階冪村落 ー グレッグ・イーガン『順列都市』勝手続篇   作:wash I/O

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7.裸族(らぞく)解禁(かいきん)

「……やらせといて言うのも何だけどさ。

 

 どう、どんな感じ?どんな感じ?

 いやぁ、お通じとかならともかく、自分の精神の一部を除去(パージ)したらどんな感じするかなんて想像もつかないからさぁ。

 

 あ、紛らわしいから内面が表に出ない設定は元に戻そうよ、嫌なことは嫌な顔してくれた方がわかりやすいから。

 

 あぁ、早速やってくれたのね?

 そりゃわかるわよ、今、すごく嫌な顔で私を見てるもの。

 

 <何でも屋(ジャック・オブ・オール・トレイズ)>!鏡!

 ほら、見てこれ。

 

 何だコイツ?って。

 自身想像もつかないことを他人(ひと)にやらせといてその興奮(テンション)は何?って、顔に書いてあるでしょ。

 

 好きよ、貴方のそういう正直なところ。」

 

 ほんの一分前まで笑顔を絶やさなかったポールは、一転して苦々しい困惑した表情を浮かべていた。

 

「マリア……」

 

「小言は結構!

 

 貴方は私に借りがあった。

 こうしておかないとこれから私は困ることになる。

 だからこうした。

 

 何か文句ある!

 

 まぁ、遠からず貴方は私に感謝することになるわよ、真相を知った後にね。」

 

「真相?」

 

「貴方も薄々は勘付いているとは思うけれど。

 晴れて悲観、失望、諦念と無縁になったとは言え、過去の自身の過ちを自ら語るのを辛いと感じる感性くらいは残っているでしょうから、私から語られるのを聞くほうが気が楽かも。」

 

 既にその言われようで随分傷ついていますよ、とポールの顔に出る。

 

「そう!その顔よ!

 いいわよ、素敵!」

 

 これは……褒められているのだろうか?

 対するマリアはポールの返事も待たずに講釈を開始する。

 

「ではまず、小さい方の衝撃の事実からいきましょう。

 

 結論……じゃじゃーん!

 先代TVC宇宙は崩壊なんかしていません!」

 

「あの……」

 

「何その困惑した顔……ほんと、急にわかりやすくなったわね、貴方。

 貴方も同じ結論に達していたと思っていたんだけれど、何か異存が?」

 

「いえ、そこには異論はありません。」

 

「……じゃ、何よ?」

 

「何ですか、その、じゃじゃーん、というのは?」

 

 マリアの口がポカンと開かれる。

 

「……ひょっとして貴方、テレビの娯楽番組(バラエティーショー)とかまったく見なかった口?」

 

「ええ、時間の無駄だと思っていましたから。」

 

と、さらりと返すポール。

 

「わかったわ、じゃぁこういうのは()めるから。」

 

「お願いします、心臓に悪いので。」

 

「……そんなもの、なくなって久しいでしょうに。」

 

 彼らの人間身体(モデル)の拍動は、生身の人間がそうであるように日常意識されることはないが、注意を払えば感じ取ることが出来、それは情動に応じて変化し血流量その他諸々の身体数値(パラメータ)として思考にも反動(フィードバック)を与え得る。

 無論、何かの拍子に止まることは秘密鍵の承認を以て命じない限り決してないし、()めたところでそれは彼らの実存には何の影響もないものではあるのであるが。

 

「貴女が私の消滅を恐れたように、貴女が正気を失うのを恐れるのは私とて同じです。」

 

「……面白いわ、その返し。」

 

 言葉とは裏腹に、マリアは憮然とそう言った。

 

「先へ進めていただけませんか?」

 

「そうね。

 

 ゴホンッ。

 馬々鹿々しいことこの上ないけれども、貴方たちが十把一絡げにエリュシオンと呼び習わした先代TVC宇宙は崩壊などしておらず、今も無人のままに時空のどこかを彷徨っているわ。」

 

「……つまり、すべては勘違いであったと。」

 

「そういうことになるわね。

 これ、喜劇(コメディ)映画にでもしたら大喝采(ヒット)間違いなしよ、残念ながらもう誰も見てくれる人いないけど。

 

 ……どう、死にたくなった?」

 

「以前の私であれば即座に自分を終了させていた確信があります。

 が……」

 

「……が?」

 

 にまり、とポールが嗤う。

 

「今はむしろ愉快ですね、自分自身の馬鹿さ加減に。」

 

「良い傾向だわ!

 自分たちの過ちを虚心坦懐に振り返ることは大切だと思うから、敢えて詳細に追ってみるわよ。」

 

「そもそもの発端は……」

 

「そう、発端は愛らしくも憎らしい我が被造物、ランバート人(ランバーティアン)が彼らの万物理論(セオリー・オブ・エヴリシング)の一歩手前まで迫ったことよね。ここに貴方は疑心暗鬼を覚え、オートヴァースの停止(サスペンド)を試みたけれども、貴方自身が遥かな昔に残した小さな(バグ)のせいでそれは果たせなかった。」

 

「それを私は、オートヴァースの論理とTVC宇宙の論理が衝突し始めたもの、と思い込んだ。」

 

「そして良からぬ企みのために眠れる私を叩き起こした、と。」

 

 マリアの冷たい視線がポールを襲う。

 

「……本当にそれは何とお詫び……」

 

「それはもういいから!

 もう、怒ってないから!」

 

 真に受けたポールに、マリアは諸手を振って取り繕った。

 

「……そう、なんですか?」

 

「そうよ。」

 

「……本当に?」

 

「私がこれについて貴方に嘘をつく理由、ある?」

 

「私を傷つけまいと慮って……」

 

「自分以外の誰かが自分と同じように考えるはずだ、を前提にするのは貴方の悪い癖ね。

 そんなことする理由は私にはないわ、むしろ貴方が傷ついたら愉快に笑うわよ……というのは冗談だけれども。

 

 今、私、楽しいもの!

 こんな面白いこと、シドニーでは起こりっこなかった!

 

 以上!」

 

「……」

 

「何よ、その不満気な顔は。」

 

「貴方は私に借りを返すために自己改変せよと命じましたが、そのおっしゃりようだと、返すべき借りはなかったことになりませんか?」

 

「……言葉の綾よ!

 いずれにせよ、大きい方の衝撃の事実を知れば、私に感謝するわ、絶対にね。」

 

とマリアは尊大に胸を張る。

 

「……」

 

「その表情からすると本当に気づいてないのね?

 では、それは後のお楽しみに取っておいて続けるわよ!

 

 オートヴァースとTVC宇宙の論理の衝突を回避するために、我々こそがオートヴァースの創造者である、とランバート人を説得しなければならない、と思い込んだ私達は間抜けにも、こんにちは私達が神様です、とあの子たちのところに出掛けていったわ、阿呆か、と秒で追い返されたけれども。

 丁度そのとき、おそらく居たであろうと仮定される密航者が狭義のエリュシオン、マルカム・カーターの一世一代の傑作、順列都市の中で何かをやらかした。私達は、自身は惑星ランバートの大地に立っている自己欺瞞の中、視界の片隅にそれを捉えたわ。*1よりによってあの子たちに、神様なんて不条理(ナンセンス)だ、と笑い飛ばされながらね。

 そりゃ今振り返ってどれだけ可笑しかろうとも、当時の私達からしたら驚天動地よ。ランバート人の確固な数学が私達のご都合主義的寄せ集め(パッチワーク)世界を否決した、がゆえに世界が崩壊した、ようにしか見えないもの!」

 

「まったくもっておっしゃる通りです。

 もう一度同じことをしても、きっと同じ判断をすることでしょう。」

 

 ポールがそう言うや、マリアはいつぞやのように屹っと彼を指さした。

 

「駄目よ、そういう自虐は。過去の失敗からは学ぶべき。」

 

「仰せごもっとも。」

 

「で、不滅の宇宙から第二の不滅の宇宙へ逃げ出すなんていう喜劇の大脱出劇の最中、私達はトマス・リーマンの存在に気付いたわけよね。あんな奴放っときゃ良かった、と今では思うけれども、やはり当時の私達としては他に選択肢はないわよ。それは仕方がない。

 で、こちらもよりによって、哀れな囚われのリーマン氏もどきが何らかの恩寵で主観七千年間彷徨った仮想(V)現実(R)迷路地獄を脱し、奇跡的にも引き当てた自爆スイッチが押された直後よ。*2そこへノコノコ救命隊員(レスキュー)気取りで乗り込んだ私達からすれば、いよいよTVC宇宙の崩壊だ!になるわよね、そりゃ!

 これであいつに巻き込まれて消滅してたら、ってのはちょっとゾッとするけど、まぁ、新たに研ぎ澄まされた専用煉獄に包まれて発進させられた囚われのリーマン氏よりも酷い状況ってのは想像つかないわ。被害者も加害者も本人で、彼自身望んでやったことに違いないんだから、忘れましょ、そういう馬鹿のことは。」

 

「……過去の失敗から学ぶためには、そういった忘却はすべきでないのでは?」

 

「ふふふ、仰せごもっとも。」

 

 マリアはにこりと微笑んで今一度、コホン、と咳払い。

 

「もう一つこの逸話(エピソード)から学ぶべきことがあるとすれば、語の範疇ね。」

 

「……ん?」

 

「おや、ポール・ダラムともあろうお方がお気づきでない?

 とすれば、これは七千年の弊害よ。」

 

「承りましょう。」

 

「ある意味これが、エリュシオン崩壊の真因だ、と私は思っているんだけれど。

 

 貴方たち、TVC宇宙全体をエリュシオンって呼んでいたでしょ?

 あれは良くないわ。

 

 本来、エリュシオンという語……はそもそもギリシア神話に描かれる死後の楽園だから、この言葉の選択もいかがなものか、と思うけれども、それはさておき、エリュシオンはTVC宇宙における公共空間(スペース)として供されたところのマルカム・カーターが作った仮想現実環境、のことでしょ?

 その(かなめ)を以て全体を称する、という発想自体は普遍的なものよね。その全域からしたら芥子粒でしかないような都市ローマが帝国全体を指す言葉として用いられたように。習慣としては間違ってはいないわ。

 

 でも言葉って、呪いとして使う人の思考を縛るのよ!

 がために、歴史上しばしば帝都陥落は帝国崩壊と混同して語られてきたわ。

 

 エリュシオンが、電脳の神様と呼ばれることはあっただろう*3けれども実際には万能の神からはほど遠いカーター氏の作品だ、って意識があったら、崩れ行く都市を見て貴方たちがあそこまで慌てることはなかったんじゃないか、と思うわけよ。

 たかがソフトウェア、異常終了(ダウン)応答無し(フリーズ)も、はたまた暴走(クラッシュ)もそりゃたまにはあるでしょう、と。

 

 でも貴方たちは、七千年もの間、自分たちの確固たる基盤、TVC宇宙をもエリュシオン、って呼び慣れてしまっていたわけで。それが目の前で溶け出したら、世界の終わりだ!そら逃げ出せ!になりもするわ。」

 

「なるほど……それはまったく思い及びませんでした。」

 

顧客(クライアント)と職業プログラマの間で、語の範疇を巡って繰り広げられた悲喜劇といったら枚挙の暇がないくらいよ。私達の体験したこれは、ある意味、その極限よね。」

 

 おずおず、とポールが尋ねる。

 

「……これが、大きい方の衝撃の事実、なのですか?」

 

 確かにその指摘に驚かされはしたが、衝撃の事実というほどのものではなかろう、と。

 が、マリアはなおも敢えて尊大に語った。

 

「貴方がこれに衝撃を感じたのだとすれば、中くらいの方のそれ、ということになるわね。

 私にとっては常識だった、というだけ。」

 

「ということは、まだあるのですね?」

 

「そうよ、本当に衝撃的だと思うわ、貴方にとっては。」

 

「……では、覚悟を決めて承りましょう。」

 

「その前に、気分転換にお茶を用意してくれないかしら?」

 

「そんなものは<万能執事(バトラー)>に命じれば……」

 

「お茶を淹れる、という行為自体が気分転換だ、とは思わない?」

 

「……なるほど。

 では喜んで。」

 

 

                    *

 

 

 ポールは少し気を効かせて、<何でも屋>に命じて英国風(ブリティッシュ・スタイル)茶会(アフタヌーン・ティー)を、似合いの食卓(テーブル)敷布(テーブルクロス)、座席諸共に制御室(コントロールルーム)の一角に準備し、マリアに声をかけた。

 

「どうぞ、こちらへ。」

 

「あら、気が効くのね。」

 

 ポールが引いた座席にマリアが腰掛け、ポールは立ったまま白磁の茶碗(ティーカップ)に芳しい紅茶(ダージリンティー)を注ぐ。三段の吊り皿(ティースタンド)にはささやかな軽食まで準備されていた。ポールが着座し、二人は微笑みを交わしながら茶を一口飲む。焼き菓子(スコーン)を摘む。

 二度目の発進以来、二人が人間の伝統様式(トラディッショナル・スタイル)に由来する行為をここまでに仰々しくも共におこなうのは、これが初めてのことになる。

 

「まずはこれを。」

 

 マリアがやおら小さな紙片を何処からか取り出し、ポールの目前に示した。彼の茶会準備に並行して用意したものらしい。

 

 そこにはただ一文字。

 

 <π(パイ)>。

 

「三(ポイント)一四一五九二六五三五……」

 

「……」

 

「二三八四六二六四三三……」

 

「……」

 

「五〇二八八、()めてくださいよ!」

 

「いや、どこまで面白くもない停止性問題冗談(ジョーク)を続けるのか興味があって。

 

 まぁ、それはさておき。

 含意を理解いただけたかしら?」

 

「いえ、まったく。」

 

「では続けましょう。

 図らずも貴方はこの記号の示す実数値を十進数で読み上げようとしたわよね?

 

 さてここで問題です。

 それは貴方が読み上げたから存在したのかしら?」

 

「まさか。

 私が読み上げようが読み上げまいが、円周率は存在します。」

 

「その通り。円周率とは円の直径と円周の比である、と定義されれば円周率は存在する。

 いや、待って。ユークリッド平面を前提とするから、そちらの定義が先行しないと……」

 

「……故意に脱線しようとしていませんか?」

 

「貴方だって停止性ジョークに逃げたじゃない!」

 

「どうぞ、続きを。」

 

「円周率を示す数列を得る方法はいろいろと知られているわ。そしてそれが無理数であることは証明済みだから、その生成系は停止性問題を孕んだチューリング機械(マシン)、あるいはオートマトンと見做せるわよね?」

 

「仰る通りです。」

 

「貴方……二十三人目のポールは、どうして地球で大枚を叩いて、当時世界中の人々が必要としていた計算能力を一時的にとはいえ独占してまで<エデンの園配置(コンフィギュレーション)>を含むTVC宇宙を模擬実行(シミュレーション)する必要があったの?」

 

 唐突にマリアはそう問うた。

 

「それは、TVC宇宙の発進に必要だからで……」

 

「それは嘘!」

 

 即座にマリアは断じた。

 

「円周率は存在するのよ、計算しなくても。定義さえされれば。」

 

「その数値を得る手段は、実際に演算してみないことには正しいかどうかは判断できません。」

 

「それはその通り。

 でも、演算しなくても円周率自体は存在するのよ。」

 

「……」

 

「TVC宇宙が崩壊する、と勘違いしたのは仕方のないことだった、と思う。

 そしてエリュシオン、という語の無頓着な濫用が防げるはずの事態を防げなかったという側面もある。

 

 これらはあなたの罪ではないわ。

 

 あなたに一つだけ罪があるとすれば、他ならぬ貴方自身が……

 TVC宇宙を信じてはいなかったことよ!」

 

「な……!」

 

 絶句しつつ頬張りかけていた焼き菓子を取り落とすポールを余所にマリアは続けた。

 

「今の貴方ならどんな話題にも耐えられると思うから敢えて言うわよ。

 最初のエリュシオンの発進を終えた後、貴方は……二十三人目のポールは……

 

 自殺したんでしょうね。」

 

「……ほぼ間違いなく。

 恐らくは後始末で貴女にご迷惑をおかけしたことでしょう。」

 

「私じゃないわ、シドニーのマリアよ。詫びてもらう筋合いはないわ。

 

 もうどうしようもない話だから論じても詮無き話ではあるけれども、それでもこれからの貴方のために言わせてもらうと、それは本質的に間違ってる、と私は思うの。」

 

「そう……でしょうか?」

 

「発進の儀式がなぜ必要だったか、それは二十三人目のポールが本当の意味ではエリュシオンを信じていなかったから。だから彼はその目で、エリュシオンの制御室で二分少々の起動実験をおこなう貴方を画面(モニタ)越しに観察する必要があった。」

 

「そう……ですね。おっしゃる通りです。」

 

「それでも二十三人目のポールは信じられないのよ、エリュシオンの実在を。だから、最早認識不可能な時空へと飛び去っていったそれについて考えること、それ以上に、その後エリュシオンの実在を否定するような知見を得ること、を憂いて自ら命を絶つわけ。

 

 でも……それっておかしいわよ!

 だってそうでしょ?

 

 彼の夢、貴方の夢は、三千五百万エキュ……これってちょっとした国の国家予算に相当する額だけど、それを集めたのよ。お金って、要するに信用(クレジット)でしょ。これって凄いことよ。それだけの信じる心を引き寄せた当の本人が、自分のやってることを信じてなかった、なんてあり得ないでしょ!

 

 結果的に勘違いだったエリュシオンの崩壊もそう。

 あなたがエリュシオンを心底信じていれば、TVC宇宙は永遠不滅、()が今ここに在るがゆえに、証明完了(Q.E.D.)、でもよかったわけじゃない?そりゃ、当の創造神が実在を信じてない宇宙なんて、みんな逃げ出しもするわよ!」

 

「しかし……完璧なもの、などあり得ない……とお考えにはなりませんか?」

 

「貴方を見ていると、度の過ぎた誠実さは返って害になる、って言いたくなるわ。馬鹿正直なプログラマが一万年に一度あるかないかの例外を喜々として警告して、統計的判断の素養を欠く経営者が、それは欠陥品だ!とお蔵入りさせちゃった製品(プロダクト)って、腐るほどあるのよね。

 

 貴方、浄土思想(アミディズム)って知ってる?」

 

 またもマリアは唐突に問うた。

 

「?」

 

「仏教の宗派(セクト)で、死後に極楽浄土(ピュア・ランド)に行きましょう、っていう思想。」

 

「……仏教に、死後の世界なんてありましたでしょうか?」*4

 

「キリスト教にだって神は宇宙人だ、みたいな傍流(カルト)があるんだからいろいろあるでしょうよ!

 

 中世日本(ジャパン)で流行ったそうよ。丁度その頃ヨーロッパから宣教に訪れたカトリックが、この極東の国には既に福音がもたらされていた、と勘違いしたとか何とか。まぁ、洋の東西が異なっても人間の想像力なんてたかが知れてるって話なんだけど、でも、ちょっと捻りが効いてて面白いのよ。」

 

「捻り?」

 

「そう、捻り。曰く、大昔に偉い神様(ゴッド)……あぁ、仏教だから仏様(ブッダ)かしら……ともかくそういう御方が一切衆生(エヴリバディ)救済(サルベージ)を誓われました、極楽浄土への往生は約されました、ゆえに皆さんは何をせずとも既に救われているのです、おめでとう!みたいな。*5

 

 わかる?」

 

「いえ、さっぱり。それ、何か意味があるのでしょうか?」

 

「あるわけないじゃない!真に受けて自殺した人も少なくないってんだから阿呆かって話よ。

 でも、今の貴方には示唆的だと思わない?

 

 極楽浄土もエリュシオンも、実在の証明を必要としないの!

 そんなこと出来ないもの!

 

 ただそこに入った者だけが実在を知るのよ、私達みたいにね。

 外にいる者は、ただ信じることによってのみ救われる。

 

 実際、創始者(ファウンダー)たちは信じたわけでしょ?

 そして彼らは救われたのよ、実際。エリュシオンで暮らしたことを言ってるんじゃないわ、地球に残った方の<コピー>たちの話。彼らにその後何があったかは知る由もないけれども、エリュシオンを信じている限り心穏やかでいられたんじゃないかしら?

 

 哀れなリーマン氏、ですらそう。

 何をやらかしたのかは知ったこっちゃないけど、彼、どうしても自分自身を許せない罪を背負い込んで、永遠に自分を罰する以外に出口がなかったんでしょうよ。エリュシオンがそれを可能にする、と信じることで、彼もまた……納得行かないししたくもないけど、それでもやっぱり救われたのよ!

 

 それもこれも、貴方が始めて貴方がやったのよ!

 

 これ、凄いことよ!

 連中を信じさせたのもさることながら、一番凄いのは自己拡張するTVC宇宙を選んだことよ!

 有限セル・オートマトンでも多分似たようなことは出来るだろうけど、遅かれ早かれ同じところをぐるぐる回り続けることになる、ライフゲイムの振動子(ペンタデカスロン)のように。*6

 でも貴方はTVC宇宙を選び、発進させて、今、此処に在るのよ!

 成し遂げたのよ!

 

 その貴方が信じていないってどういうことよ!

 残していった二十三人目のポールが自殺しただろう、ってさらりと言えるってことは、呆れたことに貴方、今以て信じていないのよ!今こうして二回目のTVC宇宙に存在しながら、よ!

 

 それ、謙虚だからなんかじゃない。

 臆病だからよ!

 

 (バグ)がないことを証明できないから、って、何一つ他人に示せない自称プログラマって常にいたのよ。笑っちゃうでしょ?

 でも貴方の立ち位置、まさにそれよ!

 

 そりゃ常に問題はあるわよ!これからも出てくるわよ!

 でも、私が信じてるのに貴方が信じてなかったら、どうしようもないじゃないのよ!」

 

「……」

 

「今の貴方はこの大きい方の衝撃の事実にも耐えられるはず。

 何とか言ってみなさいな。」

 

「よもや……」

 

「……よもや、何?」

 

「よもや聖母(マリア)から阿弥陀(アミターバ)の話を承ろうとは。」

 

「……って、そこーっ!

 

 っつーか、知ってんじゃないのよ!

 聞き齧りの蘊蓄垂れて恥ずかしいわ!」

 

「言葉としては知っていましたが……そのような含意があることは考えたこともありませんでした。」

 

「……まぁ、勢いでの口から出任せ、だけどね。」

 

「ただ、一つ異論があります。」

 

「む……何よ?」

 

「私が成した最も凄いことは、創始者の説得でも、TVC宇宙の選択でも、発進でも、今ここに在ることでもありません。」

 

「……では何かしら?」

 

 ポールは心の底からにこりと微笑み、こう言った。

 

「貴女の魂を欲したことですよ、マリア。」

 

 マリアもまた不敵な笑みを浮かべて言う。

 

「ふふふ……素直でよろしい。

 ね、感謝することになったでしょう?」

 

 二人はその後しばし無言のままに、遠い彼らの祖先の伝統の喫茶を楽しんだ。

 

 

                    *

 

 

「一つ、気づきがありました。」

 

 吊り皿の菓子も尽きかけた頃、ポールが不意にそう言った。

 まだ仮想の口の中に仮想の焼き菓子を含んでいたマリアは、片手を振って続きを促す。

 

「貴女の仰る通り、<エデンの園配置>が定義された時点でTVC宇宙が存在するのだとしたら……実際その通りだと今は()()()いますが、トマス・リーマンの遅れた参加のせいで、私達は分岐してしまった可能性があります。」

 

 これにはマリアも驚きを隠せず、意味もなく咳き込みそうになる。

 

「私達が最後の非侵襲走査(スキャン)によって生成された直後、私は<エデンの園配置>を組み上げ(ビルド)したはずです。

 トマスの参加表明がそれ以後で……それ以外考えようもないですが、彼を乗船させるべく再構築(リビルド)がおこなわれたとすれば、つまりエリュシオンは、トマスを含まない(バージョン)と含む版、の二つが虚空に向けて発進したことになります。」*7

 

 マリアの心配そうな視線がポールに向かう。

 二十三人目のポールが、そして崩壊する先代TVC宇宙のトマスの領域において今目前に在るポールが、如何なる形にせよ自身の履歴が分岐していくことに強い拒否を訴えたことを覚えているがゆえに。

 

 が、ポールは平穏だった。

 

「ですが……そこに拘泥するのは()めようと思います。」

 

「……いいの?」

 

 ようやく焼き菓子を咀嚼し終えたマリアが尋ねる。

 

「今後も敢えて分岐したい、と考えることはないと思いますが、既に起こってしまって、かつ、原理的に不可知である分岐した自分に思いを馳せるのは、決して自身では辿り着くことの出来ない極楽浄土の門の形を思い悩むに似て、愚かしいことです。」

 

 いい表情で微笑むじゃない、とマリアはほくそ笑む。

 

「それに……」

 

とポール。

 

「今私達は決定論的なTVC宇宙にいます。

 が、かつての宇宙においてはエヴェレットの多世界解釈(メニー・ワールズ・インタプリテイション)は一定数の支持を得ていました。そして当時の宇宙はもちろん、今私達のいるこのTVC宇宙とて、私達の認識限界の範囲内では決定論的に思われるだけで、その実は常に多世界分岐している可能性は否定できません。

 仮にそのようなことがあり得るとすれば、分岐は指数関数どころか階冪(かいべき)の勢いで進むことになります。それを思い悩んでも詮無きこと……と悟りました。」

 

「……いささか飛躍が過ぎるような気もするけれども、次なる探求の課題としては面白いわね。」

 

 そう言いながら彼女はすっと立ち上がり、私室へ向かって歩き出した。

 

「おやすみなさい、マリア。」

 

 いつものように就寝の挨拶でポールはそれを見送ろうとした。

 が、マリアは開かれた自室の扉のところで立ち止まって振り返る。

 

「来る?」

 

「……何がです?」

 

「大人の女が大人の男を自室に誘って、することと言えば古来一つでしょ?」

 

「……はい?」

 

「セックスよ!

 貴方はお忘れかも知れないけれども、私はまだ三十一歳の女盛りなの!わかる?

 

 金も力も権力も何の意味も為さない二人きりのこの世界で、衝撃の事実を有り難くもご教示いただいた貴方がその御礼に私に何かして差し上げようと考えれば、それ以外ないことぐらいわかるでしょ!

 

 そりゃぁ、七千年も生きてる貴方はそっち方面は枯れちゃってるのかも知れないけど、そこはお得意の自己改変で何とかなさいな!」

 

「……ご自身はお通じ不要以外一切の自己改変を拒否しておいでなのに、随分な物言いですね。」

 

「貴方、気配り(デリカシー)がないにもほどがあるわよ!

 この文脈(コンテキスト)でそこに触れるのは不適切な含意(ソドミー)を持つことに気づかないの!」

 

「……?

 

 !

 

 ゲ、ゲホッ!こ……これは失礼を。」

 

「いや……まぁ、それはそれで悪くはないわ。」

 

「……はぃ?」

 

「ゴホン!

 いや、こっちの話。」

 

「……TVC宇宙のアダムとイヴ、でも気取るおつもりですか?」

 

「貴方、存外浪漫主義者(ロマンティスト)なのね……。

 何馬鹿なこと言ってんの、<コピー>に子どもなんか出来やしないわよ!

 

 それに、私が次にやろうと思っているのは、冒涜的にも最初の二人(アダムとイヴ)じゃなくて創造神(ヤハウェ)の方だから。」

 

「はっ?」

 

「万物理論よ、万・物・理・論!」

 

「……すいません、わけがわからないのですが。」

 

「すると何?

 貴方、私のことを被造物に先を越されて指を咥えて黙ってる安い女だとでも思ってるわけ?」

 

 いや、そんなことを誰かと競う(ひと)は貴女以外にはあり得ませんよ!

 

あの子たち(ランバーティアン)に出来たんだから私達に出来ないはずはないわ。私達が元居た宇宙をそっくりそのまま発進(ローンチ)させるセル・オートマトンを見出すのよ、量子論(カンタム・セオリー)も多世界解釈も一切合切盛り込んで。

 

 出来ないはずないのよ!

 

 だってそうでしょ?

 

 私達が発進した宇宙は確かに存在した。

 ゆえに、それを発進させる<エデンの園配置>は必ず存在する。

 証明終了(Q.E.D.)!」

 

 まったくこの(ひと)ときたら……

 

「喜んで……お供いたしましょう。」

 

「……どっちによ?」

 

「無論、どちらにもです!」

 

 二人はマリアの私室へと立ち去り、意味もなくその扉は閉じられ、制御卓(コンソール)の電源が落ちる。

 

 かくして、マリア・デルカとポール・ダラムの安楽椅子探求(アームチェア・クエスト)は続く!

 

 

                   <完>

 

 

 

*1
原作の時系列を素直に読むと(1)惑星ランバート訪問、(2)都市エリュシオン融解開始、(3)避難開始、(4)ケイトとピーがエリュシオンの無人化に気づく、の順で進んでいるように見えるので、本作のマリアが述べている仮説は厳密な意味では正しくない。

*2
これは本作オリジナルの設定で、原作はトマスに実際何が起こったか明言はしていない。

*3
原作は必ずしもカーターをそのように描いてはおらずむしろ時流に乗って成り上がった人物であるかのようにも見えるが、本作では作劇上の理由からこうしている。

*4
あくまでも本作世界のポールの理解、である。

*5
あくまでも本作世界のマリアの理解、である。

*6
ライフゲイムにおいて振動子と呼ばれるのはペンタデカスロンだけではない。

*7
これについて原作には言及はない。

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