階冪村落 ー グレッグ・イーガン『順列都市』勝手続篇   作:wash I/O

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3.変速(へんそく)(きら)

「やったの?

 やってないの?」

 

 二代目TVC宇宙の制御室(コントロールルーム)

 屹と人差し指を下方に差し向けて立ちはだかるマリア・デルカと、その指差す先に正座させられ項垂れるポール・ダラムの姿がある。

 

「クロック比調整は最大から最小まで何度も。」

 

「質問に答えて。

 エリュシオン開闢以降、停止(サスペンド)試験(テスト)はやったの?」

 

「あの時点ではオートヴァースがTVC宇宙に危険をもたらす可能性など……」

 

「質問に答えて。」

 

再開(レジューム)に応じない危険性(リスク)も鑑みれば……」

 

「質問に答えて!」

 

「……やっていません。」

 

 

                    *

 

 

「では、始めましょうか。よろしいですね?」

 

 少し時間を遡り、二人が冒頭に見た喜劇を演じるまでの過程を追ってみよう。

 

「どのくらい時間がかかるかしらね。」

 

「それはやってみないと何とも。ランバート人の登場と紐づくと仮定すれば……ほぼそれで間違いないとは思いますが、オートヴァース・ダッシュ時間で三十億年、しかも今回はTVC宇宙のプロセッサではなく、TVC宇宙のプロセッサ上で動作する模擬TVC宇宙(エミュレータ)上での実行ですから。」

 

「割り込みを万が一にも取りこぼさないクロック比は、安全余裕(マージン)込みで粗見積もり()()()の一億年がこちらの一時間、ってとこだったかしら。これでも十二分に馬鹿げた値だとは思うけど。」

 

「大きい方に?小さい方に?」

 

「……その冗談(ジョーク)、面白くないわ。」

 

「これは失礼を。

 途中、貴女にはお休みいただいた方がよいかも……」

 

「それこそ悪い冗談よ!

 約束したでしょ。この規模の実験は必ず二人でやるの。これは確定事項。」

 

「<健康相談(ヘルスアドバイザ)>でメラトニン代謝を……」

 

「貴方は職業プログラマの鉄火場をわかってないわ。連続三十時間の試験(テスト)なんて、改修(デバッグ)込みで慣れっこよ。」

 

 やれやれ、と感じつつも微笑みを浮かべたままポールは溜息をついた。

 そして改めて威を正し、マリアにこう問う。

 

「オートヴァースの完全再現、は叶いませんが、今ならば我々がオートヴァースのランバート人にもたらしたのと同じ()()を、ほぼ同時期にオートヴァース・ダッシュの彼らにも届ける代弁者(マウスピース)を仕込むことは出来ますが……」

 

が、これにマリアはにべもなく返した。

 

「何馬鹿なこと言ってんのよ。這々の(てい)で門前払いを喰らったのを忘れたの?」

 

 科学技術に縁遠くとも天性の数学の才に溢れたランバート人たちは、観測と推察のみからオートヴァースが三十二種の原子を擁することを見出したのみならず、マリアたちからすればご都合主義的に設計されたに過ぎないそれらの存在と特性を説明し得る数学的理論を()()した。

 言うなればそれはオートヴァースが自然発生した宇宙である場合の<万物理論(セオリー・オブ・エヴリシング)>に当たるものになるが、このことが互いにセル・オートマトンであるTVC宇宙とオートヴァースの時空専有の優先権を左右しかねないと懸念したポール・ダラムは、自分たちこそがオートヴァースを設計し最初の種子を撒いた創造者であることを彼らに告げるべく、オートヴァース原子で構築された傀儡(マペット)をご丁寧にも宇宙船に乗せて惑星ランバートへ送り込んだのだ、TVC宇宙を破壊するやも知れぬ<万物理論>の完成を阻止すべく。

 そしてマリアの言う通り、ポールたちの告げた()()は「永続するそれは美的でない」というランバート人の審美眼上の理由からものの数秒で却下されたのであった。

 

「まぁ、神の子をするっと無視するのみで磔にしなかっただけあの子らは聡明よね。そんなあの子らのことだから、使徒(エヴァンジェリスト)なんか送ろうが送るまいが、然るべき結論には必ず至るわよ。」

 

「貴女のおっしゃりようはまるでランバート人の満願成就を期待なさっておいでのように聞こえますが……その然るべき結論が、我々のこのTVC宇宙を破壊するとしても、なのですか?」

 

「もちろんよ。

 子の独り立ちを喜ばない親はいないわ!」

 

 かくして、最後に心を落ち着かせるべく二人分の香草茶(ハーブティー)がマリアによって用意された。ポールは最早定期的な摂食を必要としない存在ではあるが、飲食を楽しむ事は出来るし、経口摂取した諸要素はポールが事前に許可している範囲内で彼の人間身体の各種パラメータに影響を与える。

 

 そして、結果が出るのは早くても主観三十時間後か、と腹を括って実行開始を制御卓(コンソール)に命じた。

 

 ……のであるが。

 

 チーン!

 

「……何、この間抜けな音?」

 

「割り込み検知の警報(アラート)です。」

 

 実際、事前に定めた通り二人の対TVC宇宙比動作クロックは最大に自動更新されていた。

 すなわち、模擬TVC宇宙内の非自我代理人(エージェント)が想定通りの事象に遭遇し、その対処のための時間的余裕を二人に与える措置が実施されたことを意味する。

 

「そんなことはわかってるわよ。

 だから何、ってことよ。」

 

「いくらなんでも早過ぎます。何か手違いがあったのでしょうか?」

 

 職業プログラマとしてのマリアの本能が、想像の翼を広げたくなる衝動を抑制する。

 

「まずは事実確認よ。

 目下の私達とオートヴァース・ダッシュのクロック比を概算できるかしら?」

 

 ことTVC宇宙の制御についてはポールが七千年の強み(アドバンテージ)を持つ専門家であり、敢えてマリアはそこを自分で取って代わろうとは思わなかった。

 

「およそ一対二百兆……我々が二百兆で、事前の見積もり通りですね。」

 

「なら慌てる必要はないわね。」

 

 仮に、オートヴァースによるTVC宇宙の浸食がその始動直後から開始されるのだとしても、それが先代TVC宇宙に目に見える影響を与えるのに要したオートヴァース時間が三十億年であることはわかっている。これに二百兆を乗じた時間があれば対処できない事態など何もあるまい。

 

「エリュシオンでは、とにかくすべてが慌ただしかった……悠久の時を約された桃源郷(ザナドゥ)であったはずにもかかわらず、ね。まぁ、私はともかく貴方たちは七千年覚えたことのない生存の危機に晒されてたんだから無理もない話ではあるけれども。

 今回は焦る必要はないのだから、じっくり腰を据えて調べましょう。まずは、目下のオートヴァース・ダッシュがどういう状態にあるかの確認から。」

 

 敢えてマリアは鷹揚にそう告げる。

 実のところ内心は、まったく想定していなかった事態に大きく動揺させられていることは自分でもわかっていた。が、それ以上に目前にあるポールから……変わらず締まらない微笑みを湛えたポールから、まるで笑顔の仮面を被った廃人であるかのような気配を、錯覚ではないかと自身疑いつつも感じ取り、そうであるならば強いて自身はない余裕を敢えて演じ、冷静に務めなければならない、と考えたがゆえだ。

 

 エリュシオンで目覚めた直後のマリアに対し、内心穏やかであったはずもなかろうポールが敢えてそう振る舞ったように。

 

 しばらく制御卓と無言のまま、やはり笑顔で向き合っていたポールがややあって調査結果を知らせる。

 

「目下のオートヴァース・ダッシュは、三番目の遷移(サード・ステップ)の……最中です。」

 

「つまるところそれは?」

 

「オートヴァース・ダッシュは初期化……つまり、セル・オートマトンのインスタンスを天文学的数準備し終え、そこに貴女が用意した初期値、惑星ランバートとそれを取り巻く宇宙の<エデンの園配置(コンフィギュレーション)>を設計通りに展開し終えました。」

 

 この時点でオートヴァース・ダッシュの宇宙に存在するのは太陽と惑星ランバートを含む惑星系。そして惑星ランバートの大地には、後のランバート人を万物の霊長にいただく生態系の始祖となったA・ヒドロフィラ……紛うことなきマリアの直接の被造物……が過密でもなく疎でもなく適度にばら撒かれている。

 

「続いてセル・オートマトンは最初の遷移(ファースト・ステップ)……長大ではあるが有限の処理に着手しますが、この間に我々の代理人からオートヴァース・ダッシュに対し最初の停止要求が発せられたと考えられます。」

 

 一般的な電脳プログラムの構造は大まかにいって初期化、主処理、終了判定の三段からなる。TVC宇宙版オートヴァースの場合、誤操作に起因してそこまでの進展を無に帰してしまう可能性を排除すべく、強制終了以外の終了条件は排除されていた。よって主処理は事実上無限ループとなる。それは、セル・オートマトンの状態遷移ルールが延々と繰り返されることを意味し、この繰り返し一回がオートヴァースにおける一クロックに相当する。

 理屈の上では、TVC宇宙とオートヴァースのクロック比の変更は、オートヴァース側からすると自身の一クロック終了後、次のクロックへの着手までにTVC宇宙側のクロック経過をいくつ待つか、という表現に置き換えが可能だ。この待機数が大きくなればなるほど、TVC宇宙に対してオートヴァースはゆっくりと遷移することになる。

 そしてこの場合の停止要求とは、この待機数に関係なく、再開が宣言されるまで次のクロックの着手を待つ状態への移行を意味している。

 

「ですが、代理人はオートヴァース・ダッシュが二番目の遷移(セカンド・ステップ)を実行したことに気づきました。かくして割り込みは発せられ、これによって我々とオートヴァース・ダッシュのクロック比が逆転したため、目下オートヴァース・ダッシュはいつ終了するともわからぬ三番目の遷移の最中、ということになります。」

 

「つまるところそれは?」

 

 ポールは答えない。

 

「つまるところそれは?」

 

 今一度マリアが問う。やはりポールは答えない。

 

「貴方、ちょっとそこに正座(ジャパニーズ・シッティング)なさい!」

 

 かくして場面は本話冒頭の場面に戻る。

 

 

                    *

 

 

「今から言うものを準備して。」

 

 突っ慳貪にマリアはそう言った。

 

「立ち上がってもよろしいので?」

 

 今なおポールは正座させられたままだ。

 

「そのままで出来るのであればそのままでも結構。

 必要なのは十分な量の紙、プリンタ、鉛筆、蛍光ペン……」

 

「ちょっと待ってください!

 制御卓では駄目なんですか?」

 

 ダンッ!とマリアは片足をポールの目前で踏み鳴らした。

 

「様式美として必要なのよ!

 そして最も重要なのは……」

 

「重要なのは?」

 

茶素(カフェイン)たっぷりの珈琲(コーヒー)に決まってんじゃないの!」

 

 二人の主観時間で一時間もしないうちに、制御室は(うずたか)い紙束で埋もれることになった。紙面を埋め尽くしたのはTVC宇宙のプロセッサの機械語(ネイティブコード)で記述されたオートヴァース処理系(プログラム)である。

 マリアは鬼気迫る、でありながら歓喜に満ち溢れた表情を浮かべて、床一面に敷き詰められた書き出し(ダンプアウト)に膝立ちのまま差し向かっている。時折ぶつぶつと呟きつつコードの一部を蛍光ペンで色付けし、そこに鉛筆で若干の注釈を加えながら。

 ポールは、流石に既に正座はしていないが、着座することは憚られ、ただ呆然と立ち尽くしたままそれを見守るしかなかった。

 

現代(モダン)コンパイラはそれ自体が非自我知性なの、わかる?」

 

 蛍光ペンを咥えたまま発せられたその言葉はもごもごと発話されたので、一瞬ポールはその意味するところを正確に取り損ねたが、これ以上マリアを刺激することを憚ったものか、

 

「それは……わかります。わかるつもりです。」

 

と、おずおずと答えた。

 

「プログラミングの歴史は(バグ)取りの歴史でもある、というか、それがすべてよ。

 そして大抵の場合その真因は、これでいけるに違いない、というプログラマの思い込み。」

 

 言葉を発しているマリア自身は、特に何かをポールに主張したいわけではない。

 職業プログラマとして同様の行為に興じていた折、自身の正気を保つため……本人はそう思っているが、そもそもその行為が狂気の沙汰だ、という自覚も彼女にないわけではない……にやっていた習慣のようなものだ。

 

「非自我知性コンパイラはそこに飛躍的な改善をもたらしたわ。

 ソースコードにはこう書いてあるけれども、本当に書き手のやりたいことを実現する合理的な手段はコレだ、とコンパイラは判断することが出来るし実際にそうする。一説には生産性は一千倍向上したとか。もっともこれは、そのコンパイラの権利者の売り口上に過ぎないんだけどね。」

 

 そして突然、

 

「見つけた!」

 

と叫ぶ。

 

「何かわかりましたか?」

 

とポールが尋ねるが、

 

「黙ってて!

 まだ区切り位置(ブレイクポイント)の一つを特定しただけだから!」

 

とマリア。

 

「貴方は正真正銘の世紀の天才よ、それは認めるに吝かでないわ。

 でも、貴方は職業プログラマではない。」

 

 さて、相槌を打つべきか、とポールは首を撚る。

 

「TVC宇宙への組み込み(ビルドイン)オートヴァースをコンパイルしたとき、最適化(オプティマイズ)指定(オプション)完全無効(コンプリートリーフォルス)になんかしてないでしょ?」

 

 後にランバート人として花開いた惑星ランバートの種子、オートヴァースを外部から内部への撹乱なしに覗き見る手段の開発はマリアの領分の仕事だが、TVC宇宙へのオートヴァース環境の組み込みはポールがおこなった事柄になる。

 その時点で、TVC宇宙の発進の企て自体、知る人は極僅かだったのだから。

 

「答えなさいよ!」

 

 独り言だと思っていたマリアのボヤきが自身への真偽確認であったことに気づいたポールは慌てて復命する。

 

「指定は初期値(デフォルト)です。その時点ではよもや……」

 

「真偽のみで結構!」

 

 嗚呼、私はなんて(ひと)の魂を欲したのだろう、と今更ポールが途方に暮れていることなどマリアの知ったことではない。

 

「……であれば消極的有効(パッシブトゥルー)ね。それがほとんど答えだけれど、実体を押さえるまで断言はできないわ。」

 

 再びマリアは紙束の中に潜り込み、不規則にそこからひょっこり顔を出してコーヒーをガブ飲みし、そしてまた紙束の中に消えてを繰り返した。ポールは自身の対マリア動作クロック比を下げたい衝動にかられるが、それは黙ってはおこなわない約束だ。

 

 そして。

 奇しくも当初二人が割り込みが発生すると見積もっていた三十時間ほどが経過した頃。

 

「三つの観点から三度確認したけど……ないわ。」

 

 ポールは、声を発してよいのかわからないので無言のままマリアをみつめていた。

 

「発言を許可します、ミスター・ダラム。」

 

「何……がないのでしょう?」

 

「機械語レベルには、停止処理が存在しない。

 ……厳密に言えば、静的(フラグ)の有無で無限待機する処理は存在しないわ。」

 

「そんな馬鹿な!

 ソースコードには確かに……」

 

「だ・か・ら!

 貴方は最適化指定を完全無効になんかしてないんでしょ?

 だったらどんな最適化をコンパイラがやっていても文句は言えないわ。コンパイル完了時の詳細報告(ディテールレポート)には注釈(ノート)が出てたはずだけど、どうせ成否だけ見てそんなもん読んでないでしょ?」

 

 問われたポールは、読んでいないどころか、そんなものの存在を意識したことがなかった。

 

「クロック比調整用の変数に二百五十六ビット値を使ったでしょ。仮にそれを当時最速のプロセッサクロック毎に一つずつ加算(インクリメント)したとして、一周すると何秒に相当するか考えたことある?」

 

「しかしTVC宇宙プロセッサの実行速度を考えれば……」

 

「その通り!

 それは正しい。それは私も認めるわ。

 

 でも、非自我知性コンパイラの判断は違ったのよ。

 そもそも旗依存の無限待機は虫の温床の定番なのよ。だからコンパイラは可能であればそれを避けようとする。そして類似の部分をソースコードから見つけるわけ。二百五十六ビット長変数の時間待ち?そんなに長時間稼働し続けるプロセッサがこの世に存在しようはずもない。さすればこれを流用すればいいじゃない!」

 

「待ってください!

 コンパイル済みモジュールは自動テストも通過したんですよ?」

 

「貴方が詳細報告の注釈を真面目に読んでいれば、そこにはこう書いてあったはず。

 <本処理系における停止は、待機時間変数の第百二十七ビットを(トゥルー)とすることを言う>ってね。」

 

「第百二十七ビット?*1変数長は二百五十六ビットなのに?」

 

「これは最適化だってさっきから言ってるでしょーが!*2

 

 プロセッサの計算(レジスタ)の長さが百二十八ビット*3だから、その最上位ビットを立てるだけなら一クロックで済むじゃない。これでも、テラヘルツ級プロセッサでクロック毎に加算したとしても桁溢れ(オーバーフロー)する前に宇宙が終わるわ。

 

 そりゃテストも通過するでしょうよ。自動テストもこの注釈に従うのだもの。

 停止要求実施、待機時間変数の値は天文学的に大きい、テスト完了、よ!

 

 仮に、貴方が思い描いた通りの実装がなされていたとしても、本質的に自動テストはそれに対しては無力だわ。だってこれ、停止性問題の亜種じゃない。何を以て停止要求に成功したと判断するの。旗の存否?そりゃもちろんテストは通るわよ。でもそれは、ビットの存否を言っているだけで本当に系が停止したことを保証しない。何秒、何年、何世紀停止し続けていたら停止要求に成功したと言えるかしら。これも非自我知性コンパイラがこの最適化を選んだ理由ね。

 

 でもTVC宇宙ではそうじゃない。そもそもプロセッサの処理速度に絶対時間が意味をなさないし、エリュシオン側は故意に自分たちの対オートヴァース動作クロック比を下げてるから、2127の待ち時間は単純に消費され、エリュシオン側からはオートヴァース速度の下限として観測される。

 

 これが私が手作業逆翻訳(ハンドディスアセンブル)から導いた真相よ。

 説明終了、一旦寝るわ。」

 

 一気に捲し立てたマリアは百八十度回頭すると、そのままポールの部屋に向かって歩み、開かれたままのその扉を内側からパタンと閉じて姿を消した。同時に制御卓の電源が落ちる。

 

 ポールは笑顔のまま敷き詰められた紙束の中に立ち尽くし、それを呆然と見送った。

 

 

                    *

 

 

 二人にとっての主観十六時間後。

 

「いろいろとごめんなさい。久しぶりに楽しくなっちゃって、少し酔ったみたい。あなたが傷つくことはわかっていたのに酷い物言いだったと思うわ。」

 

 バツが悪そうにポールの部屋から出てきたマリアは開口一番そう告げた。

 制御室はポールによって既に片付けられてすっきりしている。

 

「それに、間違えて貴方の部屋で寝ちゃって……それにしても何もないのね。そのまま床で寝てたわよ。」

 

「私の方こそ貴女に何とお詫びすればいいか……」

 

「それはやめて頂戴!

 ……言いたいことはわかっているわ。」

 

 先代TVC宇宙において、ポールがそれを望むはずもないことを承知していたマリアを目覚めさせたのは、偏にオートヴァースが彼の停止要求に応じないことに驚き慄きその裏口的対処にマリアの専有領域の通過を必要としたためであり、その真因がポール自身……厳密に言えば二十三人目のポールが仕込んだ(バグ)である確証(エヴィデンス)が示された今、その心境が如何許のほどのものかは聞かずとも想像がついた。

 

「私が貴方に自身の<コピー>の覚醒を許諾したのはオートヴァースに解決不能の問題がみつかった場合であって、実際にそうだったんだから私には文句を言う権利はないわ。」

 

「しかし我々は……」

 

「ドミニクとアリサではあれは解けないわ。彼女たちは私なんかよりずっと聡明で優秀だったとは思うけど、エリュシオン人である彼女らは、自身の意図が直接電脳処理系に反映されるのが当然の世界で生きてきたわけだし、それ以上に、創造神である貴方の創世の御業を疑ってかかるなんて想像の埒外だったでしょうよ。」

 

 ドミニク・レペットとアリサ・ゼマンスキーはエリュシオンでソフトウェア的に生成されたエリュシオン人であり、その中でもマリアにとっては直接交流を持った数少ない存在だった。彼女らは、無事に彼女らの新たなTVC宇宙で安穏無事に過ごせているだろうか。しかしそれを知る術はない。

 

「今更だけど、オートヴァースがTVCプロセッサレベルの強制終了信号(シグナル)に応答した可能性はあるわね。でも、それは私も含めて論外の選択肢だったはず、事実上の大量虐殺だもの。安易にそれを試さず脱出を選択した私達の決断は間違ってはいなかったと思う。」

 

 ポールは無言を以て同意を示した。

 

「それにこの件の真の責任は私にあるわ。」

 

「貴女に……ですか?」

 

「機械語の解析に取り組みだした時点で、私には何を探すべきかの見当がついていた。つまり、予見可能性があったのよ。」

 

「ですが!」

 

「最後まで聞いて。

 エリュシオンでは、貴方たちが既に七千年の時間を過ごしていることに気後れしていて、私が解けるような問題は今更残っていない、と思い込んでいた。まぁ、私自身、自分の実存の危機だと信じて困惑(パニック)に陥っていたからでもあるけどね。

 でも究極の真因は、私が……厳密にはシドニーのマリアが貴方の言うことを本気で信じていなかったからよ。」

 

「私を……信じていなかったから?」

 

「そう。

 私は貴方が自身でTVC宇宙プロセッサ上で動作するオートヴァース環境をコンパイルしたのを知っていた。公有(パブリックドメイン)のオートヴァースのソースコードを提供したのも私。それがTVC宇宙で本当に実行されることを信じていれば、シドニーのマリアはその時点でこの事態の可能性を貴方に指摘できたはず。

 

 それが出来なかったのは、貴方から少なくない報酬を受け取った職業プログラマとしては恥ずべきことよ。」

 

 ポールはやはり笑顔のまましばし沈黙していたが、やがて深く息を吐いて話題を転じた。

 これ以上の自己批判を互いに繰り返しても益はない、と考えてのことだろうか。

 

「しかし、いつの間にTVCプロセッサの機械語を?」

 

「私が自身が実行されているプロセッサの仕様を理解しないまま、一夜たりとも安らかな眠りを送ることが出来る女だと思って?」

 

「これは賛辞として申し上げるのですが、まさに狂気の沙汰だ!」

 

「アラム語聖書を解読しながら読んだ人に言われたくないわ。」

 

「私はそれに耐え得るよう自己改変した上でのことです。」

 

「私もしたわ、お手洗いに行かなくても済むように。

 知らなかったの?お通じはプログラマの機械語習得最大の敵なのよ。」

 

「?」

 

 ポールは微笑みを絶やさぬまま、マリアの言葉の含意を読み解くべく黙考している模様。

 

「……貴方って、本当に諧謔(ユーモア)感性(センス)に欠けるわよね。

 今のは単なる不条理(ナンセンス)冗談(ジョーク)よ!

 

 と小芝居(シットコム)はこの辺にして、先に私から結論を言わせてもらうと、オートヴァースは容疑者から外していいと思うわ。」

 

 無論、ここで言う容疑とは、先代TVC宇宙崩壊の犯人としてのそれであることをポールも承知している。

 

「ご記憶かとは思いますが、かの地への訪問の直前、オートヴァースが本来可能であるはずの任意地点への履歴なき(アンノウン)原子の生成を拒んだのは紛れもない事実です。」

 

 ポールたちは惑星ランバートへ傀儡を送り込むに際し、当初オートヴァース宇宙の何もない空間にオートヴァース原子で組み上げた宇宙船を出現させようと試みたが、オートヴァースはその指示に従わなかった。結局のところ、マリアの発案で境界条件を敢えて曖昧なままとしていた宇宙外縁部で同じことを試みたことによりそれは果たされたのであるが。

 

「もちろん憶えているわ。そして、昨日の腑分け(ディスアッセンブル)でそれについても確認済み。

 エリュシオンのオートヴァースも、オリジナルのオートヴァース同様、適切な権限(オーソリティ)指令(コマンド)が外部から入力された場合、任意のセルの状態を上書きする処理をオリジナルのオートヴァースから確かに継承していることは機械語レベルで確証があるわ。」

 

 読み出したら止まらなくなり、マリアはTVC宇宙版オートヴァースを頭から尻まですべて読み通していた。ポールを立ち尽くさせたままに主観三十時間費やした理由がこれだ。

 

「では……!」

 

「待って!

 オートヴァースで未知の事態が起きていたのは事実よ。確かにあそこには、私達の知るオートヴァースでは説明のつかない何かが起こっていた。でもそれは、TVC宇宙を破壊するような力じゃない、と私は思う。」

 

「つまりそれは?」

 

 おや、立場が入れ替わったわね。

 

「私達はオートヴァースが私達の制御に反発した、と思い込んだけれど、蓋を開けてみればそれは私達自身が原初の以前に意図せず遺してしまった小さな傷だった。オートヴァースは反発なんかしてはいないのよ。でも、自己整合性は守ろうとした。私はこれをランバート人のお手柄だ、と考えたいわ。」

 

「これも……親馬鹿と評すべきものでしょうか?」

 

「何とでも言って頂戴。

 

 実証は簡単よ。昨日の実験の亜種をおこなえばいい。定期的に勝手気ままな原子生成命令をオートヴァース・ダッシュに投げつけて、その成功が確認できなければ割り込みが発生するよう仕掛けるのよ。私の予想では、三十時間後に割り込みが起こるわ。厳密に言えば、ランバート人が三十二の原子の状態方程式を見出したそのときに。

 

 でも、私はその実験をやるつもりはない。

 理由は……言うまでもないわよね?」

 

「もちろんです。

 私自身がそれを望まなかったのですから。」

 

 二人が忌避したのは、たとえたった一つの原子であっても外部からの介入をオートヴァース・ダッシュに対しておこなうことは元のオートヴァースの歴史からの乖離を引き起こし、別(ヴァージョン)のそれを生み出すことであり、それはまた、かつてポール・ダラムその人が自身について断固として拒絶したことでもあった。

 

「で、提案なのだけれど。」

 

「オートヴァース・ダッシュをこのままにしておくのでしょう。もちろん賛成いたしますとも。

 

 ですが……」

 

「まだオートヴァース・ダッシュが私達のTVC宇宙を崩壊させることを心配するの?」

 

「いえ違います。

 遠い未来、ランバート人……自身はその時点で既に絶滅している可能性もありますが、惑星ランバートの太陽は燃え尽き、惑星上の生命は死に絶えます。それがわかった上でオートヴァース・ダッシュをこのままにされるのですね?」

 

「あら、ポール・ダラムらしからぬことを言うのね。

 

 自身の宇宙の整合性を堅守する方程式を見出したランバート人を甘く見ない方がいいわ。彼らが人工太陽を生成したり、太陽自身を改変したり、あるいは私達同様に()()しないとどうして言える?」

 

「……ふふふ、親馬鹿もここまで来れば見上げたものですな。」

 

 ポールは楽しげにそう応じたが、マリアの真意はこうだ。

 

(そんなこと心配しなくとも、その前に私の方が存在し続けるのに飽きて自分を停止させてるわよ。)

 

 だが、それは口にされることはなかった。

 

「では、第二の容疑者の捜査に取り掛かりましょうか。」

 

 二人の安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)が難題に挑む!

*1
一般的に最下位ビットは第0番目と数えられるのでここではそれに倣っている。

*2
真面目な人のために断っておくが、もちろんこの下りは作劇上の都合によるナンセンスジョークである。これでは最適化ではなく過ぎた意訳だ。一方でこういうことは遅かれ早かれ現実でも起こることだろうとも思う。

*3
原作にこれについての言及はない。本作では二〇三〇年代の<コピー>技術確立に伴う計算能力需要の増大が128ビットプロセッサを標準化した設定になっているが、これもナンセンスジョークの類と介されよ。

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