳内に独自の地位を占めてきたのであろうことを疑う余地はない。

 そして、分子解剖学的知見に基づいて設計され電脳(コンピュータ)上に共通基盤として模倣(エミュレート)された標準人間身体(モデル)と、元の肉体から非侵襲性探査(スキャン)により抽出され個性の源となる記憶(メモリ)情動傾向(パラメータ)から成るところの彼女を含む<コピー>にとってもまた、当然のことながらそれは自身の構成要素の一部だ。

 それを自ら意図的に除去したポール・ダラムは、これまた当然のことながら元のポール・ダラム……彼女を未だ困惑させ続けるこの摩訶不思議な状況へと迷い込ませた悪魔、そのものでは決してないはずで、果たして今自分はいったい何者と共にあることになるのだろうか、と彼女は考え込まざるを得ず、また、それこそが、どう答えられたとてどう応じていいやら見当のつかない問いを発せずにいる理由でもある。

 

 そもそも、それを言うのであれば。

 

 彼女、マリア・デルカもまた、かつてオーストラリアはシドニーに生まれ暮らし、母フランチェスカを幾ばくか延命させる金に目が眩んでポール・ダラムに自らの魂を売ったマリア・デルカ、自身がそれそのものであること、に対する確信はまったくない。

 今の彼女は<コピー>であるばかりか、元来ソフトウェアであるそれを実行する電脳集合(クラスタ)すら実在せず、それどころか、依って立つところの確固たる大地も、それを中空に湛える宇宙すらなく、ポールの言葉を借りれば、それでもただ、塵の中に自分自身を認識し続ける存在、なのであるのだから、それが元の……二度目の発進を経て元居た宇宙との直接の履歴すら失った今となっては、それがそもそも本当に存在していたのかすら疑わしく思われもするのではあるが……マリア・デルカと同一であると考え続ける方が難しかった。

 

(魂を売ったのはシドニーのマリアであって私ではない、という考えは、救いではあるわね。)

 

 

                    *

 

 

 二代目TVC宇宙で覚醒した二人が何はともあれ最初に着手したのは、TVC宇宙と自分たちの動作クロック比を大きく乖離させることだった。

 

 彼らが依って立つところの六次元TVCセル・オートマトンは無限に成長を続け、少なくともポールとマリアの知る範囲の人類が決して手に入れることのなかった超絶的な計算能力を彼らにもたらすが、そこにはセル・オートマトンであるがゆえに、飽くことも倦むこともなく繰り返される悠久の、でありながら有限の段階(ステップ)を必要とする。

 TVC宇宙は限りなく魔法的でありながら、決して魔法ではない。すべての事象(イベント)は銘々のセル・オートマトンの手の届く範囲において、厳密に定められた手順(アルゴリズム)に従って励起され、(あまね)情報(ビット)もまた隣接するセルからセルへと手渡しで伝播され、ゆえに生じる伝達速度の上限はTVC宇宙における光速とでも呼ぶべきものとなる。

 そして、定められた成長をおこなうと同時に万能チューリング機械(マシン)でもあるTVC宇宙はポールとマリアの意識を顕現させるところの演算も実行しているのであるが、TVC宇宙の成長クロックと彼らの意識の演算クロックを同期させる必然性はまったくなく、前者に対する後者の比を小さくすれば小さくするほど、ポールとマリアの主観から見たTVC宇宙の成長速度は加速していく。

 

 二人が最初の発進をおこなった人類の西暦二〇五一年時点において、現実と<コピー>のそれは概ね十七対一であった。これは、生身の人間が主観的に十七分を体験する間に<コピー>は一分を体験することを意味し、両者が実時間(リアルタイム)での会話を試みた場合、生身の人間の側が十七倍待たされることを含意する。

 この乖離の直接の原因は当時の電脳集合の技術的性能限界である。十七対一という数字は、主に生身の人間へ向けてのわかりやすさを企図して人口に膾炙した数値であり、実際には計算能力市場(マーケット)の状況によって刻一刻と変動していて、十七対一はかなり楽観的に理想化されたものに過ぎない。少なからず存在した自身を顕現する計算能力の購買力の小さい<コピー>たちは、もっと大きなクロック比を甘受していたはずだ。

 そういった当時の<コピー>たち、そして<コピー>となることで死後の永遠の生命を夢見た人々は、このクロック比乖離の解消を望んで()まなかったはずだが、二人はそれとはまったく真逆のことをおこなったことになる。

 

「……で、どう?」

 

「どう……とは?」

 

 マリアの問いにポールは、あいも変わらず締まらない笑みを浮かべながら、何を尋ねられているのかわからない、と言いたげに問い返した。

 少なくともマリアの知るポールは、このような返しをする人物ではなかったはずだ、と疑念は募る一方であるが、仮にマリアのそれが的を射ているとして、そもそも結果的にそれを彼に強いたのは他ならぬマリア自身だ。

 

「私達のTVC宇宙の拡張具合に決まってるじゃないの。」

 

 必ずしも彼らは現時点で何か明確な課題(タスク)を有しているわけではなかったが、さりとて何をするにも第一に必要となるのは計算能力であり、それこそが彼らにとっては唯一の資源(リソース)だ。

 

「既に二度目の発進時の元のTVC宇宙を軽く凌駕してなおも拡張中ですよ。もしこれが、かつて我々が暮らした世界最速の電脳集合上で模擬実行(シミュレート)されたものであれば、宇宙の終焉(ビッグクランチ)に至ってなお余りある時間が経過したことになるでしょう。」

 

と、ポールは再び愉快げに笑った。

 

「もっとも、地球を構成していた珪酸塩すべてを鋳溶かして記憶素子(シリコンチップ)に変えたとしても、只今の我々のTVC宇宙のほんの一部すら保持することは叶いますまいが。」

 

 この悪趣味極まりない冗談(ジョーク)が、それを心底楽しめようはずもないマリアに対し何の躊躇いもなく発せられることに、彼女は深い目眩を覚えざるを得ない。やはり、今目前にあるポールは、自分の知るポール・ダラムその人ではない。

 

 が、では自分は、如何ほどポール・ダラムを知っていた、と言えるだろうか。

 

「貴女のお望みのままに、如何様な実験もおこなうことが可能です。」

 

 にこりと無邪気な子供のような笑みを浮かべてポールはそう言った。

 二人の外見は最初の発進をおこなった時点の実年齢、ポール五十一歳、マリア三十一歳の時分から何ら変化はしていないが、マリアにはポールが明らかに以前よりも若々しく見えた。逆に自身は、随分と老け込んで見えることだろう、とも思う。

 

 現実宇宙からの発進に成功し、ポールたちの主観において七千年の時を経て盤石に見えた先代TVC宇宙、栄華を誇った順列都市エリュシオンは一夜にして脆くも崩れ去った。純粋数学のみに依拠し、物理宇宙の年齢すら顧慮する必要がないと思われたそれを襲った余りに早い破綻には、何か原因があるに違いない。その探求が二人の喫緊の問題意識ではある。

 もっともその動機は、目下不明であるところのTVC宇宙崩壊の原因が彼らの実存を脅かすから、では、二人のいずれにとってもなかった。それについて明示的に話し合ったことはないが、二人ともに、突如今あるところのTVC宇宙が機能不全に陥りその存在を消滅させられてしまったとしても、悔いのない人生を過ごしてきた実感はある。

 

 ただ。

 

 必ずしも望んでこうなったわけではないが、ここまでやって来てしまったからにはその極北にたどり着きたい。

 

 これまた明確に互いの意思を確認したわけではないが、少なくともマリアはそう考えていたし、自身の一世一代の夢を託した先代TVC宇宙の瓦解に一旦は茫然自失となりつつも、自身に何らかの改変を加えてまでそれに付き合う決断を下したポールもまたそうであろう、と彼女は信じていた。

 そのような次第で、第二のTVC宇宙で覚醒した二人は、どちらからでもなく自分たちの対TVC宇宙クロック比を極端な値に設定することを提案した。どのような手法(アプローチ)で課題に挑むかについてはまだまだこれから考えるべきことは山ほどもあるが、何をするにしても必要となるのは計算能力だ。そして、ポールがどうかは知ったことではないが、マリアにはこの最早真にポールであるのかすらよくわからない人物と、TVC宇宙の成長を待ちながら悠久の時を過ごすつもりは毛頭なかったのである。

 かくして、彼らにとっての主観時間数分で、第二のTVC宇宙は、既に失われ彼らが這々の体で脱出したかつてのTVC宇宙の規模を軽く凌駕し、今この瞬間も成長を続けている。これに要した時間が、彼らが生まれ育った宇宙におけるどれほどのそれに相当するのか正確に知る術はない。

 

 そもそも時間は相対的なものだ。

 

 地球におけるそれは、突き詰めれば地球の自転、および太陽に対する公転周期から実感されるそれに後追いで定義を加えたものに過ぎない。太陽も地球もなく、TVC宇宙の計算能力を利用できる制御室(コントロールルーム)……これは最初の発進に際し誰よりも早く意識を顕現させたポールが、発進の成功をTVC宇宙内から確認するため設けたものに由来する……と、二度目の発進の後にせめてそれくらいはあった方が良かろう、と付け加えた、簡素な扉で隔てられた二人の私室以外には何も存在しない二人の世界、何を発見したとて彼女ら自身の他にその知見を分かち合う者の存在しない世界において、事実上無限の寿命を有する二人にとっては時間などというものに特段の意味はなかった。

 

「第一には、貴女にとっては不本意なことかも知れませんが……貴女の愛して止まぬオートヴァースとランバート人(ランバーティアン)でしょうな。」

 

 悪戯げな笑みを浮かべてポールはまずそう切り出した。

 愛して止まぬ、の枕詞はともかくとして、その点についてはマリアにも異存はない。

 

 オートヴァースは、これまたTVC宇宙と同様のセル・オートマトンだ。異なるのは、TVC宇宙がチューリング完全な万能計算機であるべく設計されたものであるのに対し、オートヴァースが現実の原子の振る舞いを戯画的に……古典物理学的に……に再現することを企図したものである点になる。

 TVC宇宙を発進させ現実宇宙から離脱する計画を進めるに際し、これを企画した生身のポール・ダラムは、完全に閉じた系となるであろうその世界において、まったく新規な想像外の存在との邂逅が生じ得ないことを憂い、TVC宇宙内にオートヴァースを持ち込むことを思いついた。

 二〇五〇年代の電脳集合の性能を以てしても、原子レベルの挙動を模擬再現(シミュレート)するオートヴァースは辛うじてバクテリア近似の仮想生物をそこに現じるに留まっていたが、ポールは成長するTVC宇宙が遠からず星系規模のオートヴァース空間を実行可能となることを確信し、そこに進化を経て知的生命(エイリアン)が自然発生する微かな可能性に未知との遭遇を期待したのであり、この着想を彼に与えたものこそ、マリアが電子版オートヴァース・レビュウ誌に寄稿したところの、作成者の名を継いでA・ランバートとの疑似学名を与えられたオートヴァース版バクテリアに自然淘汰を誘発し得た旨の報告(レポート)だった。

 そして、先代TVC宇宙の崩壊に繋がる最初の異変として覚知されたのは、TVC宇宙の特権管理者(スーパーバイザ)であるところのポールが発した停止要求にオートヴァースが応じない、というものだったのだ。

 

「愛して止まぬ、を除いて異存はないわ。」

 

 マリアはただ一言簡潔にそう応じ、一息切ってからこう続ける。

 

「問題は二つ。

 一、どうやって。

 二、本当にそれだけ?」

 

 子どもの時分に見た、当時としても既に設定考証が時代遅れだったSFテレビドラマで、こんな具合に人工知能と会話して謎解きしていく登場人物がいたっけな、とマリアは思う。が、それを言うなら、他ならぬ今の自分自身が人工知能であり、SFの産物のようなものだ。

 

「第一の方から。

 幸か不幸か、オリジナルのオートヴァースの(シード)は手元にあります。」

 

「ちょっと待って!

 そりゃ、再現実験(テスト)は定石中の定石でしょうけれど、アレを稼働させてまた同じことになったらどうするのよ!」

 

 マリアは噛みつかんかの勢いで声を荒らげたが、対するダラムは「それが何か?」とでも言いたげだ。

 

「三度目の発進を阻むものは何もありませんよ。」

 

 無敵の人、というのはある意味知性の後退ね、とマリアは嘆息する。

 一方で、ポールの言は正しい。オートヴァースの対TVC宇宙クロック比を一定の値以下に下げられなくなってから実際にTVC宇宙が崩壊するまで、主観時間でもかなりの猶予はあった。再び同じ事態に陥ったとしてもおそらく脱出は可能で、そのとき我々は、内部に知性を生じせしめたセル・オートマトンはご都合主義的パッチワークのセル・オートマトンに優先して時空間を支配する、という真理を得ることになる。

 

「もちろん、私も同じことを繰り返すのは不本意ですから安全措置についてはいろいろと考えるつもりでおりますが。」

 

とダラム。が、その顔はやはり変わらず薄い笑みを浮かべていて、一つ間違えれば自身の実存の危機なのだ、という感じがまったくないことが、再びマリアに目眩を覚えさせる。

 

「そして第二の点ですが。」

 

 ややその表情に真剣味が加わったのを見出して、マリアは改めてその言葉に意識を集中させた。

 

「トマス・リーマンです。」

 

「……はぁ?」

 

 宇宙崩壊の原因を論じているところへ個人名が突如現れ、マリアは拍子抜けを感じた。

 トマス・リーマン個人について知るところはほとんどないが、彼がTVC宇宙発進の企てに参加したポール、マリアを含む最初の十八人、いわゆる創始者(ファウンダー)の中でも、発進以来公共空間である順列都市(エリュシオン)と一切関わりを持とうとはしなかった<世捨て人(ハーミット)>の一人であり、そして唯一救出し損ねた人物であることは理解している。

 

「トマスは、少なくとも私の記憶では最初の発進に参加してはいませんでした。」

 

「……はぁ!」

 

 再びマリアが激しい怒気を放つのを感じて、流石の無敵の人ポール・ダラムも一歩身を引いた。

 実体としてはTVC宇宙の異なる領域(ピラミッド)で実行されており通信経路(データバス)を通して擬似的に存在空間を共有しているに過ぎない二人は、互いに明示的な承認をおこなわない限り肉体的な接触はおこらないが、この際、物理的な危険(リスク)の有無は問題ではない。

 

「彼の救出を試みたときは、流石にこれを貴女に伝える余裕はありませんでした。それが不愉快である、と仰るのであればお詫び申し上げるのは吝かではありません。」

 

 それは疑いようのない事実だ。

 こうしてポールに指摘されればごもっとも、と腑に落ちるのに、彼の返しを前もって予測できないことに忸怩たる思いがマリアの中で募るが、それは言っても詮無きことだ。

 そもそもポールは狂人ではこそあれ、この気宇壮大な計画を立ち上げ実現まで漕ぎ着けた紛うことなき天才であり、かつ、TVC宇宙崩壊の直前に覚醒させられたマリアとは異なり、前以て七千年の主観時間を過ごしてきたのだから、人生経験においてそれに勝てようはずもない。

 

「……それはいいわ、貸しにしといてあげる。

 で、どういうことなの?

 そもそもそんなことあり得るの?」

 

 怒りの鉾を収めつつも食い付かんかの如くマリアはポールに詰め寄った。一旦発進したTVC宇宙と現実宇宙の間に交信可能性は一切なく、後から遅れてそこに参加することは不可能だ。

 が、意外にもポールは「本当にわからないんですか?」という表情でマリアを見つめるので、またしてもマリアの中に羞恥とも嫉妬とも取れる複雑な感情が芽生える。

 

「トマス・リーマンは二十三人目のポールがエリュシオンへの参加を誘っていた富豪の一人で、私の知る限りは参加はしていませんでした。が、私と貴女が最後にスキャンされてから発進までは幾分の時間があったはずで、その間にトマスが翻意し、二十三人目のポールがそれを受け入れた可能性はあります。」

 

 これまた言われてみればごもっとも。自身でそこに思いが至らないことが悔しくてならないが、それをこの男に表明するのはそれ以上に悔しい。

 

「さらに二百万エキュをせしめて、そのお金で二十三人目のポールは楽しく遊び暮らしました、ちゃんちゃん。」

 

 二十三人目のポール、というのは、マリアをこの計画に誘った生身のポールその人であり、自身の<コピー>を生成しての、さらには自分自身を<コピー>と思い込ませた上で自らを被験者とした種々の奇想天外な実験経験を通し、当時のポールは自身を二十三人目の<コピー>であると自認していた……少なくとも本人はそう主張していたことをマリアは記憶している。

 二百万エキュは、ポールがエリュシオンへの片道乗船券(ワンウェイチケット)につけた値段で、今以て十六人もの元富豪の<コピー>がこれを贖ったことが信じ難くもあるが、その額面は発進当時三十一歳だったマリアが得れば、以降は一切働かずともささやかながら贅沢な暮らしが死ぬまで楽しめたであろうものだ。

 

「それはないと思いますよ。二十三人目のポールであれば、その二百万エキュを電脳市場に投じてエリュシオンの模擬実行(シミュレーション)時間をさらに数十秒贖ったことでしょう。」

 

 ポールはさらりとそう答え、思わず決して口にすまいと考えていた言葉がマリアの口をついて出る。

 

「……今更だけど、あなた馬鹿なの?」

 

「貴女こそ。七千年前の二百万エキュばかりの端金(はしたがね)が何だというんです?」

 

 悔しいけれど、これまたごもっとも。

 しかし終始こんな調子で、この先こいつと……永遠にやっていけるのだろうか。

 

「……そこは良しとしましょう。

 で、そのリーマン氏が何だって言うのよ?

 貴方以外の誰かが内部からTVC宇宙に何か出来た、とは俄には思えないんだけれど。」

 

 <世捨て人>を含む十八人の創始者達には、それぞれ専用の独立したTVC宇宙の領域が割り当てられ、基本的な制御方法についてもポールから案内(ガイド)が出されていたので、自身の領域については内破させることも含め理屈の上では出来ないことはない。が、自身のものでない領域に対しては必ず所有者の承認が必要で、これはすべての創造者であるところのポールも例外ではなかった。

 

「とにかく彼の救助を試みたときは慌ただしかったですから詳しくまではわかりません。が、トマスの領域では何か……禍々しい怨念のようなものを感じました。貴女はそうではなかったですか?」

 

 怨念って……ここに来てポール・ダラムともあろうお方が超自然(オカルト)かよ、とマリアは内心毒づくが、言われてみれば確かに、トマスの世界が何やらただならぬ雰囲気を醸していたことは憶えている。もっともそれは、あの切迫した状況が感じさせたものである可能性も否めはしないのであるが。

 

「どうにもトマスは、私達とはまったく異なる意図で以てTVC宇宙を用いたのではないか、という気がするのです。これは私の勘に過ぎませんがね。」

 

 私達……って、そもそもここで覚醒するつもりは毛頭なかった私を一緒にしないでよ、と再びマリアは内心毒づく。

 

「まずはオートヴァースが疑わしい、とは思いますが、そちらの当てが外れたときは、トマスについても調べてみる価値はあると思います。他には……」

 

「他って……まだあるの?」

 

とマリアは目を丸くする。それに気づいてか気づかずか、ポールはさらりとあり得そうにもないことを口にした。

 

「密航者の可能性です。」

 

 トマスの怨念、とやらに言及するに際しても笑顔を絶やさなかったポールが、その言葉を口にするときだけ真顔になったのを見て、どうやら冗談を言っているのではないようだ、とマリアは判断する。

 

「それは遅れて発進に参加した人がリーマン氏の他にも居たかも知れない、ってことなのかしら?」

 

「いえ、それはあり得ません。最初の発進のために使用したビルドツールは参加者それぞれに専用領域を割り当てるようになっていて、これを変更するだけの時間が二十三人目のポールにあったとは思えません。」

 

「じゃぁ、どうやって潜り込むわけ?

 オリジナルの私達がやったであろう発進の儀式に不正侵入(ハッキング)を仕掛けた?」

 

「その方法では発進には参加できません。密航者はエデンの園配置(コンフィギュレーション)に紛れ込む必要があります。」

 

「……そんなこと出来る?」

 

「私自身、今こうしてトマスの遅れての参加を認識して改めてその可能性に気づいたくちではありますが……二十三人目のポールはこの計画の少なからぬ部分を外注しています。オートヴァース部分を貴女にお願いしたように。」

 

 言われてみれば、順列都市の設計は有名な仮想(V)現実(R)環境作家にお願いした、と聞いたような気もする。

 

「ほとんどの人は純粋に仕事としてそれを請け負ってくださったので、真の目的については開示はしていません。が、芸術家(アーティスト)肌で納得のいかない仕事は請けかねると主張した貴女を含む幾人かには概要はお話ししました。」

 

 私が……納得のいかない仕事は請けかねると主張した芸術家肌だと!

 

「あぁ、訂正します。

 貴女には是非創始者として共に参加いただきたかったので正しく真意をご説明しました。」

 

「……そこはいいわ、もう。

 続けて。」

 

 考えてみれば、自分はオートヴァース中毒(ジャンキー)であった、ただその一点のみで二百万エキュの支払いを免れ名だたる大富豪たちを肩を並べるに至り、そして今ここに居るのだ。これは喜ばしいこと……なのだろうか。

 

「この計画を理解していた外注者には、自身の納品物の隙間に自身の<コピー>を含む密航者を紛れ込ませる機会はあったはずです。」

 

「納品物の検疫(ウイルス・スキャン)はやったのでしょう?」

 

 二〇五〇年代、電脳関連の仕事を他者に委託して、その納品物が悪意の込められたトロイの木馬(マルウェア)であるやも知れないことを疑わない者はいなかった。ゆえに、その可能性を徹底検疫するソフトウェアもまた市中に溢れていた。

 

「無論です。

 が、私は必ずしもコンピューティング全般の専門家であったわけではありませんから、より詳しい何者かに裏をかかれた可能性はないとは言えません。」

 

 控え目に言って創造神の癖に、妙なところで謙虚であられますこと!

 

「TVC宇宙内の物体(オブジェクト)相互作用(インタラクト)する部分については共通仕様(プロトコル)が定められていて、納品物はそれに従って数列(データ)流をやり取りするのみであり、その継ぎ手(インターフェイス)は私自身が手掛けましたから、仮に悪意ある納品物があったとしても直接的にTVC宇宙に対して何かすることはない、と断言できます。」

 

 あら、一転して自慢かしら?

 

「手短に結論を。」

 

 口にしたい突っ込みを敢えて飲み込んで、マリアは簡潔にそう応じた。

 

「一方で、納品物内に潜んでTVC宇宙を観察する何者かを隠す余地は十二分にあった、ということです。納品物へ流れ込む数列の、納品物内での利用目的を事前に知って阻む手段はありませんから。」

 

 ここに至ってマリアは遂に我慢が出来なくなった。

 

「んじゃ何!

 本当に発進するかもわからない永遠の神の都に、ただただ傍観者となるために密航を試みた酔狂な<コピー>が居て、七千年を経て飽きたから暴れ出した、とでも言いたいわけ!

 

 そんな馬鹿、今の貴方の他にいると思う!」

 

 言ってしまってから最後の一言は余計だったな、と思わないでもないマリアではあったが、ポールにそれを気にする様子は……少なくとも表面上はまったくない。

 

「暴れ出した、とは思いません。

 仮に暴れたとしてもTVC宇宙に対しては何も為し得ないでしょう。」

 

「じゃぁ、密航者なんて居ても居なくても同じじゃない!」

 

「お忘れですか?

 私達はランバート人のオートヴァース認識がTVC宇宙を破壊すること懸念して、わざわざ彼らの元を訪ねたのですよ、私達が創造神だ、と口の端に上せるも小っ恥ずかしい自己紹介をおこなうために、ね。」

 

 あー、流石のダラムさんもアレは恥ずかしかったのかー。

 

「TVC宇宙の模倣電脳(エミュレータ)上で稼働するセル・オートマトンの内部に生息する仮想生物の宇宙理解が、目下のところTVC宇宙を崩壊させた第一容疑者です。であれば、納品物に潜んだ密航者の観測に同じことが出来ないと考える理由はありません。

 違いますか?」

 

「……なるほど、よくわかったわ。

 じゃぁ、それらを順に片付けていくとしますか。他にやることがあるでもなし。」

 

 意味もなくマリアは両手を振り上げて大きく背伸びをしてみせる。

 得られる感覚は生身の人間であった時分と何ら変わらぬ気がするが、これらはすべて<コピー>身体が、背伸びという行為の結果として生体脳に伝えられていた信号をそっくりそのまま模倣して送出し、これをマリアの脳スキャンから生成された受容器(レセプター)に当たる部位が受信して生じている認識であり、すべては等しくソフトウェアの為せる(わざ)だ。

 

「ひとつ……訊いていいかしら?」

 

「何なりと。」

 

「貴方……どうしてそんなに楽しそうなの?」

 

 やはり笑顔を絶やさないポールにマリアはそう問うが、これには逆に質問が返って来た。

 

「お気づきでないんですか?

 そういう貴女も先程から口元が緩み放しですよ。まるで新しい玩具を手に入れた十代の少女(ティーンエージャー)であるかのように。」

 

 言われたマリアはカーッと耳元が熱くなるのを覚える。これまた、ポールの言葉に励起されたマリア固有の感情が数値管理される<コピー>身体の血流量に影響を与え、その反動(フィードバック)がいずれかの受容器にもたらされた結果に過ぎない。

 

「身体接触の承認を。

 一発殴ってやりたくなったわ。」

 

「お断りします。」

 

 かくして二人の、実存の極北を目指す安楽椅子冒険(アームチェア・エクスプローラ)が今始まる!

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