階冪村落 ー グレッグ・イーガン『順列都市』勝手続篇   作:wash I/O

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6.開祖(かいそ)らへ禁句(きんく)

 万雷の拍手(カーテンコール)の中、恍惚の表情のこの時空唯一の、であるがゆえに随一の女優ケイトは膝折礼(カーテシー)でそれに応えた。

 

「今回の演物『唯我論者のための終わりよければ全てよし(All's Well That Ends Well)』は素晴らしかった、まさに天才女優ケイトのためにあるものだ!」

 

と木工職人ピー。

 

「お褒めに預かり光栄至極。」

 

と劇作家ピー。

 

「いや、彼が褒めたのは貴兄ではなく、そこに込められたあらゆる含意を美しくも儚く具現化したケイトの才に対してだと思うがね。」

 

と博物学者ピー。

 

「おまえらの言を聞いているとケイトを女優などという小さな枠に押し留めおかんとする悪意を覚えるな。ケイトの真価は歌姫たるときにこそ発露されるものだ。」

 

と作曲家ピー。

 

「それはキミの願望の裏返しに過ぎまい。我々は常にケイトが何を望みケイトが何を欲しケイトが如何にありたいかを礼賛すべきと存ずるがどうかね?」

 

と批評家ピー。

 

「少し静かにしてくれないかね。今少しでケイトの素晴らしさの完全性が証明出来そうなのだが、あなたたちの放つ不要な雑音(ノイズ)で集中が叶わない。」

 

と数学者ピー。

 

「ごちゃごちゃうるせーよ、蝿ども!ケイトがそこにありゃぁ、オイラはそれで満足さ。」

 

と居酒屋ピー。

 

 ケイトは自身を取り巻く無数のピーに今一度片手を上げて応じる。

 

 この場にケイト以外にピーでないものはない。

 観客も、舞台袖(オーケストラピット)の演奏者たちも、緞帳を引くのも照明を当てるのもすべてピー。何なら舞台装置も柱も彼女が纏う衣装すらすべてピーだ。

 

 <唯我論者国家>ピー。

 

 それがケイトを除く時空すべてを専有している。

 

 

                    *

 

 

「おはよう、マリア。よく眠れましたか?」

 

 いつものように、気儘な眠りを終えて制御室(コントロールルーム)に姿を現したマリアにきっかり五分遅れて登場したポールは、相変わらずの微笑みを湛えつつ変わり映えのしない挨拶を発した。

 

「最後の容疑者に取り掛かるとしますか。」

 

「……そのことなのだけれど。」

 

とマリアは言葉を濁す。

 

証拠(エヴィデンス)を押さえるまで断定は出来ない……のは大前提として、大凡(おおよそ)のオチは既に見当ついているのよ。」

 

「……そうでしょうか?」

 

 ここまで二人は、エリュシオン崩壊の真犯人として、最も容疑濃厚であったオートヴァースについてはTVC宇宙を超越する何かに至った可能性は認めつつもそれがTVC宇宙を破壊することはなかっただろうという結論に至っていたし、続く容疑者トマス・リーマンについては、自身に与えられた領域(ピラミッド)を自壊させたに過ぎないと判じている。

 だが、二人は壮麗を誇った永遠の都たる順列都市(エリュシオン)が崩壊する様を確かに目撃した。その容疑者としてポールが措定するところの密航者については、オートヴァースやトマス・リーマンほどの目に見える手がかりは目下のところなく、まさに砂漠の中に一本の針を求める仕事になるだろう、少なくともポール・ダラムその人はそのように予測していた。

 

 が、対するマリア・デルカはそうではない様子。

 

「まずは貴女の推理を承りましょう。」

 

 ポールはそう言ってマリアに続きを促したが、どうしたことかトマスの群像推定(プロファイル)を喜々として語った饒舌さはそこになかった。

 

「どうなさったんです?」

 

 今しばらくマリアは沈黙を保っていたが、

 

「黙っていられるわけでもなし。」

 

と語り始める。

 

「まずは、貴方の言う密航者の存在を自明のものと仮定して考えてみましょう。」

 

 そしてこうも。

 

「ひとまずは私の考えを黙って聞いてくれるかしら。

 そこに含意されることの検討は改めておこなう、ということで。」

 

 ポールは、たちまちにその意図するところに思い当たらないが、焦る必要があるでもなし。まずは虚心坦懐にマリアの言に耳を傾けてみようと、片手を差し出して続きを促した。

 

「密航者を隠せる規模(サイズ)のある現実宇宙からの持ち込み品(バゲージ)はそう多くはない。それが<コピー>であるならば顕現のための処理(プログラム)を必要とするから、この際大きさとしては最大であるところの文化資産(ライブラリ)は無視していいわ。

 

 とすれば可能性があるのはオートヴァースとエリュシオン……狭義のエリュシオンしかない。」

 

 マリアが<狭義のエリュシオン>と敢えて言うのは、元来二十三人目のポールが「エリュシオン」と呼んだのは複数領域に跨る公共空間(パブリック・スペース)に展開実行された都市仮想(V)現実(R)環境のことであったが、七千年の時を経て慣習的に彼らの暮らすTVC宇宙全体をも指し示す語として通用するようになったことを承知しているからだ。

 実際、ポールを含むエリュシオン人にとって、自分たちがそこで日常の生活を営んでいる、という意味においてそれは同義であった。

 

「そして、貴方が自ら組み上げ(ビルドし)たオートヴァースは無罪放免よね。機械語(ネイティブコード)からもそういう(たぐい)のものは読み取れなかったわけで。

 実のところセル・オートマトンであるオートヴァースは、もちろん複雑怪奇(コンプリケイテッド)ではあるものの論理構造自体は至って簡潔(シンプル)なもので、容量の大半は惑星ランバートの種子(シード)だから、そこに何かを隠す余地なんてそもそもないのよ。」

 

「つまり、密航者が存在したのであれば、それはエリュシオンの中に潜んでいたに違いない、ということですか?」

 

「その手口も概ね想像はつくわ。」

 

 マリアはポールの問いには応えずにそのまま続けた。

 

「TVC宇宙のそれも含め電脳(プロセッサ)集合(クラスタ)の計算(レジスタ)長は百二十八ビット。*1個人向け民生品は上位六十四ビットの利用権を封鎖されてるのが普通だけど、これは単に廉価版を別途製造する利点(メリット)費用(コスト)に対して割に合わなくなったからに過ぎないわ。

 そして、百二十八ビットの計算器が全部(フルに)利用される局面なんてそんなにはない。それこそ<コピー>を稼働させるか天文学的模擬実験(シミュレーション)を走行させるときだけで、まぁ、それこそが本来の電脳の用途、ということにはなるのだけれど、極普通(オーディナリー)需要(ニーズ)に応じた大抵の課題(ミッション)に対しては大半のビットが遊んでる。これについては仮想現実環境であるエリュシオンも同じ。」

 

 この辺りの知識については、ポールも、自身でそれを具体的に活用し得るか否かはともかくとして承知はしていた。

 

「貴方がエリュシオンを発注したのはマルカム・カーターだっけ?

 私自身は面識はなかったけれど、業界ではその名の知れた電脳魔術師(ウィザード・ハッカー)よね。この手の類の人は、自身が私有し得ない百二十八ビット電脳集合上で稼働する何かを請け負う際、しばしば実害のない悪戯を仕込む。

 <遊んでいるビットを別事に流用したところで総計算量には影響しない。であれば、それは私が有意義に活用させてもらおう!>とね。もちろん、この便乗ビット列を然るべく乗せたり取り出したりする処理(プロセス)とそこに便乗者が割り込むための裏口(バックドア)は別途必要ではあるけれども、この(システム)が十分に複雑であれば、それは便乗する計算総量と比較すれば微々たるもので全体の中では誤差の範囲内。まぁ、この行為を察知するほどの知性を有する顧客(クライアント)にこんなことは仕掛けたりはしないわ。」

 

「しかしエリュシオンは……」

 

 突っ込もうとするポールをマリアは手の平で制する。

 

「言わなくてもわかってる。

 カーターがTVC宇宙の実現を信じていたかはともかく、それが完全隔離(アイソレイティッド)であることは彼も承知していたはず。だから、埋め込んだ便乗系を自分で使うつもりなんて端からないのよ。でも、それをせずにはいられない……狂人(ハッカー)の救い難い(さが)よね、山があれば命の危険も顧みず登らずにはいられない登山家、みたいな。

 

 ちなみに、彼にどこまで話した?」

 

「私が直接に会話したのは常に彼の非自我知性助手(アシスタント)だったのでどこまで私が彼の理解を汲み取れていたかの確証はありません。が、助手との会話の端々で、明言こそ一度たりともされませんでしたが、私が何処かに私有するなり利用権を有していると彼が勘繰っている超弩級電脳集合の物理所在を探らんとする意図を感じたのは事実です。」

 

「思った通りだわ。であれば彼は、自分の知り合いの信頼のおける、と同時に既に狂気に片足を突っ込んでいる<コピー>に声をかけたことでしょうよ。

 

 自分の悪戯に相乗りしないか?

 世界の何処かに隠された完全隔離の超弩級電脳集合に忍び込んで、不死の大富豪たちの名士会(セレブ・パーティ)を覗き見し、連中の鼻を明かしてやらないか?

 

 ……とね。」

 

「そんな……マルカムの紹介で、ということであれば、割引価格(ディスカウント)での乗船を歓迎しなくもなかったのに。」

 

「それは貴方……厳密に言えば二十三人目のポールの理屈。

 そもそも連中の動機はエリュシオンへの密航成就、ではなくて、密航行為そのものが目的なんだから!

 

 私達……かのカーター氏と自分を並べて語るのは烏滸がましくはあるけれども、職業プログラマって、別に他の人に比べて何か特別な知識や才能を有しているわけじゃないのよ。やってることの大半は過去から積み上げられた知的資産の流用、その数限りなくはあるけれど、それでもたかだか有限の組み合わせの試行錯誤でしかないわ。ただ職業プログラマは、幸か不幸かそれを倦まず弛まず繰り返して飽きない性格を持って生まれた、ただそれだけなのね。

 でも、普通の人はそういうことには耐えられない。過程(プロセス)をすっ飛ばして結果(リザルト)だけを求める。その埋めようもない落差が私達の食い扶持だったわけよ、わかる?」

 

 ポールは、あぁ、またマリアの悪い病気の部分が励起されているな、と思うが、敢えてそこには触れない。

 語りたいままに語らせておこう、と覚悟を決める。

 

「だから、顧客に害のない……まぁ、まったくないわけでもないとは思うけれども、そういう悪戯は連中にとって権利であり、ほとんど義務みたいなものなのよ。

 

 でも……私の見るところ、結果的にそれが密航者の命取りになったんじゃないか、と思うんだけどね。」

 

「ん!

 それはどのような……?」

 

「あぁ、ごめんなさい、いくらなんでも端折りすぎよね。

 

 神託娘(オラクル)を気取るわけじゃないけれど、エリュシオンを単離して模倣TVC宇宙で実行する再現実験(テスト)、つまりオートヴァース・ダッシュ同様のエリュシオン・ダッシュになるけれども、仮にこれをやったら、おそらく初期化終了後ほどなくしてエリュシオンは崩壊するわ、私達が目撃したみたいに。」

 

「……すいません、やはり理路が掴めないのですが。」

 

「私の考える密航者の物語はこうよ。

 

 密航者はエリュシオンの隙間で自身実行され顕現しつつ、貴方たちエリュシオン人のやることを覗き見て存外楽しんでいたんじゃないかと思うのよ。だってそうでしょ、七千年に及ぶ一切の物理制約を取り払われた超人類(ポストヒューマン)の絢爛豪華な大道芸(ストリート・パフォーマンス)よ、傍から見るエリュシオンは!

 密航者自身は、カーター氏の腕前にもよるけれど、どんなに好意的に見積もっても前世紀の十六ビットパソコン(IBM PC)で<コピー>を走行させてるようなものだから、エリュシオン標準時間に対する実行クロック比は低かったはず。でもそれは、彼らの主観からすればエリュシオン側が超高速で進展していくことを意味するから、見ていて飽きなかったんじゃないかしら。停滞に退屈すれば自身を時限凍結(サスペンド)すればいいわけだし。

 それでも七千年もの間、自身がそこに参加出来るわけでもないのに大人しく指を咥えてそれを眺めていた密航者は、よほどの数寄物(フリークス)ではあるわよね、私が言うのも何だけどさ。」

 

 ポールは既に目が点になりつつあるが、マリアがそれに気づく様子はない。

 

「で、ある日破綻のきっかけがやって来る。

 この一致が偶然であるはずがないから絶対に関連しているって確信しているんだけど、密航者に衝撃を与えたのは、貴方たちがいよいよランバート人との接触(コンタクト)を試みるって話だと思うのよね。そこに至るまでの道程は、エリュシオンン人自身がそうだったように不介入の観察だったわけだから、傍からそれを見ていた密航者にも不満はなかったのよ。

 でも、いよいよ異星人(エイリアン)との初接触(ファースト・コンタクト)か、って段になって密航者ははたと気づくわけ。

 

 私、何やってんだ?

 

……ってね。わかる、この感じ?

 私もね……私自身もシドニーで暮らしてた時分にしばしば感じてたのよ、この感じ。オートヴァースに耽溺してさ、ランバート人のご先祖様の更にその原型を弄って遊んでた最中に、計算能力市場(マーケット)大暴騰(シュート・アップ)を起こして締め出されちゃって。

 で、思うわけ。

 

 私、何やってんだ?

 

って。私がやってることなんて何にも計算能力市場はおろか、隣近所の人付き合いの力学にすら影響ないわけよ。そんなことに夢中になっちゃってさ、仮想バクテリアの原子模型(モデル)を弄る無力感。」

 

 ポールは、マリアのこの発言に対し、完全に共感こそしないものの自分自身の履歴にも共鳴する何か、を覚えている。若き日の自分もまた、まったく同じではないが本質的には同様の無力感を覚え、それに対する反動(カウンター)こそが、現実宇宙からの離脱、順列都市発進の動機(モチベーション)だったのではないか、と。

 

「と、ここでいくつかの可能性に話は分岐すると思うのだけれど。」

 

と唐突にマリアは、彼女が考えるエリュシオンの裏側で起きていた出来事に話を振り戻した。

 

「まぁ、何をやったとしても行き着く先は同じなんだけどね。

 最もあり得るのは密航者が自分自身もまた手元での惑星ランバートの実行を試みた、というものよ。」

 

「……そんな無茶な!

 エリュシオンはいくつかの領域に跨って巨大な記憶(メモリ)空間を専有はしていましたが、その内部に潜むものが内部の余剰を使って惑星規模のオートヴァースを動作させるほどのそれはとても望めません。」*2

 

「その通り!TVC宇宙は無限に拡張するけど、エリュシオンはそうじゃないものね。

 そこで話はカーター氏に帰ってくるわけ。」

 

「……と、おっしゃいますと?」

 

「カーター氏はよもや自分の仕立てたエリュシオンが無限に成長する基盤(ハードウェア)上で実行されることになるなんて知りようも、知ったとしても信じようもないから、それに備えることは出来なかった、ってのが一つ。

 そして、こっちの方がより本質だけど……貴方たちの七千年の間にエリュシオンの再起動を要したこと、って一度たりともあった?」

 

「いえ。」

 

「カーター氏は私の知る中でも飛び抜けて優秀な職業プログラマだった。だから、顧客に提供する製品については最高の品質を確保する。この場合私が言ってるのは、エリュシオンという仮想現実環境の中で、顧客である貴方たちがどんなことをするかは大抵読み切っていて、それに対する例外(エクセプション)処理は大抵拾い尽く(キャッチアップ)してるってことよ。だから、何かの拍子にエリュシオンが落ちる(ダウン)なんてことは起こらなかった。それを読み切ることこそ彼の矜持であり、飯の種なんだから。

 

 でも、()()についてはそうじゃないわ。

 そもそもこれの原型は、カーター氏が裏口を使って顧客の計算能力を借用する仕掛けに由来するんだから、それについてはそういう丁寧な実装はおこなわれない。利用者(ユーザー)であるカーター氏がその性能も限界も百も承知だからよ。」

 

「しかし、裏口からの不正利用が(システム)に悪影響を与えることで自身の行為が露見することを恐れはしないのですか?」

 

「そりゃ恐れはしたでしょうね。でも、そこは職業プログラマの悲しい(さが)というか……大抵の場合その労力は不正処理(プログラム)の不可視化、難読化の方に振り向けられて、それの堅牢さには向かないものなのよ。自分がバレずに不正利用していく自信があればこそ、そういう仕込みをするんだから。」

 

 その思考様式はポールには俄に納得し難いものであるが、マリアがそう言うからのはそうなのかも知れない、と納得する以外の選択肢は今のポールにはない。

 

「でも、その内部に存在する密航者からすればそんなことは知ったことじゃない。適切な防護機構を欠く便乗系にオートヴァースを展開……とも限らなくて、例えば自分自身の分身を無限に生成して起動するとかでもいいんだけれども、とにかくそういう無茶をやり始めれば、当然のことながら系は破綻(クラッシュ)する。*3

 腑分け(ディスアセンブル)しないと断言は出来ないけれども、カーター氏の便乗系は余剰容量(メモリ)の隙間を緩衝(バッファ)域に利用しながら動作してたはずで、密航者が覗き見しながらささやかに暮らす分には何の問題もなかったのだろうけれども、それはエリュシオンの総量を決して超えることは出来ないから、そこから一歩でも踏み越えれば、ドカン!

 

 貴方……これ、再現実験(テスト)したい?」

 

 ポールは答えに窮する。

 密航者の存在は現時点では自明ではないが、マリアの推理が正しければ、それは密航者に既に起きてしまった破綻の別(バージョン)を強制体験させることを意味する。

 

「密航者が破綻を起こすのは、直接的にはカーター氏の便乗系に脆弱性があり、それについての正確な理解が密航者に欠けているからだけど、そもそもは密航者自身にそれを引き起こす性向があるから。有限のエリュシオンの内部では、順列組み合わせの一つであるその状況(シチュエーション)は遅かれ早かれ必ず起こるのよ。

 そいつはエリュシオン標準時間七千年もの間それを起こさずに耐えたわけだけれど、逆に言えば七千年しか耐えられなかった、ということでもある。エリュシオンを単離して起動したら、密航者の主観からすれば無人の都市にただ一人閉じ込められた状態で始まるわけで、破綻が早まることはあっても先延ばしされることは決してないわ。」

 

 語るマリアは無闇に楽しそうで高揚感(ナチュラルハイ)に酔っているのは明らかだった。

 

「もちろん、以上はすべてエリュシオンが崩壊した、という事実に対し、仮に密航者が存在したら、という仮定の(もと)に推理したものでしかないわ。これを確定容疑に持っていくには再現実験か、エリュシオンの解読しかない。

 でも、前者はまぁ当然として、後者もちょっと気乗りしないのよね。

 十五人の創始者(ファウンダー)から総計三千万エキュをせしめた二十三人目のポールは……」

 

「実際には三千五百万エキュありました。熱狂的な賛同者の中には私の提示価格を超えて出資された方も少なからずおられましたので。」

 

「……ともかく貴方は、お財布の心配なんてまったくないんだからカーター氏から納品されたエリュシオンを、当時適用可能な最高品質の不正検出処理にかけたはずよね。」

 

「……ご推察の通りです。」

 

「でも、それは検出されなかった。

 

 オートヴァースの機械語を私が読み解けたのは、偏にコンパイラの癖に精通しているから。でもエリュシオンは違うわ。カーターはきっと自前のコンパイラを使っているし、ひょっとすると手組み(ハンド・アセンブル)すらやってるわよ、便乗系を巧みに隠すためにね。

 きっと何かあるはずだけれど目下手掛かりのない機械語解読に乗り出した私は……無限の時間があるんだからやってやれないことはないでしょうけど、そこに自分自身では思いつくどころか夢想すらしなかった超絶的な手練手管(テクニック)を見出して打ち(ひし)がれるわけよ、何せ相手は超弩級電脳魔術師なんだから!

 そうなることがわかっていて敢えてそれに着手するほど私は自虐趣味(マゾヒスト)じゃないわ。まぁ、これからあり余る永遠を費やしてとことん勉強して、勝算が見えたら暇潰しに挑戦する日が来るかも知れないけど。

 

 貴方が自分でやるってのなら()めはしないわよ。」

 

 まさか、とポールは笑顔のまま(かぶり)を振った。

 そして、あれ?と怪訝な表情を浮かべる。

 

「その様子だと私が真に言わんとするところに気づいたわね。

 そこに含意されることの検討は改めておこなう、と言ったのはそういうことよ。

 

 だから、そこに踏み込むのはちょっと待って頂戴、準備が必要だから。」

 

 ポールが何かを言おうとするところを遮ってマリアはそう言った。

 

「……準備?」

 

「そう、準備よ。

 まずは正直に告白して頂戴。二度目の発進の直前に貴方は自身に改変を加えたわね。貴方は、それについては新しい人生、つまりここで教えようと請け負ったけれど、その答えはまだ聞いていないわ。」

 

 ポールは笑顔のまま言葉に詰まった。

 対するマリアが詰め寄る。

 

「当ててみせましょうか。」

 

 嗚呼、なんてことだ。

 この(ひと)()うに気づいていたのだ!

 

「貴方、自身の内面の動揺が決して表情に出ないよう自身を改変したわね。

 今後一切、私を決して傷つけまいとして。」

 

 

                    *

 

 

 この時空におけるケイトでない部分すべての集合、すなわちピーは思う。

 

 自身を取り巻く仮想現実を贖えなくなった<コピー>が現実に対する極度に低いクロック比に甘んじつつも存在し続ける場末の避難所(バンカー)において、脱出(エスケープ)、すなわち自身の停止をおこなおうと考えていたピーを思いとどまらせたケイト。

 聡明で愛情深く才気に溢れ極めて独創的なケイトが、実のところは他人からの注目と称賛にのみ貪欲などこにでもいるありふれた平凡な女であり、そのためだけに突き抜けた奇矯さを、それこそ死物狂いで演じ続けていることにピーは早くから気づいていた。*4

 

 それが何だというのか!

 

 ピーが<唯我論者国家>たり得たのはケイトあったればこそであり、その恩義にケイトが求めるすべてをピーが全身全霊を以て報じるのは至極当然のことだ。最早ケイトが何者であるか、など枝葉末節でしかない。

 

 そして、はたと思う。

 

 ケイトもまた、ピーの一部であって然りではないか!

 ケイトもまたピーであれば、その喪失に怯える必要もまったくなくなるではないか!

 

と。

 

 もしピー……彼自身が既に忘れて久しいそのオリジナルであるところのデイヴィッド・ホーソンに古代インド哲学の素養があったとしたら、この気づきを<梵我一如(Tat Tvam Asi)>とでも言い表しただろうか。

 

 嗚呼、すべてが一つに溶け合っていく!

 

 部分は全体、全体は部分。

 刹那は永遠、永遠は刹那。

 ピーがすべて、すべてがピー。

 

 

                    *

 

 

「何も答えなくていい、しばらく何も考えずに黙って聞きなさい!」

 

 マリアは、まるでそうしなければポールがたちまちに自身の前から消え去ってしまうかのような勢いでそう怒鳴った。

 

「崩壊していくリーマン氏の領域の中で貴方はこう考えた。

 

 エリュシオンは儚くも潰えた。

 最早自分に在り続ける理由はない、と。

 

 ところが目の前にいる私、マリア・デルカは貴方のことが必要だと譲らない。

 そして、貴方は私に大きな借りがあった!」

 

 ポールは笑顔のままに、じっとマリアを見つめている。

 

「あ、念のために言っておくけどね。」

 

とマリア。

 

「私は私の聡明さを証明したいがためにこんなこと言ってるんじゃないからね。

 貴方が私のためを思って、私を傷つけまいと考えて決断したのはわかっているの。わかっているからこそ、その理解を貴方に伝えたいのよ。誰かを思いやっての行為は伝わらなければ自慰(オナニー)でしかないわ。ちゃんと伝わっているんだって、必ずしも私の望んだこととは一致していないけれどちゃんと受け取っているんだって、貴方にそれを知って欲しいから語っているのよ。わかる?」

 

 ポールは笑顔のまま頷く。

 

「そして貴方はこう考える。

 

 このままの自分ではマリアにはついていけそうにない。そうだ、自身を改変しよう、この失意と絶望に耐え得るように!永遠に前進し続けるように!

 

 おそらくその直前、最終承認の確認まではいったはずよ、貴方のことだから。

 

 でもそこで貴方は今一度考えた。

 そのような改変をおこなってしまえば、自分は最早ポール・ダラムその人ではなくなってしまう。今目前にあって自身を必要だと訴えるマリア・デルカは、最早ポール・ダラムでなくなってしまった自分を歓迎するだろうか。ポール・ダラムでなくなってしまった自分に、マリア・デルカに借りを返す資格があるだろうか、と。

 

 でも。

 

 やはり自分はこの失意には耐えられそうにない。たとえマリアへの借りが自身の停止の決断を先延ばしさせたとしても、無理をしているその姿は結果的にそれを強いているマリアを苦しめてしまうかも知れない。

 

 で、貴方は決めたのよ。

 まるで自身を改変したかのように、内面の動揺が表に現れないようにしよう、ってね。」

 

 再びポールは笑顔のまま、先よりも大きく頷く。

 

「敢えて言わせてもらうけど、貴方の決断は間違っているわ。そんなことを私は望んではいない。でもその思いにだけは、ありがとう、と言わせてもらうわ。」

 

 そしてマリアの頬を一筋の涙が流れる。

 

「そして、ごめんさい、と言わせて頂戴。貴方がそれを望まないことはわかっているけど。

 私が望んだのは、貴方に、ポール・ダラムにこの失意と絶望を乗り越えて共に歩んでもらうこと。

 

 あぁ、まだ黙って聞いてよね!

 

 でも、それはいくらなんでも無茶振りよね。そりゃ絶望もするわよ、私にとっちゃこれってほんの一ヶ月ほどの慌ただしい、三十一年ちょっとの自分の人生のほんの例外的な一幕の出来事に過ぎないけれど、貴方、これを七千年やってたんだもの。それを全否定するようなことに突き当たった人にそれを乗り越えろなんて無茶振りにもほどがあるわ。

 

 それを私は貴方に強いて、こうしてニコニコさせ続けたのは酷いと思う。

 ごめんなさい。」

 

 ポールは微笑む。

 

「それでも前進を望む数寄物(フリークス)な私は、もっと酷いことを貴方に命じるから先に謝っとくわ、ごめんなさい。でも、これが私に借りを返す最後の機会だから、貴方は黙って従うしかないのよ!」

 

 屹っと、マリアが人差し指をポールに差し向けつつ叫ぶ。

 

「今すぐ、悲観であるとか失望であるとか諦念であるとか、ともかくそういったものに対応するすべてを貴方の精神から除去(パージ)なさい!」

*1
原作にこれについての言及はない。本作では二〇三〇年代の<コピー>技術確立に伴う計算能力需要の増大が128ビットプロセッサを標準化した設定になっているが、これはナンセンスジョークの類と解されよ。

*2
原作ではピーがそれが可能であることを匂わせる発言をしているが、本作ではこれを無視している。

*3
本作のマリアはこのように思い込んでいるが、原作のピーが陥った、あるいは辿り着いた事態はもう少し入り組んだものであることが示唆されている。本作ではここには敢えて踏み込まない。

*4
と本作ではピーに語らせているが、確かに原作のケイトは俗物感たっぷりではありつつも、一方で、エリュシオンへの密航に際し現実宇宙側の自身を削除するという思い切った行動を取った人物でもありその思考様式は別途掘り下げる価値あるもの、と思わないでもないが、本作はマリアとポールの主観で話が進行する都合上これを割愛した。

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